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僕が地球にやっ て来たワケ 第32回


最近思うこと

立春が過ぎてもまだまだ寒い東京ですが、
冷気の中に、春の準備が始まった
気配を感じることがあり、
つかの間、癒されることがあります。
「自然が繰り返すリフレイン
"夜の次に朝が来て、
冬が去れば春になるという確かさ"の中には、
限りなくわたしたちを癒してくれる何かがあるのです」
生物学者レイチェル・カーソンの言葉ですが、
この言葉を目にするたび、
知らず知らずに活力が湧いてくるのを感じます。

始発に乗って出張に出るために、
未明から活動を始める日がままあるのですが、
まだ明けきらぬ空を見上げていると、
ほんの一瞬確かに空の色が空白になるような
心持ちがするひと時があります。

新しい1日に切り替わる直前の
「メンテナンス中」の「空」の時間。
このタイミングの時空は神秘的であり、
そして生きていることの何か本質を感じさせます。

世の中が本格的にコロナ禍に見舞われてから、
ちょうど1年。
アフターコロナを予測している本や発信物は
すでにたくさん出ていますが、
これからそれぞれがその世界に、
実際に自らの足で踏み出していかないといけないのです。

この未曾有の世界を見届けていくのは、
かなりのパワーがいることだと
皆が思っていることでしょう。
どんなに不安な夜を過ごしていても、
朝は必ずやって来る。
それは頭でわかっていても、
悶々としてしまうときに、
あの未明の「メンテナンス」の時空を
あえてイメージして、
自分で作り出してしまうことも悪くないな、
と考える最近です。

マンデラ・エフェクト

以前少しこちらにも書いた
「マンデラ・エフェクト」について、
よく読者の皆さんが話題にされるので、
もう一度取り上げたいと思います。

「マンデラ・エフェクト」、
私に教えてくださったのは
占い師の桃田光風さんですが、
簡単に説明すると、
事実と異なる記憶を
不特定多数の人が共有している現象を言います。

南アフリカの指導者ネルソン・マンデラさんは、
2013年にお亡くなりになりました。
しかし、
「あれ? 
1980年代の投獄中に亡くなったのではなかったか」
という記憶がある人が一定数いたというエピソードから
「マンデラ・エフェクト」とか、
「マンデラ効果」と言われているというお話です。

「マンデラ・エフェクト」でネットで検索して見ると、
同じように、
「小林亜星さんはご存命なのか、すでに亡くなっているのか」
「兵庫県知事の苗字は井戸さんか井戸田さんか」などなど、
古今東西大多数の人が
単なる「思い違い」「勘違い」と言えない事柄が、
これでもかと出てきます。

これは地球上の人々が、
皆同じものを見ているのではなく、
実はいくつかの別の次元で生きているから、
そこで見せられている現実はそれぞれ違う、
という仮説が立てられるのではないかと考えられています。


それぞれのタイムライン

例えば、「ノストラダムスの大予言」。
多くの重要な予言を当てたノストラダムスがなぜ、
1999年7月の月に地球が滅びる
という予言が当たらなかったのか。
それは、実は別の次元に生きている人には
その現象が起きていて、
我々はその次元に生きていないだけかもしれません。
マヤカレンダーの「2012 年終了説」も同じです。

同じように、コロナも2月の頭には
地球上で1億人の感染者と発表されていますが、
実はもしかしたらその10倍くらいの人が
コロナに罹患している世界もあるのかもしれません。

お芝居に例えると、
2つのお話が同時に進行していて、
登場人物、生きている時代設定、時系列は
ほぼ同じで物語が進んでいきます。
そしてまったく違う結末が用意されている、
といったところでしょう。

実際には2つではなく、
もっとたくさんのタイムラインはあると思います。
一生を通じて同じタイムラインにとどまることもなくて、
また途中で別のタイムラインに
移っていくということもあるでしょう。
今生きているタイムラインで出会う人も、
もしかして自分と違うタイムラインを
生きているのかもしれないのです。

ここで
「では、例えば自分がお腹を痛めて産んだ子どもは
同じタイムラインに生きることはないのですか?」
という問いをもらいました。
いい質問だと思います。

ガイア理論をご存じでしょうか。
地球という、表面に水、大気中に大量の酸素を蓄え、
多様な生物が生存することを特徴とする
この惑星に住んでいるものは、
人も動植物も1つの生命体とみなす考え方のことです。

この生命体には
確かにある共通の意識がそこに備わっていると思います。
しかし、それぞれの人間の細胞と臓器は
1つ1つやりたいことが違うので、
先ほどの回答でいうと、
子どもはたまたま親と同じ
タイムラインを過ごすかもしれないし、
途中でまた新たに自分のタイムラインを
生き始めると考えても
不自然ではなさそうです。

生命体の集合意識と
タイムラインの関係については、
よく分かりませんが考えを深めてみたいテーマです。

生命体と集合意識

父が亡くなる少し前から、
不動産の投資を始めています。
自分が手がけているいくつかの事業の中でも、
もっとも稼いでいる分野でしたが、
最近少し関心が薄れてきました。

私はこれまで扱う物件を決める際に、
必ずその建物の集合意識と自分の意識の
波長を合わせることをしてきました。
すると建物の方から
「買わない方がいい」
というささやきがあることがままあるのです。

キッパリと告げられるときは
もちろん手を引きますが、
面白いことに
「損するけれど勉強になるよ」
というようなささやきがもたらされることもあるのです。

この場合は、
安い買い物ではないので、少々迷いますが
「損するけれど勉強になる」
というワードは私にとってとても魅力的で、
そのまま進むこともありました。

この集合意識の本質についてよく考えます。
地球単位の生命体としての集合意識があるとするなら、
国としての集合意識もあるのではないでしょうか。
1つの国での運命共同体という流れもあるからです。

精神世界のパイオニアであるエドガー・ケイシーは、
やがて日本は沈没するとリーディングしたのは有名ですし、
小松左京先生の『日本沈没』という作品は
今読んでも単なるSFではない
予言書の要素を大きく帯びています。

しかし、実際に日本は沈没していません。
もしかしてすでにしているのかもしれませんが、
私と読者のみなさまの生きる世界ではそうではありません。

それは私たちが私たちのタイムラインをどこかで変えて、
それを選ばないという現実を
選択したのではないでしょうか。

アメリカはバイデン大統領という
トランプ氏より極めて普通の大統領を選びました。
この現実は、アメリカ国民の集合意識のどこを示し、
どこに流れていくのでしょうか。


未曾有のタイムライン

どんなタイムラインを選んだら、
もっとも幸せなのか。
選びなおせるとしたら、
どんどん自分にとって快適なタイムラインに乗り換えたい。

ここまで読んでくださった皆様の中には
そのように感じられる方は多いのではないでしょうか。
そのような気持ちはもっともです。
しかし、ここで忘れてはいけないのは
「人間の人生は平等ではない」
ということです。

ルソーの「基本的人権」が
間違っているとは言いませんが、
人は能力差、環境差があるからこそ
1つの人類集合体だと言えると思います。

ここで、
「幸せになる権利は皆平等ではないのか」
と考えるのは早計で、
私がお伝えするのは
「平等ではなく、それぞれの役割がある」
ということなのです。

未来はいつも明るく心地よく輝いていればいいのですが、
日本に暮らしている以上、
直下型地震がこの先いつ来るかは分かりませんが、
避けられない事実です。
今回のような疫病も
必ず歴史は繰り返すと示しています。
そう考えると、
この世に生を受けている以上、
決していつも楽しい未来ではないのです。
ただただ、たくましく生き残るための
知恵を冷静に身につける。
「なんでこうなるのだ」
と自分の不平等に嘆くのではなく、
共通意識がこうさせているのだということに
フォーカスしてみることが
良いのではないかと考えています。

明け方の空白の時間のように、
必ずメンテナンス、リセットのタイミングが
人生にはしばしば訪れます。
その機会が来たときに
どのような意識を持っているかが大事でしょう。

顕在意識では、
決して選択のアクションを起こすことのできない、
自分の次なる望ましいタイムラインに
うまくシフトできるよう、
現状をただ嘆くことではなく、
果敢に迎え撃つ意識をお互い持って、
この未曾有の時代を乗り切りましょう。




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