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僕が地球にやって来たワケ 第14回

最近思うこと


8月の初めに、片山エリコさん率いる奉仕団のグループと、8回目の
イスラエル旅行をしてきました。エリコさんは、『ザ・フナイ』に
連載をしてくださっているさまざまなバックグラウンドを持つ敏腕
経営者です。別名「歩くパワースポット」として有名な方で、皇居
勤労奉仕を80回以上しているパワフルな方でもあります。

出会いは父・舩井幸雄からでした。十数年前、父が対談相手を探して
いる場所に、編集者がエリコさんをたまたま連れて行って、ほんの
少し数分話しただけで父が当時はまだ無名の彼女を対談相手に指名
したという逸話もあります。

「旅は誰とするか」を何よりも大切にしている私にとって、毎回
気の合うメンバー、そして 日本人随一のイスラエルエキスパートの
赤塚高仁さんとともに旅をするのは、「覚醒」レベルの気づきと
体験に満ちた旅です。今月、来月で、イスラエルでの最近の気づき
を書かせていただきたいと思います。

「イエス様に会える旅」

中東・イスラエルといえば「砂漠」をイメージされる方も多いで
しょう。国土の6割を砂漠が占めます。砂漠の定義を旅で初めて
知りました。年間平均降雨量は200ミリ以下を言うのだそうです。
車窓からは、荒野が広がり、イスラエル建国以来、砂漠の開拓を
パワフルにミッションとしてきたこの国の意志に想いを馳せる
ことになります。集団農場を意味するキブツでは、砂漠での農業
技術が辛抱強く研究され、世界での最先端のテクロノジーを見る
ことになります。

イスラエルの面積はちょうど日本の四国ほどなので、車でどこへ
でも日帰り旅行ができます。イスラエル旅行の観光の目的は、
聖地巡礼、イエスの足跡を巡るといったものがメインで、世界中
から人がやって来ます。

20回以上この地を訪れている赤塚さんの案内で、毎回必ず訪れる
教会がいくつかあります。その教会にまつわる聖書のお話の講義
タイムがあり、これが本当に素晴らしいのです。赤塚さんは、
聖書の現場で行う聖書講義を「足の裏で読む聖書」と名付けて
います。

実は礼拝そのものより、赤塚さんの聖書講義が楽しみな旅の
リピーターさんが多数います。特に私が毎回心待ちにしている
のは「ペトロ召命教会」と「鶏鳴(けいめい)教会」の2つです。
ペトロ召命教会はガリラヤ湖北西部のタプハにあります。
湖畔の木陰で聴く、召命教会にまつわる新約聖書の「ヨハネに
よる福音書21章15節」の箇所の講義には胸打たれます。
この教会は、復活後のイエスが弟子たちに朝ご飯を作って食べ
させた場所として有名です、岩の上にイエスが一番弟子の
ペトロに「わたしの小羊を飼いなさい」と言ったのもこの場所
です。復活したイエスが弟子たちの前に現れ、イエスは一緒に
朝ご飯を食べました。弟子たちはその姿を見て、「ああ、
イエス様は本当に復活してくださったんだ」ということが
分かったのですが、この話を聞くと、いつも近くにイエスが
やって来ているかのような、まるで復活の瞬間に立ち合った
ような感動があり、ひとえに赤塚さんのお話の迫力のおかげです。

それから、「鶏鳴教会」、エルサレムのシオンの丘の大祭司の
屋敷で、映画「サン・オブ・ゴッド」の舞台になった場所です。
こちらの場所にまつわる新約聖書の箇所は「ヨハネによる福音書
18章15節」です。 イエスはゲツセマネの園で捕らえられた後、
大祭司の元へ連れて行かれますが、その際に、イエスを追って
やってきた弟子の一人がペトロでした。話は前後しますが、
捕まることが分かっている前夜、「最後の晩餐」の際に、
「イエス様を命に代えてもお守りします」といったペトロに
イエス様は「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを
知らないと言うだろう」と言います。そしてまさに、イエスを
追ったときに「イエスなんて知らない」と3回否定してしまい、
鶏が鳴くのです。その鳴き声を聞いて、ペトロも号泣した場所が
まさにこの教会でした。

そのときのペトロの心情は、良心の呵責でしょうか、もしくは
イエスの弟子の心情を先の先まで読んだ深い慈愛に満ちた気持ち
に打たれて、ペトロは慟哭の時を迎えたのでしょうか。
聖書講義のときの赤塚さんは文字通り神がかっていて、話の結末
に差し掛かった後、赤塚さんがはっきりとした答えをおっしゃら
ないこともありますが、聞き手それぞれがそのときのタイミング
にふさわしい気づきをもらえる時間になります。

私は、アガペーの愛について思いを馳せていました。一般的に
男女間にある愛の感情は「エロス」と呼ばれ、「神の無限なる
無償の愛」を表す概念を「アガペー」と呼びます。神は完全な
存在であるので、そうでない存在の人間に向けられる愛が
「アガペー」ですが、この見返りを求めず、条件をつけない愛の
在り方は、果たして人間から与えることは不可能なのだろうか。
人間から一心に神に愛を差し出すことを実践していくことで、
目の前にある人間同士の関係性においても果敢に「アガペー」の
愛に近づいていく道はあるのではないのではないか、とそんな
ことを考えながらこの教会を後にしました。

赤塚さんは、いつも教会の内部のガイドには時間をかけません。
どの教会も常に観光バスがたくさん停まっていて、周辺は大変
賑わっているというのに、いつも講義を聴くにふさわしい
ちょっとした木陰が奇跡的に一つだけ空いているということが
必ずあります。私は「あぁ、イエス様がまた私たちに最善の
空間を用意してくださった」といつも実感します。皆様にも、
赤塚さんのガイドによる旅をぜひ一度体験してほしいと思います。

「2つ命題をくれたイスラエル」

『にんげんクラブ』の巻頭言ですから、どんどん「目に見えない
体験」を書いていこうと思います。イスラエルに旅していると、
天の声がしばしば聞こえることがあります。そんな体験は日本で
はほとんどないことです。2011年、東日本震災の年に、小川雅弘
さんたちと出かけた際に、エルサレムから日帰りで死海ツアーに
訪れました。

ご存じの方も多いと思いますが、死海は海抜マイナス400
メートルの場所にあります。死海沿いを歩いていると、突如私の
耳元で「約束を果たせ」という声が聞こえました。
「『砂漠に雨が降り、サフランの花が咲く』それがおまえの
ミッションだ」と。壮大きわまりない話ですが、その瞬間、
命題となり、私の中で強く息づいていることです。

それから、赤塚さんと初めて出かけたときには、ある高名な先生と
ご一緒したツアーだったのですが、メンバーが先生のお弟子さんが
半分、赤塚さんの関係者が半分で構成されていました。旅の途中、
それぞれの派閥ができてしまいシビアな諍(いさか)いが起こり
ました。心の中にたまったものを互いにぶつけ合う、かなり激しい
怒声が飛び交う中、私は両方の言い分を聞いて、その場をいさめ
ました。普段なら、迷いがあったと思うのですが、ものすごく中庸
な心持ちで、自分で言うのもなんですが、大変冷静にスマートに
解決できたと思います。赤塚さんはそのとき、私をとても認めて
くれたと後で聞きました。それまで赤塚さんと私は、イデオロギー、
よって立つ国家観などがことごとく違っていて、内心それぞれに
相容れないものを感じていたのですが、その後急激に仲良くなりま
した。お互いを認めつつ、成長を応援し合う心の友としてご縁が
続いています。

私自身も、それまで意識したことのなかった「ニュートラルな立場
で他者の人間関係を円滑にする」という自分の持ち味に気づき、
この使命を大切に、仕事や私生活にも生かすべく、努力するように
なりました。このようにイスラエルは、私にとって人生にとって
大切な命題という素晴らしいギフトをくれる場所になっています。

赤塚さんとの共著『聖なる約束』(きれい・ねっと刊)も、ぜひ
お読みいただけたらと思います。

「見守るより寄り添う」

そして、「イスラエルの旅の気づきベスト1」は、奇跡の体験から
でした。昨年のにんげんクラブ主催ツアーでのことでした。
前述の召命教会は普段午前8時にオープンなのですが、無理を
言って、7時半から30分間を我々だけの貸切にしてもらいました。
貸切のはずなのに、音を立てて悠々と掃除機をかけるユダヤ人の
係員には苦笑するしかありませんでしたが、それでも牧師さんの
説教スペースでゆったりと祈りを捧げることができました。

そのとき、私はイエス様を今までになく近く感じました。驚くべき
ことに、イエス様はひざまずいた私たちの下にうずくまっておられ
たのが見えました。これまで私の中でのイエス様は「天の父」、
天界よりこちらを見下ろしている画でした。そのイメージを全く
覆す限りなく床に近い位置から、私を見上げておられていたのです。

私は、イエス様は見守っているのではなく、寄り添ってくださって
いるんだなということを確信し、下記の詩を思い出しました。
少し長いのですが、引用します。


ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。

わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。

それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。

「わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。あなたを決して
捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。

あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた(のだ)。」

クリスチャンには有名な、マーガレット・F・パワーズという方の詩
ですが、まさに私が感じたイエスとの距離感を表していると思います。
そして、「愛の量子力学」について思いを馳せました。
私なりに次元を表現するなら、1次元は「ワンネス」、2次元は
「ありのまま」、そして3次元は「他者と比較のある、今我々が
生きている世界」です。1次元が最も高次元と考えるのが本来なら
しっくりきますが、「神」の次元、1次元にいらっしゃるイエス様は
もしかして、一番下にいらっしゃって、私たちの3次元を見上げて
くださっているのかもしれないと、先ほどの教会で雷に打たれた
ように啓示がやって来ました。

「どん底のときこそ、神が一番近くにおられる」。
私の目の前にイエス様が現れ、身をもって体験したこのことこそ、
皆さんにも一番シェアしたいことです。父がよく言っていた
「経営者は、仕事をしていると、人生で3回くらい首を括りたく
なるような修羅場がやって来る」との言葉が、たまに頭をよぎり
ますが、不安がやって来るごとに、安寧に満ちた向き合い方が
できそうです。

来月号では、イスラエルで気づいたマクロな視点での世界情勢に
ついて書かせていただきたいと思います。



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