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第9回 国祖隠退と国祖復権──神は復讐する?

前回は「常世会議」について書きました。表向きは、世界各国の代表者を集めた世界
平和会議ですが、実は開催者の常世彦(初代)が世界の盟主になろうという陰謀が隠
された会議でした。

この計画は失敗しましたが、彼の息子の常世彦(二代目)が、国祖・国常立尊(くにとこ
たちのみこと)を隠退へと追い込んで行きます。

常世彦は国祖の配下の天使長兼宰相です。
まず世論を味方に着けて団結して、国祖に圧力をかけ、次に国祖の上位にいる天の
大神に「国祖は自分で作った律法を自分で破った。地上神界の主宰神として不適格だ」
と直訴をして圧力をかけます。

そうして自ら辞職して隠退するように仕向けたのです。

会社にたとえると、雇われ社長が自ら労働組合を作って団体交渉でオーナー会長を糾
弾し、おまけに官公庁に「会長は不正を働いている」と告発するようなものでしょうか。

常世彦はこうやってクレーマーのように騒ぎまくって、国祖を隠退に追い込んだのです。
ですからクーデターとか革命のような武力行使によるものでなく、まあ言うなれば、一種
の情報戦ですね。

これが国祖隠退です。
国祖は世界の艮(東北)の方角に押し籠められ、それから「艮の金神」と呼ばれ、悪神・
祟り神として忌み嫌われるようになってしまいました。

そして長い長い歳月を経て、明治25年に丹波の綾部で出口ナオに神懸り、国祖の復権
(再現)が始まりました。封印が解けたわけです。

この国祖の復権とは、つまり──今日まで悪神だと思われてきた艮の金神こそが、この
地球の真の親神であり、今この世を支配している神こそが悪神である......
ということです。
ですから、今まで抑圧されてきた側が支配者になる、ということで、下克上的な、共産革
命的なニュアンスがあるかも知れません。

しかし、国祖の復権とは、単に支配者と被支配者が逆転することを意味するのではあり
ません。

ロシアで、皇帝を共産党が倒しましたが、結局はその共産党が新たな皇帝となりました。
そして共産党は民主勢力に倒されましたが、その後のロシアのやり方を見ていると、結
局は帝政やソ連時代とたいしてやり方は変わらないようです。表面的な支配者は変わっ
ても、体質は何も変わっていません。

国祖の復権というのは、こういう単なる支配者の交替ではなく、体質自体が変わります。
一言で言えば「憎悪による支配ではなく、愛善による支配」ということになりますが、少し
具体的なことを書いてみます。

   ○   ○   ○

出口ナオが書いた艮の金神の神示『大本神諭』に、「返報返し」というフレーズが出てき
ます。

「返報返し」とは、広辞苑によると「恨みに報いること。しかえし」という意味です。

たとえば大本神諭で次のように使われています。

●この結構な日の本の神国を、外国魂の悪神に自由自在に汚されて、神は誠に残念なれ
 ど、時節を待ちて【返報返し】を致すのであるから、心に当る守護神人民は一日も早く改
 心致して、元の日本魂に立ち帰りて居りて下されよ。(明治四十三年旧四月十五日)

●外国人よ、今に艮の金神が、【返報返し】を致すぞよ。(明治二十五年旧正月)

「外国」というのは文字通りの外国ではなくて、悪い奴ら、という意味の比喩ですので、
外国人の方、気分を悪くしないで下さい。(^_^;

さて、この「返報返しを致すぞよ」というのは要するに「国祖を艮に押し籠めた悪神勢力に
復讐をする」と読めます。

──神様というのは悪に対して「復讐」したり「天罰」を下したりする存在だ──と思っている
人もいると思いますが、そういう人は、「返報返し」という言葉を広辞苑に書いてあるように
「仕返しをする」ことだと受け止めてしまうわけです。

しかし、愛善の神が仕返しをするなんて、何かおかしい......と感じる人もいます。

出口王仁三郎の高弟の一人がそういう疑問を持ち、王仁三郎に質問しました。
『聖師伝』(聖師とは王仁三郎の尊称)という本に書いてあるんですが、引用してみます。

 
=========================================
......筆者はかつて神諭に国祖・国常立尊が隠退され「口惜(くや)し残念をこばりておりた」
とか「今に艮の金神が返報返しをする」とかいう意味のことが示されていましたので、その
意味について聖師におうかがいしたことがありました。

いやしくも国祖ともあろう神さまが、自分を押し込めた神々に対して報復するというようなこ
とが、どうも合点がいかなかったからであります。

その時、聖師は「わしは今にみんなを喜ばして返報返しをしてやるのだ」と言われました。

なるほど神諭は人間心では、わかるものではない、神心にならなければ、解釈することの
できるものではないと、しみじみ思わしめられました。

「返報がえし」と言えば、われわれは直ぐにカタキをうつような意味にしか、とらないのであ
ります。

地獄的な意志想念をもって神諭をいただけば、それ相応にしかうけとれないので、たとえて
言えば、ちょうど鏡のようなものであります。

鏡に向かう時、そこに映るものは自分の姿であります。
神諭には自分の心の姿が映るのであります。
=========================================

なるほど。神示はその人の身魂(みたま)相応にしか読めないようです。

昨年は「倍返し」とか「三倍返し」という言葉が流行りましたが、半沢直樹氏にとって「返報
返し」とは、相手を土下座謝罪させることなんだと思います。(^_^;

しかし王仁三郎は、国祖の言う「返報返し」は、相手を喜ばすことだと言うのです。

喜ばして返報返しをするとは、一体どういうことでしょうか???

たとえば、私が思うに──

「神心は親心」と言いますが、親が泣いている赤ちゃんをあやすときのことを想像してみ
て下さい。
赤ちゃんは親の迷惑かえりみずに、いつでもどこでも泣きわめいてうるさいですよね?
しかし「うるさい!」と怒鳴って返す親はいないと思います(実際にはいますけどね)。

赤ちゃんが泣くには理由があります。親はその理由を探り、オムツが濡れていたらオムツ
を取り替えてあげます。

そうしたら赤ちゃんは機嫌を直してニコッと笑いますよね?

──これが「神の返報返し」ではないでしょうか?

「喜ばして返す」ということです。

憎しみを愛で返すと言ってもいいでしょう。

赤ちゃんが泣きわめくのは、オムツが濡れたことによる不愉快な感情を、どう処理して
いいのか分からないからです。
自分で解決できないので、泣いて助けを呼ぶわけです。

「暴力」というのはすべてそういう性質を持っているように思います。
自分の中のフラストレーションをどう解決したらいいか分からない、その心の叫びです。

人間が抱く憎悪とか嫉妬とか怨恨などの想念は、神様から見たらすべて、救いを求める
SOS信号です。

そういう神心=親心になって初めて、神の経綸というものが見えてくるのでしょう。

そしてその親心による世界統治が、国祖が復権した「みろくの世」のあり方です。

   ○   ○   ○

しかしその「親心」にしても、ヤクザの親分的なものを親心だと思っている人もいます。

「言向け和す」ということも、「暴力は使わずに、言論によって相手を倒すことだ」と思って
いる人もいます。

結局、言葉によって伝えるには限界があります。特に短い「単語」によって伝えるには
限界があります。

そのため霊界物語では実例入りの「物語」という形で伝えているのかも知れません。

ただ、物語だと長くなるのが難点です。
霊界物語は私が運営するサイトから無料で読めますが、無料でも「長い・固い・難しい」
書物なので、そうやすやすとは読めないと思います。

そこで今、霊界物語のダイジェスト&現代語版を書いています。
もう近々、最初の1冊(第1巻の半分をダイジェストにしたもの)をアマゾンKindleの電子
書籍でリリースする予定です。

リリースしたら『霊界物語スーパーメールマガジン』でお知らせしますので、登録していな
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