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夫婦の日常会話

こんにちは。すっかり秋の空気ですね。
私は季節の中で秋が一番好きです。
涼しくなってきて、夕方にはちょっぴり切ないような寂しいような気持ちになる
秋の空気の香りを嗅ぐと、ああ、秋だな~と思います。


秋になってたけちゃんの幼稚園選びがいよいよ本格化してきたのですが、
近所の大きな幼稚園が今年度いっぱいで閉園になることがわかりました。
この幼稚園はバス通園もできて、園庭もあって、園児もいっぱいで人気の幼稚園だったのに、
突然なくなってしまうということで、近所の子持ちのママたちに動揺が広がっております。

たけちゃんはその園に行く予定はなかったのですが、
たけちゃんの第一希望の園の近所にあるその園がなくなるので、
第一希望の園の希望者が例年よりも増えそうです。

どの園も、ここがいいけど、ここはちょっと・・・というように、
特色が一長一短あって、なかなかこれ!と園が決まりません。
いっそあみだくじで決めるか?いやいやうーん、それはダメでしょ、となるくらい決まりません。
特に今年からは、コロナ対策についても考慮しなければならないので、
悩ましい項目は増えています。

自分の大学や進路を選ぶ時には全然考えずに適当に決めたのに、(←昔の私、もっと考えよう)
子どものことになると、こんなにも悩ましいものなのですね(笑)。

======================

全然話は変わりますが、昨日こんなことがありました。

夜に、夫、私、こども、とそれぞれ自分のスマホやタブレット端末を持って、
それぞれがそれぞれの見たい画面を見ていた時のこと。

突然夫が私に向かって、
「第二世代と第四世代では、全然違うんだな」
と話しかけてきました。

そして、当然スムーズな返答が返ってくると信じた目で、私を見つめてきます。

それまで自分のスマホで自分の好きな記事を読んでいた私は、
夫が何を言っているのかさっぱりわかりません。

こういう時にすぐに答えられないと、夫は機嫌が悪くなることがあるので、
何のことだろう?スマホのこと?AIのこと?
それとも、たけちゃんの世代と私たち世代の脳の構造のこと????
などと瞬時に考えをめぐらしましたが、やっぱりわかりません。

ということで、
「何が?」
と聞き直しました。

すると夫は、
「標準装備」
とだけ答えます。

ますます意味がわかりません。

さすがに若干イラついて、
「だから何が?」と重ねて聞き直すと、
「〇〇〇」と、
ある軽自動車の車種の名前を言うのです。

全く脈略もなく車の名前を言われたので、そんなもん主語もなくわかるかボケナス~!!!
連想ゲームでも何でもないわ!!とものすごく腹が立ちました。

「主語もなく突然そんな会話してわかるわけないでしょう!」と怒って言うと、

「俺は今この車のCMをスマホで見ていたんだから、
 音が流れているし、当然おまえもこのCMを聞いているだろうと思って・・・」

「何でおまえが見ているスマホのCMの音まで把握せにゃならんのだ!
 最初に何がって聞いた時点で聞いてないこともわかるでしょ!会話が雑にもほどがある!!」

と、普段は使わない「おまえ」という単語が出てしまうほどに、
イライラして怒ってしまったのでした。

この程度のことで、そんなに怒ることないでしょう、と読者の方は思うかもしれませんが、
10年間、365日、こういう会話が繰り返されて、一向に改善されることもないので、
ものすごく腹が立つのです。

「ごめん、主語がなかったね、以後気を付けるよ」
とか夫から言ってもらえるならばいいのですが、

「おまえの推理力がないだけだろう。」

と、あくまで悪いのは俺様の会話を連想できなかったおまえ、というスタンスです。

案の定この時も、「おまえの行間を読む力が足りない」と言われました。

まあそもそもが、主語をきちんとつけて、
〇〇〇の標準装備は第二世代と第四世代で全然違うね、
と話しかけられたとしても、車にたいして興味のない私としては、
「ふーん、そうなんだ」
と答えただけで会話は終わったでしょうから、
主語がわからなくてもふーん、だけ言っておけば良かったのかもしれませんが、
それをしてしまうと、もう夫婦として人間としての会話はすべて成り立たなくなってしまいます。

たけちゃんが同じことをしても、2歳児なので腹は立ちませんが、
40過ぎたおじさんに同じことをされると、
腹は立つものですね(苦笑)。

いつもは夫はそういう人だから、とあきらめて私は泣き寝入り?していますが、
公平性を保つために、今日は会話をそのままブログに書いてみました。

自分がされて嫌だったことでも、人の家の会話だったら、
楽しく読むこともできるものですよね。

この会話を読んで、ああ、我が家でもこういうこと、あるある、などと、
クスっと笑っていただければ嬉しいです。

少し 心配です


 いつの間にか秋にも連休が設定されるようになりました。
個人消費がGDPの6割以上を占めるようになった日本の
景気刺激策としては正しい政策なのだと思います。

半分仕事、半分遊びで大阪と岡山に出かけています。
ちょっとうれしかったのは、
大阪の繁華街の人手がかなり出てきたこと。
友人の出路雅明さんが経営しているムモクテキカフェ
大阪店に行くのが目的でしたが、
結構長い時間並んで皆さん入店され、
完全ベジタリアンの健康で美味しい食事を楽しんでいました。


 その後、最近興味を持っている「十種の神宝」
(この話は例えばこのDVDで話していますし、
10月4日羽賀ヒカルさんとのコラボセミナーでも少し話すつもりです)
のことを教えてくれる友人と会うために
あべのばしに行きました。
私は生まれてからの数年の幼少期を
あべのばしをターミナルとする近鉄南大阪線沿線で過ごしたので、
あべのハルカスができて様相が一変してしまいましたが、
あべのはソウルタウンとも言える街になります。


 ムモクテキカフェの大阪店は
梅田から徒歩15分ぐらいのところにある、
若い人が増えているおしゃれな街ですが、
お店が街の風景に完全に溶け込んでいるのは
さすがだと思いました。
早朝に東京を出るときは雨模様でしたが、
大阪はいい天気で
みなさん連休を楽しんでいらっしゃる様子に
とてもホッとした気分になりました。

 新幹線も満席というわけではありませんが
50%以上の乗車率で、
一時に比べればかなり回復してきている様子です。
いつもすごいなあと思うのは、
高速鉄道にも関わらず
ピークには3分毎に列車が発着していくこと。
今回は品川駅から乗らせていただいたのですが、
ほとんど遅れることもなくこれが運行されているのは、
まだまだAI(人工知能)では難しい、
日本人の職人芸のなせる技なんだろうなと感じています。

 経済活動はコロナ前の7割にしか戻らないだろうという
予想をされる方が多いし、
私もそんな気もしますが、
どちらにしても多くの人が街に出てくれることが、
いまの時代は景気刺激の第一歩になることが
感じられるいい連休になりました。


日本はモノづくり大国ですが、
残念ながらいまの経済構造を見ていると
それではこれ以上豊かになれません。
ライフスタイルを満足させるだけの個人消費が経済の鍵になり、
コロナ禍でここを担っている企業が一番大変な目に遭ったことは、
景気にとっても大きな痛手になったと言わざるを得ないと思います。


 ここからは完全に私の個人的な意見ですが、
東京よりも大阪や京都の方が
ライフスタイル消費は分かりやすいと思います。
東京は少し格好をつける文化があるのですが、
関西の若い人は好きなことがはっきりしていて、
個性を出すことに躊躇がありません。
これが、中国の人をはじめとする
インバウンドのアジア人旅行者の支持を得ていたのだと思いますが、
インバウンドが戻ってくるのはやっぱり時間がかかるので、
その間をどうしのぐかが経営的には大切なポイントになります。


 そう考えると、東京なら高価格戦略が取りやすいのですが、
その辺にとても厳しい関西では工夫が必要なのだろうと思います。
ただ、逆に言うとそれが参入障壁になって、
東京で成功しているお店が関西に進出しても
なかなかうまくいかない原因になっていて、
だから大阪発の文化が東京で花開くケースが
多くなるのだと思います。
ちょっと気をつけないといけないのは、
東京に進出すると根本的な良さまで
変化してしまうケースが垣間見られることです。
自社の強みの本質的な把握が大事なことなのだと感じます。


 ただ、ちょっとだけ思い出すのは
ちょうど半年前の春分の日の頃に、
コロナが収束したような雰囲気になり
お花見の人出が増えたことで感染が拡大してしまったこと。
当時と違って、街ゆく人のコロナを防止するための意識は
かなり高くなっていることが感じられますが、
どうしても接触機会が増えると
確率的には感染者が増えていくことになります。
半年前の経験を活かして、
その事態に社会としてどう対処するかが大事ですね。


 今回も本格的な収束までには至らない可能性が
高いとは思いますが、少し時間が経ってから振り返れば、
私たちはウイズコロナ日常にうまく対処していけるのだと思います。
冷静にどんな事態がやってきても対処できる心構えをして、
自粛警察のようなことをして
互いに傷つけあわないように気をつけながら、
クレバーに1年で一番豊かなシーズンを楽しみたいと思います。


 今日は、これから岡山の山間部の村で
稲刈りをさせていただくことになっています。
東京からコロナウイルスを持ってきたと言われないように
十分に注意して楽しませていただきたいと思っています。


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イヤイヤ期本格到来

こんにちは。すっかり朝夕は秋の気配が感じられますね。

たけちゃんは2歳9ヶ月になりました。

2歳といえば、世に言うイヤイヤ期といわれる時期です。

今まで、子育てブログやコミックエッセイなどで、
イヤイヤ期がいかに大変か、という内容をよく読んでいたのですが、
うちのたけちゃんはイヤイヤとは言うけれど、まあ大変は大変だけど、
さほど大変じゃないらしい・・・・・と、勝手に親バカで感じていました。

だけど、最近になってようやくイヤイヤは本格化し始めたようで、
夜中に突然起きては、ギャン泣きで暴れまくったり、
夕方機嫌が悪くなったら、何をしても泣いて暴れて手がつけられなくなったりで、
どう接してよいのかわからないときが多々あります。

何をしても無駄なので、
エネルギーを出し切るまで、ひたすら見守ることに徹しています。

その声量たるや、赤ちゃんの頃とは比べものになりません。

ああ、これが、これこそが、イヤイヤ期か・・・・
うちにもようやく到来したか・・・・・

と、エネルギーを連日吸い取られながらも、
絶えております(苦笑)。

このイヤイヤは家で発動してくれるにはいいのですが、
もしも外出時に爆発してしまったら、
相当やっかいだろうな・・・・と思っております。

そんなこんなで、外出の際には、
どうか機嫌良くいてくれますようにと、祈るような気持ちでおります。

ところでたけちゃんは、来年からようやく幼稚園です。
幼稚園に行くようになったらガンガン働くぞ〜!!と、
意気込んでおりましたが、
コロナの影響で幼稚園も分散登校となったり、
預かり保育が中止になったりと、
なかなか今年は大変だったようです。

私も去年いろんな幼稚園を見学に行きましたが、
今年もまた一から幼稚園も再検討しております。

どこの幼稚園にもそれぞれ特色があって、
なかなかこれ!と選ぶのは難しいですね。

仕事も子育ても、私にとっては無くてはならない大切なものです。
後悔の無いよう、じっくり選びたいと思います

第2回「高松塚概要と北斗八星が描かれていなかった真実」

第2回 
「高松塚概要と北斗八星が描かれていなかった真実」

1.高松塚古墳概要
2.北斗星(八星)が描かれていないことの真実
    ・・・高松塚古墳の本義・動機を表現している

1.高松塚古墳概要


高松塚古墳壁画の発見は、当時の人々を熱狂させ、大興奮を
巻き起こしました。そして、多くの学者、作家が意見を述べ、
被葬者についても言及しました。
◎発見日時・場所・当時の状況
昭和47年(1972年)3月26日、奈良県明日香村の高松塚古墳
を発掘調査していた奈良県橿原(かしはら)考古学研究所は、
男女の群像や四神が、石室の壁面に描かれていたと発表しました。
当時のマスコミは、< 日本考古学界の戦後最大の発見 >と、
大々的に報道したのです。

藤原宮の中心部分から真南に向かった方位に、天武・持統(じとう)
陵があります。
この軸は、いわゆる「聖なるライン」と呼ばれています。
このラインから西方には、天武天皇ゆかりの天皇、皇子、臣下たち
の墓が存在します。
この地域は、天武天皇の「陵園(りょうえん)」ともいわれています。

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◎築造年代と古墳の大きさ
7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳で、
直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳です。
石槨(せっかく)・・・長さ2.65m、幅1.03m、高さ1.13m。
凝灰岩の切石。漆喰(しっくい)が塗られ、その上に壁画を描く。
出土の乾漆棺(かんしつかん)片は、長さ1.94m。
「高松塚壁画館」にそのレプリカがありますが、誰もが、墓室内の
空間の狭さに、驚いてしまいます。
そして、狭い空間で壁画を描いた苦労が分かります。

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◎壁画
石壁の表面には約5ミリの真っ白な漆喰(しっくい)が塗られていて、
その壁面には、7色以上を使った豪華な絵が描かれています。
北面は玄武(げんぶ)、東面中央には青龍(せいりゅう)と太陽が、
西面中央には白虎(びゃっこ)と月が描かれています。
なお、築造当時、南壁には朱雀(すざく)が描かれていましたが、
鎌倉時代に盗掘され、そのときあけられた穴とともに、消滅した
とみられています。

◎八人ずつの男女
壁面には、男女八人ずつ、合計十六人の人物が描かれています。
西壁の女子群像は、さまざまな場所でカラー写真が紹介され、
「飛鳥(あすか)美人」のニックネームで親しまれています。
何故、八人ずつの男女が描かれていたのでしょうか?
高松塚古墳発掘者の網干(あぼし)善教氏は、永遠に分からない
であろうと、述べていました。
この謎を解いた者は、吉野裕子氏でした。吉野裕子氏が初めて、
その謎を解いたのです。まさに、卓見です。
私は、吉野氏のおかげで、完全なる謎解き解明が可能となったのです。
この八人ずつの男女群像は、「北斗八星」を表現していたのです。
吉野裕子氏は、基本的には、「北斗七星」として捉えていて、
残念ながら、完全なる解明には、至りませんでした。

◎天文図
天井(てんじょう)は、金箔(きんぱく)の星を朱線(しゅせん)
でつないだ星座で構成されています。天文図中央には、北極五星
と四輔四星(しほよんせい)からなる、紫微垣(しびえん)が
描かれています。
天文図の周りには、二十八宿(しゅく)が描かれています。
これらは古代中国の思想に基づくもので、中央の紫微垣(しびえん)
は、天帝(てんてい)の居所を意味しています。

◎この天文図には、歴史上、あり得ないことが存在
北斗星(八星)が描かれていないのです。天文図に北斗星が
描かれていない例は、過去、無いと断言できます。
この北斗星(八星)が描かれていない理由も、吉野裕子氏が
喝破しました。何と、素晴らしい閃きであることか!!
描かれていないのは、墓そのものが、北斗星であると解明したのです。
ただ、吉野氏は、「高松塚古墳=北斗星」としながら、被葬者は、
草壁(くさかべ)皇太子(天皇号追贈)であるとして、北斗星
そのものとしなかったのです。(詳しくは、後述)

壁画は、「天文図、日月図、四神図」、をセットとして描いて
います。つまり、「完全天皇図・完全天帝図」なのです。
墓室一箇所に、完全天皇図が描かれている壁画の事例は、
中国にも、朝鮮半島にも、存在しません。
日本独自に表現した最高グレードの古墳壁画、ともいえるのです。
ここは、大いに強調すべきことなのです。

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◎出土品
棺(ひつぎ)は、漆塗(うるしぬり)木棺(もっかん)。
出土品は、棺に使われていた金具類、銅釘、副葬品の大刀(たち)
金具、海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)、玉類、骨、など
があります。

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◎解体修理
発掘調査以降、壁画は現状のまま現地保存することに決定。
文化庁が石室内の温度や湿度の調整、防カビ処理などの保存管理、
定期点検を行ってきました。
しかし、壁画の退色・変色が、明らかにされました。
その結果、墳丘(ふんきゅう)の発掘調査と石室の解体修理は、
2006年10月に開始されました。
2020年3月26日、文化庁は、奈良県明日香村で行っていた高松塚
古墳壁画の修復作業が終わったと発表しました。
国は今後、古墳近くに保存展示の新施設を建てる計画です。


2.北斗星(八星)が描かれていないことの真実
    ・・・高松塚古墳の本義・動機を表現している


※北斗八星とは、北斗七星に輔星(ほせい・アルコル)を加えた
場合をいいます。
北斗八星と解することで、高松塚古墳の呪術は解読されます。

高松塚古墳の天文図には、多くの星が描かれています。
北斗星(八星)が描かれていないのは、きわめて異常であり、
100%あり得ない、と言わざるを得ません。
ならば、そこには、それなりの重大な事情があると考え、その
原因を考察するのが、常道です。

※余談ですが、驚いたことに「高松塚古墳には北斗七星が
描かれていて」と論じていた歴史本を二冊以上読みました。
案外、高松塚古墳壁画には、北斗七星が描かれていると
思っている人が多いのです。

(1)有坂隆道の見解
私の知る限り、この件に関して、正面から向かい論考したのは、
吉野裕子氏だけです。
有坂隆道(ありさかたかみち)氏は、「北斗七星は政治的解釈
では天帝の乗る車を意味するにすぎないから、その有無には
こだわる必要はない」、と述べています。
つまり、考察から外しているのです。
詳しくは、次の通り。

有坂隆道『古代史を解く鍵』・講談社
<< また、中央部紫微垣(しびえん)に北斗七星がありますが、
北斗七星は天文学上、占星術(せんせいじゅつ)上ないし信仰上
とくに重要な星で、およそ星を描く場合にはまっ先に描かれる
といってよいほどのものです。
ただし、私の申します政治的解釈では天帝の乗る車を意味するに
すぎませんから、高松塚の場合のように描いていなくても
かまわないと思います。
むしろ、高松塚の場合は北斗七星がないから、政治的象徴と
解すべきだという私の論拠の一つとなったわけです。
とにかく、今の場合、その有無にこだわる必要はありません。
ここで問題なのは、点の中心である天極部の表現です。>>

確かに天極部が問題でもあります。それは天帝(天皇)を表現
している、という意味において。
でも、それでは、そこで思考停止となってしまいます。

「北極星=天帝・天皇」は、北斗星(八星)が存在してこそ、
真の「北極星=天帝・天皇」なのです。それが道教哲理なのです。
北斗七星は、どういう解釈であれ、「天帝の乗る車を意味するに
すぎません」と突っぱねられたら、高松塚古墳の真実は、全く
見えてこないのです。

(2)北斗星(八星)が描かれていないのは、高松塚古墳の
   本義・動機を表現している

私の説にとっては、「天帝の乗る車を意味する」ことこそが、
最重要なのです。
このことこそが、高松塚古墳の「本義」、つまり壁画制作の
「動機」なのです。
それは高松塚古墳の呪術でもあるのです。

考古学者は、北斗星が描かれていないことを、無視しています。
いえいえ、分からないから言及しないのです。
つまり、考古学者は、高松塚の呪術(北斗星が描かれていないこと、
そして八人ずつの男女が描かれていること)を受け入れない限り、
高松塚古墳の本義と壁画制作の動機は、永遠に解らない、
ということです。

高松塚の研究において、無学な小生など近寄れないほどの、
膨大な素晴らしい研究資料が残されました。
勿論、その先学の探究資料があったからこそ、私の説を論ずる
ことが出来るのです。
その学恩に感謝いたします。

(3)北斗八星が描かれている事例紹介
天文図に北斗星(八星)が描かれていないことが、どれほど、
正常でないのか、事例をあげて説明いたします。
そうしないと、読者には、解っていただけないと思うからです。

◎キトラ古墳天文図
キトラ天文図には、「北斗八星」が描かれています。
よって、高松塚古墳も、北斗七星ではなく、「北斗八星」が
描かれていなかったのです。

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◎高麗王第二十代神宗(しんそう)陽陵の墓室
神宗の在位期間は、1197年~1204年。
この星辰(せいしん)図には、北極星は描かれていません。
中央に「北斗八星」だけが描かれています。
高麗王は、皇帝の制でなかったからだと思われます。

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◎南宋淳祐(じゅんゆう)天文図・紫微垣(しびえん)内図
南宋淳祐天文図は、淳祐七年(1247年)に石刻(せっこく)
されたもの。1434星を刻んだ詳細な星図です。
この紫微垣(しびえん)内には、北極五星と「北斗八星」が
描かれています。

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◎呉越(ごえつ)国の星象(せいしょう)図
呉越国文穆(ぶんぼく)王墓に、星象図が存在します。
北極星と北斗八星が描かれています。
揚子江(ようすこう)下流の浙江(せっこう)省を中心に建国。
杭州に都をたてた。942年陵墓が築造されました。
呉越国王は、地方政権にもかかわらず、中国伝統の「天子(皇帝)
の制」を採用していた、ことになります。

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以上、天体図を見てきましたが、高松塚古墳に、北斗八星が
描かれていないのは、ただ事ではないということです。
※北朝鮮国立博物館に展示されている、有名な「天象列次分野之図
(てんしょうれつじぶんやのず)」には、勿論、北斗星が
描かれています。
しかし、輔星(ほせい)が描かれているのかどうか、その複写図を
見ても判断が付きませんでした。

(4)北斗七星を描いていないこと――その重大な意味
1)吉野裕子(ひろこ)説
吉野裕子氏は、次のように述べています。
(『持統天皇』・吉野裕子・人文書院)

<< 中国古代哲学は天帝を北極星になぞられるから、この
動けない天帝は、その周りを規則正しく回転する北斗七星を
その輔弼(ほひつ)として絶対に必要とする。
日本の天皇はこの天帝に重ね合わされているから、北斗七星に
象(かたど)られた墓は太子の墓として最もふさわしい。
いずれにしてもこの墓の主は、北斗七星の車に乗り得るほどの
高位の人、天皇、もしくはそれに準ずる人でなければならない。
草壁皇子(くさかべのみこ)はこの世で既に皇太子といっても、
並の太子ではなく、天皇の称号を追贈されている。
しかも、母の持統天皇はこの皇太子の来世のために、呪術の
限りをつくした。
北斗七星の車は天井の壁画からは隠されているが、実は墓
そのものが北斗七星なのであろう。
この八人の婦人がもし北斗の精であるならば、この墓はまさに
北斗の車そのものである。>>

吉野裕子氏は、< 高松塚古墳に、北斗七星が描かれていない
のは、墓そのものを北斗七星としているからである >
と述べています。
何と秀逸な想像力であることか!!素晴らしい閃きです!!

ただ、吉野氏は、高松塚古墳そのものを北斗七星に擬(なぞら)えた
と述べながらも、被葬者を北斗七星という帝車(ていしゃ)に乗る
人物・草壁皇子(くさかべのみこ)と、推論しています。

つまり、「高松塚=被葬者=北斗七星(帝車)に乗る人物=
草壁皇子(くさかべのみこ)」 としています。
吉野氏は、「高松塚古墳そのものを北斗七星に擬(なぞら)えた」
と記していますから「被葬者=高松塚古墳=北斗星」としなければ
ならないのに、何故か、被葬者を「北斗七星に乗る人物」、
としています。
ここに、吉野氏の矛盾があり、訂正の必要が生じてくるのです。

※また、草壁皇子(天皇号・追贈)の墓は、天皇陵の象徴である
八角形の束明神(つかみょうじん)古墳とされています。
よって、吉野氏の草壁皇子・被葬者説は、成り立たないのです。
また、後日述べますが、海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)
の出土品の年代考証からも、あり得ないのです。

2)漢代の帝車と伊勢神宮の帝車
帝車(ていしゃ)とは、天帝(天皇・北極星)が乗る北斗七星
(八星)の車のことです。
中国の伝承によると、天帝(天皇・北極星)は北斗七星(八星)
という車に乗り、宇宙を駆(か)け巡(めぐ)る、とされて
いるのです。

伊勢神宮は、この中国の伝承を採り入れました。
天武天皇(即位・673年)は、内宮を、「北極星(天皇)・天照大神」
とし、外宮を、「北斗八星・豊受大神・帝車」としました。
つまり、日本における北斗八星・帝車とは、「天照大神と天皇の
専用自家用車」なのです。

漢代に描かれた帝車図と、伊勢神宮の帝車図を比較してみましょう。
伊勢神宮の帝車図は、牛車図で、外宮ご遷宮(せんぐう)の際、
門外不出とされていた、み正体(しょうたい)を蔽(おお)う
錦(にしき)の刺車(さしぐるま)紋として、描かれています。

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3)畑アカラ説の発見
私は、高松塚古墳そのものを北斗八星、とするならば、
「高松塚古墳 = 被葬者= 八人ずつの男女(陰陽)=北斗八星
 = 帝車(ていしゃ)」
としなければならない、と思います。

八人ずつの男女は、高松塚古墳そのものであり、被葬者を象徴し、
さらに、「陰陽の北斗八星」をも象徴しているのです。

このように解釈することによって、高松塚古墳壁画の全ての
呪術(暗号)が、瞬時に解けるのです。

高松塚の被葬者が、北斗八星(八人ずつの男女)で帝車となれば、
被葬者は北極星(天皇)を輔弼(ほひつ)する人物ということに
なります。

◎北極星(天皇)は、どこに存在しているのでしょうか?
北極星(天皇)は、天井に描かれた天文図の中心に位置して
います。勿論、墓の中心点です。

ならば、天皇(北極星)を、北斗八星となって輔弼(ほひつ)
する人物とは? 
被葬者捜しの第一歩が、始まることとなります。
先に、結論を述べます。
文武(もんむ)天皇(即位697年)、です。
それは、前回、述べましたが(後日さらに詳しく述べます)、
高松塚古墳は、高松塚古墳の真北200Mにある中尾山古墳
(文武天皇・八角形)の陪塚(ばいちょう)であるからです。
天井に描かれた北極星(天皇)は、その中尾山古墳の被葬者・
文武天皇なのです。

このことは、前回述べた通り、秋山日出雄氏の陪塚説によって、
証明されるのです。
つまり、高松塚古墳は「北斗八星古墳」であり、中尾山古墳は
「北極星古墳」でもあることから、天皇(文武天皇)と臣下
(石上麻呂・いそのかみのまろ)の関係にあるのです。
これまで述べた、高松塚古墳と北斗八星の関係を、
図にしてみました。

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北斗八星が描かれていないのは、高松塚古墳全体を、北斗八星
としたからです。
その象徴として、八人ずつの男女が描かれたのです。
これが、高松塚古墳の基本呪術なのです。

4)何故、壁画呪術絵を描いたのか?・・・当時の世相による
それは、前回のブログでも述べたように、高松塚古墳被葬者・
石上麻呂(いそのかみのまろ)が、死後も天皇を永遠にお守り
していこうとした、その気持ちの発露なのです。
当時は、臣下が天皇を神として言祝(ことほ)ぐ世相であった
のです。
宮廷(きゅうてい)歌人・柿本人麻呂[かきのもとのひとまろ
(生没年不詳・主な作品は689‐700年頃)]と、
大将軍であった高級官僚・大伴御行[おおとものみゆき・
701年薨去(こうきょ)]は、
『大君は神にしませば・・・』と、天皇を神として歌い言祝
(ことほ)いでいます。

高松塚古墳壁画とキトラ古墳壁画は、具体的に天皇を神(北極星)
として言祝(ことほ)ぎ、死後も天皇(北極星)を崇敬(すうけい)
守護していこうとした、「呪術画(じゅじゅつが)」でもあった
のです。

天皇を神として言祝ぐことは、当時、豪族間の競争ともなって
いました。
後日、詳しく述べますが、臣下第一位になった阿倍御主人
[あべのみうし・703年薨去(こうきょ)・右大臣]は
キトラ古墳壁画を描き、天皇(北極星)を神として、死後も
永遠にお守りしようとしたのです。
14年後、それを真似たのが、高松塚古墳被葬者の石上麻呂
[いそのかみのまろ・717年薨去(こうきょ)・左大臣]です。

私は、この説こそが、高松塚古墳壁画とキトラ古墳壁画の本義
であり、真実であると思っています。
いつか、考古学者からも私の説が認められることを願っています。

次回は、さらに、高松塚古墳壁画は、死後も永遠に天皇(北極星)
をお守りしていこうとした表現絵画であることを、証明します。
八人ずつの男女が、北斗八星を表現している、驚くべき決定的な
証拠を発見したので、図として示します。


畑さん.jpg

畑アカラ氏 プロフィール

昭和22年生まれ。静岡県出身。藤枝東高校卒。
明治大学政経学部卒業(蒲生ゼミ・村落社会調査)。
広告制作会社(株・漫画社)に勤務後、フリー。イラスト・ライター。
日本児童出版美術家連盟会員。
「8の世界」と「ハートの世界」の、オンリーワンの探究者。
「一般社団法人8月8日はハートの日協会」理事長。
「8月8日はハートの日」を全世界に広めるため活動中。
世界を一つに繋げることの出来るツール・・
それが「8月8日はハートの日」。
著作・歴史書:『古代天皇家「八」の暗号』(徳間書店)。
『古代天皇家の謎は「北斗八星」で解ける』(徳間書店) 
著作・エッセイ(画・文):『猫ノーテンキ』(草思社)、
『猫っ可愛がりのことわざ草紙』(毎日新聞)、
『きょうも猫日和』(徳間書店)。 
月間絵本・作絵:『ハーリーちゃんとハーティちゃん』
『にじをつくろう』(チャイルド本社)。
かみしばい:『からすのかーすけ』(教育画劇)。等々。
趣味はテニス。素人作曲(楽器は演奏できません)。サッカー観戦。

【最新著書ご紹介】

【大嘗祭・天皇号・伊勢神宮】 この国永遠の疑問を解く

[新装版]古代天皇家「八」の暗号

人は生まれ変わる~縄文の心でアフター・コロナを生きる


人は生まれ変わる 縄文の心でアフター・コロナを生きる
藤 和彦 (著)
ベストブック(刊)


「人は生まれ変わる」
見たことのあるような題名、
舩井幸雄氏の著書にもありました。
ですが、切り口は、想像と全く違っていました。

著者は現役の経済産業省官僚。
日本中、世界中から事例を集め、
「生まれ変わり」を徹底的に科学しました。

高齢化社会ということは、
人類が経験したことのない「多死社会」が到来すること。
コロナ禍で新たな不安を突き付けられ、
このまま「死は怖い、忌むべきもの」という認識でいいわけがない。

もともと日本には、縄文時代、生まれ変わりが信じられていました。
しかし、現在は、死は生活から隔離されてしまいました。
その経緯が、様々な角度から冷静に語られていきます。
世界の古の習慣から、仮想通貨の考え方にいたるまで・・・

柴田久美子氏が介護の現場に不信を感じて立ち上げた、
看取りの活動も紹介されています。
看取りはもともと日本の伝統だったのです。


著者は、本著を著すことによって
幸いにも生まれ変わりの信念を持つようになったと語ります。
この世に戻ってきてやり直せると思えれば、
死の恐怖にとらわれくことなく、
今この時を精一杯生きることができるのではないか。

たくさんの事例から、科学的に、
生まれ変わりを自分の頭で考えていく、
そんな時代になったのだなと感じました。

読み応えあります。
じっくり考えてみてください。


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