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畑アカラの「初めて語る天皇と大嘗祭の真実」

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目次

第8回 大嘗祭(最終)

千三百年も夜空の北辰北斗に描いている、
天武天皇の大嘗祭の呪術絵

このブログ連載も、最終の8回目となりました。
大嘗祭の意味を俯瞰してみたいと思います。
既述部分と重なる部分がありますが、お許しください。


(1)日本文明と天皇号採用

「天皇=北極星」の証明場所は、
大嘗祭と、伊勢神宮(リニューアル)でした。
その大嘗祭と伊勢神宮(大嘗祭とセット)の呪術を探究して、
実感したことがあります。
日本文明についてです。

日本文明が独自の文明として発展し、
今日、世界の文明学者たちから
「一国一文明」と認知されているのは、
何故(なにゆえ)でしょうか?

そのように考えると、やはり、
「天皇号」に行き着くのです。
天皇号は、中国の天の思想からの借り物です。
しかし、面白いことに、この中国の借り物である天皇号で、
独立国となり、中国文明に染まるのを防いだのです。


天皇号は借り物と言っても、
中国皇帝(天子)よりも上位の天帝を意味する、
北極星の天皇大帝(てんこうたいてい)から採ったのですから、
文字通りに解釈すれば、
驚愕(きょうがく)すべきことなのです。


もし、独立国でありたいという
聖徳太子(574年~622年)の気概がなかったら、
そして、もし天武天皇(即位673年)が
天皇号を正式に採用しなかったならば、
つまり、大王号のままであったなら、
中国文明に、
簡単に飲み込まれてしまったのではなかろうかと、
ふと思うのです。


大嘗祭(伊勢神宮も同様)には、
秘術ながら天皇(北極星)の呪術が組み込んであり、
独立国を主張しています。

それは、中国の文化(天皇)を採用して、
中国の文化(皇帝)に飲み込まれまいとした方法であったと、
言えるのではないでしょうか。


(2)大嘗祭と伊勢神宮の共通グランドデザイン・
   北斗八星に描く食国(おすくに)

大嘗祭と伊勢神宮のグランドデザイン図・
「北極星(太陽・太極)北斗八星(八州・八卦)」を眺めていたら、
共通哲理に気づきました。
それは、単純で壮大な奥深い理念です。
そこに共通するものは、「稲・米」です。


つまり、大嘗祭も伊勢神宮も、
八束穂(やつかほ)・斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を
北斗八星に配し、その豊穣を願い、
百姓(おおみたから)が餓(う)えることなく、
を願っていたのです。

そして、その北斗八星に、
八州(やしま)(日本)と八卦(はっか)を配して、
八束穂・斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)が
八州(やしま)(日本)全体に広まるよう、
呪術的に願っていたのです。

「八州・日本」と「稲・米」を
一緒にした言葉があります。
「大八洲瑞穂国(おおやしまみずほのくに)」です。
となると、小生が、いままで考察してきた
大嘗祭と伊勢神宮の呪術的基本概念は、
「大八洲瑞穂国(おおやしまみずほのくに)」で
帰結するのです!! 


それは、天地に、
「北極星(太陽・太極)北斗八星(八州・八卦)」の
呪術で守護された「祭祀主(総神主の長)・天皇」を君主とする、
独立国家・「大八洲瑞穂国(おおやしまみずほのくに)」を
描くことだったのです!!
(図8-1を参照) 

zu8-1.jpg

天の北斗八星(八州)に描いている
八束穂(やつかほ)・斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)は、
地上に降ろして、
そのまま描かれているのです。
なんと、美しく、シンプルで、
大胆、かつ、奥深いデザインであることでしょう。
小生が今まで「大嘗祭」「伊勢神宮」に関して
述べてきたことは、
この単純なデザインの中に
全て集約されてしまうのです。


天武天皇は、食の安寧のため、
天地の北斗八星に、壮大な八束穂
[八州穂(やしまほ)・斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)]を
永遠の形として描いているのです。


このことは、まさに八州(日本)の天皇は、
真の、そして世界的に見ても貴重な価値ある
祭祀王(総神主の長)であることの
確たる証明となります。

これほどまでに神秘的で格調高い大嘗祭を斎行する、
万世一系の皇室の思慮深さに驚かざるを得ません。
いままで、大嘗祭において、
そして伊勢神宮において、
誰にも知られず、神聖なる秘儀として、
千三百年も連綿と天地の北斗八星に、
壮大な八束穂[斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)]を
ひたすら描き続けてきたのです。


天武天皇の、デザイン能力の素晴らしさには、
ただただ感服するのみです。
これ以上の永遠、悠久を意味する、
食の安寧を祈る堅固な呪術デザインが
他にあるでしょうか!!


(3)大嘗祭に施されている、
   世界最強の「北斗八星」の
   呪術・内容の一覧表示

大嘗祭の呪術は、世界最強の呪術
「北極星(太陽・太極)北斗八星(八州・八卦)」
でした。

天武天皇が北斗七星でなく
「北斗八星」としたことが、
「国家の暗号」とも言える、
世界最強の呪術の誕生に繋がったのです。

大嘗祭、伊勢神宮、日光東照宮、高松塚古墳、
八角形高御座(たかみくら)、八角形天皇陵、は
「北斗八星」の呪術を使っています。

そして、それぞれの「北斗八星」には、
それぞれの意味を込めています。
その、それぞれの意味を、整理して記します。


日本の律令制度は二官八省ですが、
この二官八省も、
北斗八星の意味を込めていると思います。
(中国は六省・九寺(じ)・一台、
 等々で成り立っています)
これから分かるように、中国の律令制度では、
八卦の呪術は、使われていません。
ここが、面白いところです。

※なお、北斗八星の内容ですが、
 この連載では記さなかった部分を含めてあります。
 小生の本を読んで、ご確認いただけますと幸いです。

①大嘗祭の「北斗八星」
(天武天皇674年頃)

北斗八星=八天女(豊受大神・天の羽衣)=外宮
=八卦(はっか)=八州(やしま・日本独立)
=御膳(みけ)八神(八神殿)
=八束穂(やつかほ)=帝車=大匙(おおさじ)
=標(ひょう)の山=八重畳(やえだたみ・周辺)

②伊勢神宮の「北斗八星」
(天武天皇)(674年頃)

北斗八星=八天女(豊受大神)=外宮=八卦(はっか)
=八州(やしま・日本独立)=八束穂(やつかほ)
=大匙(おおさじ)=帝車=刺車紋(さしぐるまもん)
=八佾舞(やつらのまい)

③日光東照宮の「北斗八星」
(家康没後・1617年頃)

北斗星=山王(さんのう)神+摩多羅神(またらしん・輔星)
=八卦(極秘敷曼陀羅・ごくひまんだら)=八州


④八角形天皇陵の「北斗八星」
(皇極(こうぎょく)天皇・643年頃)

北斗八星=八州(やしま・日本独立)=八卦
=八隅知之(やすみしし)大君


⑤八角形高御座(たかみくら)の「北斗八星」
(皇極天皇・643年~??)

北斗八星=八州(やしま・日本独立)=八卦
=八隅知之(やすみしし)大君


⑥高松塚古墳の「北斗八星」
(元正(げんしょう)天皇・717年)

北斗八星=高松塚古墳=石上麻呂(いそのかみのまろ)
=八人ずつの男女(陰陽)=帝車
=八卦=陪塚星(ばいちょうぼし)
=深緑色の蓋(きぬがさ)=大匙(おおさじ)
=八州(日本独立)=八佾舞(やつらのまい)

※高松塚古墳には、北斗八星は描かれていませんが、
 墓全体が北斗八星。



⑦二官八省(律令制度)の「北斗八星」
(天武天皇674年頃?)

北斗八星=八省=八卦=八州(やしま・日本独立)


7事例とも、全て天皇を中心としており、
天皇とは何たるかを物語っています。
「北斗八星」が表現している、
呪術の壮大さ、意味深さに、
圧倒されてしまいます。

天武天皇の呪術・
「北辰北斗の呪術的グランドデザイン」を語らずして、
伊勢神宮、大嘗祭、日光東照宮、八角形天皇陵、
高松塚古墳の本義は語れない、
ということが、
お分かりいただけたと思います。


天武天皇の世界最強の呪術の核は、
夜空に輝く、北極星を毎日一周する、
「北斗八星」にある、ということが、
これでお分かりいただけた、と思います。


我々は、天の中心、夜空に輝く、
北極星とその周りを正確に回る
天の大時計でもある北斗八星を眺め、
天武天皇が施した、
世界一最強の呪術とその永遠のロマンを、
感じ取らなくては、ならないのです。

大嘗祭の真実は、
夜空に輝く、北極星・北斗八星の中に
存在するのです。

 
あとがき
8回の連載、ありがとうございました。
重冨嘉代子さんから、連載の依頼を受けたときは、
まだ、「大嘗祭」の本の出版は、
決まっていませんでした。
連載の途中で出版が決まったのですが、
後押しをしてくれたのだと、感じています。

連載のタイトル通りに、誰も語っていない、
真実の部分を語ることが出来た、と思います。

天武天皇の呪術を発見し、理解し得たことは、
8の探究家だから出来たことだと、
つくづく思う次第です。

発表する場を作ってくださいました、
にんげんクラブさんに、
深く感謝いたします。


第7回 大嘗祭

「大嘗祭の価値を知らずして大嘗祭を語るなかれ 
  & 高天原の八重畳と北斗八星の呪術絵を知らずして、
  大嘗祭は語れない」


1、大嘗祭の価値を知らずして大嘗祭を語るなかれ

読売新聞で、11月6日、神奈川大名誉教授の中島三千男先生は、
大嘗祭について、毎年行っている新嘗祭のように、
神嘉殿(しんかでん)で実施すれば、国民の負担が軽減される、
との意見を述べています。
この記事を読み、色々な意味に於いて、
暗澹(あんたん)たる気持ちになりました。
それは、大嘗祭の原点を忘れている、
現在の大嘗祭の在り方にもおよびます。


(1)大嘗祭は、地方の民の参加により、
   神殿「悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)」を
   作ることに意義があった
   ・・・それは「君民一体」の象徴

大嘗宮の悠紀(ゆき)殿・主基(すき)殿は、
卜定(ぼくじょう)で決められた、
悠紀(ゆき)の国、主基(すき)の国の民によって、
作られます。
なぜ、二国なのか?
悠紀国・主基国の二国で、
八州(やしま・日本)を代表しているからです。
つまり、二国の民が、八州(日本)の民を代表して、
神殿を作るのです。
ここに、意義があるのです。

大嘗祭は、民の協力・奉仕によって、作られるのです。
つまり、「君民一体」なのです。
その象徴が、地方の民の神殿造りです。

よって、宮内庁の既存の建物で斎行する新嘗祭とは、
全く異なる意義があるのです。
そして、もう一つの大切な意義は、
新しく作るのは、清浄な場所で神様をお迎えするという、
意味もあります。

ですから、大嘗祭も、新嘗祭と同様に
神嘉殿(しんかでん)でやったらいい、との発言には、
大嘗祭の意義を、根本から無くすことになるのです。


これは仕方がないことですが、
もう一つの憂(うれ)うことがあります。
近年において、悠紀殿・主基殿は、古(いにしえ)と違って、
五日間で作られるわけでもなく、
また、悠紀国・主基国の民によって、
直接、作られるわけではありません。

つまり、日本を代表する悠紀国・主基国の民が、
直接、神殿を作るという、
貴重な意味が薄れてしまいました。
私の、ため息は、ここにもあるのです。

(2)悠紀(ゆき)殿・主基(すき)殿が、
   二国の民によって作られる重大な意義と同様、
   稲も、地方の民(悠紀国・主基国)によって
   作られる稲を神饌として用いることに、
   重大な意義があった。

天皇が神様と共食される神饌(しんせん・米)は、
二国(悠紀国・主基国)からとれた稲を用います。
やはり、そこに、意義があるのです。
新嘗祭で使用される稲は、官田で作られたものです。
この、大いなる違いを理解しなくてはなりません。

新嘗祭と違い、大嘗祭は、
民の協力・奉仕によって、作られるのです。
つまり、「君民一体」なのです。

天皇は、神様と一緒に新穀を召し上がることで、
皇位継承の資格を得るのです。
その新穀は、日本の民を代表とする悠紀国・主基国で
作られたものでないと、だめなのです。
ここに、大嘗祭の意義があるわけです。

幸いにして、今日においても、古(いにしえ)の大嘗祭と同様、
悠紀田・主基田を卜定(ぼくじょう・占い)して、
そこからとれた新穀を用います。

「神殿」と「神饌」が地方の民(悠紀国・主基国)の手で
作られるということ
・・・つまり、民の参加・奉仕に、意義があるのです。

(3)なぜ、簡素な神殿なのか?
   なぜ、食器が柏の葉なのか?
   それは、縄文時代・弥生時代に思いをはせていた証拠
   ・・・板葺(いたぶき)の屋根は、あまりにも悲しい

既に述べていますが、
古(いにしえ)の悠紀(ゆき)殿・主基(すき)殿は、
実に、簡素な作りでした。
5日間で作り上げ、神事が終わったならば、
すぐさま、壊されます。

柱は、皮付きの丸太、つまり黒木で作られ、
屋根は茅葺(かやぶき)、
壁は、芝を固めてそれに蓆(むしろ)を貼った作りです。
神事の行われた場所は、
最初の頃は、土間の上に蓆(むしろ)を敷いて、
行われました。
そして、食器は、驚いたことに、
いまもって、柏の葉を使用しています。
また、粟(あわ)も米同様、神饌(しんせん)として、
神様と天皇が、召し上がります。

大嘗祭を創設した天武天皇は、
縄文時代、弥生時代に、思いをはせていたのです。
大嘗祭は、縄文文化、弥生文化も大切にしようとしている、
このことに意義があるのです。

今回は、初めて、茅葺(かやぶき)から、
板葺(いたぶき)に変わりました。

建物は、時代によって、変わります。
これは、長い目で見れば、当然です。
しかし、何年経っても、変わってはいけない部分と、
変わってもしかたない部分があります。

伊勢神宮の建物を、板葺(いたぶき)にしたらどうでしょうか?
もう、伊勢神宮ではなくなってしまいます。


天武天皇は、前述のように、
縄文・弥生時代を大切にし、思いをはせていました。
板葺(いたぶき)屋根は、その、
天武天皇の気持ちを、無視することになるのです。
だてに、いまもって、
食器を柏の葉としているのではないのです。
また、大嘗祭は、ひそかに、
粟(あわ)も米と同様に大切にしてきたのです。

資金、茅葺(かやぶき)職人の問題があることは分かりますが、
このようなことは、
日本人の叡智で簡単に何とかなるものです。
私のため息は、ここでも、発せられるのです。

2、高天原の八重畳と北斗八星の呪術絵を知らずして、
  大嘗祭は語れない

今まで大嘗祭について、
天照大神と北極星の習合(しゅうごう)、渡御(とぎょ)、
共食神事、北斗八星の意味、天孫降臨(てんそんこうりん)、
等々について述べてきたことを、図式化すると、
「図7-1」「図7-2」のようになります。

大嘗祭は、冬至の日を想定して行われています。
冬至の日はもともと、北斗八星の位置によっても、
決められていました(太陽の日の出と日没位置と併用)。

よって、北斗八星の位置と大嘗祭の進行具合が、
この図によって、分かります。

大嘗祭は、この北斗八星と冬至の呪術(建子月・けんしげつ)を
採り入れることによって、高度な、そして洗練された、
スケールの大きな宇宙祭祀(さいし)形式となったのです。

zu7-1.jpg

zu7-2.jpg


①午後6時頃、大嘗宮に燈(あかり)と庭燎(にわび)がつけられ、
 八重畳(やえだたみ)が悠紀(ゆき)殿・主基(すき)殿に
 運び込まれます。

また、造酒童女(さかつこ)が稲を舂(つ)き、
八乙女が稲舂歌(いねつきうた)を歌います。

八重畳(やえだたみ)が設置されると同時に、
北斗八星帝車に乗った天照大神と北極星は、
八重畳に到着し、そこで御休寝されます。

ここにおいて、天照大神と北極星が習合される、
ということになります。


②午後9時頃、天皇は、廻立殿(かいりゅうでん)から
 悠紀(ゆき)殿に渡御(とぎょ)します。
 この姿は、北斗八星帝車に乗って、
 地上の廻立殿(かいきゅうでん)から
 高天原(たかあまはら)の悠紀(ゆき)殿に渡る姿を
 表現しています。

③午後9時半頃、神饌行立(しんせんぎょうりゅう)があります。
 この神饌行立も、北斗八星大匙(おおさじ・帝車)によって
 運ばれるという姿を表現しているのです。

④午後、11時半頃、悠紀(ゆき)殿の神事は終了します。
 天皇は、渡御(とぎょ)のときと同じように
 北斗八星帝車にお乗りになって、
 廻立殿(かいりゅうでん)に還御(かんぎょ)します。

天照大神と北極星の場合は、北斗八星帝車に乗って、
お隣の主基(すき)殿の八重畳(やえだたみ)に移り、
御休寝されます。

還御(かんぎょ)は、天皇継承の全ての資格を得た後の
天孫降臨を表現しています。


⑤午前0時は、悠紀(ゆき)殿神事が終わり、
 主基(すき)殿神事が始まるまでの、
 分岐点となります。

この午前0時は、冬至の日のこの時刻、
北斗八星の尾が真北(垂直・下向き)になります。

大げさに言えば、この時刻を中心として、
地球カレンダー(旧暦)が決まっていたのです。
大嘗祭は、この地球カレンダーの基準点を
採用しているのです。

この冬至の日は、最も長く星の輝く日です。
最も北極星が長く輝く日です。

又、同時に、太陽が最も衰える日でもあります。
しかし、太陽はこの日を境に、一陽来復(いちようらいふく)、
日に日にパワーを増していくのです。
日(ひ)の御子(みこ)である天皇が、
パワーを増していくのです。

北極星(天皇)をサポートしていて、多くの意味を持ち、
日本の国柄を表現している北斗八星が、
冬至の午前0時に真北を向き、垂直に立っている姿は、
まさに、日本の美を象徴していると言っても過言ではありません。


⑥午前0時を過ぎると、
 同じことを今度は主基(すき)殿で繰り返します。

⑦午前3 時頃、天皇は主基(すき)殿に渡御(とぎょ)され、
 午前3時半頃、神饌行立(しんせんぎょうりょう)が始まります。

神饌行立は、北斗八星大匙(おおさじ・帝車)から、
主基殿に神饌が届けられる姿と推測できます。


⑧午前5時過ぎ、天皇は、
 北斗八星(帝車)に乗られ、還御(かんぎょ)されます。
 と同時に、天照大神と北極星も、
 北斗八星(帝車)に乗せられ、夜明け前に、
 それぞれの元の場所に戻られます。

⑨午前5時半頃、大嘗宮が壊却(えきゃく)され、
 悠紀殿・主基殿の神事は全て終了します。

この時刻は、「卯の刻」に相当し、
北斗八星の尾は、東を向きます。
東は、春をも意味し、日の出を象徴しています。

冬至を過ぎて陽気が漂い始めるという、
大嘗祭の神事が終わるのに相応しい、時刻となります。


以上、簡単に、「図7-1」「図7-2」に沿って
説明いたしましたが、
大嘗祭は、このような、北極星と北斗八星の呪術によって
成り立っているのだということを、
是非とも知って欲しいのです。

大嘗祭の真実は、
天の中心、北極星・北斗八星に描かれているのです。

天文遁甲(とんこう)を能(よ)くする、
呪術のエキスパート・天武天皇を理解しないと、
大嘗祭の真実は、全く分からないのです。

第6回 大嘗祭


「ニニギノミコトから続く、
 連続3代の真床覆衾(まとこおふすま)の事例を、
 無視できるのか?」

◎天皇は八重畳(やえだたみ)の中に入るのか? 
 折口信夫(おりくちしのぶ)氏の
 真床覆衾(まとこおふすま)説

大嘗祭も迫ってきましたので、今回は、優先して、
今まで最も論争になってきた
「真床覆衾論(まとこおふすまろん)」について、
述べます。

大嘗祭を論ずるにあたり、避けて通れないのが、
折口信夫(しのぶ)氏の
「真床覆衾論(まとこおふすまろん)」です。

この説は、『日本書紀』神代巻に、
ニニギノミコトが降臨されたときにくるまわれたと
記されている「真床襲衾(まとこおふすま)」と、
大嘗宮・悠紀(ゆき)殿・主基(すき)殿の
神座・八重畳(やえだたみ)に用意される
寝具・「御衾(おふすま)」を、
同一のものと推論したものです。


zu6-1.jpg


新天皇は、神様と共食したのち、
八重畳(やえだたみ・神座・寝座)の上で
「真床襲衾(まとこおふすま)=御衾(おふすま)」に
くるまる秘儀をされる、
というのです。

神座(寝座・八重畳・やえだたみ)の上で
「御衾(おふすま)」にくるまることで、
皇祖神・天照大神と一体化し、
完全な天皇になられる、
というわけです。

今までの多くの学者は、
「真床覆衾論(まとこおふすまろん)」を継承、
或いは、類似の説を論じています。

しかし、岡田莊司(しょうじ)氏は、
神座(寝座・八重畳・やえだたみ)は
天照大神がお休みになるところで、
ここには天皇といえども近寄ることは出来なかった、
という説を述べています。

また、平成の大嘗祭の時の論争として、
岡田莊司氏は、次のようにも述べています。


<< 折口が自ら「仮説」であると称してから五十年、
   ここに通説から定説へと昇格する。
   「仮説」検証がほとんど行われず、
   定説の地位を獲得するという、
   学問世界における不思議な現象であった。 >>

天皇と神様が一緒に新穀を召し上がる、
この行為をもって、天皇継承儀礼となることは、
生命の根本を考えさせられ、
何と、シンプルで素晴らしい儀式である事かと、
感歎せざるを得ません。

しかし、ただ、これだけでしょうか?

◎真床襲衾論(まとこおふすまろん)を
 スルーするわけにはいかない

私は、基本的に
「真床覆衾論(まとこおふすまろん)」に賛成です。

その理由は、『日本書紀』の中に、
皇孫(すめみま)三代が連続して、
真床襲衾(まとこおふすま)と関わり合いを持って、
記されているのです。

事例が一箇所でしたら、スルーもできますが、
連続三箇所ともなれば、
さすがに、見逃すわけにはいかないのです。

また、「八重畳(やえだたみ)=神座=寝座」、
ということを考慮すれば、
ただ単に置いておくだけということは
あり得ないわけです。


そこには、設置してある何等(なんら)かの
理由があるはずです。
その理由をまず明らかにすること、
このことが肝腎です。
さらに言えば、
八重畳(やえだたみ)という意味を。
この件は、後ほど述べます。

私見ながら、大嘗祭成立初期の頃は、
八重畳の中に入って、
御衾(おふすま)に包まれたと思います。
あるいはその上に坐(ざ)したと思われます。


◎おどろおどろしい所作はなし

ただ、実際に采女(うねめ)と聖婚儀式をしたとか、
遺骸(いがい)と寝たとか、という
「おどろおどろしい」ことは無かったと思われます。

このような想像をも記した折口氏は、
大嘗祭の成立期をさらにずっと古(いにしえ)と
考えていたからに他なりません。

それにしても、折口氏は、
なぜ、おどろおどろしいことまで述べたのか、
不思議です。
しかも、折口説は、
そのつど、変化もしています。
ただし、八重畳の中に入ることは、
確かとしている論です。


天武天皇が大嘗祭を創設したのですが、
その後、持統(じとう)天皇、
元明(げんめい)天皇、
元正(げんしょう)天皇、などの
女性天皇が誕生していますので、
女性天皇にも耐えられる、
それなりの儀礼になったと推測します。

ただし、大嘗祭の儀礼所作(しょさ)も
時代と共に変化してきたと思われますので、
いつしか八重畳(やえだたみ)に入る儀式は
無くなってしまった可能性もあります。


もし、無くなったとしても、
八重畳に「御衾(おふすま)」が置いてあり、
その横で神様と一緒に新穀を召されるということで、
御衾(おふすま)にくるまったという象徴所作になり、
「天孫(あめみま)・皇孫(すめみま)」の
資格を得る、
ということは考えられます。


◎『日本書紀』のニニギノミコトから続く、
 連続3代の真床覆衾(まとこおふすま)の事例を
 無視できるのか?

『日本書紀』には、ニニギノミコトから、
子供へと続く連続三代
(ニニギノミコト→山幸彦→ウガヤフキアエズ)にわたる、
真床襲衾(マトコオフスマ)の事例があります。

この、連続三代の事例を読んでいただき、
大嘗祭におけるマトコオフスマ説を簡単に否定出来るのか、
皆様の判断に委(ゆだ)ねたい、
と思います。


①『日本書紀』における、
 最初の、ニニギノミコト
 「真床襲衾(まとこおふすま)」の場面

◎ 天孫降臨(てんそんこうりん)の場面
 ・・・ニニギノミコトが
   真床覆衾(まとこおふすま)に覆われて、
   地上に天降る場面


<<  時に、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)、
   眞床追衾(まとこおふすま)を以て、
   皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊
   (すめみまあまつひこひこほのににぎのみこと)を
   覆(おお)いて降(あまくだ)りまさしむ。 >> 

         (神代紀・第九段本文)

このように、『日本書紀』では、
ニニギノミコトが
真床覆衾(まとこおふすま)に覆(おお)われて、
地上の高千穂峰(たかちほのみね)に降りられた事を
記しています。

いわゆる、天孫降臨の場面に、
真床覆衾(まとこおふすま)は使われています。

大嘗祭に当てはめて考えるならば、
新帝が八重畳の上に置いてある御衾(おふすま)を
覆(おお)うことによって、
皇孫(すめみま・天皇)の資格を得るという、
意味付けに、なります。

これが一回目の、
真床覆衾(まとこおふすま)の事例です。


②『日本書紀』における二番目の、
 ニニギノミコトの子供・
 山幸彦(やまさちひこ)の
 「真床襲衾(まとこおふすま)」の場面


◎海神(わたつみかみ)が、
 山幸彦(やまさちひこ)を招き入れて、
 真床覆衾(まとこおふすま)を設(しつら)えて、
 天神(あまつかみ)であるのか、ないのか、
 様子を確かめる場面があります。


海神(わたつみ)の神は、
三つの床を用意して、山幸彦を迎え、
天神(あまつかみ)であるのか、確かめます。


 <<  内の床にしては、
    真床覆衾(まとこおふすま)の上に
    寛(あぐ)み坐(いま)しき。 
    海神(わたつみ)見て、
    乃(すなわ)ち是(これ)
    天神(あまつみかみ)の孫(みま)と知りぬ。 >>

       (神代紀第十段一書第四)


※彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと・山幸彦)の子供は、
 豊玉姫との子である鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)。
※ 山幸彦の親は、父が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、
 母が木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)。


ここでは、「眞床覆衾(まとこおふすま)=玉座」と
していたことが分かります。

つまり、①、②によって、
眞床覆衾(まとこおふすま)の上に坐(すわ)っても、
覆(おお)っても、
天神の孫、つまり天孫(あめみま)であることの
証明となります。

大嘗祭に当てはめて考えるならば、
新帝が八重畳(やえだたみ)の上に置いてある
御衾(おふすま)の上に、坐(すわ)るか、
それを覆(おお)うことによって、
皇孫(すめみま・天皇)の資格を
得るということになります。

ここの記述は、
真床覆衾(まとこおふすま)でもって、
皇孫(すめみま・天皇)の資格審査をしています。

これが二回目の
真床覆衾(まとこおふすま)の事例です。


③『日本書紀』における三番目の、
 山幸彦の子供・
 鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の
 「真床襲衾(まとこおふすま)」の場面


◎豊玉姫(とよたまひめ/夫・山幸彦)が、
 生んだ子・鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)を、
 真床覆衾(まとこおふすま)に包み、
 海辺に置いて、海に帰ってしまう場面

  << 豊玉姫(とよたまひめ)
    ・・・遂に真床覆衾(まとこおふすま)
    及び草(かや)を以ちて、
    其の兒(みこ)を裹(つつ)みて
    波瀲(なぎさ)に置きて、
    即(すなわ)ち海(わた)に入りて去(い)ぬ。 >>

        (神代紀第十段一書第四)


※鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の配偶者は、
 玉依姫(たまよりひめ)であり、その子供の第4子は、
 神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)で、
 のちの神武(じんむ)天皇(初代天皇)です。

『日本書紀』では、豊玉姫(とよたまひめ)が
天孫(あめみま)の子を生んだときに,
「真床覆衾(まとこおふすま)および草(かや)」で
その生児をつつんで渚に置いて海に去った、
と語っているのです。

よって、大嘗祭に当てはめて考えるならば、
新帝が八重畳の上に置いてある御衾(おふすま)に
裹(つつ)まれる所作をすることによって、
皇孫(すめみま・天皇)の資格を得ることが出来る、
という意味付けにもなります。

これが三回目の真床覆衾(まとこおふすま)の事例です。


◎なぜ、三代続けて真床覆衾(まとこおふすま)が
 皇孫(すめみま)の証拠として、
 記されているのか?
 (ニニギノ命→山幸彦→鸕鷀草葺不合尊
 (うがやふきあえずのみこと)


大嘗祭は、神話の再現儀式祭だとも言われています。

『日本書紀』において、
ニニギミコトから三代に渡って
真床覆衾(まとこおふすま)の事例が
出てくることを考慮しても、なお、
真床襲衾説(まとこおふすませつ)を、
完全否定出来るのか?

特に、②の場合は、真床覆衾(まとこおふすま)を
どのように扱うかで、
明らかに皇孫(すめみま)であるのかないのか、
の資格審査をしています。

大嘗祭は皇位継承の資格獲得儀礼でもあります。

大嘗祭において、最も重要と思われる、
「神座(寝座)・八重畳(やえだたみ)」の上に、
皇孫(すめみま)の証拠となる
御衾(おふすま)が置いてあることは、
どのように解釈したらよいのでしょうか?

皇位継承の象徴である
真床覆衾(まとこおふすま)が目の前にある、
ということになります。

それなのに、八重畳に置いてある
真床覆衾(まとこおふすま)を
ほったらかしにしておいて、
いいものでしょうか?


『日本書紀』においては、
真床覆衾(まとこおふすま)に、
①、③の事例のように、包(くる)まわれるか、
②の事例のように、坐(すわ)るかによって、
皇孫(すめみま)であることの証拠となります。


大嘗祭は、神話の再現演出でもあるのです。

私は、真床覆衾(まとこおふすま)を、
ほったらかしにしておいてもかまわない、
という見解に賛成する勇気?を持てないのです。
 
私は、おそらく初期の頃の大嘗祭には、
御衾(おふすま)に覆(おお)われるか、
お坐(すわ)りになるか、
の所作があったと確信しています。


大嘗祭の前日に鎮魂祭(ちんこんさい)が行われますが、
そのときは、天石屋戸(あまのいわやと)の
神話の再現と思われる儀礼所作があります。

ならば、次の日の大嘗祭においても、
神話の再現があっても、
おかしくないのです。

このことも考え合わせますと、
真床覆衾(まとこおふすま)の儀礼所作は
あったと推定できます。

大嘗祭における
真床覆衾(まとこおふすま)の儀礼所作は、
なかったと言い切れないのでは、
と思う次第です。

八重畳(やえだたみ)は、神様がお休みになる、
という説には、誰もが賛成しています。
ならば、御衾(おふすまは)は、
神様がお休みするとき纏(まと)うためにある、
ことは確かです。
御衾(おふすま)の活用は、
ただ、それだけなのか?


◎八重畳が持っている意味と、
 八角形高御座(たかみくら)・
 八角形天皇陵の持っている意味、
 との比較


私は、天照大神と北極星が習合する場所が、
八重畳(やえだたみ・神座・寝座)だと思っています。

天武天皇は、大嘗祭を創設して、
「天皇=北極星」の存在証明場所としました。
これが、大嘗祭創設の動機です。

その「天皇=北極星」の存在証明方法は、
北極星と天照大神が習合することでした。
その、習合場所が、八重畳(やえだたみ)、でした。
大嘗祭における、八重畳(やえだたみ)の最も大切な役割は、
天照大神と北極星を休寝させ、習合させることです。

◎八角形の高御座(たかみくら)は、
 天皇が着御(ちゃくぎょ)して、
 即位する場所です。
 つまり、「天皇誕生」です。

◎八角形天皇陵は、飛鳥時代、
 天皇が葬られる陵の形でした。
 つまり、「天皇の死」です。

◎八重畳は、天照大神と北極星(天皇)がお休みになり、
 習合する場所です。
 つまり、「天皇(北極星)の証明」です。


ならば、天皇(北極星)は、
天照大神と習合した北極星と、習合するために、
八重畳の中に入ることは、充分に考えられます。

天皇が、八重畳(やえだたみ)の中に入ることで、
天照大神と北極星、そして天皇との三位一体の習合が、
完成する、ということも充分考えられるのです。


(勿論、序列は付いています。
 天照大神は、北極星(天皇)の祖先)


八角形高御座(たかみくら・天皇誕生)、
八角形天皇陵(天皇の死)、
そして大嘗祭の八重畳(天皇=北極星の証明)は、
それぞれ、最重要な意味を持っているのです。


それは、それぞれの、本義とも言えるのです。

第5回 大嘗祭


「夜空に輝く、北斗八星の動きを知らずして、大嘗祭は語れない」


前回は、大嘗祭は冬至祭であり、
天皇(北極星)を祭っていることを、証明しました。

今回は、もう一歩踏み込んで、
冬至の日の「北斗八星の位置」の意義と、
その動きを紹介いたします。


吉野裕子氏は、この件について、北斗七星として少し述べていますが、
私は、北斗八星として、その位置も、正確に図式化して、記します。

北斗八星の動きと大嘗祭神事との関係を、
図にしたものは、今までありませんでした。

大嘗祭における北斗八星ですが、日本の国柄の全てを含んでいることは、
3回目の(10)の世界最強の北斗八星グランドデザイン図で、
示しています。

このことも合わせて、是非とも、大嘗祭は、天地一体となった、
宇宙的なお祭でもある事を、認識していただきたい、と思います。


(1)夜空に輝く北斗八星を仰いで、
   大嘗祭の進行を想像していただきたい

大嘗祭の進行は、天の大時計である
北斗八星の動きと共に、決められていくのです。

大嘗祭の時間経過とともに、夜空に描く北斗八星の位置関係が、
大変意味深く表現されており、
このことは是非とも知っていただきたいのです。

その前に、基本となることから紹介いたします。

(2)旧暦は、北斗八星の位置で決めた

旧暦は、何を基準として作られたかと云いますと、
冬至を基準にして作られました。

北斗八星の「柄(尾)」に当たる部分は、
季節によって方向性を示します。

そこで、真下に向ける北斗八星の柄(尾)を基準にして、
各月の名前を十二支に振り分けたのです。
何と、北斗八星の柄の方向で、
月の名前を決めたのです。

具体的に言いますと、
冬至を含む月の「子(ね)の刻・午前0時、頃」には、
北斗八星の柄(尾)の先が真下(北の方角)を指します。

(垂直に立つ)(図5-1)


この月を十二支の最初である
「建子月(けんしげつ)」としたのです。
それが、月建(げっけん)です。

北斗八星の柄(尾)は、季節と暦を示す、
天の大時計の針と位置付けたのです。

北半球の天空に一年中見えている北斗八星は、
古代中国では天の大時計として、
重要な星座と考えられていたのです。


zu5-0time.jpg
図5-1 冬至の日・午前0時の北斗八星の位置/
「星図 Stella Theater Pro(http://www.toxsoft.com)」参考

※2019年12月22日午前0時、「子の刻」の北斗八星の位置です。
(場所・大阪)
北斗八星の尾の先は、ほぼ、真下(北)を示しています。


(3)「建(おざす)」とは、
   北極星の尾の方向を示すこと
   ・・・それぞれの月名

この「建」は、「おざす」と読みます。
「おざす」とは「尾指す」の意味。
この「尾」は北斗八星の柄の部分を意味しています。
この北斗八星の尾が指す方向が、
「建○月」、となります。


旧暦の十二ヶ月の名前は、次のようになります。

陰暦1月→建寅(けんいん)月、
陰暦2月→建卯(けんぼう)月 、
陰暦3月→建辰(けんしん)月 、
陰暦4月→建巳(けんし)月、
陰暦5月→建午(けんご)月、
陰暦6月→建未(けんび)月、
陰暦7月→建申(けんしん)月、
陰暦8月→建酉(けんゆう)月、
陰暦9月→建戌(けんじゆつ)月、
陰暦10月→建亥(けんがい)月、
陰暦11月→建子(けんし)月、
陰暦12月→建丑(けんちゆう)月


ならば、旧暦は、最初に冬至を意識して決めた、
ということになります。

太陰太陽暦は、立春付近に正月をおく暦だと思われがちですが、
実際は、冬至を中心に考えられた太陰太陽暦なのです。


(4)季節による北斗八星の位置
   ・・・夜空に輝く天の季節大時計

季節による北斗八星の位置を確認しましょう。

北斗八星は、北極星を一日に一周しますので、
見る時間を固定しなければなりません。
日付の変わる午前0時(子の刻)を基準にしますと、
この向きは、季節によって変化します。

それは何故(なぜ)かと云いますと、
北斗八星は、北極星を中心に反時計回りに
1日約1度ずつずれて動いています。
地球は太陽の周りを自転しながら365日で1周します。
このために生じる現象です。
(詳しいことは割愛)


時刻については日付の変わる午前0時(子・ねの刻)に固定して、
季節による向きの変化を記録して行きますと、
次のようになります。


北斗八星の尾は、春分の頃は真横(東の方角)、
夏至には真上(南の方角)、秋には真横(西の方角)を指します。
(図5-2)


大嘗祭も、この北斗八星の動きと連動しているのです。



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図5-2 平成元年・冬至・春分・夏至・秋分の
午前0時の北斗八星の位置・(大阪)/
「星図 Stella Theater Pro(http://www.toxsoft.com)」参考

つまり、冬至は、旧暦の中心軸の基準
(北斗八星の尾の位置が北を向く)として存在するのです。


(5)大嘗祭は、
   暦の中心軸の基準となる冬至の日に、
   行われるのです。

冬至は暦の中心軸となっています。
この重大な意義を無視して、
冬至祭でもある大嘗祭は、行われるのでしょうか?


大嘗祭は、天武天皇が創設しました。

占星台(せんせいだい)をつくり、
陰陽寮(おんようりょう)を作った、
天文遁甲(とんこう)を能(よ)くする、天武天皇が、
冬至の重大な意味を無視することなんか、
考えられないのです。


天武天皇の気持ちになれば、
答えは、即座に出るのです、


だとするならば、大嘗祭論において、
冬至のことを無視している論文は、
本質に迫る姿勢の欠けた論文であろうと、
しみじみ思うわけです。


※占星台(せんせいだい)とは、星観測所と思われますが、
 当時は、「漏刻臺(ろうこくだい・水時計)」と
 一緒に備えられていたと思われます。

※陰陽寮(おんようりょう)とは、天武天皇のとき創設され、
 律令制において設置された中務(なかつかさ)省所属の役所で、
 卜筮(ぼくぜい)、天文、暦、時刻のことをつかさどりました。


(6)日没とともに出現する
   北斗八星の位置が
   大嘗祭の神事の始まり

大嘗祭の神事は、夜の午後8時頃、
廻立殿(かいりゅうでん)に天皇が御(ぎょ)され、
それから悠紀(ゆき)殿に渡御(とぎょ)され、
午後9時半頃から始まります。


しかし、その前に、暗くなり始めた午後6時頃から、
八乙女(おやとめ)が歌を歌いながら、
稲を舂(つ)きます。

八乙女は、悠紀国・主基国の民ですが、
八州(やしま・日本)のそれぞれの代表が集まって、
いる、という意味があります。

つまり、八人の乙女で、日本を構成しているのです。


このことは、八の本来の意味を表現している、
大変重要な事例です。
是非とも、記憶に留めておいて欲しい言葉の意味です。


舂(つ)き終わると、
御飯を炊(た)きます。

御飯は、整えられた他の神饌(しんせん)とともに、
膳屋(かしわや)の盛殿(もりどの)に準備されます。


午後6時(酉(とり)の刻)、
大嘗宮に燈(あかり)と庭燎(にわび)がつけられます。


(7)大嘗祭の日(冬至)の、
   北斗八星の出現位置は、
   大地から

日没後、午後6時頃、北斗八星は、
地平線上に姿を現します。
北斗八星は、北半球の奈良・京都の緯度(いど)は、
夜になればいつでも見られます。


冬至(12月22日頃)の日没後の北斗八星は、
地平線に、枡(ます)、つまり魁(きがけ)の部分を
見せていて、地上に最も近づきます。
(図5-3)


まさに、北斗八星が地上の最も近いところから、
スタートし、上に昇っていく姿です。

それは、これから大嘗祭が始まることを
示しているようです。


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図5-3 庭燎(にわび)のともる卯刻・午後6時頃の
北斗八星の位置(大阪)/
「星図 Stella Theater Pro(http://www.toxsoft.com)」参考


(8)悠紀(ゆき)殿神事と
   主基(すき)殿神事は、
   子(ね・北)である冬至の
   基準点で分けられる

悠紀(ゆきでん)殿の神事は、
午後11時頃、終わります。
主基(すき)殿の神事は、
午前3時頃始まります。

この間、空白時間があります。
(但し、天皇は、午前2時・廻立殿で湯浴(ゆあみ)し、
 主基(すき)殿の神事に備えます。
 また神饌(しんせん)の用意もしています。)


となると、午前0時で、悠紀(ゆき)殿の神事と、
主基(すき)殿の神事は、分けられている、
との解釈も可能です。

北斗八星の尾の位置は、午前0時で、
まっすぐに立ち、北(垂直・大地)を示しています
(建子月(けんしげつ)冬至を示している)。

ならば、カレンダーの基準である、
冬至日の子の刻・午前0時で、
悠紀殿神事と主基殿神事が、分かれていることは、
特別な意義を感じさせられます。

(図5-1)


あえて言えば、この時刻を境に、
星の輝く時間の長さが最長だった日から、
太陽の日照時間が増えていく日への、区切り、
とも解釈できます。


冬至の基準点、午前0時(子の刻・北)を境にした、
太陽と星の勢いが交代する、
という意味も含ませている、
との解釈も可能です。


ならば、何と、意味深い、
冬至の日の神事であることか。

星祭から太陽祭へ、と移り変わる基準点
・・・とも言えるのです。

(9)・卯日(うのひ)、
    卯刻(うのこく)の意味

主基(すき)殿の神事が終わり、
明け方近くなる頃、卯の刻・5時過ぎ頃は、
北斗八星の尾が東(卯)の方向を向いています。

大嘗祭のみならず、
上卯の相嘗祭(あいなめさい)、
下卯の新嘗祭(にいなめさい)というふうに、
ことさら「卯の日」に規定したのはなぜでしょうか?


「卯」は、十二支の第四位で、
方位は正東を示し、
月では二月を意味します。

時刻は午前6時を意味します
(午前5時から7時)。


二月となると陽気が地中から出て
草木が芽吹き出し茂りだす。
五行説では「木」を意味します。


悠紀(ゆき)・主基(すき)の神事が終わる頃は、
空も明るくなり始めています。
太陽が昇り始めています。


北斗八星の柄も、
太陽の昇る方向の東(卯)を向いていて、
時刻も卯の刻(午前5時から7時)を示しています。

(図5-4)


そして大嘗祭の
「主基(すき)の大御饌(おおみけ)」神事が
終わった夜明け前の北斗八星は、
枡(ます)(魁(さきがけ)が下の方向になり、
悠紀殿・主基殿に運んだ、
枡(ます)の中身(神饌)は
空になったとの意味付けも出来ます。


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図5-4 大嘗祭神事の終了する
午前6時頃の北斗八星の位置(大阪)/
「星図 Stella Theater Pro(http://www.toxsoft.com)」参考


今まで、見てきたように、
大嘗祭の夜の神事は、北斗八星の位置によって、
進められていると言っても過言ではありません。

(10)大嘗祭における北斗八星は、
    秋分の日、冬至、春分、をも
    表現している

よくよく、北斗八星図を見ると、
不思議なことに、夜の大嘗祭の初め、
つまり、日没後すぐの北斗八星の位置(図5-3)は、
秋分の日の午前0時の位置(図5-2)と、
ほぼ同じです。


冬至の午前0時は、
大嘗祭の悠紀殿神事と主基殿神事を
分ける時間帯となっています。
勿論、前述した通り、
この時間こそが、旧暦、カレンダーの
中心軸となっています。


大嘗祭の神事が終了した時刻の
北斗八星の位置(図5-4)は、
東を尾指しています。

この位置は、春分の日の午前0時の位置(図5-2)と
ほぼ同じです。


よって、夜の大嘗祭の神事は、
秋分の日から冬至、そして春分の日、の
半年の時間も、表現している、
とも言えるのです。

実に意味深いですね。


連載の回を重ね、
「北極星(天皇)・北斗八星」と大嘗祭の関係を、
述べてきました。

今回は、北斗八星の大時計の進行により、
大嘗祭は進められていくことを、記しました。


大嘗祭の内容は、
夜空に輝く北極星と北斗八星に描かれているのです。
しかし、大嘗祭を探究する歴史学者は、
夜空に輝く、「北極星(天皇)と北斗八星」が、
全く目に入りませんでした。


大嘗祭の真実は、
夜空に輝く、北極星と北斗八星に
描かれているのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・



次回の6回目は、
大嘗祭神事の核心に触れたいと思います。

天皇は神様と新穀を共食することで、
天皇継承の資格を得るのです。

また、大嘗祭を象徴している八重畳とは、
どのような意味を持っているのか?
天照大神と北極星は、
どのようにして、習合するのか?

八の探究家でしか発見出来なかったことを、
紹介いたします。

 

第4回 大嘗祭

「冬至の呪術が分からずして、大嘗祭は語れない」

大嘗祭は、冬至祭です。
この冬至祭ということが、
太陽祭(天照大神祭)と北極星祭(天皇祭)
であることの証明になるのです。

しかし、大嘗祭は冬至祭である、ということを
本格的に論じている本は、あまりにも少ない。

折口信夫(しのぶ)氏に代わって、
今や國學院大學の顔とも言える岡田莊司(しょうじ)氏も、
『大嘗祭と古代の祭祀』
(吉川弘文館・2019年3月20日・発行)の本の中では、
不思議なことに、
冬至のことは全く論じていません。

なぜ、大嘗祭は冬至祭なのか、
についてアプローチをしなくては、
天照大神(太陽)の内面は語れないはず、
と思うのですが。

大嘗祭1023.jpg


(1)冬至とは

大嘗祭は、冬至の日を「想定」して行われます
(旧歴ですと、日にちを確定出来ません)。
実際は、冬至の日とは限りませんが、
十一月の下の卯(う)の日
(卯日が三回の時は中卯)に行われます。

では、冬至とは、
どのような意味を持っているのでしょうか?


冬至とは「日短きこと至る(きわまる)」を意味します。
冬至は一年間で最も日照時間の短い日で
太陽の力が一番弱った日です。
しかし、冬至を境に日照時間が長くなります。
よって、太陽が力を取り戻してくるので、
冬至は「太陽復活の日」とされました。

陰極まれば万物みな衰えて死に、
太陽の帰り来るということから
「一陽来復(いちようらいふく)」とも言われています。


北欧に伝わる古い冬至祭は「ユール(Yule)」とよばれ、
太陽の神が再び力を取り戻す日とされています。
現在では「クリスマス」の意味で用いられるようです。

大嘗祭は、太陽の力が最も弱った冬至の日に、
つまり、太陽復活の日に、
太陽の恵みによって育った新穀を、
天皇が天照大神(太陽)と共に食べるという行為によって
天照大神の霊威を身につけ、天皇の威力を取り戻す、
ということであったのです。

つまり、大嘗祭は、冬至祭、であったのです。

しかし、これだけではありません。
この天照大神(太陽)に加わる神様があります。
北極星(天皇)が加わるのです。



(2)冬至は、北極星(天皇)の
 最も長時間輝いている日

冬至の日は、一年間で最も日照時間の短い日で
太陽の力が一番弱った日、ということで、
太陽(天照大神)ばかりが注目されがちです。

これまでの大嘗祭の本を読んでいますと、ほとんどが、
太陽(天照大神)の衰えと復活にばかり触れています。
不思議なことに、星については、
ほとんど触れられていないのです。

一年のうちで、太陽が最も短く空に見えている
冬至の日ということは、
最も長く星空(北極星)が輝いている日、
ということです。

ならば、北極星が最強になった日が冬至、
ともいえるのです。
大嘗祭の最も重要な神事は、夜に行われます。
太陽(天照大神)だけの神事でしたら、
昼間行われるべきです。

このように考えますと、
冬至の日(想定して)の夜、
つまり、北極星最強の日に、
天皇親祭(しんさい)として行われる大嘗祭において、
「天皇=北極星」であることを無視して
お祭をすることは、
不可能なことが分かります。
 
よって、大嘗祭は、「太陽(天照大神)祭」と
「北極星(天皇)祭」になるのが、
最もふさわしい形といえるのです。
 
これが、冬至の日からみた、
太陽(天照大神)と北極星(天皇)の関係です。
 
大嘗祭においても、天皇(北極星)存在の証明は、
冬至祭とすることで、合理的に説明できるのです。


(3)大嘗祭において、北極星(天皇)を
 祀っている証拠が出てきた

さらに、冬至のことを調べてみると、
中国皇帝は、冬至祭で昊天上帝(こうてんじょうてい)を
祀(まつ)っていることが分かりました。
大嘗祭は冬至祭です。
ならば、大嘗祭も北極星(天皇)を祀っていると
推定できます。
  
今まで大嘗祭探究家は、
幅広く史料を集め紹介しています。
しかし、その中からは、
北極星を祀っているという箇所を、
なかなか見つけられませんでした。
しかし、とうとう、その箇所を見つけたのです。


田中初夫氏の
『践祚(せんそ)大嘗祭』(木耳社)を読んでいて、
私の説の正しさを確認出来る(?)記述があり、
その歓びで思わず立ち上がるほどでした。
それほど、嬉しかったのです。


田中初夫氏は、
『践祚(せんそ)大嘗祭』(木耳社)の中で、
『続(しょく)日本後紀』の仁明(にんみょう)天皇
(在位 833~850) 十一月丁卯(ひのとう)の条に

「天皇八省院に御(ぎょ)して、
禋祀(いんし)の禮(れい)を脩(おさ)む」
との記事があることを紹介しています。


禋祀(いんし)の解説として、
①[禋祀(いんし)ハ天神ヲ祭ルナリ」、
と記しています。

そして、田中氏は、
②『日本書紀』持統天皇五年十一月(しもつき)の条の
「大嘗(おほにへ)す。
 神祇伯(かむつかさのかみ)中臣朝臣(かなとみのあそみ)
 大嶋(おほしま)、天神壽詞(あまつかみのよごと)を
 讀(よ)む。
(この中に天神の言葉が出てきます)」
の文章を紹介しています。


この文章の中の二つの「天神」を比べて、
田中初夫氏は次のように述べています。


②持統(じとう)紀の「天神」と、
この①仁明紀の禋祀(いんし)の「天神」とは
恐らくは同じ様な観念で
使用された言葉であると思われるが、
その実体が高天原(たかあまはら)の神々を指すものか、
天照大神御一体を指すものかはあきらかではない。

しかし、この「天神」と言われる神が
大嘗祭の祭神とされていることは間違いない。 


この二つの「天神」は、
大嘗祭の祭神であろうと述べているのです。
「禋祀(いんし)」で祀られている天神は、
大嘗祭の神様であろうと述べているのです。


(4)天皇を祭る「禋祀(いんし)」とは

「禋祀(いんし)」について調べてみました。
この「禋祀(いんし)」ですが、
『周礼(しゅらい)』に出てくる言葉です。


※『周礼(しゅらい)』とは、中国,最古の礼書の一つで、
 『礼記(らいき)』『儀礼(ぎらい)』とあわせ
 「三礼(さんらい)」ともいいます。
 周公(しゅうこう)の撰(せん)と伝えられ、
 周王朝(紀元前一〇四六年~紀元前二五六年)の
 行政制度を記述したものです。


春官(しゅんかん)・大宗伯(たいそうはく)、
曰(いわく)く
「禋祀(いんし)を以(もち)て、
 昊天上帝(こうてんじょうてい)を
 祀(まつ)る、実柴(じっさい)を以て
 日月星辰を祀る」

つまり、何と、「禋祀(いんし)」とは、
昊天上帝(こうてんじょうてい)を祀る祭である、
ということなのです。

 
漢代に、鄭玄(じょうげん)という大学者が、
『周礼(しゅらい)』に注釈をつけて、
「昊天上帝」とは
「天皇大帝(てんこうたいてい)」のことなり、
としています。

ということは、大嘗祭の祭神は、
「昊天上帝=天皇大帝=北極星=天皇」
ということになります!!

(5)『続(しょく)日本後紀』・
 仁明(にんみょう)天皇紀は、
 第一級史料ではないのか?

さらに驚いたことに、
『続日本後紀・全現代語訳』(森田悌・講談社)では、
「禋祀(いんし)の禮(れい)を脩(おさ)む」の部分を
「大嘗祭の儀を行った」と現代語訳してあったことです。


現代語訳しか読まなかったら、
大嘗祭とは「禋祀(いんし)」のことである、
とした最重要の部分を見落とすことになります。


森田氏も、「禋祀(いんし)=大嘗祭」と
認めていたわけです。

大嘗祭の探究において、
仁明天皇紀のこの一文を超える史料が、
他にありましょうか?

「禋祀(いんし)」を避けて、大嘗祭を語るなかれ、
と声を大にして言わざるを得ません。


(6)なぜ、真実を語らないのか?


不思議ですね。「禋祀(いんし)」のことを、
何故、誰も詳しく探求しないのか? 
何故、語らないのか?

田中初夫氏も史料として記してあるだけで、
実際の大嘗祭との関係について述べていません。


せめて「禋祀(いんし)」とは
昊天上帝(こうてんじょうてい)に
繋がるものだということだけでも、
記しておいてもよかったのでは、と思う次第です。


吉野裕子(ひろこ)氏は、
太一(たいいつ)(北極星神)も
大嘗祭の祭神の中の一柱であると論じています。
吉野裕子氏にとって、大変、
有利な史料となるはずです。


吉野氏の出版本『大嘗祭』(弘文堂)を読むと、
田中初夫氏の『践祚(せんそ)大嘗祭』からの引用が、
度々あります。

しかし、それなのに、
「禋祀(いんし)」については
一言も述べていません。
私は、何故、という思いで頭の中が
混乱してしまいます。


仁明天皇(在位 833~850)と
『続(しょく)日本後紀』の代表編者・
藤原良房(よしふさ)(804~72年)は、
「大嘗祭=禋祀(いんし)・
 (昊天上帝)=北極星」を
祀(まつ)る、と思っていたわけです。

 
私は、以前から、たびたび、
天武天皇は天皇号を正式に採用し、
天皇(北極星)たらんとして、
その証拠を証明する場所として、
伊勢神宮をリニューアルし、大嘗祭を創設したと、
述べてきました。

伊勢神宮においては、吉野裕子氏の説のおかげで、
自説「北極星(太陽・太極)
 北斗八星(八州・八卦)」の
呪術の正しさを証明できたと思っています。

 
勿論、この基本呪術は、
天武天皇が、中国の呪術を参考にして、
日本独自の呪術として考案したものであり、
「国家の呪術暗号」に相当するものである、
というのが私の主張です。

しかし、大嘗祭においては、天武天皇の
[北極星(太陽・太極)北斗八星(八州・八卦)]の
呪術が施(ほどこ)されている、
という直接的な証拠を見つけられなかったのです。


このたび、初めて、その証拠の一部を
見つけることが出来たのです。
少なくとも、昊天上帝(こうてんじょうてい)と
同じ意味の北極星を祀っていることは分かったのです。


勿論、大嘗祭において、
天照大神を祀(まつ)らなければなりません。
『古事記』には「日(ひ)の御子(みこ)」という
言葉を持つ歌謡が五首あり、
天皇は天照大神の子孫であることを
強調しながら讃(たた)えています。


また、大嘗祭は伊勢神宮とセットですので、
天照大神は祀られていて当然なのです。

よって、大嘗祭において、
天照大神と北極星(天皇)が
祀られたことが推察できるのです。

このことは、私が今まで主張してきた、
伊勢神宮同様、大嘗祭においても
天照大神(太陽)と北極星(天皇)は習合している、
ことの証明になったのです。


次回は、今回記すことが出来なかった
大嘗祭における北斗八星の動きを、
図でもって解説します。

天の大時計・北斗八星に従って、
大嘗祭の神事は進んでいきます。
夜空に輝く、北極星と北斗八星が、
大嘗祭を描いているのです。

第3回 大嘗祭


「天武天皇の世界最強の呪術・・・
 「北斗八星」・・・大嘗祭の呪術」

1、大嘗祭に施(ほどこ)されている、
 天武天皇の世界最強の呪術
 ・・・なぜ北斗八星なのか?

一回目で述べていますが、天武天皇は、
天皇号(北極星を意味します)を正式に採用しました。
そして、天皇(北極星)の証明場所として、大嘗祭を創設し、
伊勢神宮をリニューアルしました。
(これが、天武天皇が大嘗祭を創設した動機です)

そして、天皇(北極星)を証明する呪術を施しました。


北極星(天皇)は、北斗八星(七星)を必要としています。
これが道教的な哲理です。
よって、天武天皇は、完全な天皇(北極星)になるため、
北極星と北斗八星(七星)の呪術を、
大嘗祭と伊勢神宮に施しました。


その呪術とは。

この呪術は、
世界最強の呪術と言っても過言ではありません。
この呪術を知らなくては、
大嘗祭の真実を知ることは出来ません。


それは、今まで、誰も気がつかなかった、
夜空の北極星・北斗八星に描く、
8の呪術暗号というべき、天武天皇の呪術です。


この呪術を解読し、活用した者が今までに、二人います。
高松塚古墳の被葬者「石上麻呂・いそのかみのまろ」と、
日光東照宮を設計した「天海大僧正・てんかいだいそうじょう」です。

(後ほどお話しします)

呪術の基本形は、次の通りです。


[北極星(太陽・太極)北斗八星(八州・八卦)]

※八州(やしま)・八卦(はっか)

これから、大嘗祭と伊勢神宮に施されている呪術が、
どのようなものなのか、解説します。


(1)何故、北斗八星なのか?
 ・・・最強の呪術を作るため

では、なぜ、北極星と北斗八星なのでしょうか?
ここが最大のポイントなのです。

それは、言霊(ことだま)の霊威が最もあり、
そして古代日本の聖数である「八・や」と、
そして、中国最強の呪術である易経(えききょう)
「太極・八卦(はっか)」とを、
北斗八星で、結びつけたかったからです。


◎つまり、天武天皇は、日本の聖数「八・や」と、
 中国最強の呪術「太極・八卦(はっか)」を、
 北斗八星で結びつけ、世界最強の呪術を作ったのです。


(2)天武天皇の基本呪術
 ・・輔星(ほせい)を加えて北斗八星となす

北斗八星とは、北斗七星に第6星の脇にある、
輔星(ほせい・アルコル)を加えた形をいいます。

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輔星について、吉野裕子氏は、
「①輔星は、和名でソヘボシといわれている。
 ②陰陽道ではこの星を重視し、
  金輪星といって信仰の対象としている。
 ③輔星はまた寿命星ともいわれ、
  正月星見の行事にこの星の見えない者は、
  その年の内に死ぬという言い伝えがある。
 ④豊受大神は天降りした八天女の一人であるが、
  豊受大神の伝承を北斗七星に因(ちな)むものとすれば、
  この場合、天に帰れなかった豊受大神はさし当たり、
  この輔星に比定される天女ではなかろうか。」と、
述べています。

(『陰陽五行思想からみた日本の祭り』人文書院)



(3)古代日本の聖数「八・や」と、
 言霊(ことだま)No.1「八・や」の呪術を
 北斗八星に習合させた


私見ながら、古代日本の聖数「八・や」は、
八州(やしま・日本)最大の言霊(ことだま)力を
持っていると思っています。

天皇は、八隅知之(やすみしし)わが大君。
国は、八州(やしま)。
神は、八百万神(やおよろずのかみ)、八幡(やはた)の神。
三種の神器は、八咫鏡(やたのかがみ)・
八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)・
八重垣剣(やえがきのつるぎ/薙剣・くさなぎのつるぎ)。
拍手(かしわで)の最高グレードは、八開手(やひらで)。
大嘗祭で言えば、八重畳(やえだたみ)、等々。


この事例だけで、日本の聖数は
「八・や」であることが分かります。

また、あらゆる日本語の中で、
最も言霊(ことだま)の霊威(れいい)があると、
言えるのではないでしょうか。
つまり、言霊のチャンピオンです。

(「八・や」は、数詞の中で、
 最も口を大きく開ける「開a音」であることから、
 最も言霊の霊威があると、思われたのです。)


日本において、他の数詞を圧倒する聖なる数が「八・や」です。



(4)「北斗八星=八州(やしま・日本)」の呪術

「八・や」は「八州(やしま)・日本」の意味を持った、
「八・や」です。
天武天皇は、この「八州(やしま・日本)」を、
北斗八星と習合させたのです。
「北斗八星=八州(やしま・日本)」としたのです。

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(5)「北斗八星=八束穂(やつかほ)」の呪術

「八・や」は、八束穂(やつかほ)の
意味をもった「八・や」です。
天武天皇は、この「八束穂」を、
北斗八星と習合させたのです。

「北斗八星=八束穂(やつかほ)」としたのです。


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私が最も感動したことは、
北斗八星に、八束穂を描き、
永遠に百姓(おおみたから)が飢えることの無いように、
と祈っているこの呪術を発見したことでした。

(詳細は、後日)


(6)外宮(豊受大神・とようけのおおかみ)を
 北斗八星とし、八天女を象徴させた


吉野裕子氏は、前述してある輔星の説明で、
「豊受大神は天降りした八天女の一人であるが、
 豊受大神の伝承を北斗七星に因(ちな)むものとすれば、
 この場合、天に帰れなかった豊受大神はさし当たり、
 この輔星に比定される天女ではなかろうか。」と、
述べています。


私は、外宮の豊受大神(とようけのおおかみ)は、
八天女の一人であることから、
八天女全体を象徴しており、
北斗八星を象徴している、と確信しています。

つまり、「北斗八星=八天女=豊受大神=外宮」としたのです。


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※その物的証拠の一つは、
 遷宮(せんぐう)の時に、
 御鏡(みかがみ)が調進されますが、
 その形にあります。

外宮の御鏡は八稜形の「八花崎(やつばなさき)形」で、
内宮の御鏡の形は、円形です。
八花崎(やつばなさき)形・御鏡は、
北斗八星と八天女を象徴しているのです。

つまり、
「八花崎(やつばなさき)御鏡=豊受大神=
 八天女=北斗八星=外宮」
なのです。


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(7)中国最強の呪術である、
 易経(えききょう)「太極・八卦(はっか)」の呪術を
 北斗八星に、施した


中国最強の呪術と言えば、易経(えききょう)です。
秦の始皇帝は、書を燃やし、
儒者を坑(こう)する(儒者を生き埋めにする)、
「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」をしました。

しかし、儒教の経典である「五経」のなかで
「易経(えききょう)」だけは、
対象外とされた、と言われています。

免れるほど、易経は重要視されていたのです。


その易経とは、占いの理論と方法を説く書です。
伏羲(ふっき)氏が初めて八卦(はっか)を作り、
孔子が集大成したといわれていますが、
定かではありません。

八卦(はっか)の組合せにより、
64の卦の意味を説きます。
陰陽の宇宙理論より、
中国人の人生観や世界観に大きな影響を与えています。

 
天武天皇は、この中国最強の呪術である
「太極・八卦」と「北斗八星」を結びつけたのです。  


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(8)道教の哲理・「北斗八星=帝車」を採用


道教哲理によると、北極星(天帝)は、
北斗星という帝車を必要としている、とされています。
つまり、自家用車が必要なのです。

勿論、外宮は北斗八星ですから、
北斗八星・帝車の呪術を採用しています。


「北斗八星・帝車」の証拠は、
外宮のご遷宮(せんぐう)の際に、
み正体を蔽(おお)う、門外不出の錦(にしき)の
紋様によって暗示されています。
その錦の紋様とは、刺車紋(さしくるまもん)の錦です。


これによると、伊勢神宮の北斗八星・帝車は、
牛車(ぎっしゃ)となっています。

中国の北斗八星・帝車と
外宮の北斗八星・帝車を見比べてみましょう。


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(9)大匙(おおさじ)の呪術を施した

また、北斗八星は、大匙(おおさじ)として、
北極星(天照大神・天皇)に神饌(しんせん)を
運ぶ役目も、果たしているのです。  


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(10)古代日本の聖数「八・や」と
 言霊No.1「八・や」の呪術を、
 そして中国最強の呪術の八卦を、
 そしてさらに道教の呪術を「北斗八星」に習合させた
 ・・・世界最強の呪術が誕生したのです


以上、述べてきたように、
天武天皇は、夜空に輝く北斗八星に、
古代日本の呪術と古代中国の呪術を習合させ、
世界最強の呪術を作ったのです。


天武天皇の世界最強の呪術は次のように整理できます。

北極星=太極=天照大神=天皇大帝=天皇=内宮
北斗八星=古代日本の聖数と言霊No.1の
     「八・や・(八州・日本)・八束穂」
    =豊受大神=八天女=外宮
    =中国最強の呪術・易経「八卦・はっか」
    =道教の帝車と大匙(おおさじ)


天武天皇は、八州(日本)の国柄(くにがら)を、
北斗八星で表現したのです。
夜空に輝く北斗八星に、日本の国柄を美的に描いたのです。

この宇宙的なグランドデザインは、あまりにも、美しい。

これまでの述べたことを図で表現します。 


zu3-9-all8star.jpg         



2、北斗八星の証拠となる事例


「キトラ古墳」「日光東照宮」
「蘇州天文図」「漢時代の拓本」を紹介。
変則として高松塚古墳。
そして太極八卦図の事例。

いままで、北斗八星のことを取り上げてきましたが、
実際において、北斗八星を目にする事例はあるのか、
という疑問が湧いてきたことと思われます。

北斗八星の事例を紹介します。


 
①最も、分かりやすい事例は、キトラ古墳の天文図です。
 しっかりと、北斗八星が描かれています。
(703年推定) 


zu3-10-kitora8star.jpg          

②日光東照宮の山王神図にも北斗八星が描かれています。 


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③中国・蘇州(そしゅう)天文図。(1247年) 


zu3-12-tenmonzu8star.jpg       


④漢時代の拓本と外宮の刺車紋(さしくるまもん)       
再掲載させていただきます。


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⑤高松塚古墳(717年推定)は、
 北斗八星を描かないことで、古墳全体を北斗八星とし、
 その象徴として、8人ずつの男女を描いています。
 この絵は、北斗八星・帝車に、
 文武(もんむ)天皇をお乗せして出向(しゅっこう)する図を
 表現しています。
 大嘗祭においては、天照大神、北極星(天皇)を、
 北斗八星・帝車にお乗せして、高天原の大嘗宮に移動します。
 この事例が、この絵でもあり、その証拠です。

 (大発見であると思っているのですが) 詳細は、後日。


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3、私の呪術説「北極星(太極)北斗八星(八卦)」の正しさ
 ・・・ついに証明される・・・
  八卦紋様の発見(日光東照宮)


今まで、中国最強の呪術「太極・八卦」の
呪術のことを述べてきました。

では実際に、その証拠があるのか?
という疑問が湧いてくると思います。

実際、大嘗祭においても、伊勢神宮においても、
太極八卦紋様は、ありませんでした。
しかし、伊勢神宮の呪術を真似た、日光東照宮に、
その証拠、つまり、八卦紋様が、あったのです。


これで私の説の正しさが、証明されたのです。


天海大僧正(てんかいだいそうじょう)は、
伊勢神宮の呪術をそっくり真似て日光東照宮を造りました。

「北極星=太極=家康=東照大権現=大日如来」
「北斗八星=山王神+摩多羅神=八卦」の呪術としたのです。
 
※大日如来(だいにちにょらい) 摩多羅神(またらじん)


恐るべし、家康ですね。いやいや、天海大僧正。

家康の墓・神廟(しんびょう)の中に、
位牌(いはい)に当たる八角形御璽箱(ぎょじばこ)がありますが、
その下に「極秘敷曼陀羅(ごくひしきまんだら)」が
敷いてあったのです。

この極秘敷曼陀羅が、何と!!
太極八卦の紋様を描いていたのです!!


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これを見て、私の説は、正しかった!! と、
天に向かって叫びました。
 
伊勢神宮と大嘗祭の呪術は、
太極八卦の呪術も含まれている、
という私の説は正しかった、
という証拠になったのです。


天海大僧正は、私の呪術説を、
つまり、天武天皇の呪術をそっくり真似て、
家康の神廟を造ったのです。

伊勢神宮と大嘗祭の探究者として、
これほどの、歓びはありましょうか!! 

私の説を否定する方々がいらっしゃったら、
どうぞ、どうぞ、反論をください!! 
と心の奥底で叫んでいました。

 
山王神図には、北斗八星が描かれています。
神廟の中、八角形御璽箱の下・大地には、
八卦紋様の極秘敷曼陀羅が描かれています。

天地に、壮大な「北極星(太極)北斗八星(八卦)」が
描かれていたのです。


※後日詳しく述べますが、
 日光東照宮のグランドデザイン図を紹介しておきす。


zu3-15-nikkootenchi8star.jpg                            

 
次回は、次の通りです。
大嘗祭は、冬至祭です。
中国皇帝の冬至祭は、
北極星(天皇)祭でもあったのです。
驚きですね。

冬至の日は、
太陽(天照大神)の日照時間が最も短く、
そして北極星(天皇)が
最も長く輝いている日でもあるのです。
また、日没から、夜明けまでの、
北斗八星の位置が大変微妙なのです。

天文遁甲(とんこう)を能(よ)くする、
と日本書紀に書かれている、
呪術のエキスパート・天武天皇です、
どのような呪術を施したのでしょうか。

次回をお楽しみに。

   

 
講演会も開催します!!
畑アカラ先生 「初めて語る天皇と大嘗祭の真実」(11/7)

テーマ
「なぜ、大嘗祭について語るのか?」

それは、八の探究家として自分にしか語れない「発見」があるからです。

①大嘗祭を創設しようとした天武(てんむ)天皇の動機―発見
②天武天皇独自の大嘗祭に施(ほどこ)してある世界最強の呪術―発見
③八の切り口による大嘗祭の真実(天照大神と北極星の習合、など)―発見

みなさま、どうぞご参加ください。
                             

第2回 大嘗祭



「柏の葉の食器に代表される、古式の大嘗祭・概要と日程」

大嘗祭は、旧歴11月の2番目の卯日(うのひ)に始まり、
辰(たつ)・巳(み)両日の節会(せちえ)、午(うま)の豊明節会
(とよあかりのせちえ)にいたるまで、
4日間にわたる盛大な儀式です。

しかし、大嘗祭の準備期間から、大嘗祭が終わった後の
後始末までを入れると、約9ヶ月間の日程となります。
全ての行事について述べることは、紙面上、出来ませんので、
稲の動きを中心に、要点を述べます。



①4月頃、稲を収穫する場所、悠紀国(ゆきこく)と
 主基国(すきこく)を
 卜定(ぼくじょう・占いできめる)します

ちなみに、持統天皇の大嘗祭のときは、
悠紀(ゆき)国は播磨(はりま)、
主基(すき)国は丹波(たんば)でした。

なぜ二国にしたのでしょうか?
それは、二国で八州(やしま・日本)全体を表現しているからです。
日本の全ての人々が、大嘗祭に参加している、という意味です。


また、『日本書紀』の神話の高天原(たかあまはら)には、
2箇所の御田(みた)があったとされています。
天狹田(あめのさなだ)と長田(ながた)です。
このことにより、2箇所にしたという説もあります。


②8月上旬、京の都から、悠紀国(ゆきこく)と
 主基国(すきこく)に、
 抜穂使(ぬいぼし)が派遣されます


稲を収穫する斎田と奉仕する人を決め、斎場を作ります。
人選の中で特徴的なのは、
造酒童女(さかつこ)を、選ぶことです。
造酒童女とは、名前の通り、
お酒の醸造に奉仕する童女の意味で、
その国郡の有力者の童女がなります。

ところがこの造酒童女(さかつこ)は、諸儀礼において、
最初に手を付けることになっていて、
汚れなき童女の神、という意味を持っているのです。



・斎場の建築と「御膳(みけ)八神」(八神殿)


斎場には、八棟が建てられます。
(図を参照)


この八棟の中で注目すべき建物は、
「八神殿(はっしんでん)」が建てられることです。
八柱(やはしら)の神々が祭られていまして、
その神様を総称して「御膳八神(みけはっしん)」、といいます。
この「御膳八神(みけはつしん)」は、大嘗祭を
最初から最後まで、ずっと見守っているのです。
私は、この八神を、
「見守り・御膳八神(みけはっしん)」と称します。

私見ながら、この御膳(みけ)八神は、
御饌津神(みけつかみ)である伊勢神宮の外宮の神様・
豊受大神(とようけのおおかみ)を表現していると、推測しています。
豊受大神は、「北斗八星と八天女」でもありますから、
「八」ということで、御膳八神(みけはっしん)と習合していると、
推測しています。

(詳しくは、後日)


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③9月中旬、稲を収穫する、抜穂の儀式をすること

不思議なのは、大嘗祭は、田植えからではなく、
抜穂の収穫から始まることです。
既に良く実っている田から選び、
不作のリスクを避けるためと思っています。
実に、合理的ではあります。
斎田に稲穂がたわわに実る頃、
「抜穂(ぬいぼ)の儀式」が行われます。


八人が田の四方から入り、
造酒童女(さかつこ)が最初に抜穂します。
抜穂は四握(あく)で一把(わ)にくくり、
三十二把をそろえて神部(かんべ)に渡します。
神部はそれを八把ずつ目籠(めかご)にいれます。
(『大嘗祭』・鳥越憲三郎・角川書店・参考)

ここでは、抜穂の所作は見事に「四」と「八」で構成されており、
しかも、八神殿の神様、「御膳(みけ)八神」に
見守られているのです。
「八の世界」の意味深さが、ここでもお分かりいただけます。


④9月下旬、稲を運ぶため、京に向け出立(しゅったつ)
 ・・・「見守り・御膳(みけ)八神」


御稲(みしね)は、斎場で乾燥された後、
辛櫃(からびつ)と竹籠(たけかご)に納められ、
「木綿(ゆう)を付けた榊」をさして
荷擔夫(にかつぎ)300人が担(かつ)いで京に運びます。

造酒童女(さかつこ)だけは、輿(こし)に乗って上京します。
「木綿(ゆう)を付けた榊」には、
見守り・「御膳(みけ)八神」が降臨しているのではないでしょうか。
また、造酒童女(さかつこ)にも、
御膳八神の霊が乗り移っているのではないでしょうか。

このようにして、道中も、
見守り「御膳八神」により守られているのです。


⑤9月下旬、京にて稲を保管しておく場所、北野斎場を造営

京の北野の斎場の造営ですが、宮城の真北に位置します。
悠紀(ゆき)・主基(すき)両地方の人達が奉仕して作り上げます。
民の参加を表現している、このことが大切なのです。

注目して欲しいのは、やはり、八神殿(御膳八神・みけはっしん)の建設です。
この北野の斎場にも、悠紀・主基の八神殿が作られるのです。
となると、なぜ、斎場はいつも御膳(みけ)八神に見守られているのか、
ということが問題となります。
(詳細は後日)


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⑥11月大嘗祭七日前、大嘗宮の造営

大嘗宮の造殿は、7日前に行われ、
大嘗祭3日前までに、5日間で竣工します。
そして、神事が終わると、すぐ壊されます。

最も大切な、神様と天皇の共食神事が行われる、
悠紀(ゆき)殿・主基(すき)殿の神殿が、
地方の民の手で作られることの意味は、
我々が想像する以上の、深い意味を持っているはずです。

天皇継承儀礼も、百姓(おおみたから)と一緒に斎行する、
という気持ちが込められているのです。



◎天武天皇は、縄文・弥生時代にも、思いをはせていた
 ・・・①建築様式

『儀式』によると、大嘗宮は、
大内裏(だいだいり)中央の朝堂院の正庁である
大極殿(だいごくでん)前庭に建てることになっていました。

大嘗宮の建築様式は、黒木作り、つまり皮付きの丸太で造られ、
屋根は、萱葺(かやぶき)です。

最初の頃の大嘗宮の床の仕様は、地面の上に草を敷き、
その上に竹の簀子(すのこ)を置き、
更に蓆(むしろ)を敷き重ねて床としました。
壁は、塗り壁ではなく、草を芯として
両面に蓆(むしろ)をあてたものです。
ならば、大嘗宮は、縄文時代・弥生時代の、
土間式住居様式と壁様式を再現したもの、
との見解も可能となります。

※後には、簀子椽(すのこたるき)も設けられ、床が高くなりました。


◎天武天皇は、縄文・弥生時代にも思いをはせていた
 ・・・②古代日本のロマン・食器に柏の葉を使用

大嘗祭を調べて驚いたことは、
食器に柏の葉が使われていることでした。
天皇が自ら御箸をおとりになって神饌(しんせん)を盛る器が、
何と柏の葉、なのです。
柏の葉で作られた神饌の容器は、
上古より形を変えず今日に受け継がれています。
我々の祖先は、柏の葉を食器として用いていました。
食膳をつかさどる者を、古語で「かしわで」(膳夫)ともいいました。

最後の節会(せちえ)である
豊明節会(とよあかりのせちえ)のフィナーレには、
人々に柏の葉を配ります。
人々は柏の葉で黒酒(くろき)・白酒(しろき)を飲み干し、
その柏の葉を頭に着けて舞います。
豊明かりの「明かり」は、お酒を飲んで顔が赤くなるところから、
そのように云われているという説があります。
飲み干した柏の葉を頭に付け、
つやつやと顔を赤くして、舞っている姿が想像され、
何と優雅なことよ、何とロマン溢れることよ、と感動します。


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◎天武天皇は、縄文・弥生時代にも思いをはせていた
 ・・・③粟(あわ)を神饌(しんせん)としている


大嘗祭における稲とは、三代神勅(しんちょく)の一つである
「斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)の神勅(しんちょく)」を
忠実に再現したものです。
だから、大嘗祭は稲の祭典、と言えるのです。

しかし、実は、粟(あわ)も、米と同等なものとして、
一緒に、食されるのです。
粟は、大事な神事の対象になっているのに、
その粟の資料がほとんど見当たらないのです。

民間の素朴な新嘗祭は、地方によっては、
粟の新嘗をしていた所があります。
『常陸風土記(ひたちふどき)』には、
初粟(あわ)・初嘗(にひなへ)と記されています。
天武天皇は、稲作の普及により日本人の生命を維持しようとしました。
日本人の生きる道として、稲作を選択したのです。
それなのに、天武天皇は、大嘗祭から粟(あわ)を外しませんでした。
天武天皇は、縄文時代から続いていた粟に敬意をはらっていた、
と解釈するほかないのです。


◎お箸は、ピンセット形

お箸の形にも、驚きました。
普通の二本のお箸だと思っていました。
大嘗祭神事で使われるお箸は、竹を曲げたピンセット型です。
お箸の長さ八寸です。 

※ 因(ちな)みに、伊勢神宮で使われる
 常典御饌(じょうてんみけ)に添えられる御箸は、
 ピンセット型ではなく普通の形で、
 長さ1尺2寸(36センチ)もあり、かなり長いものです。
 軸の形は、何と八角で、両端が少し細くなっています。
 箸の形ですが、大嘗祭はピンセット形で八寸、伊勢神宮は八角
 ・・・箸の世界も、「八の世界」です。


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・ 神事の行われる、大嘗宮の内部

悠紀殿・主基殿において、神事が行われる部屋の中央には、
八重畳(やえだたみ)が設置されます。
室の中央に鎮座する「八重畳(やえだたみ)=神座=寝座」が、
大嘗祭の神事の核である、という事は誰でも感じることです。
ここにこそ、大嘗祭の本義が隠されていると推測されます。


1回目に少し述べていますが、
天照大神(太陽)と北極星は、八重畳でご休寝されることで、
習合されるのです。
なぜ、八重畳と称されるのか?
八重畳に、天皇はお入りになるのか?
八重畳で、天皇は秘儀をなさるのか?

八の探究家として、その謎解きをしたいと思います。

(詳細は、後日)

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⑦11月、卯日・午前10 時頃、北野斎場から大嘗宮へのパレード

大嘗祭当日午前10時頃、北野の斎場から大嘗宮へ、
神事に使われる供物(くもつ)を運ぶ、パレードが始まります。
総数、5千人と言われています。
日本一の、祭りパレードです。
わざわざ、遠回りをして、
つまり、平安京内を廻って、大嘗宮に到達します。

そのとき、「標(ひょう)の山」という、
山車(だし)が曳(ひ)かれます。
この標の山は、京都の祇園祭で使われる
山鉾(やまほこ)の原点であると言われています。
標の山は、一種の神籬(ひもろぎ)とも考えられ、
「御膳(みけ)八神」が降臨していると、思われます。


パレードの中で、輿(こし)に乗るのは、
造酒童女(さかつこ)のみです。
造酒童女は、悠紀国・主基国から、ずっと、
大嘗宮まで、輿(こし)に乗って移動します。

私見ながら、御膳八神とともに行動していることから、
このパレードにおいても、造酒童女に、
見守り「御膳八神」の神霊が乗り移っていると思われます。

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⑧稲舂(いねつき)・・・八乙女(やおとめ)の重大な意味
 ・・・八州(やしま・日本)のそれぞれを代表している
 ・・・八角形臼(うす)


大嘗宮に到着した御稲(みしね)は、
臼屋(うすとの)で舂(つ)き始められます。
まず造酒童女(さかつこ)が稲を舂(つ)きますが、
この間、八乙女(やおとめ)が稲舂歌(いねつきうた)を
歌いながら舂(つ)きます。
この八乙女(やおとめ)は八州(やしま・日本)の
それぞれの州(くに)の代表を意味しています。
つまり、八人で日本を形成しているのです。


また、臼(うす)の形は、八角形。
となると、八州(やしま)のそれぞれの州(くに)から
集まってきた八乙女が、稲舂歌(いねつきうた)を歌いながら、
八州を意味する八角形の臼で、八州を意味する八束穂を搗(つ)く、
という状況が成り立ちます。
意味深いですね。

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⑨11月、卯の日・午後8時、
 天皇は廻立殿(かいりゅうでん)に御(ぎょ)される
 

廻立殿(かいりゅうでん)は、大嘗宮の北に設けられます。
内裏(だいり)から廻立殿(かいりゅうでん)に
渡御(とぎょ)した天皇は、
「天(あめ)の羽衣(はごろも)」といわれている
御帷(おんかたびら)をめして浴湯(ゆあみ)をなされます。
この「天の羽衣」は、
外宮の神様・豊受大神(八天女・北斗八星)を
象徴していると推測できます。


⑩午後9時頃、渡御(とぎょ)の儀と
 国々の歌舞奉納、そして八開手(やひらで)
・渡御(とぎょ)は、天皇が、宇宙を駆け巡る
 「北斗八星帝車」に乗って、地上の廻立殿から、
 高天原の悠紀殿・主基殿へ行く姿


廻立殿(かいりゅうでん)から大嘗宮への
渡御(とぎょ)の方法ですが、
徒跣(とせん・素足で歩くこと)で葉薦(はごも)の上を
進みなされます。

天皇専用の道として葉薦(きごも)が前方に展(の)べられ、
そしてその歩みにつれて後方では
この葉薦(はごも)は端から巻き収められるのです。
この所作を知って驚かない人はいないと思います。
この特異な渡御(とぎょ)の方法は、
何かを物語っているはずです。
こういう儀礼所作にこそ、
大嘗祭の真実が表現されているからです。

私は、北斗八星という帝車(宇宙船)に、
天皇がお乗りになって、
高天原(たかあまはら)の悠紀殿(ゆきでん)
・主基殿(すきでん)に渡御(とぎょ)する姿だと
確信しています。

その証拠は、高松塚古墳壁画にあります。
この件、後日、詳しく記します。


天皇は、歩跣(はだしで歩く)で悠紀の正殿にお入りになると、
一旦、中戸外の西南の座に南面して着座されます。

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次いで、南門がひらかれ、群臣が参入します。
この参入の時、隼人(はやと)が犬声(悪霊を祓(はら)う
呪力があると信じられた)を発します。
そして、古風(いにしえぶり・大和国の吉野地方の
国栖(くず)の人々による歌笛の儀)、
国風(くにぶり・悠紀の国の風俗歌)、
古詞(ふるごと・特定の諸国による)が奏(そう)され、
最後に隼人(はやと)の風俗歌舞(くにぶりのうたまい)が
奏されます。
この間、天皇は悠紀殿の中戸外に坐しています。


歌舞が終わると、
まず皇太子が八開手(やひらで・八回拍手)を打つ拝礼をして
退下します。
続いて親王以下五位以上、六位以下の順で
一斉に八開手(やひらで)を打って、
五位以上は再びに幄舎(あくしゃ)に着きます。


⑪午後9時半頃、神饌行立(しんせんぎょうりゅう)と
 悠紀殿・大御饌(おおみけ)神事の始まり

午後9時半頃、悠紀殿(ゆきでん)に
「神饌(しんせん)」が運び込まれ
(神饌行立・しんせんぎょうりゅう)、
新天皇が悠紀殿に入り、
内陣で采女(うねめ)と共に一連の
悠紀大御饌(ゆきのおおみけ)神事を行います。


ここからは、特に秘儀とされ、
口外することは禁じられていました。
新天皇は、神様に、新穀・神饌(しんせん)を捧げ、
ご一緒に召し上がることは確かであります。

前述していますが、面白いのは、
お箸がピンセット型であるということと、
食器に柏の葉が使用されている、ことです。

古(いにしえ)の姿を再現しているところが、
素直に、素晴らしいと感じます。

(この件、詳細は後日)


⑫午後11時頃、悠紀殿の儀の終了

天皇は廻立殿(かいりゅうでん)に還御(かんぎょ)なされ、
悠紀殿(ゆきでん)の儀は終了となります。


⑬主基殿(すきでん)にて、同じことを繰り返す

・午前4時、主基殿に御し、
 主基大御饌(すきのおおみけ)神事の始まり
・午前5時頃、主基の神事終了(日の出の近い頃)
・午前5時過ぎ、天皇、還御(かんぎょ)


大嘗祭は、「卯(う)の日に設定されていて、卯の刻に終了」、
ということになります。
このことは、大変意義深いことです。

後日、詳しく述べますが、
大嘗祭当日の、日没から夜明けに至る、北斗八星の位置が、
大変、微妙であり、感動せざるを得ないです。
冬至の日の北斗星の位置を、是非、楽しんでいただきたい。


⑭午前5時半頃、大嘗宮は
 すぐ壊却(えきゃく)される、なぜ?

大嘗祭の神事が終わりますと、
大嘗宮は、すぐさま壊却(えきゃく)されます。
不思議ですね。
なぜ、すぐさま壊してしまうのでしょうか?
それは、悠紀殿・主基殿が高天原(たかあまはら)と
想定されているからだと、思われます。


大嘗祭の神事は、大嘗宮が壊され、
これで全てが終わります。
この後は、この日を含め、節会(せちえ)が、
3日間にわたって行われます。

節会(せちえ)については、後日述べることにします。
節会は、百姓(おおみたから)の表現の場となり、
お国自慢でもあるのです。
3日間も行われたことに、大変な意味があると思います。


⑮12月上旬、悠紀(ゆき)・主基(すき)
 両地方の斎場を焼き払う

12月上旬、禰宜卜部(ねぎうらべ)を、抜穂をした、
悠紀田・主基田につかわせて、再び、見守り
「御膳八神(みけはっしん)」を祭ります。
翌日には斎場のさまざまな建物をすべて焼却します。
かくて大嘗祭の諸行事は、全て終了することになります。


◎騎馬民族の匂いが全くしない
 ・・純粋な農耕収穫祭・・・大嘗祭

天武天皇は、大嘗祭を創設するにあたり、
古来の新嘗祭を取り入れながらも、
中国の天文思想の知識を拝借し、
中国皇帝の冬至祭をも参考にしました。

驚くべきことに、中国皇帝の冬至祭には、
北極星(天皇)を祭っていたのです。
よって、冬至祭でもある大嘗祭は、
当然、影響を受けています。
(詳細は後日) 

しかし、天武天皇は、これまで述べてきたように、
古(いにしえ)の日本文化を捨て去ることはしませんでした。
むしろ、頑(かたく)なに残そうとしたのです。
そこが素晴らしいところです。

大嘗祭においては、騎馬民族の臭いはいささかも感じられません。
中国皇帝祭祀(さいし)の時の神饌料(しんせんりょう)として
使われる牛、豚(猪)、羊の肉は、
大嘗祭においては、まったく使用されていないのです。
まさに、お米作りを代表とする、純粋な農耕民族の儀式です。

しかも、外国からの戦利品、貢(みつ)ぎ物、
贈答品などのたぐいのものは、一切飾らない、
実にシンプルで崇高な農耕儀式なのです。

大嘗祭は、天皇(北極星)を証明する祭り、
そして独立国家宣言祭り、でもある事は、前回述べました。
このことに加えて、生物の根源である食の神事により、
皇位継承が行われる事に、感動を覚えずにはいられないのです。


(つづく)


 
次回は、天武天皇が、北極星・北斗八星に施した、
世界最強の呪術「北極星(太陽・太極)北斗八星(八州・八卦)」
について述べます。

日本の聖数は「八・や」であり、
「八・や」は言霊(ことだま)のチャンピオンです。
それを北斗八星に、配したのです。
そればかりではありません、
中国最強の呪術・易経「八卦」をも、北斗八星に配したのです。

この世界最強の呪術が、大嘗祭、伊勢神宮にも施されているのです。
この夜空に輝く呪術を知らずして、大嘗祭は、語れないのです。


   

第1回 天武天皇の大嘗祭創設の動機は天皇号を採用したことにあり


畑アカラ氏 プロフィール

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昭和22年生まれ。静岡県出身。藤枝東高校卒。
明治大学政経学部卒業(蒲生ゼミ・村落社会調査)。
広告制作会社(株・漫画社)に勤務後、フリー。イラスト・ライター。
日本児童出版美術家連盟会員。
「8の世界」と「ハートの世界」の、オンリーワンの探究者。
「一般社団法人8月8日はハートの日協会」理事長。
「8月8日はハートの日」を全世界に広めるため活動中。
世界を一つに繋げることの出来るツール・・
それが「8月8日はハートの日」。
著作・歴史書:『古代天皇家「八」の暗号』(徳間書店)。
『古代天皇家の謎は「北斗八星」で解ける』(徳間書店) 
著作・エッセイ(画・文):『猫ノーテンキ』(草思社)、
『猫っ可愛がりのことわざ草紙』(毎日新聞)、
『きょうも猫日和』(徳間書店)。 
月間絵本・作絵:『ハーリーちゃんとハーティちゃん』
『にじをつくろう』(チャイルド本社)。
かみしばい:『からすのかーすけ』(教育画劇)。等々。
趣味はテニス。素人作曲(楽器は演奏できません)。サッカー観戦。
 


第1回 
天武(てんむ)天皇の大嘗祭創設の動機は、
天皇号を採用したことにあり

令和の大嘗祭は、令和元年11月14日から、
皇居・東御苑にて、斎行されます。
大嘗祭といっても、関心のあるかたは少なくなってしまいました。
この原因は、大嘗祭の元となった祭日・新嘗祭を、
勤労感謝の日に変えてしまった影響によるものと思われます。
勤労感謝の日では、神様への感謝の気持ちが薄れてしまいます。

大嘗祭を短い言葉で言い表せば、
「冬至の日、新天皇が神様と新穀を共食して、
万世一系の天皇継承の資格を得るとともに、
高天原(たかあまはら)の斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を日本国土に稔(みの)らせ、
百姓(おおみたから)が飢(う)えることの無いようにと祈る祭」、
ということになります。

新天皇一代一度の大嘗祭は、簡素な悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)を建て、
その中で前記の神事を、冬至の日の夜と想定して斎行されます。
なぜか、全く同じ神事を、両殿で繰り返します。

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大嘗祭の神事としては、これだけのことなのに、
日本の総合文化を象徴するほどの多くの意味が含まれているのです。
大嘗祭の内容を理解したら、
その意味深さ、素晴らしさに、感動することでしょう。
日本に生まれたことの幸せを感じることでしょう。

・なぜ、大嘗祭について語るのか?

これまでに、多くの素晴らしい本が出版されているのに、
なぜ、私は、あえて大嘗祭について、語ろうとしているのでしょうか?
それは、八の探究家として自分にしか語れない「発見」があるからです。

3点あります。

①大嘗祭を創設しようとした天武(てんむ)天皇の動機―発見
②天武天皇独自の大嘗祭に施(ほどこ)してある世界最強の呪術―発見
③八の切り口による大嘗祭の真実(天照大神と北極星の習合、など)―発見


一回目は、①の動機について述べます。


・なぜ、大嘗祭を創設したのか?その動機を語った人は、
 誰もいない

大嘗祭を創設した動機について、述べた人は今までにいません。
信じられないと思われますが、本当です。実に、不思議なことです。
何事も、犯罪でもそうですが、
動機が分かってこそ初めて真実が明らかになるのです。
 
大嘗祭の場合は、幸い、天武天皇が大嘗祭を創設した、
ということが分かっています。
ならば、天武天皇を徹底的に調べれば、
大嘗祭を創設しようとした、天武天皇の動機が解明するのです。

(大嘗祭創設は天武天皇だと断定して、
 天武天皇を調べた人がいませんでした。
 だから、誰もが動機について語れなかったのだと、
 私は、密かに、そう思っています)

(大嘗祭をなるべく古くからあったと思いたい(天武天皇より前)人は、
 大嘗祭創設の動機とは、全く無縁のこととなります)


・天武天皇を徹底的に調べた結果
  
私は、当時の世相を考え、そして天武天皇の気持ちになりきって、
調べました。
天武天皇は「八好み」の呪術のエキスパートでしたので、
八の探究家の小生とは、波長が合ったのです。
偶然とはいえ、引き合わせに、因縁を感じています。
徹底調査の結果は、次の通りです。


◎天武天皇が大嘗祭を創設した動機は、
「天武天皇が、正式に天皇号を採用したから」です。

他にも、いろいろと理由付けは出来ますが、
この一点につきる、と確信をしています。

・天武天皇が大嘗祭を創設した動機を、
 時系列ごとに、流れに添って記します

ではなぜ、天武天皇は、天皇号を正式採用したことで、
大嘗祭を創設しようとしたのでしょうか? 
動機は?目的は? 流れに沿って、簡単に説明します。
このことによって、大嘗祭創設の動機と目的が、
初めて明らかになったと言っても過言ではありません。


①天武天皇は、新嘗祭(にいなめさい)を参考に大嘗祭を創設し、
 そして今まであった伊勢神宮をリニューアルしました。
 その動機とは?

②その動機は、天武天皇が、天皇号を正式採用したことにあります。

③天皇とは、古代中国の天の思想から拝借した言葉で、
 天皇大帝(てんこうたいてい)のことで、北極星を意味します。

 つまり、「天皇=北極星」です。

④では、なぜ、天武天皇は、「天皇=北極星」の意味を持つ
 天皇号を正式に採用したのでしょうか?

⑤それは、独立国家としての日本を築きたかった、からです。

⑥天皇号を正式に採用したことは、
 中国皇帝属国拒否を表明したことになります。

⑦つまり、天武天皇は、正式に天皇号を採用し、
 独立国家宣言をしたのです。
(大王号を名乗っている限りは、中国皇帝の属国です)

⑧天皇号を正式採用し、独立国家宣言をしたからには、
「天皇=北極星」であることを、何処(どこ)かで証明する必要があります。

⑨そこで、天武天皇は、「天皇=北極星」を証明する場所を考えました。

⑩結果、「天皇=北極星」を証明する場所として、
 新嘗祭(にいなめさい)を参考にして大嘗祭を創設したのです。

そして、もう一箇所、証明する場所を作りました。
伊勢神宮です。
それまでの伊勢神宮をリニューアルし、
そこを、「天皇=北極星」を証明する場所としたのです。

⑪なぜ、大嘗祭と伊勢神宮の二箇所にしたのでしょうか?
 それには、納得出来る、驚くべき理由があるのです。

⑫大嘗祭は、祭です。日本一の祭です。
(最盛期には、五千人のパレードあった)
 伊勢神宮は、神社です。日本一の神社です。

つまり、天武天皇は、日本一の祭「大嘗祭」を、
「天皇=北極星」を証明する場所としたのです。

そして、日本一の神社「伊勢神宮」を、
「天皇=北極星」を証明する場所としたのです。

⑬「天皇=北極星」を証明する場所は、分かりました。

では、どのようにして、「天皇=北極星」であることを、
証明したのでしょうか?

⑭天武天皇は、「天皇=北極星」を証明するにあたり、
難問をかかえました。

難問とは、次ぎのことです。

天皇は、天皇を称する前は、大王(すめらみこと・おおきみ)を名乗っていました。

古(いにしえ)より、「大和朝廷の大王とは、天照大神(太陽)の子孫であり、
日(ひ)の御子(みこ)である」ということでした。

太陽の子孫(大王)が、北極星(天皇)となると、矛盾します。 

太陽と北極星では、相容(あいい)れないのです。

⑮そこで、天武天皇は、
 天照大神(太陽)と北極星の習合(しゅうごう)を考えました。

「天照大神=北極星」としたのです。
つまり、天照大神は、北極星でもある、としたのです。

⑯ではどのように、天照大神と北極星を習合させたのでしょうか?

伊勢神宮においては、天照大神を祀(まつ)っている内宮に
荒祭宮(あら  まつりのみや・北極星)を建て、習合させました。

ここにおいて、内宮は、天照大神(太陽)でもあり、北極星でもある、
という証明の場となったのです。

※内宮の心御柱(しんのみはしら)も、北極星と繋がっていて、
「天照大神=北極星」を証明していると思っています。

大嘗祭の場合は、八重畳(やえだたみ・神座・寝座)において、
天照大神(太陽)と北極星を、ご休寝させることによって、習合させました。
(小生の大発見だと思っています。後日詳しく述べます。ご期待ください。)


⑰しかし、天照大神の子孫(太陽の子孫)である大王は、
天照大神を最高神としています。
北極星との立場は?
天照大神(太陽)と北極星の、上下関係は、どうなっているのでしょうか?

⑱天照大神(太陽)を親。太陽の子孫を北極星、としたのです。


福永光司氏は、<太陽は星の祖先、つまり北極星の祖先と見なしている> 
と述べています。
(『タオイズムの風』人文書院)

天照大神(太陽)と北極星は、習合して、一つになりましたが、
天照大神(太陽)は、北極星の祖先(親)、という、
厳然とした序列を作ったのです。


⑲かくして、皇室最高神・天照大神(太陽)と北極星が習合することで、
「北極星=天皇」の存在を、大嘗祭と伊勢神宮において、
証明することが出来たのです。


天照大神(太陽)が、最高神であり、
その子孫が「日の御子=北極星=天皇」ということに、なったのです。

このことを証明する場所が、大嘗祭であり、
伊勢神宮(リニューアル)なのです。


つまり、天皇は、天照大神(太陽)の子孫・「日の御子」であり、
そして「北極星」でもある、としたのです。


⑳天武天皇は、天皇が天照大神(太陽)の子孫・天皇(日の御子・北極星)
 であることを証明する場として、伊勢神宮をリニューアルし、
 新嘗祭を整理し大嘗祭を創設したのです。

ですから、大嘗祭創設と、伊勢神宮リニューアルは、セットなのです。


㉑天皇は、天照大神(太陽)の子孫・日の御子であり、
 そして北極星でもある、ということを継承・確認するのが、
 天皇親祭の大嘗祭である、とも言えるのです。

※親祭(しんさい)とは、天皇がみずから神を祭ること。

①から㉑までの経緯を知らずして、つまり、天武天皇の動機を知らずして、
大嘗祭は語れないと思います。

この道筋を理解しないと、大嘗探究はあらぬ方向に行ってしまい、
真実からは、どんどん遠ざかっていきます。

以上が、天武天皇が大嘗祭を創設した動機です。

・天武天皇は、永遠の天皇の証明のため、
 世界最強の呪術を作った。

さらに、続きがあるのです。

天武天皇は、完璧なる「天皇=北極星」を目指しました。
北極星は、北極星を輔弼(ほひつ・助ける)する北斗星を必要とします。
それが、道教的な哲理なのです。

天武天皇は、道教哲理を採用し、北斗星を確保したのです。
それが、伊勢神宮の外宮です。
内宮を北極星とし、外宮を北斗星としたのです。
しかも、天武天皇は、北斗星を北七星ではなく、「北斗八星」としたのです。
ここが、最大のポイントです。


なぜ、天武天皇は、外宮を北斗八星としたのか?
それは、北斗八星に、日本の聖なる数「八・や」と、
中国最強の呪術・易経(八卦・はっか)を配したかったのです。


これ以上は、紙面の関係で述べられませんが、
とにもかくにも、北極星ばかりではなく、北斗八星も登場させ、
完全なる「天皇=北極星」の姿を、大嘗祭と伊勢神宮に描いたのです。

夜空に輝く、北極星と北斗八星に、
八束穂(やつかほ)が百姓(おおみたから)に届くようにと
祈っている祭祀王の天皇の姿、
大八州瑞穂(おおやしまみずほ)の国柄、
大嘗祭の本義、
伊勢神宮の本義、等々を描いているのです。

これらの事例は、後日、詳細に解説いたします。


・今日において、大嘗祭は、真実の半分しか語られていません

あえて言います。
問題発言と思われても仕方ありませんが、
これまで大嘗祭について書かれた本は、真実の半分しか語られていないのです。
スコーンと、見事に半分が抜けているのです。

例えて言いますと、コインには、裏表があります。
今までは、大嘗祭の表面しか語られてこなかったのです。
何と、裏面の真実が語られていなかったのです!!


大嘗祭の裏面の真実はというと、既に述べてきましたが、
天照大神と北極星の習合(しゅうごう)です。
さらに詳しく言いますと、
北極星(天皇)と北斗八星の呪術です。
それに、冬至祭としての呪術も入ります。


これまでの学者は、天照大神(太陽)と諸神については語りましたが、
北極星について、本格的に語った人は、
故・吉野裕子氏を除いて、いないのです。

吉野裕子氏がお亡くなりになった今は、
小生しか、天照大神と北極星の習合を語ることの出来る者はいないのです。

ましてや、吉野裕子氏も述べなかった、
天武天皇独自の世界最強の呪術「北極星(太陽・太極)と、
北斗八星(八州・やしま・八卦・はっか)」について述べる人は、
小生しかいないのです。


※吉野裕子(ひろこ)氏(1916年-2008年)は、
 在野の民俗学者で、博士号も取得しています。
 著書多数。50歳からの独学。陰陽五行の独自の視点で、
 大嘗祭・伊勢神宮に存在する呪術に対して、解読を試みました。
 素晴らしい発想だと思いました。


私は、もし、吉野氏の本を読まなかったら、
古代天皇家「八」の暗号 今もこの国を護り続ける言霊/宇宙規模の呪術的グランドデザイン』(徳間書店)
古代天皇家の謎は「北斗八星」で解ける: 高松塚・キトラ古墳の壁画に秘められた古代史の真実』(徳間書店)の
出版はなかったと言えます。

ただ、吉野氏は、数字「八」については、あまり関心がありませんでした。
不思議なことです。
私のために、残しておいてくれた、と感じるほどです。


私の、解読方法は、吉野氏の発想に、北斗八星の呪術を加えた、
独自のものといえます。
それは、天武天皇の世界最強の呪術そのものと言えます。


(つづく)


 
次回は、「柏の葉の食器に代表される、古式に則(のっと)った、
国民参加の皇位継承大嘗祭・その概略と日程」について述べます。

大嘗祭は、皇位継承の儀礼ですが、
古(いにしえ)の衣食住の文化を大切し、
日本文化を守ろうとしています。

また、大嘗祭は新嘗祭(にいなめさい)と違って、
国民参加の奉仕とお国自慢、という意味があります。
柏の葉の利用が、大変、印象的です。
食器には、柏の葉を用いており、
また、節会(せちえ)のフィナーレには、皆が、柏の葉でお酒を飲み、
その飲み干した柏の葉を頭に飾り、舞い踊ります。
何と、ロマン溢(あふ)れる大嘗祭であることか。


   

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