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第4回『中臣氏は天神寿詞に誇らしく「天皇」と記し、「天皇誕生」を神様と共に言祝いだ』

第4回目
『中臣氏は天神寿詞(あまつかみのよごと)に
誇らしく「天皇」と記し、「天皇誕生」を神様と共に
言祝(ことほ)いだ』



(1)「天皇号」正式採用のインパクトは、易姓革命以上
(2)「天皇号」正式採用による、独立国家を証明する具体的な事例を知る人は少ない
(3)天神寿詞(あまつかみのよごと)の成立は、「天皇号」正式採用と同時
(4)「天皇号」正式採用と独立国家の歓びで、
   中臣氏は、誇りを持って「天神寿詞」に「天皇」と記し、読み上げた

(5)大嘗祭は、「食(た)べする」総合的な祭
(6)「天都(あまつ)水」は、天から降る聖なる雨
(7)実りの秋は、赤い稲穂の波
(8)中臣氏は、亀卜ではなく、太兆(太占・ふとまに)で占ったと、主張
(9)『天都詔戸の太諸刀言を以て告れ』について


今回は、大嘗祭で、必ず読まれていた、「天神寿詞(あまつかみのよごと)」
について記します。
その前に、「天皇号」正式採用について、述べさせていただきます。
このことにより、天神寿詞(あまつかみのよごと)を読み上げた時の
感動が、伝わってくるからです。
 


(1)「天皇号」正式採用のインパクトは、易姓革命以上


「天皇号正式採用」は、それまでの大和朝廷を一新させました。
それは、むしろ、国が変わる易姓革命よりも、持続的な意味において、
計り知れない変化です。

日本は、ここにおいて、つまり、「天皇号」正式採用により、
独立国としての、万世一系の天皇を中心とする神々の国、
となったのです。

天照大神を中心とする八百万神も、天皇誕生を喜んでいるのです。
その「天皇号正式採用」の喜びの表現が
「天神寿詞(あまつかみのよごと)」である、ともいえるのです。
 

(2)「天皇号」正式採用による、独立国家を
   証明する具体的な事例を知る人は少ない


「天皇号」の正式採用が、どれほど重大なことであったのか、
それを伝える人は、あまりにも少ない。
天武天皇が「天皇号」を正式に採用したことで、
成立した事例をあげれば、次の通りです。

①大嘗祭の創設
②伊勢神宮のリニューアル
③『古事記』『日本書紀』の編纂
④天皇即位式の完成
⑤律令制度の整備
⑥天神寿詞(あまつかみのよごと)の成立

何故、日本は、世界最長の国として、続いているのか?
その答えは、①~⑥を知ることによって、分かるのです。
PRになって、大変恐縮ですが、
是非とも、『大嘗祭・天皇号・伊勢神宮』
畑アカラ(ヒカルランド)をお読みください。
 


(3)天神寿詞(あまつかみのよごと)の成立は、
   「天皇号」正式採用と同時


「天神寿詞(あまつかみのよごと)」とは、天つ神が天皇を
寿(ことほ)ぎ祝う詞(ことば)の意です。

※祝詞(のりと)は、一般に人が神に申しあげる言葉です。
寿詞(よごと)は、神から人を通じて下される言葉ですから、
これを奏上することは、神の祝意を伝える、という意味です。

大嘗祭の時、または天皇が即位する日、中臣(なかとみ)氏が
これを読むのがならわしでした。
「中臣寿詞(なかとみのよごと)」とも言われています。

『日本書紀』において、持統天皇4年(690年)、
天皇即位に際して物部麻呂(もののべのまろ)は
大盾(おおたて)を立て、中臣大嶋(なかとみのおおしま)は
「天神寿詞(あまつかみのよごと)」を読み、
忌部色夫知(いんべのしこぶち)は神璽(かみのしるし)の
剣・鏡を奉上(たてまつ)ったことが記されています。

翌年の持統天皇5年(691年)にも、大嘗祭において
中臣大嶋(なかとみのおおしま)が「天神寿詞」を読んでいます。

『日本書紀』によりますと、天武天皇2年(673年)、
「大嘗(おほにへ)」を斎行しました。しかし、試行錯誤を
ともなった、完全には整っていない大嘗祭だったのではないでしょうか。
それでも、「天神寿詞(あまつかみのよごと)」は、中臣氏によって
読み上げられた、と想像できます。
 

(4)「天皇号」正式採用と独立国家の歓びで、
   中臣氏は、誇りを持って「天神寿詞」に「天皇」と記し、読み上げた


ここで紹介する天神寿詞(あまつかみのよごと)は、
平安後期の天皇・近衛(このえ)天皇(在位は1141年~1155年)の時のもの
ですから、はたして、天武・持統天皇と同じ時代の文面と同じなのか、
それが気になるところです。

天神寿詞(あまつかみのよごと)の出だしは次の通りです。

<< 現御神(あきつみかみ) と 大八嶋國(おほやしまくに・日本)
   所知食(しろしめ)す(統治されている) 
   大倭根子天皇(おほやまとねこすめら) >>

私は、大嘗祭創設の動機は、天皇号の正式採用にあると、
過去、何度も述べています。

天武天皇が天皇(北極星)たらんとして、伊勢神宮をリニューアルし、
大嘗祭を創設したのです。
そこに、天皇(北極星)の証明の呪術を施(ほどこ)したのです。

ならば、大嘗祭が創設された時の「天神寿詞(あまつかみのよごと)」の
奏上文には、誇りをもって、そして独立国の気概をもって、「天皇」と
記したに違いありません。

読み方は「すめら」ですが、今までの「すめら」ではありません。

太陽がこれから勢いを増していく日、そして北極星が最も長く夜空に
輝いている日・・・この冬至の日に、つまり、大嘗祭の日に・・・
天皇は、晴れて、天照大神(太陽)の御子(みこ・日の御子)となり、
天皇[北極星・天皇(てんこう)大帝]となられるのです。

そして、天武天皇が天皇号を正式に採用したことで、
真の独立国となったのです。
 


(5)大嘗祭は、「食(た)べする」総合的な祭


「天神寿詞(あまつかみのよごと)」を読んで驚いたことは、
「食」の字の多さでした。

それはまるで、『古事記』において、八岐大蛇(やまたのおろち)の場面を
読んでいて、「八・や」の文字の多さに驚いたときと似ています。

「天神寿詞(あまつかみのよごと)」には、次のような、
連続した言葉があります。
次の通りです。

又申(またまを)さく 天皇(すめら)が朝廷(みかど)に
仕(つか)へ奉(まつ)る(天皇様の朝廷に仕え奉る)・・・中略・・・ 
百姓諸諸集(おほみたから・もろもろ・うごな)はり侍(はべ)りて

①見食(みた)べ・[この大嘗祭の盛儀の様をご覧なさい] 
②尊(たふと)み食(た)べ・[この大嘗祭の聞(きこ)し食(め)す由来を貴びなさい] 
③歓(よろこ)び食(た)べ・[この厳粛な儀式を拝して歓びなさい] 
④聞(き)き食(た)べ・[この天つ神の寿詞(よごと)をよく聞きなさい]

この「食(た)べ」の文章が四回も連続し続くことの意味は、
どのように解釈したらよいのでしょうか?
意図して、このような文章にしたわけです。

天皇は、神様と一緒に新穀を召し上がる[食(た)べする]ことで、
皇位継承の資格を得るということです。
「食(た)べする」は、大嘗祭に相応しい寿詞(よごと)としての表現、
といえるのではないでしょうか。

高森明勅(あきのり)氏は、(小生が勝手に意訳すれば)、
大嘗祭は、天皇から百姓まで、日本の全ての人々が参加する、
民の奉仕・協力によって成り立つ祭であり、一緒になって
 <<「食べする」総合的な祭である>> 
というように述べています。
まさに、その通りだと思います。

◎天神寿詞(あまつかみのよごと)には、「知食(しろしめ)」と
「聞食(きこしめ)」の言葉が、多く使われています

天神寿詞に使われている、「知食(しろしめ)」と
「聞食(きこしめ)」を、全て取り上げてみます。
天神寿詞には、上記した4箇所を入れると、全部で、
11箇所に、使われています。
あえて取り上げるのは、この文章を読んだだけで、
天神寿詞の内容、つまり神様の言いたいことが分かるからです。

ちなみに、大祓詞(おおはらえのことば)にも、
6箇所で使われています。やはり、多いですね。

① 大八嶋國(おほやしまくに・日本) 所知食(しろしめ)す(統治されている) 
  大倭根子(おほやまとねこ)天皇(すめら)
 
② 安國(やすくに)と平(たひら)けく(安らかな平和の国として) 
  所知食(しろしめ)して(治められ)

③ 由庭(ゆにわ)に所知食(しろしめ)せ
  [大嘗祭の斎庭(ゆにわ)においてお召し上がりになられるように]

④ 天都(あまつ)水と所聞食(きこしめ)せ
  [天つ水として皇孫(すめみま)の尊はそれを召し上がりなさい]

⑤ 如此依(かくよ)さし奉(まつ)りし任任(まにま)に
  [このようにして皇祖の神々が皇孫(すめみま)の尊に
   お授けになられたまにまに] 
  所聞食(きこしめ)す(代々の天皇様がお召し上がりになられる)

⑥ 赤丹(あかに)の穂(ほ)にも所聞食(きこしめ)し
  (顔の色艶も赤々と輝くばかりに召し上がられ)
 
⑦ 八桑枝(やくはえ)の立榮(たちさか)え仕(つか)へ
  奉(まつ)るべき祷(よごと)を[いよいよ茂り栄える枝葉のように、
  栄えてお仕え申しあげることになるこの寿詞(よごと)を] 
  所聞食(きこしめ)せと[皇孫(すめみま)の尊(みこと)が
  お聞きなさいますようにと]
 

(6)「天都(あまつ)水」は、天から降る聖なる雨


「天神寿詞(あまつかみのよごと)」は、
中臣(なかとみ)氏の祖先が、命の水をもたらした、
と言わんばかりの詞(ことば)があり、
中臣氏の自画自賛には、苦笑せざるを得ません。
この「天都(あまつ)水」の神話は、要約すると次の通りです。

<< 中臣(なかとみ)の祖神でもある天児屋命(あめのこやねのみこと)が、
   子の天忍雲根神(あまのおしくもねのかみ)を天上に上らせ、
   神漏岐(かむぎ) 神漏美命(かむろみのみこと)から
   天(あま)の玉櫛(たまくし)を授かり、この玉櫛(たまくし)を
   刺立(さした)てたところ無数の竹の群れが生え、竹の下から
  「天(あま)の八井(やい)」が湧き出て、その水を
  「天都(あまつ)水」として持ち帰り、
   地上の水に加えなさいという、神話 >>

古(いにしえ)の「天都(あまつ)水」は、天上の神聖な
「天(あま)の八井(やい)」から湧き出る水であり、
それが地上に雨として降り、人々の生命の水として、
また五穀豊穣をもたらす水だったのです。

伊勢神宮にも「天(あま)の八井(やい)」と同様な物語があります。
それが「八盛(やもり)の水」です。

天(あま)の聖なる水は、同じ「八・や」、
つまり①「天(あま)の八井(やい)」と
②「八盛(やもり)の水」で表現されています。
古代日本の聖数「八・や」は、ここでも使われているのです。
 

(7)実りの秋は、赤い稲穂の波


「天神寿詞」には、次のような文章が記されています。

<< 赤丹(あかに)の穂(ほ)にも所聞食(きこしめ)して
   (顔の色艶も赤々と輝くばかりに召し上がられ) >> 

この「赤丹(あかに)の穂」が、赤米(あかまい)を、
意味していると思われます。

太古の日本は「赤米」を食べていました(他の種類の稲も作っていましたが)。
本居宣長(もとおりのりなが)は、「ニニギ」とは、
「丹饒(ににぎ)」で、稲の赤らんで稔(みの)った姿を
いうものとしています。

赤米は、日本の原種であったのです。従って、古(いにしえ)においては、
実りの秋は、黄金色ではなく、赤い穂の波であったのです。
 


(8)中臣氏は、亀卜(きぼく)ではなく、
   太兆(太占・ふとまに)で占ったと、主張


「天神寿詞」においては、悠紀(ゆき)国、主基(すき)国を
占う方法は、亀卜(きぼく)ではなく、太占(ふとまに)だったと、
記しています。

しかし、少なくとも、平安時代以降の宮中関連の卜占(ぼくせん)は、
それまでに行われていた鹿の肩甲骨(けんこうこつ)を使った
太占(ふとまに)から、亀卜(きぼく)へと変わったのです。

ならば、飛鳥時代の初期大嘗祭においては、「天神寿詞」に
記してあるように、太占(ふとまに・鹿占・しかうら)であったのです。

『古事記』の天の岩屋戸において、このようなことが書かれています。

<< 天兒屋命(あめのこやねのみこと)、布刀玉命(ふとだまのみこと)を
   召(め)して、天の香山(かぐやま)の眞男鹿(まをしか)の肩を
   内抜(うつぬ)きに抜きて、天の香山(かぐやま)の天の朱櫻(ははか)を
   取りて、占合(うらな)ひ まかなはしめて >>

※朱櫻(ははか)は、「ウワミズザクラ」のことであると言われています。

中臣氏は、「中臣氏のご先祖様である天兒屋命(あめのこやねのみこと)は、
天石屋戸において、既に、太占(ふとまに・鹿占・しかうら)をしていたのだ」と、
その歴史を誇っているのです。
 


(9)『天都詔戸(あまつのりと)の太諸刀言(ふとのりごと)を
   以(もち)て告(の)れ(告り申しなさい)』について


「天神寿詞」には「天都詔戸(あまつのりと)の太諸刀言(ふとのりごと)を
以(もち)て告(の)れ」と記してあります。

この文言は、大祓詞(おおはらえのことば)にもあり、
この文言に対して、多くの説があります。その説の多さに、
大変驚いてしまいます。

この件、私は全く近寄ってもいないので、いま言えることは
何もありませんが、八の世界かも知れません。

賀茂真淵、本居宣長は、天都詔戸(あまつのりと)の
太諸刀言(ふとのりごと)を、大祓詞(おおはらえのことば)
自体のことであるとする説を唱えました。

これに対して平田篤胤は『古史伝』で「天照大神から口伝の
天津祝詞之太祝詞事(あまつのりとのふとのりごと)という
祝詞(のりと)があり、中臣家に相伝された」という説を唱えました。

伯家神道の流れを汲む教派系においても、そして吉田神道においても、
「トホカミエミタメ」を重要な神呪としています。

吉田神道と伯家神道は、宮中八神を祀っていたことで、有名です。
八の探究家としては、八との関連が想像されて、興味を持たざるを
得ませんので、今後の課題としたいと思います。

私としては、御膳(みけ)八神、宮中八神、北斗八星、
八重畳(やえだたみ)、八開手(やひらで)、八度拝、
八角形高御座(たかみくら)、八角形天皇陵、等々、
興味は尽きないですね。

ホツマツタヱでは「トホカミエミタメ」ではなく、
「トホカミエヒタメ」で、太占(フトマニ)図があり、
その内側の八言が「トホカミエヒタメ」となっています。



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