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欧米の教育と日本の教育の違い

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

日本では、夕方の風の香りがすっかり秋らしくなった頃だろうと思います。
今週は体育の日の三連休だったそうですが、いかがお過ごしでしょうか。
 
こちらドイツでは、夏が終わったかと思うと、急に冬が到来したようで、秋がないことを
とても寂しく思っていたのですが、ここ一週間ほどは、気温も暖かく、天気の良い秋晴れが
続いています。
 
 
9月の終わりに、毎日通っているドイツ語教室の試験を受けました。
以前通っていた週に一度のドイツ語教室では、皆和気藹々と和やかな時間が
流れていたのですが、こちらの教室は毎日ということだけあって、真剣に勉強する人が大半です。
 
欧米諸国では、その人の学習能力に応じて、飛び級や落第の制度があるようですが、
このドイツ語教室も、月に一度テストがあり、そのテストで60パーセント以上の成績を
とらなければ、次のコースへは進めないシステムになっています。
 
 
さて、テストを受けてみてびっくりしたのは、私が今まで日本で受けてきたテストと、
ドイツのテストとでは、全く別物だということでした。

それというのも、日本のテストでは、だいたいの場合「答えはひとつしかない」問題が
出るのが通常です。その最たる例が、センター試験のマークシート方式だと思います。
 
このようなテストに慣らされてきた日本人は、何か問題が起こっても、解決策を「考える」のではなく、
解決策を選択肢の中から「選ぶ」というクセがついています。
またマークシートでないテストも、だいたいの問題傾向が、受身の答えを導くように
できていると思います。
 
 
一方、ドイツで受けたテストでは、ほとんどすべての問題が、「自主的に考える」ということを
主体にしているようです。

たとえば
「彼女は(が)、銀行へ行きます。」
という例文があったとします。

日本のテストでこのような例題があったとすると、その例文に続く言葉を選びなさい、とか、
続く言葉を作りなさい、という問題が出ると思います。

ドイツのテストでは、「この例文が答えになる質問を作りなさい」という問題が出るのです。

そうすると答えとなる質問は、
・誰が銀行へ行くのですか?
・彼女はどこへ行くのですか?
・月曜日には彼女は何をしているのですか?
・今日は、彼女は何をするのですか?

等など、何通りかの正解があるのです。

また、空欄に適当な言葉を入れていく虫食い問題なども、文章よりも虫食い部分のほうが多いほどで、
この言葉を入れても正解だが、違う言葉でも正解、という、とてもあいまいなテストでした。

答えは一つしかないものだ、と思ってテストに挑んだ私は、自分が書いた答えに終始自信が持てず、
テストの結果が出るまでずっと不安でした。
 
 
子どものときから、このように自ら考えることを訓練されているドイツ人(欧米人)と、
自ら考えないように、なるべく受身で訓練されている日本人とでは、話し合いの場が持たれても、
相手に都合が良いように論破されてしまうのは、当然のような気がしました。

日本人は外交が下手・・・・とよく言われますが、これは考え方が土台から違うので、
なかなか難しいことだろうと思います。政治家の人は、外国の小学校のテストなどを受けてみると、
それぞれの国の教育を受けてきた人の心理がわかるようになるかもしれません。

この「自主的に考えるクセを持つ」ことは、日本人が学ぶべき課題の一つであるように思います。
 
ちなみに、いくつかの単語を組み合わせて文章を作成する問題の中で、
「人は、日本ではたくさん働かなければならない」
という例題がありました。

わざわざテストの例文に出てくるほど、日本人の働き好きはドイツ人にとっては
気になることのようです(笑)。


さて、このような「飛び級あり、落第ありのドイツ語教室」に通ってみて、一つ気付いたことがありました。

日本の今の横並びの「飛び級なし、落第なし」の平等な教育は、エリートが出ない教育だと
言われています。それは、アメリカのGHQが日本に押し付けた、合理的でない制度だと、
私自身思ってきました。

成績の良い人にとっては、そうでない人と一緒に授業を受けるのは退屈だろうし、
また逆も然りで、勉強が得意でない人は、まわりのペースについていけず、
自分のペースでしっかりと基礎を身につけることができないからです。
それぞれの人には、それぞれの人にあった勉強があると思うのです。

日本にも飛び級や落第の制度があったなら、ズボラな私でも少しは危機感が芽生えて、
もっと学生時代に勉強したかもしれないな、個人の特性を無視した制度だな、などと思っていました。
 
 
しかし、ドイツ語教室に通ってみて、日本に平等な制度ができたのは必要、必然、ベストなことで
あったのだ、ということがわかりました。
 
それというのも、初級コースでは、要領の良い人も、ドイツ語が不得意な人もいました。
皆まったくのゼロからのスタートですから、記憶力や勉強量で、大きな差が生まれてきます。
(特に、中国、韓国、日本などのアジア人は、他の国の人に比べてドイツ語は得意でないようでした。)

すると、次第にできる人、できない人の間で派閥が生まれてきます。

できない人は、とても肩身が狭そうに、静かに授業を受けているのですが、一人ひとりに
受け答えをさせる授業形式のため、できない人の順番になると、どうしてもその人に
時間をとられてしまいます。

そうすると、できる人は、あからさまにため息をついたり、わざとその人の順番を抜かして
答えたりして、意地悪をするのです。できる人からすると、「なんでできない人間のために、
自分の貴重な学びの時間を奪われなければいけないのだ」と当然のように思っているのです。

日本の横並びの教育を受けてきた私としては、「できる人も、できない人もいて当然」という
認識があるため、できない人がいたら、その人がわからないことを教えてあげたいと思うし、
その人が自力で答えられるようになるまで、時間をかけて待ってあげるのが当たり前だと
思っていました。

しかし、飛び級あり、落第あり、の制度で教育を受けてきて、おそらくその中でも割と優秀だった
人たちにとっては、できない人と一緒に授業を受けることは、我慢のならないことだったようです。

できる人、の態度からは、「自分は他よりも優れた人間だ」「自分は選ばれた人間だ」という
無意識の意識が、感じられました。

それは単にドイツ語の初級コースが、ちょっとできるかどうかだけの差、なのですが・・・・・。
そのちょっとした差が、「○○人は頭が悪い」というような思い込みからくる国の差別になり、
ひいては肌の色の違いの人種差別になっていくように、私には見えました。

ドイツ語はできて、頭はいいのかもしれないけれど、「人間性」に関してはまったくお粗末なものです。

そんなことにビックリすると同時に、自分がもしも欧米型の教育を受けていたら、
彼らと同じような態度をとったかもしれないな・・・・・とも思いました。
 
 
日本の、平等で横並びの今の教育が、100パーセント良いものだ、とはもちろん思いませんが、
私はこの日本の教育を受けてきて良かった、ありがたかったと、彼らを見て心底思いました。
 
これからの日本人がリードしながら、世の中をより良くし、世界に差別をなくしてひとつに
まとめていくためには、この日本の教育は必要、必然、ベストな教育であったのだろう、と思います。
 
とくに「ゆとり教育」を受けてきた若い世代の人は、「世界に差別をなくす」という課題について、
大きな役割を持っているのではないかと思います。

そのようなことから、一見合理的でないように思えることも、長い目で見ると、必要、必然、ベストな
ことであり、無駄なことというのはないのだな、と思いました。
  
 
 
DSCF6075.JPG
(写真は、文章とは関係ありませんが、ライン河くだりでとった一枚です。
 右側の岩山が有名なローレライです。このあたりは、水面下に岩が多く、
 流れが速いため航行の難所だったそうです。)
 
  
P1020478.JPG
(ローレライのアップ写真です。)



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