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僕が地球にやっ て来たワケ 第39回

最近思うこと


ある方に、
「舩井さんの一番の師匠はどなたですか?」
と聞かれました。
私の場合は、父が師匠なのですが、
もう一人大きな影響を受けたのは
故・竹田和平さんです。

和平さんは父と同い年生まれでしたが、
2016年に享年83歳で逝去されました。
特に晩年の数年間に大きな教えを頂き、
お金に関することで
私が書いたり話したりさせていただいていることの
かなりの部分は和平さんに教えていただいたことです。

小川雅弘さんと3人の共著
『智徳主義【まろUP!】で《日本経済の底上げ》は可能』
(ヒカルランド)が、
和平さんが逝去される1年前、
2015年に出たことも思い出深く感じます。
和平さんの金銭哲学に関しては、
この本を1冊作る間にも私自身が肚に落として、
学びを深めようと努力しました。

和平さんはタマゴボーロで有名な
竹田製菓という会社の創業者ですが、
個人投資家として大きな財産を築き上げて
「日本のバフェット(アメリカの著名な投資家)」
と呼ばれていました。
和平さんのお父様も菓子職人でしたが、
田舎から出てきて裸一貫で高利貸しからお金を借り、
親戚一同力を合わせて死に物狂いで働いて、
戦前に事業は成功し裕福な一族となられたそうです。

もともとの故郷は福井県の山の中の寒村だったそうですが、
そこでお祖父様は地域の発展に尽くした名士だったそうですが、
和平さんはおばあちゃんっ子。
おばあさんは字が読めなかったのですが
熱心な浄土真宗の信徒でした。
おばあさんが、お寺に通って学んだ
浄土真宗の教えを忘れないように
幼少時代の孫である和平さんに繰り返し語っていたようです。
小さい和平さんにその信仰心は深く沁みこみました。
北陸地方の浄土真宗の門徒は熱心な方が多いと
聞いたことがあります。
舩井家も実は浄土真宗なのですが、
私の生まれ育った大阪では
それほど信仰心が篤い人は少ないので
この話を聞いたときはピンときませんでしたが、
この篤い信仰心が和平さんの商いの精神の元となっているので、
このお話をもう少しさせてください。

和平さんの疎開体験

和平さんは、終戦を
小学6年生のときに1年間疎開して
大好きなおばあちゃんのいる福井の寒村で迎えました。
決して裕福ではありませんが、
村の人から尊敬されていた祖父の孫ということで、
村の人から大事にされた疎開生活は
楽しい思い出だったと伺いました。

1年間、福井のその集落で暮らして、
和平少年の最も心に残ったことは、
村でお金を使っている人を見たことがなかったことでした。
それだけ貧しい村であったということですが、
和平少年には神仏感謝の精神が村人に根付いている
理想的な楽園のように感じられたようです。

お金を使わないというか使えない村人たちは
いつも3つの言葉を話していたそうです。
ありがたいのう、おかげさまでのう、
そしてもったいないのうです。
1番目の「ありがたい」は
神仏に対する感謝の言葉。
2番目は「おかげさま」は
村人の相互の感謝の言葉。
そして、3番目の「もったいない」は
物に対する感謝の言葉です。

この村での経験で和平少年はすでに
「お金は実は幻想である」
ということが確信できたのです。
小学6年生の少年の心に刻み込まれたこの精神が、
株式の投資家としてバブルもバブルの崩壊も、
リーマンショックのときも
無傷で乗り切られた和平さんの
確固とした軸になっていたのです。

偉人の金メダル

和平さんの生前の口癖は、
「間違ったこと、やったらダメなことをしたらお腹痛くなる」
ということでした。
和平さんは胃腸が弱かったのですが、
それをポジティブにとらえて、
行動の指針として
「お腹が痛くなることはしない、
もしくは、ただちにやめる」
ことを実践していました。
株式の取引を誰よりも熱心にしましたが
実質的に借金をすることと同じ
信用取引は絶対にやりませんでした。
商売の面では、
菓子の業界では手形取引が当たり前だったのですが、
和平さんはお腹が痛くなるので
徐々に手形は切らないし受け取らないようにしていったそうです。

和平さんの遺した事業に
「日本の百尊の偉人」を刻んだ
金メダルの製造販売があります。
今は小川さんが受け継いで
「百尊家宝」と呼んで販売してらっしゃいますが、
これを和平さんが販売し始めたときは賛否両論でした。
偉人を刻んだ金メダルの価格は、
投資として普通に金を買うときの
倍程度の値段になるからです。

最初に金に投資をしようと思いついたのは、
普通に投資家として儲かるからでした。
当時の金の価格はとても安く、
超一流の投資家の感覚として、
いま金を買えば絶対に儲かると思われたそうです。
でも、投資の一環として金を買うと
お腹が痛くなられたそうです。
株式投資は会社の資金調達の応援になるし、
ある意味経営者にとって一番しんどい
資金調達の応援をするのですから
社会的に大きな意義があります。
しかし、和平さんはただ値上がりを待つために金を買うのは
社会の役に立たないので、エゴだと感じました。
誰の役にも立たないで自分のことだけを考える
エゴの行為から脱却を図っていた
和平さんの方針に反する行為なので、
お腹が痛くなるというセンサーが働いたのです。

値段は市場価格の倍近くになるかもしれませんが
偉人の金メダルは、家宝として
子孫に受け継いでいくことができます。
日本の偉人が刻まれた金メダルが家宝になっていれば、
ただの資産を残すだけではなく、
日本人として大事なマインドを受け継いでもらえます。
和平さんの思いと願いがそこに込められているのです。

小川さんはその精神を理解して、
金を買うときは
目先の価格の上下変動に右往左往するのではなく、
家宝を残すつもりで買えば
神仏からの応援をもらえるよということを伝えたので、
和平さんでもあまり売れなかった
金メダルの販売に成功したというわけです。

お金は幻

和平さんは50歳のときに生き方が変わったそうです。
旅行先の香川県で、
エゴを捨てる生き方をすると神仏からの応援がある
という啓示を受けました。
それが、幼少のときにおばあさんから頂いていた
浄土真宗の教えとぴったり合うことから
生き方を根本的に変えて、
それまではビジネスや株式投資の世界で
ギラギラ生きてきたのですが、
エゴではなく「まろ(真心)UP」することに
重きを置くやり方に変わったそうです。
そうすると、周りに集まってくる人たちの質が根本から変わり、
ますます幸せで充実した人生を送れるようになりました。

ここからが和平さんの真骨頂なのですが、
たとえ相手が神仏であっても借り勘定は残しません。
お礼として4キロの純金の恵比寿像を作って
金比羅様に奉納しました。

私も、和平さんの役に立つために
一生懸命に働かせてもらったことがあります。
多くの教えを頂いたし、
いまに至るまでネタとして使えることを
伝授してくださったのだから
当然だと思っていました。

でも、和平さんはきっちりと
それ以上のお返しをしてくださいました。
まさに、やられたという
心地いい気分になったことをよく思い出します。
確かに、もともとの原理原則を考えると、お金は幻です。
物々交換の後の貨幣は、貝でした。
その後、金を媒体にするようになった時代に、
金細工師は預かり書を発行することで、
実物の金に換えました。
金はそのままやりとりしたら重いからです。
この預かり証が紙幣の始まりです。

そして、現代では金細工が眠っているのは、銀行です。
金を下ろしに来ないので
100の在庫でも1万作るということができるというわけです。
ちょうど50年前にニクソンショックが起こって、
いまはお金のバックアップをしているのは金ですらない、
まさに幻想になっているのですが、
それを実感として知っておくことは
とても大切なことになります。

お金の歴史の話は、
改めてまたどこかに書かせていただきます。
それがわかるとお金の未来も見えてくるようになるので、
楽しみにしておいてください。




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