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メルマガvol.93「無関心をなくしたい!」にいただいたメールから

こんにちは。にんげんクラブのこだまゆうこです。

今回ご紹介するのは「無関心をなくしたい!」にいただいた皆様からのお返事メールです。
それでは、下記に皆様からのメールを転載いたします。
いつもありがとうございます。
 
 
●「無関心をなくしたい!」メルマガ感想
 
大塚和歌子さまより
楽しく拝見させていただきました。
無関心は、無感動につながるかもですね。わたしもおもいあたるふしがあります。


くらかたまきこさまより
いつもありがとうございます。
私の今年は、愛することができる一年にしたいとおもいます。
よろしくお願いします。


K.Mさま 男性より
有難うございました。素直な温かい方ですね。
私の元旦の祈りは、マンションの屋上から・・・・
元初の光を待って居て、じっと見つめてから、
地球の平和と、新しい地球文明へスムーズに移行できるようにと
そして、自らの使命を全うできるようにと深い祈りからの年明けでした。
宇宙が、愛そのものと感じられるこの頃です。
これからも宜しくお願い致します。
77歳の青年から・・・・・・


Y.Sさま 女性より
いつもメールマガジン楽しみにしております。
さて、無関心についてですが、私も自分が傷つきたくなくて
みてみぬふりどころか良い人ぶったり人の言葉に左右されたりして
気がつけば何がよいのかわからなくなってしまっています。
 
極端に人の目が気になりなんかこれでいいの?と自問自答したりして、
そのてんうちの主人は相手に聞こえるくらい大きな声で、あれはいかんぞとか
相手に睨まれたりしてヒヤヒヤしてしまいます。だから主人は相手を圧倒させます。
いいのか悪いのかわかりませんが、後になって相手の人に響くか恨まれるか
わかりませんが無関心という観点からいけば感心があるのでしょう。
 
私は冷たい人かも知れません。電車の中の彼は誰にも相手にしてもらえない
人なのかもしれません。
注意は出来ないけどいつかわかる時がくるとその場にいたら私なら心で思います。


H.Wさま 男性より
人間が人間らしくある為には『勇気』が必要なんだろうと思います。
『財貨を失ったのは、いくらかを失ったことだ。名誉を失ったのは、多くを失ったことだ。
 勇気を失ったのは、全てを失ったことだ。生まれなかった方が良かっただろう!〜ゲーテ』
 
 
山田 綱史さまより
私も、無関心のなんと多いことでしょう。
マザー・テレサさんの日本人の無関心という言葉にドキリとします。
私は田舎で育ちました。近所のおばあちゃんに叱られた記憶があります。
近所の人たちに子ども達が、気楽にしつけられる環境がいいなぁと思います。
ありがとうございます。
本年も、こだまゆうこさんにとって、よき年でありますよう心よりお祈り申し上げます。


MARIKO YAMAMOTOさまより
時々私も現象に振り回されそうになりますが、
そういう時はまさしく、ホ・オポノポノですね。
今年もよろしくお願いします。


T.Iさま 男性より
船井先生の去年(2009年)読んで最も感動した本 5冊の中に
永 著『日本人でいる奇跡』 (2009年10月15日 文芸社刊)という本が
紹介されていましたので、正月休みに読むには丁度いいと早速、読ませていただきました。

「ありがとうございます」 に込められた神の意を感じると共に実践する事にしよう!
と無言の時(運転中や仕事中)心の中で 「ありがとうございます」 とつぶやき続けています。
 
不思議な事に先日(1月11日)に お伊勢参りに行かせていただいたのですが
渋滞にまったくはまることなくETC1000円の恩恵を受けることが出来ました
(帰りの車でラジオから流れる渋滞情報は2時間前に通過していた場所を
確かに報じているし、反対車線は大渋滞なのです...。)
 
伊勢参拝の参道の道交う人の眉間のしわが気になりましたので
自分の映し鏡として神様が教えてくださってるんだな〜 と
「ありがとうございます」 をつぶやいていました(笑)
 
ホ オホノポノにも問題を解決する魔法の言葉
「あいしています」 「ごめんなさい」 「ゆるしてください」 「ありがとう」
が紹介されていますが、これに「感謝しています」を付け加え、
5つの言葉を日々天照大神に捧げさせていただいています。

ありがとうございます。


S.Yさま 男性より
今年も楽しいメルマガを楽しみにしています。
今年は旭川に帰省したのですか。
私も札幌なのでよく分ります。今年は除雪ばかりしてました。
 
今回は無関心の話ですね。私は何でも無関心ではいられません。
家族、友人、仕事、日本の国、等等
時々、自分でもお節介過ぎる事があるかな〜と思うことがありますが
しないより良いかなと思っています。

お節介と無関心の違いは考えたら、自己満足になっていないかどうか、だと思います。
それでもお節介は難しい(笑)


よしだひさえさまより
はじめまして、私は帯広に住んでいます。
昨日、東京から帰ってきたばかり、無関心な心を作るのは、何なのでしょうね。

東京には、4泊5日いて新宿の料理教室セミナーのお手伝いに参加してました。
つぶつぶピースフードセミナーっていいます。
大地のお母さんおっぱいである穀物を食べて平和に生きよう!
っていうことなのです。
詳しくは、http://www.tsubutsubu.jp

通う途中でいつもの場所でいつもの列車に乗り
ウ〜ッ!!!臭〜い〜
ちょっと離れて座ったけれどまだ臭い きょーれつ〜
あれっ〜この車両だけ、人がいなくて両隣りに人がたっくさん
みんな臭くてこの車両を避けていたみたい
後から乗り込んだ人も隣の方へ逃げて行きました。
アハハッ!
 
きづくのが遅い私でしたがいいっかぁ〜ってそのままでいたら
すぐに臭いには、なれました。が・・・汚物の神様でもいたのでしょうか?
臭い物に蓋(無視)をするのではなく、根本(原因)をきれい(平和)にしたいものですよね。
 
つぶつぶに興味があったら、10月に帯広まで
ゆみこさんが来てつぶつぶピースフードセミナーがあります。
旭川の知人友人に是非、お知らせください。
ありがとうございます。


M.Nさま 女性より

こんな迷惑な人、早めに罰があたればいいのに、や、
見なかったことにしよう、ではなく(笑)、
彼にも神のご加護がありますように、
と、祈れるくらいの関心は持っていたい、と思っています^^。

とても良い心がけですね。私も以前はバスや電車で二人分の席を使って
堂々としている学生さんをみると腹が立って親の顔が見たいものだと思い
イライラしましたが、最近では「まあなんと”勇気”のある方」とむしろ尊敬してしまいます?!

そしてそういう諸々の場に出会ったときには、
心の中で「ごめんなさい、ゆるしてください、愛しています、ありがとうございます」と唱え、
その方の幸せを祈ることにしています。自分の心もやすらいで穏やかになれます。
アセンションに向かっての波動の高まりで、これまでより以上に言葉を口にださなくとも
意識は波動で伝わっていくと思いますので、日々何を思い、考え、話すかが
とても重要になってくると感じています。


T.Wさま 男性より
今年は、無関心をなくすようにします。
お蔭様で、ありがとうございます。


川崎眞志男さまより
昨年は、横浜での全国大会の折お世話になり有難うございました。
こちらこそ今年もよろしくお願いいたします。
今日、目がさめて外を見てみるとなーんと積雪していました。
測定してみると午前10時現在で7㎝でした。
これほどの積雪は、天草では20数年ぶりだと思います。
外には、お隣のおじさんと子供で雪だるまができています。
 
さて、昨年宮崎の幸島ツアーの時大下伸悦さんにはお話をさせて頂いたのですが
今年より私の「健幸一番楽らく農園」のブログにて【あなたの健幸から地球環境善循環へ向けて】
をテーマに、みーんなが喜び、地球まで喜んでもらえる本物の中の本物を発信しています。
 
何分,お米つくりが本業なもので、パソコンの方は昨年の暮からで、まだよく分かりません。
まだまだですが、会員のみなさんにご覧頂ければとても嬉しいです。
毎日、少しずつ発信しますのでよろしくお願いします。
今年も素晴らしい最高の一年になりますようにご祈念申し上げます。
感謝


わださまより
係わり合いを持ちたくないってのはよく分かります。
大半の人が【私も含め】多分そうであろうと思います。
納得しきれない何かが心の中に残るのも確かなことです。
『山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し』といいますが、
山中の賊を破るのも大変です(笑)
 
しからずんば、何も出来ないのかというと、そうではないんだろう!
男・女・武道の達人etc関係なく『覚悟を磨いているか』が
キーワードなんだろうとうっすらと考えています。


Y.Mさま 女性より
初めてメールします。
愛の反対は無関心であるという、マザーテレサの言葉は知っていましたが、
私は実践はできていないと思います。
それを思い出させてくれた、とてもいいメルマガでした。
これから少しずつでも、行動にあらわしていきたいと思います。
ありがとうございました。


O.Tさま 男性より
自分は、マザーテレサのその言葉を完全に理解しているとは思いませんが、
何となく分かります。今、日本はそういう人が増えていて大変だと思います。
会社人間の無関心を装う人の何と多いことか!!
しかも、間違った先入観を元に無関心を装う奴を見ると激しい怒りを覚えます。
 
でも、何も無かったかの如く、通り過ぎてから、奴は自分をそういう人間に作りつつ
あるのだと思ってます。そういう殻を作りつつあると思ってます。
多分、イザ無関心ではいられない時に、その過去の経験が甦り、肝心の思考・行動を
邪魔するのではないかと推察しています。
 
あまり、こういうことを書いてはいけないのではないかと思いつつ、こだまゆうこさんの
素直な表現に心を揺り動かされて書いてしまいました。
自分にとっても、これを書いたことは、自分の毒気のガス抜きになった気がします。
そういう意味で有難うございます。
以上


Y.Iさま 女性より
いつもメールをありがとうございます。
注意することは、本当に勇気が要りますし、パワーも使います。
まして、今のご時世、こだまさんがおっしゃるとおり「逆切れ」もあって
怖い思いも覚悟しないといけませんし、「うざい!」「重い!」と言われて
嫌われ者になる事もしばしば。
 
「はいはい…」なんて、まるで他人ごとのように聞き流された日には、
言った私がバカみたいで「あ〜言わなきゃよかった…」と、後悔もします。
あたって砕けろ精神と怖いもの知らずな性分で、何でもストレートに口に出して
「損」ばかりしてしまう私ですが、最近は面と向かって人に注意することができなくなりました。
 
それは、社内でもです。以前は「歩きタバコなんて、カッコ悪いぞ!
見てる人は見てるんだから!」とビシッと言えましたが、最近は心の繊細な人も多く
「個人攻撃した!」などと受け止められるので、「一般論」として、「CSの観点から、
社会人として歩きタバコはいかがなものでしょうか?」と対象者を含む多数の人
(グループ登録している)に「どうか当の本人が気がつきますように」と祈る気持ちで
メールを投げ掛けて様子を見ています。
 
ですから、見ず知らずの体の大きい大人の男性に向かって女性が1人で直接注意するなんて、
それは「勇気」ではなく「無謀」だったことでしょう。
私も一対一で注意することはできなかったと思います。
 
その状況で出来る事と言えば、そうですね…車掌さんに言って注意してもらうとか、
自分1人ではなく、他に気になっていそうな周りの人(自分と目があった有意の人?)にも
そっと声をかけて、数人を巻き込んで一緒に注意することは、もしかしたら出来たかもしれません
(同意が得られたらの話ですが…)。
こだまさんと同じ気持ちの有意の人が近くにいたかもしれませんね。


H.Aさま 男性より
入会させていただきまして、まもなく1年になります。
メルマガに会報、船井先生の著作、紹介していただく本と
楽しく勉強させていただいています。

この度のメルマガを読ませていただき、どうしても感想を
お伝えしたくメールさせていただきました。
こだまさんが、おっしゃった電車での状況、よくあります。
文章がお上手なので、とてもリアリティがありイメージが湧いてきました。

私は、22年間電車通勤をしています。
様々なことを目撃しました。喧嘩、酔っ払いの暴言、置き引き、
痴漢、イヤホンからの大音量、携帯での通話、
通勤時の飲食(おでんを食すOL3人組)等々

喧嘩や酔っ払いは止めに入ったり、注意することは難しいです。
関わろうと思ったとたん、心臓がドキドキで思うように体が動きません。
私が躊躇しているところに、見事に間に入り、周りに不快も与えずに
対応なさった方がいらっしゃいました。お見事でした。
しかし、私は真似しようと思っても出来ません。正直、足がすくみます。
痴漢を見つけたときは、勇気を振り絞り「やめなさい」と声をかけたら、
逃げていきました。それでさえ、心臓のドキドキがしばらく止まりませんでした。

イヤホンからの大音量には、ついムッとして「小さくしてください」と
強い口調で言ってしまったこともありました。
しかし、これも後味が悪いのです。しばらくの間、自分の心が波立つのです。
ある日、高校生の男子に注意しましたら、
「おっしゃることは解りますが、言い方に気をつけてください。」と言い返されました。
これには、参りました。いや、教わりました。
私は、不快で相手が怖いので、あえて強い口調で言っていたのだなと。
いや〜本当に小心者でございます。ここに書いていて恥ずかしいです。

それ以来、どうしても注意しなければと思うときは、
相手に対して敬語でお願いする口調で言うようにしました。
すると、相手も丁寧に対応していただけるようになり、
私の心の波立ちも、少し消えました。

しかし、それは私が丁寧に伝えたら解ってくださりそうなときにのみなのです。
すこしでも、逆上しそうな方に対しては、見てみぬふりです。
心の中で合理化して、自分に言い聞かせるしかありません。

ずーと心の中で気になっていたことが、本日解消しました。
「彼にも神のご加護がありますように」ですね。
「愛と調和」ですね。マスターはまだですが理解しました。
それに、私の行為は時として関心でなく、エゴだということもきずきました。
ありがとうございました。
うれしくて、メールさせていただきました。


豊見山 進さまより
こだまさんのメルマガの文面に思わず苦笑いしてしまいました。
と申しますのは私も大学時代にこだまさんと似たような経験をしたことがあるからです。
 
バスの中の出来事でした。男子高校生(着けているズボンでそれとなく
高校生とわかりました)3名がバス停でバスに乗って来て、最後部座席に座り
5分くらいして喫煙を始めました。
 
あっけにとられると同時に怒りがこみ上げてきて注意しようとしましたが、
相手が3名ともソリを入れて、まるでその道の予備軍のような出で立ちでしたので
足がすくんで注意する勇気もなく、周囲も我関せずの雰囲気が漂っていましたので、
ま、いいかと済ましてしまいました。
 
もう一件はこれまたバスの中での私自身の出来事ですが、大学時代バスの中に
座っていたら40代と思われる女性がバスに乗ってきて私の前に立ちました。
席を譲ってあげなければと思う反面、疲れているから(今では言い訳になりますが)、
これまた、ま、いいかと寝たふりを決めてしまいました。
帰宅してから何か後味が悪く、自分の勇気のなさと心の弱さをしみじみと感じた記憶があります。
 
こだまさんと同類相哀れむ訳ではないですが、世の中一遍通りにはいかないもので、
また誰もが同じ事が出来るとは限りませんので、臨機応変に考えていきましょう。
唯、無関心だけは無くしましょう。
こだまさんの件と言い、私の件と言い、周囲が関心を示し何かあったらサポートしてくれる
雰囲気が感じられば、勇気も出てきて正義を行うことが出来ますが現状では厳しいですね
(命をかけて正義を行った結果、殺されては元も子もありませんので)。
 
そこで考えさせられるのは、こういう状況(高校生のバスの中での喫煙、
電車の地べたに座りゲーム機で遊ぶ大人)を作らない為には、
私たちに何が出来るかということです。
 
もちろん皆が無関心を装わないで注意してあげるのも大切ですが、
根本は家庭にあると思います。たぶんこのような人たちは家庭で
親の愛を受け損ねて育った人たちではないでしょうか?
 
愛あふれる家庭からはこのような人たちは出てこないと思います。
愛あふれる家庭が増えればこのような人たちは減っていくでしょう。
しつけ、教育、愛は家庭から!これが一番大切だと思います。


H.Kさま 女性より
マザー・テレサの『愛の反対は無関心』 考えさせられました。そのとおりだと思いました。
児玉さんは、今うらみも腹立たしさもないと書いてありましたが、うらやましく思いました。
私も早く、腹立たしさを感じなくなりたいです。

でも、私が腹立たしさを感じなくなった時は相手に対して
本当に無関心になった時じゃないだろうか!?とも思いました。
船井先生のおっしゃる様に包み込みの精神・愛まで達観するのはまだまだ遠い道のりです(*´Д`)=з
どうして隣近所なのに挨拶しないのだろう!?と毎回腹立たしくなってしまうんです。
挨拶は人としての基本だと思います。
 
難しいけど、いつも『愛』の言葉を胸に抱きつつ、日々精進するしかないですね('-^*)/
いつもメルマガありがとうございます。
 
 
A.Kさま 女性より
こだまさんからのあたたかいメルマガはいつも楽しく読ませていただいています。
「無関心」というテーマはいつも自分の心にひっかかりながらも流していた・・・
ことだったので、あー来たな(すみません)、という感じです。

電車の中でこだまさんが遭遇した人に注意をするのは、たいへんな勇気がいると思います。
実際に私も東京の電車に乗ったとき、目の前の座席に長々と寝そべっている人を
みかけたことがありますが、私もですが誰も注意をする人はいませんでした。
あきらかにみんな迷惑していました。注意してもし怒って暴力をふるわれたら、
と考えると恐かったです。
 
これも「無関心」のひとつだとは思うのですが、注意をすることに
よほどの覚悟が必要な世の中になったのは悲しいことですね。
私は田舎に住んでいますが、田舎でも昔ほど他の人に
注意をすることが少なくなってきたように感じます。

話はかわりますが、去年夫が大病を患い長期の入院(時々帰宅)になりましたが、
わざわざお見舞いに来てくださった方に夫はほんとうに感激していました。
でも、かなり親しくしていた方がお見舞いに来てくれなかった、ということもあり
夫は「こんなものさ」とは言いながら落胆していました。
 
夫の病をききながらも足が向かなかったのだとは思いますが、
こちら側は、「無視された」、というおもいが残りました。
でも夫も私も、今まで人の痛みや悲しみに無関心ではなかったかと
自分を反省するいい機会になったと思います。
 
夫の病気をきっかけに、病気で苦しんでいる人、病気の家族を抱えている人たちに
会ったら悩みを聞いてあげたり励ましたり何か力になれればとおもいます。
これからも勉強させていただきます。   
こだまさん、ありがとうございました。


小澤 嘉都代さまより
こんにちは。こだまさんの無関心をなくしたい!を読んで色々と考えさせられました。

私は足の靭帯を断裂してしまい、松葉杖で生活して一ヶ月になりますが
仕事には電車で通勤していました。
その通勤途中で全く知らない私に無関心ではなく、親切に暖かい言葉
(大変そうだけど大丈夫?早く良くなるといいわね等)をかけてくださったり、
席を譲ってくれたり、エレベーターのボタンをずっと私が降りるまで
おしていてくれたりした人達が沢山いました。
 
足は不自由ですが涙がでるくらい世間の人達の優しさに触れることができで嬉しかったです☆
私自身は恥ずかしながら他人には無関心ですごしてきたように思います。


薮下宏美さまより
こだまゆうこさんの「無関心をなくしたい」という気持ちに、とても共感します。
そこで、「他人に関心あります!」宣言をし、
ここに「関心隊」の隊員として活動することを宣誓します!
(「関心隊」は今つくりました(笑) イメージとしては、こんな感じです↓)
http://kokusaikyujotai.com/?m=pc&a=page_o_free_page&c_free_page_id=4
もし今後、今回の「さわらぬ神にたたりなし」のような場面に遭遇したら、周りを見回してください。
そして、視線を合わせて深く頷く30代半ばの女性がいたら、
それが私ですので、一緒に行動を起こしませんか?

たとえば、今回の場合なら、ゲームをしている男性に、
弟に話しかけるような感じで、
「久しぶり! 元気だった? こんな所に座ってないで、さあ立って立って」
と、2人で声をかけるのはどうでしょう。

2人とはいえちょっと怖いので、駅に停車する前に声をかけ、
ドアが開いたらさっと降りてしまいましょう。
いかがですか?おもしろそうな気がしてきました。ワクワクします。
こんな風にさりげなく活動する「関心隊」の隊員が増えれば、
公共の場で安心感が増すし、とても楽しそうですよね。

それでは、次のメルマガも楽しみにしております。
寒い日が続きますが、皆さまのご健康をお祈りいたします。
愛と感謝をこめて
 
☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆


●無関心をなくしたい!メルマガ本文
 
こんにちは。にんげんクラブのこだまゆうこです。
 
さわらぬ神に祟りなし
という言葉がありますよね。

特に最近のニュースを見ていると、
この言葉を身にしみるように感じます。

ちょっと人を注意したら、逆恨みされたとか、
親切にしたつもりが、逆に妬まれたとか。

ほんのささいなおせっかいから、
命にかかわる事件へと発展することもあります。

先日電車に乗っていたら、
二十代後半くらいのとても大きな男性が乗ってきて、
おもむろに電車の地べたに座り、
小型のゲーム機で真剣に遊び始めました。

まだ昼間で酔っているわけでもなく、
そこそこ混んでいた電車だったのですが、
まるでそうするのがあたりまえのように、
ずっと出入り口の前に座りこんでゲームをしていました。

もちろん私もそうなのですが、
まわりにいる誰も、それを見ても注意しません。

親切心から注意をしても、
こんな大きな体の男性に逆上されたら、
たまったものではないからです。

一時の勇気が、とっても面倒くさい。
注意をした後のリスクを瞬時に計算すると、
そこにいた人々は、示し合わせたかのように、
無関心でいることを決めました。

誰もその男性のほうを見ない、
決して目を合わさない、
まさに「さわらぬ神にたたりなし」状態なのです。

武道の達人でもないかぎり、
こういう時には、そっと無関心でいるのが良いのだろうと思いそうしましたが、
それでもやっぱり、妙なしこりは心に残ります。

なぜあの青年は、私の前に現れたのだろうか。
私は何をすれば良かったのだろうか。

答えの出ない疑問が、頭の中をよぎります。


さてさて、このようなたとえは、
ちょっと大げさでしたが、
先日、エドガー・ケイシーの『神の探究』(たま出版刊・光田秀訳)
を読んでいたら、こんなことが書かれていました。

「自分がどれほど神と親しいかを知りたければ、
 自分のことをよく調べ、わたしたちが隣人に対して
どのような気持ちで接しているか吟味してみることです。」


自分がどのような気持ちで隣人に接しているかを考えてみると、
親しい人には、できるだけ親しく接しており、
誰かを憎むことも恨むこともないけれど、
その他多くの場合は、「無関心」でした。

見て見ぬふり、聞いて聞かぬふり、
面倒くさそうなところには、ひたすら無関心でいたい。

関心を示すことや親切なおせっかいは、
時には自分も傷つくことがあります。
それが、私にはまだ怖いのです。

ということは、神に対しても何かしらの恐れがあり、
無関心でいたいときもあるのだろうか。

そんなことを考えました。


かつてマザーテレサは、
「愛の反対は、無関心です」と言いました。

愛の反対は、怒りや憎しみや、恐れでなく、無関心なのだそうです。
そして来日した際に、日本にこの「無関心」が蔓延していることを、
マザーはとても心配したそうです。

船井が幼少のころは、
近所の知らないおじさんやおばさんたちに、
しつけられ、叱られながら、育ったと聞きました。

かつての日本には、
おせっかいな、おじさんやおばさんがたくさんいて、
そこには、無関心はなく、愛があふれていたのだろうと思います。
(今でも田舎には、愛のあるおせっかいが残っていますよね)

また船井から、
有意の人となるには、
人にはできるだけ、親身になって接するのが良い
と、聞きました。

多くのことに、無関心でいたいと思ってしまう私は、
まだまだ愛と調和の心が足りないのだろうと思います。

2010年の目標は、
もっと人には親身に接し、
無関心をなくしていきたい、と思いました。

電車の彼や、明らかに迷惑行為をする人には、
声をかける気にはまだなれないけれど、

こんな迷惑な人、早めに罰があたればいいのに、
や、見なかったことにしよう、
ではなく(笑)、
彼にも神のご加護がありますように、

と、祈れるくらいの関心は持っていたい、
と思っています^^。

――――――――――――――――――――――――――――
*:・'゜☆。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。.☆:*:・'゜:*:・'゜♪。.:*: *:・'゜

【今日の成功ぐせ】

 無関心をできるだけなくして、
  愛と調和が溢れる人になろう。

*:・'゜☆。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。.☆:*:・'゜:*:・'゜♪。.:*::.。*:・'゜
あなた様に、更なる成功ぐせが身について、
        益々幸せになることをお祈りいたします。
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