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第3回『日本人は、生きる術として、「斎庭の穂」を選択した』

第3回目
日本人は、生きる術(すべ)として、
「斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)」を選択した


(1)三代続く、真床覆衾(まとこおふすま)の事例
(2)天照大神の日の御子(みこ)に、「穂」の付く名が
   三代続いて入っている

(3)高天原も、地上も、ペアの聖田である、その理由
(4)ペア(対)の聖田と、天孫降臨による
  「斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)」の八州(やしま・日本)への広がり

(5)以上の一覧から、何を述べることが出来るのか?

(1)三代続く、真床覆衾(まとこおふすま)の事例

前回のブログ連載の第6回目において『ニニギノミコトから続く、
連続三代の真床覆衾(まとこおふすま)の事例を、無視できるのか?』
について記しました。

そこでは、『日本書紀』に記されている、三代続く
真床覆衾(まとこおふすま)の事例に対して、
無視できる勇気を持てないとし、折口信夫氏の
「真床覆衾論」を擁護しました。

※衾(ふすま)は、掛け布団の薄いようなもの。

①ニニギノミコトが、真床覆衾(まとこおふすま)に
 覆われて、地上に天降る場面

②海神(わたつみかみ)が、ニニギノミコトの子供・
 山幸彦(やまさちひこ)を招き入れて、
 真床覆衾(まとこおふすま)を設(しつら)えて、
 天神(あまつかみ)であるのか、ないのか、様子を
 確かめる場面

③豊玉姫(とよたまひめ/夫・山幸彦)が、生んだ子・
 鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)を、
 真床覆衾(まとこおふすま)に包み、海辺に置いて、
 海に帰ってしまう場面


この事例は、天孫降臨から始まり、天皇の誕生へと続く、
重要な意味を含んでいると、思われます。

このことと、同様に、もう一つの、三代続いた、
意味深い重要な事例があります。

それは、三代続いて、日の御子(みこ)の名前に
「穂」の字が付いていることです。

高天原(たかあまはら)の「斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)」が、
地上に降ろされ、八州(やしま・日本)全土へと広がる様相を
表現している、ともとれます。


(2)天照大神の日の御子(みこ)に、「穂」の付く名が
   三代続いて入っている

天孫降臨神話に関わりのある、三代続く日の
御子(みこ)の名には、「穂」の字が付いています。
天照大神の子孫が「斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)」を
たずさえて降臨し、地上においても「斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)」を
広めようとしたことが分かります。


次のように、なります。
天照大神
→①アメノ(ホ)シミミ
 「天上の立派な穂のような方・天照大神の子供」

→②ヒコ(ホ)ノニニギ
 「稲穂のニギニギしく稔(みの)った姿・
  瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)・天照大神の皇孫(すめみま)」

→③ヒコ穂穂(ホホ)デミ
 「優れた男の人で稲穂が盛んに出るさまを表している・
  山幸彦(やまさちひこ)・ニニギノミコトの子供)」

※天照大神が天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと)を
 降臨させるも、途中で引き返してしまう。結果、天忍穗耳尊は、
 その間に生まれた息子の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に
 行かせるようにと進言し、瓊瓊杵尊が天降ることになる

※『古事記』では、山幸彦(やまさちひこ)は、
 火遠理命(ほおりのみこと)、 天津日高日子穂穂手見命
(あまつひこひこほほでみのみこと)と記されています。

※ヒコ穂(ホ)ノニニギ「稲穂のニギニギしく稔(みの)った姿・
 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」は、瑞穂(みずほ)の国の
 高千峯(たかちほのみね)に降臨します。


(3)高天原も、地上も、ペアの聖田である、その理由


不思議なことに、高天原でも、地上でも、
ペアとして聖田が存在しています。
何等かの意味を感じ取らざるを得ません。
大嘗祭において、聖田は、何故、悠紀田(ゆきでん)・
主基田(すきでん)の2つに分かれているのか?
そして、この件は、何故、神殿は2つなのか?
ということに通じるものがあります。


ペアの聖田を取り上げてみましょう。

①高天原の聖田

天照大神は、高天原において、2つの聖田・
「天狹田(あめのさなだ)」と「長田(ながた)」を
持っていることが、『日本書紀』に書かれています。


<<  素戔嗚尊(すさのおのみこと)の爲行(しわざ)、
    甚(はなは)だ無状(あづきな)し。 何(いかに)とならば、
    天照大神(あまてらすおほみかみ)、「天狹田(あめのさなだ)」・
    「長田(ながた)」を以(も)ちて御田(みた)としたまふ。 >>

                 (『日本書紀』神代紀 第七段 本文)


②木花開耶姫(このはなさくやひめ)の聖田

木花開耶姫(このはなさくやひめ)は、高千穂峰に降臨した、
ニニギノミコトと結婚しましたが、ニニギが降臨する際、
携えていた「斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)」で、自分の田を
作っていたと想像されます。


<<  時に神吾田鹿葦津姫(かむあたかしつひめ・木花開耶姫・
    このはなさくやひめ)、卜定田(うらへた)を以(もっ)て、
    号(なづ)けて「狭名田(さなだ)」と曰(い)ふ。
    其(そ)の田の稲を以(もっ)て、天甜酒(あめのたむさけ)を
    醸(か)みて嘗(にひなへ)す。又「渟浪田(ゆなた)」の稲を
    用(も)て、飯(いひ)に為(かし)きて嘗(にひなへ)す。  >>

               (『日本書紀』神代紀 第九段一書第三)


木花開耶姫(このはなさくやひめ)は、「狭名田(さなだ)」と
「渟浪田(ゆなた)」の聖田を持っていたことになります。

※卜定田(うらえた)とは、占いによって定められた
水田のことです。

③伊勢神宮の聖田

伊勢神宮は、天照大神の神慮により外宮が出来ました。
外宮が出来たことから、ペアの聖田が出来た、とも言えます。
「内宮の御田(みた)」と「外宮の御田(みた)」です。
天照大神・豊受大神(とようけのおおかみ)に捧げる毎日の
御饌(みけ)は、外宮の御田(みた)から採れる稲を使います。

④大嘗祭の聖田

大嘗祭において、最初にすることは、「悠紀(ゆき)国」と
「主基(すき)国」の二国を、卜定(ぼくじょう)することです。
つまり、「悠紀田(ゆきでん)」と「主基田(すきでん)」を、
占いで決めることです(まず国を決め、田の場所は後から)。

何故、聖田を二国に分けるのか? 
何故、大嘗宮は二国を象徴する神殿となるのか?

大嘗祭のこれらのことは、高天原の2つの聖田、
木花開耶姫(このはなさくやひめ)の2つの聖田、
伊勢神宮の2つの聖田、と関係があると想像できます。


(4)ペア(対)の聖田と、天孫降臨による
   「斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)」の
   八州(やしま・日本)への広がり

以上の事例を、1つに纏めると、
次のように、記すことが出来ます。


高天原・天照大神 
→ 「斎庭(ゆにわ)の(いなほ)」
  ①天狹田(あめのさなだ)
  ②長田(ながた)

→ アメノ(ホ)シミミ
 「天上の立派な穂のような方(天照大神の子供)」

→ ヒコ(ホ)ノニニギ
 「稲穂のニギニギしく稔(みの)った姿・
  瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨。天照大神の皇孫(すめみま)」

→ ヒコ(ホ)ノニニギ、高千峰(たかちほのみね)へ降臨

→ ヒコ穂穂(ホホ)デミ
 「優れた男の人で稲穂が盛んに出るさまを
  表している・山幸彦・ニニギノミコトの子供」の配偶者・
  木花開耶姫(このはなさくやひめ)が
 「斎庭(ゆにわ)の(いなほ)」を栽培
  ①狭名田(さなだ) 
  ②渟浪田(ゆなた)

→ 伊勢神宮
 ① 内宮の御田(みた) 
 ② 外宮の御田(みた)

→ 天武天皇・大嘗祭
 ① 悠紀国(ゆきこく)・悠紀田・悠紀殿
 ② 主基国(すきこく)・主基田・主基殿 


(5)以上の一覧から、何を述べることが出来るのか?


この一覧からは、天孫降臨により、「斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)」が、
地上の八州(日本)に広がっていくさまが、想像でき、
気持ちがわくわくしてきます。

上記、四事例のペアの聖田が、それぞれ、陰陽を表現しており、
なおかつ、八州(日本)を表現していると、思われます。

二で、八を表現していると、思われます。
つまり、二箇所の聖田で、八州(日本)の田を表現しているのです。

◎高天原の聖田

高天原は、八州(日本)の原型として存在しているならば、
まさしく、二つの聖田「①天狹田(あめのさなだ)②長田(ながた)」
でもって、八州(日本)の田を表現していると、思われます。
そして、八州(やしま)に稲が広がることを願っているのです。

※天神寿詞(あまつかみのよごと)には、高天原の水
「天(あま)の八井(やい)・天都水(あまつみず)」も、
八州(日本)の地上に届くようにしなさい、と記されています。

高天原の良いことは、地上の八州(日本)に伝えなさい、
との態度を取っています。

◎木花開耶姫(このはなさくやひめ)の聖田

木花開耶姫(このはなさくやひめ)の作っていた聖田
「①狭名田(さなだ)②渟浪田(ゆなた)」は、
占いによって定められた水田です。
大嘗祭の聖田のルーツが、ここにあると想像することは、
可能であると思います。

何故ならば、大嘗祭の2つ聖田「悠紀田(ゆきでん)・
主基田(すきでん)」も、占いで決めるからです。


◎伊勢神宮の聖田

伊勢神宮の聖田は、「内宮の御田(みた)」と
「外宮の御田(みた)」に分かれます。
そもそも、伊勢神宮の呪術自体(天武天皇のリニューアル)が、
内宮と外宮で、天皇を中心とする八州(日本)を表現しています。

よって、2つの聖田「①内宮の御田(みた)と
②外宮の御田(みた)」は、八州(日本)を表現していることは、
これまで私が述べてきた伊勢神宮の呪術(「北極星・北斗八星」)からしたら、
当然なことです。


◎大嘗祭の聖田

大嘗祭の聖田「①悠紀田(ゆきでん)②主基田(すきでん)」は、
これら上記の事例の影響を受けたものと、考えられます。

いままで、二で八を表現しており、それは、八州(日本)を表現
している、と述べてきましたが、大嘗祭の場合は、より具体的に、
2つの国を卜定(ぼくじょう)しています。
私は、大嘗祭と、新嘗祭の大きな違いは、民の参加が有るか無いかの
違いによると、述べてきました。
つまり、民の参加がある、「君民一体」が、大嘗祭の眼目の一つでも
あるのです。

地方の悠紀国(ゆきこく)と主基国(すきこく)の
百姓(おおみたから)が、悠紀殿と主基殿の神殿を作る。
そして、その百姓(おおみたから)が、
天皇と神様が共食する、神饌「しんせん(米と粟)」を作る。
この神とする最も重要なもの(米と粟、神殿)を、
二国の地方の百姓(おおみたから)が作ることに、
大嘗祭の意義があるのです。

不思議ですね。一箇所でやれば簡単にすむものを、なぜ、
二箇所に分けて神事を行うのでしょうか?

それは、「悠紀(すき)国」と「主基(すき)国」で、
八州(やしま)(日本)を代表しているからだと思われます。

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の
国生み神話によれば、この二神によって、八州(やしま・日本)が
誕生しています。

大嘗祭においては、「悠紀(ゆき)国」と「主基(すき)国」で、
日本全体を表現しているのです。

よって、大嘗祭においては、悠紀国と主基国の百姓(おおみたから)が、
参加・奉仕しますが、それは、八州(日本)の人々を代表して
参加・奉仕している、ということになります。

また、「悠紀(ゆき)田」と「主基(すき)田」の稲は、
八州(日本)を代表する稲、そして八州(日本)の国魂を
意味している、と思われます。

さらに言えば、「悠紀田・主基田」の稲は、
高天原(たかあまはら)から地上に降りた「斎庭(ゆにわ)の穂
(いなほ)」の稔(みの)りを意味しているのです。

大嘗祭において、皇孫(すめみま)、すなわち天皇は、
ニニギノミコトという名に象徴される稲穂のニギニギしく
稔(みの)った姿を身に付けられるのです。

大嘗祭においては、天皇は、八州(日本)を代表する、
悠紀国・主基国の百姓(おおみたから)が作った
「斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)」である神饌(しんせん)を、
神様と一緒に食することで、皇祖の霊威を身につけ、
天照大神(北極星)とご一体になられるのです。
このことにより、天皇は、日の御子になられるのです。
そして、勿論、北極星(天皇)にもなられるのです。



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