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古事記を深く知悉した哲学者・梅原猛氏による芸術的縄文解釈の書『縄文の神秘』(初出1989年)

みなさん、こんにちは!

お久しぶりです(笑)。
世話人の川端淳司です。

前回から時間が経ってしまいましたが、、、
その間、関東大寄合、関西大寄合、関西世話人会、北大阪寄合に参加し、
これからの良き世への渦が着実に回り始めたことを実感しました。

一方で大型台風の到来や消費税の導入、骨抜きにされたTPPの導入など
日本が混沌へと進んでいることもひしひしと感じます。

ですが、昨年イベントを共に企画した友人の山本隆司さんが名古屋で
企画者から講演者へ進化を遂げられたうれしい出来事もあり、
マクロには良き方向に向かっていると感じています。

直感が働かれた方は全国のにんげんクラブの活動に携わり、
自ら行動・発信されてみては如何でしょうか?


さて、連載第55回目は哲学者・梅原猛さんの『縄文の神秘 』(初出1989年)を
ご紹介いたします。


1万年の長きに渡り平和な世界であった縄文時代はこれからの世界(ミロクの世)の
重要な鍵ですが、私自身、これまで縄文について全く勉強しておりませんでした。

たまたま梅原猛さんの現代語訳版古事記を読んだ縁で、氏の『縄文の神秘』に
必然・必要・ベスト?のタイミングで出会えたのですが、とりわけ縄文の火焔土器の
芸術性にアートコレクターの一人として度肝を抜かれました。
それほど素晴らしかった。

以下に、哲学者梅原猛さんならではの縄文(社会・土器・土偶)の芸術的解釈を
ご紹介いたしますので、縄文初心者の方はぜひ最後までお付き合いください。

 

1. 縄文の時代分類

 ・草創期・早期 約1万2000年前~7000年前
 ・前期     7000年前~5000年前
 ・中期     5000年前~4000年前
 ・後期     4000年前~3000年前
 ・晩期     3000年前~2000年前

2. 芸術としての縄文

・岡本太郎が日本においてただ一つの優れた芸術と称賛したのが縄文土器、
 なかでも中期縄文土器の『火焔土器』であった。
 それは奔放極まる抽象の土器であり、まさに爆発する芸術であった。
 ・当時、岡本太郎は誰よりもピカソを尊敬していたが、ピカソは黒人芸術の
 影響を強く受けて新しい芸術運動を開始した。しかし今日、ピカソが作った
 20世紀の芸術を黒人芸術と比べるとき、その力強さにおいて、その真摯さに
 おいて、数段の見劣りがする。
 ・岡本太郎は確かに縄文土器の背後に隠れた巨大な霊の世界を直感したに
 違いなく、その直感に基づいて礼賛したのである。
 ・原始芸術の、あるいは縄文芸術の背後にある世界、それは近代的世界観とは
 全く別の世界観なのである。そして、その縄文芸術が、少しは現代に生きている
 人間にも理解できる、そういう歴史的境地に我々は今やっと達したのである。

3. 日本(列島)のなりたち

 ・今から3万年前から2万年前の間、1万年間続いた第三亜氷期が終わり地球の
 温度が上がり、海の氷が解けて海面が上がり日本列島を大陸から切り離した。
 この海の盛り上がりを縄文海進と言い約5500万年前に頂点に達した。
 ・日本列島のいたるところには「ここは昔は海だった」というような伝承がいくつも
 残っているが、中には何百年どころか何千年、何万年と語り継がれた話があるに
 違いない。

4. 縄文の文化

 ・土器をもった狩猟採集文化が始まるのが1万2000年前で、縄文文化がその
 文化的特徴をはっきりとさせるのは縄文前期、ほぼ6000年前頃であったと思う。
 ・土器の発明は東アジアでもっぱら消費文明に関係するのに対し、
 金属器の発明は西アジアで生産文明、特に武器に関係するのである。
 ・この日本で発達した文明はまさに『緑の文明』なのである。
 それは自然を征服する文明ではなくて自然と共存する文明なのである。
 ・小山修三によれば縄文時代の人口の10分の9は東日本。
 西日本は照葉樹林帯であるのに対して、東日本は落葉樹林帯で、
 ナラ・トチ・クリなど豊かな実をもたらすものが多い。
 ・縄文時代の人たちは、ドングリやトチを主食とし、山菜や魚を副菜とし、
 たまに獣の肉を食べたらしい。
 ・彼らは主な食糧を森に依存していたわけである。従って、森は彼らにとって、
 もっともありがたい、もっとも神聖な場所であった。
 当然そこから生まれるものは森の崇拝であり、樹木の崇拝なのである。
 ・縄文前期から後期にかけての約4000年の間は、世界の文明の大勢に
 反するかのように、日本列島においては、森の文化、木の文化が発展した
 時代であったと思う。
 ・今から2300年前に中国の蓁・漢の大変革の時代に亡命者が日本に文明を
 伴い侵入。やがて縄文人が考えようともしなかった土地の私有が始まり、
 国というものができ、そして国々の間に戦いが起こり、やがて大和朝廷に
 統一されていくのである。
 ・日本の国は渡来した農耕神であるアマテラスオオミカミの子孫の天つ神が、
 土着の狩猟採集神であるスサノオノミコトの子孫の国つ神を征服支配して
 つくられた国。この神話は古墳時代につくられ、日本国征服の事実を示すと
 ともに、天つ神の子孫である支配者による、国つ神の子孫である被支配者の
 支配を合理化するためのものであったにちがいない。
 ・日本はまさに縄文人を被支配者とし、弥生人を支配者とする国家であるが、
 宗教、言語、風習など、多くの点で日本の文化は圧倒的な縄文文化の影響の
 もとにあるのではないかと思う。
 ★縄文文化こそ、日本文化の基底にある文化であり、この文化の理解なくして
 日本文化を、ひいては日本人の美意識を理解することはできない。
 ・縄文の社会はアニミズムの社会であり、シャーマニズムの社会であり、
 同時にトーテミズムの社会であったと思う。
 中国や韓国にはない家紋というものはには、やはりトーテミズムの名残が
 あると思う。

5. 縄文土器

 ・実用的意思と呪術的意思と装飾的意思のバランスが見事にとれて、
 一つの美しい鉢をこしらえているのである。
 ・貝殻模様にしろ、爪型模様にしろ、縄文模様にせよ、貝の霊を、爪においては
 人間の霊を注入しようとしたように、縄文においては、やはり木の霊を土器に
 注入して悪霊を防ごうとしたものであることは間違いない。
 ・縄文土器の圧巻は昇天するいきおいの蛇など動物の文様の多い八ヶ岳山麓に
 栄えた『勝坂式』である。
 ・長岡地方を中心に産出する『火焔土器』と呼ばれる『高馬式土器』もまた圧巻で、
 大変荒々しい黒人のジャズのような生命の礼賛と絶叫がある。
 しかし、すべて荒々しいばかりではない。それはどこかで難解であるが、
 静謐な思弁を秘めているように思われる。
 ・日本古代において、もっとも尊敬された古い伝統を持つ三輪の神のご神体は
 蛇といわれている。
 ・イノシシは蛇とともに縄文時代の土器や土偶にもっともよくあわられる動物である。
 イノシシは日本の本州において、ちょうど熊が北海道のアイヌにおいてもっていた
 ような意味をもっていたのではないかと思われる。
 ★アニミズムとトーテミズムとが見事な芸術品を生み、見事な文明を作り出した。
 それは、思想的にも芸術的にも高度な文明であったと思う。
 ・縄文後期になると文明の中心は中部山岳地帯から関東平野の南に移ってくる。
 千葉県加曽利貝塚は日本で一番大きな貝塚で当時最も高い文明を持っていた。
 ★千葉を中心とする縄文後期の文化もやがて衰え、文明の中心は東北へ、とくに
 青森県に移っていくのである。この特徴はなによりもまず繊細さなのである。
 そこにあるのは中期の信州や越後の神秘主義や熱情主義ではなく、また千葉の
 明るい合理精神でもなく、どこかそれは恥ずかしげなのである。
 しかしその一見重苦しい恥ずかしげなる精神の背後に、実に繊細な美意識と
 軽やかなユーモアが隠されていたのである。

6. 縄文の性

・性は万物を生産する、その中心の力である。狩猟採集をこととした縄文人は
 何よりも動物や植物の生産を願った。日本神話でもイザナギとイザナミの神は
 性交をして子供を産む神であり、縄文人の最も崇拝するのはそのような生産の
 神であり、性交の神である。まさに性こそは狩猟採集をこととする縄文人の
 最大の宗教であったに違いない。
 ・中国の泰山は道教の聖地であるが、ここにもやはり巨大な陽石、陰石があり、
 それぞれ男根・女陰の形をしていた。泰山はもともとそういう性崇拝の聖地であり、
 道教もまたそういう性崇拝を根底にして生まれた宗教である。

7. 土偶の神秘

 ・土偶は縄文早期からあらわれ、縄文晩期にいたるまで何千年の間に数限りなく
 生産され種類も多い。そんな土偶が大型になり芸術性が高くなったのは中期から
 であり、後期、晩期の関東地方及び東北地方のものが特に優れている。
 ・土偶は女性であり、子を孕んだ像であり、腹に線がある。
 そして埋葬されたものがあり、わざと壊されている。
 ・アイヌのイオマンテは熊の霊をあの世へ送る祭であるが、熊ばかりかキツネも
 犬も鳥も、人間生活において重要な意味を持つ動物たちはみな、アイヌの人たちに
 よって、丁重な儀礼でもってあの世へ送られるのである。縄文人が同じようにこの
 ような霊送りの行事を行い、その霊を送った場所が貝塚であることは明らかである。
・土偶は母の腹にいる死んだ胎児を母親とともにあの世へ送るためにつくられ、
 死と再生の儀式と深い関係を持っているに違いない。そして、子を孕んだまま死んだ
 女性と腹の子供を哀れんでの、縄文人の深い思いやりから生まれた宗教的儀式で
 あるにちがいない。
 ・遮光器土偶の巨大な眼窩、それは私は再生の願いをあわらすものであると思う。
 目は再生の原理なのである。



長文をお読み頂き、ありがとうございました。縄文の世界、如何でしたでしょうか?

百聞は一見に如かず。ぜひ縄文土器の画像をご自身でぐぐってみてくださいね。
本当に素晴らしいアートです。

その血が我々にも通っていると思うと、心の底から力が込み上げてきますね!



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