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みなさん、こんにちは!
東京支部の世話人の川端淳司です。
先週末は東京支部定例会、和田晃一さんの読書塾@四谷荒木町、飯塚弘明さんの
霊界物語勉強会@大阪、福山支部代表田辺ゆりかさんによる酔仙島でのイベント等々、
全国で弥勒の世に向けた活動が展開されました。
東京支部定例会では、初めて参加された方にも様々な良い気づきがあったようです。
また、フロンティアショップのSeiさんの歌『絆』に涙する方もいらっしゃいました。
この場をおかりして、肋骨骨折の痛みを抱えながら歌って頂いたSeiさんと、多忙な中
参加頂いた船井勝仁会長&小川雅弘社長に感謝申し上げます。
ありがというございました。
次回の東京支部定例会は、11月27日(火)PM7時@船井本社ですので、提言が
ある人や有意の仲間を作りたい方はぜひご参加くださいね。
さて、連載第32回目は私の仏教勉強の早々の締めくくり?として、ひろさちやさんの
『はじめての仏教―その成立と発展』をご紹介します。
著者は1936年生・大阪の北野高校出身・東大印度哲学科卒の宗教評論家で、
500冊以上の著書がありますが、私はポケット般若心経に続いて本書が2冊目と
なります。
本書はインド・中国・日本(※東南アジアは除く)へ広まった仏教の全貌を時系列的に、
鋭く、簡潔に、そして時にユーモアも交えて解説した素晴らしい仏教解説書です。
一般的な仏教の基礎知識習得に役立つだけでなく、個人的には直感的に仏教の
キリスト教や神道との相似性や、秘められた宇宙的真理の片鱗が感られ、
仏教(宗教)がより身近で大切なものになりました。
勉強になって点を以下に抜粋しますので、興味を持たれた方はぜひご一読下さい。
■ 全般
・まず最初に釈尊の仏教(根本仏教)があり、次いで阿羅漢の仏教(小乗仏教)が
出てきて、その後で菩薩の仏教(大乗仏教)が興起した。更に後には曼荼羅の
仏教(密教)が登場する。それはあくまで順を追っての展開であり、そのように
展開すべき思想史的必然性があったのである。
・仏教は基本的に「智慧(般若)」の宗教であり、悪をなさず、善をなし、心を清くする
もの。その根本思想は「縁起」にあり、その目的は基本的には「悟り」にある。
・釈尊が最初に教えられた仏教は、出家者を中心とした「解脱」の仏教であり、
四諦と八正道を教えた。
・釈尊は<無明><愛><取><苦>と、<苦>の発生を縁起的に
説明された。
・仏教的には、愛は自分を中心にして相手への自分の執着を貫こうとする心持を
いう。肯定的な愛は仏教では慈悲と呼んでいる。
・「般若」は六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定)の実践によって獲得される
「より高次の智慧」。
・阿羅漢仏教(小乗仏教)においての目標は(自分だけが)阿羅漢になること。
・大乗仏教における目標は仏であり、それはまた、菩薩による、菩薩のための、
菩薩の仏教である。
・大乗仏教の最初の経典が「般若経」であり、大乗仏教の基本哲学である「空」の
思想が確立された。
・「般若経」を作ったのは山林修行者(※著者推測)で、彼らは瞑想体験のうちに
直接仏陀にまみえ、仏陀から教えを聴聞し、そのままを書き綴った経典が般若経。
・自分の妻や夫が観音さまの化身だと信じている人もおり、そう信じて生きることが、
一番素晴らしい観音さまの信仰であると思う。
・弥勒菩薩は釈尊が次期の仏として指名した仏であり、正確には5億7千600万年後
に出現される。
・法華経が説く「諸法実相」とは、この世の中に存在する事物は全てそれなりの存在
理由をもち、なくてもよいものなど一つもないといった高次元の肯定の哲学。
(船井幸雄さんの必然・必要・ベストに通じますね)
・大乗仏教には自力と他力の二つの道がある。私達は如来(仏)に包摂されていると
同時にまた自己の内に如来を蔵している。
・密教の基本思想は「仏と凡夫の合一」であり、「加持」といわれる。(加・・・仏から
凡夫に力が加えられること。持・・・凡夫がその力を受け止め、持ち続けること)
・密教の根本仏である大日如来は宇宙に遍満しており球そのもの。そして、何とかして
直接宇宙仏である大日如来の説法を聞こうとするのが密教であり、仏教の民衆化、
ヒンドュー教化が進められた最終段階の仏教である。
・インドの正統派宗教・バラモン教哲学の最奥の真理は「凡我一如」という宇宙の原理と
個人の原理が究極において一致すること。
■ 中国の仏教
・曇鸞(476-542)が世に出、「空」の思想でもって浄土教を教義的に基礎づけた。
・善導(613-681)は、他力信仰としての中国浄土教の教義を確立した人物。
・南宗禅では段階を認めずに頓速に悟らせるように指導し、この系統の禅が日本に伝わった。
■ 日本の仏教
・空海こそが日本仏教の代表者。密教では仏を目指して歩み始めた者は既に凡夫ではない
と考えるが、親鸞と道元はつまるところは空海の哲学に戻ったのであった。
・「他力の道」を説いた親鸞と「自力の道」を説いた道元のふたりこそ、日本の仏教を完成
させた偉大な思想家である。
・親鸞の考えた「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀仏よ、わたしを救ってくださってありがとう
ございました」という報恩感謝の念仏。
・親鸞は「いずれの行も及び難き身」である自分を発見する。それは、同時に「悪人」である
自分の発見でもあった。
・道元のコペルニクス的転回の解釈「われわれは既に仏だから修行ができるのだ」。
・法然は阿弥陀仏の極楽浄土を求め、今生きている娑婆世界を厭うた。法然の念仏は
「阿弥陀仏よ、わたしを救ってください」という信号であった。
・日蓮は娑婆の浄土化こそが仏教者の務めで、ひたすらに「南無妙法蓮華経」の題目を
唱えることが末法の世に生きる仏教者の実践(易行)であり、それだけで良いと言い切った。
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