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第79回 至高の文学者小林秀雄氏の奥深き叡智『考えるヒント3』


みなさん、こんにちは!
にんげんクラブ世話人の川端淳司です。

夏真っ盛りですね。
これから充実されたお盆休みを過ごされることと思います。

僕はこの8月に二つのアートイベントを企画したのですが、
機会がございましたら、ぜひお立ち寄り頂ければ幸いです。

 
1. 私のアートコレクションを展示する
『Kawabata Collection Vol.4』@ 四谷荒木町 cafe & bar il Baccio
  http://www.arakicho.com/shop/kototamado.html
  ※8月30日まで開催中

2.13名のアーティストによるグループ展
  『いまここを生きるアーティスト2015』@銀座のギャラリー枝香庵
  http://echo-ann.jp/exhibition.html?id=234
  ※8月23日~30日まで開催。全日在廊予定です。

さて、連載79回目は小林秀雄氏の『考えるヒント3』をご紹介いたします。



これまで1000冊程度の書籍を読んできましたが、最も感銘を受けた著書の
一つです。

一生読み返し、学ばせて頂く書に出会えたことをとてもうれしく感じております。
贈って頂いたil baccioオーナーの志賀さんに感謝です。

本書は昭和15年~39年までの12の講演を文章化したものですが、その中の
『ゴッホの病気』から印象に残る言葉を以下にご紹介させて頂きます。

今回企画した『いまここを生きるアーティスト2015』の副題を~偉大なる芸術家
ゴッホの理想を夢見て~としておりますが、多くの方に本書をお読み頂き、
ゴッホをより深く知って頂ければと思います。

 
~『ゴッホの病気』(昭和33年)より~

・ゴッホはサン・レミイの精神病院に監禁され、病室の窓越しに見える病院の
 石垣で区切られた麦畑を、何枚も書いています。その当時、弟宛の手紙の
 中で、麦畑の中を死の影が歩いて行くのが見えると言っている。少しも悲し
 い 影ではない、死は、純金の光を漲らす太陽と一緒に、白昼、己の道を
 進んでいく。人間とは、やがて刈り取られる麦かも知れぬ。と書いています。
 彼の絵も亦、同じ言葉を語っているとは申しませぬ。絵は、何かもっと名状
 すべからざるものを現しています。

・ゴッホが彼に全人格を発揮してからの作品には、悉く、一種脅迫された動機
 と言おうか、制作の切羽つまった諸条件の意識と言おうか、そういうものの、
 明らかな反映が感じられます。

・ゴッホという人間の最大の不幸が、彼の精神病にあったという事は疑う余地
 がない。彼が、彼の真面目を発揮したと言われている作品を制作したのは、
 パリから南仏のアルルに定住した1888年の2月から、1890年7月、オーヴェ
 ル・シュル・オワズで自殺するまで、三年に満たぬ期間であるが、この間に、
 彼が精神病院から自由だったのは合計して一年ほどしかない。これは驚く
 べき事実です。

・ゴッホの病気が、学問的には全く曖昧なものにせよ、争う事の出来ぬのは、
 彼が、自分の病気の徴候を観察していた病人だった、という事です。
 これは、彼の書簡集が証明している。彼の書簡集は、呵責のない自己批判
 の連続であって、告白文学と見ても、比類のないものである。又、彼は、四十
 点を越える自画像を遺しています。短い期間に、これほど沢山自画像を描い
 た画家は、他にありますまい。病的という言葉が使いたいのなら、病的に鋭
 い自己批評家であった、と言ってもよい。これこそ、一番大事なことと思われ
 ます。

・見て、見て、見抜く。見抜いたところが線となり色となり、線や色が又見抜か
 れる。そんな事を言ってみたところで、言葉を弄しているだけのことかも知れ
 ませぬが、ともかく、そういう場合のゴッホの意識、それも意識という言葉を
 使って良いとすればですが、その場合のゴッホの純粋な意識こそ、彼の自
 画像の本質的な意味を成すものでしょう。

・問題は、彼が言う様に、「気力」にあった、意思にあった。そして、彼は、「気
 力」の不足を嘆くのです。「愚痴を言わずに、苦しむことを学び、病苦を厭わ
 ず、これを直視する事を学ぶのは、眼もくらむばかりの危険を冒すのと全く
 同じ事である」と彼は書いている。彼の言うところに誇張はなかったでしょう。
 この追い詰められた人間の、強烈な自己意識が、彼の仕事の動機のうちに
 あるのです。それこそ彼の耳に包帯をした自画像の視点そのものなのです。
 彼の手紙を読んで、狂気との戦いのあとを追っていくと、この視点を失うまい
 とする努力が、精神の集中と緊張によってこの視点を得ては失い、失っては
 得る有様が、手に取る様に感じられるのです。絵の仕事だけが、彼の救い
 であった。彼は、仕事を自分の指導者と呼んでいる。絵を描くという精神の
 集中による行為しか、彼に、この視点を保証してくれるものはないと彼は信
 じた。彼の作品は、その意味で悉く自画像であったと言って良い。

・アルルのアトリエで仕事を始めた当時、ゴッホは、写生をしている時に見舞
 われる「恐ろしいような透視力」について語っていますが、語られているのは、
 肉眼というより寧ろ心眼でありましょう。ゴッホの精神を考えずに、ゴッホの
 絵のリアリズムを云々しても無意味なことだ。サン・レミイの病院で書いた手
 紙の中にこんな言葉があります。「君は、或るオランダ人の詩人が言った言
 葉を知っているか、『私は地上の絆以上のもので、この大地に結びつけられ
 ている』。これが、苦しみながら、特に、所謂精神病を患いながら、私が経験
 した事である」。「自然が、こんなに心を絞めつける様な感情に満ちて見えた
 事はない。決して、決してなかった事であった」と彼は書いています。恐らく、
 彼は、麦畑が語る言葉を聞いたのでありましょう。「君は健康であるか、病気
 であるか、どちらかだ。若いか老いているか、というのと全く同じ事だ」。彼は、
 聞こえたがままの声を表現したのです。それが、彼の絵のリアリズムなのです。

・私はゴッホという人間に、先ず、彼の書簡集を通じて近づきました。そういう
 者にはそういう者なりの考え方の偏りもあろうと思うが、私にはゴッホの絵は
 非常に精神的な絵と映ります。私の実感から言えば、ゴッホの絵は絵という
 よりも精神と感じられます。私が彼の絵を見るのではなく、向こうに眼があっ
 て、私が見られている様な感じを受けております。


~考えるヒント3の構成~

1.信ずることと知ること(昭和39年)
2.生と死(昭和47年)
3.美を求める心(昭和32年)
4.ゴッホの病気(昭和33年)
5.ドストエフスキイ七十五年祭りに於ける講演(昭和31年)
6.喋ることと書くこと(昭和29年)
7.政治と文学(昭和26年)
8.悲劇について(昭和26年)
9.表現について(昭和25年)
10.私の人生観(昭和24年)
11.歴史と文学(昭和16年)
12.文学と自分(昭和15年)



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