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夏だからというわけではありませんが、国防について考えています。
実は私は、つい最近まで憲法は絶対に改正すべきではないと思って
いました。日本が国防を考え始めると、中国や北朝鮮や韓国等の近隣
諸国が刺激されて軍事増強に走ることは想像に難くありません。
また、安保条約を結んでいるアメリカも日本の軍事増強を望んでおらず、
在日米軍は自衛隊の瓶の蓋としての機能を果たしているのだから、
そこに余計な波風を立てるのは得策ではないと思っていたからです。
しかし、どうも状況は変化してきているようです。一番大きな原因は、
経済力も含めた日本の国力が落ちてきていること。つい最近まで、
日本は東アジアにおける圧倒的な強国でした。だから、韓国や中国も
内心はどう思っていても日本の経済力を利用して自国の発展に活かす
ことを中心に国策を考えていました。しかし、日本の経済力が落ちて
きたために、最近では中国はもちろん韓国ももはや日本を相手にする
必要はないと考えるようになってきたようです。
この辺りのことは、月刊『文芸春秋』九月特別号(芥川賞受賞作を
読みたいというまったく違った動機で購入しました)の韓国特集の
記事を読んで気がついたのですが、韓国が日本からすればあれほど
傍若無人な振る舞いをするようになったのは、日本のことを侮り
始めたからだということがよく分かりました。もちろんその背景には、
日本による朝鮮の植民地支配が国際法に違反していたという韓国側の
考えがあり、それに対して日本の見方は、道義的には責任はあるが
きちんと手続きをして、当時の強国の承認を得て行ったものだから
法的には合法であるというものなので、元々議論がかみ合わないと
いうことがあります。
昔は、韓国から見ると日本ははるかに強大であり、その援助や
協力を得て国の発展に尽くさなければならないという思いがあった
ので、本音の部分は曖昧にしてでも協力を仰いできたのですが、
もはや日本から得るものはそれほど多くないという思いが強く
出てきたので、徹底的に日本に対して本音をぶつけて来るというのが
現状の日韓関係の基本にあるということが理解できました。
やっぱり、日本が経済力をもう一度立て直すことは大事なことなの
だと思います。
一方、アメリカはここにきてようやく、中国がアメリカに代わって
世界のヘゲモニーを握ろうとしていることに気がついて、本気で
中国に対してアメリカの国益を前面に打ち出すトランプ大統領という
リーダーを中心にまとまりを見せてきています。日本も韓国に対して
主張すべきことは本気で主張し、植民地の問題の法的な解釈に
ついても見て見ぬふりをせずに、しっかりと落としどころを見つける
方向で舵を取らなければならないのかもしれません。
さらに、もっと大きな流れとしては、中国の台頭等で相対的に
アメリカの力が落ちてきていることを正面きって認めるトランプ
大統領が現れたことで、東アジアの地政学的な位置づけが根本的に
変わろうとしてきていることです。ちょっと長い目で見れば、
在韓米軍や在日米軍の撤退、つまり日米安保条約が解消されてしまう
こともあり得ないことではないという見方もしなくてはならないで
しょう。そうすると、いつまでも平和憲法を守ってさえいればいいのだ
というわけにはいかなくなるのは仕方がない現実だと感じるのです。
では、ここで日本の強みは何かと言うと、ちょっと意外かもしれま
せんがお金=資産があることです。中国や韓国の成長が著しいとはいえ、
先進国として金融の世界で戦ってきた経験があるわけではありません。
それに対して、日本は特に冷戦後、経済的にアメリカから徹底的に
叩かれる過程で、円の通貨としての力をかなり鍛えてきました。
ニューヨークやロンドンなどの先進国の市場でかなりもまれて、
国際通貨としての盤石な地位を確固たるものにしているのです。
最近、MMT(現代貨幣理論)という自国建ての通貨で国債を発行
できる国は、インフレが起こらない限り、いくら国債を発行しても
何の問題もないという理論が脚光を浴びるようになってきました。
そして、それが有効な事例として日本がGDPの2倍以上の国債を
発行しても史上まれにみる低金利が続いていることがあげられて
いるのです。なぜ、こんなことが起こるのかというと、日本の
経済力は落ちてしまったかもしれませんが、その代償に、本質的な
金融力は強くなったことがあげられるのだと思います。
この僥倖が続いている間に、日本は力をつける必要があります。
金融力があるということは、国防に力を入れることも可能ですし、
憲法改正を右派も左派も真剣に議論することで、将来の日本の
在り方を真剣に考えるいい機会が来ているのだと思います。
日本には、リーダーはダメだが現場は強いという伝統があります。
国防をリーダーだけに任せるのではなく、私たちが例えば
ワイドショー等で取り上げて、真剣に議論する世の中が来ることを
考えてもいい時代が来ているのかもしれません。