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第8回目 『大嘗祭と伊勢神宮においても、稲は八の世界である-その③』

第8回目 
『大嘗祭と伊勢神宮においても、稲は八の世界である-その③』


(1)⑩ 「八角形高御座(たかみくら)」と「八角形天皇陵」は、
     それぞれが、天皇の「誕生」と「死」を表現している

(2)⑪ 大嘗祭と伊勢神宮の「抜穂(ぬいぼ)の神事」は「八の世界」
(3)⑫ 八束穂(八握穂・やつかほ)は、八州穂・八卦穂・北斗八星穂
(4)⑬ 稲舂(いねつき)の儀・・・八乙女(やおとめ)と八角形臼(うす)
(5)⑭ 「渡御(とぎょ)」と「八幅の布単(ふたん)八条」
(6)⑮ 天照大神との共食(御酒八度)・節会(せちえ)
(7)⑯ 八足机(やつあしのつくえ)、八足案(はっそくあん)の意義



前回
に引き続き「八」について記します。
その国、或いは民族において、聖なる数が何であるか
を明らかにする方法は、宗教的儀式において
どの数詞を多く使用しているかを知ることです。
日本における宗教儀礼においては、
圧倒的に「八・や」が使用されています。
よって、日本における聖数は、「八・や」と
言えるのです。
「八・はち」は、末広がりだから縁起が良いと
言われていますが、それはその通りなのですが、
「八・はち」は、中国の数え方ですから、
日本における聖なる数の根拠とはなりません。
日本における聖なる数の根拠は、
縄文時代からの数え方「八・や」にあります。
(日本の「八・や」と中国の「八・はち」は、
習合して、さらなる強固な聖数となったのです)
その事例を、このブログで是非とも知って欲しいのです。
(丸数字は前回からの通し番号です)

(1)⑩ 「八角形高御座(たかみくら)」と「八角形天皇陵」は、それぞれが、天皇の「誕生」と「死」を表現している


飛鳥時代においては、天皇即位式は
八角形・高御座(たかみくら)で行い、
天皇が崩御(ほうぎょ)した後は
八角形天皇陵に葬(ほうむ)られました。
飛鳥時代においては、
①天皇の誕生は「八角形高御座(たかみくら)」で表現され、
②天皇の死は「八角形天皇陵」で表現されていました。
つまり、八角形で、天皇の「誕生」と「死」が、
表現されていたのです。

勿論、八角形ですから、
「八角=八辺=八州=北斗八星=八卦」の意味を
持たせていたと推測できます。
しかし、八角形天皇陵の初めは舒明(じょめい)天皇陵(改葬)と
分かっていますが、八角形高御座(たかみくら)は
いつ始まったのかは、確定出来ていません。
高御座(たかかみくら)の始まりを推測するならば、
多分、八角形舒明(じょめい)天皇陵(改葬)を造った
皇極(こうぎょく)天皇あたりからだと、推測できます。
(高御座と八角形天皇陵については、過去において
何度も述べていますので、これ以上は割愛します)


(2)⑪ 大嘗祭と伊勢神宮の「抜穂(ぬいぼ)の神事」は「八の世界」


大嘗祭と伊勢神宮においては、
「抜穂(ぬいぼ)の神事」があります。
両方とも、「八の世界」で表現されています。

◎大嘗祭の「抜穂の儀式」は、「造酒児(さかつこ)・
稲実公(いなのみのきみ)・酒波(さかなみ)など八人」と
「八把(わ)」で表現 

大嘗祭において、悠紀田(ゆきでん)・
主基田(すきでん)に稲穂がたわわに実る頃、
八神殿の[御膳(みけ)八神]に見守られながら、
「抜穂(ぬいぼ)の儀式」が行われます。

<< まず造酒童女(さかつこ)・稲実公(いなのみのきみ)・
酒波(さかなみ)など八人が、田の四方から二人ずつ入り、
御田中央の稲の穂先を、最初に造酒童女(さかつこ)が摘み、
次いで稲実公(いなのみのきみ)その他の順で摘む。
抜穂は四握(あく)で一把(わ)にくくり、
三十二把をそろえて神部(かんべ)に渡す。
神部はそれを八把ずつ目籠(めかご)にいれる。 >>
(『大嘗祭』・鳥越憲三郎・角川書店・参考)

やはり、抜穂の儀式も、「八」と関係しているのです。

八神殿の[御膳(みけ)八神]に見守られながら、
悠紀(ゆき)田・主基(すき)田に入る
< 抜穂する人が八人 >であることは、
八州(やしま・日本)のそれぞれの州(くに)の
代表の集まりを象徴しているのです。

また、抜穂が、
< 神部(かんべ)によって、抜穂が
八把(四握×8=三十二握)ずつ目籠(めかご)に
入れられる >
ことも、八州(やしま・日本)の意味を含んでいると
推測できます。

この場合、「抜穂八把」と、「抜穂する人・八人」は、
古代日本の聖数「八(や)」はもとより、
八州(やしま・日本)を代表しているという意味を
含んでいるのです。

共食をする天照大神(北極星と習合している)と天皇を
太極(北極星)として考えれば、
「抜穂八把」と「抜穂する人・八人」は、
八州(独立国・日本)を代表する
という意味合いが強いゆえ、
「八卦=北斗八星」に配されていて、天照大神と天皇を
守護しているという、推測も成り立ちます。

◎伊勢神宮の神嘗祭の「抜穂の神事」の抜穂八荷・・・
心御柱(しんのみはしら)に供える抜穂

外宮の神嘗祭(かんなめさい)は、旧九月十五・十六日に
行われました。
満月の日ですね。
しかし、この十六日の早朝、外宮では神嘗祭とは別の
「抜穂(ぬいぼ)の神事」がありました。
<< 旧儀によると、外宮では旧九月十六日の朝、
「抜穂の神事」ということが行われた。
これは大物忌(おおものいみ)の父が、
耕作した御田(みた)の
「初穂(はつほ)八荷(か)=六十四把(わ)」
を担(にな)って正殿の御床下(みゆかした)に
おさめる神事で、その先頭には禰宜(ねぎ)が
榊をささげて参入したという。
この神事は明治維新後の神宮の諸祭儀の改革で
廃止された。 >>
(『伊勢の大神』・編者・上田正昭・筑摩書房・参考)

正殿の御床下(みゆかした)、つまり
心御柱(しんのみはしら)に抜穂・八荷をおさめた
ということから、「八の世界」の呪術が想像できます。
この神事の内容は、心御柱が意味するコスモロジィ的な
深遠な哲理を含んでいます。

伊勢神宮において、御飯(みけ)・米・稲穂
に関しては、「八」の世界観、宇宙観で統一されている、
といっても間違いではないと思います。

◎心御柱(しんのみはしら)とコスモロジィ的な八の関係は、
後日、記します。


(3)⑫ 八束穂(八握穂・やつかほ)は、八州穂・八卦穂・北斗八星穂


大嘗祭において、天皇の祝詞(のりと)があります。
この中に、「八握穂(やつかほ)」が出てきます。

桜町天皇は、先帝のとき再絶した大嘗祭を
元文3(1738)年再興して儀制の整備をはかりました。
そのとき、大嘗祭において、
天皇が祝詞(のりと)を唱えられたのですが、
文言(もんごん)の中に、「八(や)」が出てきます。
< 八握穂(やつかほ)にしなひたるを御食(みけ)に
奉(たてまつ)りて・・・ >
です。

「やつかほ」は、「八束穂」と書く場合と
「八握穂」と書く場合があることが分かります。
いずれにしても、「八の世界」です。

天武天皇は、大嘗祭、伊勢神宮の祭祀儀礼等に関して
「八州(独立国・日本)」に「八卦=北斗八星」を
配する呪術を施(ほどこ)しています。

よって、大嘗祭と伊勢神宮(リニューアル)においては、
天の北斗八星に
「八束穂(やつかほ)=八握穂(やつかほ)
=八州穂(やしまほ)=八卦穂(はっかほ)
=北斗八星穂(ほくとはちせいほ)」
を描く呪術となります。


(4)⑬ 稲舂(いねつき)の儀
              ・・・八乙女(やおとめ)と八角形臼(うす)


※前回のブログ『初めて語る天皇と大嘗祭の真実-第2回目』
簡単に述べていますが、再度記します。
大嘗祭において、稲(米)は、八乙女(やおとめ)によって
稲舂(いねつき)された後、悠紀膳屋(ゆきかしわや)と
主基膳屋(すきかしわや)に運ばれ、料理されます。
そのとき、八乙女が稲舂歌(いねつきうた)を歌いながら
搗(つ)きます。
この行為は、稲穂の刈り取りによって死んだ穀霊が、
冬至に復活することを促すための所作である、と
鳥越憲三郎氏は述べています。

臼(うす)の形は、外側周りが八角形です。
そして、搗(つ)く人は八乙女です。
やはりここでも、稲(米)に対しては「八の世界」が堂々と
顔を出しているのです。
もし、この行為が復活を意味するならば、まさに偶然ですが、
キリスト教の復活を意味する八角形の洗礼盤を
想像してしまいます。

八乙女は、八州(やしま・独立国・日本)の
それぞれの州(くに)を代表している集まりである、
という見解は、既に述べています。

臼(うす)が八角形であることは、八角形が全世界や国全体を
意味することから、この場合、八州(独立国・日本)を
表現している、との推測も可能です。
一辺あるいは一角が、一州を表現していることになります。

となると、
< 八州(独立国・日本)の
それぞれの州(くに)から集まってきた八乙女が、
稲舂歌(いねつきうた)を歌いながら、
八州(やしま)を意味する八角形の臼(うす)で
八州(やしま・日本)を意味する八束穂(やつかほ・米)を
搗(つ)く >
という状況がなりたつのです。

勿論、ここでの八乙女は、八州のそれぞれの州(くに)
から来た八乙女ではありませんが、
悠紀(ゆき)国と主基(すき)国の二国の八乙女で、
八州全体を表現しているのです。
儀式としてそのような意味を持たせることが、
大切なのです。

「八角形臼(うす)」については、明確に八角形である
ことから、「北斗八星・八卦」の意味も含まれている、
との推測も可能です。

すなわち、
「八角形臼(うす)=八乙女=北斗八星=八州(日本)=八卦」
の意味が込められていたと思われます。
いずれにしろ、稲、米に対しては、とことん「八」にこだわる、
というのが大嘗祭の儀式なのです。


(5)⑭ 「渡御(とぎょ)」と「八幅の布単(ふたん)八条」


天皇が渡御(とぎょ)される廻立殿(かいりゅうでん)から
悠紀殿(ゆきでん)までの道筋に、大蔵省が
二幅の布単(ふたん)を敷きます。
中古までは、柴垣内の地面に八幅の布単八条が
敷かれたのです。
(『大嘗祭』・鳥越憲三郎・角川書店)
※布単とは、単(ひとえ)の布のことで、遷宮(せんぐう)・
遷座(せんざ)・行幸(ぎょうこう)などの際、
その道筋に敷く白布。

私見ながら、天皇の渡御(とぎょ)は、
地上の廻立殿(かいりゅうでん)から、
北斗八星の帝車(ていしゃ)に乗って、
高天原(たかあまはら)の悠紀(ゆき)殿、
主基(すき)殿に昇天していく姿を表現していると、
思われます。

「八幅の布単(ふたん)八条」は、聖数「八」の意味を含むことは
勿論のこと、「八州(やしま)(独立国・日本・北斗八星)」の
意味も含み、八州の君主として「八州のロード」を歩むことをも、
象徴していたのではないでしょうか。


(6)⑮ 天照大神との共食(御酒八度)・節会(せちえ)


『江家次第(ごうけしだい)』大嘗祭には、「御酒八度」との
記述があり、また『大嘗祭卯日御記』には、
< 白酒四杯、黒酒四杯 >との記述があります。

天照大神と新天皇との共食の儀で、
「八度」と記されていることは、注目に値します。
この場合においても、一度が一州であり、
八度で八州(やしま・独立国・日本)を象徴していると思います。
部屋のほとんどを占める「八重畳」の脇で、
天照大神と新天皇が、「八度」の御酒の儀を行うことは、
やはり大嘗祭は、「八の世界」であると言えるのです。

◎新天皇誕生の祝宴
       ・・・祝いの節会(せちえ)・「酒杯数・四杯・四度・八度」

大嘗祭神事の後の儀礼として、
祝いの節会(せちえ)があります。
白酒(しろき)、黒酒(くろき)が供せられます。
白酒は当時のこととて濁り酒ですが、
黒酒は常山木(くさぎ)の灰を入れて黒くしたものです。
それぞれ四杯を四度、併せて八度に供します。
そして諸卿にも一献賜(たま)わられます。
そして悠紀(ゆき)国の風俗歌を奏しますが、
古くは悠紀国の国司に率いられて
八人が歌いながら入って歌舞したのです。
(『大嘗祭』・鳥越憲三郎・角川書店・参考)

この「四杯・四度・八度」の儀式は、
「八開手」および「八度拝」と同様な意味を持つもの
であろうと想像されます。
つまり、聖なる数「八・や」の意味を表現している
と共に、最高のグレードを示す儀礼形式を
表しているのです。

三三九度と違って、四・四・八というところが、
面白いですね。
三三九度は、漢文化の影響です。
「四・四・八」のこの儀式は、日本古来のものと
考えられます。
この「四・四・八」が、最高の儀礼形式とされている
ことは、「八」の探究者にとっても、これほどの喜びは
ありません。 
白酒(しろき)黒酒(くろき)は、陰陽を表しています。
また、< それぞれ四杯を四度、併せて八度に供する >
のですから、一度が一州を意味し、
八度で八州(やしま・独立国・日本)を表現しています。

また、八度に八卦(はっか)を配すれば、
「陰陽八卦(八度)」となります。
さらに、この八度=八卦に、八州(やしま)と
北斗八星を配せば、デザイン表現は次のようになります。

『北極星=天照大神(北極星・天皇)』
『北斗八星=白酒・黒酒(しろき・くろき・四杯・四度
・八度・八州(やしま・独立国・日本)』
ならば、大嘗祭においては、
天の北斗八星に、白酒(しろき)・黒酒(くろき)が
描かれているデザイン図を想像できます。
それはもうロマンの世界でもあるのです。


(7)⑯ 八足机(やつあしのつくえ)、八足案(はっそくあん)の意義


※八足案(はっそくあん)とは、幣帛(へいはく)・
神饌(しんせん)・玉串(たまぐし) 等を
お供えするための台です。
八脚案(はっきゃくあん)、神饌台(しんせんだい)、
八足(はっそく)と呼ばれます。
また、総称して、案(あん) と称されることもあります。

神饌(しんせん)をお供えする形式として、
八足机(やつあしのつくえ・はっそくのつくえ)、
八足案(やつあしあん・はっそくあん)があります。
昭和の大嘗祭のときの神饌として、羮(あつもの)八足机、
御酒(みき)八足机、御粥(おかゆ)八足机、
御直会(なおらい)八足机が行立(ぎょうりゅう・用意)
されました。

この八足机(やつあしのつくえ)の八足の数は、
勿論、古代日本の聖数「八・や」を表すものです。
深読みしますと、八州(やしま・独立国・日本)の意味も
表現していると推測されます。
一足(一脚)が一州を意味し、八足(やつあし・八脚)で
八州(やしま・独立国・日本)を意味するのです。
八州(日本)のそれぞれの州(国)が集まって、
八足机(やつあしのつくえ)を構成している、
という意味合いなのです。
また、八足机(やつあしのつくえ)は、八州(やしま)の
それぞれの州(くに)の人々が集まった
「八州人(やしまびと)」に支えられている、
という意味もあります。

大嘗祭において、八足机(やつあしのつくえ)の上に
載せられる天照大神(北極星と集合している)と
天皇に捧(ささ)げられる神饌(しんせん)は、
独立国・八州(やしま・日本)の大地に立ち、
八州(やしま・独立国・日本)のそれぞれの州(くに)と
それぞれの人々によって支えられているという、
八足机(やつあしのつくえ)の象徴的な意味が
あったのだと推察できるのです。

今日においても、八足机(やつあしのつくえ)は
神社において使用されています。
八足机(やつあしのつくえ)は神前結婚式において
必ず並べられます。
左右に分かれている八足机(やつあしのつくえ)は
構造上、決して丈夫とは言えません。

hata_blog_200518.jpg

しかし、それは、古代日本の時代から、
「八州(やしま・独立国・日本)と八州人(やしまびと)」
の意味を象徴している机の形式であったのです。

我々は、そのことを忘れてしまったのです。
「八の世界」の切り口でのみ、
八足机(やつあしのつくえ)の意味が
解明されるのです。

我々は、古代日本人の、建国当時の気持ちを、
忘れ去っているのではないでしょうか。
初めて聖なる数の国・八州(やしま)と称した頃の
熱い気持ちを。
そして、大嘗祭と伊勢神宮(リニューアル)において、
さらに律令制度において、
独立国家を宣言(天皇号正式採用)した、
当時の熱い気持ちを。
まさに、八足机(やつあしのつくえ)は
独立国・八州(やしま・日本)を象徴しているのです。
我々は、古代日本人の気持ち・気概を
察してあげなくてはならないのです。



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