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こんにちは!船井勝仁です。
私の生まれは父の生家と同じ大阪府松原市ですが、小学校の高学年の時に
兵庫県宝塚市に引っ越しをして高校を卒業するまでここで育ちました。
多感な(?)青春時代を過ごしたわけですが、宝塚といっても船井家のあった当時の
雲雀丘(ひばりがおか)は歌劇の華やかな雰囲気とは全く関係のない、よく言えば閑静な住宅街、
飾らずに言えば駅前に小さな食料品店が1店しかないような何もない街でした。
大阪のキタの中心街である梅田からは電車で30分ほどのところですので、
そういう意味では便利なのですが、何かとても田舎というかプラス発想をするといい環境で育ちました。
そんな雲雀丘の実家の南隣りにマンション雲雀丘というあまり高級でない
小さなマンションがありました。全部で9戸ぐらいだったと思うのですが、その内半分ぐらいを
船井総研の前身の日本マーケティングセンターが買い取るか借り上げており、
なんとなく社宅のような雰囲気になっていました。
新入社員の人で車の免許を持っている人はここに住んで父の運転手をしてくれていました。
船井総研の高嶋副社長やにんげんクラブの小冊子に連載を持ってくださっている
㈱S・Yワークスの佐藤芳直社長もここに住んで運転手をしてくださっていたことがあります。
先日、船井総研のある幹部の人から、昔の雲雀丘村はよかったというお話を聞きました。
新入社員の方が運転手をしてくださったのは高嶋副社長や佐藤先生の世代までだったと思うのですが、
その後も新入社員がまとまって住んでいることや実家が引っ越した後は、
若手の兄貴分というか親父分的存在だった宮内元取締役の家が越してきたことで、
いい意味で船井総研の梁山泊のような雰囲気があったそうです。
おかげさまで船井総研も大きな会社になり何十人もの新入社員が入社してくれる会社になりました。
時代が独身寮を持つような時代でなかったことやそのような施設自体が敬遠される風潮から
社宅代りにワンルームマンションを借り上げて地方出身の新入社員の住宅に充てているのが
現状だそうですが、この幹部は何かにんげん的なつながりが希薄になっていることに
危機感を覚えるのだそうです。
コンサルタントという仕事は期日までに報告書を仕上げるという締め切りに絶えず追われて
精神的にはかなりきつい仕事です。
また、伝統的に船井総研は教育のプログラムがあるというよりは、
独自の力で学びながら力をつけていくという教育手法を取っています。
積極的に聞きに行けば教え好きの先輩が結構詳しく指導してくれるのですが、
バラバラにワンルームマンションに住んでいたら、なかなか教えを請う機会もないのかもしれません。
どうしても数字先行でそれに追われるような時流の中で、にんげん力を創るには
集団生活がまた見直されるようになってくるのかもしれませんね。
しんどいのは自分だけでなく、周りのみんなも同じだ。
助けあいながら何とか乗り切っていこうと思える環境が必要なのかもしれません。
賛否両論ありそうですが、何となく気になる問題提起でした。
世界文化遺産の地、和歌山県那智勝浦の色川
地区で、自給自足での集団生活(エコビレッジ)を進めて参ります。
既に、地区内では薪窯での塩づくりもつくられています。
熊野灘からわざわざ海水を汲んできて
つくっています。担当は、20代の方です。
日本全国を日本在来の種での野菜とします。
F1種と化学肥料・農薬を締め出します。
投稿者: 大下伸悦 | 2008-09-19 14:12