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みなさん、こんにちは。
にんげんクラブ世話人の川端淳司です。
1ヵ月以上も間が空いてしまいましたが、その間の痛ましい出来事の数々を観じる
時、残念ながら戦争・破滅への道に日本が直面していると思わずにはいられません。
2006年に出版された船井幸雄さんと副島隆彦さんの共著『昭和史からの警告―
戦争への道を阻め』を読み返すと、副島さんが2015年は昭和15年に相当、つまり
来年2016年は昭和16年の日米開戦にあたると予言されていました。
無論日米戦争はあり得ないでしょうが、米国に従う形での戦争参戦は今や目前に
迫りつつあります。東京支部主催イベントで2度講師をして頂いた元陸自幹部の
池田整治さんはその著書の中でかつて次のように指摘されていました。
『米ジョゼフ・ナイが米国国会議員200名と作成した対日超党派報告書には、
「台湾と中国で戦争が勃発した際に、自衛隊を参加させて日中戦争を起こさせた
後にアメリカが和平交渉に入り、その地域での資源開発に優位な立場を取る、
その為には自衛隊が海外で軍事活動ができる状態を作っておかなければならない」
と書かれているのです。』と。
僕は微力ながら、日本が戦争に向かわないよう、にんげんクラブやアートに携わる
活動を通じて、情報発信・行動して行きたいと思います。
先日の東京出張時に、8月23日~30日に銀座のギャラリー枝香庵で主催する
『いまここを生きるアーティスト2015』のプレイベントとして、6月1日~8月末までは
四谷荒木町のcafe & bar『 il baccio』で僕が所有する絵画コレクション展vol.4を
開催させて頂くことになりました。
東京支部で飯塚弘明さんの『霊界物語勉強会』を二度開催した四谷荒木町『美舟』
オーナーのご好意によるシンクロなのですが、再び活動する時節が来たようです。
悪いことと良いことが同時進行で進んでいるこの世界が、やがては良き世に収斂
するよう、みなさんと一緒に勉強・実践して行ければ幸せだなぁと思います。
舩井幸雄さんが遺してくださった『にんげんクラブ』はそれが出来る、とても有難い
『場(イヤシロチ)』なのでしょうね。
さて、連載第73回目は前回に続いて写真家・星野道夫さんの至高のエッセイ集
『旅をする木』をご紹介します。
破滅か再生かの岐路に立つ日本と世界にとって、星野道夫さんの根源的に
重要なメッセージを、今、我々の血肉にすることがとても大切だと感じるので、
次回は『ノーザンライツ』、次々回は絶筆の『森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を
求めて』をご紹介するつもりです。
本書の『旅をする木』というタイトルは、米国のアラスカ核実験計画『プロジェクト・
チェリオット』を中止させる原動力となった伝説的生物学者のビル・プルーイットの
アラスカの動物学の古典『Animals of the North』からの引用なのですが、私は
福島での原発事故を想起せずにはいられませんでした。出版から10年の時を経た
本書に多くのシンクロニシティを感じます。
アラスカの壮大な自然、素晴らしき友人たちと妻子の心温まるエピソードだけでなく、
本書出版翌年の1996年に享年44歳の若さでの壮絶な死を予感させるかのように、
友人だったブッシュパイロット達の事故死や慶応大21歳の時に遭難した親友の死が
深く洞察されています。
自然と動物を誰よりも深く愛し、慈しみながら、その動物に襲われて絶命するという
生を全うした星野道夫さんの生きた言葉を以下にご紹介させて頂きます。
心に沁みた方はぜひ本書をご一読ください。
・人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。
きっと、その(風の感触や初夏の気配で豊かになれる)浅さで、
人は生きてゆけるのでしょう。
・壮大な自然を内包するアラスカも、今、大きな過渡期を迎えています。
きっと、人間がそうなのかも知れません。
・自然はいつも、強さの裏に脆さを秘めています。そしてぼくが魅かれるのは、
自然や生命のもつその脆さの方です。日々生きているということは、
あたりまえのことではなくて、実は奇跡的なことのような気がします。
・(大自然の中でじっとしていると)情報がきわめて少ない世界がもつ豊かさを
少しずつ取り戻してきます。それはひとつの力というか、ぼくたちが忘れて
しまっていた想像力のようなものです。
・人と出会い、その人間を好きになればなるほど、
風景は広がりと深さをもってきます。
・資源の枯渇、人口問題、環境汚染・・・千年後の地球や人類に責任を持てと
言われても困るけれど、百年、二百年後の世界には責任があるのではないか。
正しい答えはわからないけれど、その時代の中で、より良い方向を出してゆく
責任がある。
・自分の目で見ることと、本で読んだり人から聞いたりすることは、
やはり全く違う体験ですね。
・僕は21歳で遭難したTの死からひたすら確かな結論を捜していた。
それがつかめないと前に進めなかった。一年がたち、ある時ふっとその答えが
見つかった。何でもないことだった。それは「好きなことをやっていこう」という
強い思いだった。Tの死はめぐりめぐって、今生きているという実感をぼくに
与えてくれた。僕は再びアラスカに行くことを決めた。
・かけがえのない者の死は、多くの場合、残された者にあるパワーを与えてゆく。
・人間のためでも誰のためでもなく、それ自身の存在のために息づく自然の気配に、
ぼくたちはいつも心を動かされた。
・一万数千年という時がたてば、今の北極星の位置は別の星にとってかわられる
という。すべての生命は無窮の彼方へ旅を続けている、そして、星さえも同じ
場所にとどまってはいない。
・すべてのものに平等に同じ時間が流れている不思議さ。
・ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと
流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、
それは、天と地の差ほど大きい。
・人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、
私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが
出会う限りない不思議さに通じている。
・それにしても人間は、何とそれぞれ多様性に満ちた一生を送る生きものなのだろう。
人は誰もがそれぞれの物語をもち、それぞれの一生を生きてゆくしかないのだから。
・何という多彩な人生なのだろう。誰もが何かを成し遂げようとする人生を生きる
のに対し、ビルはただあるがままの人生を生きてきた。それは自分の生まれ
もった川の流れの中で生きてゆくということなのだろうか。世界が明日終わりに
なろうとも、私は今日リンゴの木を植える・・・ビルの存在は、人生を肯定してゆこう
という意味をいつも僕に問いかけてくる。
・何よりもうたれたのは、彼らが殺すクジラに対する神聖な気持ちだった。解体の
前の祈り、そして最後に残された頭骨を海に返す儀式・・・。狩猟生活が内包する
偶然性が人間に培うある種の精神世界がある。それは、人々の生かされている
という想いである。
・生命体の本質とは他者を殺して食べることにある。その約束を、最もストレートに
受け止めなければならないのが狩猟民である。約束とは言い換えれば血の匂い
であり、悲しみ。その悲しみの中から生まれたものが古代からの神話なのだろう。
動物たちに対する償いと儀式を通し、その霊をなぐさめ、いつかまた戻ってきて、
ふたたび犠牲になってくれることを祈るのだ。
・火山の噴火による親友の死を通して、人間の一生がいかに短いものなのか、
そしてある日突然断ち切られるものなのかをぼくは感じとった。私たちは、
カレンダーや時計の針で刻まれた時間に生きているのではなく、もっと漠然として、
脆い、それぞれの生命の時間を生きていることを教えてくれた。自分の持ち時間が
限られていることを本当に理解した時、それは生きる大きなパワーに転化する
可能性を秘めていた。
・「静かに耳をすますこと・・・あらゆる植物は何かの力をもっていて、その力を
もらうには、静かに、耳をすましながら、そこへ近づいてゆけばいいというの」
(インディアンのおばあさんから聞いたこと)
・「孤独を苦しみ抜いてしか得られない不思議な心の安らぎがあったの」(ジェイミイ)
・過酷な環境の中で咲く花の美しさは、暖かく光に満ちた南の世界のそれとは
一線を画している。
・私たちが生きることができるのは、過去でも未来でもなく、ただ今しかない。
・結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。
そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのない
その時間である。
・きっとあの一本のトウヒの木のように、誰もがそれぞれの一生の中で旅をしているの
でしょう。そしてもっと大きな時の流れの中で人間もまた旅をしているのだと思います。