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にんげんクラブの皆様こんにちは。春の息吹きが少しずつ感じられる季節となりました。
ふきのとうが芽を出して、春の訪れを告げてくれています。皆様はいかがお過ごしでしょうか。
私は三週間ほど前に、舩井会長の夢を見ました。
誰がはじめに言ったかはわかりませんが、「夢の中で亡くなった方が喋ると、その方はすでに成仏できている」と言われているそうです。
でもこれは夢を見る人の立場によって出てくる時期がずれると思うので、
夢に出てきてくれるかどうかは、亡くなっている方の成仏だけの問題でなく、
見る側の心の整理がついているかどうかの問題も大きいのだろうと思います。
さて、我らが舩井会長は、成仏という次元はとっくに超えて、きっとあの世を存分に楽しまれているのでしょう。
多くの方の夢に登場されていらっしゃるようです。
私が見た夢でも、夢とは思えないほどに印象的で、はっきりと会話をしました。
この夢の内容を信じるか信じないかは読者の皆様におまかせするとして、
ちょっと印象的だったので、ここでお伝えしようと思います^^。
夢の中で見た舩井会長は、お姿は以前のままでしたが、
唯一肌だけが赤ちゃんのようにすべすべに変化していて、皺やシミがなくなり、40歳くらいに見えました。
以前よく着ていらしたように作務衣のお姿で、ニコニコと笑っておられました。
以下に舩井会長との会話を書きます。
こだま「うわー、舩井会長、こんなにすぐにお会いできるなんて!どうですか?あの世は、楽しいですか?っていうか、会長お肌すべすべですね。あの世に行くと若い姿になるって聞きますけど、本当なんですねー。」
舩井「あの世は楽しいよ。どうや、肌すべすべやろう。あんがい元気にやっとるよ。」
こだま「ところで会長、会長が亡くなってすぐの頃に、私あんまりにも寂しいものだから、夜中に一生懸命会長に呼びかけたんですよ。聞こえていました?」
舩井「全部聞こえているし、わかっていたよ。ちゃんとそばにいたよ。一瞬で、一度にいろんな場所にいけるからね。みんなのところにも行ったよ。」
こだま「やっぱり聞こえていたのですね。そんな気がしました。」
舩井「誰かが僕のことを考えてくれている時は、僕はそこにいるんだよ。僕に語りかけて、頭の中で僕と対話しているように感じるときがあるだろう。あれは想像しているんじゃなくて、実際に僕が語っているのを、君たちが感じ取っているんだよ。」
こだま「なーるほど。会長に語りかけて、会長だったらこう答えるかな、って勝手に想像する時があるけれど、あれは実際に会長が答えてくださっているのですね。他には、誰のところに行かれました?」
舩井「みんなのところだよ。家族のところとか、友達のところとか、いろいろだよ。同時にどこへでも行けるからね。勝仁とは、しょっちゅう対話しているよ。そうそう、それから人見さんのところへ行ったよ。」
こだま「人見さん?たくさんの人の中から、どうして人見さんの名前を出すのですか?」
ここまで会話をすると、会長は意味ありげにニヤっと笑って、
「ま、とにかく人見さんのところに行ったんや。」と答えました。
そのような会話をして、夢から覚めました。
目が覚めてもしばらくは、ニコニコと笑いながら以前と変わらない舩井会長がとっても印象的で、嬉しい気持がずっと続きました。
ところで、なぜ舩井会長は夢の中で人見ルミさんのお名前を出されたのだろう?と思ったので、いつか人見さんにお会いする機会があれば聞いてみよう、と思っていました。
それからほどなくして、2月14日に舩井会長の社葬が増上寺でありました。
当日は、会葬の始まるギリギリの時刻に到着し、たまたま顔を合わせた上司に挨拶すると、「お!なんだおまえ来れたのか。ならば一緒に会場に入ろう」と、言われるままについていくと、私たちが会場に入った瞬間に、会場の扉がバタンと閉められ僧侶の読経が始まりました。
「あれ?私はこの会場に入って良かったのかな?」と、何がなんだか状況もつかめぬまま、「とりあえずそこに座っておけ」と案内された席に着くと、なんと人見さんの真後ろの席です。これはたぶん偶然じゃないな、と思いました。
とはいえ、お葬式のしんみりとした荘厳な空気の中で「夢で舩井会長が・・・」なんて会話もできませんから、なかなか話しかけられずにいました。
式が終り、お焼香が済んで会場から出て、しばらくたってから帰り際にもまた人見さんにお会いできたので、
「舩井会長が人見さんに会いに行かれたとおっしゃったのですが」と、夢の話をしてみました。
すると、
「そうそう、舩井会長はインドまで会いに来てくださったのよ。
舩井会長の訃報が届いたのは、ちょうど私がインドに一人でビジネス調査に行く際の成田空港でのことだったの。
デリーに到着した後に、たまたまシンギングボールを見つけたのでそれを買って、
ホテルの部屋でずっとそれをチーンと叩きながら舩井会長の追悼の瞑想をしたら、舩井会長がビジョンで出てきて
『そんな鐘ばっかり鳴らさんでいいよ。それよりも君が持っているその鐘は売れるから、日本で売るといいよ』って、教えてくださったのよー。いかにも舩井会長がおっしゃりそうな言葉でしょう」
と、答えてくださいました。
いかにも舩井会長らしいお話だなぁと思うとともに、なぜ舩井会長が夢の中で人見さんのお名前を出されたのかもよくわかりました。「同時に一瞬でどこへでも行ける」という会話をしていたから、はるかインドの地の人見さんのところへも行けるのだよ、と証明されたかったのだろうと思います。
夢にしてはなんだかとってもリアリティがあって、さらに不思議と辻褄のあうエピソードだと思いませんか?
さてさて、私がこのブログの文章の中で一番皆様にお伝えしかったポイントは何かというと、会長が夢の中でおっしゃった、
「誰かが僕のことを考えてくれている時は、僕はそこにいるんだよ。僕に語りかけて、頭の中で僕と対話しているように感じるときがあるだろう。あれは想像しているんじゃなくて、実際に僕が語っているのを、君たちが感じ取っているんだよ。」というこの言葉です。
たぶん、この言葉をより多くの皆様にお伝えできるように、舩井会長は私の夢に出て来てくださったのではないか、と思えるのです。
熱海に住んでいて、物理的にも舩井会長のごく身近にいた私が書くのも妙なのですが、なぜだか亡くなってからのほうが、舩井会長との距離が身近に感じられます。
舩井会長に思いを馳せると、スッと舩井会長の思いのようなものが感じ取れるのです。病気の痛みや苦しみのなくなった舩井会長には、気兼ねせずに話しかけることができるし、時や場所を選ばなくとも気持は通じているという確信のようなものがあります。
肉体という制約から解き放たれ、自由になられた今の状態のほうが、舩井会長は存分に活躍できていらっしゃるのかもしれません。
また、きっと舩井会長だけでなく、亡くなったすべての方は、この世に生きている私たちが思いを馳せるときは、近くにいてくれるのだろうと思います。
ぜひ読者の皆様も、舩井会長や、既にあの世に旅立たれた方との会話を、楽しんでみてくださいませ。あの世の方々は、きっと見えなくとも傍にいてくれるのだと思います。
(熱海オフィスの会長室では、舩井会長のデスクに会長のお写真を飾っています。
まるで本物の舩井会長が出迎えてくださっているかのような迫力です^^。)