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年末12月26日には、にんげんクラブ愛知支部の望年会におじゃまさせていた
だきました。また、年始の1月4日にはにんげんクラブ関西支部の講演会と新年
会に参加させていただきました。にんげんクラブの皆様と年末年始を過ごせた
ことで、激動の大変厳しい時代だと認識を新たにしましたが、同時に本年も何と
か崖っぷちを上手く危険をかわしながら走っていけるのではないかとも感じてい
ます。油断大敵ですが、すばらしい世の中を創るために本年もどうぞよろしくお
願いいたします。
新年の講演会は出口光さんが主宰されているメキキの会で知り合った出口王
仁三郎研究家の飯塚弘明さんとご一緒にさせていただきました。飯塚さんは元々
東京のにんげんクラブ寄合の常連メンバーだったのですが、いまは関西にお住
いで関西のにんげんクラブメンバーの中には、飯塚さんのおかげで人生が変わっ
たという方までいるほど、見事に溶けこんでいます。
王仁三郎の『霊界物語』は全部で83巻もあるという大作で、当時の大本の幹部
が王仁三郎の語る言葉を口述筆記して作ったと言われています。私もメキキの
会のメンバーから何巻かいただいて読むことに挑戦したことがあるのですが、
結論から言うとほとんど読めずに挫折しました。飯塚さんはその霊界物語全巻を
ネット上に無料で読めるようにアップをしており、その根気のいる作業をやり遂げ
たことには頭が下がります。それでいて、大本や愛善苑などの信者ではないとい
うことなので、純粋に王仁三郎の魂に触れ、それを伝えていくことを使命と感じて
いるようです。
どうも、にんげんクラブ関西の人たちは講演デビューの場をつくったりするのが
好きなようで、今回も私を前座に呼んで、飯塚さんに言いたいことを気楽に存分
に話してもらおうと思っているのだと考えていました。実は私は、何年か前にメキ
キの会の中にあった王仁三郎の魂に触れようという王仁魂復活プロジェクトが
主催した講演会があり、そこで飯塚さんの講演をお聞きしたことがあります。
その時は伝えたいことが山ほどあって力が入り過ぎていたのか、言いたいことが
よく分からなかった印象があり、ちょっと失礼な言い方になってしまいますが飯塚
さんの講演内容にはあまり期待していませんでした。
ところが、今回の飯塚さんのお話は実におもしろく、いい意味でびっくりしてし
まいました。王仁三郎の考え方や大本の考え方、艮の金神(国常立大神)のこと
など本当に興味深い話を分かりやすくお話いただいて、大変参考になることが
多く、メモをいっぱい取らせていただいきました。
飯塚さんの講演の今回のメインのテーマは、明治天皇の前の天皇陛下である
孝明天皇が残されたという「切紙神示」のことでした。あくまで鎖国を貫くことを
求めた孝明天皇は四面楚歌に陥り、その神示をいまで言うと天皇のSPだった
旭形亀太郎に託して世の中に残したというものです。皇紀2600年(1940年、
昭和15年)に日本の精神を奪いに来る外国の勢力を出口王仁三郎が守ると
いう内容とのことですが、私がおもしろいと思ったのは、この神示が平成10年に
王仁三郎が最後の人生を送った終の棲家である亀岡の熊野館(くまのやかた)
で見つかったのだということです。
まず、熊野館は私が親しくさせていただいている王仁三郎のひ孫たち、光さん、
出口汪(ひろし)さん(論理エンジンという考え方で現代国語の分野のカリスマ
予備校講師だった人です)、それに私はお会いしたことがありませんが、いまこの
切紙神示を世の中に紹介している汪さんの弟である出口恒(ひさし)さんたちが
まるで兄弟の様に育ったという家だということです。
そして、もう一つおもしろいのは平成10年という年号。大本は大正10年と昭和
10年に政府から大弾圧を受けているのですが、平成10年のタイミングでそんな
神示が発見されたということは何か因縁を感じます。ちなみに、メキキの会では
総理になられる前の安倍総理も講演されたことがあり、私が親しくさせていただ
いている奥様の昭恵さんはいまは分かりませんが、当時はメキキの会員だった
のだと思います。
そして、新年になってから昭恵さんに『聖なる約束』の共著者の赤塚高仁さんを
紹介するためにお会いした時に、なぜか大本と付き合うことには気をつけたほうが
いいと言う人がいるという話を教えてくれました。安倍総理(政府)と出口家(王仁
三郎)を分断したいと思っている勢力がいるのだなあ、となんだか逆におもしろい
と感じてしまいました。
私も少し、王仁三郎さんはいい加減な人だなと思ったことがあるのですが、それ
は去年の暮れに書いたように、「いい加減でいい」のではなく、「いい加減がいい」
という積極的な意味での「いい加減」だったのだろうということに最近は思い至る
ようになってきました。
そろそろ父の1周忌が近づいてきたのですが、父の命日と王仁三郎聖師の命日が
同じだということもあり、久しぶりに王仁三郎のことを考えるきっかけをもらった貴重
な飯塚さんのお話の報告を今回はさせていただきました。