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第9回「キトラ古墳の被葬者・阿倍御主人(みうし)の心意気」

第9回
「キトラ古墳の被葬者・阿倍御主人(みうし)の心意気」

1 キトラ古墳・被葬者は皇子(みこ)ではない、その理由
2 阿倍御主人(みうし)の心意気――その動機と言祝(ことほ)ぎ
3 最後のお勤め――臣下最高位・阿倍御主人(みうし)の心意気と美学

キトラ古墳の被葬者は、阿倍御主人(あべのみうし)であろうと、あえて言い切ります。
私のキトラ古墳被葬者の検証方法は、高松塚古墳の本義が既に分かっていましたから、
その本義(被葬者は、お仕えした天皇を北極星として、永遠に守護すること)をキトラ
古墳にも当てはめることです。
すると、キトラ古墳の全ての謎が、即座に解明されます。

1 キトラ古墳・被葬者は皇子(みこ)ではない、その理由

2017年5月12日、NHKテレビ放送の歴史秘話ヒストリア『飛鳥美人 謎の暗号を解け~
高松塚壁画のヒミツ~』が、放映されました。

そこでは、結論として、猪熊兼勝先生は、高松塚古墳の被葬者は忍壁皇子(おさかべの
みこ)、キトラ古墳の被葬者は高市皇子(たけちのみこ)とされていました。
この説に直木孝次郎先生や王仲珠(中国社会科学院考古研究所研究員)先生も賛成されて
います。

猪熊先生、直木先生、王先生の説は、高松塚古墳もキトラ古墳も、皇子説です。

私は、皇子説は、成り立たないと、思います。
その理由を、これから述べることとします。

(1)天皇を永遠に守護していくという立場の人は、臣下最高位の人がふさわしい

キトラ古墳の場合も、被葬者自らが十二支獣頭人身像(じゅうにしじゅうとうじんしん
ぞう)となり、死後も、天井の天文図に描かれている、天皇(北極星)を永遠に崇敬守護
していこうとする人物ですから、高松塚古墳同様、臣下最高位の官僚が、最もふさわしい
と思われます。

高松塚古墳は、中尾山古墳(文武天皇陵推定)の陪塚(ばいちょう)です。
被葬者は、臣下最高位の官僚・石上麻呂(いそのかみのまろ)。

よって、キトラ古墳の場合も同様に、死後も天皇を崇敬守護していこうとした高級官僚の
墓である、と考えるのがスジであろう、と思われます。

キトラ古墳も陪塚的な性格を持っています。
阿倍御主人(あべのみうし)が、本貫地(ほんがんち・奈良県桜井市阿部?)への埋葬を
拒否したことも、そのためなのです。

(2) 何故、キトラ古墳は、天武天皇の陵園と思われるこの区域に、葬られたのか?
・・・それは、唐の陵園制度に倣(なら)ったからです

高松塚古墳も、キトラ古墳も、唐の陵園制度に倣(なら)ったもの思われます。
それまでは、豪族の長・氏上(うじのかみ)は、本貫地に葬られるのが、普通でした。

しかし、唐の陵園制度によると、臣下も、お仕えした皇帝の墓の周辺に埋葬されたのです。
勿論、その中には、壁画古墳もあったのです。

高松塚古墳も、キトラ古墳も、唐の陵園制度の影響を受け、天武天皇の陵園と思われる
この地域に、古墳に壁画を描いているという制度も真似て、そして、永遠に、天皇崇敬
守護していくという、陪塚的な気持ちがあったればこそ、この地域に葬られたのです。

※白石太一郎先生は、考古学的な見地から、高松塚古墳とキトラ古墳の被葬者を推定して
います。
高松塚古墳の被葬者は、石上麻呂(いそのかみのまろ)、キトラ古墳の被葬者は、阿倍御
主人(あべのみうし)と推定しています。
白石先生は、類い希なる分析力・想像力の持ち主であり、考古学の資料のみで、ここまで
本質を突いた慧眼の素晴らしさは、ただ、ただ、感服するほかありません。

私の場合は、高松塚古墳が解明されていたからこそ、キトラ古墳の被葬者を、特定できた
のです。
解明された高松塚古墳の本義を、キトラ古墳に当てはめれば、済むことなのです。

高松塚古墳の本義をキトラ古墳に当てはめるならば、被葬者は、次のように、推定できます。

① キトラ古墳の被葬者は、天皇を北極星として言祝ぐ気持ちを持った、当時の臣下
  最高位の豪族

② キトラ古墳の被葬者は、十二支獣頭人身像になり、天皇(北極星)を永遠に言祝
  (ことほ)ぎ守護するにふさわしい、臣下・豪族

キトラ古墳の被葬者条件を考えるならば、これ以外の条件は、あり得ないわけです。

では、当時の臣下をピックアップしてみましょう。

(3)キトラ古墳の被葬者は、高級官僚・・・その候補者名

高松塚古墳同様、キトラ古墳被葬者は、皇子でも、百済王でも、高句麗系の渡来人でもない、
と思われます。
臣下である高級官僚がふさわしいのです。

当時の大臣クラスの中から、被葬者を捜せばよいことになります。
当時の大臣クラスとなると、次の通りです。

 701年、大納言(だいなごん)・大伴御行[おおとものみゆき・贈・正広弐右大臣、
 薨去(こうきょ)]
 701年、左大臣・多治比島[(たじひのしま)・正二位、薨去]
 703年、右大臣・阿倍御主人[(あべのみうし)・従(じゅ)二位、薨去]
 705年、大納言・紀麻呂[(きのまろ)・正三位、薨去]
 717年、左大臣・石上麻呂[(いそのかみのまろ)・贈従(じゅ)一位、薨去]
 720年、右大臣・藤原不比等[(ふじわらのふひと)・贈太政大臣正一位、薨去]

717年薨去(こうきょ)した石上麻呂(いそのかみのまろ)は、高松塚古墳の被葬者
として除かれますから、大伴御行(おおとものみゆき)、多治比島(たじひのしま)、
阿倍御主人(あべのみうし)、紀麻呂(きのまろ)の四人が、候補者となります。

※延喜式(えんぎしき)によれば、藤原不比等(ふじわらのふひと)の墓は多武峯(とう
のみね)墓とあり、大和国十市(やまとのくにといち)郡に所在している、とされています。

この中で、①②に最も当てはまる人物は、

多治比島(たじひのしま)は、臣下最高位といっても、宣化天皇の直系子孫の貴族であり、
豪族では無い。
よって、天皇を北極星として言祝(ことほ)ぐには、臣下最高位の豪族よりは当てはまり
にくい。
また、大伴御行(おおとものみゆき)と紀麻呂(きのまろ)は、大納言であり、臣下最高位
ではない。

よって、この中では、臣下最高位の豪族であった。
阿倍御主人(みうし)が、最も、ふさわしいのです。

(4)キトラ古墳は、阿部山の中に含まれており、阿倍御主人(みうし)が、最有力となる

キトラ古墳は、「阿部(あべ)山」の中に含まれます。
被葬者候補者四人の中には、既に、最もふさわしい候補、阿倍御主人(みうし)がいます。
ならば、阿部山と阿倍御主人(みうし)との関係が、思い浮かびます。

よって、キトラ古墳の被葬者は、阿倍御主人(みうし)と推定できるのです。

地名・阿部山の事実は、かなり重大であり、この事実を無視できるほどの勇気を、私は
持てないほどです。

(5)高松塚古墳の蓋(きぬがさ)の色は深緑・・・皇子ではない証拠

律令制度では、蓋(きぬがさ)の色・深緑は、第一位の位の人が掲げることになっています。
しかし、NHKテレビ放送の歴史秘話ヒストリアで、猪熊先生は、忍壁皇子(おさかべの
みこ)が当てはまる、と述べて、目が点になりました。
このテレビ番組では、皇子は紫の色と記してある、資料を見せているのにかかわらず、です。
勿論、皇子も一位の位であるからでしょうが、これでいいのかなぁ、と部屋にため息が
いっぱいになりました。

私は、蓋(きぬがさ)の深緑の色は、臣下第一位の人物であることを証拠づけているものと、
理解しています(白石太一郎先生も、そのように述べています)。
つまり、高松塚古墳の被葬者は、皇子ではない、ということです。

(6)キトラ古墳の位置は、微妙な位置にある・・・陪塚的な古墳である

キトラ古墳の位置を、地図で表してみましょう。
キトラ古墳は、距離は天武・持統陵から離れていますが、いわゆる、聖なるラインに、
近いところに位置しています。

※京都大学名誉教授であった故・岸俊男氏(1920年~1987年)は、藤原宮の中軸線の南延長
線上に天武・持統天皇陵がぴったり収まると主張。
この説を受け、藤原宮と天武・持統天皇陵を結ぶ線は「聖なるライン」と呼ばれてきた。

持統天皇は、703年1月13日〈大宝2年12月22日〉崩御されました。
そして、その約4ヶ月後、阿倍御主人(あべのうし)は、西暦703年5月20日、薨去され
ました。
持統天皇は、殯(もがり)は約1年間行われましたが、火葬後は天武天皇陵に合葬され
ました。

阿倍御主人(みうし)は、持統天皇の殯(もがり)の期間に無くなっています。
はたして、阿倍御主人(みうし)は、持統天皇の陵は、どこにするのか、分かっていたの
でしょうか?
結局、持統天皇は、天武天皇陵の中に葬られましたが、天武天皇の横に造る予定もあった
という説もあります。
いずれにしろ、天武天皇の陵と同じ位置ということは、知っていたと思います。

阿倍御主人(みうし)がお仕えした天皇は、天武天皇、草壁皇子[(死後に岡宮御宇天皇
(おかのみやにあめのしたしらししすめらみこと)と追尊]、持統天皇、文武天皇、です。

天武天皇・持統天皇と草壁皇太子の陵は、ほぼ、確定していると思ってもかまいません。

ならば、キトラ古墳の天井の天文図に描かれた、北極星(天皇)は、天武天皇・持統天皇
と草壁皇太子(天皇号追尊)であろうと、想像できます。

では、陵園といわれる範囲内でのキトラ古墳の位置を見てみましょう。

hata_blog_20210419-350x251-kitoraichi.jpg

この地図でキトラ古墳の位置を見てみますと、「天武・持統陵」と「草壁皇子(くさかべの
みこ・天皇号追尊)の陵(束明神古墳・つかみょうじんこふん)」とは離れていますが、
中間に位置していることが分かります。

私は、牽強付会と思われますが、この中間的な位置が、何故か、天武持統陵と草壁皇子
陵に対する、陪塚(ばいちょう)的な表現である、思うわけです。

高松塚古墳は、既に、何度も述べていますが、中尾山古墳(文武天皇推定)の陪塚です。
私は、天武天皇から元明天皇までの当時の臣下が、ここの陵園に葬られることは、陪塚的な
気持ちがあるからこそ、許可されたと思っています。

(7)天皇陵に、壁画を描く伝統はありません。よって、皇子の墓は、その伝統に従ったと
思われます

まだ一例でだけですが、マルコ山古墳は六角形です。
八角形ではなく、角が少ないことで、皇子の古墳であることを窺わせています。むろん、
壁画は描かれていないのです。
※マルコ山古墳は、川島皇子(かわしまのみこ)とも、推測されています。

2 阿倍御主人(みうし)の心意気――その動機と言祝(ことほ)ぎ

阿倍御主人(みうし)は、天皇とは天皇(てんこう)大帝のことであり、北極星神である
ことを知っていました。

阿倍御主人(みうし)は、「天武天皇が正式に天皇号を採用し、天皇とは何たるもので
あるかを人々に知らしめるために、全力を注いでいた」ことを、知っていました。

勿論、阿倍御主人(みうし)は、天武天皇が天皇(北極星神)の証拠たる呪術を、伊勢神宮
と大嘗祭に施したことをも、知っていました。

宮廷歌人・柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)は、天皇を神として言祝(ことほ)ぎました。
 < 大君は 神にしませば 天雲(あまくも)の 雷(いかづち)の上に いほりせる
 かも >(万3-235)

 「わが大君は 神でいらっしゃるので 天雲の 雷の上に 仮宮をつくっていらっしゃる」
<『新編日本古典文学全集・萬葉集』(小学館・小島憲之・他)>

大将軍であった高級官僚の大伴御行[(おおとものみゆき)・701年薨去、正広弐
(しょうこうに)右大臣を追贈]も、天皇を神として言祝(ことほ)ぎました。

 < 大君(おおきみ)は 神にしませば 赤駒(あかごま)の 腹這(はらば)ふ田居
 (たゐ)を 都と成(な)しつ >(万19-4260)

 「大君は 神でいらっしゃるので 赤駒の 腹這(はらば)っていた田んぼでも 都と
 なさった」
<『新編日本古典文学全集・萬葉集』(小学館・小島憲之・他)>

阿倍御主人(みうし)も、天皇を神として言祝(ことほ)ぐことに関しては、歌人・柿本
人麻呂(かきのもとのひとまろ)や大将軍高官であった大伴御行(おおとものみゆき)に、
負けてはいられなかったのです。

3 最後のお勤め――臣下最高位・阿倍御主人(みうし)の心意気と美学

阿倍御主人(みうし)は、最後のお勤めとして、天皇の何たるかを、永遠に言祝(ことほ
)ぎする方法を、思いつきました。その方法とは、自らの古墳に、天皇崇敬守護の壁画を
描くことであったのです。

キトラ古墳壁画とは、天皇とは北極星神(天皇大帝)であることを描き、被葬者自身は
武器を持った十二支獣頭人身像(じゅうにしじゅうとうじんしんぞう)となり、天皇を
死後も崇敬守護していくという、臣下最高位にあった武人・阿倍御主人(みうし)の
尊皇心(そんのうしん)の心意気を、表現するものであったのです。

阿倍御主人(みうし)は、天皇崇敬守護の言祝(ことほ)ぎ歌を、何と、「壁画歌(へきが
うた)」として表現したのです。

つまり、キトラ古墳壁画は、高松塚古墳壁画と同様、< 天皇崇敬守護言祝(ことほ)ぎ
壁画歌 >
であったのです。

阿倍御主人(あべのみうし)は、694年、氏上(うじのかみ)となりました。
阿倍御主人は、古墳壁画を描くことで、阿倍氏の頭領(とうりょう)として、宮廷歌人・
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)のように、そして、高級官僚・武人大伴御行
(おおとものみゆき)のように、天皇を神(北極星)として< 大君は 神にし 坐(ま)
せば >と、言祝(ことほ)いだのです。

それは、阿倍御主人(みうし)の、武人(もののふ)としての、忠誠心溢(あふ)れる
美意識でもありました。

これらの呪術を図に表すと、次のように描けます。
中央の白色部分が天皇図であり、天皇の意味を表現しています。
武器を持った十二支獣頭人身像[(じゅうにしじゅうとうじんしんぞう)・(灰色部分・
被葬者・阿倍御主人(あべのみうし)]が、天皇図を囲み、天皇を永遠に循環守護して
いるのです。

hata_blog_20210419-350x380-kitorazu.jpg

キトラ古墳の十二支獣頭人身像(じゅうとうじんしんぞう)は、永遠に十二支を循環する
呪術です。
阿倍御主人(あべのみうし)は、武器を持った十二支獣頭人身像となり、子、丑、寅・・・
酉、戌、亥という順序で、天井(てんじょう)に描かれた北極星(天皇)を、毎日、一周
しながら守護している、と考えてよいのです。

そして、高松塚古墳の呪術も、北斗八星の呪術ですから、永遠の循環です。
高松塚古墳の被葬者(石上麻呂・いそのかみのまろ)は、北斗八星となり、北極星(天皇)
を毎日一周して、天皇を補弼(ほひつ・守護)しているのです。

ならば、キトラ古墳も、そして高松塚古墳も、被葬者が北極星(天皇)を循環して呪術的
に守護している、ということで共通しているのです。


次回は、高松塚古墳の被葬者・石上麻呂と、キトラ古墳の被葬者・阿倍御主人の、何故、
壁画を描こうとしたのか、その心理(動機)について、本人になりきって語ります。
また、この両古墳の壁画制作の監督として活躍したであろう、黄文本実(きぶみのほんじつ)
についても語ります。


畑さん.jpg

畑アカラ氏 プロフィール

昭和22年生まれ。静岡県出身。藤枝東高校卒。
明治大学政経学部卒業(蒲生ゼミ・村落社会調査)。
広告制作会社(株・漫画社)に勤務後、フリー。イラスト・ライター。
日本児童出版美術家連盟会員。
「8の世界」と「ハートの世界」の、オンリーワンの探究者。
「一般社団法人8月8日はハートの日協会」理事長。
「8月8日はハートの日」を全世界に広めるため活動中。
世界を一つに繋げることの出来るツール・・
それが「8月8日はハートの日」。
著作・歴史書:『古代天皇家「八」の暗号』(徳間書店)。
『古代天皇家の謎は「北斗八星」で解ける』(徳間書店)
著作・エッセイ(画・文):『猫ノーテンキ』(草思社)、
『猫っ可愛がりのことわざ草紙』(毎日新聞)、
『きょうも猫日和』(徳間書店)。 
月間絵本・作絵:『ハーリーちゃんとハーティちゃん』
『にじをつくろう』(チャイルド本社)。
かみしばい:『からすのかーすけ』(教育画劇)。等々。
趣味はテニス。素人作曲(楽器は演奏できません)。サッカー観戦。

【最新著書ご紹介】

【大嘗祭・天皇号・伊勢神宮】 この国永遠の疑問を解く

[新装版]古代天皇家「八」の暗号

【DVD】畑アカラ先生 「初めて語る天皇と大嘗祭の真実」 (2枚組)
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