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疲れました!


 梅雨が早く開けて、
暑い夏が始まったと思ったら
またぐずついた天気が続いています。
多分、天気予報を見ていると
梅雨前線のようなものが停滞しているので、
何らかのきっかけで
梅雨が戻ってきたというのが
本当のところのような気がします。

西日本などで心配されていた
秋以降の水不足は
心配がなくなったわけではありませんが、
四国の水がめと言われている
早明浦ダムの貯水量は
7月2日には31.0%だったものが、
7月19日には60.5%に回復しています。

今年は台風なども
たくさん上陸するような予感がするので、
自然災害には
気を付けなければいけませんが、
水が足りないという事態は
何とか免れるのかなと期待しています。


 暑さと大雨の繰り返しで
ちょっと疲れがたまっています。
お決まりの飲みすぎに
出張による不規則な生活が続き、
ちょっと本気で
休みが欲しいと思っています。

3連休の最終日は
原稿を書く必要はありましたが、
家から出なくてもよかったので
久しぶりにゆっくりさせていただきました。
ちょっと寝坊をして、
昼寝もして、夜も早く眠りました。

前日は、
ちょっと長い出張から帰ってきたのですが、
あまりにも疲れていて
いびきが酷かったようで、
数部屋離れたリビングで
ゴルフの全英オープンの
衛星中継を見ていた子どもにも
よく聞こえたようです。


 私の場合、
いびきの大きさと疲れは
比例しているようで、
しっかり休んだ日の次の朝、
かなり疲れが抜けてきてからは、
明確な夢を見ながら
同時に自分のいびきを聞いている
半覚醒のような状態になっていました。

不思議なのですが、
これも健康にとっては
あまりいい状態ではないのかもしれませんが、
とても気持ちがいい体験でした。

夢の内容はシュールなのですが、
勝手な解釈は
自分の中にため込んでいたシュールさが
どんどん解消されていくような気分です。


 疲れの原因は、
広島県呉市で
いろいろ戦争のことを
考えたことだったのかもしれません。

呉市内から音戸大橋を渡って行く倉橋島に
大浦崎公園という場所があります。
音戸大橋がかけられている
音戸の瀬戸(海峡)は
平清盛が開削させたという
伝説があり有名ですが、
その近くにいまは
キャンプ場や海水浴場になっている公園が
日本海軍の秘密兵器の製造と
訓練基地であったということを
知る人は少なくなっているのではないでしょうか。

ここは1942(昭和17)年に
P基地と呼ばれる秘密基地が作られた場所で、
いまでもいくつかの痕跡が残っています。


 昭和初期から
海軍は秘密裡に
(超小型の)特殊潜航艇の開発を
進めていたようです。
きっかけ1922(大正10)年に署名され、
1923(大正11)年に発効した
ワシントン軍縮条約や
それを拡大した
1930(昭和5)年の
ロンドン海軍軍縮条約で、
海軍の仮想敵国であった
アメリカに比して
戦力の増強を
かなり制限されたことだったようです。

潜水艦よりもかなり小さな魚雷を
2発だけ撃てる潜航艇で、
戦争が始まったときには
相手の船を沈めることを
期待されて作られたようです。

実際に、戦果は不明ですが
真珠湾攻撃にも使用されましたし、
フィリピン戦でも
かなりの数が投入されたのではないかという
記録も残っているようです。


 沖縄線などでは、
改良や訓練がなされた
新型が投入され
守備の面で
それなりの戦果をおさめたようで、
きたるべき本土決戦の
海軍の主力兵器として
開発整備が進められていったようです。

ここから人間魚雷兵器(特攻兵器)
回天が作られていく
発想の元になったことでも
知られているのですが、
特に人命の損傷は多く
欧米諸国では
とても使われる代物ではなかったことから
戦後もほとんど
話題に上ることはありませんでした。

終戦の年である1945(昭和20)年5月には
蛟龍(こうりゅう:龍の幼生:
水中に潜み雲雨に会えば、
それに乗じて天に昇って
龍になるとされるという意)
という
2人乗りから5人乗りに
改良された潜航艇が
実戦配備され始めました。


 呉のP基地から
沖縄本島の基地まで
自力で航海したという記録も残っていて、
もし本土決戦になっていれば、
アメリカ軍の上陸部隊を叩く
主力兵器として活躍した
可能性があるものでした。

しかし、実態は
乗員が横になって
休む部屋もなかったという
かなり劣悪な環境で、
なんとしても日本を守るために
必死になって兵器開発をしていた
当時の軍上層部の気概が
はっきりと感じられるように思いました。

そして、そんな非常識な兵器で
本当に敵に立ち向かえるのかと
後世の人は笑うかもしれませんが、
では一体どうしたら
本土を守れたのか考えてみろ
という叫びが
聞こえてきたように感じます。


 その直後、
神風特攻隊の生き残りの方から
直接話を聞かれたという方の講演で、
(生き残りの人が)
簡単に平和を語って欲しくない
という話をされていたことを
聞かせていただきました。

必死に国を守るという思いの
先人の犠牲があったからこそ、
保たれている平和であることを
もう一度
かみしめていかなければいけないと
痛感しています。




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