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こだまゆうこのドイツレポート

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日本は世界中からとても愛されています

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
 
東北地方の大地震の影響で、今なお多くの方々が大変な思いをしていることかと思います。
東北はまだ寒い日々が続いているかと思いますが、一人でも多くの皆様が、
暖かい場所で過ごせることを祈っています。

来週29日の帰国に伴い、いよいよこのブログも、今回が最終回となりました。
ドイツレポートとは名ばかりで、日本のことばかり書いてきたブログでした。
 
 
この一年間ドイツに住んでいて、多くの人々から親切にされました。
顔の色や髪の色の違うアジア人ですから、たまには差別されることもあります。
これはとても残念なことですが、まだ今の地球の人間のレベルでは、仕方のないことかもしれません。

しかしそんな中でも、驚くほどたくさんの人々が、私と友達になりたがってくれたし、
特別扱いをしてくれました。

それはなぜかというと、私が特別人懐こいとか、人格が優れているなどの特性ではなく、
私が「日本人だから」という理由でした。

たまたま日本人の少ない地方に住んでいることも関係しているかもしれませんが、
自己紹介で「日本人」と言っただけで、多くの人は目を見開いて好感を示してくれました。

それというのも、日本人はたいてい親切で正直でウソをつかないし、災害時などに多くの国の
援助に行っているために、多くの国の人が、特別に日本に好感を持ってくれているのです。

私自身は何も努力していないのに、ただ日本に生まれたというだけで、
特別扱いをしてもらえたことは、嬉しいような申し訳ないような気持ちでした。
 
日本人として生まれてきたことのありがたさを、一番わかっていないのが、
じつは日本人なのかもしれません。
 
 
さて、今回そんな日本に大災害が起こり、世界中の人々が日本を心配していました。

ここドイツでは、24時間ニュースだけを流すテレビ番組がありますが、災害が起こってから
およそ1週間は、99%日本の事件だけを扱っていました。

1週間がたつと、リビアの情勢やドイツのニュースなども多くなってきましたが、
それでもまだ80%は日本のニュースを流しています。

原発の問題は、もちろん日本だけでなく世界中の注目となる問題ですが、それにしても、
ドイツ人が日本に大きな関心を示している証拠だと思います。

先日ある友達は、

「今回の大災害は、とても残念なことだったけれど、日本だからこそ、この試練を
 乗り越えられるのだと思う。ひとつ私にはわからない不思議なことがある。
 
 津波ならば、インドネシアにも以前に大きな津波があった。地震ならば、世界中様々な
 場所で起こっている。それらの災害のニュースを見てきて、『ああ、大変だな、かわいそうだな』
 とは思ってきたけれど、そう思うだけだった。
 
 しかし、今回の日本の災害は、私にとても大きなショックを与えた。
 テレビでニュースを見るたびに、涙をこらえることができなかったし、私にできることならば
 何でもやろうと思った。日本にそこまで特別な感情を持っていたわけではなかったけれど、
 なぜ今回の災害は、こんなにも私の心を揺さぶるのだろう。
 
 なぜなのかは私にはわからないが、なぜかと聞かれると「それは日本だったから」と
 しか言えない。」と、言っていました。
 
 
今回災害にあわれ亡くなられた方々や、ご家族を亡くされた方々には、心から
お悔やみ申し上げます。その方々の気持ちを思うと、それは必要必然なことであったとは、
とてもでないけれど今の私には言えません。

しかし上記の外国人の友人の言葉を聞くと、今回日本で災害が起こったことは、
世界中の多くの人々に生き方、考え方を変えるきっかけを与えたのではないか、と思えてなりません。
 
 
先日は、アーヘンの町の中心部に行くと、最も人の集まる広場から、日本の国家が流れてきました。
よく見ると、髪の毛を染め、一見奇抜な格好をした若者たちが、日本の国旗を持って、
スピーカーから日本の国家を流して集まっています。

何をしているのかと聞いてみると、
「町行く人々に声をかけ、日本の国旗に名前を書いてもらっているのです。
 僕たちは日本を応援しているよ、日本のために祈っているよ、という証拠となるこの国旗を、
 多くの人々の名前が集まったら日本に送りたいのです」と熱く語ってくれました。

私は日本人だと告げ、私も日本の皆さんにあなたたちの姿を紹介して、元気づけたいので、
ぜひ写真をとらせてほしいとお願いすると、その場にいた人は今にも泣き出しそうなほどに
目に涙をためて、「コンニチワ!コンニチワ!私たちは日本を愛しています!日本のために
祈っています」と口々に言ってくれ、写真をとるのを了承してくれました。
 
DSCF9181.JPG
 
それまで会ったことも喋ったこともない彼らでしたが、その時のお互いの心の距離は、
古くからの友人のように、とても近くにあったと思います。

そんな彼らとの交流からも、日本がどれだけ愛されているのかが、よくわかりました。
日本のために祈ってくれてありがとうございます、と何度も言って、その場を離れました。
 
彼らのように、思うだけでなく、行動に起こしてくれる人はごく一部ですが、数え切れないほど
多くの人々が、きっと心の中で、日本を思い、今の日本のために、そして世界のために、
祈ってくれていると思います。
 
そんな彼らの祈りや、亡くなられた方々の思いを受け止めながら、これからの日本は
どう行動すべきか。これからの自分はどう行動すべきか、考える時期なのだと思います。
 
 
今の世界を、先頭に立って平和に導いていく国は、他のどの国でもなく、日本だと思います。
これは絶対に間違いありません。
 
にんげんクラブの読者の皆様は、そんなことは言われなくともすでにご承知だと思いますが、
私たちはその道を選んで生まれてきているのだろうと思います。

日本人として誇りを持ちながら、日本人として与えられた使命を全うしたいと強く思っています。
 
 
最後になりますが、この一年間拙いドイツレポートをお読みいただき、ありがとうございました。
日本に帰ったら、また別の形で皆様にお目にかかりたいと思います。
 
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 
 

ガンバレ日本!

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

はじめに、3月11日に起こった東日本大震災の被害にあわれ、
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りするとともに、被災地の方々のご無事を、
一日も早い日本の復興を心から願っています。
 
 
私事ではありますが、日本帰国に伴い、こちらでのインターネットの契約が
ちょうど3月11日の朝に切れました。そのため、日本での被害状況を充分に
調べることもできず、慣れないドイツのテレビニュースから、状況を確認している次第です。

そのような状況なので、今この原稿もインターネット回線を通じずに書いておりますが
(後でインターネットカフェからにんげんクラブ宛に、原稿を添付したメールを送り、
ホームページのアップをしてもらっています。)こちらのニュースはおおげさな部分も多々あり、
誤情報も多いです。
 
もしかすると、これがホームページに更新される頃には、何か別の動きがあり、
日本とドイツとで状況把握の温度差もあるかもしれません。
 
日本の皆様に失礼のないよう、細心の注意を払いつつ、今の私にできる精一杯の気持ちで、
この原稿を書こうと思います。
 
 
長いようで短かったドイツでの生活も、あと二週間で終わりを告げようとしています。

私にとって、はじめての海外での滞在は、世界を眺めるとともに、日本のすばらしさを知り、
日本をより愛する一年であったように思います。世界のすばらしい点をみつけるたびに、
日本のすばらしさ、ありがたさを深く知りました。

この一年間の滞在の中では、様々な国の人との交流がありました。

パキスタンでの災害、タイのバンコクでのデモや、北朝鮮の韓国爆撃、エジプトのデモ、
チュニジアでのデモなど、それらの国の人と話をするたびに、
「あなたの国は、今大変だけれど、大丈夫?ご家族は無事ですか?」と聞きました。

そうすると、その国の人々は決まって困ったような泣き出しそうななんとも言えない
苦笑いをしながら「大丈夫だよ。心配ないよ。」と言っていました。

今になって、会う人ごとに同じ質問をされる側になり、答えるときの気持ちがよくわかります。

まるで自分の体の一部をもぎとられたかのような心の痛みを抱えながら、
「大丈夫だよ。心配ないよ。日本は必ずすぐに復興するよ。」と自分自身にも
言い聞かせるために言っています。

本当は泣き出しそうだけれど、ぐっとこらえて、無理にでもかすかな笑顔を作っています。


日本人はすばらしい国民だ、と何度もこのブログで書いてきました。
今回の地震を通して、日本人がどれだけすばらしい国民であるか、日本人自身も
きっとわかってきただろうと思います。普段は見えなかった、人の温かさや、
あたりまえのありがたさが、きっと見えてきただろうと思います。

いろいろなメディアが伝えていることかもしれませんが、日本以外の国で、
同じ規模の災害があった場合は、きっと略奪や暴動など、さらなる混乱が起こっただろうと思います。
 
しかし日本人は、誰から教えられずとも、落ち着いて、助け合い、励ましあい、
なるべく人の迷惑にならないよう、行動することができます。

日本人からするとあたり前のことですが、世界では、これは本当にすごいことです。

様々な国籍の友達が、テレビを通して見た日本人の行動に驚き、
「日本人は地震のための防災訓練を学校などでしているの?」と聞いてきます。
 
日本人の私からすると、あまり徹底しているとは思えず
「していると言っても、せいぜい年に一回くらいだよ」と答えると、皆目を丸くして
「やはり日本はすごい。世界一防災の準備がされている国だ」と賞賛します。
こちらは驚かれたことに驚いたのですが、それが世界の常識です。

日本人は、世界一の高い精神性と、助け合いの心を持ち、世界の人々からも、
日本人が感じている以上に、とても愛されています。
 
 
つい先日も、インターネットカフェで地震の詳細をはじめて知り、茫然自失となっている私に、
その店のオーナーが話しかけてきました。

「君の国はどこだい」

「日本です。」

「そうだろうと思ったよ。ニュースを見たけれど、今は本当に大変だね。僕はアフガニスタンの
 出身だから、今の君の気持ちはよくわかる。でもね、日本人はすばらしい国民だと
 僕は知っているよ。いつも礼儀正しくて、作る製品もすばらしくて、優れた技術を
 たくさん持っている。日本人なら、きっと大丈夫。あきらめてはいけないよ。
 日本人だから、この試練を乗り越えられるんだよ。僕は日本を応援しているよ。」

友達から、「がんばれ」と言われた時には、前述の苦笑いをして我慢ができましたが、
見ず知らずの人からこのように暖かい声をかけられて、店を出た後にこらえきれず、
涙がとまりませんでした。

日本はこれだけ愛されている。日本はきっとがんばれる。
そう何度も心の中で繰り返しながら、家に帰りました。
 
 
あと二週間でようやく愛する日本に帰ることができます。

日本の復興のために、世界の平和のために、自分にできる最善のことをやりたいと思っています。

日本の皆様、今は辛いかもしれないけれど、どうぞ元気を出して立ち上がり、
それぞれのできることからはじめていきましょう。
 
原発の問題など、心配ごとは多いですが、人とのつながりを大切にしながら、
自分の直感、そして神様の導きを頼りに、行動していきましょう。

そしてすでににんげんクラブの皆様には、ここで書く必要はないかもしれませんが、
こんな時こそ、日月神示を読んでください。
 
声に出して、自分の魂に、そしてまわりの神々に聞かせるつもりで、読んでみてください。
そうすると自分が次に何をすべきかが、きっと見えてくると思います。


私も、まだまだ努力がたりないと思いますが、きっとがんばります。
日本人としての誇りを持って、一緒に、がんばっていきましょう。
 
 
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(写真は、3月14日のドイツ・アーヘンでの原子力発電反対デモの様子です)
 
 
 

アーヘンのカーニバル体験!

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
ハラハラドキドキと楽しかったドイツ滞在も、残すところあと数週間となってきました。

今週は、先週お約束しましたように、アーヘンでのカーニバルの様子をお伝えしたいと思います。
 
 
カーニバルは、とても楽しいお祭りです!と、何度ドイツ人から聞いても、
あまりお祭り騒ぎが好きでない私は、「ふーん、まぁ私にはあまり関係ないけど・・・。」と、
ずっと冷めた態度でいました。

思えば、ドイツ中が熱狂の渦となったワールドカップの期間中も、一人冷めた対応で、
過ごしていたかもしれません。勝った負けたの結果に半狂乱になって喜ぶ酔っ払った人々の姿や、
翌日のゴミの散乱ぶり、割れた窓ガラスやビール瓶などを見るにつけ、こういう時はなるべく
外に出ないに限る・・・と頑なな気持ちになっていました。

今回のカーニバルも、「結局カーニバルって言ったって、みんなが仮装をして、
山車がお菓子を投げてくれるだけでしょう?」という反応でした。
 
 
さてさて、そうは言っても、百聞は一見にしかず、ドイツレポートを書いている身としては、
カーニバルをこの目で確かめなければなりません。

最高に盛り上がるのは、3月7日の薔薇の月曜日、だそうですが、カーニバルはすでに
3月3日から始まっています。3月3日からは、恐る恐る、外を散歩してみることにしました。

まず3月3日ですが、玄関を一歩通りに出ると、スーパーマリオがごく普通の顔をして
歩いてきました(笑)。酔っ払うでも、笑うでも、敵をやっつけるでもなく、ごく普通に一人で
通りを歩いています。
 
その後少し大通りに出ると、自転車に乗ったおばさんミツバチが信号待ちをしています。
信号の向こう側からは、魔女一家軍団とピンクパンサーがこちらに向かってきています。
 
あっ!向こうからブタが歩いてきた!というと、日本ではびっくりするほど失礼な言葉に
なりますが、ここでは本当にブタの着ぐるみを着た人が、普通に歩いてくるのです^^。

彼らは何の恥ずかしげも、何の違和感もなく、ごく普通に歩いて、たぶんこれから仕事に
向かったり、友達の家のパーティに向かったりしているのだと思います。

たった少し散歩に出ただけで、大の大人がごく当たり前に、本気で仮装をしている、
というのがよくわかった出来事でした。
 
町の中心地では、広場に特設のテントが出来ており、その中はというと、
夜はクラブ会場のようになっていました。
入るまでは長蛇の列で、中からはテクノミュージックが大音量で流れてきます。
 
飲食店はほとんどの店が早めに閉まりますが、開いている店は、すべて大混雑で、
これまたクラブのようになっていました。
なるほど本当に町をあげてクラブのようになるとはこのことか、と感心しました。
 
 
さて3月7日ですが、そろそろパレードが始まる頃に外に出てみると、家から徒歩一分ほどの
大通りの沿道は、すでに仮装をした人たちで埋め尽くされていました。

パレードがはじまると、まずは騎馬隊が登場しました。お菓子を投げると言っても、
せいぜいグミやキャンディの小さなものだろうと思っていたのですが、この騎馬隊は、
中には10ユーロくらいするのではないかと思われる、びっくりするほど豪華なお菓子を、
次々と投げていきます(リンツのチョコレートセット箱入りとかです)。
 
少ししかないかと言うとそんなことはなく、10メートルほど進むと、お菓子の補給隊が
やってきてお菓子を補給し、また投げていきます。

私は写真をとるだけだし、こういうものは子どものために投げているのだろうと、
かなり遠慮していたのですが、通りにいる人ほぼ全員に、お菓子をくれるようです。
 
騎馬隊と目があうと、わざわざ大人の私に目掛けて投げてくれるので、
ついキャッチしてしまいました。

その豪華な騎馬隊が通った後は、募金隊が通ります。心ばかりの募金をして、
なるほど上手くできたシステムだなぁと、思いました。

その後は、吹奏楽パレードが通ったり、車やトラクターに繋がれた大きな山車が通ったりして、
次々とお菓子を投げていきます。通りにいる人は、「アラーフ!」と掛け声をかけ、
お菓子をもらいます。
 
じつは、私はこの不特定多数の人にお菓子を投げる、という行為が、この時まで嫌いでした。

それというのも、私の故郷の山口県の岩国市では、毎年「シロヘビ祭り」というお祭りが
ありました。そのお祭りも、山車やパレードが町のメインストリートを通るものですが、
お祭りのクライマックスに、「餅撒き」があり、大人たちが本気になって少ない餅を奪い合います。
 
時には子どもや女性を押しのけて、つきとばしてでも、われ先に餅を奪おうとする
大人の姿に、「なんだかみっともない」とずっと思ってきました。


ということで、ここアーヘンでも「大人がお菓子を拾うだなんてみっともない」と
少し思っていたのですが、こちらはもらえるお菓子の量が段違いに多いのです。
 
みっともない、という気持ちはいつしか吹き飛んで、いつの間にやら「カーニバル最高!」と
ニヤニヤしている自分がいました(笑)。

よく見ると、通りにいるほとんどの人が、買い物のときに使う大きな布バッグを片手に
待機しています。信じられないことですが、ほとんどすべての人が、その布バッグで
入りきらないほどの量のお菓子をもらえるのです。
小さすぎてお菓子がとれない子どもには、手渡しでお菓子がもらえます。

すぐ近くの本気でお菓子をとろうとしている家族は、パレード開始15分後には、
すでに1ヶ月分のお菓子はもらったよね?という量でした^^。

動作が遅く、控えめな態度の私は、投げられるお菓子をほとんどとれないのですが、
先にお菓子をゲットしたまわりのおじさんが、「君にもあげるよ」とお菓子をわけてくれます。

そんなこんなで、30分もしない間に、両手では持ちきれないほどのお菓子を
もらうことになってしまいました。

もうこれ以上お菓子はいらないし、人が多くて疲れた・・・・と、結局30分で
帰ることにしましたが、3時間はパレードが続いていたようです。
 
 
そうやって大人と子どもが喜ぶ姿を見て、ああ、これを小さな頃から体験していたら、
それはカーニバルが大好きになるだろうな、と思いました。

子どもの頃は、サンタクロースがプレゼントをくれるクリスマスが一年で一番の楽しみでしたが、
カーニバルは、町中の人々がサンタクロースのような雰囲気です。

たくさんの大人が楽しそうに笑っていて、両手いっぱいに抱えきれないほどのお菓子が
たくさんもらえる日!子どもが喜ばないはずはありません。
ドイツ人がカーニバルを愛する理由が、ようやくわかりました。

また、カーニバルを体験することで、シロヘビ祭りの餅撒きで「みっともない」と思っていた
自分は、餅がとれないくやしさと、すなおにそこに参加できないことへのやせ我慢だったのかも
しれないな、と改めて気が付きました。そして、カーニバルを楽しもうとしなかった自分を、
なんだかもったいないな、と思いました。

いつかまた、カーニバルの時期にドイツに来る機会があれば、その時こそは、
おもいっきり楽しんで参加したい、と思います。

ぜひ皆様も、機会がありましたら、ドイツのカーニバルに来てみてください。
 
 
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はじめの騎馬隊です。                     さまざまな山車が進みます。
 
 
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沿道の様子                          これは八百屋さんの山車でしょうか・・・
 
 
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沿道のアパートからは、貴族風の方々がいました。   iPODに扮するご夫婦とその子どもたち。
                                  たぶん手作り衣装だと思われます。
   
 
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30分くらいで貰ったお菓子の数々。こうして見ると少ないように見えますが、
すべてのお菓子が日本のものよりひとまわり大きいです。
 
 

ドイツのカーニバル

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

本日は、日本ではひな祭り、桃の節句ですね^^。

こちらドイツでは、今日から一週間ほど、カーニバル(謝肉祭)という
とても大規模なお祭りが開催されます。

まだ体験していないので実態は全然わかっていないのですが、
本日は、カーニバルについての説明をしたいと思います。
 
 
カーニバル、というと、代表的なものとしてリオのカーニバルを想像されるかもしれませんが、
こちらドイツのカーニバルで見ることができるのは、リオのカーニバルのような
女性たちの美しい衣装と踊りではありません。

ドイツでは、町中の人たちが、いっせいにピエロや貴族、時には動物や昆虫など、
ありとあらゆるものに仮装をします。

そして、飲めや歌えの大騒ぎをし、来週の月曜日、通称『薔薇の月曜日(ローゼン・モンターク)』には、
最もカーニバルは盛り上がり、大きな山車が町中を練り歩き、道行く人々に
お菓子を投げてくれるのだそうです。

この風習は、ケルン、デュッセルドルフ、アーヘン、マインツ、ボンなどの地域で
大々的に行われているそうです。

ということで、ここアーヘンでは、今日から会社や学校など、多くの場がお休みとなって、
大騒ぎとなります。町全体が、パーティ会場となっているかのような騒ぎぶりだそうです。


カーニバルは、カトリックの影響の強い土地で行われる行事だそうですが、
もともとは、春のイースター(復活祭)の前に、46日間の断食を行っていたそうです。

その断食に入る前に、栄養価が高く、日持ちのしない肉や卵、乳製品などを
できるだけ食べておこう!というのが、カーニバルのはじまりだそうです。
 
今では断食する風習はほとんど残らず、食べて大騒ぎするほうの風習が残ったとのこと。
カーニバルの語源はラテン語の「カルネ・ウァレcarne vale(肉よ、さらば)」という言葉から
来たそうです。

カーニバルって、いったい何日祝っているの?と疑問に思う方もおられるでしょうか。

カーニバルの間は、町中が仕事どころではなくなる、と聞いていたので、
日本人の私としては、それが何日続くのか気が気ではありませんでした。
 
そこで、知り合いに「カーニバルって何日間あるの?」と聞くのですが、
「うーん。それは人によるかな。」と、あまりはっきりとした回答が返ってきませんでした。

というのも、人によってはカーニバルが嫌いで、通常通りに働く人もいれば、
カーニバル好きな人の中には、なんと11月からずっとカーニバル気分になっている、
という人もいるらしいのです。

確かに・・・11月ごろになぜか仮装をした人たちが駅前で騒いでいたな、と思い当たりました。
その時は遅めのハロウィン?学芸会?などと思っていたのですが、まさか3ヶ月前倒しの
カーニバルだったとは(笑)。

こんなことからもドイツ人はカーニバルが大好き!という人がかなり多いことがわかります。
なお、すでに先週、先々週から、土日はカーニバルの衣装を着た人がなぜだかいましたが、
一般的に最高潮となるのは、薔薇の月曜日の前の週の木曜日(今日ですね)からだそうです。
 
 
ちなみに今日、木曜日は「女性のためのカーニバル」という日なのだそうです。

もともとはこの日だけは、女性が家事をしなくても良い、という日だったそうですが、
現在では女性が天下の日なのだそうです。

この日の11時11分には、女性が男性のネクタイをハサミで次々と切る風習があるそうです。
オフィスに出勤した男性はほとんどがこの被害にあうため、切られても良い古いネクタイを
皆締めていくのだとか。ネクタイをしていない人は大丈夫だな、と安心してもいられません。
ネクタイのない人は、靴紐を切られるのだそうです(笑)。

私は今のところ仮装をする予定はありませんが、このネクタイ切りだけは参加してみたい・・・
と少し思いました^^。
 
 
カーニバルってどんな日なの?とドイツ人男性に聞くと
「とにかくその期間だけは、女性がやたらにセクシーになる、男性にとって嬉しい日だ。」
とのこと。

というのも、女性らしくなく、魂は男!と何人もの方から言われている私が言うのもなんですが、
ドイツ人女性は他国の女性と比べて、色気が全然ありません。
 
たいていの人はあまりオシャレをせず、化粧もせず、ジーパンにジャンパーを着て、
髪の毛が短ければ女性か男性かわからないような、シンプルな服装を好みます。
男女のカップルで道を歩いていても、なんだか男性が二人でいるような雰囲気があります。

そんな普段中性のような女性が、突然女性らしくなるのが、この期間なのだそうです。

じつは私の知り合いにも中性的な雰囲気のご夫婦がいるのですが、
この人たちは、何をどのようにきっかけを作ったら、カップルになれたのだろう???
と不思議に思っていました。

ある時「どちらからアプローチをして結婚したの?」との質問に男性はなぜか
困ったような嬉しいような顔で「いや~、彼女は大学の先輩で、僕の指導を
担当してくれていて、お互いに恋愛感情はまったくなかったのだけれど、
カーニバルの日に飲めや歌えの大騒ぎをしていたら、翌日気づいたら恋人になっていて、
いつの間にか結婚していたんだよね。」とのことでした。

なるほど、カーニバル恐るべし。カーニバルでは、外見は仮面を被って仮装するのですが、
心の中は、反対に普段被っている仮面や鎧を脱ぎ捨てて、ありのままの裸の心で
羽目を外して楽しむ!という日のようです。
(中には、「酔った勢いで言い寄ってくる女なんて最低だ!」とカーニバルを毛嫌いする
ドイツ男性もいるようですが・・・。)

薔薇の月曜日で勢いが最高潮に達したカーニバルは、火曜日、水曜日と少しずつ
収束していくそうです。火曜日の夜には、藁人形を燃やす習慣があります。
羽目を外しすぎた責任を、その人形にすべてかぶせて、燃やしてしまうのだそうです。
 
 
普段まじめで、堅苦しい感じがするとヨーロッパでは言われているドイツ人ですが、
この期間にドイツに来ると、楽しく陽気なドイツ人に会えることは間違いありません。

日本でも、地方によって楽しいお祭りがありますが、世界のお祭りを見学して歩くのも、
なかなか興味深いことだと思いました。

以上が、ドイツのカーニバルについての文章です。ドイツ人のカーニバルが、
実際はどうだったのかは、また来週ご報告いたします。お楽しみに^^!
 
 

地方がイキイキと活性化する時代

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

最近のにんげんクラブの活動を見ていると、各地方の方々が
とてもイキイキとご活躍されている様子が伝わってきます。
自分から輝いて、自分から発信していく、という意気込みが伝わり、
ああ、私ももっとがんばらなくちゃ、といつも元気をいただいています。

日本も東京の一極集中から、地方が活性化していく時代にシフトしてきて
いるのだな、と思えます。


こちらドイツでは、地方分権が効率良く成り立っています。
そのため、広いドイツの国の中に、ほどほどの規模の都市が分散していて、
一箇所に人口や企業が多すぎるということもなく、とても住みやすい環境です。

都市を一歩離れると、すぐに緑の豊かな風景が見られ、人間らしい
自然と共生した生活ができます。

また、それぞれの都市は、それぞれ独自の文化や伝統を持ち、
人々は自分の住む町に大きな誇りを持っているようです。

このような街づくりは、ぜひ日本でもとりいれてほしいなぁと思っています。


さて、人は自分の特徴はなかなか自分ではわからず、他人のほうが
じつは人の特性を理解している、ということが多々ありますが、
それは国にも同じことが言えるだろうと思います。

日本の良さは、日本人よりも、じつは外国人のほうが理解している場合も多いでしょう。

外国人は、日本に旅行に来ると、東京の巨大さにも驚くようですが、
日本の良かった点などを聞くと、「え?そんなところ??」と、
こちらがビックリするような部分に案外感動しているようです。

地方都市のさびれた感じの古い床屋さんの雰囲気が良かったとか、
昔ながらの民宿の居心地が良かった、などと言います。
私たちの生活には普段馴染みすぎて、見落としがちな部分が、
意外にも好評だったりするのです。


たとえば私が小学生の頃に、母がたくさんの外国人を家に招いたことがありました。
家中をピカピカに掃除して、がんばっていろいろと接待したのですが、
彼らが唯一「これはすばらしい!」と口を揃えて言ったのは、私たち家族が
最も気に入らないと思っていた古びた箪笥でした。

古くてカッコ悪くて、たてつけが悪く、開け閉めも一苦労だったので、
すぐにでも新しい箪笥を買いたいと常々母は思っていたそうですが、
あまりにも彼らが褒めるので、「そんなものかな」と捨てるのを思いとどまったそうです。

それから二十年以上たった今になってその箪笥をみると、確かに彼らの
言っていたことは正しかった、と思います。
二十年前には古ぼけた箪笥でしたが、今では立派なアンティーク、
お金では買うことのできない、古き良き日本の「味」がその箪笥にはあるのです。

こんな経験から、外国人は日本の良さを発見するのに、先見の明を持っているように思っています。


ところで先日、主人の上司にあたるドイツ人の教授が、大阪へ行く機会が
あったそうです。教授は仕事柄世界中を飛び回っておられるし、今までに
学会で何度か日本(主に東京や京都)を訪れたことがあるそうですが、
大阪はすばらしかった!と、非常に感激して帰って来られました。

教授曰く、大阪の食べ物はとてもおいしいし、東京とは全く違う独自の文化を
築いている。人々はなんだかユニークできさくに話しかけてくるし、
何より都会であるのに電車がさほど混んでいないのは快適だった、とのことでした。

中でも、大阪城公園の屋台で食べたタコヤキは、とても印象に残ったらしく、
「スイーツかと思って食べたら、なんとボールの中にタコが入っているんだもの。
日本人は面白い食べ物を考えるね。」と、興味津々。

日本でまたひとつお気に入りの都市や食べ物を見つけたことに、とても満足していたようでした。


私自身大阪近辺には7年ほど住んでいたので、本来ならばこちらが大阪の良さを
アピールする側でなければならないのに、携帯で撮影した大阪の町の風景を
見せてくれながら、「いかに大阪がすばらしいか」を、外国人の教授から
逆に教えられ、なんだか新鮮な気分になりました。

英国の雑誌エコノミストがまとめた世界の住みやすい町ランキングでは、
大阪は12位、東京は18位と、ここでも大阪のほうが人気があるようです。

個人的には、今の大阪はかつてのような勢いがなくなっているように
感じていましたが、外国人から見ると、大阪は日本で住みやすい町ナンバー1であり、
ものすごく魅力的な都市のようです。


また、大阪だけでなく、日本には魅力的な都市がたくさんあります。
日本に行ったことのある外国人は、口を揃えて「日本は美しい国だ」と言います。
自然の美しさ、建築のすばらしさもさることながら、日本人の清潔好き、
掃除好きには驚かされる、とのことでした。

世界のいろいろな地域を見渡してみても、日本のように四季がはっきりとした、
美しく住みやすく、水の綺麗な土地は、あまりないと思います。

自分の生まれた土地や、住む土地を愛することは、自分自身を愛することに
繋がると思います。

今後はもっと多くの人々が、自分の故郷に誇りを持って、各地の地方都市が
どんどん活性化していくのだろう、と密かに期待しています。
 
贔屓目かもしれませんが、そのひとつの雛形として、にんげんクラブ皆様の、
地方でのご活躍に現れているような気がしています。
 
 
20110224.JPG
(日本人には最もポピュラーだと思われるドイツの都市、フランクフルトの広場。
 ドイツ人からすると、フランクフルトは観光名所もあまりなく、さほど魅力的な
 町でない、とのことでした。)
 
 

星空を見上げてみよう

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
 
日本では、そろそろ梅の花が見ごろかと思います。
読者の皆様は、今年はもう梅の花を眺められたでしょうか?
 
私もかつて熱海に住んでいた頃は、この時期に熱海桜と梅を眺めるのが、大好きでした。
ドイツには残念ながら梅はありませんが、春になると野原に黄色い花が一面に咲きはじめます。
それぞれの国の春は、それぞれの良さがありますね。


前回のブログでは、風邪をひいており、皆様にご心配をおかけいたしました。
2週間近くたってから、ようやく症状が治まってきました。
 
なかなかしつこい風邪だなぁと思っていましたが、主人の職場の同僚の人たちも
似たような症状でしょっちゅう咳をしているそうで、どうやら同様の風邪が
この近辺で流行っているそうです。
 
 
さて、来月のにんげんクラブ会報誌の輝く仕事人では、彗星探索家である
木内鶴彦さんにご登場いただきます。
 
私は原稿の編集作業をさせていただいているのですが、インタビュー後のテープ起こしと
音声をチェックしながら、深遠な宇宙への旅に誘われたような、不思議なワクワク感がありました。

内容は、来月のお楽しみ・・・・なのですが(笑)、少しだけここで紹介させていただきたいと思います。
 
木内先生は、22歳のときに臨死体験をされ、心拍停止30分後に蘇生されました。
その間に、木内先生の魂は、過去や未来の、様々な場所を旅されたそうです。
そこで得た気づきを、語っていただきました。

私自身は、もともと『生き方は星が教えてくれる』(サンマーク出版刊)を読んで、
密かに木内先生のファンだったのですが、インタビューの内容を知って、木内先生のことを
少し誤解していたように思いました。それというのも、著書からは伺い知れないほどに、
膨大な知識と経験を持たれた、ダイナミックな方であることがわかりました。

小さな頃に星に魅せられ、星を眺め続けてこられた木内先生ですが、木内先生の思考は、
宇宙そのもの。地球では木内鶴彦という人物を演じながら、私たちの未来、地球の未来を、
宇宙のはてから眺めておられるように思えます。

人間は、常に目にしているものに思考が似てくるものだ・・・と、誰がはじめに言ったかは
わかりませんが、聞いたことがあります。
天才は、景色が美しい場所で育った人が多いとも言われています。
 
 
少し話しはずれますが、以前UFOコンタクティとして有名なスイスのビリー・マイヤーさんの本
わずかばかりの知識と知覚そして知恵』という本を買いました。

この本は、私には難しくてなかなか読む気になれなかったのですが、スイスに旅行した際に、
アルプスの雄大な美しい山々を眺めていたら、スラスラと心に染み入るように読めました。
その時心の中には、美しいメロディーが流れているような気がしました。

ああ、こんなにすばらしいことが書いてあったのか、とその時は思ったのですが、
その後、スイスからドイツに帰ってきて一週間もすると、同じ本だというのに、
また難しくて読めなくなりました。

そんな経験からも、私たちの思考は目に映るものや、環境に、
かなり影響を受けていることがわかりました。
 
 
今回木内先生のインタビューを編集させていただいて、このことを思い出し、
たまには美しい星をゆっくり眺め、宇宙について考えるゆとりを持とう、と思いました。

土地の少ない日本では、すべての人が美しい景色の場所に住むことは、難しいことでしょう。
でもたとえどこに住んでいようと、空を見上げれば輝く美しい星があります。

それが都会の真ん中であったとしても、星は確かにそこにあります。
目には見えないかもしれないけれど、空に耳を澄ませば、星からの瞬きのメッセージが、
聞こえてくるかもしれないですね。
 
 
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(オリオン座と、プレアデス星団、どこにあるかわかりますか?フィンランドにて撮影)
 

39_1102172.JPG
(北斗七星と、オーロラです。宇宙のメロディに耳を澄ますには、寒すぎて無理でした・・・。)
 
 

ドイツの個人病院

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
2月というと、一年で最も寒い時期だと私は思っていたのですが、こちらドイツでは
もう春がやってきたかしら?と思うほど10度前後の暖かくお天気の良い日が続いています。

先週のブログの中で、夢のメッセージに従ったら体調が良くなって元気にドイツ語教室に
通えるようになりました、と記載しましたが、そんなつもりは全くなかったのに、
結果的にウソを書いてしまいました><。

というのも、元気にドイツ語教室には通ったものの、隣の席の女性が風邪をひいていたようで
咳をしていていました。どうやらこの風邪をもらってきたようで、先週のブログを書き終わった後に、
みるみると高熱が出てしまいました。そんなことで、現在は30分の瞑想も挫折しています。
 
 
喉が痛くて急な発熱、ということでインフルエンザを疑い、病院嫌いな私も観念して
ドイツの病院へと行くことになりました。
 
こちらドイツでは、町にはそれぞれ大学病院などの大きな総合病院がいくつかありますが、
まずは小さな個人経営の小さな病院に行かなければなりません。

それぞれの人に「マイ・ドクター」と呼べるかかりつけのお医者さんがいて、とりあえず
どんな症状でもまずはそこへ行ってみて、そこからその場で診察してもらい、
症状が重い場合などは総合病院へと推薦状を書いてもらうようです。

主人の知人に手ごろな病院を聞き、予約をとってもらって、語学力と病院まで一人で行く体力に
自信がないため主人に無理を言って病院まで連れていってもらいました。
 
 
さて、はじめてのドイツでの病院訪問ですが、感想はすばらしい!のひとことでした。

というのも、日本の、とりわけ田舎の個人病院は、待合室などはたいてい混雑していて汚く、
病院特有の臭いがして、行っただけでもかなり体力を消耗するかと思います。

ところが、私の訪れた病院は、ピカピカに掃除がされ、美しい絵やオブジェ、植物などが
あちらこちらにセンス良く飾られ、まるでエステサロンのような居心地の良い場でした。

日本では、たいてい待合室に置いてある本は、ゴシップ満載の週刊誌や、
手垢にまみれたマンガ、病気をわざわざ連想させるような病気の解説本などだと思います。
 
それらは触れただけでも違う病気をもらって帰りそうな気持ちになるものですが、ドイツの病院では、
なんと大判の画集や、美しい風景の写真集、近代建築の写真集、などが置かれていました。

病気のときに、美しい風景を写真や絵で眺める・・・・という発想は今まで全くなかったので、
なるほどな、と驚きました。
 
 
予約制ということもあったためか、待たされることもなく5分ほどで診察室に通されました。
診察室は、白を基調とした10畳ほどの広々とした空間に、先生用の木製のデスクが一つ、
先生用の椅子と、患者用の椅子、付き添い人用の椅子、簡易ベッドが一つ、だけが置いてありました。

木製の先生の机の上には、パソコンが一台置いてあるだけ。あとはすべて壁と一体になった
収納にしまわれ、すっきりとしています。窓からやわらかい光が入って、こちらも絵画が飾ってあり、
とても居心地が良く、病院臭さはまったく感じさせません。

先生は私を診察室に通すと、「ようこそいらっしゃいました。私が担当の○○です。どうぞよろしく」と、
にっこり笑って暖かい手で力強く握手をしてくれました。
 
日本とドイツでは、握手の文化があるかないかの違いがあるので、これはドイツでは
当然のことなのかもしれませんが、日本で病院の先生に握手をされたことはもちろんないので、
これにはかなり驚きました。
 
何か重大な病気のウイルスを持っているかもしれない患者さんに対して、素手できちんと
握手ができるとは、すごいことだと思います。
 
その後、先生は私の病状を聞き、熱を測り、喉の具合を見てくれました。
 
その後、「熱があるし、喉も少しはれているから、なんらかのウイルスに感染しているのは
間違いないけれど、これはインフルエンザではないね。と、いうことは、僕が君にしてあげられることは
何もないよ!熱がしんどかったらアスピリンでも飲んで、二、三日ベッドで横になっていれば
治るでしょう。三日たっても熱がひかなかったらまたおいで。」と言って、診察が終わりました。
帰り際に「早く良くなってね」といって、再度力強く握手をしてくれました。
 
ということで、結局、薬は一つも出ませんでした。
 
 
今回の私のような症状で、もし日本の病院に行っていたら、咳どめ、熱さまし、痰きりや抗生物質、
総合かぜ薬?など、少なくとも3,4種類の薬をもらっていただろうと思います。

それがまったくなく、ゼロ、というのは、驚きでしたが、自分自身の自然治癒力を大切にしなさい、
と暗に言われているようで、心地よい気分でした。

ドイツでは、本当に重篤な病気になった際に抗生物質などの薬が効かなかったらいけないからと、
風邪などの症状では薬はほとんど出してもらえないそうです。
 
私の友人も、こちらで膀胱炎になって困っていたそうですが、結局ハーブのお茶だけで
治すことができた、と言っていました。

薬をもらえないということは、お金を払って先生と握手をしに行っただけ・・・・のような気も
しますが(笑)、この握手と先生の笑顔が、弱っている私にはとても癒しを与えてくれたようで、
安心できました。
 
病気のときというのは、医者から暖かい言葉をかけてもらったり、親身になってもらったりすることで、
ずいぶん救われたような気分になるものです。
 
 
かつて医師を対象とした船井の講演の中で、病院は病気を治す場なのだから、
待合室は絵画や植物などを配置して癒される場でなければなりませんよ。
 
それから患者さんを脅したり、こわがらせたりしてはいけませんよ。
また、今の薬というのは副作用があるものだから、あんまり出さないほうが本当はいいんですよ。
と、聞いたのを思い出しました。

たまたま今回行った病院が、特別居心地が良かったのかもしれませんが、
ドイツの個人病院はこれらの条件を満たしていたな、すばらしいな!と拍手したいような気分です。
 
 
ちなみに、はじめに病院へ行ってから今日で一週間になりますが、今まで薬づけ(?)の
日本の治療に慣れていた私は、当然ではありますが、たかが風邪でもなかなか治りません。
 
熱はおかげさまでひきましたが、咳がとまらず、咳のしすぎで胃が痙攣し、吐いてしまいます。
咳で夜も眠れないので、もう一度同じ病院へ行きました。
必死の訴えに、さすがに今回は咳止めの薬を処方してもらえました。

自分で招いてしまった体調不良なので、すぐに治る「楽な道」というのはないのかもしれないなぁ、
などと思いながら、神様からの白紙のラブレターを読んでいる最中です。
病気とは本当にいろいろなことを気付かせてくれるものだと思っています。

長い文章を最後までお読みいただきありがとうございます。乱文失礼いたしました。
元気になったらまた面白い文章を書きたいと思います。
 
 

夢からのメッセージ

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
 
今日は節分ですね^^。
豆まきをしたり、鰯や恵方巻きを食べたりと、各家庭それぞれの節分の過ごしかたがあると思います。
こちらドイツでは豆まきもできないので、せめて部屋の徹底掃除だけでもして、邪気払いをしようかな、
と思っています^^。


ドイツに来てから10ヶ月が過ぎ、残るドイツ生活もあと2ヶ月ほどとなりました。
日月神示の中には、「外国語を習うと、その国の虫がつく」という記載があったかと思うのですが、
気付かないうちに私の心の中にも「ドイツの虫」がついているのかもしれません^^。
(といっても、肝心のドイツ語のほうは虫がつくほどには上達していないのですが・笑)

さて、ドイツの虫がついているかは別として、日本とドイツでの生活で、個人的に最も変わったなと
思うことは、見えないものを感じる力、いわゆる直感力(?)の低下です。
 
直感力、と書いてしまうと、まるで私が霊能者のようですが、そういう意味ではなくて、
なんとなく日々感謝の気持ちを持ってありがたい気持ちで生きるとか、自然の声に耳を澄ませるとか、
いいタイミングで物事が進んでいくような、日本ではあたりまえにできていたことが、こちらでは
少し難しいと感じるようになりました。

これは食べ物の問題や、言葉の問題、気候の問題などといろいろと生活習慣が変わったので、
変わってしまったのかもしれません。
また、ドイツという国の深い部分に、私がまだ充分に適応できていないからなのかもしれません。
 
 
なんとなく以前のように思考がクリアでないと悩んでいたときに、「ザ・フナイ」の新年号の
加治将一先生の原稿に感銘を受けました。
 
そこに一日30分だけの瞑想を30年続けてきたとの記載があったので、
「最高だよ、ありがとう、愛しているよ」のマントラを唱えつつ、私も真似をしてみることにしてみました。

毎日30分だけなら、3日坊主の私でも続けられるかもしれないと思い、まだはじめて2週間ほどですが、
今のところ続いています。なんとなく以前よりも気分が良くなり、思考がクリアになってきたように感じています。

また、瞑想だけでは、私の場合は心が迷走(メイソウ)してしまうため(笑)、
現在は、毎朝日月神示を読んでから、瞑想をするというのがセットでくせづけになっています。
 
 
そんなこんなで、瞑想のおかげかはわかりませんが、最近ちょっと面白い夢を見ました。

お正月過ぎに風邪をこじらせ、なんとか治ったものの少し体が本調子でないな、と感じていた頃、
夢の中で病院に行き、お医者さんに診察をしてもらう夢でした。

じつはドイツでは、専門の医療保険には入っているのですが、なかなか病院に行くのは勇気がいるものです。
診察を受けた後に面倒な保険の手続きをとらなければならないし、病院もどこへ行ったらいいのかわからず、
近所のいい病院を誰かに紹介してもらわないといけない。
 
さらにそのお医者さんは英語が喋れるのかもわからない、ということで少しの病気であれば、
家で自然治癒に任せることにして、病院のお世話にはなっていません。

そんな時に夢の中のお医者さんが教えてくれたのは、「君は自分で気付いないかもしれないけれど、
今まだ風邪が治っていないからね。薬局に行ってビタミンB2とマグネシウムのサプリメントを買ってきて、
しっかり寝ること。ドイツで病院に行くのは大変だから、サプリメントで治るでしょう。」とのことでした。

起きて早々、なんと具体的なアドバイスをくれる夢だろう!とびっくりして、早速サプリメントを買いにいきました。
おかげさまで、その後すっかり元気になって、ドイツ語教室にまた通えるようになりました^^。
 
 
睡眠というのは、寝ているときに、魂があの世に戻っている状態だという人がいます。
また、夢は私たちの潜在意識からのメッセージをあらわしていたり、あの世にいる人や宇宙人など、
次元の違う世界の人達とのコンタクトをとる場でもあるようです。

この夢を見て、そういえば日本では「夢日記」を毎日つけていたなぁ、と思い出しました。
毎朝起き上がる前にその日の夢を寝ぼけ眼で書き記していたのですが、これが日々の生活に
なかなか有益な情報をくれていました。
 
これはきちんと書き留めないと、たいてい二度と思い出せないほどのわずかな記憶ですが、
夢は確かに私たちにメッセージを送ってくれていると思います。

夢日記の内容は、記録を続ければ続けるほど、クリアで具体的になり、時にはそれが未来の予言と
なったりもします。
 
私の夢の場合は、あまりにもベタすぎて信じがたいかもしれませんが、ガイドのような存在が、
時には占い師の格好で、時には宇宙人の姿で、様々な姿に変身しながら、アドバイスをくれるのです。
 
 
印象的な具体例を一つあげると、人生の大事な時期に、夢の中の占い師にアドバイスをしてもらい
アドバイス終了後に、「私にこんな占い師の格好までさせて夢でアドバイスをさせるだなんて、情けない。
何度もわかりやすいメッセージを送ったのに、それに気付けないだなんて!しっかり生きて、
自分のことはきちんと自分で決めるようになりなさい。」と怒られたこともあります。

あの時の占い師は、誰だったのだろう?もしかして違う次元にいるもう一人の私かもしれない・・・・
などと思いました。

ということで、夢に頼りすぎてもいけないけれど、夢からのメッセージは、心にとめる必要はありそうです。
 
 
霊が主で体が従の状態でいられるよう、これからも瞑想と日月神示朗読をセットで続け、
これを機会に夢日記を再度つけてみようかな、と思っています。
読者の皆様も、ピンと来た方はぜひ試してみてくださいませ^^。

人生即努力、努力即幸福

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
2011年がはじまって一月がたとうとしていますが、いかがお過ごしでしょうか?

このブログのタイトルは、「こだまゆうこのドイツレポート」となっていますが、
10ヶ月を過ぎて思うことは、なんだかドイツとは何も関係のないことを
半分以上は書いているな・・・ということです。

せっかくドイツに住んでいるのだから、もっとドイツの文化に馴染み、
もっとドイツの人たちと交流を持って、ドイツ語の習得にさらに精進し・・・・
といった生活を深めていけばいいのですが、なぜだか今の私には、それがあまりできません。
 
というのも、正直な感想を言うと、「ドイツのことを学んでいる暇があったら、
もっと日本について勉強したい」という気持ちを抑えることができないのです。
そのため、読む本は日本から輸入した日本の本になってしまいますし、
このブログで紹介する記事も、ドイツに関係のないことが多くなってしまいます。

今のこの激変の時代には、外国の文化を取り入れることよりも、
「日本人らしく、日本人の良さを生かす」ことが、何より大切なことなのではないかと思っています。
 
 
さて、そのような言い訳をしつつ、また今回のブログでも日本の本を紹介したいと思います^^。

今回ご紹介するのは、数年前に何度かにんげんクラブで紹介したこともありますが、
私の生活流儀』本多静六著、実業之日本社刊)です。

本多静六さん(1866〜1952)は、東京山林学校(のちの東京農家大学、現在の東大農学部)を
一度は落第するも、後に猛勉強をして首席で卒業、その後ドイツに私費留学して
ミュンヘン大学国家経済学博士号を取得します。
 
帰国後は東京農科大学に勤め多方面で活躍、優れた農林学者でありながら、
独自の貯蓄、投資法により巨億の富を築いた人です。
 
そして定年の退官を期に全財産を匿名で寄付し、死ぬ直前まで、人生即努力、
努力即ち幸福、をモットーに、勉学や仕事に務め、簡素な生活を送りました。
亡くなるまでに370冊の著作を残されたそうです。
 
 
私自身は、この本を含めた三冊くらいしか本多さんの著書は読んでいませんが、
読んだ中ではこの本が一番好きです。
 
自然を師として水のように自然に生きる本多さんの教えは、船井会長の教えと
どこか少し似ているところがあると思います。
時代が違うために、投資の方法など今では参考にならない部分もありますが、
生きる教訓などは、現代を生きる上でも非常に参考になります。
 
そして若い頃にドイツで暮らされていたので、外国の良さをとりいれた、
日本人のより良い暮らし方が学べると思います。

以下に、本書の中で、私の最も好きな箇所を記載します。

宇宙の大生命と自己
 
宇宙万物の根元は「原子(アートム)」であり、その原子を構成する要素は
「電子(エレクトロン)」である。電子は物質でも精神でもなく、ただ一つのハタラキをなすものである。
いわば一種の機能(ファンクション)であり、宇宙の大生命である。
 
われわれ人間もまたこのハタラキの一部であって、その機能、その大生命の時間的ないし
空間的な表現にすぎない。だから、われわれはたえず働き、たえず生活して、この大宇宙の
生命充実に貢献すべきであると私は考える。
 
われわれ人間がこの世で生きているということは、何かしら心の中で考えたり、
何か必ず体をうごかして働かせているということである。
いずれも人間のもっている生命のエネルギーが、精神と肉体の両方面に現されたものに過ぎない。
 
筋肉的にせよ、精神的にせよ、生きている限りはこのハタラキが最も大切なのであって、
私はこれを努力(勤労)と称する。したがって、努力こそは人間活動の本体であり、本能であって、
私の「人生即努力」または「努力即幸福」といった新人生感はこれから生まれ出てきている。
 
宇宙万物は一も完成し、確定したものがない。いずれも不完全、不確定のままで、たえず成長し、
進化し、発展しつつ、うつりかわる。だから、われわれの人生も日に新たに、日に日に新たに、
断じて現状に安んじ、とどまるべきではない。
 
世の中は決して同じことを、そのまま二度とは繰り返さない。歴史は繰り返すといわれるが、
それはきわめて皮相な見解で、繰り返すとみえても、その内容実質は常に大いなる変化を
遂げつつある。今日のいわゆる真理真相なるものも、決して永久不変のものではなく、
時代と共に推移し、人智科学の発達と共に進化するのである。
 
現在われわれの営みつつある人生は、通い先祖時代から、各人の努力精進によって獲得した
体質と知能を、代々遺伝蓄積して今日に至った集大成であって、いまもなおわれわれの責任として、
その努力精進の途上にあるのである。
 
すなわち、今日の人生を維持し、またこれを進歩発展せしめるには、私達は一日として
普段の努力を怠ることはできないのである。(原文ママ)

 
 
「努力」という言葉は、私個人を知る人にとっては、最も私の対極にある言葉のように
思えるかもしれませんが、じつは私が一番好きな単語は、「努力」です^^。
好きというより、自分に足りないものなので、憧れなのかもしれません。
  
努力の中には、もちろん「苦」もあるけれど、努力を続けると、「苦」よりも何倍も大きな「楽」が
待っていると思います。その努力の「苦」を「苦」と思わずに、喜んでできるような心理状態に、
なりたいなと思っています。

日月神示の言う「うれしうれし」の世の中は、それを超えた後にやってくるのではないかなぁ、
と思います。
 
 
DSCF2844.JPG
(写真は、ドイツ、ハイデルベルクの町並みです。)
 
  
DSCF2858.JPG
(ハイデルベルク城にある大樽の写真。この中に、
 大量のワインが作られていたそうです。)

日月神示のマンガがあった!

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

日本では、今年一番の大雪が降り、厳しい寒さに見舞われているそうですが、
いかがお過ごしでしょうか。
こちらドイツでは、12月にずっと大雪が降っていたのですが、1月に入ってからは、
暖かい日が続いています。つい3週間ほど前まで「東京は10度以上あるんだって。
それに比べてドイツは・・・・暖かいっていいねえ。」と言っていたのが、逆転してしまったようですね。
 
 
さて、今回は日月神示のマンガをたまたま読む機会があったので、
ご紹介させていただきたいと思います。

皆様は、桑田二郎さんという有名な漫画家をご存知でしょうか。
私の年代では世代が違うので、存じていなかったのですが、平均年齢層が若干高い
にんげんクラブの会員様ならば、ご存知の方が多いかもしれません。
『月光仮面』『まぼろし探偵』『8マン』などの超ヒット作を次々と生み出された天才です。

桑田さんは、1935年生まれ、病弱なお父様の代わりに、13歳から漫画家として
一家の生計を支えてきました。描線の美しさは手塚治虫さんの双璧と言われたほどで、
病床の手塚さんに代わって『鉄腕アトム』の代筆を務めたこともあるそうです。
 
次々とヒットを生み出す一方で人気商売の無常さに心は乾き、42歳で少年漫画から身を引きます。
二度の離婚、放浪のはてに精神世界と出会い、瞑想と仏典研究に入り、50歳のときに書いた
『マンガで読む般若心境』が爆発的に売れました。その後は、『マンガで読む論語』や
『宮本武蔵―五輪の書』などを次々と発刊されています。


さて、日月神示のマンガのタイトルは、『言霊〜ひつく神示を読む』です。

じつは、この本を手にしたきっかけは、2月号のにんげんクラブ会報誌で、
幸塾の専務理事であり、㈱コスミックフォーラム代表取締役である大下伸悦さんと、
船井勝仁の対談の編集をすることとなり、その対談の主なテーマが『言霊』だったために、
下調べとして言霊に関する本を数冊アマゾンからとりよせました。
 
その中の一冊がこの本でした。そのマジメな表紙からは、想像もしていなかったのですが、
開けてビックリ!なんともわかりやすいマンガ入りの「日月神示」についての解説本だったのです。

もちろん、日月神示は、自分で何度も読むことが何より大切なので、
毎日のように読まれている方には、この本はあまり必要ないかもしれません。
 
しかし、日月神示はその人の御魂相応に読めるそうなので、他の人がどのように
解釈をしているのか、気になるところでもあります。
今までの人生で様々な学びをされてこられ、古事記や仏教にも詳しい桑田さんの解釈は、
目からウロコの、今まで気付かなかったヒントが山ほどありました。
 
また、大下さんと船井勝仁の対談は、言霊についての部分がじつはとても難しかったのですが、
その資料としても、桑田さんの考え方は非常に参考になりました。
 
 
びっくりするのは、本書は今から18年も前の、1993年に書かれた本であることです。
ノストラダムスの大予言の年、1999年も過ぎていない時だというのに、このようなマンガが
すでにあったことが、私には驚きでした。

大下さん、船井勝仁の意見と、桑田さんの意見では、共通する部分が多くあり、
また違う意見を述べているところもあります。
うずの右回りと左回りの解釈が、少し違うような気もしました。
 
しかしよく考えてみると、仮に竜巻型の右回転のうずがあったとして、それを人間の目で
地上から見たら右回転だけれども、神様の視点で上から見たらそれは左回転のうずなので、
結局は右でも左でもどちらでもいいと思います。
大切なのは、右か左かの解釈でなく、左右のバランスがとれていることなのだろうと思います。
 
 
日月神示は、言葉が古いため、読むのがなかなか難く、ご家族やお友達などに
気軽には少し勧めづらいかもしれませんが、この本でしたらマンガ入りですから、
きっと中学生でも充分に読めると思います。
 
桑田さんは、自らをマンガで「ダメジロー」として出演させ、道化を演じながら、
日月神示の教えの大切さを説いていきます。
本当はとてもマジメなことを言っているのですが、ダメジローのひょうきんなキャラクターが、
時々笑いを交えて、最後まで楽しませてくれます。
 
本書を読んだ後は、今まで少し難しかった日月神示を読むのが、さらに楽しくなりました。
お子さんにまずはこのマンガを読ませ、その後は親子で日月神示の朗読、というのも
楽しいかもしれませんね。

この本は、三巻シリーズなのだそうですが、一巻しか買わなかったので、
今急いでニ、三巻をとりよせているところです。ご興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
 
 
P1020545.JPG
(写真だけでも、ドイツっぽくしてみます・笑。有名なケルン大聖堂です。)
 
   
P1020542.JPG
(巨大な建物は、うまく写真におさまらないほどです。)

賞味期限って何だろう?

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

日本では、成人式が終わり、すっかりお正月モードもなくなった頃でしょうか。
 
こちらドイツでは、12月中は毎日のように雪が降り続き、−10度前後の寒くて憂鬱な日々を
送っていましたが、1月に入ってからは、びっくりするほどに暖かくなってきました。
今日はなんと13度も気温があったので、ダウンコートでは暑いほどです。

暖かいことは私にとっては嬉しいのですが、例年と比べて異常なお天気や気温というのは、
なんだか心配ですね。
 
 
さて本日は、ひさしぶりに日々の生活から学んだドイツらしい記事を書きたいと思います。

言葉も文化も異なる国で生活をしていくことは、何かと新しい経験がたくさんあり、
それまでの凝り固まった価値観などを心地よく壊してくれることがよくあります。

こちらに来て、面白いほどに価値観が変わったことは、食品の賞味期限についてです。
日本では、お肉は少なくとも購入2,3日以内には食べなければならないものだと
思っていたのですが、こちらでは、記載している賞味期限がそれに+5日くらい加わります。
 
生鮮食品売り場では、豚肉、牛肉、鶏肉と、だいたい一週間から十日後の賞味期限が
書かれているのです。(さすがにレバーなどは2、3日ですが・・。)
もしかすると流通の日数に差があったりするのかもしれませんが、それにしても長い賞味期限です。

はじめて来た際には、記載ミスかな?と思ってしまうほどビックリしたのですが、
今ではすっかり慣れてしまいました。

このことを母に報告すると

「そういえば、私たちの小さい頃は、お肉とかがもっと古くなっても食べていたわねえ。
 賞味期限どうこうよりも、見た目とか臭いとかで判断していたかな。お祖母さんが
 ちょっと危なそうだな、という肉も洗ってから料理に使っていたのを憶えているよ。
 今の日本人は食べ物に関して少し神経質になりすぎなのかもね。」

とのことでした。
 
 
そのように、ドイツでは全体的に食品がゆる〜い賞味期限ですが、ここアーヘンでの日本食の
材料に限って言えば、ほぼすべての商品が、すでに賞味期限切れです(しかも高いです・笑)。
 
焼肉のたれやしゃぶしゃぶのたれなどの調味料は、売っていれば超ラッキーな状態で、
賞味期限がたとえ半年近く過ぎていたとしても買ってしまいます。

もともと胃腸が鈍いのか、今のところはそれで何も不自由を感じていません^^。
 
 
そんな私が唯一買えないものは、生魚です。
寿司や刺身用の魚はいちおう高級デパートに売っていますが、売り場全体にすごい臭いを
発していて、マグロの切り身はドス黒い茶色になっています。
 
お値段もかなり高いのですが、これはさすがに生で食べる勇気がないので、試していません。
日本人があまりいない町なので、たぶん買う人もあまりいないと思います。

ドイツで暮らしてからは、食べ物の衛生管理に関するこだわりが、ずいぶん低く(?)なりました。
というよりも、今までが高すぎたのかもしれません。

キャベツやハクサイも、今までだったら捨てていたような葉の部分も、使うようになりました。
ブロッコリーなどは、少し古くなったら葉の部分が少し黄色がかるかと思うのですが、
こちらの安売りスーパーでは黄色を通り越して黒い状態でも売られています。
 
よく注意してみると、全体的にカビが生えていたりしてビックリなのですが、それでもみんな
買って洗って普通に食べています。(念のために付け加えると、マルクトという市場で
売られている野菜はもっと新鮮です。)

夏場にいたっては、基本的にクーラーを置いていない店が多いため、暑かった今年の夏は
ハエに悩まされました。スーパーの食品売り場や八百屋さん、カフェやサンドイッチなどを売る
パン屋さんなど、何匹ものハエが店の中を飛び回り、時には数百匹の子バエが野菜などの
食材にたかっている・・・・なんてことが、けっこうありました。

ケーキを売っているパン屋さんのショーケースでは、ハエとともにアブまで侵入し、
アップルパイやラズベリーパイなどに飛び込んで蜜を吸っています。

いずれも日本の、とりわけ都会ではありえない光景ですが、こちらではそれによって客足が
遠のくこともクレームが出ることもないようだったので、「よくあること」の一つだったようです。

もっと大きな都市ではどうかはわかりません。これはアーヘンという町が、あまり大きくない
田舎町だからなのかもしれません。
 
 
さて以前の私だったら、腐りかけた食材の売っているスーパーや、十匹以上のハエの
飛んでいる喫茶店などには「もう二度と行きたくない!!」と拒否反応を示していただろうと思います。

しかしこうして住んでみると、慣れて強くなる上に、その良さも見えてきます。

腐りそうな食品を売っているのも、それだけドイツ人は食品を大切にしているからだな、
と考えるようになったり、ハエが多くてビックリしたことも、ハエはいないのが当たり前だと
思っていたけれど、もしかしたらハエの一匹もいない町のほうがじつはおかしいのかもしれない。
 
そういえば田舎のお祖母ちゃんの家には夏場はハエがいたな。
クーラーを使わないでうちわと扇風機で過ごした夏が懐かしいな。

などと、思えるようになりました。住む場所が変われば、常識や固定観念も変わるものですね。
 
 
日本では「常識」という固い枠があると思うので、なかなか難しいかもしれませんが、
読者の皆様も、食品の賞味期限について、少し寛容な見方をしてみてはいかがでしょうか。
 
願わくば、読者の皆様に「こだまさんはけっこう不潔だなぁ」と思われないことを祈っています^^。
 
 
IMG_0243.JPG
(写真は、フィンランドのサンタクロースヴィレッジです。
 みんなの人気者サンタさんは奥の建物に住んでいました・笑)
 
 
IMG_0229.JPG
(フィンランドにはトナカイがたくさんいました。)

大石順教尼について

にんげんクラブの皆様あけましておめでとうございます。
ドイツ在住のこだまゆうこです。本年もよろしくおねがいいたします。

新年のはじまりは、一年の無事を祈願したり、今年の目標をたてたりと、
心新たにスタートできる日ですが、私はというと恥ずかしながら正月早々に風邪をひいてしまいました。
(この原稿も、ベッドの中にパソコンを持ちこんで書いています(苦笑)。)

というのも、年末の冬休みを利用して三日間ほど、フィンランドのロヴァニエミという町に
オーロラを見にいきました。おかげさまで運良く美しいオーロラを見ることができましたが、
外の気温はマイナス30度、まつ毛も凍る寒さにすっかり体力を奪われてしまったようです。
 
日ごろから、もっと体力づくりをしないといけないなぁと新年早々気付かされた出来事でした。
ということで、今年の目標は心と体、そして霊的な「真の健康」にしたいと思いました。
 
 
さて、今回のブログでは、2010年に読んでもっとも感動した本を紹介したいと思います。

それは、大石順教さん(1888〜1968)の書かれた『無手の法悦』(むてのしあわせ)
(春秋社刊)という本です。

大石順教尼の過酷な人生は舞台などで繰り返し上演されたそうですから、
ご存じの方も多いかもしれません。
 
映画『四分の一の奇跡』の入江富美子監督も、この本に感動されて、
大石順教尼の人生とそのお弟子さんである南正文さんの映画を製作されていらっしゃるそうです。
 
 
順教尼は、四歳の頃から舞踊を習い、大坂で名の売れた踊り手でした。
17歳の時に、舞踊の修行を指導していた養父の狂乱によって、一家五人が
惨殺される事件が起こり、その巻き添えとなり両腕を失いましたが奇跡的に生還し、
その後は絶望を乗り越え身体障害者の救済に命を捧げた方です。

私が大石順教尼を知り、この本を買ったのは二年ほど前でした。
ご縁があって順教尼の創設した京都の仏光院を訪れる機会があり、
その場からあふれる癒しの波動に、とても驚きました。

すぐさま本を購入したものの、二年ほどこの本のページを開けられずにいました。
というのも、一家五人惨殺事件の詳細と、その後の順教尼の過酷な人生を、
順教尼の綴った言葉で読む勇気と心がまえが、かつての私にはなかったのです。
 
 
今回フィンランドへの行き道でこの本をようやく読みましたが、何度も何度も涙があふれ、
感動を押さえることができませんでした。
順教尼の書かれる文章はとても美しく、情緒にあふれ、色どりがあります。
 
順教尼は19歳までひらがなも知らない無学な方でしたが、籠に入ったカナリヤの姿から、
口で文字を書くことを教えてもらい、その後は必死に勉学を続けたそうです。
 
このすばらしい文章は、手でなく、すべて口で書かれたものであることに驚き、
さらにそれは心で書かれたものであることが、読後よくわかりました。

私が二年間この本が読めなかったように、たしかにその事件の部分は、
かなり残酷な事件のため、読むのに力がいります。
順教尼ご自身も、事件後何十年たっても、この事件の話は用意に口にできないものだったそうです。
 
講演などで話さなければならない場合は、ある種の心がまえが必要であり、話した後は、
必ず疲労したそうです。
本書ではじめて事件の顛末を文字にするにも、かなり疲労されたようでした。
 
 
しかし、この事件を語らずして、順教尼の人生は語ることができません。
この部分は本書になくてはならない大事な個所ですが、最も大事なのは、
この事件の顛末でなく、その後の順教尼の生き方、考え方です。
 
事件の直後、まだ十数時間しかたっていない時に
「君をこんな目にあわせた養父を憎いと思うか」との取り調べに来た判事さんの質問に、
 
「お養父さんを憎むのは嫌です。やったことの罪のつぐないはお上がとりますでしょう。
 けれども四年間養ってもらったご恩は私かえしていません。
 お養父さんの罪が軽くなるのでしたら、裁判所でもどこでも行って証人にたちます。
 お養父さんのためにできることは何でもします。」
 
と、順教さんは言って、まわりの人にあきれられ、驚かれたようです。

「罪を恨んで人を憎まず」という言葉もまだ知らない17歳の少女の、純粋な思いから出た言葉です。
死んでいても全くおかしくない容体から生かされたのは、この清らかな心があったからではないか、
と思いました。
 
 
本書は、昭和43年3月に初版が刊行され、その4月に順教尼は亡くなっておられます。
この本は、順教さんの遺言のような本だと言えるでしょう。

私の拙い文章では、この本の良さを上手く表現することができませんが、
どうぞ多くの方に手にとってお読みいただきたいと思います。
 
 
IMG_0355.JPG IMG_0494.JPG
写真は、フィンランドで見たオーロラです。

人脈づくりと人間性の向上について

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
早いもので、今年も残すところあと二日となりました。
皆様におかれましては、今年はどのような年を過ごされたでしょうか。

私にとってのこの一年は、はじめて海外に住んだということもあり、いろいろなチャレンジの
多い年でした。年を経るにつれて、一年の長さがどんどん短くなっているように思う今日この頃です。

いろいろなことを学んだ一年でしたが、中でも最も考えさせられたのは、「日本のすばらしさ」と、
「人脈」についてです。日本のすばらしさについては、再三このブログでも書いていますので、
本日は人脈について書きたいと思います。
 
 
船井幸雄ドットコムの2010年11月19日の「先週のびっくりより」には、
「世の中は人脈で動くことを知らない人たち」という船井会長のブログが掲載されています。
船井会長の人脈の広さ、深さについては言うまでもないかと思いますが、いつもその細やかで
親身な態度には驚かされています。

私自身はと言いますと、なかなか人脈を築くのが得意ではないようです。
秘書時代は講演会など人の集まるところに多く出かける機会があったため、
おかげさまで私にはもったいないほど素敵な方々と交流する機会が多くありました。
 
しかし現在は物書きを生業としていますので、自ら積極的に行動しない限りは何週間も
人と喋らない・・・・という環境になってしまいます。

それに加えて、研究者である主人は仕事柄か、あまり人との交流が得意でないため、
家族ぐるみの親しいおつきあい・・・・といった関係を築ける人は、ほんのごくわずかです。

このように人と会わない生活では、いずれは夫婦揃って世間の視野が狭くなってしまうし、
偏屈になってしまうだろうから、これは私たちにとってよくないことだと思っていました。

そうは思っていても、なかなか行動が伴わず、人脈づくりにはある種の才能のようなものが
必要なのかもしれない・・・・とあきらめかけることがしばしばありました。
 
 
さて、以前に『ハトホルの書』(トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著、紫上はとる訳
ナチュラル・スピリット刊)を読んだ際に、人脈づくりについて、ハっとさせられるようなことが
書かれていました。

ハトホル神は、その人の魂がどこまで進化できるかを、底辺が正方形で、頂上のとがった
ピラミッドの形で象徴的に表せると言います。

そのピラミッドの底辺の四つの角の基点とは、

1、あなたと、あなたの肉体および精妙なエネルギーとの関係
2、あなたと、あなた自身または他者との関係
3、あなたと、世の中や地域社会に対する奉仕との関係
4、あなたと、地上の聖なる四元素「土、火、水、気(空間)」との関係

なのだそうです。この四つの点がどこまで発達しているかによって、
それらの頂点を結んだ頂上の高さが決まるのです。
 
 
さて以下に、2番目の「あなたと、あなた自身または他者との関係」についての説明を、
少し長いですが掲載したいと思います。

今日の地上には、人間関係を余分なものと見なし、肯定的で積極的な人間どうしの交流は
不要であるゆえに迂回してよいと考えている人々もいます。
わたしたちの解釈においては、そうした考えは誤りです。みずからの体験や要求や願望に
正直であると同時に、そうした気持ちを自由かつ素直に伝えあえるような、明確で誠実な
人々との関わりが必要なのです。

人との関係をとおして意識そのものを表現することは、自己の未解決で不調和な部分を
映し出して見せてくれるパワフルな鏡となります。他者との関わりをもたなければ、
自分は気付きや思いやりの心を有する、ある一定の意識レベルに達したものと容易に
信じ込んでしまいます。
 
しかしひとたび人と関わることを選択するやいなや、正直で明確な意識があれば、
自分自身の愛情や思いやりに欠けた部分が意識のなかでたちまち明らかになります。
なぜかと言えば、人は「あなたの気持ちを逆なでするもの」だからです。
 
したがって関わること、摩擦やもめごとといった相当の不快感や、さらには苦悩すら引き起こす
可能性があるのです。わたしたちが見てきたところでは、ほとんどの人が自分の感情を切り捨てたり、
真実を言わなかったり、本当の意図を自分にも人にも隠したりして、不快な状況を避けています。
 
その結果、本来なら意識が水晶のように澄みわたって明晰になる絶好の機会があるにもかかわらず、
どんよりと曇った意識になってしまうのです。残念なことにこうした状態が人間関係において
頻繁に体験されています。

こうした不均衡が起きる原因は少なからずありますが、わたしたちはその原因にいちいち
言及するよりも、解決策を投じたいと思います。その解決策の基本とは、人との関わりのなかで、
できるだけ直接的で素直であること、そして自分の要求や願望をできるだけ誠実かつ明確に
相手に伝える努力をすることです。
地上の高次領域の教師の多くが、幾千年にもわたって人との関わりの大切さを説いています。
(原文ママ)

 
 
自分の要求や願望を、できるだけ素直に、明確に相手に伝える技術については、謙虚で遠慮深く、
「空気が読める」日本人にとって、もしかすると一番不得意とするところかもしれません(笑)。
ドイツに住んでみて、すべての人が自分の意見を素直に主張しまくることを、はじめは不思議な
気持ちで眺めていました。

しかし、「誠実に」ものごとを伝えるという点では、おそらく世界でも日本人が一番得意でしょう。
諸海外では、自分の都合のいい意見は声高く主張するけれども、あまり誠実さはない時が
しばしばあります。

そのような日本人の特性と自分の特性とを考えながら、今後は、すなおに誠実に、
豊かな人脈づくりをしていきたいな、と思いました。
 
 
いろいろあった2010年、拙い文章におつきあいいただき、誠にありがとうございます。
 
2011年も、どうぞよろしくお願いいたします。
皆様の2011年が、さらに明るく輝くすばらしい年となりますよう、心からお祈りしています。
 
 
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(写真は、パリで至近距離に来てくれたスズメたちです。
 こちらのスズメは、日本のスズメよりも人なつこいと思います。)

たかがゴミ拾い、されどゴミ拾い

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
明日はクリスマスイブですね!日本では今は最後のクリスマスセールで賑わっている頃でしょうか。
サンタさんを心待ちにしている子どもたちの顔が目に浮かぶようです。

こちらドイツでは、12月の観測史上初と言われるほど、寒く、雪の降る日々が続いています。
おそらく、今年はホワイトクリスマスであることは間違いないだろうと思います。

ドイツでは、クリスマスとクリスマスイブは、いっせいにすべてのお店が閉店するので、
今から食料品を買いだめしなければなりません。きっと多くのドイツ人は、家族と集って、
とっておきのクリスマス料理を食べるのだと思います。

世界中の人々が、良いクリスマスを過ごせるよう願っています^^。
特にこの日は、世の中のために自分ができるちょっとしたいいことを、できればいいですね。
 
 
さて、本題に入りますが、ここ数年は、「陰徳を積む」ということを、個人的なひとつの
目標として掲げています。

そのような目標は掲げたものの、なかなか思うように陰徳を積めるほど、まだ人間ができていません。
陰徳どころか、ちょっと気が緩むと、日々のやらねばならない義務的なことまでも、
ついサボろうとしてしまいます。そんな自分に反省したり、自己嫌悪に陥ったり、
時には調子に乗ったりしながら(笑)、日々過ごしています。

一方、世の中には、誰にも何も言われなくとも、日々せっせと陰徳を積んでおられる方々が、
目立たないけれどもたくさんいらっしゃいます。たとえば、家のまわりの公共の道路や公園を、
毎日掃除されている方や、小学生の交通整理を自らされている方々がいると思います。

そのような方々を見て、すばらしいことだなぁ、とずっと思っていました。
しかし、ただそのように思うだけで、自ら道路や公園を掃除することはありません。
せいぜい道端に目立つゴミが捨てられていたら、それを拾う程度であって、
毎朝掃き掃除・・・などは今の私にはまだ敷居の高いものです。

やれば気持ちがいいだろうな、とは思っていても、いざ行動に移すことは、勇気のいることなのです。
 
 
ところで先日、あるきっかけから道端のゴミを拾わざるを得ない経験をしました。
この場で書いている時点でそれはまったく「陰徳」とはカウントされないのでしょうが(笑)、
その時の気持ちを少し書きたいと思います。

日本では、郵便ポストにたくさんの宣伝広告がポスティングされるかと思いますが、
それはドイツでも同様です。しかし、同じポスティングでも、ドイツでは少し様子が違います。

ドイツは「鍵社会」と呼ばれるほどに、ほぼすべての建物はオートロックで、各部屋にも
かなり頑丈な鍵がかけられています。そのため、多くのチラシや広告は、玄関のオートロックの扉が
邪魔をして、玄関ホールにある郵便ポストに入れることができません。
結果として、それらのチラシは、オートロックされた玄関の外の床に、各部屋分ゴッソリと
置いていかれることとなります。

そのように外に置かれたチラシは、風がふくと道中に散乱して、気付けば道路は
常にチラシが散らかっている・・・・という状態になっています。
それらのチラシは、各アパートの管理人さんや、道路の清掃作業員の人たちが、
何日かに一度掃除をしてくれています。

さて、先日たまたま外出から帰った際に、玄関先で荷物を床に落としてしまいました。
それを拾おうと腰を屈めたところ、ついでだから・・・とたまたますぐ傍に散乱されたチラシを
数枚拾って、ゴミ箱に入れました。
 
そのまま家に帰ろうと思いましたが、5,6枚だけ拾ったチラシは、なんとも中途半端な
気持ちになるものです。せっかくだから・・・とその場に落ちていた残りのチラシを拾い始めました。

たかがチラシを拾っているだけなのですが、ものすごく不思議な気分になりました。
というのも、「あら、私、誰にも頼まれていないのに今いいことをしているな」と自分で自分を
褒めている気持ちと(笑)、「私のような人間がこんなにたくさんのゴミを拾うだなんて」と
(もう一人の悪人な自分が)驚く気持ち、そして最も強かった気持ちは
「なんでかはわからないけれどすごく恥ずかしいから誰にも見られたくない」という気持ちでした。

一人でチラシを一枚、もう一枚と拾って道を移動しているうちに、だんだんと恥ずかしさは増していき、
近所の住人が窓を開けようとした際に、この姿を見られまいと持てるだけのチラシを持って、
逃げるように自分のアパートに帰りました。

これでは、道に落ちているチラシを拾っていたのだか、何か悪いことをしていたのだか、
わからないほどの慌てぶりです。

心臓の鼓動が少し昂ぶって、このような気分になった自分に、とても驚きました。

なんだか不思議だなぁ、と思うと同時に、たかがゴミを拾うだけのことなのに、
こんなに勇気のいることだったのか・・・・と愕然としました。
こんなこともできないほどに、私は頭でっかちで、行動が伴っていない人間だったのか、と思いました。
 
 
その時に、数年前に聞いたある方の講演を思い出しました。ご存知の方も多いと思いますが、
「プチ紳士、プチ淑女を探せ!運動」をされている、志賀内泰弘さんの、講演です。
たしか、5,6年前に熱海の幸塾で講演をしてくださいました。
その講演で、志賀内さんは「はじめて空き缶を拾ったときに、ものすごくドキドキと緊張した」と
いうお話をされていました。

その講演を聞いた当時の私は、「そんなものかな。たかがゴミをひとつ拾うだけで、
なんで緊張するのかな」と思いました。私はたまにゴミを拾うけれど、そんな気持ちには
なったことがないけどなぁ、と少し奢りの気持ちもあったかもしれません。

何年もたってようやく、あの時おっしゃっていた志賀内さんの気持ちが、ああ、このことだったのかと、
わかったような気がしました。「たかが掃除」「たかがゴミ拾い」なんて今の私には言えません。
そのたかが・・・もできないほどに、私は勇気のない人間だったことがわかったからです。

その気付きは、私にとって、とても新鮮で心地良いものでした。

気付いただけで、まだ実践が習慣になるところにまでは到達できていませんが、
今後は少しずつ、自分にできることから、公共の場の掃除をしていきたいな、
また、陰徳を積んでいきたいな、と思っています。
 
その前に、まずは、志賀内さんの著書『なぜ「掃除」をすると人生が変わるのか』を
ドイツに輸入して勉強したいと思います^^。

ちなみに、まったくの偶然と言いますか、必然と言いますか・・・・・にんげんクラブ会報誌
2011年1月号の輝く仕事人コーナーは、志賀内泰弘様にご登場いただきます!

これも必要、必然、ベストな流れなのかもしれません^^。
長い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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写真は、雪のアーヘン大聖堂です^^


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公園も雪で真っ白です


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こちらは、パン屋さんのショーウィンドウです。サンタさんでいっぱいです!

マナーを守ることと、心の自由の関係

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

日本でも、今は雪が降っている頃でしょうか。
こちらドイツのアーヘンでは、ここ2〜3週間毎日雪が降っています。
こちらの雪は日本の雪と違ってサラサラしているので、すごく積もるということはありませんが、
道路に5センチくらいの雪があるため、毎日スノーブーツを履いて外出しています。
 
はじめてアーヘンに来た時には、「アーヘンでは年に2、3回くらいしか雪が降らないよ。」
と知り合いから聞いていたのですが、今年はなんだか異常なほど雪が多いようです。
 
 
さて、雪がふるようになってから、あまり遅れることのないバスの路線が、かなり遅れるように
なりました。マイナス5度くらいの中を、到着時間より30分も遅れたバスを待つのは、
かなり寒いものです。おまけにバスは同じように寒空を待っていた人たちで満員ですから、
結局乗れない・・・・なんてこともよくあります。

これは日本では絶対にありえないなぁ、と思うことのひとつは、ドイツでは、バスの入口付近が
どれだけ混んでいても、入口と奥の中間地点に立っている人は通常奥へ詰めてくれないことです。
奥のスペースがどれだけ空いていても、「俺には関係ないや」という顔をしています。

日本と違って、通勤ラッシュや満員のバスなどに慣れている人が少ないためか
(ただ単に他人のことを考える人が少ないため?)、そのように協力しあう、ということがないのです。
 
そのような時にバスに乗ろうと思ったら、「奥が空いているんだからもっと詰めてください!」と
大きな声で叫んで、スペースを開けてもらうしかないのですが、残念ながらそのように
大声で叫んでも、まず詰めてもらえる可能性は50%くらいだと思ったほうが良いでしょう(笑)。
 
 
私はそのように叫んだけれども、スペースを開けてもらえず、結局バスに乗せてもらえなかった人を
何人も見ています。また、「もっと詰めてください!」とお願いした後に、「もうスペースがないよ。」と
断られ、しばらく乗客同士が大喧嘩になった状態も見ています。
(じっさい奥には空席があるのですが、なぜどいてあげないのかは謎です・・・)

もっとひどいのは、入口付近で降りる人のために一度バスから降りて道をあけてあげた人が、
その後バスに乗せてもらえず、知らないバス停に置き去りにされる・・・というパターンです。
 
30分に一本しか来ないバスを、屋根もないバス停で雪の降る中置いていかれたら、
かなり辛いだろうな・・・と思います。そのようなこともたまにあるので、混雑したバスの
入り口付近の人は、降りる人のために一度バスを降りて道を開ける、ということもあまりしません。

日本でこのように自分がバスや電車に乗れなかったら、かなり腹のたつことだと思いますが、
こちらドイツではまぁこんな日もあるかなという程度で済まされているようです。
ドイツ人は日本人ほど他人の気持ちを気にしないし、日本人ほど時間や約束に厳しくないからです。

このような環境に慣れてくると、ああ、バスや電車にきちんと列を作って待っていた
日本の日々が懐かしいなぁ・・・・と思ってしまいます。
 
日本人の私が海外に住んでいながら日本を褒めるのは客観性がないかもしれませんが、
ここドイツやその他西欧の国々と比べると、モラルの点では、今は日本のほうが10年くらい先を
行っているのではないかなぁと思います。(もっとも、バブル時代以前は、日本人旅行者は
西欧諸国からヒンシュクを買うほどに、あまりモラルがなかったようですが。)
 
 
日本には、法律や規則ではないけれども、人々の善意で作られた暗黙の決まりごとのようなものが
多くあります。たとえば、電車に乗る際に列を作ることや、電車内で携帯電話をかけないこと、
化粧をしないこと、タバコは決められた場所で吸うことなどのマナーです。
 
それらの決まりごとが多ければ多いほど、人によっては、堅苦しくて息が詰まるように
感じてしまうかもしれません。

しかし、実際にはそれらがあるからこそ、人々は心地良く過ごすことができているのだと思います。
体は縛られているように感じるかもしれないけれど、心はとてつもなく自由です。

(ここで「心が自由?どういうこと?日本はルールがいっぱいで縛られているようにしか感じない。」
 と思う人は、一度、「誰も暗黙のルールを守らない国」に行ってみてください。きっと日本の良さが
 わかると思います。ただバスを待つだけでも、列を作るルールのない国ではどこでバスを
 待っていても良く、文字通り体は自由ですが、心は常に「果たして次のバスに乗れるのだろうか・・・」
 と不安で、縛られっぱなしですから・笑)
 
 
そのような善意で作られた決まりごとを、義務的に守るのでなく、すべての人が自ら進んで
守れるようになると、自由で、ものすごく暮らしやすい世の中になるだろう、と思います。
 
一日も早くそんな日が来るように、日本の良さをいろいろな人に伝えていきたいと思っています。
 
 
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(写真は、パリのロダン美術館にあるゴッホ作の「タンギー爺さん」です。
 五井野正博士がよく言われていますが、ゴッホは日本の良さをわかっていたのですね^^。)

宇宙のパワーセンター、ヴォルムバッハの教会にて

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

あっという間に今年もあと1ヶ月をきりました。
日本ではそろそろ忘年会シーズンとなっているでしょうか。
こちらドイツでも、最近はクリスマスパーティへのお誘いが多くなってきました。
街中では、暖めた赤ワイン「グリューワイン」を飲んで楽しそうにしている人がたくさんいます。
 
日本では、師走は仕事がとにかく忙しい!というイメージがありましたが、こちらでは
すっかりクリスマスモードで、あまり忙しそうには見えません。
(というより、普段よりもゆったりしているように見えます。)
国が違えば師走の過ごし方も違うのだなぁと、文化の違いを楽しく観察しています。
 
 
つい先日、韓国人の友達に、クリスマスパーティに誘われました。
それはアーヘンに住む韓国人コミュニティが主催するパーティで、150人前後の人が集まりました。
参加者の8割が韓国人、残りの2割がその友達のドイツ人、という集まりだったのですが、
韓国の人たちのパワーとノリの良さには終始圧倒されました。

司会の人が誰かを紹介するたびに、会場からは拍手喝采、大歓声が上がります。
7時から始まったパーティで、10時ごろには家に帰れるだろうと思っていたのですが、
全く帰れる隙もなく、9時から始まった抽選会がなんと夜の1時近くまでかかりました。

というのも、50人くらいに豪華景品の当たるくじびきがあったのですが
(三分の一の人があたるので皆真剣です・笑)、誰かが当たる度に、大音量の音楽がかかり、
なんとステージに上がらされ即興のダンスを皆の前で披露しなければならないのです。

驚いたのは、少し恥ずかしがりながらも、ほとんどの人がその場でプロのダンサーさながらに、
即興のダンスを踊れることでした。ステージ上で即興のダンスを踊るなんて、お酒の飲めない
私にはなかなかできません(笑)。当たらないことを願いながら参加するくじびきというのも
なんだか妙ですが、終始当たらないことを祈りました。

会場の驚くほどのハイテンションは24時を過ぎても衰えることはなく、大爆笑、大歓声、
大喝采の中で、パーティは終わりました。

私はかつて日本で、芸能関係や若者のみを対象としたものを含めいろいろなパーティに
参加してきましたが、ここまで最初から最後まで観客のノリの良いパーティには一度も
行ったことがありません。

同じアジア人で顔は似ているけれども、韓国人と日本人の国民性は全く違うのだなぁと、
あらためて思った出来事でした。
 
 
さて、前置きが長すぎて本題を忘れてしまいそうな雰囲気でしたが(笑)、前回のブログで
お伝えしましたように、ドイツヴォルムバッハの教会について少しレポートしたいと思います。

ヴォルムバッハの教会は、先週の記事のノルデナウの近くにあります。(だいたい車で
20分くらいだったと思います。)Bontakaさんが、以前にここへお一人で来られたことがあるそうで、
私たちを案内してくださいました。

この教会は、並外れた宇宙のパワーセンターと呼ばれているそうです。
恥ずかしながらじつはまだ読んでいないのですが(注文はしたけれど、まだ手元に
届いていないため><)、『ドイツ波動健康法』(ヴィンフリート・ジモン著・現代書林刊)という
本の中にヴォルムバッハの教会について詳しく載っているそうです。

レヨメーターという装置で図ると、なんでもこの教会には数値の高い帯が
いくつも交差しているのだとか・・・・。もちろんこの教会が建設された当時には
レヨメーターなどの装置はあるはずもなく、昔の人は波動を感じとって教会を建てていたのだろう、
とのことでした。(日本の神社も同じことが言えると思います!)
 
101209_1.JPG
(ヴォルムバッハの教会外観です。この季節のドイツでは珍しいほどの良い天気でした。)
 
 
さて、実際に行ってみると・・・・・・氣の流れの数値・・・というのは私自身が鈍いので
わかりませんでしたが、雰囲気としては、そう!そう!これこれ!この感じ!!と、
遠い日本を思い出してワクワクしました。

というのも、私は日本にいた頃に、仕事で「イヤシロチ探訪」という記事を書いていた他に、年に
1〜2回ほどは個人的な趣味で人里離れた(マニアックな?)神社仏閣を訪れる旅に出ていました。
 
ドイツに来てからも、各地の教会などいろいろな場所へ訪れていたのですが、日本の聖地と似た
ピリっとした独特の神々しさ・・・・は、感じることができていませんでした。(そのため個人的には、
「神々しさランキング」ではダントツで日本が世界一だと思っていました^^。)

ところがこのヴォルムバッハの教会付近は、日本で感じるそれととても似ているのです。
わかりやすく(?)たとえて言うならば、熊本県の幣立神宮や、奈良県の天河神社などの
雰囲気と似ていました。
 
101209_2.JPG
(教会内部の写真です。)
 
 
この教会がさらに日本の神社と似ていたところは、なんと奥の院があるということです。
ヴォルムバッハの教会から、少し離れたところに参道があり、参道を800メートルくらい歩くと、
小さな奥の院の教会があります。

しかも、その参道には、一定間隔ごとに、14個の小さなお宮(?)(イエス・キリスト様が
磔刑にあう前後の物語が描かれたもの)があります。レヨメーターで調べると、
そのお宮のある場所すべてに、測ったかのように波動の数値の高い帯が通っているそうなのです。
 
101209_3.JPG
(小さなお宮のひとつです。)
 
  
101209_4.JPG
(参道です。まわりは、小さなモミの木を栽培していました。)
 
奥の院には、ひっそりと小さな教会が建っています。この場所に一人で来て、誰もいない中で
一晩中がんばったら、日本の聖地のどこかにテレポーテーションできるんじゃなかろうかと、
ふと思いました。まぁ、がんばってできることではないと思いますが・・・(笑)
 
101209_5.JPG
(奥の院の写真です。)
 
ドイツにもこのような場があるのだなぁと思うと、とても嬉しくなりました。この地に
来させていただいたことを感謝しながら、世界の平和を祈り、日々の精進を誓って、帰りました。
 
 
一緒に訪れた方々も日本人(しかもにんげんクラブの会員様^^)ですし、感じる雰囲気も
日本の神社仏閣と似ているということで、ドイツにいるのだけれど、なんだか日本の田舎を
旅行している気分になる、不思議な旅でした。

神社仏閣、もしくはパワースポット好きの方は、もしドイツに来る機会がありましたら、
ぜひノルデナウとヴォルムバッハの教会を、セットで訪れてみてください。とてもオススメの場所です^^。

以上がヴォルムバッハ教会のレポートです。
長い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

奇跡が起こる?ノルデナウの水

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

12月に入り、暑かった日本も、もうすっかり冬になったようですね。
こちらドイツでは、ここ三日くらい雪が降っています。連日氷点下の寒い日々ですが、
天気予報によると、明日はマイナス10度だそうで、今から少し緊張しています。
 
「ドイツは本当に寒いですね」とドイツ人に訴えると、
「1月には例年マイナス25度まで下がるから、今はまだまだ暖かいよ」と言われてしまいました。
 
先日主人の友人に呼ばれたパーティは、マイナス3〜4度の中、夜の8時からオールナイトで
野外バーベキューをするという、寒がりの私にとって罰ゲームにしか思えないものでした。
 
このパーティを企画した友人は頭がおかしいのではないかと思ったほどですが(笑)、
バーベキューの炭火の近くで暖をとっていたのは、日本人の私たち夫婦だけで、
他のドイツ人、フランス人などは、案外楽しんでいたようで、火から離れた場所で平気で
冷たいビールを飲んでいました。
体感温度というのはここまで違うものなのか・・・・とびっくりした出来事でした。
 
 
さて、本日は、ドイツのイヤシロチ「ノルデナウの水」についてお伝えしたいと思います。

ドイツに来てすぐの頃、ドイツのイヤシロチ、スピリチュアルスポットにぜひ行きたい!と
インターネットで検索したところ、唯一ヒットしたのが、「ノルデナウの水」でした。
 
聞くところによると、「飲むと病気が癒される水」とクチコミで噂が広がり、
世界中からこの水を飲みに小さなノルデナウの町まで人々がやってくるそうです。

ノルデナウは、ドイツで最も日本人の多い都市デュッセルドルフから車で2〜3時間、
山奥の小さな農村です。地図で場所を調べた結果、ああ、この場所はどうがんばっても
車のない私たち夫婦には行けない場所だな・・・・とあきらめていました。

ところが、デュッセルドルフ在住で、五井野正博士のファンであり、ザ・フナイの読者の方
(ペンネーム・Bontakaさん にんげんクラブにもご入会いただきました^^)が
たまたまご自身のブログでノルデナウの水について書かれていたのを見つけて、
連絡をとってみたところ、あれよあれよと話が進み、なんとノルデナウまで
車で連れていっていただくことになりました。

Bontakaさんと、同じくにんげんクラブの会員様で、11月号の会報誌会員様ご紹介コーナーにて
ご登場いただいたデュッセルドルフ在住の山口俊雄様、急遽その日程でドイツに
遊びに来ることが決まったにんげんクラブの小沢さん、私の主人、そして私の五人で、
ノルデナウへのプチツアーとなりました。
 
 
さて、なぜノルデナウが癒しの水として有名になったかを少し説明したいと思います。

ノルデナウの村に住み、ホテルを経営するトメスさんの敷地内に、かつてスレートの
採掘場であった廃坑がありました。トメスさんは温度が一定しているその廃坑を
ワインの貯蔵庫として利用していました。
 
1992年に、オランダからやってきたお客様の一人がワインについてうるさく言うので、
「それならば自分でワインを選んでくれ!」と採掘場まで連れていったそうです。
 
じつはそのお客様は、有名なサイコテレピスト(心理療法士)であり、エネルギーや
氣についてわかる人だったそうで、採掘場の不思議なエネルギーに驚き、
「ここの湧き水は、飲むと、治療の効果がある」と言ったそうです。
はじめは半信半疑だったトメスさんも、この場ではなぜかワインの熟成が早いのを
不思議に思っていました。

そのようなことがあり、数人の人が湧き水を飲み始めたところ実際に効果があり、
近所の人や、ホテルの宿泊客からどんどんとクチコミで噂が広がり、有名になっていきました。
 
白血病の子どもが癒された話や、長年の頭痛から開放された人、杖をついてきた人が、
帰りは杖なしで歩けるようになった・・・などなど様々な実例があるようです。

1997年には、科学の調査が行われるようになり、医学博士のツヴィニエフ・ガーデニック氏により、
540人ものノルデナウを訪れた人のアンケート調査が行われました。
 
それぞれの人の症状を分類し、三ヵ月後に追跡調査を行いました。
その結果、ほとんどの人が回復傾向にあることがわかり、彼はこのことを「ノルデナウ現象」として、
1999年に学会で発表し、その後も、1000人以上の人の追跡調査が行われているそうです。
 
 
さて、なぜノルデナウの水は癒しの効果があるかですが、はっきりとした理由は
未だわかっていないそうです。その水はとても純度が高く、通常の水よりも8パーセント軽い、
ということはわかったそうですが、それだけでは治療の効果の実証にはならないそうです。
 
その後もドイツの研究所や、日本の九州大学など、様々な機関がノルデナウの水について
研究をしている、とのことでした。現在では、各国からその水を求めて多くの人が訪れています。

以上が、ノルデナウの水についての簡単な説明です。
ノルデナウの水が飲めるホテルトメスのホームページはこちらです
↓  ↓
http://www.stollen-nordenau.de/hotel/impressum/index.php
 
ホテルトメスは、かなり奥まった村にあり、何度か道を迷いました。
到着した頃には、もう夕方であたりは真っ暗。まわりに電灯もあまりなく、
自然の中にホテルがある、という感じでした。
 
 
チェックイン後はすぐに廃坑に集合して、「ノルデナウの水」についての見学です。
 
101202_1.JPG
(廃坑の中。奥のヘルメットをかぶった人が、案内してくれました。)
 
すでに夕方6時頃でしたが、私たちのほかに、5,6人の人が廃坑入り口で待っていました。
廃坑に入ると、まずは案内係のおじいさんに鍵を見せて、ひんやりと湿度のある冷たい空気の中、
30メートルくらい進みます。
 
すると、奥に少し広い空間があり、そこには椅子がいくつも並んでいました。
この間、しゃべっては駄目、写真撮影も禁止です。
あらかじめ入り口で渡されていた椅子に敷くマットと座布団をそれぞれ好きな椅子に敷き、
まずは20分間、静かに瞑想をしました。
 
その間に、係のおじいさんは、人数分の水をコップに汲んでくれます。
また、ペットボトルなどを持っていっている人のためにも、水を汲んでくれます。

20分ほどすると、アラームが鳴り、係のおじいさんがなにやらドイツ語で説明をしてくれて、
水を飲み、解散です。その時は喋って良いし、写真撮影もOKとのことでした。
親切な係のおじいさんは、湧き水の出ている場所をわざわざ見せてくれて、写真を撮らせてくれました。
 
(翌日帰り際に、ホテルのロビーでホテルのオーナーらしき人の立派な古い写真が飾ってありました。
 髪は黒く、まだ若くてずいぶん違った印象でしたが、よく見るとこの写真は、あの案内係を
 してくれたおじいさんのようでした。オーナー自ら、廃坑で人々に水を配ってくださっていたのか、
 とびっくりでした。)
 
 
瞑想している間に感じたことは、普段よりもとても深い瞑想状態にすぐに入れる場所だな・・・
と思ったことでした。目を閉じるだけで、瞑想をするつもりはあまりなかったのに、
気付けば頭は空っぽ、呼吸もあまりしていない自分に気がつき、あれれ?不思議な場所だなぁと
思いました。

水は、とても冷たくて、おいしい!と思いました。おそらく硬度などはずいぶん違うだろうと
思うのですが、熊本県の白川水源で飲んだ水と、飲んだ際の爽快感が似ているような気がしました。
こんなに冷たいお水を大量に飲んだのは、かなりひさしぶりのことです。
 
101202_2.JPG
(湧き水の写真です。とても透明度の高いお水でした。)
 
 
さて体験してみて、実際に病気が治ったかどうかですが、私自身は健康な状態で行ったため、
効果のほどはよくわかりませんでした。
しかし、枕が変わると眠れない・・・という睡眠障害ぎみな私も、その晩はとてもよく眠れました。
 
また、Bontakaさんの経験談によると、歯がとても痛かったのが治まったそうです。
また、たまたま水を詰めるために持ってきた瓶のキャップで手を傷つけてしまい、
かなり深い傷で血が止まらなかったのが、廃坑で瞑想をした後に手を見ると血が止まっていた、
とのことでした。
 
101202_3.JPG
(この壁の奥のほうから、水がわいてきているようでした。モヤっとした光とたまゆらで、
 なんだか不思議な写真です。)
 
 
私は日本でも、仕事の関係や趣味も兼ねて、様々なイヤシロチへと行っていますが、
そのような場と比べても、ノルデナウの村はイヤシロチだなぁと思いました。
 
廃坑の中は神社仏閣で感じるような、いわゆる「神々しい」雰囲気はないものの、
磁場が強いというか、やはり何かのエネルギーが流れているような気がしました。
なんとなくですが、以前にホルミシスルーム(船井幸雄ドットコムのこちらのページをご参考ください。
という健康に良い効果のある部屋に入った際に感じた雰囲気と、似ているような気がする・・・・
と思いました。

ホテルで出された食事も、本当にここはドイツ?と思うほど(あ、失礼ですね・笑)
とても美味しく、癒されました。
また、私たちは受けていませんが、ホテルでは各種オイルマッサージや、
プールでのエクササイズ、心理カウンセリングなど、様々なプログラムが受けられるようでした。

確かにこの場に何日も滞在していたら、癒されて、元気になりそうだな、と思いました。

残念ながら、私たちの訪れた時期はローシーズンで気温は1度と、自然の中で
ゆっくりくつろぐには寒すぎましたが(廃坑の中もとても寒いです。防寒具はお忘れなく!)、
いつかまたゆっくりとこの地を訪れてみたいなぁと思いました。
 
読者の皆様も、機会がありましたら、ぜひ訪れてみてください。
ドイツの普通の観光地への旅とはまた違った、面白い旅になるだろうと思います。
 
 
以上が、ドイツの有名なイヤシロチ、ノルデナウの奇跡の水についてのレポートです。
次回は、この旅行で訪れたヴォルムバッハの教会についてレポートしたいと思います。
 
長い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 
 
101202_4.JPG
(ホテルトメスの敷地内の写真です。ご参考までに、ホテルトメスはローシーズンでも
 半月前には予約がいっぱいになっていました。暖かい季節はもっと早めに予約したほうが
 良さそうです。このホテルに泊まれなくても、廃坑へは入場料を払えば入れます。)

「世界の平和とそれぞれの使命」

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
11月も半ばを過ぎ、そろそろこちらではクリスマスマーケットの季節が始まりました。
つい先日まで暖かいなぁと思っていた気温も氷点下になることもあり、いよいよ本格的な
冬がやってきたようです。

最近は尖閣諸島の問題や北朝鮮の韓国砲撃の問題など、心配な話題が多くあります。
ドイツに住んでいてよく言われることは、「他民族の集まる場所では政治と宗教の話は
話題にすべきではない」ということです。

こちらに住んでいて、私にも中国人や韓国人の友達がいますが、一緒に食事をしていても、
お互いに今の世界情勢に触れないのが暗黙のルールとなっています。

それぞれの国ではかなり大きく報道されているであろう話題なのに、まったく触れないというのも、
なんだか不自然な気がしますが、お互いに機嫌良く食事をするには、そうするしかありません。
 
そのようにお互いに黙っていることが、「国同士では問題があるかもしれないけれど、
個人としてはあなたを友達だと思っていますよ」という意思表示となっています。

今回の砲撃問題がある以前の話ですが、
ある韓国人の友達に「今までに北朝鮮の人と会ったことはある?」と聞くと

「一度だけ空港で見かけたことがあるよ。僕が兵役についていたころは、もし国内で
彼らの姿を見かけたら撃ち殺せと教えられてきた。だから、彼らを空港で見たときは、
心臓がドキドキしてとてもナーバスな気持ちになったよ。」と教えてくれました。

これを聞いて、若い人がこのように思うのならば南北の問題はかなり根が深いのだな、
と思っていましたが、しばらくして別の韓国人に同様の質問をすると、

「もちろん会ったことあるよ。僕は中国に留学していたから、友達も何人もいるよ。
 仲が悪いのは国と国との問題で、個人同士では何の問題もないのにね。
 僕は兵役を終えたけれど、そんなことは関係ないよ。僕らは言葉も一緒で
 同じ民族なんだから仲良くなれるはずなんだよ。」とのことでした。

これを聞いて、「やはりどれだけ国の括りがあっても、人は個人同士では、仲良くなれるのだな。」
ということがわかりました。
 
前者の彼は北朝鮮の人と個人的に話をしたことがなかったので偏見を持っていたようですが、
もしも個人的に会話のできる環境にあれば、友達になれたのかもしれません。

宗教の違いや国の違い、組織の違いなど、人は自分が所属する団体と違うということだけで、
争いがちです。それらの枠組みをなくしてしまえば、こだわりもなくなるし、個人としてお互いに
仲良くなれるのではないか・・・そのように思えてなりません。


ところで、ようやく本題に入りますが(笑)、つい昨日まで、一週間ほどにんげんクラブ事務局の
小沢さんがドイツに遊びに来ていました。アーヘン市内やベルギーを案内したり、ドイツの名水で
有名なノルデナウを訪れたりと、いろいろとまわったのですが、ある晩意見の違いから、
ちょっとした言い争い(?)となりました。

それというのもアセンションについての話題がたまたま出て、

「2012年にアセンションとか言われていますけれど、私は結局のところ大きな変化は
 何も起こらないと思います。少しずついろいろな変化があって、世の中が変わって
 いくんじゃないかと思うんですよね。」

と小沢さんがなにげなく言いました。

それを聞いた私はつい黙っておれず、
「いや、私もそう思いたいのは山々だけど、ポジティブでもネガティブでもなく、ニュートラルな
 立場から見て、2012年まで地球や日本は持たないのではないかと私は思う。
 今の変化のスピードでは遅すぎる。今はしっかりしないと、かなり危ないと思うよ。
 もっと多くの人に、しっかりするよう伝えなければ・・・。」と、反論しました。

すると小沢さんは「私はそこまで強くは思いませんけれど。」とつれない返事。
私としては、なんと悠長なことを言っているのだ・・・と思ったのですが、その後いろいろと
意見を交わしても、いっこうにお互いに譲りません。

いろいろと話が進展していくうちに、
「結局のところ、この世はパラレルワールドなんですから、大災害が起こるような大変な地球の
 世界に住んでいる人もいますが、そうでない世界に住んでいる人もいます。
 うまく言葉では言えませんが、これは生き方と使命の違いなんだと思います。
 私は別に全ての人に今の地球の危機を伝えなければいけないとは思わないし、
 それぞれのステージがあるので、わからない人はわからないままでいいと思う。
 人に伝えなくても、ただ今の自分にできる世の為に良いことをしっかりとやって生きていれば
 いいと思うんです。私から見ると、他人のことまで考えるあなたの生き方、考え方は、
 とてもしんどそうですよ。」と、言われてしまいました。

自分の生き方をしんどそう、とまで言われては、何も言葉が出てきません。
この言葉には傷ついて、どうしてわかってくれないのだろう、と、ものすごく腹が立って
泣いてしまいそうでした。
 
その時は両者納得しないながらも、どうやってこの場の怒りを静めようかと必死になり、
なんとか別の話題に変えてひと段落しました。

そして彼女が日本に帰ってからしばらく考えてみて、彼女の意見も一理あるなぁと思いました。

考えてみれば、人それぞれに使命は違います。使命が違えば、私と彼女の意見が違ったとしても、
それはあたりまえのことです。
 
たぶん私が、あの時にすごく怒ってしまったのは、「伝える」ということが
私の使命の一つだからかもしれないな、と思いました。
 
ネガティブなこと、というのはできれば書きたくはありませんが、地球は今泣いています。
動物たちも、森の木々も、虫たちも自然も精霊たちも、泣いています。
そして貧しい国だけでなく、豊かな日本を含めた、世界中の多くの人々が、たくさんの怒り、
悲しみを抱えて泣いています。私には、彼らの苦しむ姿が見えるし、その泣き声が聞こえ、
神々の怒りと悲しみを日常的に感じています。

小沢さんにいろいろと伝えながら、どうしてこんなにも大きな声で泣いている彼らの泣き声が
聞こえないのだろう?と、その時は思っていました。

しかし冷静になって考えてみると、これは私が文章を書いたり、何かを人に「伝える」役割が
あるから聞こえているだけであって、小沢さんだけでなく、その場にいた主人を含め、
私の友達やまわりの人の多くは、別にそれらの声は普段は聞こえていなさそうです。

ああ、みんなには聞こえていないのか、ということがその時ようやくわかったと同時に、
確かに「伝える」役割でない人が、日常的に地球や動物や人々の悲しみの声などが聞こえてきたら、
自分の役割に集中できなくなって、小沢さんの言うとおり「しんどい」だろうな、と思いました。
 
そう考えると、どうしてみんなには聞こえないのだろう?と非難する気持ちから、
みんなには聞こえていなくてよかった、と肯定する気持ちに考えが変わりました。

そして、私のように人に物事を「伝える」役割も大切だけれど、小沢さんのように
「大災害も何も起こらない地球」を、想念で思い描いている人も、より良い世界を創るには
同じように大切であって、どちらが正しくてどちらが間違っている、という問題ではないのだろうな、
と思いました。

そういうことにようやく気付くことができたので、この言い争いはある意味で無駄ではなかったと
思っています。(できればもっと穏やかに気付くことができたら良かったのですが・笑)

しかし、せっかくドイツまで遊びにきてくれたのに、ささいな意見の違いから
険悪な雰囲気にしてしまい、先輩の権限(?)ということで多少説教口調になってしまって、
小沢さんには申し訳ないことをしたな、と思いました。

この場をお借りして、小沢さんに「ごめんなさい」とお詫びすると共に、皆様にこの気付きと、
「地球は泣いていますよ」ということを、シェアして「お伝え」したいと思いました。

長い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
 
次回は、ポジティブな話題として、ドイツのイヤシロチ、ノルデナウの水についての
レポートを書きたいと思います^^。
 
 
(写真は、小沢さんの撮影したアーヘンのクリスマスマーケットです。)
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「ズボラな人のための、一石二鳥な英語学習法」

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

日本では、そろそろ紅葉が見ごろな頃だと思います。
ドイツでは、つい先週くらいまでが紅葉が美しい時期でした。ドイツの紅葉は日本の紅葉と違って、
大きな木がダイナミックに黄色く色づいています。繊細さはあまりなく、
街中でも道いっぱいに落ち葉が落ちていて、どこが歩道でどこが車道かわかりづらいほど。
人が歩いた部分だけ獣道のように落ち葉がどかされているのが印象的でした^^。

 今週は、とっておきの英語学習法についてご紹介したいと思います。
ドイツに来てから最も困ったことは、当然ながら言葉の問題でした。
若い世代の大半のドイツ人は英語が喋れるため、
英語さえ喋れればさほど生活に不自由することはないのですが、
ドイツ語も英語もまったく予習をせずにドイツへと来てしまったため、
はじめの頃はかなり苦労をしました。

こちらら来て二日目に、ドイツ人夫婦と夕飯を食べたのですが、
早口な彼らの英語についていけず、二時間を過ぎた頃には脳がオーバーヒートし、
話の途中で冗談抜きに気を失いかけた(寝そうになった?)のも、いい思い出です(笑)。

学生時代は英語がわりと得意だと思っていたのですが、いざ外国へ来てみると、
自分のあまりの英語力のなさにあきれ果てました。これではいかん!
と勉強をはじめようと思ったのですが、
計画性に乏しい私は日本から一冊も英語の教材は持ってきていません。
近所へ買いに行こうと思っても英語の教材が売っているはずもなく
(よりわからないドイツ語で解説されたものならありますが・・・)、途方にくれかけていました。

そうした中で、たまたま日本から持ってきていたものが、
「ヒマラヤ聖者の生活探求」の英語のCDでした。
これは「ヒマラヤ聖者の生活探求」のダイジェスト版で、
優しい声の男性が英語で朗読してくれるCDが三枚セットで売られているものです。
日本の店頭で売られているものではありませんが、
日本のAmazonから注文することができます。
じつは日本にいるときはこのCDを10分程度しか聞いたことがなかったのですが、
ドイツで何かの役に立つこともあるだろう、と持ってきていました。

このCDは、いろいろな意味で、本当に役に立ちました。
はじめのうちは、聞き始めると、それこそ10分ほどで眠くなってしまうので、
「ならば睡眠学習をしよう」と、寝る時の子守唄代わりにイヤホンで聞いていました。
これはもともと寝付きの悪い私にとって、
副作用のないすばらしい睡眠薬代わりとなりました(笑)。
このCDの内容は、皆様もご存知の通り、良いことばかりが語られているので、
心が洗われたような状態で眠ることができます^^。

毎日聞き続けて一ヶ月も経った頃には、脳も英語に慣れてきたようで、
さすがに睡眠薬代わりにはならなくなりました。その代わりに、じっくりとCDを聞いていると、
まわりのドイツ人たちが話す英語がとてもゆっくりとクリアに聞こえるようになってきました。

その後も三ヶ月、四ヶ月としつこく睡眠学習(笑)を続けたところ、信じられないことに、
外国人の友達と一日一緒にいても(あまり深い話はできませんが)、
ほとんど困らないほどにまでなりました。

なんとズボラな!お叱りを受けてしまいそうですが、本当の話です。

ドイツに来てからすぐに友達になった人からは、
「はじめの頃は、あなたの英語は正直に言うとわからなかったけれど、
いつの間にそんなに英語ができるようになったの。どうやって勉強したの?」
と聞かれましたが、「いや・・・・寝ながらCD聞いただけ・・・」
としか答えようがありませんでした。

英語は習うよりも慣れろ、とよく言いますが、本当にそうなんだなぁと、びっくりしました。

寝ながら聞くだけで勉強ができるとはなんだか詐欺のような話ですが、駄目でもともと、
結果をあまり期待せずに続けたのが良かったのかもしれません。
また、「ヒマラヤ聖者の生活探求」は、何度読んでも飽きる本ではありません。
読むたびに、いろいろな発見があります。そのため、
馬鹿の一つおぼえのように毎日聞いていても飽きなかった、
というのが続けられた理由の一つです。
(飽きっぽい性格の私には、「継続すること」が最も難しいことなのです・笑)

睡眠学習には、そんな上手い話があるわけない!と私自身偏見があったのですが、
これは短期的な結果を期待する類のものではなくて、
長期的な効果を期待する学習方法なのだろうと思います。
昔の人は、寝る前に子どもたちに桃太郎や金太郎などの勇者が出てくる御伽噺を聞かせました。
これは、勇者の姿を寝る直前の子どもの潜在意識に植えつけることが、
大切なことだったのかもしれません。

現在では、ヒマラヤ聖者の生活探求の、英語の原著と、ドイツ語訳の本を手に入れて、
中里誠吉さんのすばらしい日本語訳とを照らし合わせて、暇があれば眺めています。
心に響く読書をしたい際には、なんと言っても日本語で読むのが一番ですが、
語学の勉強をするには、これらはなかなかいい教材だと思います。

・・・と、なんともハードルの低い語学の学習方法の紹介で申し訳ないですが、
英語にも慣れることができて、清い心で充実した睡眠をとることのできるこのCDは、
本当にオススメです。結果をあまり期待しないで試してみてはいかがでしょうか^^。

ハイタッチ隊とフリーハグズ

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
少しずつ寒くなってまいりましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
 
こちらドイツでは、冷たい冬の風を感じる中で、早々とクリスマスの飾りつけが目立ち始めました。
寒いのは好きではありませんが、早く本格的なヨーロッパのクリスマスイルミネーションが見たいな、
と楽しみにしています。
 
 
先日、インターネットを見ていたら日本に「ハイタッチ隊」なる団体が活動していることを知りました。
その記事によると、ハイタッチ隊は、毎週水曜日、茅ヶ崎駅南口で、朝の通勤時間帯に
道行く人々に「ハイタッチ」をしてもらう呼びかけを続けているのだそうです。

私はドイツに住んでいるので、ハイタッチ隊のことを全く知りませんでしたが、
テレビや雑誌でもたくさんの取材を受けているようですので、皆様のほうがよくご存知だろうと思います。

暗いニュースばかりが並ぶニュース欄に、ハイタッチ隊の記事が出ていたので、それを読んで
とても心が温かくなりました。一人でパソコンに向かってしばらくニヤニヤしてしまったほどです^^。

通勤時間の憂鬱な時間帯に、笑顔で「ハイタッチ」を依頼されたら・・・
一日が元気にはじまる気がしますよね。ハイタッチ以外は、何の見返りも求めない。
ただたくさんの人が笑顔になってほしい、という思いから作られた活動は、
とても素敵だなぁと思いました。


さて、こちらドイツ・・・・というか日本を含めた世界各国では、ハイタッチならぬ、
「フリーハグズ」の活動をする人々がいます。

フリーハグズとは、人の多い場所で、フリーハグズ(free hugs)と書かれたプレートを持った人が、
街角に立っていたり、歩いていたりします。そのプレートを持った人を、道行く人が抱きしめていくのです。
 
これは、2001年にアメリカのジェイソン・ハンターさんが始めた活動で、世界中に広まっているそうです。
直訳すると、文字通り「抱きつき、無料」(笑)となりますが、肉体的な接触に
重点をおいているわけではなく、心の交流を大切にしているそうです。
 
残念ながら私は遭遇したことはないのですが、日本でも、フリーハグズの活動をする人が
たくさんいるそうですね。以前にyoutube でフリーハグズのビデオを見ましたが、
とても心が温まる楽しい映像でした^^。
 
私自身は、フリーハグって素敵だなぁ、こうやって世界中の人々がお互いに
愛情を持っていけたらいいよなぁ、と常々思っているのですが、
いざ「フリーハグズ」のプレートを持っている人を見ると、怖気づいてしまいます。
 
なにせ、日本人は他の国の人よりも肌の接触が少ない国民ですから、知らない人とハグをする、
というのは少し抵抗があるのです。ドイツに住んで半年以上たちましたが、未だハグは誰ともできず、
ドイツ人と会う際には「どうか私にはハグをしないでくださいオーラ」をだしまくっています(笑)。

(ちなみにこちらの若い女学生たちを見ていると、学校の帰り道に「じゃあまた明日ね」と
 挨拶をするだけでも、ハグだけでなく、なんと口と口で軽い接吻(笑)をします。
 いわゆる女性同士の恋人ではなく、「仲の良い友達」は全員にしているようです。
 これはドイツに来てとてもびっくりしたことのひとつです。
 ある程度年齢が高くなるとそのようにする人は少なくなるようです。)

そのようにハグに抵抗のある私からすると、ハイタッチ隊を知った時には
「まぁ!なんと日本人らしい活動でしょう!これなら私にもできるな。」と、
とっても嬉しい気持ちになりました。
 
 
考えてみれば、日本人は意外にもハイタッチが好きな国民です。
多くの人は、ボーリング場やスポーツの場でハイタッチをしたことがありますよね。
 
私はこちらドイツで一度だけボーリングに誘われたことがありますが、ドイツ人は
ストライクを出してもガッツポーズをして自分一人で喜ぶだけで、誰もハイタッチはしません。
 
他人がストライクを出すと、いちおう拍手はしてくれます。ハイタッチは当然してもらえるものだ、
と思っていた私が、ストライク後に高々と挙げた両手は、合わせる手がなくむなしく宙を舞っていました。
 
あの時の空気の微妙なことと言ったら・・・・(笑)。
そのような経験があるので、ハイタッチは余計に日本人らしい、と思ってしまうのかもしれません^^。
 
 
ハイタッチやフリーハグ、これらの活動をするのに、お金はいりません。地位も名誉もいりません。
いるのは少しの勇気と、たくさんの笑顔、そして温かい愛情です。

このような自主的な活動が各地で少しずつされているのを見ると、船井勝仁社長が
おっしゃる「うず」は各所で作られているのだな、と実感します。

今の私にできることは何だろう?何からはじめられるだろう?と、ハイタッチ隊や
フリーハグズの笑顔を見ていると、自分も自分にできることを、いろいろとやっていきたいと思いました。
 
 
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(写真は、以前にドュッセルドルフの町で行われた日本デー(ヤーパンターグ)のお祭りに
 来ていたフリーハグズのプレートを持った女の子たちです。こんなに露出度が高くて
 かわいい子たちが「フリーハグ」とは・・・・やっぱり怖気づいちゃいますよね・笑。)
 
 
20101110_2.JPG
(彼女はメイドの衣装を着ていました。日本デーでは、日本といえばアニメ!秋葉原!なのか、
 アニメのコスプレをした多くの人たちが、ドイツ全土から集まってきます^^)

ドイツの美容室事情

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
こちらドイツでは、寒い!と思う日々がしばらく続いた後に、また暖かい秋晴れへと逆戻りしたり、
「今年の秋はなんだか暖かくて妙だね」とドイツ人も不思議がっている天候が続いています。

今回はたまにはドイツらしさのレポートをしよう!ということで、ドイツでの美容室事情、
という少し軽めなコラムを書きたいと思います。他人の髪形に興味のない男性陣には、
極めてつまらない文章かもしれませんので、その場合は読み飛ばしていただいてけっこうです(笑)。
 
 
ドイツに来てからしばらく経って小さな悩みの種だったのは、伸び放題になった髪型をどうするか・・・
ということでした。別に髪が伸びたからと言っても、人生に大きな影響が出るなんてことは
まったくないのですが、まとまらない髪の毛は、日々の手入れがちょっと煩わしいですよね。

じつはドイツの美容院、現地に住む日本人からは、悉く評判が良くありません。
ご近所の国イタリアよりは少しはマシなようですが、美容師さんは気分で仕事をする人もおり、
注文どおりの髪型になることはほとんどないようです。
 
そもそも髪質や量がアジア人と西洋人では違いすぎるために、それぞれの国の美容師さんが
持っている技術も違うようです。
 
 
知り合いの日本人男性は、片道1時間半をかけてドュッセルドルフの日本人が経営している
美容院まで必ず行くと言っていました。

こちらドイツ人の美容師さんの多くは、髪の毛を「すく」という概念があまりないそうなので
髪の量の多い彼はドイツ人の経営する美容院に行くと大変な頭に仕上がってしまうのだとか・・・・。

そうは言っても、たかが美容院に行くだけで、往復3時間も電車に乗るのは、
ちょっと面倒くさい気がします。しかもパーマをかけたりするとなると、さらに2〜3時間は
かかると思うので、考えただけでもうんざりします。
 
 
そんなしょうもないことをしばらく悩み、ものは試し・・・・ということで、結局アーヘンの
美容室に行ってみることにしました。

三ヶ月前と、昨日と二回ほど行きましたが、今のところ100パーセントの確率で、
注文と違う髪型になっています(笑)。

3ヶ月前は、「美容室に何度も行くのが面倒だから、肩まで伸びた髪を内巻きパーマにしてもらおう。
そうすれば寝癖でハネないし、日本に帰るまでに二度と美容室に行かなくてすむ。」と、
インターネットから探して内巻きパーマの写真を持参しました。

さて、その写真を見せてドイツの美容室ではどんな反応をしたかというと・・・・・、

「こんな毛先だけにパーマがかけられるわけないじゃないか。」「これはパーマではない。」
「君の思い違いだ。」「君みたいな多い髪の量でパーマをかけたらひどい頭になるよ。」
「パーマだと言われても、これはパーマではないから、うちの店ではできません。」と、
その場にいた美容師さんたちに口を揃えて言われ、追い返されました。

せっかくお店まで行ったのに、追い返されては意味がないので、次に訪れた店では、
「できればパーマをかけてこんな頭にしてもらいたいのですが・・・・」と、少し弱腰で言ってみました。
 
案の定「これはパーマではない」との返事が返ってきたので、
「でも日本ではこれがパーマなんですよ。ほらね、ここにパーマの種類が書いてあるでしょう、
日本語だから読めないと思うけど」と指さすと、たまたまその説明書きの近くに英語で
「PERM」という文字が書かれていました。
 
それを見て美容師さんは、「信じられない!本当にパーマだ!ありえない!日本人はいったい
どんな技術を使っているのだ。」と大興奮。感心するというより、ひとしきり大笑いされてしまいました。

結局はそのお店でもパーマは無理ということだったので「じゃあ、何でもいいから、
これと同じ髪型にしてください」とお願いしました。

すると、シャンプー、カット、セット、とものすごく丁寧に、なんと3時間もかけて頭を作り上げてくれました。
カットはと言うと、髪の毛をすくことはいっさいなく、ひたすらまっすぐに髪の毛を切ってくれたので、
まるでこけしのようでした。さらに内巻き風にするため、大掛かりなセットを開始したのですが、
後に出来上がってみた頭は、普通の人の頭の二倍以上もボリュームがあり、道行く人が
振り返るほど(実話です・笑)、違和感のある頭でした。

「セットだけでこんな大きな頭になるなんて・・・・、パーマにしてもらわなくて本当に良かった・・・。
もう二度とドイツでは美容院に行くまい」と、心底思ったのは言うまでもありません。
大きな頭を隠しながら逃げるように家まで帰りました。
 
 
さて、一度失敗をしても、根が移り気なのか、三ヶ月たつと忘れてしまうものです。

前回は運が悪かっただけで、今度こそすばらしい髪形にしてくれるかもしれない、
パーマが駄目ならカットにしよう!と、再度美容室に挑戦することにしました。

しかも、今回は「アーヘンで最もセンスがあり、上手な美容室」を友達の中国人から
教えてもらっていました。
しかし行ってみると、クラブさながらの爆音でハードコアな音楽がかかっており、
顔にいくつもピアスをした店員さんが対応してくれました。
 
「今から2時間待ちだけどいい?」と聞かれたのが天の助け、
「ちょっと今日は時間がないからまた来ます」と、逃げるように店を出てきてしまいました。
あと10歳若かったらがんばれたけど、私ももう若くないな・・・・と、意味不明に衰えを
感じてしまった出来事でした(笑)。
 
 
その後向かったのは、こじんまりした小さな美容室。
生粋のドイツ人とは肌の色の違う女性が店番をしていました。

いざ入ってみると、その女性はとても感じの良い対応をしてくれました。
国籍を聞くとタイ人だそうです。

「そういえば昔タイに行ったときに、タイの人が『タイの美容室のレベルは世界でもとても高い』と
自慢していたよなぁ。」と思い出し、ちょっと期待しました。同じアジア人なので、髪の毛が多くて
太いお客様を対応することが多かったのか、その女性は「なんて多い髪の毛なのでしょう!」と
5回以上は言いながら、ボリュームのある私の髪をしっかりと「すいて」くれました。

結局は、やっぱり今回も写真とは全く違う髪形になったのですが(笑)、多い髪の毛を
すいてくれたため、なんとか違和感のない頭に仕上がりました。
彼女の名前をしっかりと聞いて帰り、次回美容室に行くことがあれば、また指名したいと思いました。
 
 
と、以上がドイツでの美容室の体験レポートです。

長年日本に住んでいた私は、写真を見せると、ほとんどのお店が写真と同じ髪型を作ってくれて、
なおかつスタイリングのアドバイスまでしてくれる日本の美容師さんの高い技術に、
慣れ過ぎてしまったのかもしれません。

今のところこちらで美容室には二回ほどしか行っていませんが、美容室のレベルは
日本が群を抜いていると思っています。

そんなことで「旅の思い出に外国の美容院にチャレンジ!」という思い切った行動は、
ドイツではなるべくしないほうが無難だと思います。期待を裏切られるのが関の山です。
 
また、もし仮にそのようなチャレンジをする際は、いかにも外国人らしい金髪のオシャレで
美しい女性などにスタイリングしてもらいたいと思うかもしれませんが、なるべく自分と似た髪質、
髪の色、顔の大きさや体系の人を選ぶのがいいと良いと思います。
違いすぎるというのは、失敗の元になります。
 
 
以上が外国の美容室での理想と、現実でした^^。
長い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
 
補足までにお知らせしますが、ドイツ人は清潔好きな人が多いので、ドイツの美容室は
どこもたいてい綺麗です。日本の都会の美容室とほとんど変わらないと思います。
 
 
20101104-1.JPG
(例によって、文章とは関係ありませんが、パリのノートルダム寺院の
ステンドグラスの写真です。)
 
 
20101104-2.JPG
(ノートルダム寺院の中。ここはたまゆらがたくさんとれました。)

ルルドの泉

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
 
日本でも、一日のうちに突然8度くらい気温が低くなる、というような秋の日が
続いているそうですが、いかがお過ごしでしょうか。
 
こちらドイツでは、もうすでに真冬のような寒さで、ダウンコート、帽子、手袋、マフラーなどが
手放せません。10月の今からこのような格好をしていては、本当の真冬に何を着れば良いのだろう?
などと温暖な気候で育った私は心配しているところです^^。
 

本日は、日本でも病気を癒す奇跡の泉として有名なフランスの「ルルドの泉」について
レポートしたいと思います。

以前のブログで、「奇跡のメダイ教会」についてレポートしましたが、そのご報告を
赤池キョウコさんにしたところ「ルルドも本当にすばらしい場所でオススメなので、
機会があればぜひ行ってみてください!冬季は飛行機が激減するらしいですよ。」
との情報をいただきました。

赤池さんからの情報ならばきっとすばらしいところであろうと早速調べてみると、
やはりルルド行きの飛行機が10月いっぱいで激減してしまうそうでした。
 
冬季はホテルも閉鎖されるところが多く、もうすぐシーズンオフ(?)になってしまうようです。
(もちろん教会自体が閉鎖されるわけではないようですが、復活祭から毎日行われていた
 夜間の祈りのミサが10月半ばには終わるからのようです。)
 
これは飛行機のあるうちに行かねば!と予約をし、土日を利用して行ってきました。
 
 
20101028_1.JPG
(こちらが、ルルドの泉のある無原罪のお宿り聖堂です。)
 
 
ルルドの泉を知らない方のために少しご説明させていただきます。
  
1858年の2月に、マサビエルの洞窟の近くで薪拾いをしていたベルナデッタという名の
14歳の少女の前に、輝く美しい女性が現れました。
ベルナデッタはその女性を当初マリア様とは思っていませんでしたが、その姿形から、
どうやらマリア様が現れたらしい、と噂は広まっていきました。
 
何度目かの出現の後、ベルナデッタから名前を聞かれた女性は「自分は無限罪の宿りである」
とだけ言いました。「無限罪の御宿り」がカトリックの教義となったのは、その女性出現の
四年前でしたが、学校へ行かず読み書きもできない無学なベルナデッタがその言葉を知るはずもなく、
その女性は聖母マリア様であろう、と言われるようになりました。
聖母はその後、18回にもわたってベルナデッタの前に現れたと言います。
 
さて、ルルドの泉は、聖母が現れた洞窟にあります。そこには、もともと泉があったわけではありません。
ある時聖母がベルナデッタに「泉に行って、その水を飲み、顔を洗いなさい」と言いました。
 
ベルナデッタは近くの川に行こうとしましたが、聖母は洞窟の岩の下へと行くように指差しました。
そこをよく見ると、泥水がわいてきており、少し掘るとどんどんと水が溢れ出し、飲めるほどの
清水になりました。それがルルドの泉の始まりです。
 
ベルナデッタは、その泉の水を飲むと、病気が治りますよ、と聖母から言われたわけでもなく、
彼女自身もそのように言ったことはありません。しかし、その水を飲んで病が治ったという人の
噂が噂を呼び、現在では年間500万人もの人が、世界中からルルドの水を求めてやってきます。
 
ベルナデッタは、後にマリア様の話や、ルルドの泉について言及するのを避けるようになりました。
多くの人々が有名人である彼女のもとにやって来て静かな生活ができないことを、苦痛に
思ったのかもしれません。彼女はヌベール愛徳修道会のシスターとなり、外界から遮断された
静かな生活を送った後、35歳の若さで、肺結核のために帰らぬ人となりました。
 
彼女の死後、先日お伝えした聖カタリナ様のように、不思議とご遺体は腐敗を逃れました。
1933年に、彼女はピウス11世によって列聖されました。そして現在でも、ヌベールの町で
ガラスの棺に納められ、聖ベルナデッタのご遺体は静かに眠っています。

以上が、簡単なルルドの泉と聖ベルナデッタについての説明です。
 
 
アーヘンからルルドまで、近いように思えて移動時間はなんと9時間でした。
朝の7時に家を出て、新幹線と地下鉄と飛行機を乗り継いでルルドのホテルに
ようやくついたのが、夕方の4時。
そして次の日の昼にはルルドを出発しなければならないという移動ばかりの忙しい日程でした。
 
さて、ルルドの泉の聖域に行ってみると、そこはとても気持ちの良い場所で、びっくりしました。
なんというか、「そのまんまのあなたでいいのですよ」と、マリア様の優しい愛につつまれているような、
そんな気分になるところです。
 
 
個人的には、ルルドはなんだか日本の伊勢神宮のようなところだと思いました。
神殿の近くに五十鈴川のような美しい川が流れていて、神域を出ると、おかげ横丁のような、
お土産屋さんがいっぱいあります。もちろん、神域で感じる雰囲気のようなものは全く違うけれども、
そこへ行くことを楽しみに各地から人が集まってくるところなど、なんだか似ていると思いました。

聖堂の前に到着したときには、ちょうど夕方のミサと騎馬隊の式典のようなものをやっており、
その迫力にびっくりしました。
 
20101028_2-2.JPG
(このような式典でした。見えにくいかもしれませんが、階段の上も人で埋め尽くされています。)
 
  
その式典を見終わった後、教会に参拝しました。
どこの教会や神社に行ってもそうですが、「世界が平和になりますように」ということを、強く祈りました。

神社や教会などではお願いごとをしてはいけない、とよく言われますが、私はいつもお願いごとをします。
参考までにどんなお願いごとかと言いますと、「いつも世界を守っていただいてありがとうございます。
世界がもっと平和になりますように。そのために、私もなるべくがんばるので、どうぞ、
悪いことをしていたら怒り、良いことをしていたら励ましたりしながら、遠くから見守っていてください。
それから、私の大切な人たちの病気がはやく治りますように。」と、こんな具合です。
(主人からは、「だいたい君はいつもお祈りが長すぎるよ。」と言われています・笑)

神社や教会などの祈りの場とは、私にとっては、感謝を伝える場であるとともに、
自分の決意表明の場でもあります。そのように祈ることによって、明日からもがんばろう、
という気持ちになります。
 
これが正しいのか間違っているのかはわかりませんが、自分にとってそれが一番心地良いので、
いいだろうと思っています。


参拝が終わって外を眺めると、今度は遠くから盛大な賛美歌が聞こえてきました。
そしてその賛美歌の歌にあわせるように、車椅子に乗った人、ベッドに寝たきりの人たちが、
シスターや家族の介護のもと、長蛇の列となって、巡礼の道を歩いていました。
  
20101028_2.JPG
(車椅子の人たちが、シスターに付き添われて進む列。後方にもずっと列は続きます)
 
 
その列を遠くに眺めながら、歌声を耳にしていると、嬉しいのか悲しいのかもわからない、
なんとも言えない感情が抑えきれなくなってきました。まわりに人がいるのもはばからず、
ボロボロと涙が出てしまい、気付けばひさしぶりに大泣きしてしまいました。

今でもあの時はなぜ涙が出たのか、自分でも処理しきれていません。しかし、なぜか頭の中で
「ごめんなさい。ごめんなさい。本当にごめんなさい。」と何度も言っている自分がいました。

いったい誰に対するごめんなさい、だったのか。それすらもわかりませんでした。

ただその涙が流れているときには、とても暖かい気持ちになりました。
生きていることを無条件に許された、そのような大きな愛を感じたようにも思いました。

もしかするとあのごめんなさいは、「自分をもっと愛していなくてごめんなさい」という意味の
「ごめんなさい」、だったのかもしれません。
 
 
さて、ひととおり泣き終わったら、次はマリア様が現れたと言われるマサビエルの洞窟へと
向かいました。ルルドの泉は、ここから湧き出ています。
 
20101028_3.JPG
(マサビエルの洞窟です。奥行きは深くありません)
 
 
泉、というからもっと噴水みたいなものを想像していたのですが、マンホールのような
小さなガラス越しにチラリと見えるだけです。
しかしここの前にはたくさんの祈る人たちが来ており、見るだけで15分くらい並びました。
  
20101028_4.JPG
(これが、ルルドの泉です)
 
 
ルルドのお水は、この場所でなく、別の場所の蛇口から汲めるようになっています。

さて、夕飯を食べた後に一度ホテルに帰り、夜の9時からはProcessions Marialeと呼ばれるミサ
(式典?)のようなものが開かれます。そこへ集まる人は、各々の手に火を灯した蝋燭を持ってきます。
 
ミサがはじまると、賛美歌とともに、マリア様の像が日本のお神輿のように担がれて、
教会から出てきます。そして広場を大回りでぐるっと一周するのですが、その後に車椅子や
寝たきりの病気の人たちの列が続きます。その間、聖母マリアの出現シーンを各国の代表者が
読み上げ、聴衆はマリア様へささげる賛美歌を合唱します。
 
こんなにも人がいたのか・・・・と思えるほど、ぞくぞくと集まってくる蝋燭の明かりの数に
びっくりしました。その日は少し小雨が降って曇っていたのですが、ミサが中盤にさしかかると、
綺麗な満月が姿を現し、天もミサを喜んでいるかのように思えました。
 
20101028_5.JPG
(ミサへ行く人々の列。写真が小さくて見えないかもしれませんが、大小たくさんのたまゆらが
 楽しそうに飛んでいるのが、見えますか?)
 
 
とくに美しいなと思ったのは、讃美歌の途中でみんながいっせいに蝋燭を天高く掲げて
マリア様を賛美する箇所です。
 
そのミサは、三十分くらいのものかと思っていましたが、結局1時間20分ほどありました。
夜間だったこともあり、後半はかなり寒くなってきて、帰りがけには震えていたほどでしたが、
それでも参加してよかったな、と思いました。
 
今ここで行われているたくさんの人々の祈りが、世界中に届きますように。そう心から思いました。
 
20101028_6.JPG
(聖堂から眺めたミサの様子と満月。手前の白いものは、前の人が手に持っている蝋燭のカバーです。)
 
 
長くなりましたが、以上がルルドの泉のレポートです。
とてもお勧めのイヤシロチですので、機会がありましたら、ぜひ行かれてみてください。
長い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございます。

水木しげるさんの描く世界

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

日本では、運動会などの行事が終わり、秋の日々を楽しんでおられるかと思います。
こちらドイツでは、最近はダウンコートを着るほどの寒さです。(ドイツ人の方はもう少し
薄手のコートですが・笑)

ドイツの紅葉はどんな美しさかしら?と楽しみにしていたのですが、せいぜい葉が
黄色くなる程度で、あまり美しい紅葉にはお目にかかっていません。
やっぱり紅葉は京都だわ、などと日本を懐かしく思っています。
 
 
さて今回は、ドイツレポート、というタイトルからはかけ離れているのですが、
漫画家の水木しげるさんについてのレポートを書かせていただきたいと思います。

水木しげるさんというと、漫画「ゲゲゲの鬼太郎」はとても有名ですね。
最近ではNHKドラマで水木さんの奥様が書かれた「ゲゲゲの女房」が大人気だったと聞いています。
日本でも今大ブームとなっているのに、わざわざドイツにいる私が水木さんのことを書くのは
なんだか妙な気もしますが、ご参考までにお読みいただければ幸いです。


数学者の岡潔さんなど、昔の世代の人の多くは、「漫画はよくない、人間の質を落とす」、
というようなことを書籍に書かれていることがあります。
確かにそれも一理ありますが、手塚治虫さんや、水木しげるさんなど、芸術作品のように
優れた漫画を描かれる人も、やはりいらっしゃいます。

文章を書く仕事をしているのにこんなことを言うと怒られてしまいそうですが、個人的には、
漫画のほうが本よりも好きです。作品の質にもよりますが、私の脳にとっては、漫画のほうが
読みやすく、頭に記憶しやすいからです。

時として漫画は本に比べるとイメージをふくらませる能力を退化させるようにも思います。
しかし、描き手のイメージ力や技能が優れていれば、それはとても良いものになると思います。
 
 
以前に、手塚治虫さんについて書かれたある文章を読んだ際に「生前手塚さんは、
水木しげるさんにものすごくライバル心を燃やしていた時期があった」と書かれていました。

これを読んだときは、私自身は水木さんの作品を「ゲゲゲの鬼太郎」しか知らなかったために
なんだか怖いイメージしかなく、「なんで手塚治虫さんほどの巨匠が水木さんにライバル心を
燃やすのだろう?そもそも「火の鳥」や「ブッダ」などの作品と、妖怪物の水木さんとでは、
全然ジャンルが違うのに。妖怪のほうが子どもに人気があるからかな。」などと思っておりました。

しかし、今回「ゲゲゲの女房」が評判になったということで、少し水木しげるさんの漫画を
読んでみようかな・・・・という気持ちになり、調べてみると水木さんは優れた作品を
とてもたくさん描かれていることが、ようやくわかりました。
 
また、テレビアニメしか見ていなかったのでわかりませんでしたが、水木さんが漫画に
描かれる背景は、写真のように手の込んだ美しいもので、美的にもすごい才能を
お持ちだということがわかりました。
 
 
水木さんは、戦争時代に南方の島ラバウルに召集され、爆撃にあい片腕を失います。
命からがら日本に帰還するも、紙芝居屋、貸本漫画家などを経て飢え死にしそうなほどの
極貧生活を送ります。その後に漫画家として人気が出てからも、漫画と現実の区別が
つかなくなるほどに、休む暇なく漫画を描き続けます。

そのように過酷な体験をされてきた水木さんの描く戦争についての漫画は、臨場感、
現実味があり、ヒーローが登場しません。極限の状態の中では、みんな、人間らしくて、
醜く、弱い部分を持っており、そしてあっけなく死んでしまいます。
 
それが、実際の戦争の現実なのだと思います。そのような実体験のある水木さん作品は、
どなたの戦争漫画よりも優れていると思います。

多くの漫画を描かれている水木さんの作品の中で戦記ものはまた別格だとは思いますが、
個人的に特に興味深いのは、見えない世界について描かれているものです。

妖怪や見えない世界などに幼少期から興味のある水木さんは、スウェーデンボルグや、
南方熊楠、出口王仁三郎、コナン・ドイル、日本の僧の明恵など、見えない世界がわかり、
いわゆる霊感のあった天才たちについて、多くの伝記ものを描かれています。
(『神秘家列伝』というタイトルです)
 
漫画という読みやすい形態で、水木さんの感性によって見えないものを描かれていると、
「そんなこともあるかもしれないな」という気持ちに気楽にさせるので不思議です。

また、お年を召されてからも、妖怪研究の大家として、世界中の国々を訪れ、
様々な怪奇現象(いわゆるビックリ現象)を精力的に取材されています。
 
水木さんによると、日本の昔話などに出てくる妖怪と同じ種類の妖怪が、確かに海外にも
共通しているようです。マレーシアのジャングルなどで日本の妖怪を知らない人に
水木さんの妖怪のイラストを見せると「この妖怪は知っている」と言う人が何人もいるのだそうです。

すっかり水木さんの作品に魅了されてしまった私は、この一週間ほどで水木さんの描かれた
作品をいくつか読みました。

中でもご自身の自伝である上、中、下三巻の「水木しげる伝」はかなり読みごたえがありました。
 
 
多くの経験をされてきた水木さんですが、読んでみて最も印象に残った不思議な
エピソードをひとつだけご紹介いたします。
  
それは、戦後30年近くたった頃、水木さんはかつての戦友とひょんなことから出会い、
その後に意気投合して、戦友三人で自分たちが戦ってきた地ラバウルを訪れたときの話です。
 
現地につくと、戦死者たちの骨や水筒などの遺品が、そこら中にそのままにされていました。
その日は遅かったのでひとまず寝ると、偶然(?)にも、三人は同じ夢を見ます。
 
その夢とは、亡くなった戦友たちが「22、3で命を亡くして、誰かこないかと三十年近くも
待っていた自分たちの気持ちがわかるか」と訴えかけてくる夢でした。
三人が同時にまったく同じ夢を見ていたとは、偶然にしても出来すぎです。

あくる日、落ちていた遺骨や遺品を集め、一箇所に埋めてお酒をかけて供養すると、
いずこからともなく、おびただしい数の蝶がとんできてその塚にとまったそうです。
蝶は酒が好きなのか、という考えもよぎったそうですが、あの蝶は絶対に戦死者たちの霊だった
・・・・と水木さんは確信されたそうです。

もともと普通の人より霊感の強い水木さんですが、このせつないエピソードが、
私には印象に残りました。(おそらくこの現象は、霊感が強い、弱いに関係なく
起こった現象でしょうけれど。)
 
 
水木さんの多くの作品に共通していることは、「戦争は二度とあってはならない」という強い訴えと、
「世の中には、目にみえない存在がいますよ」ということを、教えてくれていることです。

水木しげるさんは今年で88歳。現在もお元気なようです。
戦争を体験し、一本の腕で人の何倍も働いてこられた水木さんの生き方からは、
まだまだ多くのことを学べると思いました。

今さら私に教えられなくとも、すでに水木さんの作品は読まれている方が多いかもしれませんが、
まだお読みでない方は、ぜひ読まれてみてはいかがでしょうか。
 
 
 
101021_1.JPG
(写真は妖怪・・・・ではないかもしれませんが、アーヘン大聖堂の塔の中にいた
 怪物をかたどった彫刻「ガーゴイル」です。)
 
 
101021_2.JPG
(こちらは、コブレンツという町にあった魔女のお店。閉まっていたので何が
 売られていたのかはわかりません。)
 
 
101021_3.JPG
(この写真は以前にも紹介しましたが、魔女や妖精?の人形です。
 水木さんの描く妖怪が、あんがいひょうきんものが多いように、
 こちらの魔女は見た目はこわいですが、飾っていると幸せを運んでくるのだそうです^^)

欧米の教育と日本の教育の違い

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

日本では、夕方の風の香りがすっかり秋らしくなった頃だろうと思います。
今週は体育の日の三連休だったそうですが、いかがお過ごしでしょうか。
 
こちらドイツでは、夏が終わったかと思うと、急に冬が到来したようで、秋がないことを
とても寂しく思っていたのですが、ここ一週間ほどは、気温も暖かく、天気の良い秋晴れが
続いています。
 
 
9月の終わりに、毎日通っているドイツ語教室の試験を受けました。
以前通っていた週に一度のドイツ語教室では、皆和気藹々と和やかな時間が
流れていたのですが、こちらの教室は毎日ということだけあって、真剣に勉強する人が大半です。
 
欧米諸国では、その人の学習能力に応じて、飛び級や落第の制度があるようですが、
このドイツ語教室も、月に一度テストがあり、そのテストで60パーセント以上の成績を
とらなければ、次のコースへは進めないシステムになっています。
 
 
さて、テストを受けてみてびっくりしたのは、私が今まで日本で受けてきたテストと、
ドイツのテストとでは、全く別物だということでした。

それというのも、日本のテストでは、だいたいの場合「答えはひとつしかない」問題が
出るのが通常です。その最たる例が、センター試験のマークシート方式だと思います。
 
このようなテストに慣らされてきた日本人は、何か問題が起こっても、解決策を「考える」のではなく、
解決策を選択肢の中から「選ぶ」というクセがついています。
またマークシートでないテストも、だいたいの問題傾向が、受身の答えを導くように
できていると思います。
 
 
一方、ドイツで受けたテストでは、ほとんどすべての問題が、「自主的に考える」ということを
主体にしているようです。

たとえば
「彼女は(が)、銀行へ行きます。」
という例文があったとします。

日本のテストでこのような例題があったとすると、その例文に続く言葉を選びなさい、とか、
続く言葉を作りなさい、という問題が出ると思います。

ドイツのテストでは、「この例文が答えになる質問を作りなさい」という問題が出るのです。

そうすると答えとなる質問は、
・誰が銀行へ行くのですか?
・彼女はどこへ行くのですか?
・月曜日には彼女は何をしているのですか?
・今日は、彼女は何をするのですか?

等など、何通りかの正解があるのです。

また、空欄に適当な言葉を入れていく虫食い問題なども、文章よりも虫食い部分のほうが多いほどで、
この言葉を入れても正解だが、違う言葉でも正解、という、とてもあいまいなテストでした。

答えは一つしかないものだ、と思ってテストに挑んだ私は、自分が書いた答えに終始自信が持てず、
テストの結果が出るまでずっと不安でした。
 
 
子どものときから、このように自ら考えることを訓練されているドイツ人(欧米人)と、
自ら考えないように、なるべく受身で訓練されている日本人とでは、話し合いの場が持たれても、
相手に都合が良いように論破されてしまうのは、当然のような気がしました。

日本人は外交が下手・・・・とよく言われますが、これは考え方が土台から違うので、
なかなか難しいことだろうと思います。政治家の人は、外国の小学校のテストなどを受けてみると、
それぞれの国の教育を受けてきた人の心理がわかるようになるかもしれません。

この「自主的に考えるクセを持つ」ことは、日本人が学ぶべき課題の一つであるように思います。
 
ちなみに、いくつかの単語を組み合わせて文章を作成する問題の中で、
「人は、日本ではたくさん働かなければならない」
という例題がありました。

わざわざテストの例文に出てくるほど、日本人の働き好きはドイツ人にとっては
気になることのようです(笑)。


さて、このような「飛び級あり、落第ありのドイツ語教室」に通ってみて、一つ気付いたことがありました。

日本の今の横並びの「飛び級なし、落第なし」の平等な教育は、エリートが出ない教育だと
言われています。それは、アメリカのGHQが日本に押し付けた、合理的でない制度だと、
私自身思ってきました。

成績の良い人にとっては、そうでない人と一緒に授業を受けるのは退屈だろうし、
また逆も然りで、勉強が得意でない人は、まわりのペースについていけず、
自分のペースでしっかりと基礎を身につけることができないからです。
それぞれの人には、それぞれの人にあった勉強があると思うのです。

日本にも飛び級や落第の制度があったなら、ズボラな私でも少しは危機感が芽生えて、
もっと学生時代に勉強したかもしれないな、個人の特性を無視した制度だな、などと思っていました。
 
 
しかし、ドイツ語教室に通ってみて、日本に平等な制度ができたのは必要、必然、ベストなことで
あったのだ、ということがわかりました。
 
それというのも、初級コースでは、要領の良い人も、ドイツ語が不得意な人もいました。
皆まったくのゼロからのスタートですから、記憶力や勉強量で、大きな差が生まれてきます。
(特に、中国、韓国、日本などのアジア人は、他の国の人に比べてドイツ語は得意でないようでした。)

すると、次第にできる人、できない人の間で派閥が生まれてきます。

できない人は、とても肩身が狭そうに、静かに授業を受けているのですが、一人ひとりに
受け答えをさせる授業形式のため、できない人の順番になると、どうしてもその人に
時間をとられてしまいます。

そうすると、できる人は、あからさまにため息をついたり、わざとその人の順番を抜かして
答えたりして、意地悪をするのです。できる人からすると、「なんでできない人間のために、
自分の貴重な学びの時間を奪われなければいけないのだ」と当然のように思っているのです。

日本の横並びの教育を受けてきた私としては、「できる人も、できない人もいて当然」という
認識があるため、できない人がいたら、その人がわからないことを教えてあげたいと思うし、
その人が自力で答えられるようになるまで、時間をかけて待ってあげるのが当たり前だと
思っていました。

しかし、飛び級あり、落第あり、の制度で教育を受けてきて、おそらくその中でも割と優秀だった
人たちにとっては、できない人と一緒に授業を受けることは、我慢のならないことだったようです。

できる人、の態度からは、「自分は他よりも優れた人間だ」「自分は選ばれた人間だ」という
無意識の意識が、感じられました。

それは単にドイツ語の初級コースが、ちょっとできるかどうかだけの差、なのですが・・・・・。
そのちょっとした差が、「○○人は頭が悪い」というような思い込みからくる国の差別になり、
ひいては肌の色の違いの人種差別になっていくように、私には見えました。

ドイツ語はできて、頭はいいのかもしれないけれど、「人間性」に関してはまったくお粗末なものです。

そんなことにビックリすると同時に、自分がもしも欧米型の教育を受けていたら、
彼らと同じような態度をとったかもしれないな・・・・・とも思いました。
 
 
日本の、平等で横並びの今の教育が、100パーセント良いものだ、とはもちろん思いませんが、
私はこの日本の教育を受けてきて良かった、ありがたかったと、彼らを見て心底思いました。
 
これからの日本人がリードしながら、世の中をより良くし、世界に差別をなくしてひとつに
まとめていくためには、この日本の教育は必要、必然、ベストな教育であったのだろう、と思います。
 
とくに「ゆとり教育」を受けてきた若い世代の人は、「世界に差別をなくす」という課題について、
大きな役割を持っているのではないかと思います。

そのようなことから、一見合理的でないように思えることも、長い目で見ると、必要、必然、ベストな
ことであり、無駄なことというのはないのだな、と思いました。
  
 
 
DSCF6075.JPG
(写真は、文章とは関係ありませんが、ライン河くだりでとった一枚です。
 右側の岩山が有名なローレライです。このあたりは、水面下に岩が多く、
 流れが速いため航行の難所だったそうです。)
 
  
P1020478.JPG
(ローレライのアップ写真です。)

奇跡のメダイ教会にて

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

日本はそろそろ本格的な秋に突入した頃かと思います。
秋と言えば、最近は夢に見るほど秋刀魚が食べたいと思うのですが(笑)、
こちらドイツでは残念ながら秋刀魚を食べることができません。

秋刀魚の食べられない秋は、なんとも味気ない気持ちがしますが、
ないものはないので、こればっかりは、嘆いてもどうしようもないですね^^。
来年日本に帰るまでのお楽しみとしておきます。
どうぞ日本の皆様は、日本ならではの美味しい秋の味覚を堪能されてください♪。
 
 
さて、先週の日曜日に、日本から両親が五日間ほどこちらドイツへ来訪してくれたので、
少し足を伸ばして、パリへと観光に行ってきました。
本日は、パリで訪れた不思議なメダイの教会についてご紹介したいと思います。
 
エッフェル塔やルーブル美術館などパリでは見所がたくさんあるかと思うのですが、
以前からなんとしても行きたいと思っていた場所がパリにありました。
 
 
それが、「奇跡のメダイ教会」'' La Chapelle Notre Dame de la Medaille Miraculeuse ''です。
http://www.chapellenotredamedelamedaillemiraculeuse.com/
(こちらが、奇跡のメダイ教会のホームページです。(日本語ではありません))
住所: 140, rue du Bac 75007 Paris
 
 
じつはこの教会の存在は、「すばらしい教会なので、ぜひ行ってみてください」と、
赤池キョウコさんに教えていただきました。赤池さんは、かつてご病気をされた際に
この教会へ行って、とても癒され、メダイに元気づけられたというのです。

その教会は、ボンマルシェという世界最古のデパートのすぐ近くにひっそりとありました。
あまり目立つ外観ではありませんが、たくさんの人がそこを訪れていました。


ここで奇跡のメダイについて、簡単に説明をしたいと思います。

1830年7月18日に、愛徳姉妹会(奇跡のメダイ教会)の修道女カタリナ・ラブレの前に
マリア様が現れました。カタリナは二時間ほどマリア様と会話をしました。
この時、マリア様は、カタリナにはやらなければならないことがあると伝え、
たとえ困難にあっても負けないよう、お祈りするように伝えました。
 
その年の11月27日、再度カタリナの前にマリア様が現れました。
マリア様のまわりには、楕円形に取り囲むようにお祈りの言葉が見えました。
また、楕円形が裏返しになり、十字架を上にした大文字のMがあり、その下に
茨の冠をつけたイエス様の心臓と、剣に貫かれたマリア様の心臓が見えました。
そして、「この通りのメダイを作りなさい。信頼の心でそれをつける人にはたくさんの恵みが
あるでしょう。」という声が聞こえました。

101007_1.jpg
(こちらが、販売されていたメダイです。)

実際にメダイが作られたのは、その後パリでコレラが流行した1832年。
愛徳姉妹会のシスターたちは、まわりの人にメダイを配って、マリア様が
カタリナに伝えた祈りの言葉を繰り返すよう勧めました。
すると、思いがけずコレラから回復する人や、神を信じる人が、出てきたのです。

病気の人が喜んで身につけるこの小さなメダイは、いつの間にか人々から
「不思議のメダイ」と呼ばれるようになりました。その3年後には、150万枚ものメダイが刻まれ、
ヨーロッパ中、そして世界中に広まっていきました。
 
 
修道女カタリナは、1876年12月に亡くなりました。彼女は、亡くなるまでのなんと46年もの間、
マリア様と会い、奇跡のメダイを作るよう言われたことなどを、メダイとマリア像の作成に
協力してくれた二人の信頼できる人以外には、まわりの人に伝えませんでした。
老人や貧しい人の世話をし、謙遜な態度で一生涯を送ったのです。
その後、修道女カタリナは、1947年の7月21日に、聖女の列に加えられました。

聖カタリナのご遺体は、1876年にリュイのハウス聖堂地下に埋葬され、
その後1933年に掘り起こされ、奇跡のメダイ教会の遺骸箱に収められました。

以上が、奇跡のメダイと、聖カタリナについての簡単な概要です。
 
 
教会へいざ入ってみると、今までに私が訪れてきた教会とは、明らかに違った雰囲気の場でした。
心からお祈りをする方々が、世界中から集まってきており、なんとも癒される心地良い場でした。
 
101007_2.jpg
(教会内部の写真。多くの方が、集まっています。前方右下に、聖カタリナの遺骸箱があります。)
 
 
私がこの教会で、腰を抜かすほどビックリしたことは、130年以上も前に亡くなった
聖カタリナ様のご遺体が、内臓などの腐敗防止処理をされているとはいえ、
見た目はなんとほぼそのままの形で、現在も遺骸箱の中に眠っていらっしゃるのです。
 
あまりに美しいご遺体のため、はたしてそれが本物なのかそれとも蝋人形のような作り物なのか、
疑ってしまうほどです。

101007_3.jpg
(聖カタリナのご遺体。フラッシュをたかなければ、撮影禁止ではないそうなのですが、
 畏れ多くて写真をとることができませんでした。これは販売されていた絵葉書の写真です。)
 
 
クリスチャンの方々の邪魔にならないよう、そっと前に進み出て、祈りをささげた際には、
なんとも神々しい、ありがたい気持ちになり、その場で泣き出してしまいそうになりました。
暖かいマリア様の手で、優しく守られ、許されたような気持ちになるのです。

まわりの人の手前、なんとかその場では泣き出さないように我慢してきたのですが、
その後に2時間ほど鼻水と涙腺がゆるみっぱなしだったので、あの場で泣いてくれば
よかったと思いました。

ちなみに、一緒に来た主人は、「僕はクリスチャンでないから、後ろから見ているよ」と、
祭壇の前で祈ることを拒んだのですが、私が祈り終えた後に彼を見ると真っ赤な目をしていて、
「なんと涙が出そうになる教会だろう。今まで僕が来た教会とは別次元の教会だ」と言っていました。

主人はスピリチュアルなことには普段からほとんど興味がないし、
ストーンヘンジなどに行ってもじつにつまらなさそうにしています。
そんな主人でも泣きそうになった、ということにも、ビックリしました。
 

この教会のメダイは、10個入り2ユーロからと、サイズや材質によって価格は違いますが、
非常に安価な価格で販売されており、良心的です。

教会へと繋がる通路には、この教会のメダイによって、病気が癒された人々からの、
たくさんの感謝のメッセージが刻まれています。
 
101007_4.jpg
 
ここはとても素敵な教会です。もしパリに訪れる機会がありましたら、お祈りをされる
クリスチャンの方の邪魔にならないよう気をつけながら、ぜひ足を運んでみてください。
きっと多くの方が、癒されることと思います。

自由な時間と働く時間

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

9月の祝日、皆様は何をして過ごされましたでしょうか?
こちらドイツでは、この月はこれといった祝日はありませんが、多くの人は
長〜い休暇をとった後なので、皆さんリフレッシュして仕事をされています。

日本にいると、ここドイツの長い休暇は、まるで夢のような(?)話のようですが、
ドイツでは、休みをとらない人は、「仕事中毒」と言われ、ちょっと変わった人だと思われるようです。
 
しかしこれは、一般庶民の話であって、世界に名だたる大企業に勤めている人や経営者など
いわゆる所得の高い人は、よく働き休みもあまりとらない、とのことでした。

休みの少ない日本のシステムとどちらがいいと思う?と聞かれると、
どちらも一長一短でなんとも言えません・・・。
 
 
日本のようによく働く国は、サービスや製品の質が格段に良くなります。
たくさん働いて努力をしたほうが、良いものを創れるのはあたりまえのようにも思います。
そして仕事から多くのことを学べ、謙虚にもなれます。私はそのように
働き好きの日本で生まれたことを誇りに思います。
 
ただ、働くことがいいことであることには大賛成ですが、「過労死・KAROUSHI」という言葉が
世界で有名になってしまったように、働きすぎで健康を損なってしまう、というのはちょっと考え物です。
 
そこで日本人は、仕事をストレスと感じないくらい好きになるか、体を壊さないように
オンとオフのバランスを良くする、というのが良いのでしょう。(といっても、日本でも
昔よりは休日は増えているので、ストレスは他に原因があるのかもしれませんね。)
 
 
一方ドイツでは、お休みをたくさんとり、「残業は絶対にしません」という人が大半です。
休みの時間はとてもイキイキとしているのですが、仕事はあまり好きでない、という人が多いため、
仕事の質やスピードは劣ります。

また、長期休暇の後にはわざとではないのですが、心身の体調不良のためさらに1〜2週間休む、
という人が意外に多いことに驚きます。
 
1ヶ月も休暇をとった後に、さらに2週間病欠をするということは、企業側としては
たまらないだろうと思います。休む人も悪気があって病気になっているようではないようですので、
長すぎるバカンスは、それはそれで、生活のリズムを狂わせてしまうのかもしれません。

ということで、
製品、サービス、などの質や、謙虚さ、人間性の向上では日本に一票!
家族サービス、人としての自由度とストレスフリー度では、ドイツに一票!

といったところでしょうか。
 
 
さて、私事になりますが、先週もお伝えしたように、週に五日のドイツ語教室に通うようになりました。
ドイツでは英語を話せる人が比較的多いので、「一年だけだし、英語が話せたら、
なんとか暮らせるだろう」などとのんびりとしていたのですが、半年ほどたってみて、
ドイツ語ができないとやっぱり不便だとつくづく思うようになりました。

そうはいっても、フリーランスとはいえ、執筆等の仕事を抱えながら平日の週に五日も
ドイツ語教室に行くのは、ちょっと無理があるかな?とはじめはかなり躊躇していました。
しかし、行ってみると意外や意外、なんと通う前よりも、毎日が健康的に過ごせていることに
気がつきました。

ドイツに来てからの生活は、一日のうちにたくさんの自由な時間がある中で、仕事をしたり、
主婦業をしたり、と自由に時間を決めてやっていました。
 
それはとても日本では味わえないような自由な時間でした。・・・・・が、自由すぎるというのは、
じつはかえって情緒不安定になりがちでした。

ところが、午前中の三時間と移動の一時間を強制的にドイツ語教室に費やしてみると、
帰ってきたらすぐに仕事にとりかかって、夕方買い物をして・・・・と、一日のペースが
上手に区切れるようになりました。
やることがたくさんあるほうが、なぜだか時間をコントロールできるのです。
 
今までは、「自分はとても自由を好む人間だ!」とずっと思ってきたのですが、
「かなりの自由な時間の中で、上手に暮らせるほどに器用な人間ではなかった」ということが、
今回とてもよくわかりました。
 
 
かつて船井会長から、「仕事はできるだけたくさんやりなさい」「たくさんやると、効率が上がるし、
質が上がるよ」「時間を味方につけなさい」ということを何度も教わってきたのですが、
憶えていたようなつもりでいても、こうやって一度失敗してみないと、その言葉のありがたさが
わからない・・・・・というのは、なんとも恥ずかしい限りです。

このような私の失敗がご参考になるかは謎ですが、人間は、
●世のため、人のためになることをやること。●何か生産的なことをやること。●学ぶこと。
の三つのうちどれか(できれば三つとも)を、一日の時間の中で大部分過ごさなければ、
漠然とした不安に襲われ、自然に情緒不安定になるようにできているのではないか・・・・・と、
身を持って感じました。

と、いうことで、激変の時代の今は、やっぱり「たくさん働く日本に一票!」入れたいと思います。
 
 
いつか、資本主義のシステムが何か別のより良いものに変わり、ミロクの世へと変わったならば、
また違った働き方もあるのかもしれません。
 
たぶん、その頃には、今よりもっと人々の精神性が向上しているので、みんながみんな、
「喜んで皆様のために働かせていただいている」というような思考・・・なのかなぁ?と思っています^^。
  
 
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写真は、本文とは関係ありませんが、パン屋さんの実演コーナーを二階席から撮ったものです。
ちなみにドイツでは、パン屋さん、市場で働いている人、カフェで働く人、などは、いつも早起きで、
とても忙しそうに私からはみえます。

身だしなみの大切さ

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
日本では、長い残暑だったそうですが、ようやく涼しくなってきたとお聞きしています。

私は個人的には、秋が一番好きな季節です。食べ物はおいしいし、紅葉も美しい、
気温は過ごしやすくて、何か新しい趣味でもはじめようかな、という気持ちになります。
春の花の美しさも捨てがたいですが、花粉症に悩まされる身としては、秋に一票!となります。

こちらドイツでも、いまは秋真っ盛り。短い秋を、じっくりと堪能したいと思っています!
 
  
さて、長い夏休みが終わり、9月あたりから、こちらドイツでもようやく新学期がはじまりました。
1ヶ月、2ヶ月と長期休暇をとっていた人たちが、それぞれの職場に顔を出し始め、また活気が
戻ってきたようです。

私が週に一度通っていた語学教室は、7月終わりには前期日程が終了してしまったので、
8月終わりから、新しい語学教室に通うことにしました。
さすがに週に一度ではいつまでたってもドイツ語が上達しないので、今回は少し気合をいれて、
週に五日、朝の9時から昼の12時半まで、一日三時間の集中コースです。

本日は、この語学教室に通っていて気が付いた、身だしなみの大切さ、について書きたいと思います。


この語学教室は、生徒が20人ほどで一クラスなのですが、なんと先生は6人もいて、
曜日によって先生が入れ替わり、授業を担当しています。
 
あまりに先生が入れ替わるので、生徒たちは落ち着かず不満を持っているようですが、
郷に入っては郷に従うしかありません。私もはじめの一週間は落ち着かない気持ちでしたが、
それぞれ違った先生の個性を楽しむことができるので、今ではこのようなシステムも、
なかなか面白いな、と思っています。

6人の先生には、もちろん個性があります。教える教科が違えばその個性は
あまり気にならないかもしれませんが、ドイツ語という同じ教科を教えているため、
それぞれの個性は、顕著に現れます。

たとえば、時間に厳しく、シャンとした姿勢で、熱心に授業をする先生は、発音もはっきりとして、
面倒がらずに黒板にきちんと単語のスペルを書いてくれて、とてもわかりやすい授業をしてくださいます。
この先生は、生徒たちからとても人気があります。

反対に、中にはなるべく授業をサボろうとする先生もいます。いつも開始時刻には
10分から15分遅れてきて、休み時間の後も10分ほど遅れてきます。
3時間の授業を、20分ほどサボっているのです。
 
授業の内容も、かなりいいかげんです。話すだけで、黒板には何も書いてくれませんし、
生徒たちに無意味なゲームをやらせて時間を潰したり、同じようなプリント問題を
何度もやらせて時間を稼ぎ、面倒な文法などを教えるのを、なんとか避けようとするのです。
 
日本だとここまであからさまにサボろうとする人はあまりいないと思うのですが、
ドイツでは案外はっきりしているのだなぁ、とびっくりしました。

たぶんこの先生は、この仕事が好きでないのだろうと思います。そのような態度は、
そつなく仕事をこなしているように見えても、身近に接する人には伝わるものなのだろう、と思いました。
この先生が一日も早く仕事を好きになってくれて、居心地の良い教室となることを、祈っています^^。
 
 
それぞれの先生を見ていてつくづく思うことは、「人は案外見た目どおりなのだな」ということです。

よく、「人間は外見ではない、中身が大事だ」と言われます。
もちろん人とのつきあいにおいて、そのように外見よりも内面を重視することは、とても大切なことです。

しかし、その言葉は、「身だしなみは人の内面と関係がない」と言っているわけではないと思います。

六人の先生の中で、最もわかりやすい授業をする先生の服装は、最も清潔感があり、
好感の持てるきちんとした服装をしています。一方、最もいいかげんに授業をする先生は、
身だしなみも最もいいかげんなのです。寝癖のついた頭や、シワのたくさんついたシャツを着て、
あまり好感が持てません。

これらは別に、価格の高い服を着ているとか、流行の服かどうかは関係なく、
まわりの人に好感を与えるか、不快感を与えるかの、身だしなみの違いのようです。

きちんとした服を着ることは、自分を愛することであると同時に、まわりの人に対する
思いやりでもあるんだな、と感じました。
 
 
日本では、多種多様なファッションがありますし、都会のビルや町並みはちぐはぐとしているので、
比較的人の服装に関しては「いろんな人がいるな」くらいにしか感じていませんでした。

しかしここドイツでは、町並みと自然に統一感があるのと、ドイツ人はたいてい動きやすく
シンプルな服装を好むので、奇抜な服を着た人や、清潔感の感じられない服装をしている人は、
日本よりもより目立つような気がします。

アーヘンの町は、国境に近く、大学の多い町なので、人口の三分の一が、移民や学生などの
外国人だそうです。なんと156カ国もの人が、この小さな町に住んでいるそうです。

そのような多国籍な人が集まる町では、きちんとした身なりをするよう心がけることは、
「私は信頼できる人間です」と表現する方法であり、ある意味でパスポートのようなものなのかも
しれないな、と思うようになりました。
 
 
船井本社に入社した頃は、秘書という仕事柄、毎日スーツやジャケットを着なければならず、
正直に言うと堅苦しく思っていました。
 
そのような中で、「あなたは普通の人よりも、だらしなく見えるタイプだから、人よりも余計に
きちんとした服を着るように心がけなさいよ」と、毎日のように厳しく指導してくださった先輩がいます。

その言葉を言われた時は、確かにそうかもしれないけれど、そこまではっきりと
本音を言わなくとも・・・・(苦笑)、と思ったものですが、ドイツに住んでいる今となって、
私のことを思って言ってくださった、その本音の言葉のありがたさが、よくわかるようになりました^^。
 
身だしなみは、まわりの人への思いやり。
自分なりのお洒落を楽しみつつ、このことを忘れないように、していたいと思います。
 
 
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(写真は、アーヘンからバスで50分、オランダの港町マーストリヒトです。
 白鳥が優雅に泳いでいる姿に癒されました^^。)

「本音で生きよう」

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

先週の土日は、にんげんクラブ全国大会がありましたね。
残念ながら私自身はお手伝いに行くことが叶いませんでしたが、ご参加された
会員の方々から届いた「大変感動しました」との感想メールを読ませていただき、
全国大会がいかに盛り上がっていたかがとてもよくわかりました。

各講演はそれぞれ、DVDなどが出来次第、早く購入して見たいなと思っています。

講演を聞くことができなくて寂しい気持ちと、大会運営へのお手伝いができなかった
申し訳なさとを感じていたところ、本日にんげんクラブ事務局より船井会長の著書である
『本音で生きよう』と『「聖書の暗号」の大事なポイント』が届きました。
 

 
さっそく本を読んでみると、寂しかった気持ちはどこへやら・・・まるで講演を聞いたかのような、
すがすがしい気持ちになりました。

ちょうどその本が郵便で送られてきたことに気付いた時は、昼の13時過ぎでした。
その時は朝食も、昼食も食べておらず、ものすごくお腹がすいていたはずなのですが、
空腹のことをすっかり忘れて『本音で生きよう』を読みました。
 
結局、お腹がすいていたことに気がついたのは、本をすっかり読み終えた後の15時を過ぎてからです。
そのくらい、この本は印象的で、私を夢中にさせる本でした。
 
 
二冊の本の詳しい書評は、にんげんクラブ会報誌の11月号に詳しく書く予定ですが、
『本音で生きよう』を読んで感じた印象を、ここで書きたいと思います。

まずこの本は、タイトルの通り、今までの船井会長のその他の本に比べて、かなり本音で
書かれています。そして、本音で書かれたからかはわかりませんが、ずっと船井会長らしさ、
船井会長の「優しさ」がにじみ出ているように感じました。

本書の中でも「昔はケンカの船井と呼ばれていた」といった記述がありますが、
私が思うに、船井会長はとても「男性性」の強かった方だと思います。
そしてその強い男性性を、知性と理性、良心とで上手にコントロールして、
かつては経営や社員教育を行っておられたのではないかな、と思います。

すでに私が入社した頃には、その男性性はほぼ完全にコントロールされ、
女性性がほどよく融合されて、「仏の船井」と呼ばれるほどに優しいお人柄でした。
 
私自身、仕事をする上で多くの失敗をしてきたと思うのですが、実際に船井会長に
怒られたことはほぼ皆無だと言えます。社員を理不尽に怒らない、というのももちろんですが、
長所を褒めて教育されますし、どんな人でも差別せず、良い部分を見て、包み込んで
おつきあいをされています。

経営に関する男性的な鋭い洞察力をお持ちの一方で、日常のどんな時でも、
誰よりもまわりの人への気遣いや思いやりを忘れない女性性をお持ちの方、
というのが私の船井会長に対するイメージです。
 
 
さてそのようなお人柄の船井会長ですが、今まで書かれた著書の中では、
10%前後しか本音が書けなかったそうです。

そのためなのか、実際に私が接している船井会長と、一度も船井会長に会われたことがなく、
一、二冊の著書のみを読んだことのある読者の方が持たれる船井会長のイメージとでは、
隔たりがあったように思います。
 
どちらかというと、著書から男性的なイメージを持たれている方が多いように感じていました。
実際の船井会長のお人柄を知っている身としては、間違った解釈をされている時には、
なんとも寂しい気持ちになったものです。

一方、「お会いしたことはないけれど、船井会長の本は10冊以上読んでいますよ」といった
熱心な読者の方の持たれる船井会長のイメージは、実際の船井会長のお人柄と
ほぼ変わらないように感じていました。

単純に数字で考えてみても、10%の本音で書かれた本は、10冊以上読んだあたりで、
ようやく船井会長の人となりが、正しく掴めてくるものなのかもしれません。
 
 
ところで、本書では、船井会長の400冊以上もの本の中ではじめて、本音50%以上、
100%に近い文章を書かれたとのことです。

今回の本では、船井会長の持つ男性性と女性性が、両方バランスよく出ており、
とくに女性性の優しさが、全面から溢れているように感じました。
 
読んでいると、まるで船井会長が、傍で語りかけているかのような気持ちになりました。
エエカッコをせず、本音で、ありのままに書かれた文章は、等身大の船井会長そのものを
感じさせました。

船井会長の本音の文章に接して、「有意の人として、行動しなければいけないな」
「もっと本音で生きられるようにしたいな」「いつでも本音が言えるような、お天道様に
恥じない生き方をしたいな」とあらためて決意することができました。

多くの方が、この本をお読みになれば、きっと船井会長の本音がわかり、
船井会長の伝えたいことを正しく理解されるだろう、と思いました。
 
そして多くの方が、船井会長の本音から学び、自分自身の生き方について、
考え直す機会を得られるだろう、と思います。
 
 
以上が、読後すぐの素直な印象です。(今回は、印象ばかりを書いて、何が書かれているかは
謎のままですみません><。内容は目次などをご参照ください。)

近いうちに、少なくともあと五回以上は読んで、じっくりと味わいたい本だと思いました。

ぜひ多くの方に、読んでいただきたいと思います。

アーヘンの町づくり

にんげんクラブ会員の皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

日本ではまだまだ残暑が厳しいようですが、いかがお過ごしでしょうか。
今週末は、待ちに待った「にんげんクラブ全国大会」ですね。
 
私自身は、ドイツにいるために、残念ながら今年は参加することができませんが、
とても行きたい気持ちでいっぱいです。ご参加の皆様の心が一つになるような、
すばらしい会になりますことを、こちらドイツより心からお祈りしています。


さて、本日は、アーヘンの町づくりについて、書きたいと思います。
先週の土曜、日曜日と、こちらアーヘンでは、町をあげての工芸品イベントがありました。
ドイツ各地から工芸品を作る300以上もの参加者がブース出展をして、アーヘン大聖堂の
まわりに一同に集まるのです。アーヘン市民は、この日はこぞって工芸品のショッピングを楽しみます。

さらにこの日は、年にたった二日間だけ、アーヘン大聖堂の塔の上に登ることができる日であり、
また、アーヘン市をあげてのクラッシックコンサートや花火なども楽しめる日だったようです。

残念ながらクラッシックコンサートと花火は鑑賞していませんが、たくさんのブースでの
ショッピングと、塔の上へ登ることは、楽しみました^^。
 
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(アーヘン大聖堂の塔の上からの景色です。
 大きな建物は旧市庁舎、下に広がるのは出展ブースです^^)
 
 
工芸品展ですから、衣類や革製品、木でできた手作りおもちゃなど、
いわゆる「ここでしか買えない、出会えない品物」です。
 
作り手の人と会話をしながら、ショッピングができるのは、普段では味わえない楽しみです。
大量生産にはない温かみが品物から感じられ、「物」を買うと同時に、「物づくりへの愛情」をも
味わえた気持ちになりました。
 
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(中には、このように魔女などの人形を売るお店も・・・・。ちょっと怖いです^^。)
 
 
ひとつひとつのブースをじっくりと見ながら、船井幸雄オープンワールドや
にんげんクラブ全国大会での盛況なブース出展を懐かしく思い出しました^^。

アーヘンに暮らしてつくづく思うことは、アーヘンはとても町づくりが上手だな、ということです。
アーヘンの町は、アーヘン大聖堂を中心に、円が広がるように町が作られているのですが、
風水で言う氣の流れる方向のようなものが中心にあるのか、なぜだか用事がなくとも中心部へと
行きたいような気分にさせます。円の直径は、端から端まで30〜40分ほどで歩ける距離です。
 
地図を読むのが下手な方向音痴の私にとっては、歩いているうちに方向が
さっぱりわからなくなる迷宮のような町ですが、なんとも味わい深い町づくりがなされています。


中心部では、平日の朝はマルクトという名の市場が開かれ、土日には、今回の工芸品展のような
催しが度々開かれています。催しは毎週あるわけではないのですが、一ヶ月か二ヶ月に
一度の頻度で行われるので、「何か楽しいことがないか、散歩がてらに中心部まで」と、
行ってみたくなるのです。

また、毎年12月にはクリスマスマーケットが開かれるのですが、こじんまりとしながらも
一箇所に集中した美しいアーヘンのクリスマスマーケットは、年々口コミで噂が広がり、
観光客を増やしているそうです。

アーヘン工科大学の大学院に留学している日本人のある学生さんに聞いたのですが、
彼女は日本の大学で都市計画などの建築について学んで、ドイツ全土の40箇所くらいの
都市を視察した結果、アーヘンが世界で最も理想的な都市づくりだと思ったために、
この地にはるばる勉強しにきた、と言っていました。

彼女の説によると、京都を代表とする碁盤の目のような都市づくりが一般的には
上手な都市づくりだと言われているけれど、アーヘンのような形状の都市のほうが、
人間にとって快適なように思う・・・とのことでした。
また町の主要な場所へは、歩くか、もしくは自転車などで行くことができる、
というのもひとつのポイントだと言っていました。

私は京都などの碁盤の目のように整備された町には住んだことがないのでわかりませんが、
アーヘンに関して言えば、とても住みやすく、快適な町だと断言できます。
 
町の中心にある歴史的建造物と、町の中心で行われる各種催し、そしてなぜか中心へ
行きたくなる心理は、町に対する人々の愛着を深めているように思います。
 
 
日本の地方都市では、多くの若者は東京などの大都市へと憧れるものですが、
ここアーヘンの学生さんに「卒業したらどこに就職したい?」と聞くと、
「できればアーヘンの近くがいいな。住みやすくてあんまり人が多くないところがいい。」との
答えが多いように思います。
 
これはたまたま、私が質問をした学生さんに偏りがあるだけなのかもしれませんが、
中国人や韓国人の留学生に同様の質問をしてみても、「できればアーヘンの近くで働きたい」と
言っているのにはびっくりしました。(ちなみに20人くらいの人に同様の質問をして、
違う回答をしたのは、「日本に帰りたい」と言っていた日本人留学生だけでした。)
 
 
と、いつの間にやらアーヘン観光協会の人が大喜びしそうなアーヘンの宣伝ばかりの
文章を書いてしまいましたが、このように宣伝したくなるほど、アーヘンは魅力的な町です。
 
町づくり、町おこしにご興味のある方は、(少し(?)遠いですが)ぜひ一度アーヘンまで
訪れてみてください。にんげんクラブ会員様であればもれなく、ご一報くだされば日程のあう限り、
喜んでアーヘンの町をご案内させていただきたいと思います^^。
 
 
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(おまけの写真。工芸品展で、結局買ったものは、どことなく日本の陶器を思い出させる
 手作りのマグカップと湯呑み(?)でした。何もドイツまで来てそんな和風なものを
 ドイツ人から買わなくとも・・と自分でも思ったのですが・・・・(笑)。
 
 日本人である私たちには、やはり縄文人のDNAが流れているのか、土の感触のある器は
 なんだか心を和ませます。
 ドイツにいるからこそ、和風なものが一段と恋しくなるのかもしれません^^。)

イタリア探訪 レポート

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

まだまだ日本では残暑が厳しいようですが、こちらドイツでは、朝晩はとうとうヒーターを
つけるほどになりました。お天気の悪い日の最低気温は8度から9度。
雨もふったりやんだりなので、外出するときにはウインドブレーカーがかかせません。

さてさて、先週お知らせしましたとおり、今週はイタリアでのレポートを
写真とともにお送りしたいと思います。

つい先週イタリアから帰ってきたばかりだというのに、寒いドイツで一週間も過ごすと、
真夏のイタリアのことをすっかり忘れてしまいそうです。
 
 
かつて船井会長と一緒にイヤシロチ探訪の取材に同行させていただいた際には、
「その日訪れた場所のレポートは、必ずその日のうちに書きなさい」と言われ、
夜遅くに泣きそうになりながらもレポートを書いていたことを思い出します。

その頃は、先方の方との食事会などで夜遅くなることもあり、その日のうちにレポートを書くなんて
無茶な!と思った時もたまにはあったのですが、実際に書いてみると、その日のうちに書くほうが、
記憶も鮮明で、書きたいことがたくさんあり、生き生きとした文章が書けるものです。

こうして一週間もたってからイタリアレポートを書いている自分を省みると、ここ最近の自分は
ドイツに来たからといって気が緩んでいるな・・・・・と、反省しきりです。

と、前置きが長くなりましたが、いろいろと反省しながら、イタリアレポートを書きたいと思います^^。
 
 
私が訪れたのは、イタリアの中でもミラノとローマです。

ミラノ・・・というと、私はミラノコレクションをすぐに思い出します。
ファッションの中心地で、お洒落な人がいっぱいいる町だろう!と思っていました・・・・が、
ファッションを観察するにはあまりにも暑すぎる気候ゆえ、ノースリーブに短パン、という人しか
記憶に残っていません^^。

じつはミラノでは旅のプランニングを大失敗してしまい、ほとんど何も見れなかった
・・・というのが現状でした。

私たちがミラノへ着いたのは8月15日。この日は日本の終戦記念日ですが、ここイタリアでは、
正月、クリスマスの次に重要な祝日だったそうで、ミラノ、いやイタリア全体が、美術館や
ショッピングセンター、一部の飲食店を除いてすべて閉まっていました。
 
ガラーンと人気の少ないミラノ中央駅へ着いてからそのことに気がつき、仕方なく、
その日はホテルの近所の唯一空いていたレストランでスパゲティを食べて一日を終えました。

そして次の日、気を取り直して、ミラノの美術館をたくさんまわろう!と思っていたら、
なんと月曜日はすべての美術館、博物館の休館日だそうで、この日も結局ドォーモ以外は
ほとんど観光できませんでした。
 
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(ミラノの中心、ドゥオーモ。これだけでもとても見ごたえがあります。)
 
 
そしてミラノ最終日、午後に新幹線を予約していたため、一番行きたいと思っていた
レオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館だけを見に行こう!といざ行ってみると、
展示移動のため、月に一度だけ火曜日もお休みという、笑ってしまうような展開で、
それも結局見れず・・・・いったいミラノには何をしに行ったの???と、少し落ち込んでしまいそうでした。

しかし、気を取り直してみると、少し収穫がありました。博物館が閉まっていたために
途方に暮れていたのですが、わりと近くにレオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」で
有名なサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会があったので、その外観だけでも観にいこう!と、
行ってみました。
 
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(こちらがその教会です。)

じつは「最後の晩餐」は、一回25人、15分ずつの見学と決まっており、1ヶ月以上前くらいから
予約をしなければ見ることができません。お盆とバカンスのシーズンだったために、もちろん
予約も取れず、その教会へ行くこともあきらめていました。

もちろん「最後の晩餐」は見ることができませんでしたが、行ってみると教会内部には
入ることができ、静かでとても気持ちの良い教会でした。さらに規模は小さいながらも、
レオナルド・ダ・ヴィンチ展を礼拝堂でやっており、彼の書いた直筆のノートなどを20点ほど
観ることができました。ここに来ることができただけでも、ミラノに来た甲斐があったと思います。
 
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(静かな中庭の近くの礼拝堂で、レオナルド・ダ・ヴィンチ展をやっていました)
 
 
たしかベストセラーになった『ダヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン著)では、最後の晩餐で、
イエスの隣に座っているのは、じつはイエスの奥さんであったマグダラのマリアであり、
イエスとマグダラのマリアの対になった形は、「M」の文字を現している・・ということが、
書かれていたと記憶しているのですが、この教会の主祭壇でなく、脇の小さな祭壇は、
マリア(マグダラのマリア、というより母のマリア?どちらかはわかりません)が中心に
描かれており、そこにはMの文字がありました。
 
ダヴィンチがコードとして残したMの文字と、このMとが、関係があるかはわかりませんが、
なんだか印象的でした。撮影禁止だったために写真はありませんが、ダヴィンチ展を
開催していた礼拝堂にも、同様のMがあったと思います。
 
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(遠くからズームでとったので、ちょっとピントがぼやけていますが、Mの文字わかりますでしょうか?)
 
 
私は、レオナルド・ダ・ヴィンチは、生まれながらの天才であり、じつを言うと宇宙人か何かかと
思っていたのですが、この教会へ来てみて、彼の直筆ノートを見たり、彼についての本などを読むと、
彼のような天才でも、たくさんの努力をして、たくさん悩んだり迷ったり、苦悩したりしながら、
努力をし続けた人だということがわかりました。

小さな頃から絵の才能があることを見抜いたレオナルドの父は、当時フィレンツェで最も
活躍していた彫刻家、画家の巨匠アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房に彼を預けます。
そこで彼は師からみっちりと修行を受け、その後に才能を発揮していきます。

世界的な大天才、レオナルド・ダ・ヴィンチでも、自己流でなく、きちんと師から基本を習って、
その後に才能が花開いたという話は、師の大切さと、努力の大切さを、改めて気付かせてもらえました。
 
 
さて、次はローマのレポートです。

ローマというと、「すべての道はローマに通じる」という言葉や「ローマは一日にして成らず」などと
いう言葉があります。中には「ローマを見てから、死ね(死ぬ前にローマを見ましょう)」という言葉も
あるそうですが、それらの言葉が、なるほどなぁ〜と頷けるほど、ローマは魅力的な都市です。

ローマの町は、直径およそ5キロメートルほどの円の中に、古代の遺跡と美術と町が共存しています。

空の青さと、遺跡と町の風景とのコントラストがあまりにも美しくて、ため息が出そうでした。
フェラーリなどのイタリア車や、イタリアのデザインが優れているのは、ローマの町全体が
かっこいいからなのだろうな、と思います。
 
このような活気あふれる町に、できれば学生時代など、もっと若い時に来たかったなぁ、
そうすればもっと豊かな感性を持てたのではないかなぁと思うほどでした。
(とはいえ、たぶん今が必要必然な時期だったのだろうとも思います。)

ローマの町は、うだるような暑さで、どこも観光客でいっぱいでした。
バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂に入るだけでも30分ほど待たなければならず、
今の時期は帽子とサングラス、水は必須です。
 
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(ローマの休日でおなじみのスペイン階段。階段はどこ??と思えるくらい、人でいっぱいでした・笑)


ローマはあまりにも見所満載なので、気になったところだけを紹介しますと、印象的だったのは、
コロッセオと、バチカン市国のサンピエトロ寺院の中のミケランジェロ作「ピエタ」、
バチカン博物館のシスティーナ礼拝堂「最後の審判」です。
 
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(コロッセオの内部の写真です。)
 
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(サンピエトロ大聖堂です。)                (サンピエトロ大聖堂内部です。)
 
 
コロッセオと最後の審判は言わずもがなですが、ミケランジェロ作「ピエタ」については、
じつは私は事前にガイドブックをきちんと読んでいなかったために、その作品について知りませんでした。


ピエタは、サンピエトロ大聖堂に入ってすぐ右側にある作品ですが、なんとも言えない、
涙が出そうな感覚に惹き付けられました。なんだろう?この作品は?とその時は思ったのですが、
後から有名な作品だったとわかりました。たくさんの人の祈りが、この像にこめられているように
感じました。
 
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(こちらがピエタです。あまり写りが良くなくてすみません。)
 
 
16_100902_10.JPG
こちらの写真は、サンピエトロ大聖堂の中心にある鳩のシンボル。
イオン・アルゲインさんの著書によるとここにプロビデンスの目が隠されています。
詳しくは「聖書の暗号は読まれるのを待っている」(徳間書店刊)をお読みください。
この本を読んでからローマに行くと、ローマ観光がある意味で二倍楽しくなります^^。
 
イオン・アルゲインさんの著書には、鳩の胸の明るい部分と羽の輪郭の一部が「目」に
見えると書かれていますが、私には、鳩の腹の部分が目そのものに見えました。
見る人によって意見は分かれるかもしれませんが、いずれにしろ、プロビデンスの目が
描かれていることは確かなようです。
 
と、以上がローマでの印象に残ったことです。
長くなるので、この辺りでローマ観光レポートは終了します。
 
 
最後に、イタリア・・・と聞くと、最近では多くの方がスリなどの被害を心配されて、
行かれるのを躊躇されているのでは、と思います。

これは個人的な感想ではありますが、確かに、スリ、置き引き、ひったくり、ぼったくり、などの
軽犯罪はイタリアでは多いようです。家族連れのいかにもスリ集団、という人たちもいましたし、
実際に空港へ行く電車の同じ車両では、裕福そうなインド人がカバンを置き引きされた現場にも
居合わせました。

しかし、他のヨーロッパ諸国と比べてとりたてて危険、というわけでもなさそうです。

この程度のことであれば、頻度は違えど、私が訪れたドイツ、ベルギー、イギリスでも
あるように思いますし、日本でも、たまにはあることでしょう。
 
あくまでも本人が気をつけていれば、回避できるレベルの犯罪だろうと思いました。
そのような犯罪があったとしても、イタリアは魅力ある都市です。
機会があれば、きちんと気をつけながら、ぜひ訪れてみてください。

いざイタリアに行ってみると、ブランド物のカバンを持って、写真をとることに夢中になり、
ぼんやりと列になって歩いている日本人団体旅行者の多いこと多いこと・・・。
ガイドブックを読みながら歩いている人もたくさんいました。
 
これでは、日本人はターゲットにされても、無理はないかなぁ、とも思いました。
一緒に旅行する人数は、じつは多いほど気が緩むそうです。
どうぞ、団体旅行の際は、お気をつけください。


ちなみに私たちは、今回の旅行では、スリ防止用に、様々な工夫をしました。

参考までに書きますと、
時計など金目のものは持たない、服は高そうなものを着ない、カバンは体の前に必ず
置けるものにして、さらに上から服で隠す。リュックサックなど背中に背負うものには、
貴重品は入れず、ファスナーには小型の鍵をつけて、鍵のつけられないファスナーには
鈴をつける(触れると音が鳴るので、わかります)。
 
サングラスや水、帽子、地図などを入れるのは、カバンでなく、ビニール袋にする、
そして怪しい人が話しかけてきても相手にしない、などの工夫をしました。

これだけの工夫をして、今回の旅で、ちょっと危ない目にあったかな?と思った場所は、
じつはイタリアでなく、日本と並んで世界一平和な国スイスでした(笑)。

ユングフラウヨッホの駅の、氷の宮殿の中で、マフラーで手を隠した白人男性旅行者に、
リュックのファスナーを開けられたのです。鈴の音がしたために、すぐに気がつき何も
被害はありませんでしたが、こんな山の上の平和な風景の広がる場で・・・・と思うと
なんだかビックリでした。

ということで、どんな国にいても、用心するに越したことはありません。
どうぞ、お気をつけて、観光をしてみてくださいね。

長い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
 
 
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(おまけ写真。サンタンジェロ城の大天使ミカエルです。)

スイス、イヤシロチ探訪

にんげんクラブ会員の皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

こちらドイツでは、すっかり秋らしくなってきました。
日本はまだまだ残暑が続いている頃かと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。

先週は、日本のお盆休みにあわせて、私たち夫婦も少しお休みをいただき、
スイスとイタリアに旅行に行ってきました。ということで、今週は旅紀行を書きたいと思います^^。

一度のお休みに二国も!とお思いかもしれませんが、こちらは隣国が日本で言う隣県のようなものです。
たいていの近隣諸国には、新幹線などで行くことができます。航空券の金額もかなり安いので、
日本にいた際に北海道や山口県などの実家に里帰りすることを考えると、ずいぶん安上がりな
旅行になります。

ちなみにある友達は、航空券の安売りサイトを利用して、イタリアまでの旅費が
片道なんと6ユーロだったと言っていました。
さすがにこれは、超お買い得プランだと思いますが、ランチを食べる金額よりも安く飛行機に
乗れるとは、ドイツに来て一番の驚きでした^^。
 
  
さてさて、「スイス」というと、思い浮かべるのは、アルプスの少女ハイジ・・・という方、
かなり多いのではないでしょうか(笑)。私もその一人で、スイスにいる間は、
ずっとハイジのテーマ曲と、エーデルワイスのメロディが頭の中で響いていました。
 
 
100826_1.JPG
(スイスの一風景です。このような景色がいたるところで見られます。)


このようなメロディが頭で響くくらいに、今でもスイスは「ハイジ」の頃と変わらぬ風景で、
私たちを楽しませてくれます。山々の美しい風景と、流れる川の美しさ、そして人々の
優しさや素朴さには、とても癒されました。
 
スイスの人と長話をした、というわけではないのですが、世界中から集まってきた観光客も、
その美しい風景の中にいると、自然と人に優しく接するように思います。
 
7月26日発信の、船井会長のドットコム原稿に書かれているように、スイスは今、
日本とともに、世界で最も安全な国だと思いました。
 
私たちが訪れた場所は、駅などすべてのトイレは無料で、トイレットペーパーも盗まれず、
日本同様に綺麗に清掃がされていました。物価は、観光地に行ったということもあるのかも
しれませんが、日本より少し高いように感じました。
夕食の金額は、ドイツのアーヘンと比べると、倍以上の印象です。
 
100826_2.JPG
(スイスの電車の中で隣あわせになったいかにもスイスらしいワンちゃん。座っているのでちょっとわかりづらいかもしれませんが、私が生涯見た中で一番大きな犬でした^^)


スイスで私たちが目指したところは、インターラーケンという駅から二時間ほどの
登山電車で行ける、ユングフラウヨッホという山です。

じつはユングフラウヨッホに行きたかった理由は、5年ほど前に船井会長に
「日本ではなく、世界でイヤシロチだと思う場所はどこですか?」と質問をした際に、
「ユングフラウ」との答えをいただいたからでした。

その時の私はユングフラウがいったいどこの国にあるのかも知らなかったのですが、
それを聞いてからずっとユングフラウにいつか行きたい!と思っていたため、
五年越しに念願叶って感無量でした^^。

ここの登山電車は、ヨーロッパで最も高い場所にある駅、なんと3,454メートルの高さまで、
乗客を運んでくれます。
 
100826_3.JPG
(登山電車の途中で見える風景です。)
 
100826_4.JPG
(こちらはユングフラウ鉄道、登山電車です。)
 
 
終着駅についた際には、高度で空気が薄くなっているために、少し頭がクラクラします。
普段トレーニングをしている方以外は、少しでも走ると、とたんに息切れを感じることでしょう。
 
以前富士山に登った際には、8合目あたりから高山病のような頭痛でとても大変な思いを
したのですが、それに比べるとユングフラウでは、登山の体力を使っていないため頭痛もなく、
とても快適に過ごせました^^。

執着駅には、レストラン、展望台、氷の宮殿という名の氷のオブジェが飾ってある場所などがあります。
 

100826_5.JPG
(氷の宮殿での一枚です^^。)
 
 
展望台の外の気温は、摂氏マイナス二度。
じつは私たちが訪れた日は、朝から一日中、雨が降っていました。
海外からの観光客は、たいていインターラーケンなどユングフラウのふもとの町に、
一週間ほどの余裕を持って宿泊し、晴れた日を狙ってユングフラウの登山電車に乗るそうですが、
日本人ならでは(?)の、余裕のない詰め込みスケジュールで旅の予定をたててしまったため、
雨の中半ば強引に登山電車に乗り込みました。

おかげで登山電車はあまり混雑しておらず、ずっと座ったまま頂上まで行くことができました。

展望台で外を見ると、予想通り雨と雪のため、白一色。晴れた日には
生涯思い出に残るほどの美しい景色を眺めることができるそうですが、
残念ながら、前方の視界は2メートルほどしか見渡せません。

「やっぱり雨だから何も見えないよなぁ。残念だね、またいつか来たいね。」などと言いながら、
展望台の中のベンチで一休みすることにしました。
 
30分ほど休憩をした後、もう一度だけ展望台の外に出て写真をとりに行きました。
あいかわらず何も見えなかったのですが、「何も見えなくとも、ユングフラウに来ることが
できただけでも、私は幸せだなぁ。ユングフラウの神様、来させていただいて本当に
ありがとうございました。」と、心から感謝しました。

すると、ウソのような本当の話しなのですが、みるみると目の前の景色から霧が晴れていき、
見えなかった山の風景が少しずつ見え始めました。
 
100826_6.JPG
(外に出てはじめはこのような景色でしたが・・・・・)
 
100826_7.JPG
(だんだん雲と霧が晴れていきました。)

その時に展望台の外にいたのは、寒さと視界の悪さのために私を含めて5人ほどだったのですが、
霧が晴れ始めると、キャーっと歓声が上がり、展望台の中にいた人たちは、われ先に外の写真を
とれる場所に押し寄せてきました。

その後、晴れていた長さが五分だったのか十分だったのかは、興奮していたのと、
頭がクラクラしていたのでよくわかりませんが、またもとの霧と雪の世界へと変わりました。
 
 
私の祈りが天に届いたから晴れたのよ♪、などと思うほどにはエゴが強くはありませんが(笑)、
ユングフラウの山の神々を感じられたような、なんとも荘厳な気持ちのする一瞬でした。
山のお天気は変わりやすいというけれど、こんなこともあるのだなぁ、と感謝の気持ちでいっぱいでした。

とはいえ、真っ青な晴天の景色!を見ることができたわけではないので、次回は何年後に
なるのかわかりませんが、またもう一度、ユングフラウに行ってみたい、と思いました。

今のところ、日本を除いて私の中で世界一オススメの場所です。
機会がありましたら、ぜひ一度スイスへ行かれてみてください^^。

長くなりますので、イタリアでの感想は、次週とさせていただきます。
長い文章をおつきあいいただき、誠にありがとうございました。
 
 
100826_8.JPG
(おまけの一枚。世界一高い場所にある郵便ポスト(日本製!)から、船井会長と奥様宛に
残暑お見舞いを出す瞬間・・・という一枚です^^。日本の残暑に、涼しさが届きますように♪)

大天使ミカエルは本当にいるの?

にんげんクラブ会員の皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
今年のお盆休みは、いかがお過ごしでしたでしょうか。
日本に居た頃の、お盆と言えば、観光地はどこに行っても人でいっぱいだった、という記憶が
あるのですが、こちらドイツでも、7月から8月にかけてバカンスで観光地はとても混雑しています。

残念ながら今年はお墓参りには行けないため、こちらドイツからご先祖様に感謝のお祈りだけを、
したいと思っています。

さて、今回のレポートは、前回イギリスのグラストンベリーのレポートをお送りし、
「大天使ミカエルの塔」についての記述を少し書かせていただいたので、
大天使ミカエルは本当にいるの?というタイトルでお伝えしたいと思います。
かなり個人的な意見ですが、大天使ミカエルについて、ありのままの感想を
書かせていただきたいと思います。


私がはじめて大天使ミカエルの名前を聞いたのは、今から7年くらい前のことです。
キリスト教系の大学に通っており、キリスト教学という授業は四年間も勉強した私ですが、
あまり真面目な学生でなかったため、はっきり言ってキリスト教について、何も理解していませんでした。
 
そのため、はじめて「大天使ミカエル」という名前を聞いたときには、それがキリスト教やイスラム教、
ユダヤ教などの聖典で登場する重要な天使の名前だとは知らず、アニメのキャラクターか何かかと
思ってしまいました(笑)。

幼少期の私は、祖父母と一緒に暮らしていたためか、仏教にはあまり抵抗がなかったために、
○○如来、○○観音などと、神様や観音様に個別の名前がつけられていることには何の不思議も
感じなかったのですが、天使に「ミカエル」や「ガブリエル」などの名前がついていると知った時は、
見えない存在に名前がついているなんて、なんだか気持ち悪いな、と思いました。

今考えると、それを信じている人たちにはとても失礼な考えだとは思うのですが、視野が狭く、
目に見えるものしか信じなかった当時の私としては、「なんだか気持ち悪い」が自然な発想なのでした。


その後、大天使ミカエル、と呼ばれる存在がどうやらいるらしい、と後に知ってから一年後くらい
(今から6年ほど前)に、たまたまある瞑想会に出席することがありました。

その集まりは、ほんの10人程度の小さな集まりでした。一定時間先生の指導に従って瞑想をし、
後に何を感じたか、ビジョンとして見たかを発表する、という場だったのですが、その時参加した人の
7割が、「大天使ミカエルがここに現れ、メッセージをくれた」と言いました。

瞑想を指導した先生も「今日のこの場には、ミカエルの存在を感じたのですが、皆さんの中にも
気付かれた人が多くいたようですね」と言っており、参加者の人たちは、とても喜んでいました。

じつを言うと、私もその時に、ミカエルに出会った7割の中の一人でした。
当時の私は、ミカエルがどんな存在であるのか、よくわかっていなかったのですが、たまたま
一番に発表することとなり、「剣を持った美しい天使がビジョンに現れ、ミカエルだと名乗った」と
発表していたのです。

しかし、まだまだ、目に見えるものしか信じない、疑い深い性格もあわせ持っていたため、

「今日はなんだか変な集まりに行って、ミカエルがどうのと、わけのわからないことを言ってしまった。
だいたい、大天使ミカエルなんているわけがない。きっとスピリチュアルな人の雰囲気にあてられて
しまったのだろう。こんなことを信じそうになったなんて、きっと仕事で疲れているのだろうか。」

などと、自分が見たビジョンも、自分が発表したことも、そこでは否定して終了しました。


さて、その後船井本社に入社して数年がたち、どうやら目にみえるものだけがすべてではない、
と感じるようになってから、大天使ミカエルについては、否定も肯定もしない、というスタンスを
とっていた頃、ある出来事がありました。

それは、2009年の6、7月ごろだったと思うのですが、原因不明の体調不良が
続いたことがありました。

毎日夕方ごろに、38度を超える熱が出て、それが二ヶ月近くずっと続いたのです。
熱が出るために、全身は汗疹だらけになり、病院に行っても、適当な風邪薬などを出されるだけで、
医者の先生はたいして相談に乗ってくれず、とても不安な時期を過ごしました。

これでは、とても今までどおりの仕事がこなせるような状態ではなかったため、
会社での出勤日数や、勤務形態などを大幅に変えていただくきっかけとなりました。

そのような体力が弱っている期間は、普段は信じないことでも信じてみようと思うものですし、
生き方、考え方で、何か悪いところがあったのではないかと考えるものです。

藁をもつかむ気持ちで、整体やカイロプラクティック、ヒーリングや健康グッズなど、
様々なものを試しました。
 
 
そんな中で、知り合いから勧められて、ある女性ヒーラーにヒーリングをしてもらう機会がありました。

その方は、体のチャクラの調整をしてくれながら、その時感じることをリーディングのように
話してくれる人でした。その時私は自分の体調について全く言わずにヒーリングをはじめて
もらったのですが、彼女は私の体をヒーリングしはじめると、とてもびっくりして、
「かなり熱がこもっていますね。今日一日だけのヒーリングでは治すのは無理でしょう」と
言っていました。

一時間ほどヒーリングをしてもらって、喉のあたりのチャクラを調整するときに、
「あれ?さっきまでこれは大変だな、と思っていたのだけれど、大丈夫なようですね。
あなたのまわりには天使がたくさん守っていますよ。あ、大天使ミカエルだ。
ミカエルがあなたを守ると言っていますよ。」とのことでした。

ん?大天使ミカエル??本当にそんな天使がいるの??と思った私は、当時観音様に
凝っていたため、「ミカエルですか?観音様じゃないのですか??」と、疑いの気持ちを
はっきりと現しました。
 
すると彼女はもう一度じっくりと喉もとのリーディングに集中して
「いえ、ミカエルです。間違いありません。ここに来ています。」とのことでした。

その時の私は、「ふーん、大天使ミカエルか。ずいぶんいいかげんなことを言う人だなぁ。
見えない人を相手にしているのだから、何とでも言えるよなぁ。こんないいかげんなことを言って
お金がとれるのだから、ヒーラーっていい商売だなぁ」などと、とても失礼極まりないことを
考えたのですが(笑)、ちょっとだけミカエルに興味を持ちました。

その後、ヒーリングが終わって、起き上がると、部屋のわきにオーラソーマのボトルが
並べてあるのが目につきました。

その中の一本が、ものすごい存在感で、目に焼きつきました。まるでそのボトルだけが
大きくなって、磁石で惹きつけられるような存在感なのです。

本当はその場でそのボトルの意味を聞きたかったのですが、これでまたオーラソーマの
追加料金をとられてはたまらないので(笑)、家に帰ってそのボトルをネットで調べよう、
と思っていました。

その後、お茶を飲みながら、ヒーラーさんと雑談をして、お会計をしている時に
「大天使ミカエルがあなたにはついているから、何かミカエルを思い出すようなものを
身近に置くといいですよ。」と言われたため、「この近辺で、大天使ミカエルを連想するグッズを
売っているところ知りませんか?」と聞きました。

彼女はしばらく悩んでから、グッズを売っているお店はこのあたりではわからないのですが、
そうだ!大天使ミカエルのオーラソーマのボトルならありますよ!」と、そのボトルをとりに
別室に行きました。

彼女を待ちながら「もしこれで、さっきのボトルを彼女が持ってきたなら、大天使ミカエルを
信じることにしよう」と心の中で思いました。

そしてなんと、彼女が手に持っていたのは、まぎれもなく先ほど強烈な存在感を示していた
ボトルだったのです。

オーラソーマのボトルは、全部で107ほどありますから、その中の一本を当てるのは、
1パーセント以下の確率となります。あれほど強烈な存在感と、107のボトルの数は、
私に大天使ミカエルを信じさせるのに、十分な証拠となりました。


残念ながら私には、いまでも大天使ミカエルをこの目で見ることはできていません。

しかし、私があの時に心で感じた何かと、ヒーラーの彼女がミカエルだと訴える存在、
そしてオーラソーマのミカエル・ボトルを作った方がこめたエネルギーは、同じもので
あったということは、疑い深い私にも、理解と納得ができます。

そのような経緯があったために、今では私は「大天使ミカエル」の存在を信じることにしています。

ちなみに、あれだけ大変だった原因不明の病気ですが、苦しいときにミカエルに救済を求めると、
なんとなく救われたような気分になり、その後さほど長引かずに、完治することができました。

今でも、あの時の病名はなんだったのか、さっぱりわかりません。

たぶん、当時の私には、たくさんの浄化と、たくさんの変化が必要だったのだと思います。

当時はとっても苦しかったのですが、その病気は、仕事一本に価値を置いていた私に、
家庭をもっと大切にすることや、精神面でのバランスをとることを教えてくれました。
また、心の変化だけでなく、勤務形態の変化という現実的な変化は、今まで持っていたものを
手放す勇気と、自由と、自立と、それに伴う責任などを獲得するに至りました。

今となっては、あの時病気になって、本当に良かったなと思っています。

そして、大天使ミカエルの存在に気付かせてくれたヒーラーさんや、苦しいときに助けてくれた
まわりの方々、立ち上がる勇気をくれた大天使ミカエルさんには、本当に感謝しています。
 
 
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(写真は、グラストンベリー・トールの聖ミカエルの塔の内部を撮影したものです。)

イギリス、イヤシロチ探訪

にんげんクラブ会員の皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
日本の多くの会社もそろそろお盆休みに入る頃かと思います。

こちらドイツでは、一年間に最大6週間ほどの休日をとる権利が、すべての人にあるそうなのですが、
今のバカンスのシーズンでは、2週間、3週間と長めの休暇をとるのが当たり前、長い人では
一ヶ月以上連続して休暇をとるそうです。まるで小学生の夏休みを思い出します^^。

4月にこちらに来てから、「今年のバカンスはどこへ行くの?」と何度聞かれたかわかりません。
それだけ休んでも、誰からも咎められることのない生活は、日本で勤めておられる方には、
まるで夢のようなお話ですね。
 
 
さて、前回のブログでお伝えしたとおり、本日はイギリスでのレポートをお送りいたします。
イギリスでは、現在ロンドンにお住まいのマンガ家赤池キョウコさんにお会いして、
ロンドン市内など様々な場所をご案内いただきました。
 
イギリス到着後二日目には、アンダーソンバスツアーというツアーに赤池さんと一緒に
参加させていただいて、ロンドンから車で通常3時間ほど(当日は渋滞で到着まで
4時間半ほどかかりましたが)の、スピリチュアルスポット巡りに行って参りました。
 
ここでは、イギリスのイヤシロチ、スピリチュアルスポットについて、レポートしたいと思います。
 
 
ロンドンから、渋滞を抜けおよそ4時間、まず訪れたのは、グラストンベリーです。
イギリスには、日本と同様、気の集まるスポットが、いくつかのレイライン上(龍脈とも言います)に
あります。中でも、有名なのが、セント・マイケルズ(ミカエルズ)・レイライン。
 
ここグラストンベリーは、セント・マイケルズ・レイライン上にあり、イギリスの数あるパワースポットの
中でも、もっとも多くの人に注目されているところだそうです。
(といっても、じつは私は今回行くまで知らなかったのですが・・・・)

グラストンベリーは、イギリスで最も有名なパワースポット、と言われるだけあって、
町全体が不思議な雰囲気を醸し出していました。
 
それというのも、ここは小さな町なのですが、メインストリートが、なんとほとんどすべて、
スピリチュアルグッズを扱うお店なのです。
各種クリスタルや、スピリチュアル本ばかりの本屋さん、カバラや密教などのグッズを扱うお店、
チャネリングで占ってくれる宿屋など、スピリチュアル好きな人間としては、楽しすぎてヨダレが
出そうな場所でした。(一緒に無理やり連れられて行った主人は、じつに楽しくなさそうでしたが・笑)
 
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(こちらがグラストンベリーのメインストリートです。面白いお店がたくさんでした。)

グラストンベリーは、キリストやアーサー王にまつわる伝説が多くあるそうです。
アーサー王の伝説の中で登場する、伝説の島アヴァロンは、グラストンベリーの丘のことだと
言われています。そのように言われるようになったのは、アーサー王の墓らしきものが、
12世紀に大修道院で見つかったのがきっかけだそうです。
 
100812_2.JPG
大修道院の跡地は、跡地を見ただけでも、かつてここにはかなり大きな修道院が
立てられていたのだな、とわかりました。
 
 
100812_3.JPG
(ここで雇われているのでしょうか。昔風のコスチュームを来た人たちがいました。)
 
 
グラストンベリーでは、昼食を含めて2時間の自由行動だったのですが、
今回私がどうしても行きたかったのは、グラストンベリートール(小高い丘)でした。
 
かつてこの一帯は沼地で、トールの部分だけが島のように浮いて見えたために、
ここが伝説の島アヴァロンのことだったのではないか、という推測もされているそうです。
(実際に沼地であったかは不明ですが。)
 
ここは、小高い丘の上に、聖ミカエルの塔が立っています。
なぜかと聞かれても、私にもわかりませんが、この塔の写真を見たときから、
絶対にここに行きたい、と思っていたのでした。
 
100812_4.JPG
(この写真はお天気が悪いのが残念ですが、これがグラストンベリートールです。)
 
 
しかし、どうやらこのツアーでは、塔まで登るオプションはなさそうでした。
自由行動1時間を過ぎた頃に、昼食をとりながらくつろいでいるガイドさんをようやく捉まえて、
「何としてでもあの塔まで行きたい」というと、「このツアーでは行かないけれど、そんなに
行きたいのなら、時間までに戻ってくるように公共のバスで行ってください」とのこと。
慌ててバスを探しましたが、時間までに戻ってくるのは無理そうでした。

もう行くことはできないのかな、と一時はあきらめかけたのですが、いや、これだけ強い気持ちで
あの場所に引き寄せられてきたのだから、必ず行けるはずだ、と思い直した瞬間、
まるで天の使いのように、おじいさんの運転する一台のタクシーが奇跡的に走ってきました。

大喜びしてタクシーに乗ると、十分もかからないほどの近い場所にその塔はあり、
急ぎ足で丘をのぼって、少しだけ上の景色を楽しんで、急いでまた降りてきました。
 
この場所は、あとから調べると、異次元への入り口だと言われていたり、UFOがよく出没すると
言われているそうです。その時はそんな話しは知りませんでしたし、ツアーバスに乗り遅れないよう
焦っていたために、そこまで深くその場を楽しむことはできませんでした。
 
100812_5.JPG
頂上にはこのような塔が立っています。
 
100812_6.JPG
(グラストンベリートールからの眺め)

ただ、アーヘンに帰ってから、トールのことを思い浮かべると、まるでそこにいるかのように、
その場所を感じられるので、やっぱり行ってよかったなぁ、と思いました。
異次元の入り口、というのも、少し頷けるような気がしました。
 
結局は、昼食もとらず、スピリチュアルショップも見学できずに、グラストンベリーの
自由時間は終わったのですが、トールに行きたい、という好奇心は物欲よりも強かった、
ということは、物欲の旺盛な私にとって一つの驚きでした^^。
 
 
次に向かったのは、チャリス井戸です。この井戸も、グラストンベリーの町の中にあります。
ここの写真と説明は前回のブログの最後に掲載しましたので、ご参照ください。
 
ここは、ザ・イヤシロチ!と言えるほど(笑)静かで、ゆったりと気持ちの良い場所でした。
そこにいる間は、頭がグラグラ、ボヤーっと気持ちのよい感じがしました。
この井戸からは、2000年も水が湧き出ていると言われ、井戸の底にはキリストの聖杯が
埋まっているという言い伝えもあるそうです。
 
100812_7.JPG
(チャリス井戸での一枚。)
 
 
次は、車でまた二時間ほど走って、エイブベリーという町に行きました。
ここは、あのストーンヘンジから30キロほど離れた場所です。
 
エイブベリーには、巨大なストーンサークルがあります。
個人的には、ストーンヘンジよりも、こちらのほうが面白いと思いました。
 
なんといっても嬉しいのは、ストーンヘンジは柵で囲まれて遠くから眺めることしか
できないのですが、ここのストーンサークルは、自由に触ることができるのです。
(ちなみに、石あたり・・・する人が多いのか、むやみに石には触らないほうがいい、
と言われているそうです。)なんとなく、宮古島の新庄定吉さんの石庭を思い出すような遺跡でした。
 
100812_8.JPG
(この真ん中の石は、触るとちょっとビリビリしました。)
 
100812_9.JPG
まるで奈良公園の鹿のように、石を守る(?)羊たち。
自由に入っていいにもかかわらず、石のまわりに人がいないことにお気づきでしょうか。
じつはそこらじゅうが、羊のフンだらけで、容易に石のところまで行けないのです(笑)。
 
 
ちなみに、旅行から帰ってグーグルマップでエイブベリーの遺跡を検索すると、
すぐ近くにミステリーサークルが二つもありました。
 
ご興味のある方は、グーグルマップのAvebury で検索してみてください。
グーグルマップでは、ストリートビューでも間近でストーンサークルを見ることができますので、
楽しいですよ^^
 
 
最後に向かったのは、お待ちかねストーンヘンジ。
100812_10.JPG
 
この日は一日中曇り空でお天気が悪かったのですが、ストーンヘンジでは、
ようやく青空を見ることができました。
 
ずっと来たかった夢の場所に来れた!と感無量でした。
ストーンヘンジでは、夏休みシーズンで土曜日だということもあって、かなりの観光客の多さでした。 
先ほども書きましたが、柵があるため、石を間近で見ることは叶いませんでしたが、
なんとも不思議な雰囲気の石であることは間違いなさそうです。

またしても、集合時間に焦り気味の見学ではありましたが、音声ガイド(日本語あり)を聞きながら、
楽しく見学ができました。
 
その後、少し時間が余ったので、せっかくだから5分ほど瞑想でもしようかな・・・・と、
人気の少ない芝生に行って、瞑想を始めたのですが、なんと!突如ハエの群に取り囲まれて
中断せざるをえなくなりました(笑)。
 
追い払って場所をかえてから、もう一度やってみたのですが、またしてもハエに取り囲まれたので、
ここで瞑想をしてはいかん、ということなのだと思ってやめておきました・・・・。
 
 
さてさて、長くなってしまいましたが、以上がイギリスのイヤシロチスポットレポートです。
ロンドンを朝の9時ごろ出発して、ロンドンに戻ってきたのも、夜の9時頃、とても長い一日でした。
 
イギリスのイヤシロチは、日本のイヤシロチとはまた違った風情がありました。
個人的には、ロンドン市内を観光するよりも、かなり面白いと思いました。
(スピリチュアルに興味のない主人には、何が面白いのかさっぱりわからなかった、と言われましたが。)
イギリスに行かれた際には、ぜひ!足を伸ばしてみてください。
 
長い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございます。

自然との対話を楽しむ

にんげんクラブ会員の皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

日本では、まだまだ猛暑が続いているようですね。
こちらドイツでは、お天気の悪い日は、すでに薄手のセーターが手放せません。
8月もはじまったばかりですが、すでに秋の気配が漂ってきています。
夏が好きな私としては、少し寂しい気もします。

今週のブログでは、イギリスのイヤシロチへ行ったレポートを書こうと思ったのですが、
大変お世話になった赤池キョウコさんに文章のご確認をお願いしたいため、もう少々お待ちください。
文章の確認をいただいた後に、写真とともにご紹介したいと思います^^。
 
 
ということで、今週は自然との対話、についてのレポートをさせていただきます。
先週のブログで、「ドイツ人は森が好き」という記述を書きました。
偉そうに自然との対話の大切さを書いたけれども、私自身はしばらく森へは
行っていないことに気付いたため、近所の森へと散歩へ行ってみることにしました。

森・・・・と言っても、バスで5分、1ユーロほどの料金で行ける近所の小さな山です。
ちょうど散歩やランニングにうってつけの小道があり、1周で5キロメートルほどの距離です。
その小道には、ところどころにベンチがあり、疲れたらそこに座って休憩ができます。
とても静かな道のりで、一周する間にほとんど人と出会いません。

日本では、ベンチが置いてあるところというのは、いかにも休憩所としての機能を持った場所か、
もしくはバス停というイメージがあるのですが、ここドイツでは、自然のあるところには
当たり前のように、道沿いにベンチが並べてあります。
 
別に景色が良いわけでもなく、ただ目の前の木々しか見えるものがないのに
ベンチが置いてあるのは、途中で疲れてしまうお年寄りのためのものなのかもしれません。
いずれにせよ、奇妙なほどに多いベンチの数は、よほど森を散歩するのが好きな人が
多いという証拠なのだろうと思います。
 
 
森の小道を歩きながら、何の本だったのかは忘れてしまったのですが、ある本に、
右脳と左脳のバランスを良くするためには、自然の音に耳を澄ますのが良い、
と書いてあったことを思い出し、ベンチに座って10分ほどあたりの音に集中してみました。
 
鳥の羽音や、木々が風に揺れる音、小さな虫たちの鳴き声、それらの音に
ずっと耳を澄ませていると、今まで気付かなかった音たちが、無数に存在していることがわかります。
普段は聞くことのない、ずいぶん遠くの音まで、聞こえたような気がしました。
 
また、確かに何か脳に変化があったような気持ちになりました。
まるで温泉に入った後のように、頭がボヤーっとして、違和感があるのです。
(このボヤーっとした状態は、家に帰るまでずっと続き、ソファーに倒れこむように10分ほど寝ると、
スッキリとなくなりました。)
 
 
その後、山の頂上まで歩くと、芝生の広場があり、居心地の良さそうな大きな木があったので、
その木に寄りかかって少し休憩することにしました。

さて、木によりかかって数秒ほどすると、突然たくさんの咳が出て、とまらなくなりました。
何だろう?この現象は?と、びっくりして、しばらく咳が出るにまかせることにしました。
たぶん、数年前の私だったら、咳が出たことを悪いことだと認識して、
「この木には、悪い霊みたいなものがついているから、咳が出るのかもしれない。
嫌なものに触ってしまった。」と思ったかもしれません。

ところが、先ほど自然の音に耳を澄ませたために、頭がボヤーっとしていたのが幸いしたのか、
咳が出る現象を、ニュートラルな自分を通して観察することができました。
 
その結果、「ああ、そういえば最近は、自分でも全然気がつかなかったけれど、
自分本来の言葉を喋っていなかったな。言葉の壁があって、友人に言いたいことを
伝えられないことや、人とのコミュニケーションにアンバランスなところがあったかもしれないな。」
ということに気がつきました。それらに気付いて少しすると、ウソのように咳は止まりました。
 
ドイツ女性から、「自然を知ることは、自分を知ることに繋がる」と教えてもらっていたのですが、
確かに、一本の木との対話によって、自分でも気がつかなかった今の自分に、
気付かせていただいたような気持ちになりました。

寄りかかっていた木に向かって、「アンバランスだったところを、教えてくれたんだね。ありがとう。」と
お礼を言ってから、帰路につきました。
 
 
考えてみれば、日本にいるときは(今でもそうかもしれませんが)、毎日本ばかり読んで、
ろくに自然と触れ合う機会も持たず、頭でっかちで、いろいろなことを、わかったような気持ちに
なっていました。

「頭でなく、ハートで考えよう」などと言葉では言っていましたが、実践はできず、
やっぱり頭だけでいろいろなことを考えていたように思います。

私はきっと、とても大切なことを、忘れすぎているな。
人間は、自然がないと生きていくことができないのに、自然の大切さを忘れていたな。
自然とは、共に生きていかねばならないのだな、と痛感しました。
 
今までの自分の過去を振り返ってみても、たいていエゴの強いことを考える時期というのは、
自然から離れていた時期だったように思います。

たった一度森へ散歩に行っただけで、本から得るよりもたくさんの気づきを得ることが
できたように感じました。
これからは、もっと頻繁に森や、イヤシロチへ行って、自然からいろいろなことを学ぼうと思いました。
 
 
日本では、今は山登りには少し暑すぎる季節かもしれませんが、山の上は案外涼しいものです。
特に都会にお住まいの方は、週末にデパートなどの人の多い場所へ行かれるよりは、
ぜひ自然がいっぱいの森や山、イヤシロチへお散歩に行かれることをオススメいたします^^。
 
お買い物をするよりも、ずっと気分転換になるし、お子さんは喜ぶし、ただ歩くだけなので経済的です。
そして、たぶん、忘れていたたくさんの気付きを得ることができるかと思います。
 
 
 
以下の写真は、イギリスのパワースポットと言われているチャリス井戸の写真です。
チャリス井戸周辺は、とても美しいイングリッシュガーデンです。
自然の音に耳を澄ませた後のようなボーっとした感じが、この場所にいる間ずっと続きました。
とってもイヤシロチな場所だと思いました。
100805-01.JPG
 
 
100805-02.JPG
こちらが井戸の源泉。
 
 
100805-03.JPG
ここから水を飲むことができますが、鉄の味がするお水で、あまりおいしくはありません。
 
 
100805-04.JPG
このベンチに座って、ジョン・レノンはあの『イマジン』の構想を練ったと言われているそうです。
本人に聞いたわけではないので、本当かどうかはわかりませんが。

ドイツに学ぶエコ・シンプルライフ

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
本日は、ドイツに学ぶエコ・シンプルライフについて、紹介したいと思います。

ドイツというと、エコ先進国と言われています。エコ先進国とは言っても、
ドイツが昔からエコに力を入れていた、というわけではありません。
 
1970年代後半にドイツでとても有名なシュヴァルツヴァルト(黒い森)という
モミの木を中心とした針葉樹の森が、酸性雨の被害によって消滅の危機に瀕しました。
その頃から緑の党と称される環境政党が台頭し、ドイツ人のエコに対する認識は強まってきたそうです。
 
 
ドイツに来てから、主婦業としてまず調べねばならなかったことは、ゴミの分別方法でした。
ドイツでは、リサイクルできるものはきちんと分別する制度が、国の法律として徹底しているため、
その基準をきちんと守らねばなりません。
 
生ゴミ、紙・ダンボールゴミ、プラスチック等のリサイクルゴミ、その他のゴミ、粗大ゴミ、と、
分けてゴミを出します。
 
日本でも、地方自治体によって分別のルールがあると思いますが、ドイツでは国をあげて
このような分別をきちんとしています。

特にプラスチック製品などは、ゲルベザックという名の黄色いゴミ袋に入れて、
回収してもらうのですが、はじめはこのゲルベザックがどこに売られているのかがわからなくて、
苦労しました。主人の職場の人に聞いてもらうと、なんとそれは市のひとつの施設か、
もしくはあるチェーン店のパン屋さんに無料で置いてある、とのことでした。
 
スーパーや日用品店などいろいろな場所を探したのですが、まさかパン屋さんに置いてあるとは、
まったく想像していませんでした。(ちなみに、主人が職場でいろいろな人にゲルベザックの
置き場を聞いたところ、「これで君はもう立派なドイツ人だね。なぜなら、君はゲルベザックの
ありかを聞いてきたからね」と、聞かれた人は嬉しそうだったそうです。)
 
 
DSCF4003.JPG
(こちらが、ゲルベザックです。)


ビン、ペットボトルは、スーパーなどお店で飲み物を買う際に、デポジットがかかります。
そして次にスーパーへ行く際に、そのお店で購入したビンやペットボトルを返却すると、
デポジット料金を返してもらえます。
 
デポジットの値段は、ペットボトルの種類等によって変わるようですが、日本円でだいたい
1本20円〜30円くらいでしょうか。ドイツでは、食料品等の市民が暮らしていくのに必要なものは、
かなり安いので、さらにデポジットで値引きしてもらうと、とても得した気持ちになります。
 
目の前できちんとお金を返してもらえるシステムなので、環境意識というよりも、
目先のお金の節約のためという意識もあるかと思うのですが、市民は当たり前のように
ビンやペットボトルを買ったお店に持っていきます。

スーパーなどでの過剰包装はほとんどなく、エコバックを持参して買い物をするのは当たり前です。
肉や野菜、魚などは、マルクトという市場へ買いにいくと、パックなどで売られているものはなく、
欲しい分だけを量り売りをしてくれます。
 
安売りスーパーでは、パックで売られている肉類等もありますが、食料品はマルクトで買ったほうが、
断然新鮮でおいしいと感じます。
 
 
IMG00029-20100427-1318.jpg
(写真は、アーヘンでのマルクトの様子です。)
 
 
このようなドイツで暮らしていると、日本に住んでいた頃よりも、かなりシンプルな暮らしに
なってきたように思います。ゴミもあまり出なくなったし、何よりも物を厳選して選ぶクセや、
節約グセができました。
 
日曜日は、ドイツではすべてのお店が閉まってしまうので、休日にショッピングを楽しむ、
ということもありません。
 
「週末は何をしていたの?」という質問をドイツ人にすると、最も多い答えは
「森で散歩をしていたよ」という返事です。
 
これは冗談ではなくて、本当にドイツ人は自然が大好きで、森を散歩したり、
芝生で日光浴をすることが大好きなのです。
 
日本の都心でそのように返事をすると、まず冗談だと思われるか、もしくはお金持ちが
避暑地に行った、と解釈されるのではないでしょうか。
 
日本に居た頃は、町を歩くと、様々な色とりどりの広告が嫌でも目に入ってきて、
何か買わなければならないような気分になっていたものでした。
高級ブランド店などもあたり前のようにあったので、普通の暮らしをしているはずなのに、
自分がずいぶん貧しい暮らしをしているような気分になることもありました。
 
それらは経済が活発である証拠なのかもしれませんが、包装ゴミなどを含めて、
何かと物が多すぎだったし、自然と共生する人間らしさが欠けていたように思います。
 
 
あるドイツ人の女性は、「自然の中を散歩するって、とてもいいものよ。自然を知ることとは、
自分を知ることなの。なぜなら、多くの人は忘れているけれど、私たちと自然は本来一体なのだから。」
と言っていました。
 
なるほど、良いことを言うなぁ、そのとおりだな、と思いました。
このようなドイツ人の自然を愛し大切にする姿勢は、とてもいいものだと思います。
 
 
日本でも自治体によってはゴミを厳しく分別するのが当たり前となっていますし、
エコバックを持参する運動などの意識は自然と高まっているようです。
 
今のところ、エコに関しては国をあげて取り組んでいるドイツのほうが優等生だとは思いますが、
「市民の意識」では、日本も負けていないと思います。
 
一人ひとりにとっては、できることは限られているかもしれないけれど、それを一人でも
多くの人が行うことによって、世界が変わっていきます。
 
日本を含めて、世界中で、自然を大切にする運動がもっともっと高まっていけばいいなと願っています。

目の前にきたことから学ぶ

にんげんクラブ会員の皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
 
日本では大雨が降ったかと思うと、今度は暑い日が続いているようですが、
いかがお過ごしでしょうか。
こちらドイツでも、7年ぶりの猛暑と言われるほどに、暑い日が続いております。

さて本日は、またしても個人的なエッセイとなってしまいますが、ドイツに来てからの
気付きをお伝えしたいと思います。
 
 
今年の3月の半ば頃、㈱船井本社の皆様から、私のドイツへの旅立ちを祝して、
ありがたいことに送別会を開いていただきました。
  
その際に船井勝仁社長から「ドイツでは何を学んで帰ってくる予定ですか?」と質問を受けました。
じつを言うとその時は何もプランがなかったので、「さぁ、まずはドイツ語ですね。あとは
よくわかりませんが、学んでくるというよりも、こちらが日本流、そして船井流の生き方を
教えて帰ってきます!」などと、豪語したものでした。
 
すると勝仁社長はニコニコしながら「ハハハ、それは難しいと思いますよ。」と、
ご自身がアメリカで過ごされた体験から、的確なアドバイスをいろいろとくださいました。
 
その時はそんなものかな、と思った程度だったのですが、ドイツに来てみると
「難しいと思いますよ」の意味は嫌と言うほどにわかってきました。
 
日本流の生き方を教えるどころか、こちらがドイツ流の生活習慣に合わせるのが精一杯。
三ヶ月以上たってみて、日本流の生き方を貫いていてはこちらでは上手に生きていけない、
ということがよくわかりました。
当たり前ですが、教えることよりも、学ぶことのほうが山ほどあるのです。
 
 
ところで、個人的なことで恐縮ですが、私には「自分の意見を自由に上手に人に伝えられない」と
いう特性があります。
 
これは私にとっては、幼少期からのトラウマであり、今でも上手に克服できていません。
(どこがだ・・・?と思われたでしょうか(笑)。7月号会報誌の出口光様のインタビュー記事によると、
 『できないと思っていることが、使命につながる』そうですね^^。)

船井会長からは、「彼女は言いたいことを言う特性があります。」と結婚式で紹介されたほどに、
他の人から見るとかなり自由に発言しているように思われるようですが、自分では常に聞き役であり、
全く自分の意見が言えていないと思っているのです。

自分の意見が言えないとはどういうことかというと、それはたとえば、対話の中で
相手が何か間違ったことをしていて、こちらにどれだけ正しい根拠があったとしても、
「それって間違っていますよ」と言えないことです。
 
「それは違うと思う。」「私はこう思っている。」というよりも、「そうですよね。」「ごめんなさい。」
「それは私が間違っていました。」などと言うほうが、私にとっては楽なのでした。
 
わりと理不尽なことがあったとしても、むやみに怒ったり、反対意見を主張したり、
クレームをつけるなどということは、面倒なのでまずしません。
 
 
この特性のおかげで、今までムダな争いをしなくて済みましたし、どれだけ理不尽な状況に
おかれても、柔軟にその場を受け入れ、流れには流される、というような生き方ができました。
 
しかしながら、その一方で、本当にこのように自分の意見を言わずに過ごすことが
良いことなのだろうか?それは本当に世の中のためになるのだろうか?
といった疑問を常に持ち続けてもきました。
 
自分の意見を言わないことは、良いこともありましたが、本心でないことを口にするのは、
時として自分が分裂しているような気持ちになることもあります。

そのような生き方が、ベストな生き方だったかはわかりませんが、比較的日本では
あまり不自由なく生きてこられたように思います。
 
 
さて、ドイツに暮らしてみると、「自分の意見を言わない」というのは、まったく上手な生き方だとは
言えないようです。
 
短所は触らないほうが良いだろうと思い、日本では自分の意見を言わずに逃げてきたのですが、
ここドイツではどれだけ逃げても、「自分の意見を言わねばならない状況」に追いやられるのです。
 
また、逃げれば逃げるほど、バカにされるし、つけいる隙を与えてしまい、その状況は
過酷になってくるようです。

たとえばレストランで、おつりの計算が間違っていますよ、とか、あの人は私よりも
ずいぶん遅く来たのに、なぜ私よりも先に同じ料理が出てくるのだ、とかの意見を言うことは、
日本では「まぁそんな日もあるかな」と、あまり言ったことがありませんが、こちらでは必ず
言わねばなりません。
 
英語だろうと、日本語のジェスチャーだろうと、毅然とした態度でこれらをきちんと主張しないと、
毎回わざとおつりを間違えられたり、閉店まで自分の注文したものが食べられないことにも
なりかねません。
 
ちなみに、何度も過去にこのブログで書いている携帯電話契約の件は、五度目の手続きで、
今度こそきちんと契約ができたか!と思ったのもつかの間、今月は前月の倍以上もの
不当な料金が請求されており、またしてもクレームを言いにいかねばならなくなりました(笑)。

いくらドイツ人の仕事が日本ほどきめ細やかでないとは言っても、これはちょっと異常な事態だと
思うので、やっぱり私が引き寄せていることなのでしょう。
嫌だな、苦手だな、と思いながらしぶしぶ対応していることは、何度もやり直さなければ
ならないようです。

おそらく、今は神様から「自分の意見をきちんと言うことを学びなさい」
「目の前のことから逃げないようにしなさい」と言われているのだろうと思います。
 
 
そのように考えると、ドイツにいても、日本にいても、それぞれの個人が人生で学ぶべきことは
決まっているんだな、乗り越えなければならないものが、目の前にやってくるんだな、
すべては自分が引き寄せているのだな、ということがわかりました。

いろいろな困難がやってくる度に、かつて船井会長が仕事について「常にプラス発想をすること。
弱虫はダメ、逃げてはいけないよ。」と言ってくださったことを思い出します。
 
そのような言葉を思い出しながら、今学ぶべきこと学び、仕事だけでなく、人生全般で、
逃げずに対応していきたいと思っています。
 
 
IMG00157-20100630-1438.jpg
写真は、ごく一般的なドイツのレストランでの昼食風景です。
写真ではわかりにくいかもしれませんが、たぶん日本のレストランの倍くらいの量、
ものすごいボリュームです。このスパゲティに、小さなパンが四つつきます。
当然ながら、「これ多すぎるでしょう!」というクレームは言いません(笑)。
 
ちなみに、ドイツでは出されたものを残すのは失礼にあたるそうなので、できる限り全部食べます。
はじめはキツかったのですが、今では慣れました。帰国後の体重増加が思いやられます・・・。
 
 
DSCF4181.JPG
こちらは、同じレストランの席からまわりの風景をとった写真です。
日の光のあたるテラス席はこちらでは大人気です。

Matrix Energetics その後のレポートと『宇宙人遭遇への扉』

にんげんクラブ会員の皆様こんにちは。ドイツのこだまゆうこです。
以前に、6月24日のブログでお約束したとおり、Matrix Energetics の二度目のセッションを
受けてきましたので、その後の感想を書きたいと思います。

さて、前回はひたすら「よくわからない」という意見を書きましたが(笑)、二度目に同様の
セッションを受けて、どんなものなのか、なんとなくわかってきました。

本当は、このセッションを開発された方の著書を読んで、さらにセミナーなどで説明を聞き、
その後にこのセッションを受ける、というのが通常の流れです。
しかし、私の語学力に問題があったため、飛び込みで体験をする、という流れになってしまい
皆様に満足のいく説明ができず、申し訳ございません。
 
 
前回の文章には、セッションの説明が不足していましたので、少し説明したいと思います。
このヒーリングを受ける際には、まずヒーラーと被験者があらかじめ話し合い、被験者が
「自分は何をしたいのか」という意図を明確にします。
たとえば、苦手なトラウマを克服したい、とか、○○ができるようになりたい、といった願望です。
そしてその意図を、ヒーラーと共有し、セッションに入ります。

セッションでは、被験者の傍にヒーラーが立ち、準備ができたら、その被験者の願望が叶うように
なんらかのエネルギーを送ります。被験者は、合図と同時にその願望を強く頭の中に思い描きます。
その間は、およそ15秒ほどです。そしてヒーラーがパっと被験者の傍から離れると、
被験者は後ろへ倒れる(笑)、というような流れです。

一回行うと、「何を感じたか」とヒーラーに聞かれるので、感じたことを答えると、その答えに応じて、
また同様のセッションをします。これを、合計4回くらい繰り返すのです。

ヒーリングを受けながら少しボヤーっとした状態の頭で、自分の願望(が叶った状態)を一時的に、
繰り返して強く思い浮かべる、というものなので、たしかに「効果がある!」「世界が変わった!」
などの体験者の意見が出るのも、もっともかもしれないな、と思いました。
 
人間は、強く思ったことは、現実になる力を持っていると思うので、それを効果的にとりいれた
ヒーリング法なのだと思います。
(まぁ、ある意味で、意地悪な言い方をすると、一人でもできることだと思うのですが(笑)、
 誰かと一緒に設定された場で強く願うこと、なんらかのエネルギーが流れること、さらにお金も払う、
 ということで、よりいっそう『その気』になるのだと思います。)
 
 
さてさて、私が一度目のセッションで何を願望として思い描いたかと言いますと・・・・
これといって悩みも大きな願望もなく、じつを言うとはじめは興味半分、ひやかし半分な気持ちで
行ったため(失礼ですね、ゴメンナサイ)、「自分の生まれてきたルーツを知りたい!」という
ちょっと無理っぽい大きなものでした。
 
過去世というものは、いろいろな霊能者さんから教えてもらっているので、さほど自分から
知りたいと思うことも普段はないのですが、ここ数年プレアデスと金星になぜだか縁とシンクロを
感じていたので、宇宙人としてのルーツを知りたかったのです。

そのような願望を持って、セッションは受けてみたものの、「そんなアホな願望、そう簡単に
叶うわけないよなぁ〜。プレアデス、金星のルーツなんて、わかるわけないしバカげてるよなぁ。」と、
ずっと思っていました。

2〜3日でなんらかの回答が得られる、とのことでしたが、結局その間は何もありません。
唯一少し気になったのは、普段よく行くアジア料理屋さんのお姉さんが「元気?」と話しかけながら、
私に無理やりフォーチュンクッキーを持たせたことでした。たいして食べたくもなかったのですが、
目の前で食べてみせろ、と言わんばかりの対応だったため、その場で食べると
「あなたはあなたの世界を変えられる」という言葉が書かれていました。

うーん、これが回答?たったこれだけ?これで90ユーロ(笑)?などと思ったものですが、
日がたつにつれて、そのような願望を持ったことも、マトリックスエナジェティックスのセッションを
受けたことも、遠い過去の記憶となりました。
 
 
セッションから四週間近い日数がたち、もう完全に「宇宙」については考えなくなった頃に、
ある不思議な夢を見ました。(なんだ夢かよ!と思われるかもしれませんが、まぁ読んでください^^)
 
夢の中で、ある大型のUFOが着陸して、中から乗組員のような人がゾロゾロとたくさん出てきました。
夢の中の私は、「うわっ、ついにUFOがやって来た。約束の人と話しにいかねば」と思って、
UFOに近づきました。しかし、たくさんおりてきた人たちは、武器のようなものを持っていたために、
「おかしいな。私が約束したのはこの人たちでない。」と、キョロキョロと見回すと、50代くらいで、
銀色の、肩くらいまでの髪で、精悍な顔つきの男性がおりてきて、「あっ、間違いない、この人だ!」と
その人のところに走っていって、その人とひとしきり会話をしました。
 
会話がおわると、UFOはいなくなり、夢の中の私は、まわりの人たちに「ついさっきUFOを見た!
宇宙人としゃべった。これでもかというほどリアルだったから、これは夢じゃない!」と、
夢の中で必死に説得している・・・という夢でした(笑)。

いつもの夢とはなんだか違う次元のような、とても意識のハッキリとした夢でした。
しかしながら、肝心の男性と喋った会話について、どれだけ思い出そうとしても
そこだけサッパリ思い出せないのです。

やっぱり、しょせん夢だよね〜と思いつつも、寝起きの主人にさんざんUFOの夢の話をして、
すごく嫌がられました(笑)。

そういえば、前にマトリックエスエナジェティックスで、プレアデスと金星についての願望を
持ったのだった、もしかしてこれがその答え?と思いました。
 
 
その後、俄然宇宙人に興味を持ってしまった私は、その日のうちに、Amazonで、
宇宙人に関する本をたくさん注文しました。宇宙人に関する本以外にも、いろいろと注文していたら、
全部で18冊になりました。
 
それは、ドイツ時間の、7月9日(金)夜中の25時に注文をしました。日本時間では、
7月10日(土)の朝8時ごろです。すぐにAmazonから返信があり7月12日(月)に
日本から発送予定、とありました。

さて、通常ドイツから日本のAmazonの本を予約すると、通常早くて1週間くらい、
遅くて2〜3週間たってから、こちらに届きます。どのような時が遅いかというと、
15冊くらいの本を注文すると、新品なために関税がかかり、空港でその手続きのために
一度荷物が開けられ、チェックされて、その後に荷物が届く場合です。その際は、荷物が
配達された後に郵便で関税支払いの手紙が届き、銀行へ支払いにいって、手続きが完了します。

今回は多めに注文したから、12日(月)に発送だったら、だいたい20日ごろに本が届くかなぁ〜、
と思っていたのですが、な、な、なんと、18冊の本すべてがドイツ時間12日(月)の、
午前10時に届きました。しかもなぜか関税の処理もすでにできており、本を配達してくれた
おじさんに税金を払い、その場ですべての手続きが終了しました。
10日に注文したものが、12日にドイツのアーヘンに届くのは、いくらなんでも早すぎます。
 
これは、この18冊の中のどれかを、なんとしてでも私に早く読んでもらいたい、
というなんらかの力が働いているのだろう・・・。と思いました。
 
 
その日のうちに、手当たり次第の本を読んだのですが、その中の一冊に、
宇宙人遭遇への扉』(リサ・ロイヤル、キース・プリースト共著、星名一美訳、ネオデルフィ刊)
という本がありました。
 
その本は、リサ・ロイヤルさんという人を通してチャネリングされた、プレアデス人からのメッセージで
構成されている本でした。(原著は、1993年にアメリカで出版されており、1997年に徳間書店から
同名で出版されています。本書はそれを一部加筆したものだそうです。)
  
その本のまえがきには、「本書で語る存在たちの実在を必ずしも信じる必要はありません。
同様に彼らの言葉を字義通りに受け入れる必要もありません」と、あらかじめ書かれています。
 
本によると、宇宙人に会うと、人は宇宙人との次元の違いのため、しばしば記憶をなくすそうです。
また夢の中に宇宙人が出てくるのは、多くの場合宇宙人からのコンタクトであることが多いそうです。
また、「宇宙人との遭遇が起きたことを示す兆候」として

1、家電製品や電子機器の異常な作動
2、説明のつかない感情の表れ
3、星や宇宙への郷愁
4、ミッシング・タイム
5、ひらめきや情報の「ダウンロード」

などの現象が起きると書かれていました。
  
この中で、1番と4番が、現在の私の身の回りでしばしば起こっていることに気がつきました。
(2、3、5、は以前からずっとおこっています)
 
4番のミッシング・タイムとは、常識的に判断して予定よりもはるかに早く(もしくは遅く)
目的地につくことだそうです。上記の、アマゾンでの本の配達日も、これにあてはまると思います。
 
1番の家電製品の異常な作動は、ドイツに来てから、夜中に一人で本を読んでいると、
突然電気がついたり消えたりすることが頻繁にあり、昼間もテレビが突然つかなくなる、
ということ多々がありました。あまりに頻繁にあるために、「ドイツの電力会社は、日本と違って
質の良い電気を流さないものなのだな」と勝手に解釈していました(笑)。

その本を読み進めるうちに、「どうやら私は、宇宙人と遭遇している」ということが、だんだん
リアルな確信へと変わっていきました。あの時も、そういえばあの時も、宇宙人からコンタクトを
受けていたのか、というような記憶がいろいろと思い出されてくるのです。

(ちなみにこの本に書かれていることを、私としてはすべて信じているわけではありません。
 しかし、著者はアメリカ人女性であり、プレアデス人からのメッセージであるにもかかわらず、
 一章をまるまる使って「日本の役割」について書かれていました。この箇所を読んだだけでも、
 私にはこの本を買った価値がありました。)
 
 
宇宙人からのコンタクトを思い返しながら、マトリックスエナジェティックスを受ける前に、
最初にヒーラーさんが説明してくれたことを思い出しました。
「この施術で私は人生が劇的に変わった。たとえて言えば、新しい扉を開いて、視界が
よりクリアになったような感じ」とのこと。

うーん・・・・。確かに、なんだかくやしいけれど、私はこの一ヶ月で新しい扉を開いてしまったのかも
しれません。シンクロニシティというものの存在を知ってから、シンクロニシティを見つけるのが
得意になったように、宇宙人からのコンタクト方法を知ったことで、宇宙人からのメッセージを
受け取るのが、これからは上手になるのだろうと思いました。


宇宙人に関する私の認識と、マトリックスエナジェティックスが関係しているのかは、
はっきり言ってわかりません。しかし、世の中に偶然はないようですから、これも必要、
必然な流れだったのかな、と思っています。

以上、とっても長くなってしまいましたが、マトリックスエナジェティックスに関する感想でした。
 
 
ちなみに、主人からも「ついに嫁の頭がおかしくなった。いいかげんにしてくれよ。」などと
言われておりますし(笑)、宇宙人に関するこの文章を書くことは、私にとっては勇気のいることでした。
  
しかし、私のこの気付きをここに書くことで、少しでも多くの人に、宇宙人からのコンタクトに
興味を持ち、気付きのきっかけを作っていただきたかったため、こうして書かせていただきました。
  
とくによくわかったことは、宇宙人からのコンタクトを受けるのは、特別な人間ではない、ということです。   
私も、つい一ヶ月前までは、顕在意識で宇宙人について話したり考えたりすることは、
ちょっと恥ずかしいことだったし、仕事にさしさわりがあるし、バカげたことだと思っていました。
宇宙人は、いつでもコンタクトへの扉を開いてくれる地球人を心待ちにしているのです。

なお、言うまでもないことですが、あくまでもここに書いたことは、私の個人的な感想です。
もしも今後マトリックスエナジェティックスを受けようとされる方は、どうぞご自分の自己責任にて、
お願いいたしますね^^。

それでは、長い文章を最後までお読みいただき、まことにありがとうございました。
 
 
 
DSCF4065.JPG
(この写真は先日飛んでいた、単なる飛行船です^^)

お洒落よりも実用性を好む?ドイツ人

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。

今週もあいかわらずドイツでは、皆ワールドカップサッカーの話題に華をさかせております。

さてさて本日は、お洒落よりも、実用性を好むドイツ人、ということを書きたいと思います。

日本の女性ファッション雑誌には、海外でのお洒落な女性の街角スナップなどが
掲載されるコーナーがたまにあります。それらは主に、ニューヨーク、パリ、ミラノ、ロンドンなどで、
モデルのように美しい女性が、お洒落なファッションに身を包んでいます。

そのような中、ドイツもおそらく都会なはずなのに、あまりドイツの都市の写真を見たことがないなぁ、
と思っていたのですが、ドイツに来てみて、すぐにその理由がわかりました。

それというのも、ドイツ女性はどちらかというと、お洒落よりもその服の動きやすさとか、
防寒性など、実用性、合理性のほうに興味があるようなのです。

以前に海外に住んでいた友人から「ドイツ人の女性は美しくない。
やっぱり女性はフランスだ」と言っているのを聞いたことがあります。
 
ドイツでは、町を歩けば「今すぐにモデルか女優になれますよ!」と言いたくなるような
絶世の美人がたくさん歩いているので、「美しくない」という表現は適切ではありません。
しいて言うなら「お洒落にあまり興味がない」という言葉がいいでしょうか。
 
 
まだ肌寒い四月、アーヘンに来て二日目に、町を散策してみると、大人も子供も、
おじいちゃんもおばあちゃんも、お洒落盛りなティーンエイジまで、ほとんど全員!??
と思える人が、「ヤッケ」と言われるいろいろな色のウィンドブレーカーを着ていました。
中でも目立つのは、あるメーカーのブランドロゴが大きく入ったものです。

それはいかにも山登りに行く人が着ていそうな、アウトドア専門用品で、非常に機能的な上着です。
軽くて、しっかりした生地、風を通さず、防水性もあり、ポケットが内側にもたくさんついています。
しかし、町を歩くには、お世辞にもお洒落とはいえないものです。

ん?ドイツ(アーヘン)では、この服が流行っているのかな?このメーカーの製品は
たしか案外高い値段だから、安売りしていたからみんなが持っている、というわけでもなさそうだな、
などと思いながら観察していると、パラパラと小雨が降り始めました。

折り畳み傘をカバンから取り出さないと・・・・と、カバンを探りながらふとまわりを見ると、
ほとんどすべての人がいっせいに襟に内蔵されているフードを取り出して頭にかぶり、
雨などまったく気にしない様子で歩いていました。
  
雨は次第に強くなってきたのですが、傘をさしている人は見当たりません。
ドイツ人は、少しくらいの雨であれば傘をささない、というのがわかった瞬間でした。
 
 
その後アーヘンで暮らしてみると、四月は比較的曇り空が多く、日中小雨が
ふったりやんだりのお天気で、あのヤッケがいかに楽で便利なものであるかがよくわかりました。
 
どれだけお洒落をしていても、急な雨でずぶ濡れになったり、寒い思いをしてしまったら、
せっかくのお洒落も台無しです。
  
お洒落よりも実用性を優先するドイツ人を、なんだか自然体でいいなぁ、と思いました。
(男性陣からすると、少し残念な話かもしれませんが・・・。)
後日、私も似たようなヤッケを買いにいったのは、言うまでもありません(笑)。


話はガラっと変わりますが、お洒落よりも実用性、ということでこれは日本でも
ぜひとり入れるのがいいと思うことは、トイレのブラシ設置についてです。

日本の公衆トイレやデパートでは、たいてい掃除用具入れにしか、トイレ掃除の道具は
置いてありませんが、ドイツでは、公衆トイレやレストランのトイレ、デパートのトイレなど、どんな
トイレに行っても、ひとつの便器の横に、かならずワンセットのトイレ掃除ブラシが置いてあります。
 
10個の便座があれば、10個のトイレブラシがあるのです。これは、トイレの入り口で
トイレ料金を受け取ったり、掃除をする管理者が常時いるトイレでも、必ず置いてあります。

このようにブラシが置かれていると、誤ってトイレを汚してしまった人は、個室内で自分で
手早く掃除をすることができるので、お掃除の人の手を煩わせることなく、次にトイレを使う人にも
気持ちよくトイレを使っていただけます。

日本では、便器の横にブラシを置くのがお洒落でないからなのか、経費の削減なのか、
はたまた「トイレの掃除はお掃除の人がする仕事」という認識があるからなのかはわかりませんが、
このシステムをあまり採用していないようです。
 
公衆トイレなどの掃除用具入れはカギがかかっていたりするため、掃除したいと思った時に
できないのが現状です。

「トイレは汚した人が掃除するのが当然」とも言えるドイツのシステムのほうが、
実用性もあるし、使用者のマナーが向上するような気がします。

もちろん、「お洒落よりも実用性」とタイトルには書きましたが、トイレのブラシの中には、
美しいデザインのものもあり、「お洒落であり、また、実用的である」と、両方を兼ね備えることも、
可能でしょう。
 
 
ドイツ人は、建築や服装なども、比較的シンプルなデザインのものを好むようですが、
実用性とお洒落心を、両方追及していくと、自然にシンプルなものになるのかもしれないなぁ、
と思いました。

お洒落も実用性も、両方兼ね備えていたいのが女心ではありますが、よりシンプルに、
ドイツの良い部分を吸収していきたいと思っています。
 
 
uniklinik.JPG
写真は、アーヘンで最も大きな大学病院。屋上部分は工事中なわけではありません。
お洒落よりも実用性・・・・にしてもすごい外観ですよね(笑)。エレベーターや排気口など、
増築を重ねていったらこのような形になったらしいのですが、バイオレンスホラー映画の
舞台になりそうな外観です。

世界一すばらしい国、日本

こんにちは。にんげんクラブドイツ在住のこだまゆうこです。
 
一昨日のサッカーワールドカップでは、日本選手がとても活躍していましたね。
彼らの勇姿から、たくさんの元気をもらった、という方がかなりいらっしゃるのではないでしょうか。
 
こちらドイツは、宿敵イングランドとの戦いで圧勝し、市民のサッカー熱は最高潮に達しています。
ブラジルの預言者ジュセリーノさんの予言ではドイツが優勝するということになっているそうですが、
さて結果はどうなるでしょう^^。
 
DSCF4189.JPG
(写真は、ドイツ初戦がはじまる3時間前の市民広場。試合直前は、ライブ会場さながらの
 ものすごい人で埋め尽くされます。警察が多く配置され、荷物などのセキュリティチェックがあります。)
 
 
にんげんクラブの会員様は、当然ながら日本が大好きだと思いますので、ここで今さら書く必要も
ないかもしれませんが、本日はドイツにいる私から、日本がどれだけすばらしい国であるか、
ということをお伝えしたいと思います!

先日、ドイツ語教室で、このような例文を読む機会がありました。

Ist das ein Fotoapparat oder eine Videokamera? –Das ist ein Fotoapparat.
Der Fotoapparat ist sehr praktich. Er kommt aus Japan.
(これは、カメラですか?それとも、ビデオカメラですか? これはカメラです。
 このカメラはとても便利なカメラです。これは日本製です。)

べつに普通の例文ですが、クラスの唯一の日本人である自分が読むには、なんだか少し
お国自慢のようで、誇らしいのだけれど、うれしいような恥ずかしいような複雑な気分でした。
 
  
この例文で見るまでもなく、日本の製品は優れている、という共通の認識が世界中にあります。
そして私の複雑な心理を見るまでもなく、日本人の多くの人は褒められるべきことを、
自慢せずに謙遜してしまう、という特性があります。

日本は、文句なしにとても優れた国ですが、残念なことに、当の日本人はその良さを
あまり理解していません。
 
日本は世界で最もすばらしい国です。そして日本人の平均的な精神性の高さは、
世界でも群を抜いていると思います。(これを書いている私は日本人ですから、
説得力がありませんし、客観性には欠けるかもしれませんが、)これは間違いないと思います。

言うまでもなく、日本は世界の中で、最も平和で、安全な国です。精神性には個人差がありますから、
犯罪がゼロというわけにはいきませんが、海外に比べるとかなり少ないでしょう。
 
 
こちらドイツは、ヨーロッパの中でも最も豊かで安全で便利で、暮らしやすい国のひとつです。
しかし、その安全や便利さとは「他のヨーロッパ諸国と比べれば」というレベルです。
 
都心部の観光地や駅のホームなど、人の多い場所では、常にスリに気をつけねばなりませんし、
夜は女性が一人で出歩くのはやはり危険でしょう。
 
私はドュッセルドルフやケルンなどの都会に、ほんの4回くらいしかまだ行っていませんが、
4回のうち1回は、スリの女性にカバンを半分開けられました。
幸い途中で気付くことができたので、財布をとられることはなかったものの、
ヒヤっと背中に寒気がして、その日は一日気分が悪い思いをしました。
 
この話を、ドイツ語教室のみんなにしてみると、「あ、それは私もやられた」「私の友達も」などと、
他にもスリに狙われた人が多かったのはびっくりでした。
アーヘンのような田舎町ではスリなどの心配はおおむね大丈夫のようですが、
それでも日本よりは気をつけて歩いています。
 
 
日本の安全と、日本人の精神性の高さをよく現しているのは、観光地に行った際に
よくわかると思います。日本の観光地では、写真をとっている人がいると、
「あ、良ろしければ一緒におとりしましょうか?」と見知らぬ人が声をかけてくれることがよくあります。
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて。」と、日本ではごく当たり前のように行われる
シチュエーションですが、これは海外ではまずありません。
  
見知らぬ人が同様に親切そうに声をかけてきたら、それは、別のところに気をそらせて、
その他のメンバーがスリをするか、カメラそのものを盗られてしまうか、マシな場合では、
写真をとってあげるけれども後からチップを要求する、というのが、通常のシチュエーションです。
 
以前私は海外の観光地で、老夫婦が一人ずつ写真を撮っているところにたまたま居合わせたので、
「ご一緒におとりしましょうか?」と声をかけると、ものすごく嫌な顔をされ「No!!」と断られました。
 
その時は「なんだ人が親切に声をかけたのに、失礼な」と思ったのですが、今考えてみると、
あのご夫婦の態度は、別に珍しいものではなく、自分たちの身を守るために、正当な主張だったのです。
海外に住むようになってはじめて、彼らの気持ちがわかりました。

 
また、日本は便利さでも、海外とは比較にならないほどです。
すべての仕事が迅速できめが細やかで、人々はたいていのことに安心をしています。
トラブルとは、ないのが当然という認識に基づいて、日々の生活をしています。
  
たとえば、携帯電話の契約ひとつをとっても、以前このブログで、携帯電話の契約でトラブルが
あった話を書きましたが、じつはドイツに住んで3ヶ月ほどたった今でも、きちんとした契約が
できていません(笑)。
 
日本では、20分〜30分ほどでできる契約ですが、すでにこちらでは、毎回何時間も待たされて、
四度も携帯ショップに足を運んでいますが、いまだに満足な契約ができないのです。
 
それらは、他人の契約したICチップが送られてきたり、Uedaのスペルが間違ってVedaに
なっていたり、二つ分の携帯を契約したのに、三つ分の料金が引き落とされたりと、
一つを直すとまた一つ間違い、時間と手間をかけて、笑ってしまうほどの単純ミスを
何度も繰り返してくれるのです。
 
ある担当者は、英語専門の名札をつけ、それまでずっと親切そうに英語で喋っていたのに、
自分の仕事に非があることがわかるとそれを隠すために、ドイツ語でさんざんまくしたてて、
お客さんであるはずの私たちを犬のように追い返しました。
 
また別の担当者は、こちらはパスポートのコピーも渡しているし、スペルが間違っているよ!と
5回以上言っているのですが、「後で直すから」とその場ではとりあおうとせず、結局一ヶ月後にも
それは改善されず、再度足を運ばせる・・・といった状況でした。
 
前回行った際には、契約書を書き直させたうえで二時間以上待たせた後、
「今日は本社のサーバーがダウンしているから、来週もう一度来てください」とのことでした。
五度目に足を運んできちんと契約が上手くいくのかも、まだわかりません。

半分笑い話と思えるほどの、うそのような本当の話しです。上手くいって当然と思っていたら
とても腹がたつので、まぁそんなこともあるのか、と思うようにはしています。
 
しかし、どんないいかげんな気持ちで仕事をしたら、たかが一件の携帯契約でそれだけ時間をかけ、
間違えられるのだろう?と思ってしまっています。
(まぁ、これは私の人生がこのようなことを引き寄せている、とも言えるのですが・・・・(^〜^))


他にも、日本で宅配便を届けてくれる人は、たいていとても親切で、時間通りに必ず来てくれるし、
その人がいなければきちんと不在表をおき、何度も訪問しては確実に荷物届けてくれます。
それがかなり辺鄙な場所であってもです。
 
こちらでは、宅配便の配達は時間指定などもちろんできません。
以前日本からドイツへ引っ越してくる際に、一箱25キロの荷物を3つほど送りました。
それらは確かに重かったのですが、配達人は当然のように荷物を一階に放置して帰りました。
 
一人でそれらを抱えて3階(日本だと4階の高さ)まで運ぶのは、とても重くて、涙が出そうな
作業でした。重い荷物を運びながら、これがもしも、妊婦さんやお年寄りだったら、
どうしていたのだろう、と心配になりました。
 
また、配達先の人が不在だった場合は、何の連絡もなく、近所の別の住人に預けて帰ります。
そして預けられた別の住人は、近所だからといって本人に届けたり、連絡してくれることもなく、
預かったら預かりっぱなし。本人がとりに来るまで、いつまでも預かったまま放置しています。
(我が家の荷物は、二週間ちかく放置されていました。)


これらは、日本では信じられない話ですが、日常の当たり前のことです。
そしてここドイツは、何度も言うようですが、ヨーロッパの中でも、かなり便利で、安全で、
暮らしやすい国です。私はドイツが嫌いなわけでも、ドイツの悪口を言っているわけでもありません。
それどころか、住んでいるのですから、当然ながら大好きです。

ここに書いたことは、ドイツのささいな欠点の指摘、と言えるのかもしれませんが、どれだけ日本が
恵まれた環境であるのか、ということを皆様に伝えたいために、これらを例として書きました。
 
 
日本のメディアは、日本の悪口をよく言います。他国と比べると見えないほどの欠点を
わざわざほじくり返して、日本がいかにできていないか、を伝えがちです。
 
歴史の時間でも、第二次大戦前の日本がいかに間違っていたか、を子どもたちに教育してきました。
そのような環境の中で育った私も、かつては日本の悪い部分しか見えず、日本が好きになれなかった
日本人のひとりです。

日本人はそろそろ、胸をはって日本のすばらしさを語れるようになる時期でしょう。
 
サッカーワールドカップのプレイでも、「私は日本人のプレイヤーが大好きよ。
彼らは、ファウルをしたら、必ず相手に謝るし、優しくて、礼儀正しい。他の国のプレイヤーも
そうあるべきだと思う」と、たくさんの人から言ってもらえました。
 
そのようなプレーを当たり前だと思う日本人であることに、私はとても誇りを持っています。


最後に、かつて日本のことをたいして好きでなかった私が、日本を好きになったきっかけの言葉を
お伝えして、この文章を締めくくりたいと思います。
 
それは、10年ほど前にタイに行って、大金持ちで一流大学の学生たちとお友達になったときに
言われた言葉です。ベンツを乗り回し、豪邸と、自分の経営するアパートをいくつも持っている
セレブな彼らに気後れして「私は日本で何もできないし、どうせ貧乏だから・・・」と言った際に、
彼らのくれた言葉とは当時の私には予想もしないものでした。
 
以下の言葉は、どうぞ20歳前後の自分が同年代の友達から言われているような気分になって、
お読みください^^。

「君は、自分が日本人として生まれてきて、どれだけ恵まれているのかわかっているかい?
 貧乏だから、と君は言ったけれど、この国の大半の人よりも、君はすでにお金持ちなんだよ。
 日本は植民地にもならなかったし、安全で快適な国だ。日本人はとても頭が良くて、親切で、
 作る製品の性能はとても良い。アジアではずっとナンバー1だ。
 僕らは日本人を心から尊敬している。
 
 僕は、タイ人として生まれたから、もちろんタイを愛しているけれども、できることならば、
 日本人として生まれてきたかったと思っているよ。僕はお金持ちだけれど、それは
 お金の問題じゃない。お金だけでは買えないものが、日本にはあるんだ。
 たぶんこの国の大半の人間は、日本人として生まれてきたかっただろうと思う。
 この言葉が、どれだけ重要なことを意味するか、わかっているかい?
 
 たぶん、今の世界を平和にできるのは、日本しかないだろう。もちろん僕らもがんばるけれど、
 僕らは世界平和について、日本に大きな期待をしている。
 君はもっと、日本と自分に、誇りを持ったほうがいいよ。
 ねぇ、日本に生まれたラッキーガール(ボーイ)、
  君は日本人として、この世界に何ができるかな?」

 
 
10年たった今でも、この言葉はとても鮮明に記憶しています。
日本人としてやるべきこと、やらなければならないことがある。
日本のすばらしさに感謝しながら、日本人として誇りを持って生きていきたい、そう心から思っています。

Matrix Energetics

にんげんクラブの皆様こんにちは。ドイツ在住のこだまゆうこです。
 
なんだか変なタイトルだと思われましたでしょうか。
今回は、ドイツ流行っているスピリチュアル事情についてお送りしたいと思います。

アーヘンの町には、地下一階、地上四階立てのMayerscheという名前の巨大な本屋さんがあります。
大きさの規模で言えば、東京駅の近くにある八重洲ブックセンターくらいの大きさでしょうか。
 
私は本屋さんが大好きなので、このMayerscheは私にとってアーヘンで最も頻繁に訪れる
オアシスのようなところです。(並んでいる本はすべてドイツ語なので、結局読めないのですが・・・・
ただそこにいるだけで落ち着くのです^^。)
  
pic1 book.JPG
(このガラス張りの建物が本屋さん。ソファーもたくさんあり、自由に本が読めます)
 
 
本屋さんを見るだけで、ドイツ人と日本人の性格の違いなどがかなりわかると思います。

それというのも、日本、特に東京近辺では入り口近くに平積みされ、かなりの幅を
きかせているいわゆるビジネス書や経済本は、ドイツでは四階の語学書コーナー片隅に、
肩身がせまそうに置いてあります。
 
対して、一階、二階の皆が行きやすい場所には、サスペンスやラブロマンス、ファンタジー、
はたまた各種雑誌など、いわゆる娯楽書が並んでいます。(特にファンタジー小説の棚が多いです。)
 
ドイツに来てすぐの頃には、「何でドイツにはビジネス書があんまり置いていないのだろう」と
思っていたのですが、しばらくドイツに住んでみると、毎日5時すぎには帰宅し、ビール片手に
サッカー観戦を楽しみ、夏には大型バケーションをとるのが当たり前・・・・というような庶民の
生活では、そこで読みたいのは小説など現実離れしたものであり、ビジネス書を開く気持ちには
とうていなれないだろう、とよくわかりました。
 
 
さて、私が最も興味があったのは、スピリチュアル書棚です。
スピリチュアル、精神世界などの本は、3階に売っていたのですが、その広い売り場面積には
びっくりしました。日本では「精神世界」というと、ここ数年でようやくそれ専用の本棚が
できてきましたが、まだまだ本屋の奥のほうでひっそりと置かれているのが通常です。
 
しかしここマイヤシャーでは、4階フロアの四分の一は、すべてスピリチュアル系の本が
置かれています。しかも本だけが置かれているのではなく、タロットカードコーナー、
ペンジュラムコーナー、お香や仏具コーナー、エンジェルグッズコーナーなどと、
楽しいグッズがとりそろえてあります。
 
普通の本屋さんなのに、タロットカードだけで、本棚一つが埋まるほどの種類があるのは、
ドイツではこのようなグッズが売れることを意味しているのでしょう。
 
pic2 book.jpg
(写真で見える部分はすべて、スピリチュアル関係の本が並んでいます。)


このコーナーでは、「あるヨギの自叙伝」(パラマハンサ・ヨガナンダ著)など、
私が日本でも読んだことのある馴染みの本がかなりたくさん置かれているので、
なんだか和みます・笑。
 
ちなみにここのコーナーに並んでいる日本人の著作として、「水からの伝言」の
江本勝先生の本がたくさんありました。
 
 
さて、そのようにたくさんの精神世界の本が置かれている中で、
日本では見慣れない言葉がありました。それが、「Matrix Energetics」です。

アメリカ人のDr. Richard Bartlett という方が本を書かれ、セミナーなどで広めているようですが、
これがここドイツでもかなり流行っているらしいのです。
 
Dr. Richard Bartlettさんは、2009年10月に初めてドイツ各地でセミナーを開いたらしいのですが、
その参加者は2週間でなんと1,000人を超えたとのこと。著書もかなり売れているようです。
 
pic3 book.jpg
(中央の一番目立つ箇所にMatrix Energetics専用の、特設売り場が作ってありました。)
 
 
著者のホームページを検索してみると、わかりやすいように簡単な紹介のビデオがありました。
http://www.matrixenergetics.com/

見ていただくとわかると思いますが、観衆の前で彼がなにやら話した後に暗示のような
言葉をかけると、それをかけられた人はバッタバッタと人が後ろ向きに倒れています(笑)。
 
(ちなみにこのようなあからさまなデモンストレーションは、「奇跡」というよりも「魔術」を
 見せられているようで、個人的にはあまり好きではありません。)
 
とはいえ、まだ私はその本をまだ読んでいない(というより読めない)ので批評もできませんし、
本がそれだけ売れているということは、やっぱり面白いから売れているのだろうと思います。
アメリカやドイツのアマゾンでも、面白い!というレビューがたくさんありました。
 
 
読めない文字で批評するよりはまず体験、ということで調べてみると、この小さなアーヘンの町でも、
わかっているだけで4人もMatrix Energetics のヒーリングを施すことができる人がいました。
 
その中でも最もいろいろな資格を持っていて、英語が喋れそうで、最も人相が
良さそうな女性を選んで、ヒーリングを申し込み、実際に受けてみましたが・・・・。
(料金は30分70ユーロ。その後は延長料金。1時間ほどで90ユーロでした。)

Matrix Energeticsが、日本人の私には適していなかったのか、はたまた私が鈍すぎるのかは
わかりませんが、正直に言うと「よくわからない」というのが、今のところの感想です(笑)。
 
 
私にヒーリングを施してくれた女性は、この施術により人生が劇的に変わった!
とかなり熱心に語ってくれました。たとえて言うならば、新しい扉を開いて、視界が
よりクリアになったような感じ・・・とのこと。

ヒーリング中は、両足で立っている私に、斜め上前方のほうからエネルギーを送るのですが、
私が後ろに倒れることを期待しているようで(後ろはベッドで支えられているため倒れても
怪我はしません)、「さぁ、後ろへ倒れなさい」というような想念がうるさいほどに感じられました。
 
私は普段から体の氣のめぐりがあまり良いほうでないので、このような場合に体が動くことは
ほとんどありません。しかし今回は、「後ろへ倒れなさい」の想念があまりにも続くので、
最終的には後ろへよろけたフリをしてあげました(笑)。
 
NOと言えない日本人らしさ(?)もここまで来るとウソツキですね・・・。
しかし女性は満足そうでした^^。


ヒーリング終了後、何らかの気付きを、ヒーリングを受けた2、3日以内くらいに得られるでしょう、
とのことでしたが、2週間たった今でも、今のところは何も変わっていません。
しいていえばヒーリング当日は、普段よりも少し眠かったかもしれません。

このような種類のヒーリングは、船井会長の傍で秘書として過ごした日々に、
いろいろと受けてきたので、もしかすると私にはすでに免疫ができていて、
何も反応しなくなってしまったのかもしれません。
  
それらの経験の中には、背中からゾクゾクとエネルギーが体を通ってくるのがわかって、
体調が悪かったのが劇的に良くなった、という体験を何度かしたこともありますし、
実際にヒーリングをいくつか習ったこともあるので、「ヒーリング」自体を否定する気持ちは
私にはありません。(中には悪質なものもある、ということもわかっているつもりです)
 
 
ということで、「よくわからない」というのが正直な感想ですが、だからといって否定する気にもなれず、
わからなかったからこそ、次回の予約を来月にとりました。

Matrix Energeticsは、来月もまた「よくわからない」であるか、それとも何かしら変化があるか、
次の機会にレポートさせていただきたいと思います。
次もわからなかったら、お金がもったいないのでもう行くのはやめとこう、と思っています。

以上、わからない・・・しかオチがなくて申し訳ございませんが、Matrix Energetic体験レポートでした。
 
 
おまけ    2012年に関する本も、やはり流行っているようです。
pic4 book.jpg

アーヘン大聖堂の謎

にんげんクラブの皆様こんにちは。にんげんクラブドイツ在住のこだまゆうこです。

今回のドイツレポートは、私の住むアーヘンという町の中心にある、
アーヘン大聖堂についてレポートしたいと思います。

アーヘンの町は、古代ローマ帝国の時代から有名な温泉地として栄えていたそうですが、
8世紀の末に、フランク王国のカール大帝が、この地に王宮を置いたため、
カロリング朝ルネサンスの舞台となりました。

アーヘン大聖堂は、786年にカール大帝によって建設が始められます。
アーヘンは9世紀後半にノルマン人の襲撃を受けその後一時衰退しますが、
936年〜1531年にかけての600年間、歴代のドイツ王、神聖ローマ皇帝の30名の戴冠式が、
アーヘン大聖堂で行われたそうです。
 
1978年に、アーヘン大聖堂は、ユネスコ世界遺産の登録のための最初の12の遺跡の
一つとなりました。(ドイツでは最初。ヨーロッパの歴史上、三つの遺跡のうちの一つ。)
またその宝物殿は、ヨーロッパでは、最も有名かつ重要なもののひとつとされているようです。
小さな町としては意外(?)にも、アーヘン大聖堂は歴史上かなり重要なポイントとなっていたようです。

と、いった豆知識を得た上で、アーヘン大聖堂の外観を見てみましょう。
(ちなみに今回のレポートは、文章というより写真が多くなります^^。)
 
 
まずは外観。
 
aahen1.JPG
アーヘン大聖堂の全体像が見渡せるポイントからの一枚。
天気の良い日はいつも逆光になり、この場所から写真をとるのは、なかなか難しい。
今回は五度目の挑戦での一枚でした。
 
 
aahen2.JPG
さらに全体の形がわかりにくいので、ミニチュア版の全体図を掲載します。
先ほどの写真は、ちょうどこの模型の裏側側面です。
建築様式が統一されていないのは、増築が何度もされたからだそうです。
 
 
そして内観。
aahen3.JPG aahen4.JPG
           六角形の天井               有名な美しいステンドグラス。
 
 
以上の写真説明までが、
一般的なアーヘン大聖堂のガイドブックや旅行記で見られる情報です。
旅行に来た人の大半は、六角形の天井と美しいステンドグラスを記憶に留めて
帰るのではないかと思います。

さてしかし、ここはにんげんクラブのホームページですので、
以下に少しマニアックなアーヘン大聖堂の写真をお届けしたいと思います。
 
   
aahen5.JPG
大聖堂の縦長な部分を、正面から見た図。大きな鉄の扉は有名なものだそうです。
縦から見ると、魔法の塔みたいです。
この鉄の扉は今は封鎖されているようで、その扉の左手にある小さな扉が、
観光客の入る入り口となっています。
  
aahen6.JPG
左側の扉が入り口です。
 
 
aahen7.JPG
扉を入ると、このような小部屋を通過して、右側にさらに扉があり、
そこから大聖堂の本殿に入ります。
でもこの小部屋、単なる通路として見逃しがちですが、なんか変・・・・・。
 
  
aahen8.JPG
床に、教会にしては恐ろしい絵が描かれている。
ひし形の中に、手と蝋燭と髑髏とステッキ?鎌にも見えるかな?
ひし形は、二つのピラミッドをあわせているようにも見えます。
ダン・ブラウン著の『ロストシンボル』には、
髑髏や大鎌はフリーメーソンの重要な儀式で使われると書いてあったけれど・・・・。
しかも、取っ手がついているということは、
上にひっぱったら秘密の地下室に繋がっていますよ、
ということでしょうか。
 
  
aahen9.JPG
祭壇の上に描かれている大きな彫刻の絵は、
左手に琵琶を持っていて、右手は、インドの神様みたいな形をしています。
 
 
aahen10.JPG
キ、キリスト様・・・生きてる???
万歳していますが・・・・。顔もなんだか仏像のような・・・・・。
 
 
さて、扉を抜けて、本殿に入ります。
 
aahen11.JPG
まずは、マリア様の祭壇があります。
マリア様の胸に剣がいっぱい刺さっていて痛そうです。
他の教会でも同様の絵や像を見ましたので、これは教会では普通の絵かもしれません。
 
 
aahen12.JPG aahen13.JPG
  ちょっとひと息、美しいステンドグラス。    入り口近くにまた髑髏モチーフのついた壁飾り?
                             がありました。
 
 
aahen14.JPG aahen15.JPG
  イエスを抱くマリア様の祭壇。           ピラミッドが光っています。
  上の部分に注目して拡大すると・・・・・、     プロビデンスの目と関係がありそうです。
                               ピラミッドの前についているのは、鳥?でしょうか?
                               ちょっと遠くて暗くて、よく見えません。
 
aahen16.JPG
本殿の壁。天井付近は大きな目玉に見えます。
写真では見えにくいですが、
黒目の部分には、コンパス模様があるようにも見えます。
 
 
 
aahen17.JPG
ちょっと外に出て外観を見てみます。
聖者はいったい何人いるのでしょう・・・。作る人は大変だったでしょうね。
 
 
aahen18.JPG
なぜこんな恐ろしいオブジェを作るのでしょうか。魔除け?
しかも作った年代が違うのか、聖者たちに比べるとちょっと手抜きですね(笑)。
 
 
20100617114338635_0001.jpg aahen20.JPG
ああっ!先ほどは見逃していたけれど、確かな証拠。     このような扉が下についています。
プロビデンスの目を見つけてしまいました。
これは完全にフリーメーソンのマークですね。
 
ちなみにここは、場所で言うと、大きな鉄の扉のある写真の、
鉄格子の右側の建物に、このマークと扉がありました。
 
 
と、いうことで、
歴代のドイツ王の戴冠式が行われたとても重要な地、
アーヘン大聖堂は、フリーメーソンとかなり密接な繋がりがあるようだとわかりました。
ガイドブックにはフリーメーソンのフの字も書かれていませんし、繋がりを明確に示す文献なども
ないようなのですが、明らかに繋がりはあるようです。

だから何?と言われると、なんとも言えないのですが、
以上が、アーヘン大聖堂についてのレポートでした^^。

日本の神社も鳥居に暗号が隠されていたりと、謎が多いですが、
ヨーロッパの教会も、なかなか面白いものですね。
 
 
 
おまけ写真。
シュールなカール大帝です。
DSCF4174.JPG

ドイツ語教室の風景からわかった、日本人の特性

こんにちは。にんげんクラブドイツ在住のこだまゆうこです。

こちらドイツでは、そろそろ夏に近づいてきたなぁと半そでを着る日もあれば、
大慌てで冬物のセーターを取り出して着る日もあります。
晴れた日の日差しは強いのですが、雨の日はまだまだ寒い日が多いです。
晴れている日は、夜の10時すぎくらいまで明るいので、ついつい夜更かしをしてしまいます。
 
 
本日は、私が週に一度通っている「女性のためのドイツ語学教室」での風景を紹介したいと思います。

現在この教室に通っているのは、10人のドイツ語がまったく話せない超初心者です。
(なんだまだドイツ語が喋れないのか・・・・という心の声が聞こえて来そうですね・笑)
この教室には、主にご主人がアーヘン工科大学へ研究や学業のために来て、
専業主婦としてアーヘンで暮らしている女性が生徒の大半です。

その10人の国籍を書きますと、インド人が二人、エジプト人が一人、パキスタン人が一人、
タイ人が一人、カンボジア人が一人、中国人が一人、韓国人が一人、日本人が私を含めて二人、
といった生徒たちを、ドイツ人の先生(女性)が親切に教えてくれます。
(ドイツ語は英語や他のヨーロッパ言語と文法などが似ているので、さすがにアメリカ人や
 ヨーロッパ諸国の人は超初心者クラスにはいませんでした。)

このクラスを受講していると、世界(アジア)の縮図を見ているような感覚になります。
もちろん、私の性格が「生粋の日本人」にあてはまるかどうかもわかりませんし、
それぞれの人に、それぞれの個性があるとは思うのですが、その国の人「らしさ」が、
やはりはっきりと現れているのです。
 
 
特に日本人と対照的なのは、なんといってもインド人の二人です。
この二人は、とてもチャーミングな女性たちです。今風?に言うと、空気をまったく読みません(笑)。
少人数のクラスなので、先生は一人ひとりを指名して、質問に答えさせるのですが、
他の人が指名されている時でも、必ず回答する権利を横取りして答えます。
 
また、先生が何か教えてくれている時も、疑問に思うことがあったらすかさず話をさえぎって質問をし、
さらに今の話題と関係のない個人的な質問などを次々としていきます。
先生は毎回「またか」という顔をして苦笑しながら、明るく楽しくその答えを教えてくれます。

日本でこのような生徒がいれば、問題児として扱われるかと思うのですが、たぶん、インドでは
このような「言いたいことは何でも言う」スタイルで授業を受けるのが常識なのだろうと思います。
 
「国際会議の名議長は、インド人を黙らせ、日本人をしゃべらせることのできる人物である」
というジョークがあるそうですが、そのようなジョークができる理由がよくわかりました。
 
そしてこの二人と一緒に授業を受けることによって、
「なんだ、私はもっと自由にふるまっていいのだな、気を使いすぎなくて良いのだな」と勉強になり、
人と話をするのがちょっと楽になりました^^。
 
 
インド人の二人を除くと、他の人達はかなり静かなのですが、パキスタン人、エジプト人の女性は、
比較的はっきりと言いたいことを喋ります。いいタイミングで、疑問に思ったことを質問します。
(ちなみにこの女性二人はイスラム教徒です。一緒に昼ごはんを食べにいったら、肉はチキンしか
 食べないと言いながら、結局野菜サラダしか食べませんでした。)

韓国人は「アジアのイタリア人」と称されることもあるようで、アジア人の中では、
はっきり自己主張をするほうだと思います。はきはきしていて、いつも元気なイメージです。
中国人の女性は、授業中は静かにしていますが、頭の良さそうな人です。

そしてカンボジア人、タイ人、日本人は、とても静かに授業を受けている・・・・ようです。

このようにいろいろな国の人と同じ空間にいると、他国の特徴がわかるとともに、
日本人の特性も自然とわかってきます。
  
そうして気付いたことは、個人差はあれど、たぶん世界でも日本人が最も「情」が
深いのではないかと思いました。他人の気持ちがわかるからか、ウエットというか、
情緒的・・・・という言葉がぴったりくるかもしれません。
日本人は個人よりも、まわりとの連帯感や「縁」をとても大切にします。

ドイツ語教室のクラスが終わった後も、少しゆっくりと授業の終わった余韻を楽しみながら
荷物を片付け、「せっかくだから一緒にごはんを食べにいこう」とまわりの人を誘うのは、
必ず日本人(あ、私ですね)です。
他の国の人は、誘われたら嬉しそうに来るけれど、自分から誘うことはなく、
ドライにサッサと帰っていきます。
 
 
先日主人の同僚のドイツ人たちとバーベキューをした際にもびっくりしたことがあります。
3時間ほど楽しく会話をして過ごし、「さぁ片付けよう!」と全員で別々に片付け始めました。
片付けが終わって、いざ元の場所に集合してみると、そこにはすでに誰もおらず、
全員帰った後でした(笑)。
 
「じゃあね、バイバイ」の言葉もなく、すでに解散しているドライさには、
「さっきまでの楽しい会話はなんだったのか」とかなり寂しく感じたほどです。
相手が見えなくなるまで見送りをする・・・・という習慣は、たぶん日本人以外には
理解ができないことなのだろうと思います。
 
日本人以外がいかに個人主義でドライか、という例は他にも挙げればキリがないのですが、
これが世界では普通のことなんだな、と思いました。
それはたぶん文化の違いで、ドライだからといって愛情が足りないと解釈するのは、
また違う話なのだろうとも思います。

たんなる常識の違いでいちいち傷ついていては、こちらは身が持ちません^^。
世界の人々のドライさを認めつつ、日本人としての情の深さは忘れずに、
お互いを思いやりながら過ごしていきたいと思っています。
                                              (5月20日)
 
 
super c.JPG
写真は、ドイツ語教室が行われているアーヘン工科大学の建物、名づけて(Super C)です。
横から見ると、C の文字に見えるので、スーパーC なのだそうです。
 
 
以下は、文章とは関係ありませんが、アーヘン中心地からバスで30分、
Kornelimunster という村で旧時代祭り・・・のような催しがあった際の写真です。
 
kornel1.JPG
骨董品屋さんや、お土産屋さん、各種食べ物屋さん、からくり屋敷や魔術師、占い師、
移動式メリーゴーランドや観覧車など、楽しい出し物がたくさんです。
(ちなみにドイツの屋台でも、日本のお祭り屋台同様に綿菓子とリンゴ飴がありました。
 いったいどこの国の誰がはじめに考えだしたものなのでしょうね。)
   
   
kornel2.JPG
観覧車の一つの椅子には、四人くらいで立って乗る人もおり、それは重量オーバーで
は?と思いました。
けっこうな高速でぐるぐると回り続けるため、怖くて乗れず・・・・。
  
  
kornel3.JPG
かなり年代物のような手押し車で心地よい音楽を奏でるおじさん。
音楽にあわせてサルや人形が絶妙な動きをします。
ちなみに金のお椀部分にお金を入れると、右側のサルに突然オシッコ(水)をかけられました(笑)。

アーヘンにメルケル首相がやってきた

こんにちは。にんげんクラブドイツ在住のこだまゆうこです。
5月13日(木)は、ドイツは「キリストの昇天祭」だそうで、祝日でした。

このような祝日や日曜日は、キリスト教徒の人々は教会へと行くのだそうですが、
キリスト教徒でない私たちからすると、いろいろなお店が閉まってるため、やることのない暇な一日です。
 
ここ最近の休日は、連日お天気も悪くてとても寒いので、これといって観光をしたい気持ちにもならず、
家で読書やドイツ語の勉強をしたり、インターネットを見たりして過ごしています。

せっかくの祝日だけど、寒いし天気も悪いなぁ、と何気なくお昼にテレビをつけると、
キリストの復活を祝う式典の生中継がいくつかのチャンネルでされていました。
 
(こちらのテレビで気付いたことは、このような式典を生中継やニュースで放送する番組が
 かなり多いことです。ローマ法王が登場する映像は何度見たかもわからないほどだし、
 日本と比べるとかなり宗教色が濃いのだなぁと思います。)

さらにチャンネルを変えていくと、ドイツのメルケル首相がどこかの式典でスピーチをしています。
毎日のようにギリシャの経済問題でメルケル首相の顔をテレビで見るので、
一国の首相ともなると、あたりまえだけれどさぞ忙しいのだろうなぁ、寒いのに大変だろうなぁ、
などと余計な心配をしていました。
 
しばらくそのチャンネルをつけていると、ふと主人が「ねぇ、後ろにアーヘンって書いてあるよ。
もしかしてこの式典は近所で行われているのでは?」と、気付きました。

あっ、本当だ!これは旧市庁舎の建物の中だ!と気付いたが早いか、
さっきまでの暇人モードはどこへやら・・・、寒いから外に出たくないという主人を
無理やり連れ出して、我が家から徒歩20分の旧市庁舎のある市内中心部まで行ってみました。
 
 
旧市庁舎へ着いてみると、タイミング良く、ちょうど室内での式典が終わり、
外の特別ステージにメルケル首相が登場するところでした。
 
結局何の式典だったのかというと、カール大帝賞の受賞式に、今年はポーランドの
首相であるドナルド・タスク氏が選ばれ、そのお祝いということでした。
 
メルケル首相や、ドナルド・タスク首相、そしてアーヘン市長などがスピーチをし、10分ほどで
特別ステージのご挨拶は終わり、しかも何を言っているかはさっぱりわからなかったのですが(笑)、
こんな小さな街で、二カ国の首相が集っている場に遭遇できて、なんだか楽しい気分でした。
 
SPの人達や、警察、マスメディアの人たちが忙しそうに(?)(首相が来ているわりには、
かなりのんびりしていましたが)仕事をしている姿も、なかなか面白いと思いました。

外の会場での挨拶が終わり、首相たちが移動する際には、別に人をおしのけたとかではなく、
どうせなら近くで顔が見てみたいなぁ、と人の流れに沿って進んでいたら、ポーランドの首相と
私との距離は、わずか二メートルくらいになりました。
 
怪しげな東洋人の私でさえ、この距離まで近寄れます。一国の首相が群集の中を歩く際には、
テロリストのことなどを考えてもっと厳しい警備体制が敷かれるものだと思っていたのですが、
それらはかなり緩やかな警備でした。

首相はテレビのインタビューに答えたり、地元の人々と握手をしたりしながら
ブラブラと歩いて余裕の笑顔です。
アーヘンののんびりした雰囲気とともに、一国の首相も当然ながら
一人の人間なのだなぁと暖かさを感じました。
 
(ちなみに、五年ほど前にクリントン元アメリカ大統領が同賞を受賞した際には、
 街は大騒ぎで、非常に厳重な警備だったそうです。歩いているだけで、
 IDカードを見せろと多く人が言われたそうです。)
 
 
さて、外の特別会場では、この日のために天候の悪い中、いくつかの食べ物屋さんなどの
出店がありました。首相がいなくなったと同時に、その場の人々はワラワラとそれらの出店へ
引き寄せられ、思い思いにビールやワイン、ソーセージやクレープなどを食べて楽しんでいました。
 
私たち夫婦も、首相に会ったことなどすっかり忘れてクレープとワッフルを食べ、
お祭りのような雰囲気を楽しみました。これもまた、人間らしさというものでしょうか。

なんだか日記のような、とりとめのない文章となってしまいましたが、
ドイツの日常を感じていただけましたでしょうか^^(笑)。
五月のキリスト復活祭のある一日の一コマでした。               (2010年5月14日)
 
 
 
sityoushaura.jpg
旧市庁舎裏側の特設ステージでスピーチがありました。
 
 
merukerusan.jpg
かなりわかり辛いでしょうが、真ん中の女性がメルケル首相です。

日本人とドイツ人はどちらが綺麗好き???

こんにちは。にんげんクラブのこだまゆうこです。
アーヘンに来てから一ヶ月が経とうとしています。

ドイツに来る前、いろいろな人からドイツについて聞いた情報は、
「ドイツ人はとても几帳面で綺麗好き」ということでした。
 
沖幸子さんという方の書かれた『ドイツ流 掃除の賢人』という本では、
窓の掃除をしなければ、大家さんが怒りに来るという話や、
スルメを焼いたら「何か犯罪の行われている臭いがする」と、警察に通報された話、
ゴミを出したらそのゴミに香水をかけられた話など、ドイツ人の綺麗好きなことに関して、
びっくりするような話がいっぱい出てきました。
 
そのような事前知識があったため、整理整頓が上手でない私は
「ドイツ人が怒りに来たらどうしよう」と、はじめの一週間くらいはかなり緊張していました。

しかしながら、その心配は杞憂だったようです。
それというのも、私たちがドイツに滞在するのはわずか一年。
駅の近くの、家具付賃貸アパートを借りて住んでいるので、
同じアパートに住んでいるのは、同様に短期滞在の外国人か、もしくは学生さんだったからです。
 
(ちなみにドイツでは、教会を中心に街がつくられています。
 かつて汽車は「不浄なものを運んで来る」と思われていたそうなので、
 駅周辺はあまり栄えておらず、良い場所だとは思われていません。
 「駅の近くは一等地」と認識している日本人の私には、とても便利な場所だと思えるのですが^^。)

ドイツの家では昼間にレースのカーテンをかけない家が多いため、
窓の外の向かいのアパートには、整理整頓のされていない部屋がいくつも見えます。
まわりと自分とを比較して安心する、というのはあまりよいことではありませんが、
とりあえず我が家が汚くて突然誰かに怒られることはなさそうだと安心しています(笑)。
 
  
ドイツ語もまだ喋れず、このような環境に住んでいるため、
まだ綺麗好きの生粋のドイツ人とは親しい交流がありません。
そのような私の目から見て、ドイツ人と日本人の綺麗好きについて、を論じたいと思います。
  
まず美的感覚、アートに関しては、今のところドイツ人のほうが圧倒的勝利です。
これはアーヘンが美しい街だから、というのもあるでしょうし、個人的な見解なので
多少の偏りがあるとは思います。
日本でも、京都などの世界に誇る美しい町がたくさんありますので、地域差もあるでしょう。
 
そのような地域差をなくして、全体を評価した場合は、やはりドイツ人のほうが
美的感覚が優れていると思います。これはおそらく、まわりの環境に調和しない建物が
建てられないことや、都会が一点に集中せず、自然が多いことなども関係していると思います。

ちょっとした商店などに入っても、店内には必ず絵画などのアートが飾られており、
売り物が芸術作品のように魅力的に並べてあります。
街には八百屋さんのように絵画を売る店がたくさんあり、人々の生活と、アートがなじんでいます。
 
日本で銀行というと、なんだか事務的な空間のように思えるのですが、ドイツ銀行では、
プリンターやシュレッダーなど、生活感のあるものは、すべて背の低い棚の中に隠され、
大きなモダンアートが飾られたガラス張りの待合室やロビーがあり、その美しさに
びっくりしてしまいました。
 
そのような美的感覚は、一朝一夕でできるものではありません。
おそらく、毎日のように掃除をして、生活感をなくして、美しいものを愛でる気持ちがなければ、
作れないものだと思います。
そのように思うので、やはりドイツ人は基本的に綺麗好きなのだろう、と思います。
 
 
一方「衛生」という面では、日本人がだんぜん優れていると思います。
ドイツ人の美的感覚については絶賛する私ですが、衛生面では多少理解のできないこともあります。
(以下、少し汚い話になりますが、ご容赦願います。)
 
それは、日本に比べると道のいたるところに、ワンちゃんの落し物・・・がたくさんあることです。
あれれ?アーヘンはなんだか犬の糞が多いかな?と思っていたら、ベルリンでは
一日の犬の糞の量がなんと16トンにもなると『「あっ、そう」ドイツ・暮らしの説明書』
(フィッシュ三枝子著)という本に書かれていました。
 
16トンというと、かなりの量です。これでは掃除をする人も大変だし、
常に足元に気を配りながら道を歩かなければなりません。
町にたくさんの「のら犬」がうろついているわけではないので、
犬の糞については無責任な飼い主が多いということだと思います。
 
ドイツで犬を飼うには犬の税金を払わねばならないので、
「国にお金払っているのだからいいでしょう?」と思う人が多いことも関係しているだろう、
と本には書かれていました。
 
お隣の国、フランスのパリでは、19世紀の半ばくらいまで道端には
犬ならぬ人の汚物が窓から捨てられ続けていたそうですから、
現在のヨーロッパ人が犬の糞にまで気を配らないのは、仕方がないことなのかもしれません。
 
とはいえ、そのような道を歩いた土足で家の中を過ごす生活習慣には、
やはり日本人としてはあまり理解ができません。
 
(また、補足ですが、ドイツ人はカバンに対する認識も、靴と同じような感覚で捉えているようです。
 日本人は案外カバンを大切にし、綺麗な床に置くことも嫌う人が多くいますが、多くのドイツ人は
 道端や土の上にも靴のように平気でカバンを置きます。
 トイレの床にもハンドバッグを置いている人がいるのを見て、びっくりしました。
 (ドイツの公衆トイレは扉の下の部分が開いているので、中にいる人のカバンや足などが見えます。)
 そのような認識の違いのため、ドイツのレストランなどでテーブルの上に何気なく
 ハンドバックを置くことは大変失礼なことのようです。旅行に行った際にはお気をつけください。)
 
現在では、主婦の労働を減らすために、家の中では靴を脱ぐ、
もしくは家専用の靴(スリッパ?)に履き替えるドイツ人も増えてはきているそうです。
 
このように、ドイツ人と日本人の綺麗好き感覚は、今のところ一長一短で、
どちらが優れているとも言えません。
 
 
科学者であり画家であり、哲学者でもある五井野正先生によると、
ゴッホやモネなど印象派を代表するヨーロッパのアートの流れは、もともとは、
日本の江戸時代を真似したものだそうです。
 
彼らはかつて、美しい日本の町並みや浮世絵のすばらしさに憧れました。
今の日本人は、そのようなアートの心を忘れてしまっているように思います。

日本人全体がアートの心を取り戻すのが先か、ドイツ人全体が家の中で靴を脱ぐのが先か、
どちらが先に達成されるかはわかりませんが、双方が、お互いの良い部分、長所を学びあい、
真似しあう、柔軟な成長をしていけばいいな、と思っています。
 
私もせっかくドイツへ来たのだから、もっとアートに興味を持って、
ドイツ人の美的感覚を学んで帰りたいと思っています。                (4月30日)
 
 
   
bon.jpg
文章と関係ない写真ですが・・・旧西ドイツの首都、ボンの町並みです。
 
 
bon beethoven.jpg
ボンはあのベートーベンの生まれた町だそうです。
 
 
beethoven house.jpg
こちらはベートーベンの生まれた家。わりと天井が低かったです。
(ドアの高さは170センチくらい)
昔はドイツ人も、そんなに大きくなかったのですね。

「楽しい友達づくり」

こんにちは。にんげんクラブのこだまゆうこです。
ドイツに来て三週間が経ち、人見知りな性格の私にも、ようやく友達が出来始めました。

船井会長から、「人脈は大切だよ」という言葉をいつも聞いていたのですが、
プライベートではどうも、自分から友達を作ることが苦手でした。
 
それというのも、一人で行動するのが案外好きだし、家で本を読んでいる時間が
極上の楽しみだし、それからちょっと霊媒体質なのか、慣れない人としばらく話をすると
疲れてしまう、という特性があったからです。

日本にいた頃は、家族以外では、仕事でご縁のある人か、船井本社の皆様としか会話を
していなかったのですが、皆信頼のできる人たちなので、私にとっては十分に満たされていました。
 
 
ところがドイツに来て、電話もない、ネットも繋がらない、知り合いはいない、読む本もない、
言葉はさっぱりわからない・・・・という状況に置かれてみると、さすがに人恋しくなってきます。
 
唯一の会話相手は主人だけですが、もっぱら私は聞き役です。
大学の仲間たちと今日はどんなおいしいランチとケーキを食べてきて、どんな充実した研究ができて、
どれだけ楽しい一日を過ごしてきたか、という主人の自慢話も、笑って聞けなくなってきました(笑)。
 
(『話しを聞かない男、地図が読めない女』という名の本がかつて流行りましたが、実際に私は
地図を読むのが苦手だし、本当にそうだなぁ、と思っています^^)
 
 
これではいかん!と思い立ち、重い腰をあげて友達を作ろうと決意しました。
 
そこで、先日開かれたアーヘン工科大学が主催する「女性のためのドイツ語の語学教室」で
隣あわせた女性に、「もし時間があったら、お茶でもどうですか?」と誘ってみると、快く友達に
なってくれました。
 
彼女は四ヶ月前にタイから来た女性で、アーヘン工科大学でポスドク(契約研究員のような職業)を
しているそうです。
 
この語学講座は、主に外国からアーヘン工科大学に来た研究員の妻たちのために開かれた
講座なのだそうですが、研究員自ら講座に来るのは、おそらく珍しいケースだと思われます。
 
彼女とはお茶を飲んだ後も、後日我が家に夕食に招いたり、彼女の研究室を案内してもらったり、
大型スーパーでの買い物の仕方を教えてもらったりと、良い交友関係が続いています。
 
久しぶりに新しい友達を作ったことで、言葉のわからない国で、女性が一人で研究に来るとは
たくましいなぁ、と感心するとともに、私もいろいろがんばらねば、と元気づけられました。
 
家で本を読むのもいいけれど、やっぱり人は人から学び、影響を受けるものなのだな、思いました。
船井会長の言う人脈の大切さを、あらためて感じました。
 
 
ところで、久しぶりに自分から友達づくりに積極的になってみたことで、気付いたことがひとつあります。
現在では友達づくりが苦手・・・・と言っている私ですが、船井本社へ入社する以前は
かなり友達(知り合い(?))が多いほうでした。
 
派手好きで遊び好きだったために、いろいろな人たちと交流がありました。
当時の私は、学校や語学教室のような一定人数の集まる場所へ行くと、服装などの外見が最も
魅力的で、人相が良くて面白そうだと思う人を自分で選んで、積極的に声をかけていったものです。

ところが今になって友達を作ろうと思ったときに、誰と友達になりたいか、まったく選ばない
自分がいました。友達を作りたい!という自分の思いは持ったので、後は天の流れに従うだけです。
 
私にとって最も身近で、最も話しかけやすい場所に偶然隣り合わせた女性に、自然に声をかけました。
おそらくかつての私だったなら、見た感じがおとなしそうな彼女に自分から声はかけなかったでしょう。
 
人を見た目で判断して選り好みするよりも、天は私にとって必要な人を必要なところに
配置してくれるだろうと信頼しているので、そのように行動をとれるようになったのです。
結果的に、彼女はとても魅力的な女性でした。

昔とは違う、このような友達の作り方が正しいのかどうかは、私にはまだよくわかりません。
しかしおそらく、今後も私は無理をせず、このような自然な形での友達作りをしていくだろうと
思っています。
 
そしてそのような自然な考えができるようになったことは、私にとって嬉しいことで、
気付かせていただいたことに感謝しています。                  (2010年4月23日)
 
 
 
03_DSCF4005.JPG
(アーヘン大聖堂の近くにある旧市庁舎。
 写真には写っていませんが、手前の広場にはカフェが賑わいます。)

「待たされるのが、当たり前?」

こんにちは。にんげんクラブのこだまゆうこです。
日本の皆様、お元気でいらっしゃいますか?
現在、アーヘンに来てからもうすぐ二週間がたとうとしています。

ドイツに来て気付いたことのひとつは、諸々の事務手続きなどは、
とにかく待たされるのが当たり前・・・ということでした。

いざ自分の順番が廻ってくると、非常に丁寧に対応してもらえるのですが、
その順番を待っている間が、日本人としては少し辛い(笑)。
市役所に行っても1,2時間は当たり前のように待たされ、何かと手続きは一日仕事です。
 
ちなみにインターネット回線を家にひく手続きには、3週間ほどかかるらしく、この原稿も
ネットカフェからお送りしています^^。(もしここ数週間に私宛にメールをくださった方が
いらっしゃいましたら、まだ確認ができていません。ごめんなさい。)
 
 
待たされることについて、面白いな、と思ったのは、銀行口座を作りに行ったときのことです。
 
ちょうどお昼少し前に銀行に行ったのですが、預金の振込みなどで5、6人の列が出来ていました。
 
私たちの順番が廻ってくると、「口座を作るのだったら、ちょっと今は忙しいので、
二時半にもう一度来てください。」と言われました。いろいろ準備があるのだろうな、と思って
再び二時半に行くと、別室に通され、コーヒーをいただき、およそ一時間をかけて、とても丁寧に
対応してもらえました。
 
待たされるだけあって、親切だなぁ、なんだか優雅だなぁ、などと思ったものですが、
さて、後からよく考えてみると、「二時半にもう一度来てね」、というのは、銀行の人が
ランチを食べる時間が必要だったのか・・・、と思い至りました。
 
  
こちらでは、一日の食事の中でランチをとても大事にするようです。
多くの人は1時間〜2時間ゆっくりとランチをとっています。
しかも、3時からはケーキと共にティータイム(笑)。
 
定時になったら残業をせずに家に帰り、家族とともに夕飯を食べる人が大半だそうです。
夜遅くまで残業をする人は褒められるのではなく、仕事病で頭がおかしいと思われてしまうそうです。

これでは、インターネット接続の手続きに三週間かかっても、あまり不思議ではありませんね(笑)。

そうかといってドイツの人が働かないということではなく、仕事の時間は雑談はせず、
日本人が驚くほどの集中力で働くのだそうです。
休むときは休む、働くときは働く、と、きちんとしたリズムがあるようです。

なるほどいいシステムだな、と思うと当時に、もう少し融通が利いてもいいんじゃないか、
とも思ってしまいます^^。                              (2010年4月13日)
 
 
 
(下記は2010年4月20日加筆)
 
ちなみに・・・・・、携帯電話の手続きには1週間、インターネット手続きには3週間かかると
言われましたが、携帯電話の番号の入力されたICチップが届いたのは、2週間後でした。
(ドイツでは、契約後に個別の番号と個人情報の入力されたICチップを受け取ってから、
携帯を買いにいくというシステムです。)
 
ICチップがやっと届いたと思って手紙とチップを持って携帯電話機を買いに行くと、
「このチップに入力された番号はなぜかほかの人が使っているから、本社に電話をかけて、
もう一度手続きをしてもらわないとダメだ」と、先方の間違いなはずなのに門前払いを
されてしまいました。
 
言葉のわからないアジア人が、怪しげな手紙とチップを持ってやってきた・・・と
思われたのかもしれません。日本でも有名な大手の携帯電話会社なのですが、
その対応の違いに唖然としています。

これでまた、携帯電話の手続きは振り出しに戻ってしまったのですが、
はてさて私が携帯電話を持てる日はいつになるやら・・・・。
 
いろいろと思い通りにいかないことはありますが、すべての出来事は自分が
引き寄せているのだということを肝に銘じて、怒らず焦らず、楽しい日々を過ごしたいと思います。
 
 
02_DSCF3991.JPG
(アーヘンの街のいたるところには、かわいい噴水があります。)

挨拶の国ドイツ

こんにちは。にんげんクラブのこだまゆうこです。
2010年4月から1年間、主人の仕事の関係で、ドイツのアーヘンという町に住むことになりました。
 
たった一年という短い間ではございますが、ドイツでの気付きやドイツの良さ、
はたまたドイツのスピリチュアル事情など、ジャンルを問わず、お伝えしていきたいと思います。
 
 
まず、第一回目のレポートは、ドイツは「挨拶の国」ということをお伝えしたいと思います。

ドイツというよりもこれは欧米全体の文化なのかもしれませんが、
こちらはとても挨拶が徹底しています。
 
たとえば、ショッピングでお店に入るとき、ちょっと見るだけ・・・という場合でも、
お店の人に「こんにちは」と挨拶をしてから入らないと、失礼にあたるそうです。
 
出るときも同様に、「どうもありがとう」もしくは「また来ますね」というような挨拶をして出ます。
ちょうど日本でのお客様と店主との立場が逆転していると考えていただくと良いかもしれません。
 
日本では、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と、入れば自動的にお辞儀とともに
挨拶をしてもらえますが、これをお客様が自ら行うのが礼儀のようです。

スーパーのレジに並んでも、すべての人が「こんにちは」「ありがとう」を必ず言います。
 
そしてレジの人は、椅子にすわったままレジを打って、その合間にたまにマグカップに
入ったコーヒーなどを飲んでいます。
 
なんだかとっても横柄な態度ようにも見えるのですが(笑)、のびのびと仕事をしているし、
挨拶のたびに、ニコニコ、イキイキとしているから、こちらのシステムのほうが人間らしくて
いいかもしれないと思いました。(ちなみに大型デパートの店員さんは、あまり愛想がよくありません。
来るお客さんの多さによっても対応は違うのかもしれません。)
 
日本のレジ係の人は、立ちっぱなしで一生懸命「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と
驚く速さでレジを打っていきます。
 
効率という点では100点ですが、人間らしさには欠け、ちょっとしんどそうに見えます。
お客様と目を合わせて挨拶をする人も少ないし、それはお客様側でも同じです。
 
 
日本では、「お客様思考」が徹底しているのは良いことだと思いますが、
「お客様は神様です」というような言葉があったように、サービス業の人は、
ちょっとお客様に気を使いすぎな部分もあるのかもかもしれません。
 
そしてお客様もその習慣に慣れすぎています。
「お金を払う人間が偉いんだ」、「こちらは客でお金を払っているのだから」といった考えから、
常識に反するクレームをつけたり、失礼な行動をとる客が増えています。
 
「お客様は神様です」というのは、お店の人が言う言葉ではありますが、お客様の側でも、
自分に神様として扱われる資格があるかどうかを問う言葉でもありたいものです。
 
 
こちらアーヘンでは、滞在一週間の今のところ、昼間に見た感じでは、
暗い顔をしてふさぎこんでいる人はあまりいないようです。
 
日本の通勤ラッシュでは、たいてい皆暗い顔をしていますが、こちらでは街行く人々の多くは
イキイキとして、微笑んでいます。
人口が少ないということもあると思いますが、その理由の一つは、挨拶が徹底している、
ということにもあるのかもしれません。
 
 
「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」これらは文化の違う世界の中で上手に生きていくために、
大切な言葉です。また、「まいど」「もうかりまっか?」「ぼちぼちでんな」といった大阪商人の挨拶は、
いざ外国に来てみると、世界に通じる大切な挨拶だったのだなぁと感じました。

日本の都会で挨拶をするのはなかなか難しいかもしれませんが、ぜひ身近なところから、
勇気を出して挨拶の習慣をはじめてみてはいかがでしょうか^^。         (2010年4月7日)
   
 
DSCF3990.JPG
(写真は、アーヘンの中心にあるアーヘン大聖堂です。)

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