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第7回「天皇を 永久に守るは 高松に 眠りし臣下 北斗八星」

第7回
「天皇を 永久に守るは 高松に 眠りし臣下 北斗八星」

1 海獣葡萄鏡により、年代を特定できるのか?
2 海獣葡萄鏡は、704年帰国の遣唐使によってもたらされた
3 王仲殊氏と直木孝次郎氏は、歌を交換し、被葬者を特定できたと喜びを分かち合った
4 高松塚古墳の呪術を整理・・・真実発見の経緯
5 高松塚古墳の真実発見を拙歌で披露

1 海獣葡萄鏡により、年代を特定できるのか?

海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)が、陝西省(せんせいしょう)西安の独孤思貞
(どっこしてい)墓より、出土しています。

この鏡は、高松塚古墳出土の海獣葡萄鏡と、同笵(どうはん)関係にあるということが
わかりました。
墓誌により697年埋葬、698年に改葬されたことが分かりました。
※同笵(どうはん)鏡とは、同じ鋳型(いがた)から鋳造(ちゅうぞう)された鏡のこと。

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◎王仲殊(おうちゅうしゅ)氏説
中国人の王仲殊(おうちゅうしゅ)氏は、高松塚古墳の被葬者は、忍壁皇子(おさかべのみこ)
とする説(705年)です。

王氏は、海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)は704年帰国の遣唐使(けんとうし)
によってもたらされた可能性が高い、と述べています。

よって、7世紀に亡くなった皇子(みこ)たちは、この鏡を埋葬できず、忍壁皇子
(おさかべのみこ)だけが被葬者の対象となり得る、と推測しています。

つまり、704年帰国の遣唐使によって将来され、705年、忍壁皇子(おさかべのみこ)
の墓、つまり高松塚古墳に納められた、と説いたのです。

◎土淵正一郎説
高市皇子(たけちのみこ)説の土淵(つちぶち)正一郎氏は、海獣葡萄鏡について、次の
ように述べています。

< 7世紀後半の制作であれば、それが696年に築造された高松塚に埋蔵されることは、
慶雲元年(704年)の遣唐使を経(へ)ずとも可能である。
おそらく、新羅王(しらぎおう)は唐から海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)を入手
し、これを太政大臣(だじょうだいじん)だった高市皇子(たけちのみこ)に献上した
のであろう >と述べています。

この土淵氏の説は、全く可能性はないとは言えませんが、新羅王から高市皇子(たけちの
みこ)へ献上したとの推測は、さすがに、違和感を覚えます。

いつ日本に海獣葡萄鏡が将来したかは、

①中国の西安にある墓の中から、「海獣葡萄鏡が出土。墓誌により697年埋葬、
 698年改葬」
②高松塚古墳から、その同笵鏡である海獣葡萄鏡が出土

・・・という条件からは、おおよその年代しか分からない、といえます。


2 海獣葡萄鏡は、704年帰国の遣唐使によってもたらされた


精査してみましょう。
遣唐使の派遣年と帰国年を調べてみると、次のようになっています。


669年・・・第六回遣唐使が派遣される。帰国不明。
702年・・・第七回遣唐使として、粟田真人(あわたのまひと)、
       山上憶良(やまのうえのおくら)が派遣される。704年帰国。
717年・・・第八回遣唐使として、阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)、
       吉備真備(きびのまきび)、玄昉(げんぼう)等が
       派遣される。帰国718年

こう見ますと、704年の帰国説が、有力となってきます。

遣新羅(けんしらぎ)使は、692年、695年、に派遣されています。
しかし、中国の鏡が、新羅王を通して、伝わるのでしょうか?
高市皇子は、696年、薨去(こうきょ)されています。

中国の西安で、698年に造られたお墓に治められた鏡の同笵鏡(どうはんきょう)が、
それより2年前の、696年に、高松塚古墳に納められた可能性は、低いと考えざるを
得ません。


3 王仲殊氏と直木孝次郎氏は、歌を交換し、被葬者を特定できたと
    喜びを分かち合った


王仲殊(おうちゅうしゅ)氏は、橿原(かしはら)考古学研究所で、高松塚古墳について
講演したさい、自作の短歌を披露しました。

檜隈(ひのくま)の 草場の陰に 光しは 高松塚の 宝の鏡

海獣葡萄鏡により、被葬者は特定できたとの思いで、この歌をつくったのです。
これに直木孝次郎氏は、次の歌で答えました。

外(と)つ国の 鏡かがやき 高松の 塚に眠りし 人を顕す

高松の 塚の主を 照らせしは 海獣葡萄の鏡の光

王仲殊氏と直木孝次郎氏は、704年の遣唐使帰国によってもたらされた海獣葡萄鏡は
「高松塚古墳の被葬者は忍壁皇子(おさかべのみこ)である、とのことを証明するもの」
として、捉(とら)えたのです。

まさに、自信満々の歌なのです。
海獣葡萄鏡により、王仲殊氏と直木孝次郎は、高松塚古墳の被葬者は特定できたと大喜び
しているのです。

これによって、704年前の被葬者説は、あり得ないこととしたのです。

以上のように検討してきますと、確かに、遣唐使が帰国した704年に、海獣葡萄鏡は
日本にもたらされた、ということは、説得力のある説ではあります。

しかし、それは、石上麻呂説(いそのかみのまろ・717年)を否定するものではなく、
むしろ、石上麻呂説にとっても有利に解釈できる説なのです。


4 高松塚古墳の呪術を整理・・・真実発見の経緯


私も、王仲殊氏、直木孝次郎氏と同じように、真実発見の喜びを拙歌で、伝えたいと思い
ます。

しかし、その前に、既に何度も述べてきたことですが、高松塚古墳の呪術は、天武天皇の
呪術ですから、天武天皇の呪術を整理して、真実発見の道筋を明らかにしたいと、思います。

高松塚古墳の真実証明は、人物立ち位置を繋げると、北斗八星か描かれる、ということに
あります。

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この北斗八星の出現は、高松塚古墳の真実証明だけではなく、天武天皇が伊勢神宮
(リニューアル)と大嘗祭(創設)・新嘗祭(リニューアル)に施した、呪術の確かさの
証明にもなるのです。

つまり、人物立ち位置北斗八星は、「北極星と北斗八星の呪術」が、高松塚古墳にも、
伊勢神宮にも、大嘗祭・新嘗祭にも、施されていることの証明になるのです。

高松塚古墳の被葬者・石上麻呂(いそのかみのまろ)は、伊勢神宮の呪術を真似したの
ですから、「人物立ち位置・北斗八星」が描かれていても、当然なことなのです。

◎日光東照宮の呪術
日光東照宮を造営するにあたり、天海大僧正(てんかいだいそうじょう)は、伊勢神宮の
呪術「北極星・北斗八星」をそっくり真似て、家康を祀っています。

日光東照宮の奧社にある、家康の神廟(しんびょう)は、八角形の基壇で作られています。
それは、八角形天皇陵の真似でもあります。
その神廟の中には、八角形の御璽箱(ぎょじばこ)があり、その中に、三種の神器を梵字
(ぼんじ)で書いた、御璽内箱(ぎょじうちばこ)があります。
八角形の御璽箱は、まるで、天皇が即位式をする時に使用される、八角形の高御座(たか
みくら)の意味があるように、思われます。

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御璽内箱のその下に、極秘敷曼荼羅(ごくひしきまんだら)が敷かれています。
この曼荼羅は、普通の曼荼羅ではありません。
八卦(はっか)が八方に配されている、極秘の曼荼羅で、下に敷くの意味がある、極秘敷
曼荼羅です。
ここでの敷は、大地に敷くを意味し、大地の八卦となります。

つまり、日光東照宮は、天地に「北極星(太極)北斗八星(八卦)」を描いていることに
なります。

この八卦紋様は、伊勢神宮、大嘗祭(新嘗祭)、高松塚古墳、にも、太極八卦の呪術を、
密かにですが、含んでいる、ということを意味します。

私は、いままで、伊勢神宮、大嘗祭(新嘗祭)、高松塚古墳においては、「北極星・北斗
八星」の呪術はあっても、「太極・八卦」の具体的な紋様を発見することができなかった
ので、これは、隠密の呪術だと思っていました。
しかし、何処かに、その証拠が無いものだろうかと、探していました。

やっと、日光東照宮の徳川家康の神廟(しんびょう)の中で、それを見つけたのです。

天武天皇の呪術は、伊勢神宮、大嘗祭(新嘗祭)、高松塚古墳、日光東照宮をセットとして
考えて、初めて、読み解くことが出来るのです。
それぞれに、天武天皇の呪術の証拠を残しているのです。

以上、天武天皇の呪術は、高松塚古墳と日光東照宮にも使われていたことが、お分かり
いただけたと思います。

◎高松塚古墳の呪術
何度も記してきましたが、高松塚古墳の真実は、呪術からは次のように言えるのです。

高松塚古墳(被葬者・石上麻呂・いそのかみのまろ)は、中尾山古墳(被葬者・文武天皇)
の陪塚(ばいちょう)であり、高松塚古墳は北斗八星を意味し、中尾山古墳は北極星を
意味しています。

つまり、被葬者石上麻呂(いそのかみのまろ)は、自らが北斗八星となり、天井の天文図
に描かれている北極星(天皇)である文武天皇を、永遠に守護していこうとしたのです。

北斗八星の証拠は、東壁と西壁に描かれている、男女四人ずつの立ち位置を線で繋ぐと、
北斗八星になるからです。
東壁と西壁で、陰陽の北斗八星が存在しているのです。

高松塚古墳の被葬者、石上麻呂は、自らが、男女八人ずつで構成されている北斗八星と
なり、天井に描かれた北極星(文武天皇)と、北200メートルにある中尾山古墳の被葬者
・文武天皇(北極星)を、永遠に守護しているのです。

高松塚古墳の天文図に北斗八星が描かれていないのは、描かないことで墓全体を、北斗八星
としたからです。
その証拠として、八人ずつの男女の立ち位置で、北斗八星を描くことにしたのです。

また、北斗八星は、道教哲理により、北極星(天皇)の自家用車・帝車・宇宙船を意味
しています。

よって、八人ずつの男女で描かれている北斗八星・帝車(石上麻呂)に、天井に描かれて
いる北極星(文武天皇)をお乗せして、墓の外に出行するのです。

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何故、人物像の立ち位置で、北斗八星を描いたのでしょうか?

①それは、石上麻呂(いそのかみのまろ)が北斗八星となって、天井に描かれた北極星
 (文武天皇)を、永遠に守護しようとしたこと。

②そして、天井に描かれた北極星(文武天皇)を、時々、北斗八星帝車(石上麻呂・
 いそのかみのまろ)にお乗せして出行し、息抜きに、飛鳥(あすか)を、八州(日本)を、
 そして宇宙を駆け巡る、という趣向を凝らしていること。

高松塚古墳の天文図には北斗八星が描かれていなくて、人物の立ち位置として北斗八星が
描かれているのは、以上の二つの理由によるものなのです。

以上の説は、誰も、述べていません。
それは、仕方の無いことです。
呪術でしか、高松塚古墳の真実は、解明できないからです。
しかも、呪術を解く鍵は、「北斗八星」だったのです。


5 高松塚古墳の真実発見を拙歌で披露

万感の思いを込めて、拙歌を披露させていただきます。

天皇(おおきみ)を 永久(とわ)に守るは 高松に 眠りし臣下 北斗八星

画(え)は語る 高松塚の 真実(まこと)とは 臣下の発露(ロマン) 北斗八星

次回は、キトラ古墳について述べます。
キトラ古墳の壁画は、何故、描かれたのか? 描こうとした動機とは?
この答えは、高松塚古墳と全く同じです。
高松塚古墳には、何故、8人ずつの男女が描かれていて、キトラ古墳には、何故、十二支
獣頭人身像が描かれているのか? ・・・両古墳発掘者の網干(あぼし)善教氏は、
分からないと正直に述べています。
次回から、この答え、つまり真実発見を、記すこととします。


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畑アカラ氏 プロフィール

昭和22年生まれ。静岡県出身。藤枝東高校卒。
明治大学政経学部卒業(蒲生ゼミ・村落社会調査)。
広告制作会社(株・漫画社)に勤務後、フリー。イラスト・ライター。
日本児童出版美術家連盟会員。
「8の世界」と「ハートの世界」の、オンリーワンの探究者。
「一般社団法人8月8日はハートの日協会」理事長。
「8月8日はハートの日」を全世界に広めるため活動中。
世界を一つに繋げることの出来るツール・・
それが「8月8日はハートの日」。
著作・歴史書:『古代天皇家「八」の暗号』(徳間書店)。
『古代天皇家の謎は「北斗八星」で解ける』(徳間書店) 
著作・エッセイ(画・文):『猫ノーテンキ』(草思社)、
『猫っ可愛がりのことわざ草紙』(毎日新聞)、
『きょうも猫日和』(徳間書店)。 
月間絵本・作絵:『ハーリーちゃんとハーティちゃん』
『にじをつくろう』(チャイルド本社)。
かみしばい:『からすのかーすけ』(教育画劇)。等々。
趣味はテニス。素人作曲(楽器は演奏できません)。サッカー観戦。

【最新著書ご紹介】

【大嘗祭・天皇号・伊勢神宮】 この国永遠の疑問を解く

[新装版]古代天皇家「八」の暗号

【DVD】畑アカラ先生 「初めて語る天皇と大嘗祭の真実」 (2枚組)
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