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こだまゆうこのスマイルレポート 2023年

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中森じゅあん先生の算命学講座

先日は、にんげんクラブの主宰する中森じゅあん先生の算命学講座をリモートで受講しました。

私は占いが好きなので、じゅあん先生の講座をとても楽しみにしていました。
今回はリモートでも参加可能だったので、子育て中の私でも参加できて、
とてもありがたかったです。

また、リモートでの受講でも質疑応答で質問をすることもできたので(非常に質問がしやすい雰囲気でした)、
このことも良いことだと思いました。

この日は息子のお友達が家に遊びに来ていて、
息子たちが二人で遊ぶのを横目で見ながら私はリモート参加という、
ちょっと落ち着かない参加の仕方だったので、
先生がとても良い話をされている最中に、息子が話しかけてきたり、横でテレビを見られたりと
バタバタしてしまいましたが、それでもとても楽しい講座でした。

2024年はどんな年となるか、詳しく教えてくださったのですが、
私はどうやら今年と来年は天中殺のようで、要注意です。

それから今年は母性が大事、子育てをがんばる年になるようです。

このお話をお聞きする前から、なぜだか今年は札幌に行くこともあり、
仕事よりも母親業をがんばろう、忍耐の時期だ、と思っていたので、
ズバリ算命学でも答えをいただけたような気がして、びっくりしました。

天中殺の時には結婚や引っ越しや転職などあまり思い切ったことはしないほうがいいそうなのですが、
引っ越しは夫の仕事の都合で自分ではどうすることもできません。

私だけ現状の生活を変えず夫に単身赴任をしてもらうことはあまり現実的でないので、
天中殺ではあるけれども、引っ越しをするし、
転職をするわけでもないけれど、にんげんクラブ会報誌の終了に伴い自然に仕事がなくなったので、
仕事にも変化があります。これもきっと流れなのでしょう。

でもこの時期にじっくりと母親業をしたり、
いろいろな古典を勉強することは、きっと今後のためになるはずだ、と思えました。

そういえばインド占星術の先生からも、
この時期は仕事をしてもうまくいかず、
親も子も苦しい時期だが、外国か古典のスピリチュアルなことを学ぶのは良い、と
何年か前に言っていただいたことも思い出しました。

東洋の占いとインドの占星術で同じようなことを言われるのも、
不思議ですね。

質疑応答の時間は、占いだけのジャンルにとどまらず、
じゅあん先生の深い知識と経験から導き出されるとても深い内容でした。

子育てや生き方について、いろいろと考えさせられました。

子守をしながらの参加だったので勇気が持てず質問ができませんでしたが、
いつかまた機会があれば、今度は質問をしたいと思いました。

占いはとらわれすぎもいけませんが、生きていくうえでの道しるべにもなります。
上手に生活に取り入れていきたいと思います。


4月から札幌へ

長い間ブログを書いていませんでした。

今年は年始早々ノロウイルスに感染し、
その後も元気になったと思ったら風邪をひき、
ようやく治ったかなと思っても、
若い頃と違ってなかなか治り辛く、
たんなる風邪も長引いてこじらせております。

なんだかんだで毎月原稿の締め切り前後には
けっこう風邪をひいて会社への出勤もお休みが多くなっており、
自分の体力のなさに情けない思いです。


ここ数年は、自分の能力と体力で、
できることとできないことが、はっきりしてきました。
昔は簡単にできると思っていたことでも、
ある時期からできなくなることが増え、
これが年を重ねるということか・・・・と、あきらめもついてきました。

まだ40代半ばなので、
普通の人にとってはまだまだ元気で体力もあり、
いろいろな経験も積んで人生一番脂ののっている時期かもしれなくて、
何を年寄りくさいことを書いているんだと思われるかもしませんが、
人それぞれ、比べるものでもないですね。

小さい頃から虚弱体質ぎみな私にとっては、
40代はかなりセーブしながら生活しないと、
すぐに寝込んでしまう日々を送っております。

すごく元気な日って一年のうちでじつはあんまりないのかもしれない、
だから一日一日を大切に過ごさなければ、と心に誓うのですが、
いざ元気になると、そんなことは忘れてすぐに調子に乗ります。
なかなか学べない日々です。

ところで、にんげんクラブは3月いっぱいで活動が終わりになりますが、
私はたまたま夫の仕事の都合で、
3月末から3年間ほど北海道に引っ越すことになりました。

そんなこんなで、
引っ越しの手配やら、札幌での新居探しやら、
たけちゃんの小学校の手続きやら、
高齢な犬を飛行機に乗せられないので
船便の手配やら、各種手続き諸々で、頭は忙殺されております。
ただでさえ事務作業が苦手なうえに、
3月は確定申告まであるので、
本当に乗り切れるのだろうか・・・と、今から憂鬱です。

そして北海道出身の夫は引っ越しをとても楽しみにしていますが、
寒いのが苦手な私としてはこれからの生活がけっこう不安です。
(たけちゃんはあいかわらず、熊がこわいと言ってます)
おいしい食べ物や豊かな自然を満喫することは楽しみにしています。

とりあえずにんげんクラブでのお仕事もなくなるタイミングだったことと、
たけちゃんの小学校入学と引っ越しも重なったので、
たけちゃんは学童保育などには申し込まず、
生活が落ち着くまでしばらくは専業主婦でやっていく予定です。

たけちゃんはなんと言っても髪の毛が全然生えていないので、
全くお友達のいない新しい環境で、
からかわれないだろうか、いじめられないだろうか、
などと、親としては不安で仕方ありません。

私が小学生の頃とは時代も変わってきて、
ルッキズムも問題視されるようになってきたので、
あんまり心配しなくてもいいのかな、と楽観的でいたい気持ちもあります。

でも、今でも道を歩いているだけで、
たまに知らない小学生から集団で笑われたり、
からかわれたり、指さされたり、ということはやっぱりあるので、
楽観しすぎもよくないのかなとも思います。

本人がもしも、いじめられたりからかわれたりした際に、
一人で抱え込まず、親や誰かに悩みを伝えられる雰囲気が作れるよう、
こちらもゆったりとした気持ちでいられるよう、
あえて仕事はあまりしないようにします。
親が締め切りに追われてバタバタして
子どものことを見れなくなったら本末転倒なので・・・・。

こんなことを思えるようになったのも、
たけちゃんが幼稚園に入園してすぐの頃、
あせって仕事をたくさんいれて、締め切りに毎月追われ、
毎日のように夫婦喧嘩をして、たけちゃんは毎晩夜泣きでハゲて、
私もストレスがたまりにたまって身体をこわし
離婚寸前になった経験があるからです。

戻れるならばあの頃にもどって、仕事なんかしないで
繊細なたけちゃんをちゃんと見てあげたら良かった、
毎日笑顔でもっと抱きしめてあげたら良かった、と後悔していますが、
時を戻すことはできないので、
札幌に行って小学校に彼が慣れるまでは、
同じあやまちを繰り返さないようにしようと思っています。

自分の体力とできること、できないことを、
ちゃんと考えて行動しよう、と思います。


いつものことですが、自分のことばっかり書いたブログになってしまいました。
とまらない咳に苦しみながら書いているので、
多少ネガティブな感があるかもしれませんが、
久しぶりの更新で、これ以上のことも書けそうにないので、
ご容赦いただきたいと思います。

それでは、また元気になったらブログを書きます。

札幌近辺の方、4月からぜひよろしくお願いいたします。

『愛は勝つ』のKANさんありがとう

先日、「愛は勝つ」で有名な
シンガーソングライターのKANさんが亡くなられたニュースを見ました。

今年になってから多くのミュージシャンの方々の訃報を目にしますが、
KANさんのニュースはファンだった私にとってとてもショックな出来事でした。

「愛は勝つ」が大ヒットしたのは私が中学生の頃ですが、
当時の人はみんな「愛は勝つ」が歌えたんじゃないかと思うほど、
いろいろな場面で愛は勝つが流れていたように思います。

中学生の頃は、ちょっと悪ぶっているほうがかっこいい、
と反抗期も手伝ってザ・ブルーハーツの大ファンだったのですが、
KANさんの音楽はとても純情で優しいラブソングが多く、
あまり大々的にKANさんのファンだと言うのも恥ずかしく、
その自覚もありませんでした。

でもKANさんの曲はとても耳に心地が良く、
姉が持っていたKANさんのアルバムをダビングしたカセットテープを借り、
カセットテープからさらに録音したカセットテープで、
テープが擦り切れるほどに何度も何度もKANさんの曲を聞き、
じつは大好きなブルーハーツの曲の倍くらいしつこく聞きました。

それだけ聞き続けたのにKANさんのファンだと自覚できず、
大学生になって実家を出てからは、ロックやヒップホップやレゲエなどを聞き、
KANさんの曲を聞いていたことすら遠い記憶になっていました。

26歳くらいの頃に、どうにもお金がなくて、
ちょっとグレーなテレアポのバイトをしていた時に、
毎日毎日受話器の向こうの人に当然ながら嫌な態度をとられ、
メンタルがやられかけていた時に、
一人でランチを食べていたら、
当時聞いていたアルバムのKANさんの曲がBGMで流れてきて、
なんだかとてもその曲に癒されたことを今も鮮明におぼえています。

それでもやっぱりファンだと自覚できませんでした。

転機が訪れたのは36歳くらい、2014年のことです。
ある時、古本屋さんに大量の本を売りに行って、
買い取り金額が出るまでの間、何の気なしにそのお店をぶらぶらして待っていました。

そこで中古CD安売りの100円コーナーに、
当時聞いていたKANさんのアルバムが売っていました。
普段だったらふーんと思って通りすぎるところですが、
なぜかその時は、めちゃくちゃ懐かしいなあ聞きたいなあと思って、
100円のCDを買って帰り、その日から毎日車での通勤途中に、
カーステレオでKANさんのアルバムを聞き、
車の中なのでずっと一緒に歌っていました。

ああ私はKANさんのファンだったのだな、とそこで初めて気づきました。

それから一週間くらいたった頃のことです。

にんげんクラブの重冨さんから、
クンルンネイゴンのKan.さんという人のお話がすばらしかった、
機会があったらぜひお話を聞いてみて、とメールで連絡がありました。

じつはその1か月くらい前にも重冨さんから同様の連絡がありましたが、
当時、舩井会長が亡くなられ、同時に私も子どもを死産してから
数か月しかたっておらず、何をするにも否定的になっておりました。

だからそんなメールをいただいても、
クンルンネイゴン?なんだか聞いたことないし、
このKan.という人の風貌も怪しい。
そもそも名前が横文字なのが信用ならない、、、
ととても失礼ながら貝のように心を閉ざしておりました。

今までいろいろな人に会っているので、
基本的にはたいていの人にウェルカムで、
柔軟性があるほうだと思っていますが、
当時の私はなぜだかすごい拒否反応が出たのです。

なので1か月前のメールには、
怪しいので私はKan.さんに興味がないです、
というニュアンスのお返事を重冨さんにはしていました。

そんな返事をしたにも関わらず、
1か月前のやりとりが全くなかったかのように、
さらにKan.さんをすすめてくるメールに、
何でこないだ断ったのにまた同じメールなのだろう、
先輩からのオススメをあまり断るにも角が立つし、
でも気が進まないし、何と返事をしたら良いのだろう?
ともやもや考えていました。

上手い断りの方法をもやもや考えているときに、
熱海のスタッフの前岡さんから、
「昨日はカンさんがね・・・・」と話しかけられました。

当時舩井本社の熱海オフィスの1階の矢田クリニックに
菅さん(カンさん)という名前のスタッフの方がいらして、
前岡さんはその方と話したたわいもないことをお話したかっただけなのですが、

「カンさんがね・・・・」と話しかけられたときに、
とっさに、クンルンネイゴンのKan.さんについての話か、
歌手のKANさんについての話か、
矢田クリニックの菅さんについての話か、
誰について言われているのかわからず、頭がぼやっとしました。


その時に雷に打たれたかのような衝撃を受けて、
なぜか三つのトライアングルが、ばしっと揃ったようなイメージがあり、
ハっとしました。

そもそも、何で私は、20年間一度も自分から聞きたいと思っていなかった
KANさんの歌をこの1週間ずっと歌っている???

・・・・・・・。

私は何としてもクンルンネイゴンのKan.さんに会わなければいけない!!!!


と、ものすごいショックを受けながら、
走って自分のパソコンまで行き、
そこでKan.さんについて急いで調べて、
Amazonで『時空を超えて生きる―潜象界と現象界をつなぐ』を注文しました。

その後はその日の仕事を通常通りにして、
家に帰ったらすぐにどうしたらKan.さんに会えるのかネットで調べまくって、
旭川で行われる1日ワークショップに申し込みました。


そんなこんなで、KANさんのCDのおかげで、
Kan.さんにお会いできることになったのでした。

もちろん、にんげんクラブの仕事をしておりますし、
拒否反応云々と言っていても、
きっといつかはKan.さんにはお会いする道が出来ていたのだろうとは思います。
でも私にとっては、Kan.さんとの出会いと、KANさんのCDとは、
切っても切れないと言いますか、かかせない出会いの印だったのだと
今も思っております。


いつかご本人のライブをお聞きしたいなあと思いつつ、
KANさんのファンだったと自覚してから何年もの時間があったというのに、
結局一度もライブに行くことは叶わず、
KANさんは天に召されてしまいました。

KANさんの訃報はかなりのショックと後悔の念を思い抱かせ、
生きているうちに会ってみたい人にはちゃんと会って、
行ってみたいと思ったところにはちゃんと行かなければ、
と思いました。


KANさん、たくさんの素敵な歌をありがとう!

『愛は勝つ』がメジャー過ぎて他の曲があまり目立たなかったけれど、
たくさんの大好きな曲があります。
そして今、あらためて『愛は勝つ』のすごさを日々感じています。


にんげんクラブの活動について 

もうお読みになった方も多くいらっしゃるかと思いますが、
『にんげんクラブの活動について』
という舩井勝仁社長の文章がにんげんクラブ会報誌に掲載されました。

この文章にもありました通り、
2006年4月から続いてきたにんげんクラブ会報誌は、
2024年4月号をもちまして終了となります。

早いもので、18年ほど続いたことになるでしょうか。
18年というと、生まれた子供が成人するくらいの長い期間ですが、
私にとってはあっという間に感じる年月でした。

私にとっては、社会人としての歩みが
にんげんクラブと共にあり、にんげんクラブ無くしては
現在の私はありません。
にんげんクラブの仕事に携わらせていただいたことは、本当にありがたいことでした。


スタートの頃から、運営や会報誌の原稿づくりに携わらせていただき、
最初の頃はそれこそ寝る時間もないほどに忙しい日々で、
慣れない作業に泣きそうになっていたことも良い思い出です。


とはいえ、私は2008年に結婚をしてから、
家事と仕事と長距離通勤(熱海~川崎)が両立できずに身体を壊してしまったので、
それからはフリーランスのライターとなり、
今でいうリモートワークのような形で、
比較的楽な立場で、にんげんクラブの原稿執筆に携わらせていただきました。

夫の仕事の関係で一年間ドイツにいる間も、
ブログを書かせていただいたり、
舩井勝仁社長と編集長の重冨さんとで
日本でインタビューをしてくださった原稿を、
ドイツで作ったりと、とても恵まれた環境で
原稿づくりをさせていただけたと思います。

東日本大震災の後、ドイツから帰国後、
熱海に引っ越してからは、
週に2~3日ほど熱海のオフィスに通って、
晩年の舩井会長のお近くにいられたことも本当にありがたいことでした。

日本各地で寄合が開かれたり、
たくさんのツアーや講演会を主催したり、
思い出はつきません。

もともと、にんげんクラブを始めるときに、
こんな感じのクラブを作りたいと舩井幸雄会長からイメージを聞いたときには、
良い世の中づくりのための学校というか、学習塾のようなクラブなのかなと
思っていました。

しかも、学習塾とはいえ、基本的には全国の皆様への通信教育(会報誌)がメインで、
たまに地区大会や全国大会を開催するような形かなというイメージでしたが、
実際のにんげんクラブは、
全国に支部や寄合があって、個性あふれるたくさんの方々の、
集いの場のような楽しい会がたくさんできて、
当初の予想以上に、にぎやかな会になっていたと思います。

そこではいろいろなありがたい出会いがたくさんあって、
会員様だけの力でオープンワールド級に大規模な会を主催してくださったり、
時には私の拙い講演会まで地方で開催してくださった方々もいて、
本当に頭の下がる思いです。心から感謝しております。

ご尽力いただいた方々は、無償のボランティアで、
良い世の中づくりのためににんげんクラブの活動を支えてくださいました。
その姿勢から、私はすごく大事なことを学ばせていただきました。

また私はなかなか皆様とお会いできる機会は少なかったですが、
メールマガジンのお返事などでメッセージやご感想をいただけて、
とても嬉しかったし、元気が出ました。
長い間支えていただいてありがとうございます。

どうやって御恩をお返ししたらいいのかなと考えておりましたが、
子どもも生まれ、子育てで手一杯でなかなか恩返しをする時間もないままに時は過ぎ、
にんげんクラブの活動も来年の3月いっぱいまでとなりました。

何かがなくなってしまうときは、やはり寂しさはつきものですが、
光と影は表裏一体ですから、これは新しいスタートのために、
必要、必然、ベストなことだったといつか言えるのではないかと思います。


にんげんクラブで学んだ貴重な体験、経験は、
いつかときが満ちた頃に、世の中にお返ししていきたいと
心から思っております。

自分もいずれ子育てが落ち着いたら、
もう少し世の中のために貢献したり、
若い人のために何か協力できたらいいなと思っています。

にんげんクラブの会報誌や会員制組織としては無くなりますが、
これからまだ半年ありますので、
ホームページでの発信や、セミナー運営などの今後につきましては、
随時詳細をご案内いたします。

ここでのブログも、不定期ながら17年以上書き続けている身としては、
なくなってしまうのはとても寂しいです。

今後がどういう形になるかはまだわかりませんし、
もしかすると一時的には主婦業に専念したり(息子が難しいお年頃なので)、
個人的な無料ブログなどに移行するかもしれませんが、
ブログを書くことは私にとって生活の一部となっておりますので、
何らかの形で細々とは続けていきたいと思っています。

またこちらも詳細が決まり次第、ご案内をいたします。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
これから半年も、どうぞよろしくお願いいたします。


占い人生論

こんにちは。

昨日はパソコンがなぜか故障してしまって、
一つのトラブルが解決すると、
また一つのトラブルが発生し、
復旧にほぼまる一日を使ってしまいました。

ちょうど原稿の締め切りが終わったタイミングだったので良かったですが、
これが締め切り直前だったらものすごく大変だっただろうなと思いました。

こういったトラブルはいつ起こるかわからないから、
いつでも本当は仕事は即時処理で、
早めに終わらせなければいけませんね。

ギリギリにしかできない自分を反省しながら
この原稿を書いています。

さて、以前にもご紹介しましたが、
占い人生論という本をようやく読み終えました。

サラッと読めるわりに、個人的にすごく面白かったです。

作者が名人級の占い師の方々と、
どんなやりとりをして、どう生きてきたかが知れて、
生きていくうえでの参考になりました。

運命は決まっているとよく言われますが、
この本を読むと、まさに運命は決まっているものだ、とすごく思います。
本当に名人級の占い師は、
商売でも何日にいくら儲かるかまでわかるそうです。

たとえば作者は戦時中に召集令状が来て
戦地に赴く前に、すんでのところで入隊を免れて、
生き延びたという出来事がありました。

作者は占いの信者だったので、
入隊前に名人級の占い師に占ってもらったところ、
「この入隊は免れる」と出ます。

常識で考えたらそんなことが起こるはずはないのに、
占いでは入隊を免れると出るので、
入隊前日にいちおう遺書を書いたけれど、
本人は占いを信じていて入隊はしないだろうと思っていたため、
内容もいいかげんな遺書となって、
後日遺書を読んだ親戚中から大笑いをされたそうです。
占いが当たったから良かったものの、
もしも外れていたら、世にも不思議な遺書となったことでしょう。


作者は、占いによって入隊しないと出ていたから、
前日まで何とか入隊から免れるチャンスはないだろうかとずっと考えて、
チャンスが来たときにこれだ!と思って行動したことが、
奇跡的に入隊を逃れる結果となりました。

でもこれはきっと、
占いをあらかじめしていなかったとしても、
同じタイミングで同じ行動をとって入隊は免れたのだろうと思います。

未来に起こる結果をあらかじめ予測できているか、できていないか
だけの差で、出来事の結果は同じですが、
心の持ちようはかなり違うのでしょうね。
どちらがいいのかはわかりませんが・・・・。


運命は決まっているけれど、
運命は変えることはできるのでしょうか?
答はイエスであり、ノーです。

変えることはできますが、
はたして変えることが、その人にとって正しいこと、いいことなのかは、
誰にもわかりません。
運命を変えて起こる出来事は好転するかもしれないけれど、
それによって気づきの少ない人生になるかもしれません。


Kan.さんは以前にインタビューやワークプログラムの中で、
運命や人生のシナリオは生まれる前にあらかじめ決まっていて、
変えようと思ったら変えることもできるけれど、
その決まったシナリオを生きることが、
その人にとって大切なことだとおっしゃっていました。

シナリオ自体を変えようとするのでなく、
シナリオを生きる自分の気づきの深さを変えるのです。

このお話を聞いてなるほどそうかと納得すると同時に、
いやでも運命を変えたい人は変えたいよね?とも思って、
わかったようなわからないような気持ちになります。

いつかわかるようになるのかなと思いつつも、
死ぬまでその言葉の意味はわからないかもしれません。

ともあれ、運命は決まっている、
という世界を、『占い人生論』は
よくわからせてくれました。

これからも人生の羅針盤とするために易や四柱推命、人相学など
いろいろな占いを知っていきたいなあと思います。


霊と物件

こんにちは。
とても暑い日が続いていて、世間では夏休み真っ盛りですね。

息子の幼稚園では、ほとんどの子が夏休みに入り、
ワーキングママの子どもだけは、
預かり保育をしていただいています。

私はそこまで仕事を抱えていないけれど、
体力の問題で、たけちゃんも毎日のように預かり保育です。

でもいちおうちょっと早めに迎えに行ったり、
土日に他の子と一緒に遊ぶ予定を入れたりして、
なるべく夏らしい思い出が作れるように、がんばっています。

先日は、あるママ友が、
「今朝はたけちゃんがはじめて話しかけてくれて、とても嬉しかった」
とメールをくれました。

そのママは息子によく挨拶をしてくれたり、
話しかけてくれたりしていたので、
私は、息子が3年近くもそのママに自分から話しかけたことがなかったことを、
初めて知ってびっくりでした。

「今までたけちゃんにかけてきた「おはよう」の言葉が、
 たけちゃんの中にたまってたんだと思ったら嬉しくなりました」と

メールで表現してくれたその言葉に、
なんだかすごく感動してしまって、
こんなによその家の子を見守ってくれる暖かい目があるんだな、
こういう人たちの見守りのおかげで息子も育っているんだな、と思うと、
なんだか朝から泣けてしまいました。

私は普段そこまでよその子を観察できていないし、
子どもは自由きままに誰にでも話しかけるものだくらいに思っていたので、
その繊細で優しいまなざしに、
目からうろこの感動がありました。

いかに自分が今まで子育てを雑にしていたかもわかり(苦笑)、
もうちょっとがんばろうと思いました。

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最近キンドルアンリミテッドで
ある実話系心霊漫画を読むのが日課になっています。

いわゆるホラーと言われるジャンルですが、
きちんと霊能者が監修していて完結している話ばかりなので
個人的には全く怖いとは思いません。
こういう本を何冊も読んでいるうちに、
霊 と呼ばれる存在が出てくるのは、
案外法則があるのがわかってくるようになりました。

たとえば過去に事件や事故の起こった場所や、
霊の通り道と呼ばれる霊道の通っている場所、
自然霊の通り道や、
自然にできた気の流れで悪い気のたまる場所、

そんな場所だと、霊の影響が出てくることが多いようです。

幸か不幸か、私には幽霊が見えないので、
そこまでこわい思いをした経験がありませんが、
でも普通の人よりは、影響を受けやすい体質なのかなと体感では感じています。

最近心霊漫画を読むことによって、
今思い起こせば、あれは霊の影響だったのではないか???
と思える過去がたくさんありました。

その中の一つを紹介すると、
たとえば私は結婚と同時に、
夫の仕事の宿舎へと引っ越したのですが、
引っ越してわりとすぐに、
自律神経失調症で、毎日高熱が続き、
妄想にとりつかれノイローゼのような体調不良になりました。

それは、夫との新生活のストレスや、
東京熱海間の長距離通勤、仕事のストレス、
などが原因だったとつい先日まで信じて疑わなかったのですが、
もしかしてそこに、「霊」というファクターが加わることで、
一連の出来事が意外とすんなり説明できるかもしれないと、
十五年ぶりに気付きました。

というのも、ずっと忘れていたのですが、
当時、同じ時期に、同じ宿舎に引っ越しを希望していたご家族がいました。
そのご家族の奥様は、幽霊の見える人だったらしく、
その宿舎には幽霊がいるから、私はここに住めないとおっしゃって、
別の場所にマンションを購入したと聞きました。

宿舎の家賃は、普通の賃貸物件と比べるとかなり安いし、
当時もうそこに住み始めていた私たちには、
宿舎以外の場所に住む選択肢は考えられなくて、
「こんなに家賃が安いのに、他の場所に住むなんてもったいない。
 幽霊の見える人は大変だなあ」
と、呑気に思って聞き流していました。

でもよく考えたら、自分が住んでいるところに、
幽霊がいる、と見える人からわざわざ認定されたのだから、
もうちょっと怖がるべきだったのかもしれません。

引っ越してすぐから半年くらいはずっと体調が悪かったし、
夫とも喧嘩ばかりだったし、
そう言われてみれば、上の階からも下の階からも、
しょっちゅう喧嘩の怒鳴り声が聞こえていました。

当時は今とはくらべものにならないくらい、
念仏を唱えたり香をたいたり、自己流の除霊のようなことを頻繁に自然にしていて、
気付かなかったけど霊の影響を受けていたのかもしれないなあと、
今さらながら思いました。

そこは幽霊の話とは関係なく、一年ほどで引っ越すことになりました。

別に死人が出たり事故が起こったりということはなかったけれど、
よく思い返してみればなんとなくトラブルの多い物件だったなと
今になれば思います。

でもまあ、住む家との縁も一つのご縁で、
私たちにとってそこに住むことが必要だったから起こったことで、
これも一つの経験だと思っています。

なるべくトラブルの少ない物件に住みたいとは思うものの、
霊が見えない身としては完璧に防ぐのは無理だと思うし、
住む家の霊やエネルギーもいろいろあるけど、
結局は生きている人間の生き方が一番大事だと思っているので、
規則正しく、しっかりと生きて、霊についてはあんまり気にしないことが、
じつは大事なことなのかもしれないな、と思っています。

占いタクシー

こんにちは。

先日は、久しぶりに母が東京に遊びに来ていました。
3泊4日で我が家に泊まりに来てくれていましたが、
おばあちゃんに会えた息子はとても喜んで、テンションが上がりまくり、
おばあちゃんが山口県に帰ってしまってからは、
情緒不安定になって「おばあちゃんが恋しい」と、
五日連続夜泣きをしています。

「おばあちゃん」と何度も呼びながら泣く姿を、
動画でとって母に送れば
過剰な愛情表現を喜ぶかもしれないなあと思ったのですが(笑)、
いかんせん本人は本当に悲しくて号泣しているので、
動画をとることはできず、なだめるのに必死です。

私もかつて小さかった頃に、
年に一度くらいしか会えない遠方のおばあちゃんの家に遊びにいったら、
帰りは必ず車の中で泣いていたので、
会えない寂しさの気持ちはとてもわかります。

それにしても五日も連続で泣くなんて(しかもまだいつ泣かなくなるのかわかりません)
なかなかしつこい・・・いや、繊細?なのだなあと、
我が息子ながら思いました。
両親以外の大人(祖父母や親せきや友人)から愛される経験って、
とても貴重でありがたいものですね。

さて、話は変わりますが、
先日Amazonプライムで家族や友人の絆のわかる面白いドキュメンタリー番組を見たので、
ご紹介いたします。

その名も、占いタクシー~あなたの人生占います~です。

この番組は、プロの霊媒師のトーマス・ジョンさんが、
タクシーの運転手として乗客を待ち、(UBERみたいな感じのタクシーです)
たまたま乗客として乗ってきた人に、
霊視をして霊からのメッセージを伝えるという企画。

これがもう、とても感動的で面白いのです。
1つの番組が20分くらいの短いものですが、
その20分に、4~5組の乗客とのやりとりが描かれるので、
1組につき5分程度に編集されています。

これがもう、感情移入をして涙がこぼれっぱなしで、
一気に全部の番組(8話まで)を見続けてしまいました。

やらせだと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
やらせでこんなふうに人の心を動かせるものではないと思います。

たとえば、かつて子どもを病気で亡くされた方や、
最愛の夫を亡くされた方、
人生の岐路に立っている方などに、
亡くなった家族からのメッセージを伝えることで、
それまでずっと悲しみ続けていたのが、
前を向いて人生を歩めるようになったり、
心が癒されたりするのです。

トーマスさんの霊視は驚くほど具体的です。
そこにいる霊が、どんな姿をして、
何が好きで、今何を喋ったか、を
本当にそこにいるかのように伝えてくれます。

「僕は今日という日を絶対に忘れない。心からありがとう。」
と、今まで霊を全く信じていなかった人々が、
涙を流しながら語る姿を見ると、こちらも泣けてきます。

実際には、もっともっとたくさんの人を霊視して、
たまには調子の出ないときなどもあって、
中でも印象的だった映像のみを編集しているのではないかと思われますが、
一つ一つが濃くて、テンポが良すぎて
まるでジェットコースターのように、
泣いたり笑ったり感情が揺さぶられました。

ちょっとネタバレになりますが、
番外編として、葬儀社で働いている女性に対して、
「君と一緒に何百人もの霊がいて、
 危なくて運転できないから、
 君をこれ以上車に乗せることはできない。
 悪いけれどここで降りてくれる?」

とトーマスさんが伝えた場面は、
他の感動的でハートウォーミングなエピソードよりも、
あ、そういうものなんだ、と個人的になんだか印象的でした。

とっても面白いので、良かったら見てみてくださいね。


ところで、職業柄かもしれませんが、
私もトーマスさんに似た職業の霊能者さんや霊媒師さんに
お会いすることがわりとありました。

他にも、仕事にはしていないけれど霊が見える人で、
死者からのメッセージを伝えてくれた人もいます。


中でも印象的だったのは、
恐山のイタコさん。

今では数がかなり少なくなってしまってめったに会えないけれど、
たまたま恐山に旅行した際にお会いできて、
霊視していただいたら、亡き娘のメッセージを伝えてくださって、
それはもう誰がなんと言おうと本当にそこに娘がいたんだろうなと
思えた内容で、号泣しました。

7年ぶりくらいに恐山について自分の書いた記事を読んでみました。
7年前の自分の書いた文章を読むって、
かなり恥ずかしいものですね・・・。
(この頃の私、中二病か??と思いました)

よろしければご参考までに読んでみてください。

恐山のイタコの口寄せ その1 https://www.ningenclub.jp/blog02/archives/2015/09/post_1558.html
恐山のイタコの口寄せ その2 https://www.ningenclub.jp/blog02/archives/2015/10/post_1564.html


このときのブログにはあえて書かなかったけれど、
このイタコさんから「次は男の子が生まれますよ」と
言われていました。


号泣して娘の存在とイタコさんの実力を信じたわりには、
当時の私はあくまでそういう預言的なことは、
「どうせリップサービスだろう」くらいに思って、
全く信じていなくて期待もしておりませんでした。

でも忘れた頃に、やっぱり男の子が生まれて、
あのイタコさんの言葉は本当だったんだな、と
今さらながらに不思議な気持ちがしています。

いろんなご縁とタイミングが重なって、
亡くなった方からのメッセージというのは、
必要なときに、必要な人に届くのだと思います。

霊なんていない!あの世なんてない!という方も
世の中にはもしかすると多くいらっしゃるかもしれませんが、

個人的には、霊がいるかいないか、の論争なんて
バカバカしくなってしまうくらいに、
当然いるもんだと思っています。

そうして亡くなったけれど、縁のあった人達を思って、
日々を生きています。

なんだか長い文章になってしまいましたが、
占いタクシー、良かったら見てみてくださいね。

ゴン子ちゃんが歩いた

こんにちは。にんげんクラブのこだまゆうこです。

まだ5月だというのに、すっかり夏のような暑い日々ですね。
でもたまに寒い日もあるので、
気温差に気を付けながら過ごしていきたいと思います。

今日の文章は、にんげんクラブ会報誌6月号のKan.さんに訊く。
をお読みいただいた方にへ向けてちょっとゴン子ちゃんのその後、補足の文章です。

この原稿では、冒頭で我が家の犬ゴン子ちゃんの散歩に関するエピソードを
少し載せました。

あなたの飼っている犬の話なんてどうでもいいよ、
と思われる方もいらっしゃるかもしれない、
と心配にも思いつつ、
でもとっても個人的には目から鱗というか、
すごく印象に残ったエピソードだったし、
もしかしたら犬に限らず介護を必要とされている方の
参考になるかもしれないと思ったので、書かせていただきました。

会報誌を読んでいない方のために
どんなエピソードだったかというと、

飼っている犬が階段から落ちて足を悪くしてから寝たきりになってしまって、
それ以降犬も私も散歩に行かなくなったら、
歩かなさ過ぎて私の脳に不具合が起きて、
忘れっぽくなったり、集中できない日々が続いた、
というエピソードでした。

こんなお話に対して、Kan.さんからの言葉は、
まずは犬についてのヒアリング。
なぜ歩けなくなってしまったのか、
今の犬はどんな状態なのか、
歩けないからと言って、どうして工夫して散歩に行こうとしないのか、
犬用のカートに乗せて散歩に行けばいいじゃないか、
といった内容でした。

文章ではサラっと書いてますが、
かなり細かく犬について聞いてくださって、
すごく親身になって、犬とどう暮らしていくのがいいか、
アドバイスをくださったのでした。

じつはこのお話が出たときに、
正直に言うと、歩かないことと脳の関係についてお話してくれるのだろうと
勝手に思っていて、
こんなにもKan.さんがうちの犬を心配してくれるとは、
全く思ってもいませんでした。

我が家のゴン子ちゃんは30キログラム。
もともと中型犬でしたが、
甲状腺の病気で太ってしまって今は立派な大型犬です。

足を怪我して歩けなくなってから数か月は、
排泄物は垂れ流しで、毎日布団を洗って、
お尻や身体を拭いてとけっこう大変な介護でした。

夫と二人がかりでならば、2階のリビングから1階におろすことができるけれど、
とても一人では対応できそうにありません。

20キログラムのお米でもギリギリ持てるか持てないかなのに、
30キロの、しかも動く犬を抱えて階段を上り下りするのは、
落ちてしまって犬も自分も怪我するのではないか、
とこわくてずっと外に連れていくこともできずにおりました。

夜寝るときも一匹で寝られない犬なので、
3階の寝室には上げられず、
夫が2階のリビングに布団を引いて、ゴン子ちゃんと寝ていました。

そんな生活も3か月続くと、常にリビングの一画に布団があって、
犬も元気が無いし、部屋も散らかっているように見えるしで、
終わりの見えない介護に家族全体でじわじわと元気が無くなっていくような気分でした。
こちらの記事でも同じ内容をしつこく書いてますね)

そんなこんなで動けなかった日々が長かったからか、
もう勝手に意識が固定化してしまっていて、
ゴン子ちゃんはこれから先もずっと歩けないし散歩に行けないだろう、と
私は思ってしまっていました。

でもKan.さんは、いとも簡単に、
「やってみれば30キロくらい大丈夫ですよ。
 歩けなくても散歩に連れていくべき」

と仰います。

えーーそんな無茶な・・・・!
とびっくりしたのですが、
実際に言葉どおり、やってみれば意外と大丈夫でした。

そんなこんなで、60キログラムの犬まで対応できる、
大型カートを買ってみました。
犬用車いすも検討しましたが、まずはカートからです。

そして、階段の上り下りをさせる際に、
落ちないように、固定する抱っこ紐みたいなものも、
買ってみました。

抱っこ紐サポートがあれば、
階段の上り下りを、できるようになりました。

そうしてちょっとずつ、ちょっとずつ、
カートに乗せて外に連れ出すようにしてみたら、
なんとなんと、今は休憩を何度か挟みながらですが、
カート無しで500メートルくらい自力で歩けるようになりました。

ほぼ歩けない状態から、500メートル歩けるようになるって、
すごい違いです。

後ろ足は今も弱いままですが、前足は普通に動くので、
階段の上りのときは、落ちないように後ろ足をささえて上りをサポートしてあげるようにしたら、
抱っこ紐無しでも上手に階段を上れるようになったので、
寝るときも3階の寝室で一緒に寝ることができるようになりました。

下りるときは、抱っこ紐で前足をサポートして落ちないよう、
一緒に降りるようにしています。

今では毎日、散歩に行くのを嬉しそうに待っています。
ゴンちゃんと一緒に散歩に行ける日々がまた来るとは、
夢にも思っていなかったので、とても嬉しいです。

カートに乗せてはじめて散歩に行った日に、
歩きながらすごくすがすがしい気持ちになり、
Kan.さんのアドバイスでこうして散歩に行けるようになって、
本当に良かったなと心から思いました。

そしてよく考えたら、
Kan.さんは若い頃にラグビーの事故から半身不随になられて、
一生歩けないかもしれない絶望の日々の後、
奇跡的に歩けるようになられた過去をお持ちです。

自力で歩くことができなくて、
散歩にも連れていってもらえないゴンちゃんのやるせない気持ちが、
Kan.さんにはものすごくわかったのかもしれないな、
と気づいてから、泣きそうになりました。

このままじゃ良くない、と思いつつも、
でも、でも、だって、と頭の中で言い訳をして、
チャレンジせずに無理だと思って散歩に行く勇気を持てなかったことは、
飼い主失格だと今は思います。

飼い主失格ではあったけれど、
当時の私には愛情がなかったわけではなく、
むしろ過保護過ぎるほどの愛情を持っていて、
それが精一杯の発想だった、ということも付け加えておきます。
介護には外部の方の意見を取り入れるって、大切なことですね。


アドバイスをくださって、
一歩踏み出すきっかけをくださったKan.さんには心から感謝しています。

人とのご縁と風通し

こんにちは。

つい先日は半袖で過ごしていたのに、
今は家の中でジャンパーを着ながら過ごしております。
春は寒い日と暖かい日の気温差が激しいですね。

4月の新年度が始まり、
もうすぐゴールデンウィークです。
新年度には必ず毎朝大泣きして幼稚園に行くのを拒否していた息子ですが、
今年は年長さんになったからか、
問題なく幼稚園に通えています。

だけど、夜中にうなされたり夜泣きをすることが
このところけっこう頻繁にあるので、
本人は気を使って親には心配かけないようにしつつも、
新しいクラスになってそれなりにストレスもあるのかもしれません。

息子もがんばっているんだから、
自分もきちんとがんばらないとな、と
息子の成長ぶりにこちらも身が引き締まる思いです。

最近は、出不精な私にも、少しずつママ友が増えてきました。

毎週土日には、何かしら外出して息子と遊んであげるのですが、
親と遊ぶのと子どもと遊ぶのとでは、
やっぱり楽しさが違うようで、
誰かお友達と一緒にどこかで遊びたい、とねだられます。

そうは言っても、幼稚園のママたちにとって、
土日は貴重な家族で過ごす時間だと思うので、
遠慮してなかなかお友達を遊びに誘うことができずにいましたが、
だんだん息子は勝手にお友達と遊ぶ約束をしてくるようになりました。

そうして相手のママから「日曜日に遊ぶ約束をしたようですが・・・」
などとご連絡をいただけるようになり、
少しずつ「ママ友」の数が増えてきています。

こうして自然にできてきたお友達を眺めてみると、
同じ学年に30人くらいのクラスメイトがいて、
遊んだり、喋ったり親しくするのは、
息子も私も5,6人くらいです。

家がご近所だったり、
委員を一緒にしたり、
習い事が一緒だったり、
共通の知り合いがいたり、と、
何かしら共通点があってお友達になるのですが、
こういう流れを見ていると、『ご縁』というのはあるなあとすごく思います。

別にすごく趣味が合うとか、
家庭環境が似ているとかそういうことでなくて、
何かわからないけれど、ひかれあう引力みたいな微かな力があるのです。

その引力には、自分だけの力でなく、
神様やご先祖様や守護霊様、森羅万象のあらゆる力が関係しあって、
何気ない出会いとなっているのだと思います。
1対1の個人の交流のようでありながら、
多数対多数の団体の結果が一つの出会いです。


さて、ママ友で難しいのはそれぞれの人で違った適度で快適な『距離感』。

土日を一日一緒に遊ぶとなると、
かなりの時間お友達のママと会話をすることになります。

このときに、この人はどのくらいまで自分のことを開示するのだろう?
と最初はお互いに腹の探り合いです。

ママ本人がどんな仕事をしているか、
ご主人の職業は何か、
どこの大学を出たか、

というような内容の質問は、一見世間話のようでありながら、
かなり嫌がる人もいるので、基本的には相手が話題に出してくるまで、
触れないようにするのが暗黙のルールです。

暗黙のルールではあるけれど、
相手の超基本的な情報が全くわからないままで、
何時間も一緒の時間を過ごして喋らなければならないので、
相手が自分の情報を開示しないタイプの人だと、
自分がどこまで会話をしていいか気を使うし、
世間話もネタがつきるので、腹の探り合いでじつはかなり疲れます。

個人的には、私はライターでこんなふうにブログも書いていて、
プライベートなこともすぐに記事にしてしまうので、
最初から開けっぴろげに自分の情報を開示してくれる
タイプの人のほうが、話題も広がるし、
こちらも気を遣わずにどんどん話を進められ絆が深まる気がして楽ですが、
あまりにも距離が近くなるのも、かえってストレスになる時もあるので、
良し悪しだとは思います。

(余談ですが、世代もあるのか、幼稚園のママで「舩井幸雄」の名前を知っている人は、
 ほとんどいません。
 スピリチュアルのスも興味を持たない人を相手に、
 自分の職業と人となりを説明するのは、
 うっかり間違うとすごく怪しい人だと思われてしまいそうで、
 かなり腹の探り合いで骨の折れることなのです)

それぞれ人によって開示したい情報と距離感が違うので、
どれが正解というわけでもありません。

なので、つきあう人によって、
この人とはどこまでの距離感が心地よいのかな、と
探りながら、過ごしています。

どの距離感であれ、そこに一緒の時間を過ごすご縁に恵まれたことは、
じつはすごいことであって、貴重なひとときなのだということを、
忘れずに、目の前の人を大切に過ごしたいと思っています。

そして蛇足ではありますが、
今、うちの金魚を見ていてすごく思うことを付け足すと、

金魚は、適度な広さの水槽で、
適度な水替えをしてあげないと死んでしまいます。
そして適度な水の流れがないと水は淀んでしまいます。

でも水の流れが激しすぎても金魚はやっぱり死んでしまうし、
水替え頻度も多すぎてもやっぱり死んでしまう。
とにかく金魚にとって、適度な水替えが必要なのです。

金魚にとっての水は、人間にとっては空気かもしれません。
人間にとって、適度な空気の入れ替え、風通しは必要なのだと思います。
空気が淀むとダメだし、風が強すぎてもダメです。
適度な風通しが必要です。

お部屋の環境を保つにも、
適度な風通しが必要なように、
人との付き合いも、適度な風通しが必要かと思います。

自分にとって心地よい相手、縁のある相手と、
適度な風通しのあるつきあいが続けられるといいなと思っています。


脳を鍛えるには運動しかない!

こんにちは。
花粉症の辛い季節ですね。

とはいえ実は今年はあまり花粉症が辛くありません。
今年は割と花粉が多いにも関わらず鼻水がほとんど出ないのです。
目のかゆみは例年と同じくらいあります。

というのも、 今から3年ほど前にある方と話していた際に、
その方は年齢を重ねるにつれて45歳くらいから
花粉症の症状がだんだん楽になっていったという話をしてくれました。

それを聞いた時はそんなことがあるのかなと思っていましたが
私もそのくらいの年齢になると確かに花粉症が和らいで来たかもしれません。

なぜ年をとると花粉症が治るのか、
年齢を重ねるごとに免疫力が落ちて
花粉にあまり過剰な反応をしなくなるとの説があるそうです。

花粉症の症状がなくなるのは喜ばしいことではありますが、
風邪や菌やウイルスに対する免疫力も同様に落ちているそうなので
喜んでいいのかどうなのか...。

とりあえず今年の春はそこそこ元気でいられそうです。


先日から、スポーツクラブに入会しました。
ここ数年の私の運動不足はあまりにも酷く、
去年前半はかなり病気がちでした。

少しでも元気になろうということで、
自分としては清水の舞台に飛び降りるくらいの気持ちで
スポーツクラブに入会したのですが、今のところなかなかいい感じです。

初日は30分ウォーキングマシンで歩いただけで
滝のように汗をかき、運動はこんなにしんどいのかと思いましたが、
翌日の体がとても軽く爽快だったため、なんだかちょっとハマりそうです。

今はまだ週に1回程度しか利用できていませんが、
これからも続けていきたいと思います。

先日は、脳を鍛えるには運動しかない! 最新科学でわかった脳細胞の増やし方

という本を読んでみましたら、
これがとてもわかりやすくて、
私には大ヒットの本でした。

運動をすることで、脳の機能が
スムーズに使えるようです。

特にこの本の著者は、
ADHDなどについても権威のある有名な医師なので、
ADHDと運動についての文章は、
もう膝を打つほどに納得しまくりで読みました。

そして同じ著者が共著者である本
へんてこな贈り物―誤解されやすいあなたに--注意欠陥・多動性障害とのつきあい方
も読んでみました。

かなり古い本であり、ADHDに関するかなり有名な本なようですが、
とてもよくわかり、
こちらも私にとって救いになる本でした。

(こちらの本は、古い本なので、
 ADHDの治療も投薬治療が主に出てきます。
 副作用も人それぞれで、一生薬を飲み続けなければいけない投薬治療を、
 個人的には抵抗があったのですが、
 同じ著者が、時代が変わってから投薬もいいけど運動がもっといい、
 と書いていることも、時代の流れを感じられて、
 とてもためになりました。)

今まで読んだ本では、私の特性はADHDに非常に似ているけれど、
多動もないし本で読むのとは何かちょっと違うような感覚があり、
気にするほどでもないのかな、と思おうとしました。

実際にメンタルクリニックで検査をしてもらっても、
「数値の出方は典型的なADHDですが、
 まあいろいろ工夫したら大丈夫じゃないんですか。」
という程度の診断をしていただいただけ。
薬で治療するのもこわくて踏み出せませんでした。

IQでは正常の範囲でも、IQとは別のところで実際に日常では毎日困っているし、
頭の中はぐちゃぐちゃだし、辛さがわかってもらえない・・・・
ともやもやしていたのですが、

この本を読むと、まさにこれ!これが私の人生そのもの!
こういう症状でずっと私は困ってきたのだ!
このことをもっと早く知っていられたら!
というふうに、私とそっくりな人生を歩んでいる方の実例が
山ほど出ていて、こんな有名な本を何でもっと早く読めなかったのだろう、
と思いました。

拙著『あなたの中に、神さまが宿っています。
のプロローグでだいたい書いたので詳細は省きますが、
どう考えてもいろいろとネジが外れたようでおかしな人生が、
ADHDのフィルター越しに見ると、すべて説明がつき、
どんな占いよりも、自分の人生を表しています。

人生でも集中力があってわりと有意義な日常が送れた時期と、
そうでない時期がはっきりとわかれているのですが、
その上手くいっていた時期は、なぜ上手くいっていたのか、
なぜ全く上手くいかない時期があるのか。
二冊の本を読むとはっきりとわかりました。

その理由は、日常的に運動をしているかどうかと、
無条件に褒めてくれて日常の世話をしてくれる人がいるかどうかです。

高校生の頃、ピアノと水泳部の部活をやめたらがくっと成績が下がりました。
小学校、中学校ではさほど運動をしていないのに、
なぜ落ち着いて授業を受けていられたのだろう、と考えたら、
我が家は家から学校までが徒歩で30分以上かかって遠かったからのようです(笑)。

高校は家から学校まで徒歩2分ほどで、
運動は部活をやめて全くしなかったので、
有り余るエネルギーが暴走してしまって、集中力がなくなったのでしょう。

それから、舩井会長の秘書時代に熱海にいた頃は、
私の苦手な事務的なことを率先してやってくれる同僚がおり、
その子はポジティブな言葉を好む子だったので、
コーチングを受けているかのように、日常的に褒めてくれたので、
短所が隠せて長所が伸ばせていい面を発揮できたのかもしれません。
運動というほどのことはしていませんでしたが、
当時、毎日ランチの後に両手ふり運動をしていました。

運動の習慣があるかないか、歩く習慣があるかどうか、
手をきちんと動かすかどうか、
励ましてくれる人が身近にいるかどうか、
ちょっとした習慣で、人生が変わってしまうのだなあと、
本書を読んでからは思いました。

本当は、怠惰やうっかりや努力不足の言い訳に聞こえてしまうかもしれないし、
仕事の依頼を受けるには黙っていたほうが断然有利だと思うので、
自分がADHDだとかはわざわざブログで書かないほうがいいのかもしれませんが、
本の内容があまりにも衝撃的だったので、思わず書いてしまいました。

気になる方は、ぜひ読んでみてくださいね。

ちょっと支離滅裂な文章になってしまいましたが、
とにかく脳を鍛えるには、運動しかないようなので、
これからは運動習慣を心がけたいです。

光と闇の深い意味 今を生きる人々の目覚めのとき

こんにちは。

先日、2月23日に環境活動家の山田征さんと
白鳥哲監督の 講演が東京グリーンパレスで行われました。

当日に駆け込み申し込みの方もいらっしゃり、
満員のお客様にご来場いただきました。

光と闇の深い意味 今を生きる人々の目覚めのとき、と題しまして
お話いただきましたが、
現実に向き合うのが怖くなるくらいとても真に迫ったお話でした。

先行き不透明な中、今世界では何が起こっているのか。
見たくない情報聞きたくない情報から、目をそらさずニュートラルな視点を持つことで、
様々なことに気付いていきます。

白鳥監督の話はとても情熱的で聞いている方々の心に、
熱いメッセージを届けてくださいました。
そして山田征さんがリーディングされた
ルシエルから白鳥監督へ向けてのメッセージを
皆様に朗読したくださったことで、
会場は深く静まり返り、とても大切なメッセージを頂けたと思っています。

ところで、持続可能な暮らしを実践されていらっしゃるお二人は、
ペットボトルのお茶も買わず、
なるべくゴミを出さない生き方を徹底されています。

講演の前に山田征さんが、
自宅から持参していらしたおにぎりと卵焼きを昼食にとっておられた何気ない姿を見て、
(もちろんお茶も持参です)
なんだかとても感動しました。

カレンダーの裏や広告の裏や包装紙を
きれいに束ねてノートにしていらっしゃったり、
便箋も封筒も手作りのものだったりします。

それらは、
市販されているどんな便箋よりも、
山田征さんの暖かさとお人柄が伝わってきます。

こういった日々の積み重ねが、
人のオーラというか、説得力というか、
お会いした時のなんともいえないすごさを醸し出して
いるような気がしました。

白鳥監督の命がけの映画づくりと、光と闇に関するお話と、
山田征さんの地球を大切にする活動と生き方が、
とてもシンクロして、
お二人の言葉を二倍にも三倍にも、
豊かな表現で伝えられたような気がします。


もともと大好きなお二人ですが、
これまで以上にお二人の真摯な生き方を聞かせて(見させて)いただいて感動しました。
また是非お二人での講演をお聞きしたいなと思っています。


高木彬光さんの占いの本 AIの話とこれから

こんにちは。だんだんと暖かい日も多くなり、
花粉が飛ぶ季節となってきましたね。

先週は、たけちゃんから風邪をうつされ(たけちゃんは元気モリモリですが)
数日寝込んでしまいました。
おまけにたけちゃんは元気だというのに、
連日の睡眠不足から毎朝起きる際にぐずります。

仕方なく病み上がりの疲れた身体にムチうってなるべく早めに幼稚園に迎えに行くのですが、
帰ってきても元気いっぱい、まったく昼寝もせず、
テンション高めで5歳児だというのに毎晩12時くらいまで起きています。
5歳児の体力、恐ろしいです。

こんな日が連日続くと、
ああやっぱり歳だな、もっと若いうちに子供を産みたかったなあ
と、身体の衰えを感じます。
切実に、もっと元気になりたいですね。

さて、前回のブログで占いについて書きましたが、
今も占いの本を少しずつ読んでいます。

今は一つの占いを極めたいという感じではなくて、
世の中にはどんな占いがあるのだろうと、
いろいろな占いの本をバラバラに読んでいます。

本を選ぶにも数えきれないほどあるし、
占いの本は専門的なものはけっこう高い。
絶版になってプレミアがついて、ウン万円、なんて本もかなりあります。

先日は、縁あって高木彬光(1920~1995)さんという方の手相占いの本を読みました。
じつはこの方、かなり有名な推理小説家の方らしいのですが、
年代が昔なことと、推理小説はほぼ読まないので、お名前を知りませんでした。

四代続く医者の家系の息子であり、京都大学のご出身。
推理小説家でありながら、占いにもかなり通じていた方らしく、
多くの占いの本も出版されています。
たぶんとても頭の良い方なのだろうと思います。

占いを勉強したかったら、
占いを本業としている方の本を読むのがいいのでしょうが、
超初心者の私からすると、本業としている方の本はちょっと専門的過ぎて難しすぎます。

高木先生の本は、普段大衆小説を書かれているため文章が上手だし、
まったく知識のない読者にわかりやすく占いを説明している、
という点でとても読みやすいです。

絶版になっている本が多いのですが、
まだまだ安価で手に入る本も多いので、
数冊まとめて買って少しずつ読んでいるところです。

  

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ところで話は変わりますが、
最近フェイスブックなどの記事で、コオロギ食に関するこわい記事が多く見られます。

表向きはいつか来る食糧難のためにコオロギを食用とするそうなのですが、
じつはコオロギを食べると、身体がAIに繋がりやすくなるよう加工してあるとかで、
知らないうちに、考えていることや行動も、AIに操られていく時代になるというような内容でした。

今はまだトンデモ記事扱いですし、
コオロギを検索するといろいろな記事があると思いますので、
ご自分で調べてみてくださいね。

コオロギ食で身体をAIに乗っ取られる話まではいきませんが、
私たちの生活はかなりのところまで、AIに情報が管理されているなあと思います。

昨晩は、キンドルで本を読んでいたのですが、
その本の内容の中に、たまたまエンジェルナンバーについての話題がありました。
それを読んだ際に、そういえば最近気になる数字があるから調べてみようかな、
とスマホを取り出し、Googleでエン まで打ったら、
すぐにエンジェルナンバー という文字候補が一番上に出てきました。

これがしょっちゅうエンジェルナンバーを検索している人であれば、
あるあるの話なのでしょうが、
私はこの10年、エンジェルナンバーに興味を持ったことも、
検索したことも一度もありませんでした。
キンドルで読んでいた本も、エンジェルナンバーが主題ではなく、
たまたまその1ページの中についでのように書かれていただけです。

ということで、端末で使うメールアドレスが同じだからか、
どういう仕組みかはわからないけれど、
私のキンドル端末で今どんな内容が書かれているページを開いているかと、
私のスマホとGoogleは連動しているのかもしれないな、とびっくりしました。

AIって、便利だけどなんだかこわいですね。

これは何年も前から言われている話ですが、
ライターの仕事だって、AIにとって代わられて、
文章だけでは食べられなくなるのも時間の問題でしょうし、
出版社もどんどん苦しい状況になってきていると思います。

占いだって、わざわざ人に占ってもらわなくとも、
それこそAIが占ったほうが、より詳細でピッタリの結果を
無料で導き出してくれることでしょう。
統計学の知識では、人間がAIに勝てるはずがありません。

そんな世の中だけど、
自分はどう生きていくのか。
日々考えさせられますね。

占いやまじないはしないほうがいい?

こんにちは。

最近は占いに興味があります。
というより、昔から占いは好きです。
女性は占いが好きな人がけっこう多いかと思います。

特に最近気になっているのは、人相学と易で、
以前から勉強して自分でも鑑定できるようになりたいなと思っておりますが、
なかなか難しいです。

易経は、岩波文庫の本を買ってみましたが、
あまりの難しさにまったく歯がたちません。

本文に入る前の解説からして文語体で何を書かれているか
さっぱりわからなくて、
がんばって20ページくらい読みましたが挫折しました。
これは初心者が読む本ではありませんでした。

それ以前にも何年も前に易経を読んでみたいと思ったことがあって、
子どものための易経と、まんがの易経の本を買って
家に置いてありました。

こどものための易経はこれは本当にこどものためのものであって、
まあ読めるけど、道徳のような感じで私が求めるものではありません。

まんが易経入門もまんがなら読めるだろうと思ったけれど、
これがまたまんがなのに難しくて、
こちらも挫折してしまいました。

たぶんこのまんがは、
易経を一通りわかった人が読めば、
より理解が深まるのかもしれません。

ということで、
もう少しわかりやすくてまんがでない易経の本を探しています。

一つ読んでみたいと思う本があります。
易経講話(全5巻)
この本が読んでみたいのですが、
あまりの値段の高さに躊躇してしまい、
去年から買おうか買うまいかずっと悩んでいます。
もう少し安い値段で中古本が出たら買いたいと思って、
去年からオークションなどで中古の本を探しているところです。


人相学の本は100年くらい前に書かれた本も読んで、

とても面白いと思っておりますが、
鑑定ではやはり超能力(?)のようなものが必要なようで、
たとえばおでこにお父さんやお母さんの顔が浮かびあがってきて、
その人をずいぶん心配しているのがわかるとか、

家出した息子さんがどの方角に誰と行って
どんなところに今住んでいて、何日後に見つかるか、といったことも
人相からわかるそうです。

これってすでに人相学の域を超えているというか、チャネリングだと思うのですが...
どんな道も奥が深いものだなあと思います。

占いについていろいろ興味を持っていたら、
かつて舩井幸雄会長は「占いやまじないはあまりしないほうがいい」
とおっしゃっていたなあと思い出しました。

特にフーチという鎖に重りをつけたもので、
あみだくじ方式で占うのを舩井会長は得意にしておられました(驚きの的中率!)が、
ご自分はかなりの頻度でフーチを使われるのに、
人には「やらないほうがいい」と言っておられました。

私も「君はフーチをすると頭がおかしくなるから、やらないほうがいい。」

と強めの禁止の言葉をいただいております。
見えない存在に知らないうちに乗っ取られるから、とかなんとか、そんなことを
聞いたような気がします。
ちなみに株や投資などのお金に関することも私はいっさいやらないほうがいいそうです。

おかげさまでお金に関する知識はいまだによくわからないし、
意味不明なところで衝動的に使ってしまうので全然たまりません。


昔ドイツに住んでいたときに、
舩井会長から物理的に距離が離れたし、けっこう時間があって暇だったので、
クリスタルショップでおしゃれなフーチを買ってみたことがありましたが、
買った翌日に鎖がブチっと切れて壊れてしまいました。

やっぱりフーチは私はやってはいけないのだな、と
その時にフーチはすっかり諦めました。

人相学や易も占いではありますが、
学問としての学びから入ればいいだろう、と思っています。

いろいろなことを学びたいと思いつつ、
飽きっぽくてどれ一つとして極めていけない自分にあきれますが、
1ミリずつでも知識がついて進んでいければいいなと思っております。

観音様のお話

こんにちは。
大寒波が来ているようですね。
寒いけれど暖房費も上がっていて、
こたつが恋しい今日このごろです。
(犬がいるのでこたつが使えません)
今週はしばらくブログをお休みしていたので、
とりとめのない、ちょっと長めの文章になります。

☆☆☆

我が家の愛犬ゴン子ちゃん(31キロ)が3か月ほど前に
階段から落ちて歩けなくなってしまいました。

ずっと寝たきりで、糞尿も垂れ流し状態だったので、
毎日ゴンちゃん用の布団を洗ったり、何度も床とゴンちゃんの身体を拭いたりで、
犬の介護もなかなか大変でしたが、
最近は怪我の痛みはなくなってきたのか、
トイレの時だけ立ってできるようになり、(ペットシーツ上にはできませんが)
毎日の布団の洗濯が必要なくなり、床の掃除だけすれば良くなったので
介護がずいぶん楽になりました。

我が家は3階建ての狭小住宅なので、
1階が玄関とガレージと物置、2階がリビング、3階が寝室です。

今までは自分で階段を上り下りして、
普段は2階のリビング、
家族の留守中は1階の玄関で待機、
夜は3階で家族と一緒に寝ていたゴンちゃんですが、
30キロの犬を毎日寝室に運ぶこともできないし、
トイレの問題もあるので、
ずっと2階のリビングで寝てもらっています。

赤ちゃんの頃から人間と一緒に寝てきた犬なので、
一匹では寝ることができません。
3階で私たちが寝ると、
自分も3階に上がりたくて夜中に吠えるため、
仕方なく夫が2階のリビングに布団を引いて
ゴンちゃんと一緒に寝ています。

そんなこんなで、最近は毎日リビングにゴンちゃん用と
人間用の布団があって、生活感まるだしの状態で、
終わりの見えない状況になんだかちょっと疲れていました。

2階がリビングじゃなかったら、
ゴンちゃんの後ろ足を支えながら、リハビリの散歩もできたのでしょうが、
なんせ30キロを抱えて1階まで降りることもできませんから、
リハビリすらできません。

30キロの犬でこれだけ大変なのだから、
これがもっと大きくて重い人間の介護となると、
もっともっと大変なのだろうな、と、
日々介護をがんばっておられる方のご苦労を思うと、
頭の下がる思いです。

運動が嫌いな私ですが、
晩年まで元気に自分でトイレに行けるよう、
日々筋トレなどをきちんとして、
ピンピンコロリを目指したいものだと
ゴンちゃんとの日々で気づかされました。

☆☆☆

ところで、最近は老犬介護で家の中も乱雑で、疲れがたまっていたのか、
頭の回転がびっくりするほど悪いことが多かったです。

ライター業もスランプなのかな、と思うほどに、
何も文章を書ける余裕もなく、
日々のやるべきことをなんとかこなすだけで精一杯でした。

こんなことも度忘れしてしまったのか、
これは本当に危ないなあ、と思った瞬間が何度もあって、
本気で認知症を疑いかけましたが、
4日間ほどスマホを見るのをかなり控えて、
とにかく放置されていた1階の物置部屋の片づけや、漆喰塗りや壁紙貼りをして、
手や身体を動かしてみたら、
頭がすっきりとして、だいぶん元に戻った感じがします。
一時的な、デジタル認知症だったようです。

まだまだ散らかっている部屋ですが、
部屋の片づけは、脳トレと思えばモチベーションも少し上がるので、
トレーニングだと思って少しずつがんばります。

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部屋の片づけをして一つ発見があったので、
余談ですが、ここに記します。
我が家には古くなったノートパソコンを、
捨てずにそのまま残してあったのですが、
一つのノートパソコンのバッテリーが、劣化して少し膨らんでいました。

何年も放置していたものだったので、
私にとっては、だからどうしたっていうの?
とバッテリーが膨らんでいることにすら気づかなかったし、
気づいたとしてもその危険性が全く理解できなかったと思いますが、
夫はこれをすごくこわがって、どう処分していいのかネットで必死に調べていました。

どうやら彼によると、そのまま放っておくと、爆発したり、発火する可能性があるそうです。

幸い、まだそんなに膨らんでいなかったので、
近くの電気店が引き取ってくださいました。
あまり膨張しているものは、リサイクルで引き取ることを拒否されるそうです。

古くなったパソコンなどは放置せず、
なるべく早めに処分したほうが良さそうですね。

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部屋の片付けから、ちょっと不思議なことがあったので、
さらにここに記します。

結婚してすぐの頃(15年ほど前)、
ヤフオクを見ていたら、なぜか、
それまで仏像など欲しいと思ったことなど一度もなかったのに、
猛烈に惹かれる観音様の像がありました。

私は当時ヤフーオークションのアカウントを持っていなかったので、
友人に無理を言って、その観音様を代わりに落札してもらいました。

たしか10万円くらいでした。

特別なものでなく、
高村光雲作の観音像を、ブロンズか何かで作った量産型のものです。
ブロンズ像の中古でなく新品で買っても同じくらいの値段で買えたのかもしれません。
当時新聞の広告などで似たようなものがよく売っていました。

が、なぜかそのヤフオクの観音様がとても欲しくなって、
予算10万円と決めていたら、
どんどんと値段が吊り上がり、
オークションで手数料を含めて10万円くらいの値段になりました。


夫は何の相談もなしに、
新婚早々10万円もする観音像を思いつきで突然買う妻に、
とてもびっくりしてムカついたそうです。
私が逆の立場でもムカつくと思います(笑)。

さて、その観音様が家に届いた日に、
ちょうどある女性とカフェでランチをする約束をしていました。
その方は、霊感のある方で、
私が待ち合わせ場所に到着した途端、なぜだか突然涙を流して泣き出しました。

もう昔の話なのでかなり忘れてしまいましたが、
「夢の中で青い服を着た観音様のような女性が、
 私の悩みを解決してくれるというビジョンを見た。
 それはあなただとわかった、
 あなたに観音様が見える」

というようなことを、仰っていました。

そしてびっくりして、
「そういえばなぜかヤフオクで観音様を衝動買いして、
今日届いたばかりなんですよ!」
と、お伝えすると、その方もとても驚いていました。

その方とはいろいろ話をしながらランチをしただけで、
具体的に私が何かできたわけではないけれど、
「あなたとお話して、とても心が安らいだ」と、
なぜだかすごく感謝され、喜んでいただけました。

その後、私も引っ越しをしたり、
その方も忙しかったりでそれ以来お会いしていませんが、
風の便りに今でもお元気にしておられるようです。

さて、その観音様ですが、
当時住んでいた家にいた頃は、
その観音様のための祭壇を作って、
丁寧におまつりしていました。

ところが、引っ越しをしてから、
どこに置いてもどうも観音様の置き場所がしっくりこなくて、
いつも観音様は居心地が悪そうにしていました。

そんな日々が続くと、
いつしか私の中で観音様のありがたさは薄れ、過去のものに思われ、
もしかしてあの女性を救うために、
私は縁あって観音様を買わされただけだったのかもしれない、
と思うようになりました。

その後、息子も生まれ、
重いし、形状が危ないし、壊されてもいけないし、
開眼供養をしたわけでもなかったので、
買った時の桐の箱に観音様は収められたままになっていました。

その後2度ほど引っ越しをしましたが、
毎日が怒涛の忙しさで、
部屋は汚いし狭いし、
とてもじゃないけれど観音様をきちんと置くスペースも
心の余裕もなく、押し入れや床に桐箱のまま放置され、過ごしていました。

そうして先日、ようやく部屋の片づけの際に、
観音様を桐の箱から出してみました。

なんとなくですが、
お顔がずいぶん変わったような気がしました。

買った当時、涙が出るほど神々しい、と思ったお顔が、
何も感じなくなっていたのです。

それにしても、
何年も暗い箱の中に閉じ込めて、
申し訳ないことをしたなあ、と、
簡単な祭壇を作り、お茶をおささげしました。

ここまでが、昨日までの話です。

で、今朝ですが、
そのお茶を下げようと、観音様の置かれている1階に行くと、
なんとお茶が、ドロドロの茶色い濁った液体になっていました。

同じタイミングで、同じお茶で同じ種類の湯飲みでいれた
2階リビングの神棚や仏壇のお茶は、
そんな変化はなかったのに、
1階の観音様の前にお供えしたお茶だけ、
ドロドロになっていました。
びっくり仰天です。

びっくり仰天だけど、
いかにもありそうなことだと思うし、
そういった意味での驚きはありません。

買う前に強烈に欲しくなったので、
もしかすると私の前の持ち主の方が開眼供養をされて、
それが売りに出されていたのかもしれないなあと思いました。

観音様を、きちんとお祀りしないで申し訳なかった、と、
反省するとともに、
これからきちんと祈りの日々を取り戻そうと思った出来事でした。


お正月らしさとデパートについて雑感

新年あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年の例年通りお正月もこれと言って何もしていません。
コロナが始まってから、
盆や正月に実家に帰省する習慣がなくなりました。

息子もまだ幼稚園ですし、
盆や正月は航空券の価格も高いので
なるべく人の混雑していない季節の平日に帰省するほうが、
合理的だと思うようになったからです。

しかも我が家には今寝たきりの犬(ゴン子ちゃん30キロ)がいて、
犬をペットホテルなどに預けて泊まりがけの旅行に行くことはできないので、
帰省は夫婦別々でしか行けない状態です。

そのように、帰省の概念も変わってきたら、
お正月の習慣もだんだん変わっていって、
年賀状もほとんど出さなくなってきたし、
おせち料理もスーパーで閉店前の値引き商品を簡単に買うだけ。
今年に至っては疲れていたので餅も食べずお雑煮も作りませんでした。

お正月らしさが微塵も感じられず、
さすがにあまりの簡略化に寂しくなって、
なんとなく今日(1月4日)今更ですが、
夕飯でお雑煮を作ろうかななんて思っています。

これだけ簡略化をしておきながら、
SNSなどで美味しそうなおせち料理をご自分で作っておられる方の投稿を見て、
尊敬と、ものすごく羨ましい気持ちになります。

簡略化はしつつも、日本人としての文化は残していきたい気持ちもあります。
たぶん一度手放してしまったら、
二度と取り戻せなくなってしまいそうなので・・・。

息子にもう少し手がかからなくなったら、
おせち料理もなるべくできるものは作って、
もう少しお正月らしいお正月にしたいものだ、と思いました。

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ところでお正月らしさと言えば、
デパートも、お正月らしさが様変わりしているように思いました。

1月3日の夕方にデパートに行ったのですが、
三が日の初売りというのに、
デパートの中の専門店のフロアは全く値引きはなく、
お正月らしい飾りも全くなく、
お客さんもほとんどいませんでした。

デパートがメインのフロアは、
いちおうお正月っぽいセールや売れ残りの福袋を売っていましたが、
お正月休みにしては人がやっぱり少なくて、
3年前に同じデパートに行った時とは、
全然雰囲気が違っていました。

コロナで人々の買い物の仕方も変わったのだろうし、
物価の値上がりの影響もあるでしょう。
デパートの戦略も変わったのだろうなと思いました。

デパートもだんだんなくなっていく時代だし、
こんなにお客さんがいなくて大丈夫かなと心配にもなりますが、
外商部ではかなりの売り上げがあるというネットの記事も読みましたので、
もしかするとそんなに心配もいらないのかもしれません。

なんだか富裕層と庶民の格差がどんどん広がっているのだなと
肌で感じました。

物価の上昇は日々の生活でもひしひしと感じていて、
自分たちも徒歩と電車で40分くらいかけてデパートに行きながら、
高級品は目の保養だけで楽しんで、
結局、書店でたけちゃんに500円のオモチャと、
地下の食品売り場でドーナツを買っただけで帰りました。


私は山口県の田舎育ちなので、
子どもの頃、車で一時間かけてデパートに連れていってもらえることは、
とても楽しみの一つでした。

屋上の小さな遊園地とゲームセンターのようなところで、
200円ほど親からもらって親が買い物をしている間、
子どもは子どもだけでそこで遊んでいました。

服やおもちゃを買ってもらって帰るのが、
とても嬉しくてウキウキしていたことを思い出します。

そんな記憶があるからか、
デパートに行くことはじつは今でもけっこう好きなのですが、
もしかして私くらいの世代が、
デパートが好きな最後の世代なのかな、とも思います。

親の世代(団塊の世代)にいたっては、
私たち世代よりもっとデパートが好きで、
たとえば足の悪い私の母は普通の道ではあまり距離を歩けないけれど、
デパートの中だったらテンションが上がるのでたくさん歩けます(笑)。

私たちより若い世代の人々は、
デパートというより、大型ショッピングモールが主流だっただろうし、
今はもはやネットですべての買い物ができる時代ですから、
デパートにそんなにワクワクしないのかもしれません。

デパートの雰囲気は好きだけれど、
現在の自分のクローゼットを開いてみても、
デパートで買った商品は一つもなくて、
何年も前に買って太って着れなくなったうさとの服が
タンスの肥やしとして眠っているほかは、
(いつか痩せるかもと思っているので手放せません)
安い量販店の服ばかりです。

安くてもいいものはたくさんあるし、
それはそれでいいのですが、
デパートで売っているような品質の良いものもたまには着たいな・・・。
と、久しぶりにちょっぴり思ってしまって、物欲が刺激された一日でした。

デパートは、熱海の山に住んでいた頃ははキラキラピカピカした雰囲気に圧倒されて
すごく苦手だった時期があったけれど、
都会の狭い家の中で物がたくさんあって雑然としている生活の中で、
デパートの中には「物も人も大切に扱う」みたいな空気を感じられて、
今の自分にはけっこう癒しのスポットです。

時代は変わるけれど、
できることなら、デパートはこれからも
形は変えつつずっと続いて欲しいなと思っています。

と、お正月らしさについて書いているうちになぜだか
デパートの話題になってしまった
新年のブログでした。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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