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二つで一つの死

にんげんクラブの皆様こんにちは。寒い日が続きますね。
永らくご無沙汰しておりました。

今日は、皆様にご報告があります。
かねてからこのブログで妊娠のご報告をしておりましたが、へその緒が捩れてしまったために赤ちゃんは残念ながら亡くなってしまいました。妊娠7ヶ月半での死産でした。

今の日本の常識では、暗黙の了解として、死産とか流産というものは、あまり公に言ったり書いたりすべきではないことになっています。私は結婚後、三度流産を経験しましたが、一度も公にしたことはありませんでした。

でも、今回の四度目の妊娠は治療のおかげで非常に安定していたこともあり、五ヶ月を過ぎた頃に妊娠を公表しました。公表したからには、もし何か不測の事態が起こった場合には、責任を持って自分の経験したこと、感じたことを書こう、と決めていました。まさかそれが現実になるとは当時は夢にも思っていませんでしたが、それが物書きを生業とする人間の義務だと思いました。

ということで、これから以下に、私の経験したこと、思ったことを書きたいと思います。拙い文章となりますが、お読みいただけましたら幸いです。


この経験は、私にとって言葉では表せないほどの悲しみと苦しみ、まさに絶望の体験でした。この世はパラレルワールドであり、人は潜在意識で知らず知らずのうちに自分の現実を選びとっている、とスピリチュアルな世界では言われます。赤ちゃんの死を悟った瞬間から、「なんという現実を選んでしまったのだろう」と何度も自分自身に問いかけました。

じつを言うと、赤ちゃんが亡くなったことがわかったのは、1月4日。しかし、不育症という症状の治療薬を妊娠期間中はずっと飲んでいたために、血液がサラサラになっている状態だったため、すぐに赤ちゃんをお腹から取り出す処置はできず、結局人工的に死産を行うことができたのは、11日後の1月15日でした。
舩井会長が亡くなられるわずか四日前の出来事でした。


もう亡くなってしまった赤ちゃんを10日以上もお腹の中で抱え続けた期間は、なんとも中途半端でもどかしく、地獄のような日々であり、様々なことを考えさせられました。絶望の中にいながらも、まだ赤ちゃんは生きているかもしれないと希望を持ったり、ヒマラヤ聖者のように奇跡は起きるんじゃないかなと妙な期待をしたり、自分のせいで赤ちゃんを殺してしまった、と自分を責め続けたりしました。今となっては記憶もあやふやですが、なんとか正気を保たせることに全力をつくした日々でした。

しかも、当時私は通常の妊婦さんよりも胎盤の位置が子宮口に近い低位置胎盤という症状も抱えていました。そのため出産の際には胎児が胎盤にひっかかって大量に出血する恐れがあるために熱海の大学病院では対応ができず、家から車で一時間かかる大きな大学病院へ行かねばなりませんでした。

本来ならば、悲しすぎてごはんも喉を通らないという状況なのですが、十日後には嫌でも出産をしなければならないし、下手をすると自分も命を落としかねない状況なので、体力を落とすわけにはいきません。

年末にすごくお元気だった舩井会長が「しっかり食べることが大事」と何度もおっしゃっていたことを思い出して、がんばってご飯を毎日かかさず食べ続けました。実家から母が看病に来てくれていたので、母のあたたかい手作り料理を食べさせてもらったことは、何よりありがたいことでした。まさに食べ物から命をいただいている、ということが痛いほどに実感できて、食べることは生きることなのだな、と感じた日々でした。

そのような日々を経て入院し、2日間かけて子宮口を開く処置の後、1月15日に七時間の陣痛を経て640gの小さな女の子を出産しました。

じつは出産の前夜、一人病室の中で、決めたことがありました。この十日間、ずっと泣いてばかりいたけれど、せめてこの子をこの世に産み出す瞬間には、笑顔で産んであげよう、と思っていました。同じく当時入院中だった舩井会長が、夢の中で「がんばれよ」と応援に来てくださったような気がしました。「私も赤ちゃんもがんばるから、舩井会長も早く退院できるようにがんばってくださいね」とお互いに応援しあったように思います。

そのような意気込みで挑んだ出産は、不思議な体験をしました。苦しい陣痛の後に出産すると、分娩室はキラキラと輝いているように見えて、そこは愛で満たされているように感じました。

赤ちゃんは確かに死んでいるのに、赤ちゃんの命と、神の愛のエネルギーがその空間いっぱいに漂っているように感じるのです。今の日本語ではこの状況を「死産」と言いますが、死産という言葉ではこの状況をうまく表していないため、最近は「誕生死」と言うのだそうです。まさに、死と誕生を、同時に体験しているような感覚で、なんともいえない幸福感に満たされ、神様からのギフトをいただいたような気がしました。
もしかすると出産とは、赤ちゃんが生きているかどうかに関係なく、あの世とこの世を隔てている扉が、開く瞬間なのかもしれません。

神は私から大切なものを奪ったように感じていましたが、同時に見えない何かを与えてくれていました。

この子が私のお腹に宿ってくれて、七ヵ月半も優しく素敵な日々を過ごせたこと、そしてこの痛みと悲しみと、そこに存在する大きな愛を経験することが、神からのギフトだったのです。亡くなった赤ちゃんをお腹に抱え続け地獄のようだと思っていた十日間も、後に考えれば赤ちゃんと一緒の時を過ごすことのできた宝物のような日々でした。この十日があったおかげで、笑顔で出産ができて、神からのギフトに気づくことができたのかもしれません。

なんともいえない幸福感はその日一日続き、夫も、母も、同じような幸福感を感じたそうです。


さて、そのような愛の体験をした私でしたが、やはり幸福感もさほど長くは続きませんでした。退院後、赤ちゃんを火葬場で見送った後は、深い深い喪失感、絶望感に再度襲われました。

心は擦り切れ、これ以上の悲しみは耐えられない・・・・と泣き暮らしていた頃に、舩井会長の訃報が届きました。私の命の恩人と言っても過言ではなく、この十年あまり父のように慕っていた舩井会長が亡くなられてしまったのです。

あまりにもショックを受けると、人は悲しみさえ忘れてしまうのかもしれません。訃報を聞いた直後から、それまで流れ続けていた涙が、ピタっととまりました。泣こうと思っても泣けないのです。ただただ呆然としました。

神様は、私にとって心から大事な存在を二人も同時に奪ってしまった、なんという試練をお与えになるのだろう、これからどのように生きろと言うのだろう、とこの時ばかりは神を恨みました。

まだ立つことさえやっとなくらいの体調でしたが、舩井会長ときちんとお別れをしなければ一生後悔するだろう、と思って勝仁社長に連絡をとり、ご自宅に安置されている舩井会長のご遺体に会わせていただくこととなりました。

ご自宅に到着すると、奥様と長女のゆかりさんをはじめとするご家族の皆様が出迎えてくださいました。奥様とゆかりさんと目があった瞬間に、言葉はなくともお互いに大粒の涙がこぼれ落ちました。ご家族の皆さんの悲しみを思うと、胸が張り裂けそうでした。

そして舩井会長との緊張の対面、お顔にかけられた白い布をゆかりさんにとっていただいたら、それはそれは安らかなお顔をされた舩井会長がいらっしゃいました。今にも「ああ、よく寝たなー」と笑顔で起き出しそうな、亡くなっているとは思えないほどの美しいお顔でした。その表情は、満足して今世を生ききった、とても幸せで大往生だった、と仰っているように見えました。今まで本当にありがとうございました、と感謝の気持ちが溢れ出ました。

舩井会長は生前「死はお別れじゃないよ。ほんのちょっと次元がずれるだけで、悲しいことじゃないんだ。逆にこの世を卒業できたのだからお祝いすべきことなんだよ。」と何度も教えてくださいました。安らかな会長のお顔を見ることで、その会長の教えを思い出すことができて、「亡くなられたことが、すごく悲しいことだと思っていたけれど、死は永遠のお別れじゃない。赤ちゃんも会長もきっと別の世で生き続けている。また絶対に会えるのだ。」と思えることができました。

赤ちゃんの死に継ぐ舩井会長の死によって、単純に悲しみは二倍になるだろうと思っていましたが、舩井会長のお顔を見ることで、それまで感じていた悲しみが半分に減りました。舩井会長のご遺体の安置されていたお部屋も、出産後の病室のように、キラキラと輝いているように思えて、神の愛とご家族の皆様の愛情が空間いっぱいにたくさん降り注いでいるように感じました。そのお部屋にいるときは、悲しくてたまらないけれど、どこか清く美しく優しさの入り混じった気持ちになりました。

私が妊娠中だった頃、事務所で顔をあわせるたびに舩井会長は「だいぶお腹が大きくなったなぁ。楽しみやなぁ」と、いつもポンとお腹を軽く叩いてくださいました。たぶん赤ちゃんは舩井会長を慕って会いにいっただろうと思っています。

赤ちゃんと舩井会長の死は、もちろん別のものです。しかし私にとっては、二つで一つの出来事のように感じています。赤ちゃんの死を思う時、自然と舩井会長のことも思い出してしまいますし、その逆もまた同じです。この世に偶然なんて本当はないし、すべてのことは、必要、必然、ベストです。二つの死は、命のはかなさと尊さを、痛いほどに教えてくれました。そして、その間支えてくれた家族の大切さ、仲間の大切さ、今あるあたりまえのことのありがたさも、痛いほどにわかりました。

二つの死から、早いものでもう一ヶ月が過ぎました。
じつを言うと、あれからはじめて、今日は会社に出社することができました。
もう二度と舩井会長が熱海の事務所にいらっしゃることはないのだと思うと、たまらなく寂しくなって、会社に出勤しようとすると動悸が激しくなり、なかなか出社できずにいました。これまでは、できることなら誰とも話したくない、外出するのが怖い、などと思っていましたが、今日はようやく一歩を踏み出せました。

まだ以前のように完全に復活するのにはもう少し時間がかかるかもしれませんが、舩井会長の教えてくださったことを糧にして、これから一歩一歩、良い世の中づくりのために歩いていきたいと思います。
いつの日か、舩井会長と赤ちゃんに会えた時に、誇れる自分であるように、日々を大切に生きていきたいと思っています。

まだまだ書き足らないことはありますが、今日のところはこの辺りで文章を終えます。

この一ヶ月の間、多くの方からいただいたメールにお返事ができなかったり、ブログの更新ができなかったり、社葬で出会った時にロクにご挨拶もできなかったりと、いろいろと失礼やご迷惑をおかけしたことを、この場をお借りして謝りたいと思います。

また、この一ヶ月、勝仁社長や重冨さんをはじめ、事情を知っていた方々には多大なご心配をおかけし、申し訳ございませんでした。ささえ、励まし、元気づけていただいて、本当にありがたかったです。感謝しています。ありがとうございます。

また、読者の皆様、このような長く重い文章を、最後までお読みいただきありがとうございました。これから、一歩一歩がんばっていきますので、どうぞこれからも、よろしくお願いいたします。



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