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その人生の最後に慈しみの生に到った作家へのエッセイ集「私たちの隣 人、レイモンド・カーヴァー」

みなさん、こんにちは!
東京支部世話人の川端淳司です。

元気にお過ごしでしょうか。

私は週末、アカシックレコードから情報をダウンロードできる天才、澤野大樹さんと
少人数でお食事させて頂いたのですが、その場に同僚のお客様もいらしてびっくりの
シンクロでした。

澤野さんからは様々な貴重情報や深いメッセージを頂いたのですが、これから東京
支部のイベントに出演頂こうと考えているので、みなさん、ご期待下さいね。

また、月曜日には元にんげんクラブ代表会員の川島伸介さんの原宿レイキに
久しぶりに参加してきました。

癌を患うお二人に、感謝の気持ちで仲間たちとレイキをさせて頂いたのですが、
素敵なお顔をされたお二人の病が癒えることを確信しています。

さて、連載第33回目は、これもシンクロなのでしょうか。50歳の若さで癌で
亡くなった作家・レイモンド・カーヴァー(レイ)へ友人たちがその深遠な想いを
綴った「私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー」(村上春樹訳)です。

この本を読み、心の奥底に抱えていて言葉にできない深く悲しい想いを、本の
中に言葉として見出した時、人はその心を幾分かでも浄化できることを知りました。

苦しい癌との闘病の果てに63歳で亡くなった父に対する想いが、本書のウィリアム・
キトリッジのレイへの言葉にシンクロしていたのです。

「慈しむべくあるものを慈しむことで自らを保ち、その一瞬一瞬を生きつつ、それに
固執しない、そんな奥義のようなものをレイは会得していた」

田舎育ちで貧しかったレイは、19歳で16歳の少女と結婚後すぐに二子を儲け、
働きながら大学に入り、貧乏、アルコール中毒、離婚等様々な苦しみと悲しみの
淵に沈みながら、理想の作家と人間を目指し、その死を迎える前に、その場所へ
至りました。

本書に収められた9編のレイへのエッセイから、混迷の今を生きる我々への
メッセージでもある言葉を以下にご紹介します。

 
Jay McInerney

彼の作品のどのセンテンスにも、言語に対する敬意、恐れにも似た謙虚さ、が感じら
れるはずだ。

プラトンの対話編を読んでいると、ソクラテスの自己卑下は戦略的なものであったこ
とがだんだんわかってくる。でもレイの謙虚さは奥深く、ごく自然なものであった。
それはまた彼という人間の有するもっとも驚異的な部分であった。

Tobias Wolff

彼のありきたりの言葉の、まさにその不完全さの中に見出される音楽性は、私を強く
感動させた。

レイは人間的なスケールでの話に対して ~我々の善意の志が我々を取り巻く状況や
我々の天性に向かって挑み、そして果てしなく負け続ける戦いについての話に対して
~ 飽くことのない貪欲さを持っていた。

最後の本『滝への新しい小径』に収められた最後の詩

~おしまいの断片~

たとえそれでも、君はやっぱり思うのかな、
この人生における望みは果たしたと?
果たしたとも。
それで、君はいったい何を望んだのだろう?
それは、自らを愛されるものと呼ぶこと、自らをこの世界にあって
愛されるものと感じること

~~

レイは瀬戸際まで行った。そして危うく一命をとりとめた。自分は救われたのだ、
そして救われなくても不思議はなかったのだという彼の認識と、もともとの素直
にして純朴な性格のせいで、彼は自らの人生を驚嘆の目で眺めるようになった。
レイはどんなことも粗末には扱わなかった。

彼はこう言った。「もっとひどいことになる可能性だってあったんだ」と。

Morton Marcus

私達は言葉というものに、身も心も凄まじいまでにのめりこませることによって、
この人生のもつ意味合いを何とか図るというゴールを目指していた。

彼の同世代の ~そして恐らくは他の世代の~ どのアメリカ人の詩人も、
そのような自然さを引き出すことはできなかった。

1970年代初めのレイの短編小説において驚異的であり、またユニークでさえ
あったのは、我々が認める認めないにかかわらず、我々の多くが現実に生活
しているアメリカン・ライフの核心にある、精神の不毛性についてのシナリオが
描かれていたことだった。

アメリカのその領域で何が起こりつつあるかを、レイは本能的に承知していた。
そしてそれを知っているという恐怖が、彼を酒瓶と煙草に向かわせたのだ。
当時私はそのように考えていたし、今日に至るまで考えは変わらない。

友への誠実さと温かい心は、私がもっとも強く心を惹かれるふたつのものであり、
レイはその両方を持ち合わせていた。

James D. Houston

彼はしばしば世界に対する純粋な驚きに満ちているみたいに見えた。そしてただ
自然にそれがわかるのだ、彼があなたのことを、絶対にその罪や欠点によって
判断したりはしないということが。

「正直に言うけどね」と彼は言った。「日々祝福を受けているみたいに感じるんだ。
毎日僕は感謝を捧げる。人生のこのような転換を思うと、毎日ただ驚異の念に
打たれるんだ」

Jon A Jackson

彼は作家になるという以外に自分をアイデンティファイする手立てを持たなかった。
彼にとっては物を書かなければ、生きている理由がないのだ。

David Carpenter

僕がカーヴァーの短編小説を読むのにはいくつもの理由がある。そのトーンに
見られる惨めさとユーモアとのあいだの不思議な依存性もその理由のひとつだ。
同じくらい不思議な依存性が、平凡なものと荘厳なものとのあいだにも見られる。
だからこそ、彼の小説の登場人物たちは、彼らが意図するより遥かに多くのことを、
僕らに語ることができるのだ。

宮本美智子

「talent(才能)は万人が持ち、そのうちdrive(持続力)を持つものが書き続ける。
教師の出番はその才能を引き出すことですよ」

Gary Fisketjon

レイは自分の書いた作品が世に受け入れられることよりは、自分のなしている
仕事そのものにより大きな誇りを持っていた。

彼ほど復讐心や狭量さや妬みや、あるいはよくある普通の意地悪さから程遠い
人もいなかった。

レイは人生を再構築できた。彼の最近の詩の中でこんな風に書かれているように。
「・・・何はともあれ、
私のことをあまり悼んだりしないでほしいな。私はあなたに知って欲しいのだ。
ここにいたときには、私は幸福だったんだということを」

William Kittredge

慈しむべくあるものを慈しむことで自らを保ち、その一瞬一瞬を生きつつ、
それに固執しない、そんな奥義のようなものをレイは会得していた。

レイは魂の深い部分で、あるカオスの光景に苦しんでいた。

コミュニティーとはより大きく拡大された我々自身のことだ。
我々は責任を負わなくてはならない。

~アントン・チェーホフ『すぐり』より~

強者たちは怠惰で傲慢だ。貧しき者たちは無知で野卑だ。
恐ろしいほどの貧困がいたるところにある。

幸福なる人々は、不幸な人々が沈黙のうちにその重荷を背負ってくれればこそ、
心安らかに生きていけるのである。もしこのような沈黙がなかったなら、世の中には
幸福なんていうものは存在しえないだろう。社会全体が催眠術にかかっているような
ものなのだ。

~~~
 

我々にとって一番役に立つ物語というものは、我々のもっとも高潔なあり方と、
もっとも不実なあり方に同時に焦点を当てるもののことだ。

レイは世界に対して、彼がしぼり出せるだけの力強さと高潔さを与え、不自然なほど
短縮された人生の中で死んだ。この死の時までに、レイは自らのもろもろの信念を
磨き上げ、凝縮した意味とでも言うべきものに到達していた。

このアメリカという文明は燃え盛るナパームを赤ん坊の上に注いだ。承知の上で
それをやったのだ。これは政治的信条などとは関係のないことだ。我々のやっている
ことの多くは狂っているとしか言いようがない。

我々は新しい歴史を必要としている。我々は親愛というものに価値をおくことを
学ばねばならない。誰かが我々に憐れみの歴史を与えなくてはならない。
やがては許しと思いやりの歴史へと転じていくような。

レイの最良の作品は、自分がいかに狼狽しているときでも、なんとか他人に温かく
まっとうであり続けようとする試みの必要性を示唆していた。それらは有用性という
点で傑出している。他人であるということがいったいどういうことかということを
我々に想像させてくれるのだ。それは我々が思いやりというものを身につけるための
道である。それは偉大なことだ。そのような親愛の中で、我々は互いを慈しむことを
学ぶのだ。想像するという行為を持続させることを通して、これほど政治的なことは
他にはあるまい。


補足
東京支部イベントです。
11月17日(土) 霊界物語勉強会@船井本社
11月27日(火) にんげんクラブ東京支部定例会@船井本社
12月15日(土) 和田晃一の読書塾@四谷荒木町

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