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第4回 大嘗祭

「冬至の呪術が分からずして、大嘗祭は語れない」

大嘗祭は、冬至祭です。
この冬至祭ということが、
太陽祭(天照大神祭)と北極星祭(天皇祭)
であることの証明になるのです。

しかし、大嘗祭は冬至祭である、ということを
本格的に論じている本は、あまりにも少ない。

折口信夫(しのぶ)氏に代わって、
今や國學院大學の顔とも言える岡田莊司(しょうじ)氏も、
『大嘗祭と古代の祭祀』
(吉川弘文館・2019年3月20日・発行)の本の中では、
不思議なことに、
冬至のことは全く論じていません。

なぜ、大嘗祭は冬至祭なのか、
についてアプローチをしなくては、
天照大神(太陽)の内面は語れないはず、
と思うのですが。

大嘗祭1023.jpg


(1)冬至とは

大嘗祭は、冬至の日を「想定」して行われます
(旧歴ですと、日にちを確定出来ません)。
実際は、冬至の日とは限りませんが、
十一月の下の卯(う)の日
(卯日が三回の時は中卯)に行われます。

では、冬至とは、
どのような意味を持っているのでしょうか?


冬至とは「日短きこと至る(きわまる)」を意味します。
冬至は一年間で最も日照時間の短い日で
太陽の力が一番弱った日です。
しかし、冬至を境に日照時間が長くなります。
よって、太陽が力を取り戻してくるので、
冬至は「太陽復活の日」とされました。

陰極まれば万物みな衰えて死に、
太陽の帰り来るということから
「一陽来復(いちようらいふく)」とも言われています。


北欧に伝わる古い冬至祭は「ユール(Yule)」とよばれ、
太陽の神が再び力を取り戻す日とされています。
現在では「クリスマス」の意味で用いられるようです。

大嘗祭は、太陽の力が最も弱った冬至の日に、
つまり、太陽復活の日に、
太陽の恵みによって育った新穀を、
天皇が天照大神(太陽)と共に食べるという行為によって
天照大神の霊威を身につけ、天皇の威力を取り戻す、
ということであったのです。

つまり、大嘗祭は、冬至祭、であったのです。

しかし、これだけではありません。
この天照大神(太陽)に加わる神様があります。
北極星(天皇)が加わるのです。



(2)冬至は、北極星(天皇)の
 最も長時間輝いている日

冬至の日は、一年間で最も日照時間の短い日で
太陽の力が一番弱った日、ということで、
太陽(天照大神)ばかりが注目されがちです。

これまでの大嘗祭の本を読んでいますと、ほとんどが、
太陽(天照大神)の衰えと復活にばかり触れています。
不思議なことに、星については、
ほとんど触れられていないのです。

一年のうちで、太陽が最も短く空に見えている
冬至の日ということは、
最も長く星空(北極星)が輝いている日、
ということです。

ならば、北極星が最強になった日が冬至、
ともいえるのです。
大嘗祭の最も重要な神事は、夜に行われます。
太陽(天照大神)だけの神事でしたら、
昼間行われるべきです。

このように考えますと、
冬至の日(想定して)の夜、
つまり、北極星最強の日に、
天皇親祭(しんさい)として行われる大嘗祭において、
「天皇=北極星」であることを無視して
お祭をすることは、
不可能なことが分かります。
 
よって、大嘗祭は、「太陽(天照大神)祭」と
「北極星(天皇)祭」になるのが、
最もふさわしい形といえるのです。
 
これが、冬至の日からみた、
太陽(天照大神)と北極星(天皇)の関係です。
 
大嘗祭においても、天皇(北極星)存在の証明は、
冬至祭とすることで、合理的に説明できるのです。


(3)大嘗祭において、北極星(天皇)を
 祀っている証拠が出てきた

さらに、冬至のことを調べてみると、
中国皇帝は、冬至祭で昊天上帝(こうてんじょうてい)を
祀(まつ)っていることが分かりました。
大嘗祭は冬至祭です。
ならば、大嘗祭も北極星(天皇)を祀っていると
推定できます。
  
今まで大嘗祭探究家は、
幅広く史料を集め紹介しています。
しかし、その中からは、
北極星を祀っているという箇所を、
なかなか見つけられませんでした。
しかし、とうとう、その箇所を見つけたのです。


田中初夫氏の
『践祚(せんそ)大嘗祭』(木耳社)を読んでいて、
私の説の正しさを確認出来る(?)記述があり、
その歓びで思わず立ち上がるほどでした。
それほど、嬉しかったのです。


田中初夫氏は、
『践祚(せんそ)大嘗祭』(木耳社)の中で、
『続(しょく)日本後紀』の仁明(にんみょう)天皇
(在位 833~850) 十一月丁卯(ひのとう)の条に

「天皇八省院に御(ぎょ)して、
禋祀(いんし)の禮(れい)を脩(おさ)む」
との記事があることを紹介しています。


禋祀(いんし)の解説として、
①[禋祀(いんし)ハ天神ヲ祭ルナリ」、
と記しています。

そして、田中氏は、
②『日本書紀』持統天皇五年十一月(しもつき)の条の
「大嘗(おほにへ)す。
 神祇伯(かむつかさのかみ)中臣朝臣(かなとみのあそみ)
 大嶋(おほしま)、天神壽詞(あまつかみのよごと)を
 讀(よ)む。
(この中に天神の言葉が出てきます)」
の文章を紹介しています。


この文章の中の二つの「天神」を比べて、
田中初夫氏は次のように述べています。


②持統(じとう)紀の「天神」と、
この①仁明紀の禋祀(いんし)の「天神」とは
恐らくは同じ様な観念で
使用された言葉であると思われるが、
その実体が高天原(たかあまはら)の神々を指すものか、
天照大神御一体を指すものかはあきらかではない。

しかし、この「天神」と言われる神が
大嘗祭の祭神とされていることは間違いない。 


この二つの「天神」は、
大嘗祭の祭神であろうと述べているのです。
「禋祀(いんし)」で祀られている天神は、
大嘗祭の神様であろうと述べているのです。


(4)天皇を祭る「禋祀(いんし)」とは

「禋祀(いんし)」について調べてみました。
この「禋祀(いんし)」ですが、
『周礼(しゅらい)』に出てくる言葉です。


※『周礼(しゅらい)』とは、中国,最古の礼書の一つで、
 『礼記(らいき)』『儀礼(ぎらい)』とあわせ
 「三礼(さんらい)」ともいいます。
 周公(しゅうこう)の撰(せん)と伝えられ、
 周王朝(紀元前一〇四六年~紀元前二五六年)の
 行政制度を記述したものです。


春官(しゅんかん)・大宗伯(たいそうはく)、
曰(いわく)く
「禋祀(いんし)を以(もち)て、
 昊天上帝(こうてんじょうてい)を
 祀(まつ)る、実柴(じっさい)を以て
 日月星辰を祀る」

つまり、何と、「禋祀(いんし)」とは、
昊天上帝(こうてんじょうてい)を祀る祭である、
ということなのです。

 
漢代に、鄭玄(じょうげん)という大学者が、
『周礼(しゅらい)』に注釈をつけて、
「昊天上帝」とは
「天皇大帝(てんこうたいてい)」のことなり、
としています。

ということは、大嘗祭の祭神は、
「昊天上帝=天皇大帝=北極星=天皇」
ということになります!!

(5)『続(しょく)日本後紀』・
 仁明(にんみょう)天皇紀は、
 第一級史料ではないのか?

さらに驚いたことに、
『続日本後紀・全現代語訳』(森田悌・講談社)では、
「禋祀(いんし)の禮(れい)を脩(おさ)む」の部分を
「大嘗祭の儀を行った」と現代語訳してあったことです。


現代語訳しか読まなかったら、
大嘗祭とは「禋祀(いんし)」のことである、
とした最重要の部分を見落とすことになります。


森田氏も、「禋祀(いんし)=大嘗祭」と
認めていたわけです。

大嘗祭の探究において、
仁明天皇紀のこの一文を超える史料が、
他にありましょうか?

「禋祀(いんし)」を避けて、大嘗祭を語るなかれ、
と声を大にして言わざるを得ません。


(6)なぜ、真実を語らないのか?


不思議ですね。「禋祀(いんし)」のことを、
何故、誰も詳しく探求しないのか? 
何故、語らないのか?

田中初夫氏も史料として記してあるだけで、
実際の大嘗祭との関係について述べていません。


せめて「禋祀(いんし)」とは
昊天上帝(こうてんじょうてい)に
繋がるものだということだけでも、
記しておいてもよかったのでは、と思う次第です。


吉野裕子(ひろこ)氏は、
太一(たいいつ)(北極星神)も
大嘗祭の祭神の中の一柱であると論じています。
吉野裕子氏にとって、大変、
有利な史料となるはずです。


吉野氏の出版本『大嘗祭』(弘文堂)を読むと、
田中初夫氏の『践祚(せんそ)大嘗祭』からの引用が、
度々あります。

しかし、それなのに、
「禋祀(いんし)」については
一言も述べていません。
私は、何故、という思いで頭の中が
混乱してしまいます。


仁明天皇(在位 833~850)と
『続(しょく)日本後紀』の代表編者・
藤原良房(よしふさ)(804~72年)は、
「大嘗祭=禋祀(いんし)・
 (昊天上帝)=北極星」を
祀(まつ)る、と思っていたわけです。

 
私は、以前から、たびたび、
天武天皇は天皇号を正式に採用し、
天皇(北極星)たらんとして、
その証拠を証明する場所として、
伊勢神宮をリニューアルし、大嘗祭を創設したと、
述べてきました。

伊勢神宮においては、吉野裕子氏の説のおかげで、
自説「北極星(太陽・太極)
 北斗八星(八州・八卦)」の
呪術の正しさを証明できたと思っています。

 
勿論、この基本呪術は、
天武天皇が、中国の呪術を参考にして、
日本独自の呪術として考案したものであり、
「国家の呪術暗号」に相当するものである、
というのが私の主張です。

しかし、大嘗祭においては、天武天皇の
[北極星(太陽・太極)北斗八星(八州・八卦)]の
呪術が施(ほどこ)されている、
という直接的な証拠を見つけられなかったのです。


このたび、初めて、その証拠の一部を
見つけることが出来たのです。
少なくとも、昊天上帝(こうてんじょうてい)と
同じ意味の北極星を祀っていることは分かったのです。


勿論、大嘗祭において、
天照大神を祀(まつ)らなければなりません。
『古事記』には「日(ひ)の御子(みこ)」という
言葉を持つ歌謡が五首あり、
天皇は天照大神の子孫であることを
強調しながら讃(たた)えています。


また、大嘗祭は伊勢神宮とセットですので、
天照大神は祀られていて当然なのです。

よって、大嘗祭において、
天照大神と北極星(天皇)が
祀られたことが推察できるのです。

このことは、私が今まで主張してきた、
伊勢神宮同様、大嘗祭においても
天照大神(太陽)と北極星(天皇)は習合している、
ことの証明になったのです。


次回は、今回記すことが出来なかった
大嘗祭における北斗八星の動きを、
図でもって解説します。

天の大時計・北斗八星に従って、
大嘗祭の神事は進んでいきます。
夜空に輝く、北極星と北斗八星が、
大嘗祭を描いているのです。



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