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国祖・国常立尊が世界の艮に隠退した後の地球は、天変地異が多発し、
567日間続いた大洪水・大地震によって泥海と化してしまいました。
このような大異変が起きた原因の一つとして、同殿同床(どうでんどうしょう)を廃して
神祭を怠ったことがあります。
太古の神代では、神祭が一番重要でした。
同殿同床というのは、神と人とが同じ屋根の下に住んで起居を共にすることで、同床共殿とも
呼びます。
今は伊勢神宮で祭っている天照大神は、もともと皇居の中で祭っていて、神と天皇とは
同殿同床だったと言われています。
それが崇神天皇(第10代天皇)の6年に、皇居の外に祭るようになったと日本書紀に
記されています。
このとき天照大御神と日本大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)の二柱を皇居内に
祭っていたんですが、両者の仲が悪かったため?か一緒に祭ることができずに、それで
皇居の外で祭ることになりました。天照大御神は今「元伊勢」と呼ばれている場所を転々と
して最終的に伊勢の地に鎮まり、日本大国魂神が祭られたのは奈良県天理市の大和神社
(おおやまとじんじゃ)です。
太古の神代でも、国祖の時代には同殿同床でしたが、悪神の常世彦が国祖を追放し
世界政府の実権を握ってからは、神霊を宮殿から分離して他のところに祭り、
祭祀を怠るようになったのです。
さて、この同殿同床の復活がみろくの世の重要な鍵の一つのようです。
国家が神を祭ることであるとも言えるでしょう。「祭政一致」という言い方もします。
国家が神を祭ると言っても、それは、皇居なり総理官邸なりに神を祭るとか、
そういう形式的なことではありません。
国家権力が、特定の名前がついた神を祭ったりするようなことは、たいして役に立ちません。
それどころか見当違いの方向に進んでしまうことは今日までの人類の歴史を見れば明らかです。
ところで私たちは神様に参拝するために神棚に手を合わせたり、神社や教会などに行きますが、
べつに神棚や神社に神様が住んでいるわけではありません。
目に見えない霊である神はどこにでもいます。
いつでもどこでも神に感謝し、祈願することは可能です。
ただ、そういう聖域の方が、神様と向き合いやすい、というだけのことです。
同殿同床=神と起居を共にするということは、単に屋内に神を祭るということではなく、
24時間「神と共に生きる」ということを意味しています。
神社に行ったり神棚の前に行かなくても、常に神を意識して生きる、ということです。
つまり国家が神を祭るというのは、常に神を意識した政治を執る、ということであり、
それはたとえば──国家経営の基本方針として、人間は地球生命体の一員であると位置付け、
地球と共に生きるということを掲げることではないでしょうか?
国祖・国常立尊は、地球を造った神霊です。
端的に地球そのものと言ってしまってもいいかもしれません。
地球の表面である「大地」の神という概念なら、ギリシャ神話を始め世界中あちこちの宗教に
見ることができます。王仁三郎用語で言うと金勝要神(きんかつかねのかみ)です。
大地の神というと、豊穣をもたらす女神のような、「土」的な、また母性的なイメージですが、
国常立尊は異なります。
厳格で実直、そして忍耐強い神です。
それは地球の表面の土ではなく、内部のマントルであり核(コア)のイメージです。
マントルは岩石でできており、核は高温の金属でできています。
想像してみて下さい。5700℃・364万気圧という、想像を絶する世界!
その地球最奥部からのメッセージ、それが出口ナオに懸かった国常立尊です。
長い間人類はその"危険な"地球に封印をして、コンクリートで固めた人工的な環境で
生きてきたわけですが、明治25年にその封印は解かれています。
地球はどんどん動き、地形は変化し、国家や民族は再編成せざるを得なくなります。
もう人間の都合のいいようにはさせないというのが地球からのメッセージです。
人間が地球の都合に合わせなくてはいけません。
地球生命体ガイアの一員として生きること、それは再生可能・循環できる社会構造に
することであり、そういうことを憲法に明記してしまえばいいのです。
そうなると核廃棄物の捨て場所に困る現在の原発はアウトになります。
地球を破壊する兵器だって、もちろんアウトです。
憲法改正問題というと9条ばかりがクローズアップされますが、
それ以外の条項を追加したっていいのです。
国家の経営に、地球と共に生きるという概念を持ち込むことが「同殿同床」であり
「祭政一致」であると思います。
「地球との共生」ということなら、唯物論者でも反対はしないのではないでしょうか?
王仁三郎は「世界共通の宗教」を創ろうとしました。
それはどのような宗教の人でも、神を信じない人でも、受け入れることができるような
共通の価値観を創り上げて行くことです。
それが王仁三郎の言う、世界統一ということです。