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311という傷を負ったこの国の「言葉の危うさ」と「言葉の一縷の希望」を綴った辺見庸氏の311論『瓦礫の中から言葉を~わたしの<死者>へ』

みなさん、こんにちは。
東京支部の川端淳司です。

夏真っ盛り。暑い日が続きますが、お元気にお過ごしでしょうか。

先日、フロンティアショップのSeiさんのコンサートで、「新曲『絆』は願いが叶う歌ですよ」と
紹介されました。

『ありがとう。○○○。ありがとう。ありがとう。○○○。ありがとう』という5つの言葉が何度も繰り
返される最後のフレーズは、恐らく、過去、現在(いまここ)、未来も意図していると考えて
いますが、参加されたみなさまの願いは叶えられたでしょうか。

私事ですが、願いというか、夢というか、奇跡が7月27日に起こりました。

シンクロ?でしょうね。ブログ原稿を書いているたった今、28年前に深い影響を受けた映画・
超時空要塞マクロス・愛おぼえていますか?のラストの歌のシーンがテレビから流れて
きました。

リン・ミンメイの歌が異星人との戦争から地球人と文化を求める異星人を救済する、
歌の力をこれ以上なく描ききった傑作アニメです。

以前、ブログでナウシカが1984年3月11日に放映されたことを書きましたが、マクロスも
やはり1984年の放映。村上春樹さんがとことん拘った1984年という年には何か変化の兆しが
あるのでしょうね。

話が脱線しました。。。

僕の奇跡がSeiさんの歌のおかげか、大下伸悦先生の言霊のおかげか、はたまた宇宙律の
必然か、それとも単なる偶然?かは分かりませんが、ただサムシンググレートに感謝したいと
思います。

きっとこれからは利他の願いが直ぐに実現するミロクの世になるのだと直感し得た素敵な
奇跡でした。

さて、連載23回目は311という傷を負ったこの国の「言葉の危うさ」と「言葉の一縷の希望」を
綴った辺見庸氏の真摯で奥深き311論『瓦礫の中から言葉を―わたしの<死者>へ
(NHK出版新書)です。


本書のテーマは『言葉と言葉の間に屍がある』、『人間存在というものの根源的な無責任さ』。

私の解説(主観)は抜きにして、以下に気になった部分を抜粋します。

高校まで壊滅状態となった石巻市南浜町で時を過ごした辺見庸氏の言葉がみなさんの311に
対する何らかの新しい気づきに繋がれば幸いです。


・大震災は人やモノだけでなく、既成の観念、言葉、文法をも壊した
 
・場「トポス」はそれを失った時に初めて鮮やかな場となる
 
・311によって世界というシミュラークル(模造現実)がはしなくも暴かれたのに、メディアは
またぞろ書き割りのようなシミュラークルを、まるでそれが義務であるかのように悪意もなく
産み出しています。剥き出された風景を凝視し、思いを深めるのではなく、ふたたび皮膜を
かぶせ、コーティングしはじめたのです。
 
・「世界は、外観の戯れという決定的な幻想によって存在している。それはあらゆる意味作用と
あらゆる目的性が絶えず消滅する場所である」とボードリヤールは喝破しました
 
・311の破壊(私はエッセイの中で神話的破壊と書いたことがあります)、ダイナミズムを表す
言葉を誰も持っていなかったこと。これは非常に深刻で重大なことです
 
・まさに水と土と火の怒りそのものの、見たこともない、荒ぶれる風景、荘厳なもの、いかめしい
もの、あるいは宇宙的な意思のようなものを感じた
 
・天罰だとする思考の方法、運命論には、人が思念を深めるすべはありません。死者たちへの
礼にも欠けます。抱くべき絶望もなくなります。深めるべき絶望すら、決して深化しないのです。
 
・311以降、内心の表現は311以前よりさらに窮屈に不自由になっています。そのことに私は
特に注意しています
 
・地球のほんの一刹那の身震い、咳のようなものが、人類社会の破滅につながることもあるの
ではというふうな認識。宇宙の一瞬のくしゃみが、悪意でも善意でもなく、人間社会、人類社会
の破壊につながるのだということを、考えなければいけない
 
・わたしは古語玉響(たまゆら)に何か宇宙的響きのようなものを聞くのです。万葉の時代の
ほうが、全てデジタル化されたいまよりも宇宙もからだで感じていたのではないかと想像した
りします
 
・311は、宇宙的な時間と人の時間が2011年3月11日の昼下がりに、不意に交差してしまった、
というふうにも表現することができないか。そうした表現が可能かどうかを、わたしはいま、
しきりに考えています
 
・生身の身体に、宇宙的な時間と宇宙的な現象が、直接に接触したり、交差したりするということ
は想定していなかった。でも今回、わたしはそれはありうるのだと思ったわけです。わたしは
宇宙の時空間の中にあり、わたしの心身の内部にも宇宙の広がりがあると
 
・眼前のものはなんであれ過去・現在・未来の気配を孕んでおります。目を見はり耳を澄まさ
なければなりません
 
・色を奪う作用、そういう働きがあの地震とそれを目撃したわれわれの目と心にはあったという
ことに驚きます
 
・今流されているテレビのニュースの言葉。あそこに、事態の本質に迫る、本質に近づこうと
する意思と言葉はあるでしょうか。今表現されている新聞の言葉の中に、この巨大な悲劇の
深みに入っていこうとする意思と魂があるのでしょうか
 
・たぶん、メディアというのは個人の人格や思想の反映ではなく、集合的無意識の反映なので、
死と屍体にはいつまでも親和的になれないのでしょう。死と屍体は例外なく人間の行く末で
あるのに、それを正視せず排除してしまう
 
・マスメディアは人間の言葉ではなくコンピューター入力だけは可能だけれど死の深みなど
とても表現できない、無機質な符牒のようなものを用いるだけの、言葉なきシステムに化し
つつあります
 
・「知らず、生まれ死ぬる人、何方より来りて、何方へか去る」(方丈記)の心象は、現代にも
通じるものではないでしょうか
 
・わたしたちはかつての世界認識、宇宙認識を修正する作業にかからなければならない
 
・世界にはもうあらかた本質がない。または本質が見えない風景だらけだ。正と反の境界は
 もうないか、あるいは極端にうすれている。神もことばも、われわれをとうに見放している
 
・激しい気候変動だけではなく、世界はますます暴力的に剥き出されていくことでしょう
 
・オバマ大統領は他国領土内での人物の暗殺を「正義の実現」と誇り、胸をはってみせました。
 条理のたがが外れ、道義の底がぬけてしまったのです。
 
・911に際してわらわれが感じるべきだったのは、ボードリヤールの「今後に起こることは退屈
 なことだ」ではなく、「これ以上大きなことが起きるかもしれない」という畏れだったのです
 
・311後何かが摩擦もなく静かに立ち上がってきています。それを直ちに新型の全体主義または
 ネオ・ファシズムと結論づけないまでも、それに通じる急激かつ重大な位相の変化が起きつつ
 あることは否定できません
 
・目的不明のCMが何を表象していたかについてはもっともっと深い考察が必要と思われます。
 サブリミナル広告のような社会心理学的に重要な効果を生んだと思われます。ありうべき
 騒乱的事態、示威行動、抗議運動を心理的に抑制させる効果もあったのではないでしょうか
 
・日本という国では、「だれが責任をもってそう命じたわけでもなく、なんとなくそうなっていく」と
 いう、主体のない鵺のような現象がしばしば生じるのですが、311後の言語状況もそうです
 
・たれひとりとくにこれといって風変わりな、怪奇な、不可思議な真似をしているわけでもないの
 に、平凡でしかないめいめいの姿が異様に映し出されるということはさらに異様であった。
 『マルスの歌』の季節に置かれては、ひとびとの影はその在るべき位置からずれてうごめく
 のであろうか
 
・この幻燈では、光線がぼやけ、曇り、濁り、それが場面をゆがめてしまう。(石川淳)
 ~これは戦時における日常の雰囲気を実時間で最も見事に描いた石川淳の小説
 「マルスの歌」(1938年=昭和13年)の一節です。
 
・ジャーナリズムも国家同様に「事実を秘密足らしめる」働きをしていたのではないかという疑い
 が拭えないのです
 
・メルトダウンの事実を報じなかった新聞、テレビは戦後報道史でも特筆に価する汚点でした
 
・歴史の実相は、誰の目にも同じく明確なのではなく、言葉によって糊塗され、ゆがめられること
 がしばしばです
 
・惨状の内面化の作業が、大震災と原発事故でどれほどなされたのかわたしには疑問です
 
・事実と現実と数値はたっぷりとあるのです。しかしそれらを生身の人として感じ取り語ろうと
 する言葉はないか、鬆(す)が立っているのです
 
・残忍とは、事実に言葉が追いつかず、ペラペラに乾いた記号と数値でしか出来事を語れなく
 なってしまった、その異様な(と同時に、異様を異様とも感じることができなくなった)酷さを
 言うのです
 
・言葉は核というものの諸現象と事実に遠くおいていかれました。原民喜のような言語的挑戦は
 じつに久しくなされていないのです
 
・膨大と無は良く似ていて、いずれも虚無と不安の発生源です。膨大と無の同居、それが残忍な
 現代社会の最大の特徴です
 
・人は死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死においてひとりひとり
 その名を呼ばれなければならないものなのだ。(石原吉郎)
 
・視えない死をも視ようとすることが、いま単独者のなすべきことではないのか。そうわたしは
 自身に言い聞かせるしかありません。
 
・311のおかげで、もともとあった言葉と実体の断層(例えば、原発の安全、低コストといううたい
 文句と原発の実体)が証されたのです
 
・後期資本主義とそのグローバル化は、言葉と実体(実態)の断絶を世界中に広めたとわたしは
 思います
 
・麗しい商品名とそのCM(言葉・概念)が商品(実体)そのものではないことをいまでは誰もが
 知っています
 
・政党のマニュフェストは、履行されないことの少なくないことを、いまや暗黙かつ公然の前提に
 しています
 
・言葉の全面的虚偽もしくは機能不全にうすうす気づいていながら、気づいていないふりをして、
 強制されてもいないのに自由な言説を自己抑制し、課されてもいないのにみずから謹慎して
 しまう、オーウェルやブレヒトもまさかここまでとは予想しなかったであろう、おのずからの
 ハーモニアスなファシズム世界です
 
・言論を弾圧する許しがたい敵は、鵺のような集合意識を構成しているわたしたちひとりびとり
 の内面に棲んでいる気がいたします
 
・関東大震災は人間が絶対化してきたことを一気に相対化した。今から80数年前、25歳の
 川端康成は玄奥な真理について、そう軽々と言い放っています。
 
・人間が絶対化してきたことがらは、科学技術にせよ市場経済にせよ、311で一時的に価値観
 が揺らいだにせよ、すぐまたそれらへの帰依が復活してきているかに見えます。これは
 どういうことでしょうか。
 
・歴史観、宇宙観、人間観は、時代の進行とともに深まっているのではなく、むしろ後退して
 いるようにさえ感じます。
 
・これほど言葉が空洞化した社会なら、思い切りシャッフルされて、いったん消えてしまっても
 惜しくはないそういう気分は、余人はいざ知らず、わたしには近年一貫してあるのです
 
・われわれは本当のところは、言葉に真に切実な関心を持っていないのではないでしょうか。
 それは、かつて石原吉郎が指摘したように、人間そのものへの関心の薄らぎを示すものかも
 しれません
 
・恋愛や家族関係にあっても、言葉とは窮極的には死や屍とひきあうもの、隣りあうものでは
 ないのか。そう思ってここまで生きてきました
 
・言葉が最も良く届くのは、語り手(書き手)も聴き手(読み手)もまったくの「個」であるときだけ
 です
 
・大震災後の言葉に名状しがたい気味悪さを覚えるのは、言葉の多くが、生身の個の
 ものではなく、いきなり集団化したからではないでしょうか
 
・鴨長明は大震災、大火など五つの天災の経験を目撃談風に語り、人々とそのすみかの無常
や生滅流転を、和漢混合文で記してから、ついに世俗を捨て去った自分の閉居生活の
ありようと心境を描いています
 
・大火焔のなかに女の顔を思い浮かべてみて、私は人間存在というものの根源的な無責任さを
自分自身に痛切に感じ、それはもう身動きもならぬほどに、人間は他の人間、それが如何に
愛している存在であろうとも、他の人間の不幸についてなんの責任もとれぬ存在物であると
痛感したことであった。(方丈記私記堀田善衛)
 
・天皇をはじめとして全部が罹災者、つまりは難民になってしまえば、それで終わりだ、という
ことは、つまりはもう一つのはじまりだ、ということだ。(方丈記私記堀田善衛)
 
・全てを震災ビジネスが吸収しつつあります。言葉はいま、言葉としてたちあがってはいません。言葉はいま、言葉として人の胸の奥底にとどいてはいません。言葉はいま、自動的記号として絶えずそらぞらしく発声され、人を抑圧しているようです
 
・ことばを私達が奪われるのではなく私達が言葉に見放されるのです。言葉の主体が既に
 空しいから、言葉の方で耐え切れずに、主体である私達を見放すのです。(石原吉郎)
 
・民主主義は、おそらく私達の言葉を無限に拡散して行くだろうと思います。腐食するという過程
 をさえ、それは待ちきれない。例えば怨念というすさまじい言葉さえ、明日は風俗化して拡散
 される運命にあります。(石原吉郎)
 
・宮澤賢治の詩「眼にて云ふ」、逝く者の視界にこそ、本物の言葉がありました。その最後の
 10行はこうです。 
 血がでてゐるにかかはらず
 こんなにのんきで苦しくないのは
 魂魄なかばからだをはなれたのですかな
 ただどうも血のために
 それを云へないのがひどいです
 あなたの方からみたら
 ずいぶんさんたんたるけしきでせうが
 わたくしから見えるのは
 やっぱりきれいな青ぞらと
 すきとほった風ばかりです

長文に最後までおつきあい頂き、ありがとうございました。


******************************

<PS>

7月22日の東日本大震災復興・再生支援コンサート&講演でもご紹介した、
知人の日本画家・設楽雅美さんも出展するグループ展『サマーフェスタ』が
8月2日~8日まで銀座のギャラリー枝香庵で開催されます。

アクセス
http://echo-ann.jp/#/access

絵が好きな方は良い絵をリーズナブルに購入できる機会なので、ぜひ足を運んでみてくださいね。
 
 



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