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最初に自分のレポートの間違いから
指摘させていただきます。
先々週の当欄で、
「守破離」と「離見の見」という言葉が
世阿弥の「風姿花伝」で書かれているものだと
書かせていただいたのですが、
どちらも間違っていました。
「守破離」は千利休が言った
という話もあるようですが、
実は出典がよくわかっていないもののようです。
「離見の見」は世阿弥が「風姿花伝」の後で書いた
「花鏡」の中で書いているもので、
こちらの方はまあ近いとは言え、
間違いは間違いなので
謹んで訂正させていただきたいと思います。
間違いに気が付いたきっかけは、
林望著
「すらすら読める風姿花伝」
(講談社+α文庫)
を読んだことです。
「風姿花伝」の原文を紹介して
現代語訳と解説を書いている面白い本ですが、
先々週の原稿を書く前に読もうと思って
買ってあったのですが、
時間がなくて
読まずに原稿を書いてしまいました。
遅ればせながら読んだのですが、
Kan.さんがワークプログラムで使った
「秘すれば花」はもちろん出てきたのですが、
私が間違えた二つの言葉は
最後まで読んでも出てきません。
心配になってネットで検索したのが
上記の結果になります。
まさに思い込みをしっかりと確かめることなく
原稿にしてしまった私のミスですが、
「守破離」と似たような言葉として
「風姿花伝」に出てくるのが、
「序破急」という言葉です。
やっぱり昔から買ってあって読んでいなかった
土屋 惠一郎著
『NHK「100分de名著」ブックス 世阿弥 風姿花伝』
(NHK出版
)に以下のような記述があります。
せめて、この本を読んでいれば
間違えなかったかもしれないと悔やんでいますが、
まあ、このようにネタにできているので
大変厚かましくはありますが、
よかったとさせていただきたいと思います。
(引用開始)
続いて紹介したいのは
「序破急」という言葉です。
「序破急」は、
もともと雅楽にあった
音楽や舞などの
形式上の三区分を表す言葉です。
世阿弥がオリジナルで
つくったものではありません。
しかし、世阿弥がこの言葉を
単なる音楽上の意味ではなく、
意味をひろげて大事な言葉として使ったことで、
世阿弥の言葉として理解されているかもしれません。
「序」は「はじめに」という意味です。
能の「序の舞」は、
冒頭部分に笛と足踏み(「序」)を含ん だ
舞を指します。
その後、音楽が少し高まる「破」があり、
さらに盛り上がっていく「急」がある。
舞の中に、序破急という
三段階の流れがあるのです。
世阿弥は、すべてのことには序破急があり、
能でも舞に限らず、
物語のプロットや、
一日の公演プログラムも
序破急に則って構成するとよいと言っています。
(引用終了)
私だけではなく、
「守破離」という言葉は
世阿弥が言った言葉だと思い込んでいる人が
どうもたくさんいるようです。
それだけ、世阿弥が残した考え方が
現代にも通用する奥の深いものだということだと思います。
ちなみに、この「100分de名著シリーズ」という
Eテレの番組を本にしたものは、
とても参考になるものが多くあります。
普段は私が知見を持っていない分野の原稿を書く時は
よく参考にさせていただいています。
テレビ番組は、たまにしか拝見したことがないのですが、
私はテキスト派なので
本で読む方が得意ですが
動画派の方は
NHKのオンデマンドも観られるようなので、
ご興味がある著者のことを知る
一助にしていただければと思います。
NHKの受信料を払わされることに対して
一家言持っていらっしゃる方は
たくさんいらっしゃると思いますし、
確かに中途半端なあり方だとは思いますが、
やっぱり単純に収益を目的とする民放では
なかなかこういう番組を作るのは難しいと思いますので、
私は基本的には
喜んで受信料を納めています。
デジタルの時代がここまで進んだことで
新聞やテレビの存続が危ういという
話を聞くようになりました。
もしかしたら、
こういう質の高いコンテンツを作っていくところに
解決方法があるのかもしれません。
『NHK「100分de名著」ブックス
世阿弥 風姿花伝』の
著者の土屋先生のご意見ですが、
世阿弥の父親の名人であった観阿弥が
室町幕府の三代将軍足利義満の前で、
それまでは長老が舞うものと決まっていた
「翁」という演目を
自分で舞って将軍の庇護を得ることに成功しました。
猿楽と呼ばれていた能の原形は、
それまでは寺社仏閣で定期的に演じられるもので、
いわば寺社仏閣から雇用されているような
猿楽の踊り手が人気商売になりました。
それ自体はマーケットが格段に広がったので
いいことなのですが、
安定はなくなり
実力によって地位を得ていく
競争にさらされることになったという
背景があるという解説がなされています。
世阿弥が「風姿花伝」を残したのは、
競争社会に突入した能楽の世界で
子孫が生き残っていくための
秘伝の書としての役割を担わせるためだった
という解説には
納得させられるものがあります。
20年ぐらい前から
競争社会に突入した現代社会において、
能の奥義とも言える
世阿弥の著書の人気が高い背景には
こういう事情があるのかもしれません。
競争社会から、また一歩進んだ
共生社会を目指している私たちにとっては、
その後の能楽の発展を学んでいくと
とても参考になるのかもしれません。
世阿弥の時代から600年経っても
存続している能楽から
学べることは多いような気がしています。