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第12回 温泉に入るサル ~サルの文化的行動~   

こんにちは、鈴木晃です。

前回私の初めてのアフリカ行にふれましたが、私のサル学との出会いはこれに先立つこと2年、
1962年に始まります。
この年の4月に京都大学理学部に自然人類学講座が新設され、今西錦司先生が教授に
就任されます。
大学院に進学した私は、この出来たばかりの講座の第一期生となったわけです。
出来たばかりですから講座といっても学生もいなく、院生が私と西邨くんの2人だけ。
今西先生が正式に着任されたのも10月でした。

私は子供のころから、ウラナミシジミ(蝶)やコウモリなど生き物が広く動き回る習性と
自然界との仕組みに深い関心を持っていました。
ですから自然界全体のことを考えようという今西先生の自然への視点と、その理論に大変
感銘を受けたのです。

大学院に進みニホンザルを始めると、研究の進んだ幸島や高崎山などのいわゆる餌づけ群
だけではなく、他の地域の自然に生息する野生群の在り様を見たい、比較したいという
ことで、日本中を回りました。
下北半島に生息するニホンザル群は、世界でも最北限に生息する霊長類で「最北のサル」
といわれますが、この下北のニホンザルをはじめ福島、箱根、房総、志賀高原と野生の
ニホンザルの食性と遊動の関係をまとめたのが私のマスター論文でした。

「群れ」とは何かということが社会を考えるうえでの今西先生の大きなテーマでありましたが、
餌づけにたよらない、自然の中での遊動生活を観察することによって、そこに彼らの集団全体
としての何らかの論理を掴んでいこうというアプローチの方法は、その後の私の研究者としての
研究姿勢を決定づける大きなものでした。

さて、こうしてニホンザルの研究を始めて私は全国に広がるニホンザルの生息個所を回った
わけですが、その中でも思い出深いのが地獄谷温泉(志賀高原、長野)です。
温泉に入るサルとして今では世界的にも有名ですが、これを最初に見つけたのは実は私です。
見つけたというと語弊があるので、今日はそのことを書きます。
今ではサルたちは群れて温泉に入っていますが、当時サルは温泉など見向きもせず、山から
下りてきては秋になると地獄谷温泉よりもっと下流に広がるリンゴ畑に出てきて、そこの
リンゴを食べていたわけです。

当時私は、山を上った志賀高原一帯の野生のニホンザル群を調べていたわけですが、
お百姓さんの苦情にリンゴ畑の監視役をつとめることになったのです。
そもそもは畑に出てこないように餌づけできないかという相談だったのですが、リンゴが実る
秋のうちは食料が豊富で人がやるエサなどにサルは見向きもしません。
必然的に見張ることぐらいしかできないのですが、私が昼食などでちょっと目を離すと、
隠れていた一群が林の中から出てきて畑を荒らすわけです。

餌づけ自体は私が来る以前から長野電鉄の職員だった原さんが考案し、色々試みられて
いましたが、なかなか上手くいきませんでした。
そこで私も原さんと一緒にエサをやったわけです。
この年、冬になって食料がなくなり少しづつ餌づくようになると、これで畑荒らしも
なくなるとほっとしました。
エサは主に大豆やリンゴだったのですが、餌づくとともに群れ全体を上流の地獄谷温泉の
ほうに導こうと、だんだん群れを上流に誘導していくわけです。
当時は20数頭だったと思うのですが一群を温泉の湧き出る地獄谷までエサでつりながら
追っていきました。

地獄谷温泉というのは横湯川にそって下流から歩くこと2キロほど、後楽館という温泉宿が
一軒だけある秘湯です。
川べりに噴煙を上げるのが地獄谷の大噴湯ですが、この露天風呂に落ちたエサの大豆を
拾おうとして3歳のコザルが誤って縁から落ちたのが温泉ザルのはじまりです。
これを私が見ていたわけです。
とはいえ、その年は2、3歳の3頭のコドモが温泉に入っただけでした。
その後次第に温泉の中で泳いだり、遊び場として利用するようになり、翌年の冬には
5、6歳のコドモやその母親も入るようになったのです。
当時オスザルたちは雪降る中でも、この新手の風俗には見向きもせず寒風に身をさらし
続けていたのがおかしかったです。

温泉に入るというような新しく習得された行動が、群れ全体にその後どのように広まって
いくか。この場合はコドモからより年上のコドモへ、そしてメスへ。
最終的にはオスまで広まっていくのですが、こうした習得の過程を動物の「文化的行動」
といいます。
「サルにも文化、カルチャーがある」ということを世界に先駆けて発表したのは日本の
研究者たちでした。
1950年代の幸島のイモ洗い行動の観察などはその代表的なものですが、この温泉に入る
サルの話も「文化的行動」をあらわす象徴的なものだったわけです。


私は1964年からアフリカに渡ってしまったので、その後温泉に入るというこの新しい文化が
どのように群れの中全体に伝承されていったのかもう一つ詳しく記録しきれませんでした。
しかし、最初は地獄谷の温泉のわきの後楽館の小さな露天風呂にコドモが入っていただけ
だったのが、次に見たときには、とても大きな露天風呂が整備されていて、そこに大勢で
入るようになっていたのはとても興味深かったものです。

つづく


(次回へつづく)

オランウータン(0).jpg


プロフィール

鈴木晃(すずきあきら)
京都大学大学院理学研究科修了。理学博士。
京都大学霊長類研究所を経て、
現在「日本・インドネシア・オランウータン保護調査委員会」代表。
(一社)オランウータンと熱帯雨林の会(MOF)理事長。
1983年よりインドネシア、カリマンタン島にて野生のオランウータン
の研究を続ける。

鈴木南水子(すずきなみこ)
生後6か月よりウガンダに渡り、チンパンジーの研究をする父のかたわら、
アフリカの大自然の中で育つ。自然によって生かされているヒトの生き方
を求めて、オランウータンと熱帯雨林の保護の問題とその普及啓発活動に
取り組む。


(社)オランウータンと熱帯雨林の会(MOF)
(事務局)
〒162-0065
東京都新宿区吉町8-23 富井ビル2F
TEL 03-5363-0170
FAX 03-3353-8521

ホームページ http://moforangutan.web.fc2.com/
メールアドレス mof.orangutan@gmail.com



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