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こだまゆうこのスマイルレポート 2015年

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2015年もありがとうございました。

こんにちは。2015年もあとわずかとなってきました。

前回のブログを更新したら、その後すぐに重めの風邪をひいてしまって、
寝込んでいるうちに、いつの間にやらクリスマスも終わっていて、
あっと気づけば年末も押し迫っております。


去年風邪をひいたときに、もう二度と風邪をひくことはないと思っていたけれど、
やっぱり今年もひいてしまいました。

冬の寒い時期に、無理をして常夏のフロリダに行って、
強行日程で帰ってきたから、その無理が今頃からだに出たのかなぁと思っています。

でもまぁおかげで、身も心もたくさん浄化できました^^。
そんなこんなで風邪にも感謝です。今はほとんど治っております。

ずっと寝ていたので、今年も年賀状は元旦に届くようにはきちんと書けていません。
去年はいろいろ思うところあって年賀状を全体的に遠慮したのですが、
今年は送ってくださった方にはお返事したいなとは思っています。


さて、たぶん今年最後のブログになるので、
今年一年の雑感をまとめてみたいと思います。


今年は、それぞれの人に、様々なことが起こったかと思いますが、
個人的にはとてもありがたい一年間でした。

こんなに幸せで、ありがたい年があってもいいのだろうか、と思えるくらいに、
生涯で一番幸せでありがたい年でした。

たぶん今まで生きてきた30年くらいが、1年に凝縮されたと言っても過言でないくらい、
いろいろと成長できた年でした。

でもこの生涯で一番幸せでありがたい年というのは、
べつに今年が特別というワケではなく、毎年更新しながら感じていることですので、
このまま来年も再来年も、どんな状況であっても同じ気持ちでいられるように、
日々精進していきたいと思っております。


守・破・離 という言葉がありますが、
2014年と、2015年は、私の中では徹底的に「破」をやりつくしました。


2014年に舩井幸雄会長が亡くなるまで、
ずっと舩井会長の教えを「守」っていることだけを美徳としていましたが、
亡くなられてはじめて、自分は舩井会長に頼ってばかりで、
自分の頭では何も考えていなかった、自分の両足では全く立てていなかった事実に愕然としました。

そうして、まわりの人に誤解されたり、ひんしゅくをかうかもしれないけれども、
なんとしてでも自分の道をみつけたかったので、
二年かけて徹底的に、舩井会長の教えを「破」として、ゼロに戻しました。

これは、舩井会長の教えをまるっきり否定するとか、
恩を忘れるとか、そういうことではなくて、
教えていただいたことを、自分の血肉として本当の意味で生かすために、
一度離れてゼロにしてみたかったのです。

舩井会長に対する恩を忘れた日なんて、たったの一日もありませんよ^^。


破壊と再生を繰り返して、かなりキツイ二年間ではありましたが、
来年の2016年から、ようやく「離」に入れそうです。

今のところは、本当に破壊しつくしてゼロの状態なので、
来年がどんな自分として立っていくのか全くわかりませんが、
どんな自分であっても、自分だけは自分を信頼していたいと思っています。

ということで、2014年、2015年の間に、
「破」な状態の私に、
ちょっと(かなり?)違和感を感じたり、変わってしまった、と思われた方がいらっしゃいましたら、
そういうことでしたので、失礼なことがありましたら、申し訳ございませんでした。

これからは、もうちょっとつきあいやすい人間になりたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。


家族や、会社の皆様、その他お会いできた皆様、
ご先祖様や、導いてくださったタオのマスターの皆様方、
神々様や、いろんな見えない世界の皆様、自然界の皆様、
今年一年支えてくださった皆様がた、本当にありがとうございます。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

本当の意味ではまだ生まれてさえいない

こんにちは。冬至ですね。

一年で一番夜の長い日です。
様々なところで、この日までにいらない余分なものを処分したほうが良いと聞かされましたが、
いまだに私には余分なものがいっぱいあるような気がします。

なかなか片付けは難しいですね・・・。
毎年、冬至とはいえ、まだ年は明けてないから、とか
正月は過ぎてもまだ節分まではOKだから、
などと言っていっこうに片付けは進んでおりません。

今年こそはなんとかしたいものです。

さて、先週の土曜日は『宇宙からの黙示』でした。
たくさんの方々とお会いできて、とても愉しいひと時を過ごせました。

小川社長と村中愛さんのお話では、宇宙銀行の暗証番号の解き方がお話されて、

鈴木真佐子さんと遠藤園子さんのクリスタルボウルの紹介と演奏では、
素敵な音にとても心が癒されました。

宮崎ますみさんとはせくらみゆきさんの講演と対談は、
女神様のようなお二人のかけあいが心地よく、
軽々と楽しく生きていけるヒントをいただきました。

そしてボブ・フィックスさんのフルフィルメント瞑想では、
とても深いレベルで瞑想ができたと思います。

とはいえ、瞑想をきちんとするつもりが、
途中で何度もぐっすりと眠ってしまって、
首が痛いほどにカクンと曲がって起きるのを繰り返しました。

睡眠なのか、瞑想なのか、なんともいえないくらいの深さでした。

ちなみに帰宅後日曜日は、普段ではありえないくらいに、
起きていられなくて、一日中寝続けました。

これも瞑想効果なのかもしれません。

そういえば今日も普段に比べて眠いので、
人間も本当は冬は冬眠するのが自然なのかもしれないな、なんて思っています。

あ、話がそれてすみません。

宇宙からの黙示では、今回で3回目となりました。

私はひそかに、このイベントはエピソードⅢまでで、
切りが良いから完結するのかなと思っておりましたが、
皆さんに喜んでいただけたから、今後も続けることになりそうで、
終了後の片付けの際に、スタッフ一同さっそく来年のプランを練っていたのが印象的でした。

参加する方だけでなく、主宰する側が、楽しんで企画しているというのは良いことですね。

本当に愉しいイベントですから、また来年、ぜひ皆様とお会いしたいと思います。

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それから、昨日は私のお話会でした。

今回はネットと、セミナー会場のチラシだけでの告知にしましたが、
それでも五名の方が来てくださいました。

遠くは熊本からお話を聞きに来てくださったり、
チラシだけ見て何が行われるかもわからずに来てくださった方がいたりして、
とてもありがたいことです。

また、いつもお話会に来てくださる方々もいらして、
宇宙からの黙示でもお会いしたのに、連日のセミナーにいらしてくださって、
本当に頭の下がる思いです。

いつもありがとうございます。

こうして、来てくださる方がいらっしゃるので、
私も少ないながらもアウトプットする場ができているんだな、と心から感謝しております。

今回は、クリスマスが近かったので、ちょっとだけプレゼントを用意していきました。
プレゼントと言ってもわざわざ買ったものでなくて、
取材の際にいただいた書籍とか、すでに読み終えた書籍、
それからフロリダでサイマーが持たせてくださったお土産などを、
おすそわけさせていただきました。

皆さんそこそこ喜んでくれたように思います^^。

いつもは、『ハートで繋がるお話会』として、

お話会の前に、みんなで瞑想をして、ハートをつなげてからお話し会が始まるのですが、
今回のお話会では、『彼方からのささやき』というタイトルで、
空間に散らばっている空気を言葉にしてみたいと思います、とカッコつけて新企画を立ち上げてみました。

そうしたら、ご参加の皆様が、本当に、散り散りバラバラに、ささやきというかつぶやきに近い感じで、
まったくまとまらずに話が展開していったので、
これはどう収集をつけたらいいのだろう、と正直かなり焦りました。

最後は、熊本からご参加された宇宙語をお話されるYeriaさんが、即興の宇宙語をお話くださって、
なんとかまとまったので、これはこれで予定調和で面白かったです。

良い経験になりましたが、宇宙語で解決するウルトラCが毎回使えるわけではないので、
次回からはまた『ハートで繋がる・・・』に戻したいと思います(笑)。

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このような形のお話会も、いつまで続けられるのか、自分ではよくわかりません。
もちろん来てくださる方がいなくなったら、続けられないというのもありますが、
私自身がいつまで喋れるのだろう?という気持ちもあります。

自分自身としっかり向き合っていく結果、
この気づきはまだ言葉にできない、言葉にしてはいけない・・・・・
というような瞬間に何度も出会います。

偉そうに文章を書いたり、お話会などをしているけれど、
私はまだ本当の意味で生まれてさえいないじゃないか、と思ったりもします。

この人生では、肉体とか、感情とか、思考とか、いろんなドラマを繰り広げてきたけれど、
それなりにがんばって生きてきたつもりではあったけれど、
そこに魂は一度たりとも登場していなかったのではないか。

そんな人間が人を導くようなことをしていいのだろうか?としみじみ思うのです。

だからお話会をすることが、良いことなのか、悪いことなのか、よくわからなくなることもあるのですが、
自分にもまわりの人々にも、正直に、誠実に、自分らしく、
できることをただただやっていこうと思っています。

冬至を迎えて、これからは、本当の意味で魂が生まれて自分の人生を歩んでいくことに、
全力を注いでいこうと思っています。

どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。


祈りの一分後に

ハロー。 フロリダから帰ってきました(笑)。
試しにハローとか使ってみましたが、ブログで書くとすごい違和感ですね^^。


なんだか、心の葛藤のいろいろあった旅でした。
でも、良い気づきがたくさんありました。


サイマーの本を書くことになった と、以前のブログで意気揚々と書きましたが、
それは、結局なくなりました。

じつはそれは私にとっては残念ではなく、ちょっとホっとしています。
(いろいろ、個人的なプレッシャーがあったので)

すでに私は、ヒカルランドから出た[実践版]ヒマラヤ聖者への道 IIベアード・スポルディング著 の3巻のまえがきの中で、サイマーについての文章は書いているので、
あの時点で、サイマーのことを書きたいと願った願いは、すでに叶っていたということなのでしょう。


さて、その変わりに、サイマーの後継者の方々や、日本のお弟子さんたちの
インタビューをたんまりとしてきました。


今までの私の経験ですと、一日にインタビューができる限界は二人まででした。
それ以上になると、必ず、頭の使いすぎで頭痛になり、高熱を出して倒れるのです。

でも今回は、英語と日本語の通訳つきで、一日に1人1時間、計5人のインタビューをこなし、
そこからさらに、夜はサイマーのワークショップ?が3時間くらいと、
さらにサイマーのお部屋に小川取締役と呼ばれて、1時間以上のうちあわせがありました。

そのうちあわせは、夜の12時半くらいまであったのですが、
その日の夜中の4時には、もうチェックアウトをして、空港へ向かわねばなりませんでした。

よく熱を出さなかったなぁ、と我ながら感心しております。

取材と取材の合間の、30分くらいのインターバルを、
プチ瞑想やプチ睡眠など静かに有効に使えたからだと思います。


初日はほとんど待機で終わり、
二日目は、長めの取材が二件だったというのに、
どうして三日目の最終日はこんなにたくさんの仕事をこなすことになったのか・・・・。

その鍵は、『祈り』にありました。


村中愛さんから、小川取締役にメールが入って、
なぜこちらは日本からフロリダまではるばる来ているというのに、サイマーと会えないのか、
見えない世界での理由が書いてありました。

それは、ひとえに、神様への祈りが足りないから・・・・。

(本当は、ものすごく複雑にいろんな神様が絡みあっている詳細なメールが来て、
 最後にはそれがすごい勢いで融合していったのですが、
 これはきっと小川取締役の講演などでネタになる話ですので、
 とりあえず、ここでは 神様への祈り ということにしておきます。)


それまでずーっと放置されていたというのに、小川取締役がお祈りをしたら、
一分後に電話がかかってきて、
あれよあれよという間に後継者の方々のインタビューがバタバタと入り始めたのでした。


詳しいお話しは、宇宙からの黙示の懇親会で個人的にお聞きいただくか、
もしくは21日お話し会でお話ししますね。


生前の舩井幸雄会長が、あれだけたくさんの本を書かれていて、
あれだけ自由に書きたいことを書いているように見えていたのに、

「本当に書きたいことの、1割しか書けん」

とよくおっしゃっていました。

当時は、うっそ~!1割は言い過ぎでしょう~と思っておりましたが、
今は、舩井会長のお気持ちがよくわかります(笑)。

後々まで残る文字に記せるものは、せいぜい1割がいいところだと思います。

ということで、よろしければお話し会に来てみてくださいね。

ちょっと短いけれど、今日のブログはここまでにします。

フロリダ.JPG
(取材の合間に、チラっと見えた夕景)

海.JPG
(見渡す限りの海。たまーにイルカの背びれが見えました。)

エントランス.JPG
(サイマーのワークショップが始まる前のエントランス。世界25か国、総勢700人くらいの人々が集まっていて、それぞれの国の人が美しくお花を活けていました)


クリスマスツリー.JPG 
(南国のクリスマスツリーです。もうすぐクリスマスですね。)

ずっと待機です。

こんにちは。
サイマーへの取材のためフロリダにいます。

長野から家にかえらず成田に泊まり、そのまま出国して、
ヒューストンでの乗り継ぎに6時間かかったので、
めちゃくちゃ遠かったです。

なんでこんな地球の裏側近くまで来ることになったのでしょうか。

空港では黒いキャデラックが待っていて、
高級リゾートホテルに着きました。

キャデラック凄いなあと思ったけれど、
他の車も大きな車ばかりです。
道も広いし、アメリカって何もかも大きいですね。

ホテルの部屋には、お花とくだものが届けられました。
サイマーからのプレゼントのようです。

その日はそのままご飯食べて寝て、
今日はサイマーからの連絡を待っていますが、
すでに17時30分を越えましたが、
未だ連絡がありません。

取材はいつ出来るのだろう?というか本当に取材出来るの?
とハラハラモヤモヤしています。

この時間まで会えないと初めからわかっていたなら
どこかに遊びに行ったのになあとか、
ていうか一日遅くきても良かったのでは?
とか思っています。

ずーっと待機です。

ひょっとして長野のサイレンスリトリートがまだ続いているのかも
しれませんね。
(あ、サイレンスリトリートの感想は書けそうにありません。
もうちょっと沈黙していたい気分です。)


ちなみに、今wi-fiを繋いでこれを書いていますが、
繋げるのに一日9ドルもかかります。

ipadで開いたのですが、携帯を繋げるとまた別料金が発生するようなので、
携帯のLINEは見れません。(業務連絡です)

今日はあまりに待機が長いのでwifiを繋いでブログを更新する気になりましたが、明日からはたぶん繫ぎません。

水は1リットル6ドルもするし、
ビーチで知らずにビーチチェアに座ったら17ドルとられました。

高級リゾートはそのうち息をしているだけで
空気代金を払わなければいけなくなるのではないでしょうか 笑。

数年前の私なら、こういうリゾート地に来れたら大喜びだったと思いますが、
今は天真爛漫に喜ぶ感性はさっばりありません。

贅沢であればあるほど、ああエネルギーがもったいないなとか、
いまこうしている間に、ご飯が食べられなくて死に行く人たちがいるんだなとか、そんなことばかり考えてしまいます。


こんなことを書いていると、思いが現実を作るんだから、
だからあなたはお金持ちになれないんだよ、と言う人がいるかもしれませんがこの感性がなくなるくらいならお金持ちになりたいとは思いません。

見せかけの豊かさよりも本当の豊かさがわかる人間でありたいし、人の痛みを感じられる人間でありたいと思っています。

と、ちょっと皮肉が過ぎましたかね?

待たされ過ぎて、皮肉が言いたい気分でした 笑。
すみませんでした。


これだけ待たされるのも、修行なんでしょうか?

弟子入りしたい寺の門前で放置されて思いを試されるあれと一緒?

すでに若干日本に帰りたい気分ですが、
仕事なのでじっと待ちます。

早く連絡が来ますように。

なんだか変な更新ですみません。

近況報告でした。


あなたは私

こんばんは。

明日から長野県にサイレンスリトリートに行き、そのままアメリカに行きますので、

しばらくブログの更新ができそうにありません。

(もしかしたら、アメリカでwifiが使えたら、携帯から更新するかもしれませんが、
 あまり期待しないでください。)


今日は一日、前倒しでたまりまくった仕事を集中してやったので、
じつはすごく頭が痛いです。

でも、こうしてこのブログを書いています。
読者思いで、けっこういい人でしょ(笑) ←(これを書いた時点でさほどいい人ではありませんね。)


いつも、インタビュー記事の編集をしていて思うことですが、
じつを言うと、会報誌のインタビュー記事を作るときに、
私が何を考えているかというと、

圧倒的に、怒っています(笑)。


たぶん・・・・・・・・・・意外ですよね。

あんなに、いいことを書いてある記事を作っているのに、
どこに怒るポイントがあるの?と思うかもしれませんが、
怒っているのです。

感謝の気持ちとか、祈りとか、
そういうことを考えながら、原稿が作れたらいいなぁと思うのですが、
今のところは残念ながら、ずっと怒っているのです。

不思議なことに、その相手がどれだけすばらしい人で、
どれだけ好きな人であっても、やっぱり作っている時は、怒っています。


怒りが、私の原動力です。


どんなことに怒るかというと・・・・・

あたりまえなのですが、インタビュー対象者は、
自分と思想が違います。

その違いに、怒るのです。

この人はこう言っているけれど、私はそうは思わない!
という気持ちや、
こんな長いインタビューをどうやって短くしたらいいねん!
というジレンマ、
違いから生じる苛立ちや、悲しみ、
さまざまな怒りのポイントを見つけては、ひたすら怒ります。

で、その怒りがピークに達して、
原稿もだんだん整ってきた頃に、

なぜだかそこに相手への一瞬の理解がやってきます。

そうして肩の力が緩んで、
怒りが突然愛と感謝へと変わります。

インタビュー対象者に対する愛情というか何というか、
ふわっと何か、「理解」がどこかからやってくるのです。

そして最後に、ああ、「あなたは私だった」 と気づきます。

自分と違うと思って、
イライラしていたところ、そここそが、普段の自分の特徴だったり、課題だったりします。

そうして、「あなたは私、私はあなた」というような気分になって
気づかせてくださってありがとうございますと、相手のことが大好きになって、
ようやく一つの原稿が出来上がるのです。


そんなこんなで、どれだけインタビュー時には苦手だった相手でも、

原稿が出来上がった頃には、その人は世界で一番近い人 になっています。

まぁ、しばらくするとまたそんな感情も忘れるんですが・・・・(笑)。

私にとって、原稿づくりは 心のクリーニングなのかもしれません。

ああ、今日も一つの原稿を作りながら、
怒ったり、泣いたり、感動したり、懺悔したりして、忙しかったなぁ・・・・。

では、今から、約二週間分の荷物をパッキングします~。

いや、その前にごはんを食べます~。

元気にしていますから、更新が滞っても、心配しないでくださいね。

それと、メールの返信も電話もできませんから、
もしメールくださった方は、返信せずにごめんなさい。

二週間で不思議で素敵な体験をたーくさんして帰ってきた後に、
みなさんと、宇宙からの黙示 もしくは お話会でお会いできるのを楽しみにしております。

それでは、また(人´∀`).☆.。.:*・


祈る、見守る

こんばんは。

来月は家を空ける日数が多いので、今は前倒しで原稿の仕事をしております。

そうしたら、なぜかちょっとだけブログを書きたくなったので、書きます。


今、祈りについての原稿に取り組んでおります。


祈りにはいろいろな種類の祈りがあるし、これが祈りだ!って定義も人それぞれですね。


高度な祈りになってくると、もう存在自体が祈りの人もいるワケで、
息をしているだけで、世界にものすごい影響を与えている
祈りのプロフェッショナルな方々もひっそりといらっしゃいます。

そういう方々は、通常まわりの人にそれをしていることを悟らせません。

私の個人的に好きな 祈り人 は、このようにひっそりと、
誰も知らないところで、誰にも気づかれないように、祈る人です。

聖書にも、たしかそんなことが書いてあったような気がします。

誰もいないところで祈りなさい、というようなお話しが・・・・・
まぁ、聖書のどこに書いてあったのかは忘れましたが(笑)。

一方、「祈り、祈り!」と声高に叫ぶ人もいれば、祈ることが職業というか肩書の人もいます。

それはまぁその人の役割ですからそれも良いのです。

世の中には祈りを自分の都合の良い時にしかしない人もいるので、
そういう人たちには、やっぱり祈りをきちんと教えてくれて声高に叫ぶ人、祈りの肩書の人は必要なのです。


このひっそり派と声高派は、これはたんに、アワ、と、サヌキ の役割の違いなのかもしれません。 


ひっそり祈る人だけだったら、気づかない人はずっと気づかず祈る人の人口は増えていかないし、

声高に祈りを形にする人だけだったら、型はできるけど、本当の祈りのパワーは半減します。

今のところは両方いるからいいのですね。

ところで、誰か大切な人やお友達が、ものすごく困った状況になったとします。
病気になったり、突然の不幸に見舞われたり。

まわりにいる人は、つい、助けてあげたいと思います。

何か自分にできることはないか、と思うものです。

それは思って当然、人情ってものです。


だけど、その状況がとっても大変な時は、

助けてあげたいのをぐっと我慢して、見守ってあげること。

遠くから祈ること。


これが一番の、助けになると私は思っています。

本当に大変な状況の人を見ると、

つい、声をかけたり、手を差し伸べたりしたくなるものですが、

多くの場合、それは「何とかしてあげたい」という自分のエゴを満たすだけで、助けにはなりません。

ちょっと大変な時というのは、まわりの人の助けは助けになるものですが、

本当に大変な時は、助けが助けになりません。

たんなるおせっかいになってしまったりします。


たとえば、病気で本当に大変な時は、
お見舞いに来ていただいても、病気の姿は見せたくなかったりして、迷惑な時もあります。

突然の不幸に見舞われて、本当に傷ついているような時には、
優しい言葉をかけたつもりが、逆に傷つける可能性のほうが高いです。

願いはただ、私を一人にして、そっとしておいて・・・・しかないときもあるのです。


そんな時は、そっと遠くから見守って、ひたすら祈る。

もしかしたらその人は、自分が祈っていたことを、
一生気づいてくれないかもしれませんが(※気づかないことが大半ですが)、
それはそれでいいじゃないですか。

祈りってそもそも見返りを期待しないものですから^^。


そしていつかその人が大丈夫になったら、
また温かく以前のように自然に受け入れてあげてほしいと思います。


そんなふうに、見返りを求めずに、

大切な人をそっと祈ること、祈られること、

遠くの誰かを祈ること、祈られること、

そんなことを繰り返していくうちに、

いつか自分が本当に大変な事態に陥った時、

ああ、自分はどこかの誰かに、祈られている  ということを、

きっと感じると思います。

その祈りによって、救われ、生かされているんだ・・・・と。


その思いはまわりまわって、自分が大丈夫な時は、

どこかの誰かを祈る、という循環ができていって、

それが極まってくると息をすることが祈りになっていって、

ああ、みんなみんなつながっているんだなぁと自然に感じられるのではないでしょうか。

誰かの痛みは自分の痛みのように、誰かの喜びは自分の喜びのように、

心から、そっと寄り添っていけたらいいなぁと思っています。

彼方からのささやき

ちょっとお知らせです。

お知らせするのが遅くなりましたが、

今年の12月21日(月)に、お話会を開催したいと思います。

今回は、ハートで繋がるお話会 ではなくて、

タイトルは「彼方からのささやき」です。

その空間にちらばっている 空気 を言葉にしてみたいと思います。

ハートで繋がる・・・・とどう違うかはそのわかりませんが(笑)。


また後日詳細出しますが、
いらっしゃる方は、ぜひ予定をあけておいてくださいませ。

ありがとうございます。

2015年12月21日月曜日

受 付 17:30〜18:00
講 演 18:00~20:30
       (途中休憩あり)

会 場:船井本社 会議室かもしくは別のお部屋
千代田区麹町6-2-1 麹町サイトビル4F(フロア変更するかもしれません)

参加費:一般の方       3,500円
     にんげんクラブ会員 3,000円


<お問い合わせ>
 にんげんクラブ 03-3239-8271 toiawase@ningenclub.com

かっこちゃんの宇宙の約束

こんにちは。熱海のこだまゆうこです。

よりスムーズな投稿を目指して、いま携帯で文章を打ってみています。

これが出来るようになれば、
もっと更新頻度を上げられるんじゃないかと思います。

11月21日土曜日は、大好きな山元加津子さんの講演会が沼津でありましたので行ってきました。

もう何度か聞いたことのあるお話でも、やっぱりかっこちゃんのお話は素晴らしくて涙が出ました。

ハンカチ無しには聞けません。

かっこちゃんの存在自体がすばらしいので、

もしかすると講演の1時間半ずっとかっこちゃんが黙っていたとしても、

泣いてしまうんじゃないかと思うくらいです(笑)。


今回の会場はわりと人数が少なめだったので、講演前のかっこちゃんとお話できました。
本にサインもしていただきました。

10月の舩井フォーラムではじめて名刺交換させていただいたのですが、
ちゃんと覚えていてくださって、とても嬉しかったです。

私が初めてかっこちゃんのことを知ったのは、今から6年くらい前のことです。

入江富美子監督(ふーちゃん)の映画『四分の一の奇跡』を観て、ものすごく感動しました。
その日はふーちゃんの講演会もあったので、講演終了後にすぐに名刺交換に行って取材の申し込みをしました。

あまりに感動して、影響を受けて、
その日のうちに自分の本の企画書を書いて出版社に送った思い出があります(^ω^)

さて、その講演と上映会の時には、宇宙は、今日も私を愛してくれるというかっこちゃんの本を買いました。

その本を読んで、大泣きしました。
子どもみたいに、床につっぷしてわんわん泣きました。

感動したというのもあるんですが、じつは、心から悔しくて泣いたのです。

その本では、宇宙の約束―私は、あなただったかもという本の中で書かれていた
般若心経のかっこちゃんの訳が再度掲載されていたのですが、
その訳があまりにも素晴らしすぎて、とても悔しかったのです笑。

今考えると身の程知らずも甚だしいのですけれど、
難しい文章をわかりやすく簡単に人に伝えたい、と夢を持っていた私は、
どれだけがんばっても、自分にはこんなやさしく素晴らしい文章は書けない、と打ちのめされました。

かっこちゃんは、みんな違っていて、それでいいんだよ、ということをいつも教えてくれているというのに、
かっこちゃんと自分を比べて、自分の実力のなさを痛感して泣くだなんて、本末転倒ですね。


(※ここからパソコンにきりかえます。ふう。
 携帯での更新はかなり手間だったけれど、いちおう文字が打てることだけはわかりました。)


それ以来かっこちゃんは私の中で憧れの人になったのですが、
ずーっとお会いすることができずにいました。

そして6年たって今年になって、ようやくお会いすることができたのでした。

はじめての名刺交換で、

「じつは私はかつてかっこちゃんにジェラシーを燃やしてまして・・・・
 本を読んでくやしくて泣いたんです」

と正直に話すと、

「そんなぁ、私なんて、しばらく一緒にいたらわかるけれど、
 もう全然できないがことたくさんあるんですよ」

と、ニコニコご対応いただきました。

しかも、「立ち話もなんですから、あっちで一緒に座って話しませんか?」

と、しばらく一緒にお話ししてくださいました。

大好きな憧れのかっこちゃんが一緒に座ってお話ししてくださるなんて~~
と舞い上がったのは言うまでもありません。


本当に、かっこちゃんはさりげなく優しく温かく丁寧に接してくださるんだなぁ、
愛情いっぱいで文章や映画そのままの人だなぁと感動しました。

ものすごくやわらかくて、優しくて、だけど一本の芯がしっかりとある、
そんな感じの印象でした。

このブログをお読みの方は、かっこちゃんのことや、白雪姫プロジェクトのことなど、
ほぼご存じの方ばかりだと思いますが、
日本中に、かっこちゃん白雪姫プロジェクトのことが広まればいいなと心から思っています。

最後に、私が大泣きした、かっこちゃん訳の般若心経、「宇宙の約束」 をご紹介いたします。

(今、転載するためにもう一度読んだら、また泣けてしまいました。
 でも今度は、くやしさからでなく、純粋に感動しての涙でした。ぜひお読みください)



宇宙(そら)の約束

自分の身体のその奥に
確かに確かに座っている
大きな宇宙(そら)の約束が
いつもいつもささやいている

いつかいい日の明日のために、いつもいつもささやいている

忘れないでね
大切なのは
心の目と心の耳をすますこと、そして自分を信じること

むかしむかしのことでした
心の目と心の耳をすましたある人が
宇宙(そら)の約束とつながって
本当のことに気がついた
すべてのものは
どれもみんな
その約束からできている

約束は
目にも見えず
重さもなくて
あるのかないのかわからないけど
でも
宇宙の何もかもが
この約束からできている

「いいことに気がついちゃった」と
その人は
苦しまなくてもいいんだなあ、悩まなくてもいいんだなあと
とても嬉しくなりました

宇宙に散らばっている
たくさんのつぶつぶは
約束のもとにあらわれて
海を作り
山を作り
花を作り
人を作る

約束は目にも見えず重さも持っていないけど
風をそよがせ
雨を降らせ
ときには星を輝かせる

誰かと誰かを出会わせて
誰かと何かを出会わせて
涙や笑顔を作り出す

私とあなた
あなたとお花
お花と
石ころ
みんな同じ
同じものでできている
違うのは
だれもが持ってる約束の
私が私である場所(とこ)や花が花である場所(とこ)に
光があたっただけのこと
スイッチが入っただけのこと

あなたは
私だったかもしれないし
私はもしかしたら
庭に咲くたんぽぽや
降る雪だったかもしれないね

約束は私を作り
私の中に宇宙(そら)の約束が座っている
すべてのものが
約束の中にあり
約束は
すべてのものの中にある

でもね
忘れちゃいけないの
約束には無駄がなく
必要なものだけを
いつもちゃんと作っている

花がそこに咲くことは
それが大切だという証
私がここにあることは
それが必要だという証

宇宙(そら)の約束とつながって
過去と今
今と未来
すべてのことを
見渡すことができたとき
きっときっとわかること

すべてのことは
いつもいつも
いつかいい日のためにある

うれしいことも
悲しいことも
きれいなことも
汚れたことも
増えることも
減ることも
その約束の現れだけど
現れているすべてのことがいつかいい日のためにある

だから思うの
生きていると
いろんなことが
あるけれど

楽しいことも苦しいこと
悲しいことも嬉しいこと
雨や 雪や 月の光が
空から降ってくるように
手をひろげて受けとめていけばいいんだね

怖がらなくてもいいんだよ、悲しまなくてもいいんだよ
だってすべてが大丈夫
すべてがみんな大丈夫

揺れる、歌う、踊る、祈る......
跳ねる、描く、回る、思う......
約束とつながっていく方法はいつも私の中にある
揺れて踊って、飛んで思って心の目と心の耳が開いてく
そして本当のことを知る

さあ明日へ歩きだそう
大切なのは
心の目と心の耳をすますこと
そして自分を信じること

花が咲くように
雪が舞うように
月が照るように
あなたといたい

鳥が飛ぶように
風が吹くように
海が歌うように
あなたといたい

広い宇宙の中で
長い時間の中で
あなたと出会えたこと
きっときっと宝物

星があるように
山があるように
空があるように
あなたといたい

  (般若心経 山元加津子訳 『宇宙の約束』三五館刊 より)

クンバメーラの続きを・・・・・

皆様こんにちは。好きなときにブログを書くことにした、新生こだまゆうこです(笑)。


さっき書いたブログばっかりじゃん、と思いながら、書いています。

ちなみにどうでもいいことですが、新生こだまゆうこ と書こうとして、
しんせい  を変換すると、神性 神聖 真正 新星 と、魅力的な漢字がいっぱい出てきて、
正直どれにするか迷いました(笑)。

あ、どうでもいい話でしたね・・・・・。


何で1日2回もブログを書こうと思っているかというと、
ズバリ、ネタがあるからです。

1回で書けよ!となるかもしれないけれど、
わけなきゃまた長くなるからです。


では、ネタのはじまり。

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タイトルは、クンバメーラの続きを・・・・・です。
なんでしょう、この意味深な感じ。

以前にもブログで書いたかもしれないですが、
しばらく孤独の実験をしてみました。

私は旅が好きなんですが、わざとじっと家にこもって、あまり人としゃべらないでいたらどうなるか・・・・。
エネルギーがどのように変わるのか・・・・を家の中でやってみたのです。


でもやっぱりじっとしていても、旅に出たい気持ちはあるのです。
たまに、遠方の国内か、海外に行かないとエネルギーが滞ってしまうのです。


とはいえ、単なるレジャーの旅は時間とお金の無駄ですから、
自分なりに、何か天からのお告げとか(←ウソ笑)、仕事とか、
大好きなKan.さんのリトリートとか、
そういう大義名分のある旅を待っていました。


そんなふうにじっとしていたら、小川雅弘社長から電話がかかってきて、

「こだまさん今暇やろ?144000人のイベントの前に、サイマーの本を書かん?」

とのビッグなお仕事がきました。

じつは、小川さんの本のゴーストライティングをしてから、
しばらくじっくり自分のエネルギーと向き合いたかったので、
もうゴーストライターはしばらくやめよう、ピンとくるものしかしない!と思って、
ずっと他社から来る仕事は断っていました。

しかし、他社からの仕事は断れても、小川さんはにんげんクラブの取締役ですから、
小川さんの言うことは、にんげんクラブプロジェクトとして、基本的に受けなければなりません。
(というより小川さんは押しが強いので、断れない雰囲気をつくるのが上手いのです・笑)


以前の小川さんの本では、「神様がこだまさんじゃないといかんて言うとるが!」
と、エゴのある人間にとって嬉しいお告げの言葉とともにライター仕事を頼まれたのですが、

今回はなんと 「いまこの仕事ができるほど暇な人はこだまさんしかおらんが!」

という微妙に断り辛い言葉とともに、仕事を頼まれました(笑)。


そりゃもうやりますとも!行きますとも!仕事でフロリダに行けるのですから!!!!

しかもサイマーの本だなんて、こんなに楽しい話は受けるにきまってるじゃないですか。


ということで、来月6日間フロリダに行くことになりました。
それから、その前日まで、長野県であるKan.さんのリトリートにも行くことになりました。

もう・・・・どんだけ家を空けるのでしょうか。
じっと家にいすぎた反動なのかもしれません。

夫と犬の機嫌をとるのが大変です。


で、ここまでの話は、前置きで、

さっき、さて仕事にとりかかるか、と思って机に座って、なにげなく机の上の書類に手をのばしたら、
一冊のノートが机の上にあるのに気づきました。

私は家の中も脳の中もカオスになりがちなので、
そのノートが何を書いていたノートなのか、さっぱりわからずに開いてみると・・・・・・、
(たいてい、最初の3ページくらいを、日記とか家計簿とか書いて、すぐに挫折しているのがパターンです。)


ななな、なんと。


2012年の年末に行ったクンバメーラでの日記が、6ページほど書かれていました。

そもそも、なんでこんなノートが、

片付けたばっかりの私の机の上に置いてあるのか、さっぱり思い出せません。

こんな日記をつけていたことさえ、さっぱり忘れて二度と思い出さないくらいの潜在意識の底まで、沈んでおりました。

日記ですから、誰かに読んでもらうこととか、まったく期待していない、
素のまんまの文章です。

若くて、青臭いけれど、面白いから全文、誤字脱字だけ直して、そのまま掲載します。

で、今の私の解釈も、たまにいれましょう。

ちょっと長いよ!


1月21日
クンバメーラ2日目がはじまる。5時に起きて準備を整え、そろそろ瞑想・・・・と思ったところで、中止のおしらせ。
今日はゆっくりおやすみください、とのことで、二度寝もしにくい。
できれば夜に言ってほしかったのだが・・・・・これも修行。

寒い!とにかく寒い。
このアラハバードでは夜は2℃くらいに冷え込むらしい。あいにく持参した寝袋は12℃まで対応の薄いもの。
たくさん着込んで寝たが、寒さで目が覚めてしまった。
寒さで死んでしまうわ、殺す気か?と、自分の準備不足を棚に上げまくって、心の中で叫んだ。
心の修行はまだ出来ず・・・・・・。


ここに来て一番苦しみもがいているのは、「足るを知る心」
行きがけにサンダルを履き忘れてきてしまったことを、いまだに後悔しているし、
持ってきたスプーンが小さすぎたことも後悔している。

ってこんな小さいスプーンでカレーなんか食えるか!
おちょぼ口にもほどがあるわ!(※注 ティースプーンを持っていきました・笑)
と毒づいてみても、そのスプーンをチョイスしてきたのは他ならぬ自分。
きっともっと日頃から部屋をもっと片付けてたり、一か月以上前から連絡もらってたんだから、
前日でなくもっと早くに準備してたら、このスプーンをチョイスすることもなかったハズ。

人生とは決断の連続だ。
瞬時に正しい決断ができる人間になりたい。

あ、ところで足るを知る心について。
小さいスプーンでどんだけ後悔しても当然だれもスプーンはくれない。
ならば小さいスプーンがあることに感謝するべきだ。
そうすると私の心はもっと開放、解放されるだろう。


世の中に偶然はない。
すべてのことは必然だ。
同じ部屋になる人、同じバスに乗る人、すべて必然でご縁があるのだ。
この出会いは自分に何を与え、何を教えてくれるのか。
感謝しながら知っていきたい。   

(※注 同じ部屋だった人が先月突然遊びに来てくれました。
 その翌週くらいに小川さんからサイマーの本の電話がきました。やっぱり出会いは必然ですね。)


人と接すると、自分が見えてくる。
自分は口下手だなぁとか、冷めてるなぁ、いつも皮肉屋だなぁ、じつはさみしがりだなぁ、などなど
なかなか対人関係がうまくないのかも、とかわかる。
まぁ、この友人の少なさからも、対人関係は上手いほうではないかもね。

私はなぜインドに来たのだろうか。
何で来たいと思っちゃったんだろう。
前世で何らかのご縁がなければ、生まれる前にここに来ることを決めてこなければ、
今のこの地にはいられなかったのでは・・・・・だそうだ。
そんなこと決めてきたんじゃろうか?

と言っていたら電気が切れて文字が書けなくなっちゃった。しかたない。寝るべ。


(※ここから次の日)

今日は信じがたいことが起きた。
午前に、シヴァ神の儀式だった。
オームナヴァシヴァイと何度か唱えて、サイマーさんが花の首飾りをかけてくれた。
通りすぎた後に突然なんでかわからないけれど涙が出てしかたなかった。
嗚咽するほどの涙。
魂が震えているような・・・・というべきか。

苦しいことも、悲しいことも、何もないハズなのに、
なぜ?こんなにも涙が出てくるのは。
喜びだったのか、何かわからない。

朝に同室の人にディクシャをしてもらったからだろうか。

(※ ここでちょっと時間があきます)

が・・・・・・・、

その後昼食を食べ終わった頃から立つのもしんどいほどの頭痛。これは大変でした。


三日目

今日は外出許可が出た。他の聖者のテントなどを外から見る。
わかったことは、やはりテントの清潔具合と、聖者の人相は比例すること。

300歳の聖者はいかにも・・・・な顔でした。
あとはサイマーのお客さんが来たりしたけれど、言葉がわからず・・・・・。
いいおじさんでしたが。
夜の集会はとにかく寒い。いかに恵まれた日本で暮らしているのかがよくわかった。

三日目にして、ちょっとあきてきた。もう帰りたい。
と思っている自分がいる。原稿書いてないし・・・・。

まぁ、でもガマンする心とか、そういうのは養えそう。


四日目

昨日のおじさんは、子どもの心を大切にって話をしてたらしい。
今日は11時からサイマーがみんなと会ってくれることになってた。
なぜか入ってきたばかりで号泣。
何だろうね、これは。
もう涙がぐずぐずになりました。
その後、14時30分からボートライディング。夢みたいな楽しいひとときでした。

涙のワケは何だろう。もう全然がまんできないほど、ただ歌ってるだけで、泣けてきた。


五日目
11時30分から、サイマーとみんなの対話。運よくマイクがまわってきました。
みんないろいろな体験をしていることがよくわかった。
どれだけオーラの色が変わり、ピュアになっているか、みなさんの変化は素晴らしいって話してくれました。

14時から、ガンジス河の沐浴に行った。
すごく気持ちよかった。
水はけっこう冷たくて、茶色だけど、清らかな感じがした。


なーんて言ってたら、大変なことが起こってしまった。

304歳の聖者へ会いに行く、とのことで16時30分ごろに並んでいたら、どうにも気分が悪くなった。
立ってられなくて、座ってた。トイレにかけこむと、上から下から、たくさん浄化せざるを得なかった。
おそるべし、ガンジスの浄化力・・・・。

息もたえだえに部屋に戻ったら、鍵がしまっている。
座り込んで近くの人に助けを求めたら、たまたま看護師の人だった。
すばやくいろいろと対処してくださって、本当にありがたかった。

不思議だったのは、部屋の前で号泣していたこと。
下痢がつらくて泣くことはこの年では考えられないので、これもやっぱり浄化だったのだと思う。

その後、熱が出てふるえて大変だったけれど、ゆたんぽやら何やら、たくさんいれてもらって、
とてもありがたかった。

高熱で一番大変だった時に、夢の中にサイマーが出てきて、おなかのあたりの苦しいエネルギーをとりのぞいてくれた。
そしたらウソみたいに息が楽になって、寝ることができた。あれは夢だけど、夢じゃなかったと思う。

おかげさまで、ずいぶん良くなったけれど、ヤグナ(※火の儀式)には出れなさそうだ。残念。

六日目の今日は一日寝てた。(昨日は書ける状態ではなかったので)。


まだ、うまく消化しきれていないけれど(心、カラダ、ともに・笑)、
私はここに来る必要があったのだと思う。


よりシンプルに生きたい。
どれだけ愛を表現できるかが重要なのだと思う。
それと、謙虚さ。謙虚なことは大切だ。
すべての過去の栄光は消して、謙虚でありたい。


サイマーのことを書きたいと思ったけれど、約束どおり、
まずは自分の原稿を書くのが先だとわかった。(※←当時たくさんの仕事をかかえていました。)
結局、愛をもってやれば、不必要な仕事なんて何もないのだ。


転載、ここまで

日記には、これだけのことが書かれていて、その後のページは白紙です。

nikki.jpeg


って・・・・・・えええええええええええええええええええ!!!!!!!???????


私、サイマーのこと、書きたい  って、ここに書いてるじゃん!!!


と、我ながら、腰を抜かすほどびっくりした。


だって、そんなこと、本当におぼえていなかったし、今は全然思っていなかったんですもの。

そもそもこのノートが机に置いてあったことにびっくり!

このクンバメーラではサイマー、サイマーって言ってたけれど、
当時はまだ舩井会長も生きていらっしゃったし、
その後、Kan.さんとか、マックスとか、アンマとか、大好きな方々にもお会いすることができて、
サイマーとは、ご縁がかなり遠くなっていたんですね。

で、3年たって、この流れ。

一度願ったことって、時空を超えて叶うんですねーーー。

フロリダでは、このノートに、クンバメーラの続きを、書いてきます。

さて、どんな楽しみが待っているのでしょうか。

144000人のイベントの成功のために、がんばりたいと思います^^!

これからは、流れのままに、ブログを書きます。

皆様こんにちは。こだまゆうこです。

雨ですね。

いやぁ、それにしても昨日のブログは、すごーく長い文章でした。

あの文章、じつは、すごくすごくがんばって書いたんです。
文章力もなくて、こんな自分でごめんなさいとか思いながら、
半泣きになりながら書きました。


一日たって読み直してみると、うーん、重い!!!


まぁ、トピックスがテロについてですから、そりゃあまぁ重くなって当然と言えば当然なんですが、
あれじゃあ読むほうも(書くほうも・笑)疲れますよね。


ま、時にはそんな重いモードの時もあるんだよ~~ってことで。
軽やかに忘れたいと思います(爆)。


本当はああいうことは、お話会などで、いろんな笑いとかも交えながら、
きもち怒りぎみなエネルギーも加えて、
笑いと怒りがちょうどよくミックスされて喋りたおして、
でその後に何を喋ったか忘れた・・・・というパターンが私にとっては最適なのですが。


いちおう、ライターなので、書くのが仕事なんですね。

先輩からも、アウトプットがやっぱり大事よ!と言われています。

で、書けば書いたで、それは文章として後に残ってしまうので、
タオイスト見習いとしては、ちょっと微妙なんです。

その文章=私

みたいに思われてしまいそうで・・・・・。

いやぁーいろんなテンションの時があるから!!
(ちなみに今日は、昨日の重さの反動で、開き直りの軽めなテンションです。)

時間が流れたら、そのことに対する思いもどんどこ変わっていくから!!!!


別に誤解されたら誤解されたで、それすら気にしなければいいんですけれどね。
喋ったことだろうが、書いたことだろうが、どうとるかは聞き手、読み手次第ですからね。

まだまだ修行中なので、けっこう「気にしい」なんだなーと自分を見つめております。

さて、最近の私の文章、自分で言うのもなんですが、長いです。

読むの、めんどくさいです。


で、どうしてこういうことになるかというと、

一週間に一回、必ずこのブログを更新しなければ!!!

という前提がいちおう私の中であるんですね(←できてないじゃん、と思った方、スルドイですね)。


だから、たいしたネタが一週間ないときは、けっこうストレスで、
どうしよう、何を書こう、ってけっこう思います。

すると、とっておきののネタが毎日連発するような時期の時に、
すぐに書けばいいのに、

「いやいや、このネタは来週ぶんと、再来週と、そのまた次にとっておこう。きっとその頃はネタがないはずだから・・・」
とか、変なネタ貯金をしはじめるのです。


で、さんざん温めたあげくに、いざ来週になってそのネタを書こうとすると、
もう旬を過ぎているので、書けない・・・・・・。
というようなパターンが多いんです。


運よく旬を過ぎていなかったとしても、
今度は逆にあふれる思いや書きたいことが多すぎて、
めっちゃ長い!!わかりにくい!!ってなことになるのです。


なんかもう、これ、全然タオイストっぽくないですね。
なんかかっこ悪いね!楽しくないね!


どうしてこんなこんがらがったことになっているかというと、

そもそも、にんげんクラブって、私の中で、いちおう おおやけ?オフィシャル?社会?
なんというか、いちおうスタッフの一員ですから、仕事として、皆様にすばらしい文章を書かなくては、
という思いが当然ながらあります。

それに、私の自由奔放な文章で、
大切なにんげんクラブに泥を塗ってはいけないな、という思いもやっぱり当然ありまして。


なので、ここでの文章は、私にとってはめかしこんだ「よそ行き」なのです。

個人的なブログでは、あけっぴろげの本音を書けるかもしれないけれど、
ここは公の場だから、ちょっとめかしこんだ文章しか書けない、

すると、本当の自分と、このブログの文章の中の自分の人格が、
どんどんと離れていってしまいまして・・・・・。

なんだか堅苦しい自分しかいないのも嫌だから、
ならば、フェイスブックとかで個人的なことを書いてみよう!とか、
誰にも気づかれないように、こっそりと自分のブログをたちあげてみよう!とか、

いろいろやってみましたが、どれもうまくいきませんでした。
誰にも気づかれないブログはは意味ないですし・・・(笑)。

あんまり器用じゃなかったんですね・・・・・・。


ということで、やっぱりまた説明が長くなったけれど、

これからは、週に1回とか、ネタ貯金とか、姑息なことは考えず、
書きたいと思った時に、自分らしく、
自由きままにいろいろ書きたいと思います。

水のように、小川のせせらぎのように、滝のように。
天地自然の流れにそって、ありのままに書いていきます。


わざわざこんな宣言を、いちいちブログで書かなくてもいいのかもしれませんが、
宣言もせずに突然あけっぴろげに書きすぎて、クレームが来てもいけませんから(笑)。


あと、昨日の重い雰囲気を、ちょっと軽くしたかったんです。


いい悪いじゃないけれど、エネルギーって大事ですからね~。


このような文章に、おつきあいいただきありがとうございます(人´∀`).☆.。.:*・
読んでくださったみなさまがた、いつもありがとうございます。

アイシテマース☆  

フランスのテロから感じたこと

皆さんこんにちは。熱海のこだまゆうこです。

フランスのテロの事件で、世間は騒然となっているようですね。

これだけ大きな事件だと、それぞれの人がいろんな感じ方をするのがあたりまえだし、
それぞれがそれぞれの宇宙では間違っていないと思うし、
不安をあおるだけの結果になってしまうかもしれないので、
本当は戦争とかこういう話題についてはあまり書きたいとは思わないのですが、
ちょっと思うところあるので、この事件で感じたことについて書いてみたいと思います。

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その前に、ちょっと小話を一つ。

私がドイツに住んでいて、世界各国の人たちが集まる語学教室に通って、
上手に生きる術として身を持って感じたことは、「宗教と戦争の話だけは話題にするな」でした。

それぞれがそれぞれに大切な歴史と文化と思想を持っているので、
どっちが正しいとかどっちがエライとか、どっちが悪かったとか、

立場が違えばそんな答えは違うに決まっているのですから、
その人が絶対だと思っていることと、終わった過去のことは触れないにこしたことはないのです。

それが、そこで上手に機嫌良く暮らすルールでした。

ただ大切なことは、自分の立場を尊重するとともに、相手の立場も同様に尊重すること。

お互いに、これさえできていれば、それでいいと思います。

自分も愛して、隣人も愛する。
全体的に、これさえできていれば、本当にそれでいいのです。

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さて、フランスのテロの話に戻りますと、
私は基本的に、みんな同じ地球に住んでいるけれど、じつはそれぞれ違う宇宙に住んでいると思っております。
私=宇宙 です。
だから、これから私が書くことは、私にとっての宇宙の話です。
鵜呑みにはしないでくださいね。


多くの人がショックを受けた今回のテロ事件ですが、
私はこのニュースを初めて知った時、「あ、そう、そうきたか」と思いました。
別に驚きもしなければ、必要以上に悲しんだり落ち込むこともありませんでした。

ただたんたんと、起こった出来事を見つめました。

こう書くとすごく冷たいように感じるかもしれないけれど、
ここで断っておきたいのは、私が世界情勢に無関心なわけでもなく、
亡くなった犠牲者の方々や、ご遺族の方々を軽く扱っているというわけでも全くありません。
心から、ご冥福をお祈りする気持ちはあります。

しかし、必要以上に驚いたり、悲しんだりはしないのです。

なぜそう思うか、について書きたいと思います。


別に政治的に偏った思想もなく、私なりに日々の暮らしを生きておりますと、
こういうことがいずれ起こるのは時間の問題だと思っていました。

もうたぶん、ずいぶん前からあれが起こるのは決まっていたことでしょう。
いつ、どこで、どんなタイミングで、というのがわからなかっただけのことです。

これはあくまでも私見ですが、戦争を起こして儲けようとしている人たちの間では、
たぶん3年、いやもっと前くらいから決まっていたのではないでしょうか。


というのも、自分からはいっさいテロとか戦争とかそういうことに興味を持って情報をとりに行こうと思わなくとも、
戦争の雰囲気が充満している時は、嫌でもそういう情報は、
たとえ山の中の別荘地でひっそりと暮らしていても、自然に目に耳に入ってきます。


ネットを開けば必ずその話題が嫌というほど出てくるし、
ちょっと犬の散歩に行ってもすごいタイミングで軍用機が飛んでいるのに出くわす。
熱海の海は美しいなーと眺めても、いつもはいない軍艦がいる。

普通の人は見過ごしてしまうささいなことかもしれないけれど、
日常を意識的に生きていると、
普段の散歩道に、普段と違う変化があると、それは世界の象徴としてすぐにわかります。

象徴は、別にヘビとかイーグルとか、オオカミでなくとも、やっぱり象徴なのです。


10月18日の舩井フォーラム2015の横浜パシフィコの会場で、
世界の平和のために、我々が集っている目の前の港で、
海上自衛隊の軍艦たちが、観艦式のために寄港していたのに気づいた人はどのくらいいらっしゃるでしょうか。


世間一般では、観艦式と舩井フォーラムが偶然同じ日だった、というだけの話かもしれませんが、

あくまでも私の宇宙の中では、

あれだけ象徴的な日に、わざわざ同じタイミングで、
あれだけの数の軍艦が目の前にせまり、
日本の代表である安倍総理が観艦式のために軍艦に乗って、
それが全国放送のニュースで流れたということは、
その瞬間、その時点では日本も戦争が近いということを象徴しているのです。


あの日の講演では、「半径3メートルの中にすべてがある」という話題を出しましたが、
私の半径3メートルで感じた、そういう戦争への憂いの思いも込めて、お話ししました。

もちろん、その時はまだフランスのテロは起こっていませんから、
戦争とかわざわざそんな野暮な言葉は出しませんでしたが。


と、いうような私なりの解釈があったので、
実際にフランスであのような事件が起こっても、
そうか、とうとう身近な国でも起こったか、と思っただけで驚きはしないのです。

逆にみんなが驚いていることに驚いています。


必要以上に悲しみはしないというのも、
毎日、毎日、いろんな国でいろんな争いが起こっていて、
たくさんの人たちが亡くなっていっています。

それらのことから毎日目をそらさずに、悲しいながらもただ見つめる、ただ見守る、そして祈る、
というようなことを行っていますと、
今回フランスでこのようなことが起こっても、日々と全く同じ目線でしか傷つかず、
悲しみはしない、という結論になるのです。


もちろん、私もドイツにいたころはよくフランスに行きましたし、
美しくて、おしゃれで、料理もおいしい良い国ですから、あのフランスで、という残念な気持ちはありますが、
それはどこの国であってもやっぱり同じ気持ちです。

これが日本で、しかも大切な家族が亡くなって、というような当事者となれば、
それはまた別の話ですが。

今回はフランスでこんなことが起こりましたが、
今、現在の流れでいくと、これはいつ日本で起こっても、おかしくありません。

脅すわけでも、こわがらせるのが目的なわけでもなく、
ただ、今、このとき、この瞬間を切り取って、私の目でニュートラルに世界を見渡したら、
残念だけど、日本にも戦争の雰囲気が充満しているね、というだけの話です。

梅雨の時期に、家じゅうにカビが生える前に、ずっと空気がじめじめしていて、
目には見えないけれどカビの気配が充満している、というのに似ています。

今の日本には、戦争の気配が充満しているのです。


奇跡的にも、この70年日本は戦争がありませんでしたが、
世界では戦争がなかった日は一日もないし、
日本では、毎年3万人も自殺者が出るし、
小さな争いはそこらじゅうにありました。

自然界を見てみても、虫同士、動物同士で争うこともありますし、
人間が野菜のためにと農薬をまくことも、
虫から見ればテロみたいなものでしょう。

誰でも生まれ、死に行く存在ですし、
今の地球はこういうレベルの星だし、
人間も、この地球に合った人しか生まれてきません。

でもそろそろ、変わる時が来ているのではないでしょうか。


辛口な意見かもしれませんが、
日本の大半の人たちは、メディアが報じる表面的な情報しか信じていません。

グルメとか、旅行とか、贅沢なおしゃれとか、金儲けとか、権威とか、
目先の欲を刺激されて、本当はどうでもいいことを人と比べてばっかりで、
生きることの本質を見ようとしません。


それから、本質を見ていると見せかけて、スピリチュアルが好きで、
プラス発想を表面的にしかとらえていない人は、宇宙人とかそういう話は得意だけれども、
戦争とか、貧困とか、病気とか、自分に起こってほしくないことは、マイナスなことだからと目を逸らそうとします。
考えなければ、消える、と信じています。

そして、どちらのタイプの人たちも、ある日突然戦争がはじまった!と驚きうろたえ、悲しむのです。


これは、今までカラダや心を酷使してきて、それなりに症状も出ているのにきちんと見ようとせず、
ある日突然末期がんだと宣告されてうろたえる人にちょっと似ています。

くさいものに蓋をせず、気づかなければ、きちんと見なければ、
対処することすらできないのです。


これは何も、くさいものだけを見なさいという話ではありません。


世界では、テロや戦争が起こる中でも、
たくさんの愛を持って、祈り続ける人たちがいます。
隣人を助ける人がいます。
奇跡のような出来事も、たくさん起こります。
家族との楽しい、美しい永遠のような瞬間もあります。

こういう尊く、美しい瞬間もあると同時に、見たくないほど残酷な現実もある、
このどちらも、両目で、きちんと偏らずに見つめなければなりません。
そうすることで、対処法が見えてきます。


ちなみに、くさいものに蓋をする人は、都合の悪いことから目を逸らすけれど、
逆にくさいものだけを見ようとする人もいます。

そういう人はいつも悲しんだり怒ったりしていて、反戦デモとかに行こうとします。

別に反戦デモに行く人も必要だし、いろいろ考えあってのことでしょうから、
それを悪いとは言いませんが、

これは、攻撃のエネルギーに対して、反戦デモという攻撃のエネルギーを返しているだけです。
ネットの映像で見るだけで、そこには怒りと恐怖のエネルギーが充満しているのがわかります。
平和のためにと怒っていて、戦争の状態から、エネルギー的には1ミリも進化していません。

この怒りの状態の人たちは、生みだしたエネルギーの持って行き場が必要ですから、
ちょっとしたウソの情報を流すだけで、
すぐに反戦から戦争へ エネルギーの矛先を変えることでしょう。

この熱狂が戦争へと進むのです。

戦争を起こしたい人たちからすると、彼らは扱いにくいように見せかけて、じつに扱いやすい人たちです。


そして戦争を起こしたい人たちにとって、じつに扱いにくいのが、
ひっそりと、誰に言うわけでもなく、祈りによって愛を広める人たちです。
その愛と祈りによって、世界中の集合意識に変化を起こしていきます。


これは世界中に、ひっそりとしかも強力に広範囲に散らばっている勢力ですから、
戦争をしたい人たちも、対処のしようがありません。


しかも、戦争をしたい支配者の人たちも、
いまの状況はちっとも幸せじゃないくせに、
いまある富がなくなること、ひとりぼっちになること、人から攻撃されることを心から恐れていて、
だから戦争がしたいと思っているだけで、じつは本当のところは平和を望んでいます。

彼らなりのロジックで、彼らにとっての平和の手段が、戦争だっただけなのです。

本当は、心のどこかで、みんなに許してほしい、受け入れてほしいと思っているはずです。


というようなことで、

戦争の雰囲気は充満してはいるけれども、まだ開戦状態にまではなっていない日本人ができることは、

「ひたすら祈り、愛を広めること」

だと思います。

愛と祈りが、生き方と生活そのものになるのです。

すると、自ずとやるべきことが見えてきます。


そして私ができることは、
半径3メートルの中で、愛と祈りをもって、自分の宇宙を調和させることです。
ライターという職業だからこうして文章を書いたり、自分にできることをやることです。


なんだただの祈りか、と侮るなかれ。


世界中に、愛と祈りよりもゆるぎない力はありません。

神の子である我々の一人ひとりが、本当に愛と祈りを体現したとき、それは起こります。

ただ祈りの言葉を唱えるだけではなく、

生活そのものが、愛であり、感謝であり、アートであり、祈りになるのです。

こんなエラそうなことを書いている私だって、

半径3メートルの中では、
毎日意見のあわない夫と顔をあわせていたら、
カっとなって怒ったり、時には殴ってやりたいと思うことすらあります。

これは私の身体の宇宙の中に、爆発が起こって、戦争状態が起こっているのと同じことです。

たぶんこんなふうに身近な怒りや葛藤が完全になくなるまで、
世界中での戦争や貧困はなくならないでしょう。

世界中で戦争や貧困、悲しみや怒りがなくなるまでは、
私は完全には悟らないことでしょう。


私にも、怒ったり、嫉妬したり、自分も他人も、傷つけてやりたい、と
思う時だってあります。

今まさに餓死している人たちがいるのを知っていながら、目の前の物欲に負けたり、
住宅ローンがあるから、などと言って思い切った寄付の一つもできなかったりもします。

怠惰に負けて、神様からいただいたカラダや心を、
ひたすらどうでもいいことに費やすこともあります。

片付けは苦手だから、家という宇宙の中で、空間の混沌状態をひきおこしていたりもします。

そんなどうしようもない自分から、目を逸らすのではなく、
きちんとそんな自分も認めて、見守って、
全体の調和を大事にしながら、愛と祈りと理性でそれらをコントロールする。

そのように生きて、ただただ、
目の前のことに、先入観なく自分を開いていたいと思っています。


なんだかダラダラと長い文章になってしまいましたが、
少しでもこの文章に、愛と祈りが含まれていますように。

客観的に読んでみると、この文章の中にさえも私の怒りがこもっているようにも見えますが・・・(苦笑)。
愛ですよ、愛。


そして心から、フランスのテロで亡くなった犠牲者の方と、
フランス軍の空爆で犠牲になった方々、
世界中で、いま死に行く多くの方々のご冥福をお祈りいたします。

世界が、平和でありますように。
愛をこめて。

ヨハネのささやき

皆様こんにちは。秋もすっかり深まってきましたね。
こちら熱海でも、紅葉が少しずつ色づき始めました。

空がすっきりと気持ちの良い秋晴れが続いています。


こんな日はドライブ日和で海でも眺めに行きたくなるところですが、
今はぐっとこらえてこのブログを書いています(笑)。

先日は、翻訳家であり、クリスタルボウルの販売をされている鈴木真佐子さんの主催する、
ダスカロスの勉強会に行きました。


どういうわけだか、私は半年くらい前から、イエス・キリストとエッセネ派とマリアさまとヨハネに
非常に興味を持っています。いわゆるマイブームです。

しかし、あまり間違った知識も入れたくないので、
本を読んだりネットで調べたりはあえてしていません。

無理やり集めた知識よりも、
偶然の必然で出会う情報を大切にしたいと思っています。

ダスカロスは生前、聖者ヨハネから教えを受けながら、生徒たちに教えてくれていたそうで、
それはどうやらエッセネ派の教えに近いものがあるようです。

鈴木真佐子さんのインタビューをしたことで、ダスカロスにとても興味を持ったのと、
ちょうどダスカロスの初心者向け勉強会が行われることになったそうで、
この流れになんだか偶然以上のものを感じたので、受講することにしました。

そんな折、ダスカロスの勉強会を受講する三日前に、たまたま光田奈央子さんのブログを読んで、
平和の吟遊詩人であるジェイムス・トゥワイマンさんのことを知り、
光の使者―愛と平和の軌跡
とその続編であるシフト―続・光の使者
という本をアマゾンで買いました。

まずは光の使者が先に届き、シフトは翌日届きました。

届いたその日に「光の使者」を読んで、とても面白かったので、
翌日はそのまま「シフト」を読んだのですが、そこにはヨハネとエッセネ派とマリア様についてが
書かれていました。

戦場に平和の歌を歌いにいっていろんなドラマが繰り広げられる話かと思って本を買ったら、
まさかのある秘密組織とエッセネ派についての話題だったので、
なんだかつながってるなぁーと思って、とても嬉しかったです。
(あ、ちなみに、トゥワイマンさんの本の内容と、ダスカロスの教えは、全然別のものです。)


ダスカロスの教えは、とても深くて面白いです。
とりあえず初級クラスは同じメンバーで半年続けるそうなので、
これから半年の楽しみが増えました^^。

ダスカロスに関しては、いろいろな本が出ていますので、ご興味がある方はお読みくださいませ。


(ちょっと今在庫がなくて中古価格が高くなっている本もありますが、
 私が9月に買った時には定価だった商品もありますので、
 たぶんにんげんクラブで真佐子さんを先月紹介したために、一時的に価格が上がっているだけでしょう。
 まずは定価のものから買われるのがよろしいかと思います。)

 


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ところで、自分の主催するお話会の日程も、そろそろ決めなければいけないなと思っております。
楽しみに待ってくださっている方々も、いらっしゃいます。

日々、地味にいろいろな気づきがあるのですが、
それらは自分の中で浮かんでは消え、消えては浮かび・・・・となっていますので、
お話会などで話さないかぎりは、そのまま私の中だけで消化されて消えていきます。

消えてしまう前に~、誰かにシェアしたい~!!

と思っているのですが、今はまだちょっと、次の流れが見えておりませんので、

もう少々お待ちくださいね。

たぶん来週くらいには、日程や詳細などがお知らせできるかと思います。

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と、ここまでは昨日書いていた記事です。

何か来るはずだけれど、まだ次の流れが読めないなー
それになんだか文章にオチもないなぁー

と思っていたら、昨日小川社長から突然連絡が来て、来月はアメリカに行くことになりそうです。


ヨハネの黙示録の144000人を集めるために、
一仕事受けることになりました。
(ってまだ黙示録をちゃんとは読んでいないのですが・・・・笑)

まだ言葉にならないところで、ヨハネさんが何かささやいてくれているようです。


最近は、ウロボロスのマークのように、
過去と未来が〇になるというか、過去と未来の端と端が手を繋いでいるかのような気がしています。

結局は、いま に全部あるんでしょうね。


一仕事を受けるということは、同時に責任も伴うし、

留守がちで夫や犬たちに迷惑をかけてしまうことが心苦しいですが、

何事も真剣だけれどもあまり深刻にならずに、笑い飛ばせる柔軟性を持っていたいと思います。


christ.jpeg
(いつかは、キリスト意識になるのが目標です
 ↑今のところものすごい距離があるのもわかっています・・・はい・・・笑)


 

孤独の実験をしてみたら・・・・

皆様こんにちは。舩井フォーラム2015が行われてすでに一週間以上過ぎました。
だんだんと新しい風が吹き始めております。

あんなに印象的な二日間だったけれど、一週間も過ぎてしまえば、
すでにもう夢だったかのような気がしています。

まぁ、この世に生きていると思っているこの人生も、夢のようなものなのかもしれませんが。


前回のブログで舩井フォーラムの感想を次回に書きますと予告したので、
ほんのちょっとだけ感想を書きます。


毎年私は講師担当の裏方係なのですが、今年は講演もさせていただいて、
それ以外の時間はにんげんクラブブースにずーーーっとおりました。


普段お会いすることのない会員の皆様にお会いできて、これは本当にうれしかったです。

中には「いつも会報誌で見ているこだまさんにようやくお会いできてとても嬉しいです」と、
目に涙をためながら握手してくださったおばあちゃんもいらして、逆にこちらが泣きそうになりました。

読んでくださる方、支えてくださる方々がいらっしゃって、
にんげんクラブは運営できているので、
読者の皆様のために、今後も精進しながら、楽しい記事を書いていきたい!と強く思いました。


それから舞台裏のちょっとしたお話しを一つ披露しますと、

私の講演は、大ホールでの木村秋則さんと保江邦夫さんの対談と同じ時間帯に講演をしたのですが、
講演前の控室で、木村さんと保江さんに少しお会いしました。

私は木村さんのお話しはお聞きしたことがなかったし、
保江さんのお話しは、いつも面白くて大好きなので、

「お二人の講演がとても聞きたかったですが、同じ時間帯に別の会場で講演をするので聞けないのですよ」と、
言うと、保江さんはこともなげに

「それじゃあ、聴衆を全員ひきつれて聴きにきて、大ホールで三人で喋れば良いよ。」

とサラッとおっしゃったので、ものすごく笑えてツボにはまるとともに、
さすが愛氣を教えていらっしゃる師範だなぁと思いました。

保江先生は、「その場王」との仇名がつくほどに、その場で口からでまかせな言葉を言って、
なんとなくその場をまるくおさめることが得意なのだそうですが(笑)、
私も保江先生のたった一言で、完全に降参だと思いました。

さすがはその場王です(笑)。

木村さんは、アイヌの衣装を着ていた私に興味を示してくださって、
「僕も30年前に北海道の山の中でアイヌの人たちと一緒に仕事をしたことがあるんだよ」
とその時のお話しをしてくださり、

「木村さんの住んでおられる青森県も、アイヌの息吹が感じられますよね」

などとしばしアイヌ談義をさせていただきました。

お二人とも講演前だというのに、まったく緊張もされず、
緊張しまくった私とは違ってものすごく自然体で、さすがだなぁと思いました。

以上、舩井フォーラムの講演舞台裏でのお話しでした。

そのほかにも、舩井フォーラムについて、書きたいことがたくさんありますけれど、
あまり長くなっても言葉に紡ぎきれないのでこのあたりでやめておきます。

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さて、この一週間は、けっこう無理をして家や近所にずっといます。

というのも、いつもの私の行動パターンは、

お天気も良いし、舩井フォーラムも、会報誌の締切も終わったばかりだし、
夫も出張で家にいないから、と条件がそろったならば、
どこかに一人旅にでも行こう!とすぐに旅に出てしまいます。

旅に出て新しい場所に行けばそれなりに、いろんな発見や出会いがあるし、
ブログのネタも見つけることができるからです。


しかし、すぐにこうやって、家からフラーっと出てしまうことは、
自分にとって本当に良いことなんだろうか?
と改めて考えてみました。

旅に出るよりも、あえてじっとしている  ということのほうが、私にとっては難しいことです。

ということで、今週は難しいことにあえて挑戦してみました。


一人でじっとしていると、じわじわとですが、いろんなことに手ごたえを感じつつあります。

なんというか孤独が極まってくると、自分を嫌というほど見つめさせられます。

別にこれは、じっとする実験であって、修行ではないので、
最初は自分を甘やかしまくります。

普段自分に禁じていること、たとえば長時間のネットサーフィンとか
マンガの大人買い&夜更かしとか、ジャンクフードを食べるとか、思うぞんぶん部屋をちらかしまくるとか(←掃除キライ・笑)、
一日中パジャマで過ごして、犬と一緒に寝起きするとか、そういうだらしないことをごく自然にやりはじめます。

で、それをやり続けて2日もすると、ネットやマンガを見るにも目が疲れてうんざりしてきて、
あ、このままこの生活を続けて 人と会わなかったらヤバイな、波動が下がりまくって心身ともにちょっとおかしくなるな、
と気づきはじめます。

そしてこれは、心身ともにおかしくするための実験ではありませんから、
では、おかしくならないで健全に、
家と近所でじっとしているにはどうするか?を自然とやりはじめます。

するとバランスをとりはじめて、、甘やかしをやめて、
自分で自分のためにごはんを作ったり、いそいそと掃除をはじめたり、ちょっと長時間の散歩に出て、
何か手仕事をしたり、自分の仕事に関係のある読書をしたりして、
夜は温泉に入って、早めに寝て、朝はいちおう起きる、というようなことをはじめます。


そんなふうに、だらしない生活の揺り戻しのような時間が少し過ぎると、
普段自分がどんなことを大切にしているのか、けっこうシンプルな生活が見えてきます。


そしてさらに孤独が増していくと、
今度は自然と自分の「音」を発信しはじめます。


音にならない音、声にならない声ですが、

「私はここにいる。私はここにいる。私はここにいる。・・・・・・・・・・・・・・・
 私は・・・・・・ここに・・・・・いる!!!・・・・・私は・・・・いる!!!!!!」

みたいな感じで、

言葉でない何かで無言の自己主張がはじまるのです。

本当はいつもこんな自己主張が出てるんでしょうけれど、まわりの環境がざわざわとしてうるさいから、
そんな音は聞こえませんよね。

山で遭難した人は、大声で助けを呼びますが、
自宅で遭難(?)した私は、無言で助けを呼んでいたのでしょうか。


で、この音が発信された状態で、ひとたびスーパーへ買い物とか犬の散歩とかで外に出たりすると、
かなりの高確率で、天のはからいのような偶然で誰か知り合いに出会います。
それでそのまま喫茶店に行ってお茶したりします。

それから「話し相手募集」 と顔に書いてあるんじゃないかなと思うほど、
知らない人が話しかけてきて、それが普段ではありえないほど長話だったりします。

家にいても、普段では考えられないような人から突然連絡が来たりします。
近所の人が、イノシシ肉を2キロくらいくれたり、養蜂している蜂や飼っている烏骨鶏を見せてくれたりもします。

つい昨日も、インドのクンバメラで同じテントだった人が、
3年以上音信不通だったのに、訪ねてきてくれました。
(まぁこれは、フェイスブックに実際に話し相手募集と書いたから来てくださったのですが・笑)

さらにその人と一緒にいたら、インドの聖地を思い出すような場所で、
本当によくわからない引力でひっぱられてきたかのように、
素敵な人たちに出会いました。


こんなさまざまな出会いから、
パソコンとか、スマホとか、スーパーコンピューターとか、
いろいろな機械はあるし、それらはたしかにすごく便利だけれど、

我々の脳とかカラダは、そんなものよりももっと性能の良い
ワールドワイドな受発信装置がついていて、
オートマティックに出会いを用意してくれていて、
コンタクトをしようと思えばいろんな人や存在とコンタクトをとることができるんだなと実感しました。


今の私にはまだそれを全然コントロールできていませんが・・・・・・

とりあえず、そういう機能があるということだけはわかりました^^!

こんな気づきをたくさん増やしていって、脳とカラダの性能を研ぎ澄ませていって、
いつか、聖地にいる時も、セミナーに出席するときも、自分が講演する時も、家でくつろいでいる時も、
常に同じような好奇心を持った意識状態で過ごすことができたらいいなぁと思いました。


なお、この文章は、たまたま気が向いたから孤独になる実験をしてみただけで、
いつもたくさん食べる人が、ちょっと自分を見つめるために断食してみたみたいな感覚で、
孤独そのものだけをオススメしている文章ではありませんので、あしからず。

孤独過ぎてもバランスが悪いし、人と会ってばかりでもバランスが悪い。

なにごとも、中道を生きるのが良いですね。

以上、孤独の実験をしてみたレポートでした\(○^ω^○)/

おまけの写真
kodama ainu.JPG
(おともだちの内田さんに撮影してもらいましたが、
 携帯に送っていただいたらうまくダウンロードされずこんな写真になりました。
 カラダの右側が雑な感じの写真になっています。
 そのうちファミコン次元からの招待が来るのでしょうか。
 私はシャンバラ次元からの招待を待っているのですが(笑)。)

恐山のイタコの口寄せ2

皆様こんにちは。今日電気屋さんに行って、ルーターの子機を買ってとりつけて、
やっとやっとやっと、ネットがつながりました。

長い間このブログも更新できずにすみませんでした。

さて、恐山のイタコの口寄せの続きを書く前に、まずはお礼から。

10月17日、18日は、舩井フォーラム2015に たくさんの皆様にお越しいただきまして、誠にありがとうございました。
全国からたくさんの皆様がお集まりいただけるこのイベントに参加できて、とても幸せです。
はじめての出会いや、懐かしい出会い、たくさんの方々との出会いに、心から感謝しております。

今年は、はじめて私も小ホールで講演する機会をいただきました。

ほとんど実績のない私をこのような大舞台に立たせていただいて、チャンスをくださった勝仁社長をはじめ、
拙い話をお聞きいただいた皆様や、応援してくださった皆様、同じ時を共有してくださった皆様に、とても感謝しております。

講演.JPG

舩井フォーラムでの感想をもっと書きたい気持ちは山々ですが、
そうすると、恐山の続きの話が一生書けないような気がするので(笑)、
舩井フォーラムのさらに詳しい感想はまた別の機会にいたします。

(私の気まぐれな脳が忘れていなければ・・・・ですけれど・・・・・・・。)

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恐山の話が何のことやらわからない人は、まずコチラのブログをお読みください。

恐山の話を書くエンジンをかけるために、
まずは宿坊のご紹介からはじめましょう。

恐山の宿坊は、とても素敵です。

こんなゴージャスなお部屋です。

宿坊.JPG
(15畳+4畳+トイレ、洗面所つき)

温泉大浴場もあります。

お食事もこんな感じですごくおいしかったです。

食事.JPG

ヘタなお宿に泊まるよりも、宿坊に泊まるのがオススメです。

ただし、宿坊にいるんだという敬虔な気持ちがあれば・・・・ですが。

夕飯にお酒が飲みたいとかテレビが見たいとか思う方にはあまりオススメしません。

恐山での翌日は、朝のおつとめから始まりました。

地蔵堂での般若心経を読経する時間があって、
宿坊に泊まった方は特別に地蔵堂の中にある仏像を見ることができます。

さて、朝のおつとめの際に、私の三列くらい前方に、
前日にお話ししたイタコさんがいました。

スっと伸びた背筋で、綺麗に正座をしておられます。

あーー、昨日の方はきちんと朝のお勤めに出られているなぁと眺めていると、

お坊様から、「後ろのほうにいらっしゃる方は、もっと前に詰めてください」

との指示がありました。

ぞろぞろと前に集まっていくと、偶然イタコさんの真横に座ることになりました。

自然と、おつとめの際にイタコさんがどんな姿勢で祈られているかが、

念仏の声とかも聞こえてくるので、よく感じられました。

とても熱心な方だなぁ、昨日の今日でなんだかご縁があるなー、
これはもしすいていたら、イタコさんに口寄せをしてもらえってサインだな、と思いました。

おつとめ終了後は朝食をいただいて、

しばらくゆっくりしてからイタコさんのところに行ってみました。

すると、待合所に並んでいたのは、3組の人たちだったので、
そんなに待たなくてもよさそうだったので、並んでみました。

ガラス戸の扉の向こうでは、5人くらいの家族がイタコさんのお話しを熱心に聞いています。

イタコさんの言葉に、ご家族はボロボロと泣きながら会話をされています。

料金は、口寄せ料金 一霊 四千円  と書いてありました。 


口寄せの様子は、ガラス戸の向こうに見えるし、会話も聞こえてくるので、

プライバシーもへったくれもあったものではありませんが、

そこはなるべくあまり聞き耳を立てないように、好奇心に駆られないように、気を遣います。


待合所で待っている人たちとは、何も言葉を交わしていませんが、

その場では、親しい家族を亡くした人たち同志が感じる、ある種の一体感のようなものが生まれていました。


口寄せがはじまる際は、イタコさんがちょっと物悲しい懐かしい感じのするある独特の歌を歌って、

その歌が終わったら、呼ばれた霊が自然にしゃべりはじめます。

もしも聞きたいことがある場合は、しゃべっている霊の会話に、割って入ってください、と告げられました。


この場に来るまでは、イタコさんの口寄せを体験してみようと思っても、
いったい誰を呼ぶか??についてはきちんと決まっていませんでした。

どうせ、インチキだろうと思っていたし、
もしも わが子を呼んでみたとしても、生まれる前に亡くなったわが子では、
実際は喋ったことがないので、どんな口寄せを話されても、わが子だとわからない。

亡くなった赤ちゃんに会いたいと要望を持ってくる人は山ほどいるだろうし、
ワンパターンな決まり文句を言われるだけだろうから、
どうせなら 呼んだ瞬間に、イタコさんの実力が本物かどうかわかるように、
舩井幸雄会長とか、夫のお父さんとか強烈な個性を持っていた人を呼んだほうがいいんでないの?

などと、イタコさんを試すような不謹慎なことを考えていたのでした。

しかし、小一時間ほど待合室で待った後に、ようやく私たち夫婦の順番になる頃には、
そんな邪な気持ちは消え去り、本当に呼びたい、心から会いたい娘を、呼ぶ決心がつきました。


「どなたをお呼びしますか?」と聞かれ

すぐに「亡くなった子どもを呼んでください」とお願いしました。

「では、お子さんの命日を教えてください。何歳で亡くなりました?」

「七か月半での死産です」

「わかりました。生まれてから亡くなった子ではないのですね」


そんな会話がなされ、あの独特な歌が始まりました。

歌が終わるとすぐに

「パパ、ママ、あのね、私ね、パパとママの子で良かったと思ってるよ・・・・」

と、イタコさんは子どものような甘えた声で話しはじめました。

彼女が、「パパ、ママ」という言葉を選んだ瞬間に、

「ああ、残念ながらこれはにせものだ」

とすぐに思いました。

横文字が好きでない私たち夫婦は、娘にパパ、ママと呼ばせる気は全くなかったのです。


にせものだーーと思ったとしても、イタコさんはそのまま話をゆっくりと続けていきます。

真面目にやってくださっているので、そこはちゃんと失礼のないように聞かねば・・・と話を聞いていると・・・・

「あのね、わたしね、買ってほしいものがあるんだー」

と、まさかの買い物おねだり。

亡くなった娘を肉体がないからと言って妙に神格化してしまっていた私にとっては、はじめてのおねだりにとまどい、
霊になったのに、けっこう物欲あるんやね・・・・笑、
ま、子どもやからね・・・・とちょっと微笑ましくもありました。

「いいよ。なんでも買ってあげるよ。何が欲しいの?」

「あのね、長靴が欲しいの。長靴履いて、水のところでチャプチャプしたいのよ」

「わかった。買ってあげるよ」

さて、そんな会話がなされた後、二日前の「ももちん」さんとの会話で気になっていた
「死」と「埋」の文字を思い出して、

「あのさぁ、お骨、どうしたらいいだろうね?」

と聞いてみました。

自分たちでどうしたらいいかわからないから、本人に希望を聞いてみるのが一番良いと思ったのです。

すると、

「うん。パパのところのね、お墓に、しばらく預かってもらってていいよ。

だって、転勤あるでしょ。

わたしね、引っ越しでいろいろなところに、連れまわされるの、嫌なの。

今みたいに家に置いといてくれても別にいいのだけど、私一人で留守番しているの寂しいし・・・・・。

パパのところのお墓で、おじいちゃんと一緒にいる!」


と、まさかまさかの超具体的なこたえ!!!!!!

たしかにいつかは転勤がある可能性はあるし、

たしかにいつも留守がちな我が家では、娘はいつもひとりぼっちなはず(犬はいるケド・・・)

そしてたしかに夫の実家のお墓には、おじいちゃん(夫の父)だけが入っています。


われわれ夫婦は、だって転勤あるでしょ、のあたりからすでに涙腺崩壊で、

おじいちゃんと一緒にいる!の頃にいたってはもう号泣でした。

「わ、、、、、わかった、、、、おじいちゃんのところにいようね・・・・・。」

声にもならないような涙声で、そう答えると、

「うん。パパ、もうこれ以上悲しまないでいいからね。

ママをよろしくね。

パパ、ママ、約束よ。長靴買ってね。

それからね、丸い、クルクルしたお花みたいなのあるでしょう。

ここではみんなね、あれ持ってるの。

だから、私もあのクルクルが欲しいの。

長靴履いて、水のところでチャプチャプして、クルクルもって遊びたい。

次にここに来るときに、必ず買って持ってきてね。」


というようなことを言って、それからちょっと予言的なことも喋って、彼女は去っていきました。


お腹を痛めたママではなくて、パパに「もう悲しまなくて良い」と言ってきたのも、

けっこう納得ができました。

私はこの一年くらいの間にクンルンネイゴンのおかげか十年以上月日がたったような気がしています。

目まぐるしく脳が変容していく中で、空っぽの思考が多くなって、
あの極限の「悲しみ」も、信じられないけれど普段の生活ではほとんど感じていないのです。
(ま、そこに至るまでには発狂寸前のイニシエーションを潜ってきたワケですが)

だから、ママではなく、パパにもう悲しまないで、と言ったのでしょう。

ママをよろしく、ってことは、これからも私は夫に苦労や心配をかけるのかもしれません(笑)。


普通の意識に戻ったイタコさんは、

「ピンクの長靴を履いていたけれど、女のお子さんだったのですか?先ほどは性別を聞かなかったけれど・・・」

と、聞いてきました。

確かに言われてみれば、死産の子ども、と命日を告げただけで、

性別は教えていません。

イタコさんには、はっきりと娘の姿が見えていたようでした。


大切な娘の言葉を伝えてくださったイタコさんにはただただ感謝の言葉しかありません。

料金をお支払いして、その場を離れる頃には、

待合所には長蛇の列ができていました。


大泣きした後に、茫然とするわれわれ夫婦は、次の予定を練り始めました。

その日の夕方には、熱海へ帰る新幹線を予約しています。

午後からは、仏が浦などを観光する予定を立てていました。


しかし、娘に 「また来るときは長靴を買って」と頼まれたし、

次にいつ恐山まで来ることができるかわかりません。
熱海から恐山は、うんざりするほど遠いのです。


ということで、急遽長靴を買いにいくことになりました。

都会では子どもの長靴を買いにいくのはそんなに大変ではないかもしれませんが、

ここは恐山です。

長靴買いにいくのも大変なほど、かなりの山奥なのです。

カーナビで、イオンを探したけれど、見つからず、
子ども用品の西松屋で検索してみたら、車で30分のところにヒットしました。

子どもの品物を買ったことがない私たちにとっては、
西松屋に長靴が売っているのかもわかりませんでしたが、とりあえず30分かけて行ってみました。


すると、(当然ながら)長靴コーナーがありました!
無地のピンクの長靴は一足のみ!!

イチゴ柄のピンクの長靴は十足以上あったので、
ピンクなら何でもいいだろう と思っていたいい加減な私は、

「無地とイチゴ柄どっちがいい?」

などと夫に聞いたのですが

「ピンクの長靴と言っただけで、イチゴ柄とは言わなかったのだから、
無地を買うべきだろう」

と夫にたしなめられました。

サイズを見てみると、ちょうど私の娘が生きていたらこのくらいのサイズだな、と予測できるサイズでした。

他の色 や 柄の 長靴はすべて何十足もあるというのに、
ピンクの長靴は一足だけで、しかもちょうど娘にぴったりのサイズ、ということで、
これもなんだか娘からのメッセージのような気がしました。

長靴を買って、恐山に戻ってから、娘が欲しがっていたクルクルのお花みたいな風車も買いました。

ちなみに我が家には、今回口寄せで出てきてくれた娘だけでなく、
その前に流れてしまった子たちもいたので、
ケンカにならないように、人数分買いました。

硫黄が成分がきつくて、特定の生物しか棲めない、
こわいほどに美しい湖の湖畔で、長靴を履いてゴキゲンな娘たちを想像しながら、お祈りをしました。


ありがとう。ありがとう。ありがとう。

そして、ごめんね。

ふがいない私たち夫婦を「親」にならせてくれて、ありがとう。

命をかけて、たくさんの気づきをプレゼントしてくれて、ありがとう。

私たちもきっとがんばるから、もうそんなに心配しなくていいから、
あなたたちもそちらの世で自分の役割を全うしてね。

離れていても、心から、愛しています。

長靴.JPG

恐山の優しい大地は、私たちのせつなさも、悲しみも、やるせなさも、

ただただ黙って、じっと見守って、そっと抱きしめ包み込んでくれました。


なんともせつなく悲しく、そして温かく幸せな雰囲気で過ごしながら、
私たち夫婦の青森の旅は終わったのでした・・・・・・・・・・。


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ふーーーー、長い文章ですみません。
いや、でもこの文章書くの、私にとってはけっこう体力使うんですよ。


イタコさんの口寄せは、世間一般では、いろいろ意見が分かれておりますが、
我々夫婦にとっては、とても印象深く、ありがたく思い出深いものになりました。

これはどの意見が正しいとか、このイタコさんだけがすごいとか、
そういう問題ではなくて、
担当するイタコさんの要素に加えて、受ける側の切実さとか、タイミングとか、
いろいろな要素が混ざり合って、いろんな結果が出るのでしょうね。


さて、後日談ですが、

熱海に到着してから、夫の母に電話をして、
お墓に娘の遺骨を入れてもらうお願いをしました。

いくら熱海と北海道で離れているとはいえ、夫は長男ですから、
お墓を守っていかねばなりません。


われわれ夫婦が、大切な娘の遺骨を 遠く北海道に埋葬すると決めたら、
全く別のルートで、別の物語のある、
アイヌの衣装が、我が家に届きました。

ishou.jpg


ひと月以上前から、ひょんな偶然から注文してあったのですが、
売主も、買主も、心底びっくりするような立派な衣装が届いたのでした。

このタイミングで衣装を受け取って、なんだか北海道の土地の神々や、先祖たちから、
仲間として認められた気がしました。

もっと深淵な、もっと切実な、言葉にならない言葉なのですけれど、
便宜上超簡単な言葉で訳すと、

「北海道は、いいところだよーん。いつかは住んでくれるのまってるよーん」

というような熱烈ラブコールを受けているような気分です(笑)。


こんな流れがあって、急遽、舩井フォーラムでアイヌの衣装を着て講演することになったのでした^^

(注文した時点では、こんなにすごいのが来るとは思ってなかったし、
 どうせ着るところもないから、パジャマか部屋着にする予定でした(爆)。)

本当はこの一連の物語にはもっとたくさんのシンクロがありますが、
こういう流れをいちいち書き始めると、どれだけ文章を書いても、
終わりが見えてきません。
だからいろんなことはいまのところ沈黙しています。

こんなふうに、いろんなことが、いろんな流れで、複雑にまざりあって、
すべてがつながって「いま」があります。

言葉で表すと、部分的に、断片を取り出すことしかできないけれど、
いろんな流れを察知していくと、
われわれは一人では生きていないことが本当によくわかります。

見えるものも見えないものも、過去も、未来も、
すべてがつながっていて、すべてが同時にあって、すべてが流れている。

今の私ではわからないことのほうが断然多いけれど・・・・・

個の特性を最大限に発揮しながら、全体とつながって生きていきたいと思っております。

長い文章をお読みいただき、ありがとうございました。

恐山のイタコの口寄せ その1

皆様こんにちは。ブログを書こう書こうと思っておりましたが、あっ!という間に三週間近くもたっていました。

シルバーウィークもはさんだので、なんだかんだとバタバタしていたというのもありますが、
私がブログを書こうとすると、なぜかサイトのサーバーがエラーになったり、
エラーは直ったけれど文字が打ち込めない、というような日々が続きました。

その時書こうとしたことはまだ言語化するなということだったのかなぁと思っております。
楽しみにお待ちいただいております少数の皆様、お待たせしてしまって申し訳ございませんでした。


この三週間に起こったことの中で、忘れることのできないある一つの出来事を書こうと思います。

たぶん、長い文章になるので、途中で途切れるかもしれません。
お時間ある人はお読みください。


シルバーウィークに入って一日目の、9月の19日(土)に、
兵庫県西宮で、ももちん さんの取材がありました。

ももちん さんは、以前に勝仁社長のブログにも書かれていた方で、
普段はサラリーマンをされている、見えない世界のことがわかるかたです。

ももちんさんの取材はびっくりが連続で本当に面白かったです。
詳しい内容は、また再来月あたりのにんげんクラブ会報誌で書きますので、もう少々お待ちくださいね。


さて、いろいろとももちんさんからお話しを聞いた中で、
一つ印象深かったことがあって、それは、私の右手の平には、「死」と「埋」、この二つの文字が現れたそうです。

この二つの文字に関係する何かが原因で、愛を思い切り出すことができていない、
とのことでした。

私はその二つの文字を聞いて、なんとなく意味するところはわかりました。

というのも、一年半以上前に亡くなった娘の遺骨を、まだお墓に入れていませんでした。

我が家は熱海に自宅を買ってしまったけれど、
主人の実家のお墓は北海道で、生涯供養するには遠すぎるのです。

将来北海道に住む予定もないけれど、
熱海にこのまま住み続けるのかどうかも微妙なので、
熱海にお墓を買うのも躊躇する。

いつ、どのタイミングでどこにまた引っ越しをするのか、
今後新たに子どもが生まれてお墓の世話をしてくれる次の世代の子孫が残せるのか、
それとも、夫婦二人で一生を終えるのか。

などなど、ライフプランとしてもまだ未定なことが多すぎて、
遺骨は一度お墓におさめてしまうと、移動するのも大変なので、
娘の遺骨をどうしたら良いのか、
私たち夫婦にもよくわからなかったのです。

ということで、小さな遺骨ということもあり、
簡易の仏壇のように、毎日お祈りをして、一緒に過ごしておりました。

どうにかしなければいけないな、という気持ちだけはあったのですが、
どうすれば良いかわからず、月日が過ぎていきました。


その時はどうしたら良いかわからないことを、言葉に出すのももどかしかったので、
ももちんさんにそのことは告げずに、
『「死」と「埋」ですか。何でしょうね~、』などと言ってその場はスルーしました。

さて、翌日。

青森県に旅行に行くことになりました。

本当は1200年のおまつりをしている高野山に行く予定だったのですが、
宿坊の早めの予約をしなかったために、どこも宿泊を確保することができず、
青森県に旅行の予定は変更になったのでした。


青森県では、奥入瀬渓流や蔦沼、十和田湖、そしてキリストの墓にも寄って、
その後に、恐山に行く予定になっていました。
シルバーウィークで青森県じゅうの宿泊施設が予約でいっぱいだったのですが、
なぜだか恐山の宿坊だけは、予約できたのです。

もともと夫が、高野山の宿坊に泊まって、心が洗われるような癒しの場に行きたい と言っていたので、
宗派は違うけれど、三大霊場って言うし、まぁ似たようなもんだろう・・・・
というような軽めなノリで、恐山に行ったのでした。


さて、恐山というと、皆様は どんなイメージがあるでしょうか。

やっぱり、イタコの口寄せ ですよね?

しかも、なんだか寂しい場所にある、おどろおどろしい こわいところだと思っていませんか?


ネットなどで調べてみても、イタコの口寄せを面白おかしく ふざけた感じで紹介している文章が多いので、
あまり恐山に良いイメージってお持ちではないかもしれません。

私も、かつては恐山にあまり良いイメージを持っていませんでした。


さて、実際に行ってみると・・・・・・・

これほどまでにすばらしい聖地はなかなかありません。

長年人々に祈り続けてこられた、その大地の圧倒的な癒しの力に、本当に感動しました。

osorezan1.JPG
(恐山の敷地から見える風景)

osorezan2.JPG
(正面は、地蔵堂です)

三次元の目だけでしか物事を見ることができない人は、
まるで地獄を思わせるようなその岩の大地と、強烈な硫黄のにおいに、
あまり良いイメージを持てないだろうと思います。

いくつも積まれている石たちは、悲しみと苦しみを表していると思うかもしれません。

osorezan3.JPG


まぁ、それも自然で仕方ないことだと思うし、そう思う人も否定しません。
十年前の自分が行ったら、たぶんコワイ場所だと思ってしまいそうですから。

しかし、心の目でその大地と対面すると、
いるだけで、心が透き通るような気持ちになり、涙があふれそうになるのです。

生物が棲めないほどの厳しい面を併せ持ちながら、
長い長い間、身内を失った人々の悲しみに受け止め、抱きしめ続けてきた大地は、
圧倒的な優しさと祈りを感じました。。。。


悲しみなのだか、喜びなのだか、なんだかよくわかないけれど、
参拝した人たちの悲しみと祈りと、大地の愛と優しさが嬉しくてせつなくて、自然と祈りたくなるのです。

えーと、この感じは 世界のどこかで体験したな・・・・・。

どこだっけ????

 


ええと、ええと・・・・・・・


そうだ!

ルルドだ!!!!!

まさか・・・・・・・いや、でもやっぱりそうだ。


恐山 と あの ルルド を同じ 土俵で語る人は、世界でもあまりいないかもしれません。


方や、世界中から病気の癒しと祈りのために人々が集まってくるマリア様の聖地であるルルドと、

方や、日本中の(主に東北地方の)人たちから 死んだら魂がそこへ集う と信じられてきた 恐山 、 

あまりにも性質が違いすぎます。


違うけれども、私にとっては、同じくらい強烈で、同じような癒しの力があると思いました。


「す・・・・すごいね・・・・・・・・。
 死んだら魂はここに来るって言うけれど、ここでだったら死んでもいいって思うよね。」

と、恐山の境内を歩いてみて、夫と最初に語った言葉です。


それほどまでに、その大地のエネルギーに圧倒されました。


私たちが恐山に到着したのは、16時半ごろ。

イタコの口寄せの看板も発見しました。

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建物の中をのぞくと、イタコさんと思われる中年の女性が、帰り支度をはじめています。


あれ?イタコさんは、年に2度の例大祭にしかいないんじゃなかったの?

かつては東北地方に300人近くいたイタコさんも、今では後継者がいなくなって、

日本中に10人ほどしかいないのだそうです。

その大半が高齢者。二人だけ、四十代の方がいらっしゃるのだそうです。

年に二度の例大祭のときだけ、来てくださるけれど、
日本中から来た参拝客の方々が並ぶため、
口寄せをしていただくには、ものすごい長時間待たねばならないとネットには書いてありました。

しかし、ちょうどシルバーウィークだったからでしょうか。
イタコさんがいらっしゃるではありませんか。

上品なたたずまいの女性です。

「あのー、明日もいらっしゃいますか?」と聞くと、

「はい。明日は朝のおつとめの後からおります。宿坊にお泊りでしたら、朝食の後にゆっくりしてからいらしてください」

と言われました。


この時の私は、まだ冗談半分。
イタコさんの明日のスケジュールは聞いてみたものの、予約できるわけでもないし、
まぁ人があまり並んでいなくて気が向いたら、土産話のついでに行ってみようかなーー
というような気持ちでした。

仕事柄、霊能者とか見えない世界の話をする人にたくさんお会いしているので、
この世界の9割程度はインチキだと思っているし、
わざわざお金払ってまで見てもらうことはほぼないからです。


でもせっかく青森まで来たし、修行を積んだイタコさんだから、と興味だけはありました。

で、翌日どうなったかというと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


長くなったので、次回に続きます。

えーーーーーーーーー続くんかーーーーーい!!!

という声が聞こえてきそうですが・・・・・・・。

オチまで持たなくてすみません。

オチまで書こうと思うと、またハードルが上がるので、
三週間もアップできなかった記事を、また今日もアップできないので(苦笑)、

とりあえず、今日のところはここまでです♪


究極は二つのことにしか興味がない

皆様こんにちは。台風18号が近づいています。

こちら熱海でも、雨がずっと続いていて、崖崩れなどの注意が必要になってきました。
我が家も崖の上に経っているので、ちょっと心配ですが、我が家も、読者の皆様の地域も、被害が出ないように祈ります。


ここ数年は、観測史上最高の気温や雨量など、珍しい記録が続々と更新されています。
フェイスブックの投稿では、なんと福島でオーロラが見えたとの投稿もありました。

以前に比べて虹も頻繁に出るようになったし、太陽の軸も変わってきているようだし、
さまざまな変化がありますね。
ダイナミックに地球も宇宙も、変わろうとしているのかもしれません。

今年は7月に長雨が続いたので、我が家の家庭菜園も例年に比べあまり収穫ができませんでした。

家庭菜園のほかに、近所の農家さんに無農薬野菜を配達していただいているのですが、
その農家さんのところも同様に収穫できなかったようで、この夏は配達をお休みされています。

家庭菜園はまだ趣味の範囲でいいのですが、
農家さんにとってこんな天候の年は、金銭的にも深刻な問題となるだろうと思います。

これ以上農業から離れる人たちが増えないように、自国で農業をしてくださっている方々には、
天候が悪い年には何か国や個人から補助金なり寄付金なり、支援ができるようになれば良いなと思います。

LED電球と水で管理された、植物工場が生産する野菜しか食べられなくなるなんて嫌です。

特に無農薬や自然農法でがんばってくださっている農家さんは、
大地の恵みを作ってくださっているのですから、
みんなで支えて大事にしていかないといけないと思っています。

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(今年は、例年に比べてサルにかなり頻繁に会います。彼らも山にエサがなくなっているのだと思います。)

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(家のすぐ横で、くつろいでおりました。)

さて、話題は変わりますが・・・。

先日、生前とってもお世話になった、小沢孝香さんの2年祭に三重県の四日市まで行ってきました。
神式での法要なので、一回忌とか三回忌とかの呼び名でなく、
いつ法要を行っても良いそうで、亡くなって二年たつので二年祭だそうです。

神式の儀式の後は、娘のまるちゃんの旦那様と義父様の、ピアノとヴァイオリンの音楽会があり、
その後は食事会があり、とても和やかな会でした。

その場に肉体はないけれども、孝香さんはちゃんとそこにいるかのように、
みんなが孝香さんを思い出していました。

人が亡くなるととても悲しく寂しいものですが、亡くなった後も故人を偲んで、
このような会でみんなが交流を深めていくのも、なんだか不思議です。
はじめてお会いしてはじめてお話しする方も多くいらっしゃいましたが、
まるで昔からの知り合いのように、楽しくお話しをしました。

こんなふうににみんなが安心してうちとけることができるのも、
孝香さんがあの世から場を作ってくださっているからだと思います。

人徳とは、亡くなってもずっと残るものだなぁとしみじみ感じています。


ところで、夕飯の食事会では、たまたまあるバーについての話題になりました。

そこのバーのママさんは、お客さんの手を見ると、その方の後ろについていらっしゃる守護霊さま(?)からの
メッセージが読めるようで、秀逸なアドバイスをくださるというのです。

お酒が飲めなくとも行けばお茶で相手をしてくれるとの話を聞き、
面白そうだからとさっそくその後すぐに連れていってもらいました。

お酒の飲めない私はバーなんてほとんど行ったことがないのでけっこう緊張しましたが、
そのバーのママさんは、優しく対応してくださいました。

そして、肝心の手を見ていただくと、なんだか一挙に怒られモード(苦笑)。
仕事に関してや、夫との生活など、けっこうキツいアドバイスをいただきました。

で、
「夫との関係がうまくかみ合っていないから、すべての歯車がかみ合っていないのです。
 だから人生が、仕事面も家庭面も金銭面も、良くなっていかない」

と言われた際に、「そうかー。そうかもしれないですねー」と認めた後に、

よせば良いのに、

「でも人生が良くなっていくことって、そんなに大事なことですかね?」

と、普段から疑問に思っている本音が出てしまいました。


すると、アドバイスをくれているママさんも、その場にいる人たちも固まってしまって、
何を言っているんだこの人は?
というような空気になってしまいました。

「あなたは人生が良くなればいいと思わないの?」

と聞かれ、

「良いにこしたことはないけれど、ただ良くなることが大切だとは思えない。
 良くなればいいとは・・・・うーん、思わないなぁ」

と答えたら、どんどんみんなの顔が曇っていって、
私はものすごくネガティブな人と思われてしまったようです。


「一つうまくいかないことがあるから、全体的にネガティブになってしまっているんだよ」とか、

「きっと今は疲れているんですよ」とか、フォローされて、心配されて、

挙句の果てには、隣に座っていた人に、ヒーリングまでしてもらうハメになりました。


そんな風に本気で心配されると、
なんだかこちらも悲しく寂しくネガティブな人を装わなければならないような気持ちになるから不思議です(笑)。


その時はそれ以上に自分の意見を上手く言語化できそうになかったので、

なんか違うんだよなー、そういうことが言いたいんじゃないんだよなーーーー、
でも今は上手く言葉が出ないから何を喋っても私の気持ちをわかってもらえなさそうだし、
実際に疲れているのかもしれないなーーーー
と思って、なされるがまま言われるがままにアドバイスをされておとなしく帰りました。

で、その後帰ってからも、どうして最近の自分の考えはこんな風にみんなから理解されないんだろうなぁ
どうやって説明すればシンプルになるのだろうなぁとモヤモヤと考えました。


そうして考えてわかったことは、

私は今は人生において「真理の探究をすること」と、

「本来の自分に戻ること=神と一体化すること」

この二つにしかほとんど興味がないことがわかりました。


真理の探究と、神との一体化を目標としていたら、
ただ「人生が良くなること」だけなんて、退屈すぎて面白くないし、肝心の目標は達成できそうにありません。

私はこの二つにしか興味がない、と伝えたうえで、
人生が良くなることは大切か?を問いかければ、
単なるネガティブな人と誤解されることもなかったのかもしれないなと思いました。

仕事で評価されたり、収入がアップしたり、家庭や恋愛が上手くいったり、
いわゆる運が開けていくことは、
それはその場では楽しく嬉しいことだとわかっていますが、そんなものは一時の夢のようなものです。


人生は、良い時も、悪い時も、波のようなものがあって、
良い時ばかりが続くと感謝が足りなくなって傲慢になるし、
悪い時ばかりが続くと感謝の心は持てるけれど卑屈になるので、
どちらが良いとか悪いとかではなく、どちらもあるから良くて、味わえるのです。

毎日豪華な食事ばかり食べていたら、体が悲鳴を上げるのと一緒で、
毎日贅沢ばかりしていたら、魂が悲鳴をあげます。

豪華な食事の後には、ごはんと味噌汁などのシンプルな食事がおいしく感じるし、
贅沢はたまにするから贅沢と言えるのであって、贅沢できないときもあるから、やりくりの面白さがわかるものです。

それから身体は健康な時と病気の時があって、
病気の時があるから、健康のありがたさがわかるし、人の痛みもわかります。
肉体はいつか滅びて死があるからこそ、生きる良さが味わえるのです。

闇があるから光は輝く、それが今のこの地球です。

なんだかあたりまえのことしか書いていない気もしますが^^、
このあたりまえをきちんと見ようとしない人が、
けっこう世の中にはいっぱいいますよね。

ということで、私は、全体の進化と調和を大切にしながら、
できるかぎりユーモアと美徳を持って、自分のまわりの環境は整えていくけれども、
良いことばかりにこだわるのではなく、結果を気にしない。

というような人生観で生きています。


社会からは、歯車がかみ合わないように見られているかもしれませんが、
きちんと自分のリズムで車輪をまわしていけば、いずれ噛み合う歯車が現れてくれることでしょう。

かみあわなければかみあわないで、そのかみあわなさを楽しめばいいでしょう。


それと、私は世界平和を常に祈っていますが、
どれだけ政治や経済やシステムや技術などの枠組みを進化させていっても
結局のところ人の魂が目覚めていなかったら、世界平和が訪れることはまずありません。

それぞれがそれぞれの魂に目覚めていって、
それぞれが至福に満たされ、それぞれの神性に気づくことが、
世界が本当の意味で平和になることだろうと希望を持っています。


ということで、今日もコツコツと、自分とむきあいながら、自らの平和と世界平和を祈りつつ、いいかげんに面白おかしく暮らしております。


あのバーでは厳しいことは言われたり、心配されたりでモヤモヤとしたけれど、
モヤモヤの原因をきちんと言語化しようと考えるきっかけがいただけたので、
やっぱり楽しかったなぁ行って良かったなぁと思えました。

こんなふうなモヤモヤも、やっぱり楽しく、必要なことですね。


LET'S ENJOY EVERY MOMENT\(○^ω^○)/

まさかの移転・・・・漆喰塗り会をやります。

皆様こんにちは。まだ9月に入りたてだというのに、すっかり秋の装いですね。

私は今年作った梅干しを、お盆に北海道に行ったために、
すっかりと干すタイミングを失ってしまいました。

行き場のない梅干し君たちが、ザルに並べられたまま今日か明日かと干されるのを待っております。
明日くらいから晴れればいいなーと願っております。
三日連続で晴れる日って本当になかなかないですね。

さて、先週のブログでは風水でなんだかエネルギーが変わったようだと記事を書きましたが、
変化はそれだけにはとどまりませんでした。


な、な、な、なんと、熱海のオフィスが改修工事されるため、ここを出ていかねばならなくなってしまいました。

2006年から熱海の事務所で働いていて、途中ドイツに行ったりしたのでそれを差し引いても、
7、8年の間ここで働いていたことになります。
長年慣れ親しんでいた職場を離れなければならなくなるのは、とても寂しいもので、
じつをいうとまだ心の整理ができていません。

舩井会長とともに仕事をしていた場に気軽に来れなくなるのは、
一つの人生の区切りがついたようななんとも寂しい気分です。

とはいえ感傷に浸っている暇もなく、
これによって急遽新たな職場環境を整えねばならなくなったため、やるべきことは山積みです。

もともと2008年くらいからにんげんクラブとは社員でなくフリーランスの契約を結んでいるので、
オフィスを今まで貸していただいていただけでも、本当にありがたいことでした。

私のオフィスがなくなったーーーーーと、落ち込むこともあるけれど、
ゼロになったということは、無限になったということでもあるので、
これからは世界中が自分のオフィスになったのだなぁと身軽さも感じております。


ところで、執筆業は、犬のいる自宅だけでは犬に邪魔をされてなかなか難しい時もあるので、
会社から徒歩10分くらいの家庭菜園の畑として利用している土地にある、
築67年の長屋をオフィスとして改装しようかなぁと考えています。

じつはそこの土地は、かなり急な坂の途中にあり、
駐車場のコンクリートが崩れかけていて、
車で行くのがとってもこわいので、夫だけに原付バイクで行ってもらって、
私はこの一年くらいずっと足が遠のいていました。

ようやく昨日になって、その長屋を見に行くと、
さすがに一年も放置していたのでツタがかなり家の中まで浸食していたり、
蜘蛛の巣がたくさんだったり、土ぼこりとカビの巣窟となっていて、
ここここ・・・・・ここがこれから私のオフィスになる・・・・・・・かなぁ・・・・・・・・。

というような気分なのですが(笑)。

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(ここが噂の長屋です。)

手をかけて掃除したり修繕していけば、なんとか使えそうです。


今のところ9月16日、17日と 長屋の室内の壁に漆喰を塗ろうと思っています。

(どうして平日なのかというと、この日は夫が出張でいないので、
 ごはんの支度などをしなくてよくて、わりと自由がきくからです・笑)

お暇な方がいらっしゃいましたら、熱海観光と遊びのついでに、
漆喰塗りをしにいらしてください。
時給は出ませんが、ファミレスのごはんくらいはおごります(笑)。

連絡先は kodama あっとまーく ningenclub.com

です。あっとまーくを@に変えてくださいね。

フェイスブックでも参加者を募っておりますが、
ただ漆喰を塗るだけの労働なので、今のところ誰も参加者がおりません。
あたりまえといえばあたりまえですが。

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(漆喰塗りをするのは、内装です。ツタとか蜘蛛の巣とかを処理した後に撮影しました。)

じつはこの漆喰塗りの会は、本当はペンキ塗りの会にしようと思って、
フェイスブックに投稿していました。

なぜなら、ほぼ使わないこの建物の修繕に、あまりお金をかけたくなかったし、
今から1年半くらい前に、壁にペンキをほぼ塗っていたからです。

塗り具合がまだ甘かったので、二度塗りの仕上げをしようと思って、
追加でペンキを買って、二度塗りをしようと思っていました。

しかしまぁご存じのとおり、2013年の後半は妊娠していたので、
妊婦があまりペンキ塗りをするのもなぁ・・・と思っていたら、
あれよあれよと妊婦でもなくなってしまったので、そのままこの建物とも疎遠になっていたのでした。

で、新品のペンキだけが残っていたので、いつか仕上げ塗りをしなければーと思っていました。


ところが、たまたま先月の私のお話会に、サプライズでサトケンさんがいらしてくださいました。

サトケンさんは、全国を講演などで飛び回っておられて、
いつもすごく多忙で1年後くらいまでスケジュールが詰まっていらっしゃるのに、
来てくださったので、本当にびっくりしました。

そして、そのときのお話会は、いつもよりなんだかタオ的な感じで進んでいって、
サトケンさんの楽しいお話しもたくさん聞けました。

終わりかけには勝仁社長の飛び入り参加もあって、
その日の話の内容はこんなでしたと説明したら、
「みなさん、いったい何を学びにここにいらっしゃってるんですか・笑」と、とってもびっくりされてしまいました(笑)。


そしてたまたま、そのお話会の前の会議で、
にんげんクラブ会報誌でのインタビューをさせていただく候補の方を探していたので、
ちょうどサトケンさんがぴったりだからと、サトケンさんにインタビューをさせていただくことがその場で決まりました。

そして四日後に羽田空港でインタビューをさせていただいたのですが、そのお話しもとても素敵なお話しでした。

日常のお掃除や、ごはんづくりを丁寧に丁寧に心をこめてやることで、
本当のことが見えてくる・・・・・・

というようなサトケンさんのお話しを聞いて、
本当に心にぐっとくるものがありました。

ということで、汚れをただ隠すために、ペンキでごまかしてやっつけ仕事をするとか、
すでに買ってしまったペンキがもったいないからとかいう理由で、
本当にやりたいことを我慢するのはやめようと思って、
ちょっとコストは高くなるけれど、漆喰塗りをしようと思ったのでした。

漆喰塗りだったら、よりナチュラルに、丁寧に自分と向き合いながらやることができるかなと思いました。

サトケンさんは、まるでピンチの私を助けるために来てくださったかのようでした。
人との出会うタイミングって、本当に絶妙です。

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(救世主のサトケンさん。真ん中はにんげんクラブ編集長の重富さんです。)

不思議なもので、
そろそろ熱海オフィスから出ていかねばならないかもしれないなぁとこの一年くらいなんとなく感じていて、
そろそろペンキ塗りも完成させなければいけないなぁ、漆喰とどうしようかなぁ
とこれもなんとなくこの半年くらい感じていて、

この二つには全く関連性がないと思っていたし、ただなんとなく思っていただけなのですが、
二つを同時に、やらねばならないときが来てしまいました。


風水で自分のエネルギーを変えたら、新たな扉がどどっと開いてしまったのでしょうか。


ということで、

増やせば、減る。

減らせば、増える。

自分が変われば、まわりも変わる。

遠くは近くて、近くは遠い。


上手く言えませんし、説明も省きますが、そんなことを一人ひしひしと味わっています。

それにしても、不安定な時期というのはどうしてこうもワクワクするのでしょうね・笑。


扉はまだ開いたばかりです。

風水に従ってみたら・・・・循環はキモチヨイ

皆様こんにちは。熱海のこだまゆうこです。

台風が来ているからか、なんだか一挙に秋が来たような涼しい日です。
一昨日までは半そでだったのに、今朝がたは寒くて長袖シャツの上からフリースを着ました。

気温の変化が激しいと体調を崩しやすいですから、どうかお気を付けください。
それと台風は猛烈な勢いで日本海を北上しているようですが、
被害ができるだけ少なく皆様が無事であることを祈っております。


さて、二つ前の記事に、愛賀真琴さんから風水鑑定を受けた記事を書きました。

それからアドバイスいただいたとおりにちょっとインテリアにこだわってみようと思って、
簡単にできることから、絵を飾ったり、家具の位置を代えたり、
白と茶色ばかりのインテリアをちょっとカラフルにしたりしてみました。

それからほんの一か月くらい経過しましたが、
なんだかいろいろと変化があったのでご報告いたします。


インテリアを代えるついでに、例によっていろいろなものを断捨離しました。

買ってから一か月くらいで飽きてしまった健康器具なども、
九州のお友達にひきとってもらったりしました。


普段だったらそのままゴミ回収センターに持ち込むのですが、
フェイスブックでいる人を募ってみたら、意外にも貰い手が現れてくれました。

そのように自分にとって使わないものを、誰かにひきとってもらうことは、
ただ捨ててしまうことよりも、たまらなく心地よいものでした。


余談ですが、ドイツに住んでいた時に、ドイツの人たちのリサイクル意識の高さに驚いた経験があります。

着なくなった服なども、ホームレスの方たちのためにポストのような箱が町のあちこちに設置してあって、
服がいらなくなった人はそこに服をいれることができて、
ホームレスの方々も、そのポストから自由に服を選んで着ることができるようでした。
屋外で過ごす方々が体調を崩さないように、寒いドイツならではの工夫とも言えます。

それから、家の軒先や道端に、「ご自由にどうぞ」と書いた段ボールの中に、
古本や服や置物などいろいろなものが入っているのをよく目にしました。

それらを見るのはとてもワクワクしたし、微笑ましい気持ちになりました。

ドイツから帰国する際に、引っ越しのために不要になったものたちを、
夜中の3時すぎに家の前の通りに置いてみたところ、30分もしないうちに全部なくなっていて、
その速さにびっくりしたこともあります。

この時も、私が使えないものでもゴミにならず、使ってくださる方がいるんだなと思ったら、
その循環がたまらなく気持ちよく感じました。

これはお金云々のことではなくて、たとえば血液が適切なスピードでうまく流れているというように、
どこかで詰まったり濁ったりせずに、必要なものが必要な人のところに行く、という流れがすごく気持ち良いのです。


あ、ちょっと(だいぶ?)話がズレてしまいましたが・・・・笑。


話を元に戻すと、

風水のアドバイスに従って、いらないものを人に譲ってみたり、

お部屋のテイストを変えてみてすぐのタイミングで、

ご近所さん(年配のご夫婦)宅に家庭菜園でとれた野菜をおすそわけで持っていくと、

ご近所さんは、すごく高級そうな置時計を持ってきて、「これあげる」と突然おっしゃいました。


「え!?いいんですか!?こんなに高級そうなもの・・・・いったいどうしたんですか???」と恐縮していると、


「じつは近々、別荘として使っていたこの家を売却することになりました。

今月末で引き払います。今まで仲良くしてくれてありがとうね。

あなたたちにはとても仲良くしていただいていたので、記念にこれをあげます。」


とのことでした。


えーーー!!!とびっくりして、時計をもらえてうれしい反面、
そんなことよりも、もう近所で気楽には会えなくなると思うととても寂しい気持ちでした。


それから、寂しくなるけれどまた遊びに行きますねとか、
引っ越しで不用品を捨てるなら業者はどこが安いよとか、
いろいろと世間話をしていたら、「そうそう、これもいらないからあげる」「これはどう?いらない?」

などと、話がどんどんはずんでいって、
気づけば結局ものすごい量の家具や食器やお客様用のおふとんや
タオルなどの消耗品をもらって帰ることになりました。

さらに、次の週にも、何度も電話がかかってきて、たくさんのものをもらいました。


こんなにもらっちゃってどうしよう・・・・というような量なのですが、

不思議と、壊れたから買い換えなくちゃな、と思っていたものや、
ちょうど欲しいと思っていたんだよね!!!というようなものばかりでした。

普通はおふとんなどは、他人から譲り受けることは少ないですし、
不要になったら捨てるのが一般的だと思いますが、

ちょうど我が家でもお客様用の布団が必要だったのと、
また別の知り合いでワンちゃんのためにお布団がたくさん欲しいと言っている人がいたので
その方に譲るためにももらえました。


そうして結局、そのご夫婦は、大きな家具や食器なども家を購入した人がそのまま引き取ってくれて、
こまごまとした家具や消耗品などは我が家が譲り受けたので、
ほとんど何も捨てることなく、一軒の家を売却するに至ったのでした。


家一軒分の荷物を、ほとんど何も捨てずに 別の人がそのまま使うことになるとは、
物が有り余っている今の日本では奇跡に近いくらいすごいことだと思いました。

(これが可能だったのはこのご夫婦が普段からすごくきれい好きで
 物に愛情をかけて大事に扱っているからだと思われます)


私たち夫婦はちょうど欲しいと思っていたものがもらえてありがたかったし、
そのご夫婦は、いらないと思っていたものを、捨てずに済んでありがたかったのです。

私はただ欲しいものを貰っただけなのに、
「処分に困っていたらあなたたちが救世主のように現れてくれて助かった」とまで言われ、
ものすごく感謝されました・笑。


ということで、我が家は風水のアドバイスに従ってインテリアを代えて、
いろんなものを処分したら、その何倍もの新たなものが我が家にやってきました。

新たなエネルギーが循環しはじめた、というような感じでしょうか。

なんだか自分の家じゃないみたいに、新しい雰囲気が我が家に漂うようになりました。

ちょっとインテリアを簡単にいじってみただけでも、

毎日目にするものが変わるので、自分のエネルギーもきっと変わるのでしょうね。

とても、嬉しい出来事でした。

それよりなにより、「必要なものが、必要なところに循環すること」  

これってすごく気持ち良いし、いいことですね。

物をいただけたことももちろん嬉しいですが、
物が必要なところに届いたということのほうがよりいっそう嬉しいです。

その流れが世界中に広がっていったら、必要な愛情もエネルギーもうまく循環していくように思います。

さて、私も受け取るだけでなく、受け取った物や愛情のエネルギーを、流せるところに流したいと思います。

知床の大自然

こんにちは。すっかりご無沙汰しております。

お盆休みに、夫の実家の北海道へ行っていました。

普段の帰省ではあまり観光はしませんが、今回はちょっと足を延ばして知床まで行って、大自然を堪能してきました。

どんなだったか、言葉よりも写真のほうがたくさん語ってくれますので、
まずは写真を貼りつけます(o^-^o)

gennseihanaenn1.JPG
(原生花園です)

hachi.JPG
(かわいいハチさんがいました。)

oshinkoshin.JPG
(オシンコシンの滝。ダイナミックな滝でした。)

shika.JPG
(ドライブしていたらエゾシカさんに会いました)

shiretokogoko.JPG
(知床五湖からの眺め)

shiretokogoko2.JPG
(知床五湖の中の一湖。時間がなかったので遠くからの写真です。)

otome.JPG
(乙女の涙のような滝、だったかな?)

zouiwa.JPG
(ゾウさんみたいだから象岩です。)

taki.JPG
(滝もダイナミックですねー)

taki2.JPG
(こちらの滝は優美です)


kuma.JPG
(野生のヒグマが二頭いましたが見えますか?まんなかの黒い点二つです)


shachi.JPG
(シャチの群れがいたとの情報で急遽進路を変えてシャチに会いにいきました。めちゃ近いです)

shachi2.JPG
(これもシャチ。アイヌの言葉ではレプンカムイと言うそうです。)

yuuhi.JPG
(おひさまも美しかったです)

ishiirukka.JPG
(翌日のクルージングはイシイルカに会えました。
 あいにくのお天気だったので、あまりうまく写せませんでした。左側にちょっと見えます。シャチと同じ色です。)

rausudake.JPG
(羅臼岳です)


と、まぁこんな感じでした。

ふー、写真を張り付けるだけでもかなりの手間ですね・笑。

時に写真は言葉よりも多くのことを伝えますので、
今回のブログでは言葉は必要ない、って感じですが、いちおうちょっとだけ書きます。


写真でもご紹介しましたように、
ウトロクルージングでは海の王者、シャチさんに出会えました。

5~6頭の群れに会えてそれはそれは嬉しくてたまらなかったのですが、
手放しに喜ぶこともできませんでした。

というのも、私たちが乗った船はウトロという港から知床半島を眺めるクルージングです。

反対側の羅臼港では、クジラやイルカやシャチに会えるクルージングなのですが、
ウトロ側からシャチが見られることはめったにありません。

年間を通して3回、多い年で5回見れるかな?というくらいに珍しいことなのだそうです。

しかし今年は、私たちが乗った船でシャチに会えたのは9回目なのだそうです。

全国でも、今年はサメがいるために海水浴場が閉鎖されてしまったり、
例年よりも水温がちょっと高いのでしょうね。

ということで、めったに見ることができないのに見れた!ラッキー!!!
とノーテンキに喜ぶことは私にはできませんでした。


自然は私たち人間に、声なき声でさまざまなことを訴えていますね。


ちょっと短いけれど、今日のブログはこれでおしまい♪

オマケの写真  


↓    ↓     ↓

gonkoshika.JPG

wellshika.JPG

(シカの角をお土産にもらって、ひたすらかじるゴンコちゃんとウェル君でした。
 こないだシカの毛皮を家に持って帰ったらものすごく怖がったのに、
 角はかじるんだ・・・・と思いました^^。)

愛賀さんの算命学と風水鑑定

皆様こんにちは。先週の木曜日は私のお話会が東京の四ツ谷で行われました。

私の宣伝力がないためか、はたまた内容が面白くないのかはわかりませんが、
ハートで感じるお話会はだんだんとお客様の人数が減っております。いろいろと努力不足なのでしょうか。
まぁ、確かに努力はまったくしておりません・笑。

個人的には、かなり濃い内容の話題を喋っているつもりなのですが、
(濃すぎてみんながついて来れないという意見もあります・笑)
もしかしたら私の潜在意識が小規模な会をより望んでいるのかもしれませんね。


昨日はお客様4名の本当に小規模な会となりました。
しかも、四名のお客様は、毎回来てくださるリピーターの方です。

タイトルもテーマも決まっていないお話会に、毎回来てくださる方がいらっしゃるとは、なんとありがたいことでしょう。

その方々がいてくださるおかげで、私の頭や心や体の中でうずまいていた、
言葉として外に出たがっている表現たちが日の目を見ることができて、本当にありがたいのです。

もちろん、私の言葉によってご参加の皆様も喜んでくださったらいいなぁと心から願っておりますが、
どう感じてくださるかは、その方次第ですので、その方とその場その時の神様にお任せしております。

さて先日は、クンルンネイゴンのお仲間の愛賀真琴さんの算命学セッションと、風水無料コンサルを受けることになりました。

私は占いや風水の類は聞いたらそれを気にしてしまうので、あまり受けないようにしておりますが、
なぜだか今回は趣味が共通の愛賀さんの鑑定ということで、珍しく受けてみたくなりました。

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(愛賀さんと私。そしてついでに、洞窟に一緒に行って、クンルンもしてきました)

算命学ではたくさん参考になった中でも、特に印象的だったのは、

私は視野が宇宙規模に大きくて、他の人の見ることができない世界を表現できる人。
ただし、それを表現しようとしても、他の人にはそれが大きすぎて理解ができず、
他の人は私が何をしたいのかがよくわからないそうです。

よって、他人から理解されなくとも、地道に続けることによって、
あとからだんだんと理解されるようになってまわりの人がついてくる、
だから、人から理解されないからといって、すぐにあきらめようとしないでくださいね、とのことでした。

なるほど、面白いほどに現在の私のお話会の状況をそのまんま表していただきました。

お話会だけに限らず、確かに自分でも他の人と比べて視野が狭すぎるか広すぎると思っていました。
それは私の良い部分でもあるのですが、
普通のあるべき視野が欠けていて、他人と全然わかりあえなかったり、
中、長期的な計画などがたてられなかったりします。

しかも飽きっぽいので、ちょっとでもうまくいかないことは、すぐにやめてしまおう、と思ってしまいます。

お話会も、あんまりまわりに広がっていく気配がないし、会社に迷惑をかけるのも嫌だしで、
舩井フォーラム2015 で講演をした後は、もう講演はやめようかなぁ と思っていたところでした。

でもここにきて、このタイミングで愛賀さんから、「人から理解されなくとも続けてください」とアドバイスをいただいたので、
もうしばらくは続けてみようと思えることができました。
こんなことをタイムリーにズバリと言ってくださる愛賀さんは、さすがだと思います。

その後、カナダ人の風水コンサルタントマーク・エインリーさんから学んだ、
コンテンポラリー風水の無料のモニターになって愛賀さんに鑑定していただきましたら、
こちらもいろいろと面白いことがわかりました。

この風水では、玄関から家を9つのゾーンにわけてみるのですが、
我が家はL字型の家なので、お金に関するゾーンが、まるっきりないのです。

風水のインテリアで対処するもなにも、存在自体がないので、対処しようもありません。
なるほど確かに、この家に住みはじめてから、お金に関することを社会人として不自然なくらいに考えなくなりました。
それどころか、お金を中心に話をする人のことを、ちょっとムカついたりしていました(笑)。
金運をアップしようという気持ちが、どうがんばってもさっぱりわいてこないのです。
この特徴は一緒に暮らしている夫も全く同じです。
いちおう各部屋ごとの代替案は教えてもらいました。

それから、恋愛運の部屋や夫婦の寝室は、
これ以上にないほどに殺風景な部屋で、白とベージュと茶色しか色がなく、
何の飾りもありませんでした。

「これじゃあ夫婦仲も砂漠のようですよ」とコメントされて、
確かに、最近は夫婦間の会話も砂漠のようにドライだったなぁと思いました・(笑)。

恋愛運をアップさせるための、ペアのものとか、ハート型のものとか、ピンクのものとか、小鳥がモチーフのものとか、
面白いほどに我が家にはその手のものがなくて、笑えました。

どおりで最近、自分がオバサンを通り越してオジサン化しているはずです。

ちなみに、我が家がドライで砂漠のようなのは、土のエネルギーが過多なためだそうです。

土は安定感はもたらしますが、多すぎると、落ち着きすぎてしまう、潤いやみずみずしさに欠けた生活になる、
流れがなくひとつの考えややり方にこだわってしまう、といった欠点がでてしまうのだとか。

なので、全体的に緑の要素や水の要素をいれること、特に愛情に関するエリアには潤いが必要なのだそうです。

その上で愛を表現することや、ふたりであることの意識をもたらすアイテム、つまりペアのもの、二人の写真(新しいもの)、愛し合う状態を表現したアート、色ではピンク、ローズ系、ピンクが嫌いな人が無理にする必要はないそうで、華やかなオレンジや赤も大丈夫なのだそうです。

また、ピンクよりのラベンダーもとりいれることで、
それを目にして生活することによりひとりじゃなく、愛し合うふたりがする会話や食事になりやすくなるよう、
環境を変化させることで意識に働きかける、とのことでした。


住む家はその人を表すと言いますが、こんなにも自分を客観的に見ることができて、
本当にためになりました。

ということで、アドバイスいただいたことは積極的に取り入れて、
今後はもうちょっと人間らしくいたいと思います。


インテリアを代えることで、毎日目に入るものが変わるので、
今後の人生がどんなに変わるか楽しみです。

ここ1,2年、〇〇運がアップ!などの開運話は聞くだけでムカついていたのですけれど・笑、
たまには風水などを取り入れてみるのも良いですね。
風水は木とか土とか火とか水とか金とかの五行を整えるツールだということがよくわかりました。

我が家は全くお客さんが訪れない大きな犬小屋のようなさびしい家でしたが、
これからはもうちょっと、人間らしくお客様をお招きできる家にしたいと思います。

祈りの島、久高島

皆様こんにちは。もう夏も真っ盛り。多くの小学生は夏休みに入ったようですね。

熱海では海水浴にいらっしゃる観光客の方々がだんだんと増えてきました。

最近の熱海はメディアの影響かとても観光客の方が多いです。

土日の駅前なんて、原宿並みの人の多さですが、(駐車場に車を停めるのに一時間もかかったりします)
せっかく来ていただいても熱海は意外とシャッター街が多いのでなんだか残念です。

民芸品などの作家さんや若い芸術家の方、はたまたおいしいごはん屋さんなど、
熱海で出店すると、たぶん家賃も安いし、お客さんもたくさんいるし、なんといっても自然豊かなので、
ぜひ熱海暮らしをチャレンジしてみてほしいなぁと思っております。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


7月の18,19、20日と、秋山佳胤先生のロータスカフェ@久高島 のツアーにスタッフとして行ってきました。

スタッフとはいえ、私は細かい作業が苦手で宴会部長としても気が利かないのであまりお役に立てず(苦笑)、
その場で少しだけ講演をして、あとから原稿を書く係です。


今回の久高島ではどんな旅になるのかなーととても楽しみにしておりました。

じつは久高島には強烈な思い出があります。

2008年の4月13日、結婚式を一週間後に控えた私は一人で久高島に行きました。

その前の数年間、舩井会長の秘書という怒涛のような忙しさで仕事だけをしてきて、
結婚式の前にはじめて1週間のお休みをいただいたので、
その日程で沖縄の離島で友達とバカンスを過ごす予定でした。

当時の私は、仕事の忙しさに加えて、川崎から熱海まで往復5時間の通勤時間と、
お見合いで知り合った夫との二人での生活で完璧な家事を求められ、
心も体もボロボロになって、こりゃもうバカンスにでも逃げないと本当に気が狂うか自殺する・・・・と思うギリギリの状態でした。

一か月以上も、連日38度以上の高熱が出る中で、
フラフラになって毎日泣きながら通勤していたのも、今となれば良い思い出です。

あまりに真面目でストイックな性格で、今のいいかげんさを、当時の私にちょっとでも分けてあげたいと思うのですが、
あの頃にストイックな生活ができたからこそ、現在これだけいいかげんになれているのだなと思います・笑。

で、友達との楽しいバカンスの前に、
別のお友達の紹介もあって、祈りの島である久高島に一泊することになっておりました。

当時の私は、我こそが地球を救ってみせる!みたいな変な気負いというか勘違いがあって、
聖地や神社などに行く際も、じつは非常にストイックな気持ちで行っておりました。


そして、当時は12年に一度行われるイザイホーという大変な歴史としきたりのあるご神事を、
なんとか復活させたい というようなことを島の方々が思われていたようで(後継者がいないため1978年以来行われていません)
島の人のお話しを聞くために、ある家庭で夕食をごちそうになりました。

生涯を祈りに捧げてきた方々の家で夕食をごちそうになるときに、
その家の子供が見るためになにげなくついていたテレビが、なんと映画「日本沈没」でした。

私はそこの人たちと世界平和の祈りのための会話をしながら、
真横で延々と流れ続ける「日本沈没」を横目で見ていて、
なんだかギャグみたいなこのシチュエーションは何なのだろう・・・・・と、思っていたのでした。

そしてその日の夜中・・・・・・・・ほとんど朝方に夫から電話がありました。

なんと、その日までぴんぴんと元気だった義父が夜中に急死したというのです。
死因は、心不全だったのか何なのか、医者の診断はいちおうあったけれどもよくわかりませんでした。

そんなこんなで、沖縄でのバカンスは当然ながら急遽とりやめて、
沖縄本島への船をチャーターして沖縄に戻り、船着き場からタクシーを呼んで、
その日のうちに、夫の実家である北海道へと行くことになったのでした。
たったの一日で、沖縄から北海道まで、日本縦断です。

お通夜、お葬式、親戚一同への結婚のお披露目、五日前の結婚式のドタキャン、それに伴う諸連絡等など
ありとあらゆることが一挙に起こりました。

さらに小さいながらも会社の経営者だった義父が突然亡くなったのですから、
さまざまな事務手続きや問題が次から次へと起こります。
そういうドタバタ劇が結局落ち着いたのは、それから数か月後くらいでした。

そんなこんなで、私の久高島に対する思い出といえば、
見た目は何もない自然だけの島だけれど、見えない世界ではすごいことになっていて、
なんだかびっくりするほど大変な目にあった島だった、というものでした。


さて、そんな思い出を持った久高島、スタッフで呼ばれたものの、
どうして自分が呼ばれたのかよくわかりません。
どう考えてもお客様の数に対してスタッフの数は多いのです。

しかし何事も必要、必然、ベスト。起こることは起こるのです。
頭では理解できないけれども、どうしても、行かねばならない理由があったのでしょう。

5月、6月と、私は別件で二度も北海道に行っていました。
そしてなぜだか、アイヌ民族についてたくさん学ばねばならない気がして、
歴史の資料を読んだり、アイヌの民話を読んだり、アイヌの祈りの歌のCDを聞いたりして、
アイヌの人たちの祈りについての思いを馳せていたのでした。

そして7月の沖縄・久高島です。

北から南へと続く旅で、なんだか7年前のあの日を、逆からたどっているような気分になりました。
たかが7年、されど7年、思えば遠くへ来たもんだ~、と感慨深い思いでした。


久高島では、真栄田苗さまにご案内いただきました。
苗さんは世界のために日々祈っておられるとても素敵な女性でした。
苗さんのお話しを聞いて、いかに久高島の方々が、世界のために祈りを続けてくださったかが、よくわかりました。

苗さんからいろいろな場の説明を受けていると、白い大きなチョウチョとか、小鳥がやってきて、
まるで道案内をしてくれているようでした。
また、私には見えませんでしたが、苗さんが呼ぶとウミガメもよってきて、顔を見せてくれたそうです。
苗さんのピンと伸びた背中の後ろ姿は、とてもカッコ良かったです。


また、祈りの島久高島でいただく秋山佳胤先生のロータスカフェは、
これまた絶品でした。

秋山先生の珈琲は、ただその珈琲をいただくというそれだけのことが、
祈りにつながると思います。
どれだけの愛情と祈りをこめて秋山先生が珈琲を入れていらっしゃるか、
久高島でいただくことによって、よくわかりました。

もちろん秋山先生はとても謙虚な方なので、
自分からそんなことはおっしゃいませんが、
なにげなさの中に祈りがあるその自然体の姿勢が、私はとても素敵だと思っています。


久高島の旅で何を感じたか、はあまりにも感慨深すぎて、
たぶんうまく言葉にできません。

久高島にいるというのに、なぜだかアイヌの人たちの祈りや思いを感じていたり、
本州、四国、九州の人たちの思いを感じていたり、
はたまたアマゾンやアフリカ大陸の方々の祈りを感じていたり・・・。
いろいろな人の立場に思いを馳せることになりました。


陰も陽も、光も闇も、見える世界も見えない世界も、
両方目をそらさずに見てきました。

祈りの島である久高島、そこは世界の縮図のようでもあり、
小さいながらもさまざまな人間模様がある。
それは久高島だけでなく世界中どこでも起こること。

ある一部分に光を照らすと、必ずそこには影ができる。
みんなはそこで光だけを見たがるけれど、
そこで影になった存在、口を閉ざしひっそりと涙を流した声の小さき存在たち。
そんな声なき声を大切にしたいと思いました。

光だけを見るのでなく、かといって闇だけを見るのでなく、
その両方を見て、そこに判断や解釈ははせず、ただそのまま眺める。

久高島の悠久の時を感じながら、ずっとずっと祈り続けてきた人たち、
そしてそれら祈りのしきたりに縛られて苦しんできた人たち、
そんな祈りには関心をしめさず、ただ見える世界だけで目先の利益を得ようとする人たち、
いろんな思いが入り混じった中を、ただただ眺めて感じて過ごしました。


そうしてただ眺めるだけで、
自分なりに、祈りとはどうあるべきか、を見つめなおす旅になりました。


そんなこんなで、三日間いろんな思いの入り混じった素敵な日々を過ごすことができました。

ご参加の皆様、秋山先生、苗さん、かかわってくださった皆様、本当にありがとうございました。

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「たった今、宇宙銀行の財布の口が開きました」のお祝い会

皆様こんにちは。つい先日まで、体じゅうにカビが生えちゃいそうなくらい、ずっと雨が続いておりましたが、
ようやく熱海にもお日様が顔を出してくださいました。
久しぶりのお日様に、とてもありがたい思いです。

いや、しかし、それにしても突然暑いですねーー。
家の中で熱中症になってしまいそうなほどの暑さです。
皆様どうぞ水分補給はこまめにして、お気を付けくださいね。

そうそう、水といえば、多くの人が「水」を飲む機会ってじつはあんまりないと思います。

私も以前までは、水分補給はもっぱら食事とお茶派。
暑いなーと思ったら、麦茶を飲んだり、梅ジュースを飲んだり、で純粋に水を飲むことってあまりありませんでした。

でも、一度水にこだわりだしたら、結局のところ一番おいしいのは水だということに気づきました。

お茶は自分で急須で入れるものか、喫茶店など誰かに入れてもらうものだけ。ペットボトルのお茶を買うくらいなら水を買います。
たまに元気が欲しい時はジュースも飲みますが、水分補給という点に関しては、やっぱり水がベストです。

体調や体質などその時々によって飲む水は変わりますが、私がいま気に入っているのは、クリスタルガイザー]と、観音温泉の水と、Pちゃんのところの水です。
皆様もご自分にあった好みの水をぜひ探してみてくださいね。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

先週の土曜日は、愛知県岡崎市で、にんげんクラブ愛知支部の方々に、Pちゃんの本過去から未来への暗号 たった今、宇宙銀行の財布の口が開きました ここは《來(き)の森》KouDa 銀河のパワーがじゃんじゃん集まってくるの出版お祝い会を開いていただきました。

愛知支部の方々には、いつもいつもたくさんの愛情をいただいているように思います。名前が愛を知ると書いて愛知なのも、ほんとうにその通りだと思います。

おひるごはんは、みなさん持ちよりの炊き込みご飯とかおにぎりとか、自分の畑でとれたお野菜とか、お金では買えない愛情たっぷりのごはんをいただきました。

そのひとときは、ふつうにレストランなどでごはんをいただく時間よりも、よりいっそう温かい時が流れているような気がします。

Pちゃんの本の手作り「帯」を、みなさんがメッセージつきで書いてくださったり、手作りクッキーを焼いてくださったり、

かわいい石を磨いて、みんなでそれぞれにかわいい絵を描いて、それを寄付の箱を置いて販売していたり。(お値段はおまかせ。集まった収益はすべて寄付にまわされます)

このイベントのために、何日も事前に準備を重ねてくださっていて、チラシを作ったり配ったり、メルマガを書かれたり。

なんとも温かい手間暇が、いつも愛知支部の方々のイベントには感じられるのです。
特に今回のイベントを企画してくださった愛知支部の鈴木和子さんの発想やひらめきは、
愛なくしてはありえないほどに、温かいものだと思います。

このイベントで講演をしたのは、小川社長と私でしたが、このイベントを開催する力の9割以上は、こうして影で支えてくださっている方々のおかげだと心から思いました。


このイベントが開かれるきっかけとなった本「たった今、宇宙銀行の財布の口が開きました」は、
このタイトルが決まった時に、文章の内容とあんまり関係ないような気がするけれど、なんでこのタイトルなんだろうなーと思っていましたが、こうして愛知支部の方々がイベントを開いてくださって、このタイトルになった理由がわかった気がしました。

お金では買えない価値のあるものを、宇宙銀行は用意してくれます。

宇宙銀行、と銀行の文字があるだけで、すぐに三次元の銀行を思い浮かべがちですが、
宇宙銀行とは、お金という概念よりももっともっとスケールが大きくて、コツさえつかめばいつでも引出すことができるのです。

そのコツをつかむ境地にまでなるのは、なかなか勇気のいることかもしれませんが。
と、こんなことを喋る私よりも、愛知支部のみなさんのほうがよほど宇宙銀行とは親しく取引をしていらっしゃると思います。

思いがけず、宇宙銀行についてたくさん講演でも話せて、自分でもいろいろ勉強になりました。


それから、当日は4月にアリゾナで行われたマックス・クリスチャンセンさんのワークショップで、
二人一部屋で四日間同じ部屋だったダンサーのアッコちゃんが私の話を聞きに来てくれました。

彼女は「本当に自分のやりたいことしかやらない!」と、
すでに宇宙銀行とともに生きることを人生を通して実験中のユニークな女性です。

全財産数千円と、ほとんどお金のない状態にもかかわらず、やりたくない仕事はストップして、
そのかわりに宇宙を信頼する!と公言して
マックスのワークショップの料金やセドナ旅行の料金、ペルーに行く旅行代金をいろんな人からのカンパやストリートダンスやその他もろもろのことを工夫してやって、結局宇宙からかき集めたツワモノです。

現在の生活費も、ほぼすべて宇宙銀行からの仕送りのようです。

たまたまこの日の講演のテーマは宇宙銀行の財布の口が開きました だったので、彼女にも講演中に少しお話ししてもらいました。


不思議なことに、この日小川社長の携帯には、唯一Pちゃんの言葉がわかるMさんからかなり久しぶりに突然メールが入り、
「Pちゃんからメロディーが流れていますが、何かありましたか?」
とメッセージが来ていました。

そんなこともあったので、講演が終わって座談会のときに、アッコちゃんにはPちゃんに意識を向けてもらって、Pちゃんを感じる舞を舞ってもらいました。

音楽もなしでその場でゼロになって舞う姿は、まさにフォームレス・フォームのクンルンネイゴンです。
龍が飛翔するかのような動きの舞を舞っていただいて、その場の空気が変わっていくのを感じました。
昔の巫女さんはこんなふうに舞っていたのだろうなーと思うようなみごとな舞でした。

アッコちゃんはこの後参加者のみなさんから多額のカンパをいただいて、
さっそく宇宙銀行の引出しをしていたのは言うまでもありません(笑)。


こんなふうなサプライズもあり、その後は懇親会もあり、とても楽しい一日でした。

愛知支部の方々からいただいたいっぱいの愛を、私もまた誰かにどこかでおかえししていきたいと思っています。

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(愛知支部の方々と。みなさんの愛のこもった本の帯と、Pちゃんのイラストの前で)

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(座談会でのアッコちゃんの踊りの様子です。)

マダニの怪・・・・・会、界、解、開!2

皆様こんにちは。今日は七夕ですね。
七夕って、晴れていたら言うことないですが、曇っていても、
雲の上での織姫様と彦星様を思い浮かべると、なんだかロマンチックな気持ちになります。


先週はマダニに咬まれたこととKan.さんのリトリートの感想について中途半端にオチを引き延ばして書きました。

そこから早くも一週間ほどたったのですが、
私にとっては然別湖に行ったのは1か月以上前くらいの記憶になっていて、
さらに今からその続きを書くのは、若干面倒な作業です(笑)。

こういうときに、舩井会長がよくおっしゃっていた即時処理の大切さを痛感します。
何事も、時差があるのはよくないですね・・・・。


ということで、面倒ながらも続きを書いてみます^^。


そのようなマダニに咬まれてふんだりけったりの状態でリトリートに参加して、しかもなぜかそのリトリートでは、
普段はめったにないような、その場で思いついたことを一人ずつ喋る自己紹介タイムがあり、
当然ながら自己紹介ではマダニに咬まれた話を披露しました。

その日はじめてお会いした方々には、きっと名前は憶えてもらえずに、「マダニの人」と認識されたことでしょう。

そうしてマダニについて、その会場にいた人全員の頭にインプットしたと思います。


はてさて、リトリートも終盤になったところで、参加者の中の一人が、
なんとなんとまたしてもマダニに咬まれてしまったのです。

その方は、夜中に咬まれていることを発見し、そのまま咬まれ血を吸われ続けることに耐えきれず、
ホテルのフロントの方もいなくてどうしようもなかったので、ハンドクリームを塗りこんで、
マダニを窒息死させたそうです。

死んでしまった後もしぶとく咬み付いたままのマダニちゃん。

Kan.さんに相談するとそのまま病院でとってもらうしかないね、との結論におちつきそうだったのですが、

リトリートが終わる間際に私に白羽の矢が立ちました。

マダニに咬まれたばかりの私にならば、マダニの気持ちがわかるから(?)、
そのマダニの口を皮膚に残さずきれいにとれると言うのです。

責任重大でとまどいましたが、できないとも言えない状況だったので、おそるおそるマダニを皮膚からとろうとしたら、
なんだか気が遠くなりそうな、ものすごく妙な気分になって、その後スルっとマダニは綺麗にとれました。

その方からは、「とってくれてありがとう!」と、とっても感謝されましたが、
そもそもそのマダニをリトリートの会場に連れてきたのも私だったのではないか、
という疑念も若干残ったままです(苦笑)。

自然豊かな場所とはいえ、たった二日半のリトリートで、参加者の二人が偶然マダニに咬まれる確率を考えると、
やっぱり私がマダニを会場に連れていったと考えたほうが確率は高いでしょうね・・・・・。
Kan.さんのリトリートなのだから、マダニが潜象界から突然現れたとかテレポートしたとか言いたかったのですが・笑。

ということで、感謝されているのだけれど、こちらが謝罪せねばならないかもしれない状況で、微妙でした。


そんなこんなで、マダニにはじまり、マダニに終わったリトリートでした。

(本当は、もっともっといろんなことがいっぱいありましたし、
 愛にあふれた雰囲気の中、心のクリーニングがものすごくできたのですが、
 文章では書ききれないし、個人的な感想でどうせオチもないのでマダニだけにスポットライトを当ててみました)


このように、マダニに咬まれていろいろ感じてみてわかったことは、

たかがマダニに咬まれるようなことであっても、

私にも、マダニにも、許可がないとそのようなことは起こらないということでした。

人間側から眺めてみると、憎きマダニに血を吸われ、毒を注入されてしまった、と考えるでしょうけれど、

マダニ側から眺めると、もともと毒のあった私の血液に何の因果か反応し、吸い寄せられ、その毒を吸い取る変わりに、自分の体液を注入した。そして、そのために命を落とすことになった。

と言えるかもしれません。

そしてマダニはごく自然に行動しただけでそこに策略などは何も考えていないでしょうけれど、私にとってはいろいろな気づきを与えてくれた存在であり、そのことによってマダニは殺されはしたけれども、一つのカルマを解消し、天寿を全うした。

とも言えるかもしれません。


私にとってもマダニにとっても、起こった出来事は、悲劇でも喜劇でも良いことでも悪いことでもなくて、ただ起こったことです。

そこで味わった感情は、恐怖心だったり、怒りだったり、悲しみだったり、とまどいだったり、安堵感だったり、高揚感だったり、さまざまですが、日常では感じられない感情を味わうことができました。

そうして私は、さまざまな存在たちに支えられ、助けられ、マダニのような存在とも一緒に助け合いながら生かされている、というようなことを感じております。


リトリートはリトリートで終わりなわけではなくて、帰って日常生活に戻ってからが本番です。

日常生活に戻ってから、これがはたして日常だっただろうかと思えるほど、
何気ない一日の中にも普段はありえないようなことがどんどんと起こりはじめて、
若干びっくりしながら日々を過ごしております。

マダニにとの出会いよって、異次元の世界へ行き、私の中の何かが解けて、何かが開いたのかもしれません。

まだまだ感じとることができるのは、ほんのわずかではありますが、
「わたし」が存在しているこのすべての瞬間はパーフェクトで、いろんな存在たちに支えられ生かされているのだなぁと感謝しております。


以上、マダニの怪 レポートでした。


マダニの怪・・・・会、界、解、開!

みなさまこんにちは。ちょっと寒い日が続いていますね。
今日の私はもうすぐ7月だというのに、カシミアのカーディガンを着ています。

寒さを感じる理由は温度だけではないのですが・・・・。頭が、寒いです。

昨日まで北海道に行っていました。
帯広で、ふらっと入った美容院で、なぜか、ものすごく短く髪の毛を切りました。

美容院でボーズにしてくださいと言ったら美容師さんに全力で止められたので、
ぼっちゃんがりというか角刈りというか、バリカンで刈ってもらってとにかく男子のような頭です。

四日後に帰宅したら夫が文字通り絶句しておりました(笑)。

誰がどう見てもすごいヘアチェンジなのに、本当に30分くらい髪の毛については見て見ぬふりをされ、
30分後に自分の髪の毛の襟足が伸びてきたことを語っていたので、

「ていうか、あなたの襟足についてよりも、妻のこの頭にはノーコメントですか?」

というと、

「そのムカつく頭について俺にコメントをさせる気か」

との返事が返ってきました。
よっぽど言葉が出なかったか、毒舌を吐きたかったけれど我慢してくれたのだと思います(笑)。
たしかに、自分の妻が旅から帰ってきて坊ちゃん刈りだったらびっくりしますよね。

3時間くらいたって目が慣れてきたら、「ムカつくけど意外と似合うな」とほめてくれました。
我ながらよい夫を選んだと思っております。


さて、どうしてこんなヘアスタイルになったのか、
美容院に行くまでに、何が起こったかをタイムスリップして書いてみますと・・・・。


その日の朝、帯広駅の近くのホテルで起きると、約束の時間までにだいぶ暇がありました。

暇だし、最近髪の毛が伸びていたので、ちょっと整えてもらいに「美容院に行こうかな」
とふと思っておりました。

朝食を食べてゆっくりしていたら、ふと、ふとももに黒いほくろのような点を見つけて、
あれ?こんなところにほくろがあったかなぁ?とよく見てみたら、
な、なんとその黒い点には小さな足が生えていて、マダニに咬まれていたことがわかりました。

急遽ホテルをチェックアウトして、びよういんでなく、びょういん に行くハメになりました。

知らない人がけっこう多いので書きますと、
咬み付いているマダニを自分で無理にとると、マダニの口の部分が皮膚に残ってしまいます。
運が悪かった場合は、ばい菌がカラダに悪さをするのです。
ここ数年では、新しい種類のマダニが出てきたのか、
マダニに咬まれたことによって、感染症で亡くなる方もいらっしゃるのです。

私はドイツに住んでいた頃に、そんな怖いマダニがいることを知ったので、
すぐに病院に行くという選択をしました。

局所麻酔で皮膚を切開して、マダニを取り除いてもらい、一針、縫いました。

ほっこりとした朝のひと時が、マダニの出現によって急にあわただしい一日のはじまりとなってしまいました。

私は小さい頃から注射が大嫌いで、点滴の針で失神したこともあるほどなので(あ、へそピアスでも失神しました・笑)、
局所麻酔の注射をすることや、その後の切開は、個人的にものすごくストレスでした。

ということで、金銭的にも、肉体的にも、精神的にもダメージを受け、
診察が終わってからも、待ち合わせ時間までまだあと1時間以上あって、途方にくれました。

誰も知り合いのいない町で、曇っていて、寒くて、ブルーで、暇なのです。


ということで、ヤケクソな気持ちでとある美容院に行きました。
シャンプー&カットで1900円という安さ。
美容院だというのに、ものすごくタバコのにおいのするところでした。
スタッフさんは3人いたのに、お客さんは誰もいませんでした。

マダニが血とともに、私の煩悩を吸い取ってくれたのかはわかりませんが、
「どんな髪型にしますか?」の問いに、「ボーズにしてください」と言いました。

ボーズをリクエストするのに、黙ってわざわざシャンプーさせてごめんね・・・・とも思いました。

担当してくれた女性スタッフは、「私の美容師人生で、ボーズをリクエストしてきた方ははじめてです」
と、当然ながらびっくりしていました。

彼女の美容師人生にとって、私は思い出深い妙なお客さんとなったのでした。

で、結局は、簡単な会話のやりとりの末、

「お客さん、ボーズはマジでヤバイっすよ。超目立ちますよ。女性なんだからやめたほうがいいっすよ。
 頭ダニに咬まれておかしくなったんじゃないっすか?」

と、若干ヤンキー風に止めてもらえたので、ボーズではなく坊ちゃん刈りになったのでした。


このマダニから坊ちゃん刈りになるまでの一連の流れは、
その日の午後から然別湖付近で行われるKan.さんのリトリートの直前に起こった出来事でした。


いつもながら、Kan.さんやマックスさんに会う前後には、何かしら自分と向き合うことになる出来事が起こります。

毎回、驚くけれど、驚かない。動じるけれど、動じない。

今回はこう来たかああああああーーーーーーーーーーーーーーー!!!!っと、
驚き、悲しみ、怒り、喜び、切なさ、感動、いろんな感情をじわじわと味わう。

てなことで、こんなスタートから然別湖のリトリートははじまりました。

で、リトリートはどんなだったか・・・・・ですが、文章が長くなったので、
気が向いたら次回に続きます。

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(たぶん、前日に行ったこの森で、マダニを連れて帰りました。)


滝との対話

皆様こんにちは。アジサイが美しい梅雨の季節ですね。

晴れた日もいいけれど、雨もまた雨でいいですね。
今年はまだですが、我が家は山にあるため、梅雨の時期にはある日突然ワっと一斉に家じゅうにカビが生えます。

(別に日当たりや風通しが悪いってワケでもないのですが、標高が中途半端なので
 数日間、霧の中で生活するような時はそうなるのです)

昨日まで何事もなかった食器棚やタンスの表面が、カビだらけになります。
その時期はお米や保存食や洋服たちまで、すべてがカビるので、いろいろと大変です。

こういうことを経験すると、なるほどカビとか菌とかは、
徐々にではなく、ある一定の条件が整えば一気に発生するのだなということがわかります。

この世に生まれるために自分にとって最高の条件が整うのを、あらゆる菌が虎視眈眈と狙っています。
見えない世界から見える世界へ何かが生まれる瞬間を観察できるので、なるほどなーとカビも興味深く眺めています。

こんなふうにカビについて考えてみることで、私もカビのように、普段はひっそり静かにしていても自分にとって最高の条件が整ったときには、一気に力を発揮できる人間になりたいと思いました^^。

(ま、カビ君大発生のその後の掃除やら洗濯やらは、本当に大変なんですけれどね)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

最近は、滝に行くことがよくあります。

マイナスイオンという言葉を初めて知った時に、滝にはマイナスイオンがたくさんだと聞きました。
マイナスイオンを見ることはできないけれど、見えなくても滝にいくととても気持ちが良いです。

寒がりなので別に滝行をするわけではありませんが、近くで眺めているだけで、なんだか心も体も洗われるような気がします。
そしてとても元気になります。
大自然が与えてくれたギフトだなぁと滝を眺めるたびにつくづく思います。

心を静かに滝と対話をしてみると、なんとなくですが、滝だけでなく滝に住むスピリットたちとも対話できるような気がしてきます。
まぁ、なんとなくなのですが。
そしてそれらの声なき声は、忘れていた何かを思い出させてくれるようにも感じます。

水の流れを見つめながら、激しく変化しながらも、変化をしない何かを捉えたいと思うのです。


生きるために大切な情報をたくさん教えてくれますので、皆様もぜひ滝に行ってみてくださいね。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

最近はイワクラとか滝とか洞窟とか、そういう場所の存在たちに会うために、
よく一人でドライブしています。

以前はそんなに車に乗るのが好きではありませんでしたが、滝に行こうと思うと1~2時間のドライブもひょいと行けるのです。

そういう趣味ができてしまったために、あまり本を読んだり、誰かの講演会とかに行かなくなってしまいました。

今は、誰かが言ったとか、本に書いてあったとか、そういうことで何かを判断するのではなく、
自然と対話してひたすら自分の中に沸いてきた思いを大切にしようと思っています。

人の知識を積極的には取り入れなくなってしまったので、自分は謙虚さを忘れてしまったのかなぁと思うこともあるのですが、
今は混乱している自分の宇宙を整理整頓して大切にすることに専念しております。
たとえるならば、カオスだった空間を、少しずつ自分好みに変えていくような感じです。

ということで、読者の皆様には「こだまさん最近自分のことばっかり書いてつまんないなー」と思われてしまうかもしれませんが、
とりあえず今はこういうモードですので、すみませんです。

とはいえ、自然も人も変化していきますから、このモードもいつまで続くかはわかりません(o^-^o)

どんな状態の自分も、「好き」 だと言える自分でありたいと思っています。


あ、最後に最近読んだ本のひとつを紹介します。
山怪 山人が語る不思議な話
」ちょっと怖いけれど、まぁまぁ面白かったです。
全国のマタギの人たちへのインタビューを集めた、山での不思議な出来事のお話しです。
神隠しとか狸に化かされるお話しとか、山にはいろいろな不思議があることがよくわかります。
柳田国男氏の書いた「遠野物語」にはかないませんが、現代にもこんな話があるのだなぁと思いました。


つたない文章をお読みいただきありがとうございます。

manjyo.JPG jyoren.JPG
(万城の滝と、浄蓮の滝です)

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(舩井本社熱海オフィスから徒歩2分にある小さい滝です)

well.JPG
(文章とは全然関係ありませんが、愛犬ウェル君です。最近はゴンコちゃんばかり掲載していたので、ひさしぶりの登場です。
 ゴンコちゃんをひいきしているわけではなく、この子はカメラを向けると嫌がるので、かわいい写真をとるのが難しいのです^^)

秋山佳胤先生のホメオパシーカウンセリングを受けました。

皆様こんにちは。

先週は、ひょんなことから秋山佳胤先生のホメオパシーの健康カウンセリングを受けてきました。

ご新規の方は半年以上待ちという大人気なカウンセリングなのですが、たまたま予約をされていた先輩のお母様が、
ご都合が悪くなられて来られなくなったので、代理で受けさせていただいたのでした。
何事も、不思議なタイミングってあるんですね~。

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(秋山先生の笑顔はいつ見ても素敵です)


受けてみると、いやはやびっくり!

2~3時間のお時間をいただき、とても深いところまで、いろいろな病気や心の問題を、掘り下げてくださいました。
そこにいて、秋山先生とお話しをしただけで、なんだか健康問題はほとんど解決されたかのような癒されっぷりです。

なるほどこれは半年待ちになるはずだ・・・・と思いました^^!

今の私の体の症状だけでなく、両親や祖父母から遺伝として受け継いだ体の状態、それから今まで飲んできた薬の副作用や薬害などについての説明も聞きました。

体の状態を測定できる装置も、NASAで使われているすごい性能のもので、体の状態が細かくわかるだけでなく、
なんと過去世までもわかっちゃう優れもので、とても興味深かったです。

この一年で私はずいぶん変わったと思うし、かなり自由でいいかげんにもなったと思っていたのですが、
もっともっと自由になっていいのだとアドバイスをいただいて、ものすごく気が楽になりました。

「出る杭は打たれるけれど、出過ぎた釘は打たれないんですよ。人がどう思うかなんて気にしないでいいんですよ。自分が大事ですよ。」

とニッコリ笑う秋山先生のお顔は、とっても自由な気がして、これ以上にない説得力でした。

ということで、これからも、出過ぎた釘になれるように、自由に自分を表現していきたいと思いました(笑)。


ところで、ひとつだけ秋山先生にびっくりされたことがあります。

波動を測定する装置では、チャクラのエネルギーの数値も出るのですが、
私は頭頂の第七チャクラがとても開いていたようでした。(数値はもう忘れちゃいましたが・笑)

クラウンチャクラがこんなに開いているのはすごいね、と三回くらいおっしゃってくださって、
最近の一連の脳の変化が数値で現れているのを見ることができた気がして、とても嬉しかったです。


次に開いているのは、会陰にある第一チャクラ。
そしてその次に開いているのは、眉間にある第六チャクラ。
頭が開きっぱなしなだけでなく、ちゃんとグランディングもできているようなので、安心しました。


いいかげんな私はそれ以上はやっぱり忘れてしまったのですが、
とにかく一番開いていないのが、ハートチャクラと喉のチャクラでした。


それを見て、なるほど私が毎月一回「ハートでつながるお話会」を開いているのは、
自分の中で最も苦手な分野であるハートと喉を使いたくてやっているのだな、と気づけてとても面白かったです。

ハートが開いていない人がハートでつながるお話し会を開催しているだなんて、詐欺みたいですね(笑)。

でもまぁ「ハートでつながるお話会」で言っている「ハート」とは、ハートチャクラや場所を表しているわけではないので、詐欺ではないということで、ご勘弁くださいね(*^ワ^*)笑。

ともかく秋山先生のホメオパシーカウンセリングは、とてもとてもオススメです。
大人気でかなり待つようですが、待つ甲斐がありますので、ご縁とタイミングのあう方は、
ぜひ受けられることをおススメいたします。

秋山先生のホメオパシー情報はコチラ↓
http://www.lotus-office.net/homoeopathy/

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

と、ここまでは秋山先生のカウンセリングのお話しでした。

ここからは、個人的な、ちょっと不思議な別のおはなし。


最近の私のところには、ちょっと変わった「健康法」のお話しが舞い込んでくるようになりました。
魔法のような液体である天然酵母液の作り方を習ったり、とってもパワフルな健康食品を紹介されたり。

それは今までになかった流れで、なんとしてでも今はカラダの体質改善をして!って天からのというかあの世からの強烈なサポートを感じていました。

そんな流れの中で、秋山先生の健康カウンセリングを必然にも受けることになって、さらに体質改善に関するサポートをされ、
そうか、そろそろこの時期が来たか、と感じるものがありました。


というのも、去年死産をしてから一か月後くらいでしょうか。
Hさんが舩井会長のご自宅にいらっしゃって、舩井会長の言葉を、その場にいた人たちにチャネリングで語ってくださったことがありました。

その時に、「あの子のことは何も心配せんでええ。ちゃんと時期が来たらそちらに送るから。」

と、会長が語ってくれたのです。

私はその言葉を信じて、これまで次の妊娠に関しては、何も心配せずに(というよりも何も考えられずに)、
思うぞんぶん仕事もしたし、いろんなチャレンジをして、海外にも行ったし、日本中を旅しました。

もちろん、年齢もそんなには若くないのですから、家族や私のことを思ってくださる方からは、次の妊娠についてもっと考えたほうが良いのではないか、もっと仕事の手を緩めたほうが良いのではないか(十分緩んでいるのですが・笑)、とかなりのプレッシャーもいただいたし、心配もされたのですが、どうしても次の妊娠に関しては考えられませんでした。

そうして今の時期になってようやく、そうか、そろそろ考えるか。

と、考えさせられるような、体質改善を促すようなシンクロが頻繁に起こりはじめたのでした。

秋山先生のカウンセリングを受け(させ笑)られる流れになってから、さすがの私も「こりゃ妊活を始める時期が来たってことだな」と思ったワケですが、カウンセリングを受けた二日後に、面白いことがありました。


なんとなく、その日は体調があんまりよくなくて、普段だったら出勤の準備をはじめる時間に、家でダラダラしていました。

するとホメオパシーのレメディがさっそく届きました。

届いたなと思ってそれを飲んで、それから三十分くらいすると、三件隣のご近所さんが、突然うちにいらして、「母がたくさん買ってきてあまっているからおすそ分けです」と、温泉まんじゅうを持ってきてくれました。その方とは、朝の犬の散歩のときによく会うのですが、最近忙しかったので、あまり会話をする暇がありませんでした。

「わー、ありがとうございます」と受け取ると、ちょっといいにくそうに、

「ホメオパシーのカウンセリング受けてきたんだよね(この方は、フェイスブックでお友達なので、カウンセリングを受けてきた私の投稿を読んでいました)。あの、ちょっと不思議な話をしてもいい?」と、断りを入れてから

「いつもはこういう話は人にしないのだけれど、あなたならこういう話も受け入れてくれると思って・・・・・。

じつは、あなたの亡くなった赤ちゃんが、三週間くらい前に私のところにやってきて、
 
『そろそろママにまた会いたくなったから、ママにちゃんと健康や食べ物に気遣うように、体調を整えるように伝えて』と
言いにきたの。そんなこと言われたって、すごくデリケートな話題だから、なかなか伝えづらいじゃない?

だから『えー、最近あなたのママは家にいないことが多いし、いつも忙しそうにしているから、伝えられないよ。
それにわざわざ伝えなくても、ママはけっこう元気そうだよ』

って断ったのだけれど、『いいから伝えて!家にいるときもあるから!ママは言わないとわかんないから!』って、

わりと強い口調で言ってくるのよ。

だから、この三週間、ずっと伝えようかどうしようか迷っていたのだけれど、なんだか今日伝えなきゃと思って、言いに来たのよ」


と、教えてくれました。

これを聞いて、涙が出るとともに、笑えて笑えてしかたありませんでした。

私自身も三週間前くらいから、頻繁なシンクロにあの子の存在を感じていたのですが、
こんなにも絶妙なタイミングでダイレクトなメッセージを伝えてくるとは驚きでした。

「いやぁ、使える人は誰でも使うんだね・笑」

と、そのご近所さんと泣きながら笑いあいました。

宇宙はいつでも本当に見事なタイミングでいろんなことをパーフェクトに見守ってくれていますね。


言葉では細かいニュアンスをいちいち説明しづらいこんなふうなことが、最近の私のまわりでは頻繁に起こって、宇宙の深淵なしくみに打ち震えて大号泣しながら大爆笑をする、って状況にしょっちゅうなっています。

たぶんこの状況は他人から見たら気が狂っているように見えるでしょうけれど、本人からすると大発見をしたときの反応なのです。

ということで、これまでは外に向かっていろいろなチャレンジをする時期でしたが、これからは収束に向かっていきます。

そして、ようやく妊活をする時期が来たようです。

子どもは授かりものなので、いつ授かるのかはわかりませんが、どうぞ今後とも温かく見守ってくださいね。

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(文章とは関係ないけれど、今朝のゴンコちゃん。雨で散歩にいけなくてちょっとブルーです)

水のように

皆様こんにちは。暑いなぁと思ったら、あっとう間に6月になっていました。

皆様お元気でお過ごしでしょうか。

先週のブログはあまりに内容が軽かったので、
今週はもう少し早めに更新をしようと思って今書いています。
ま、今週のブログ内容が軽くない という保証はないのですけれどね(笑)。

先週のブログの軽さからもわかるように、
ここ最近はブログを書くときのスタイルも変わってきました。


去年までの私は、ブログを書くときに、
まずは何を書こうかしっかりとテーマを決めて、
それをワードの文章に書いて、何度も何度も読み返し、何度も書き直しをして、
アップする写真も加工して、そうしてようやくホームページにアップする、というやり方でした。

そんな書きかただったので、誤字脱字もそんなになく、きちんとした文章にはなっていたと思います。

しかし、そのような長所がある一方で、短所もやっぱりあって、
書くときにものすごくエネルギーを使ってしまったり、
時には非常に重い雰囲気の文章になることがありました。
そして、あまりにも考えすぎてしまったものは、時間がかかりすぎて結局アップしない、ということもありました。

今の書き方は、そのまま ホームページのブログ作成画面からそのまま打ち込んでいます。

文章が流れるように手にまかせて、タイトルもほとんど決めていません。

なんとなくその時に流れる私の中の流れを、そのまんまの状態で、
文章にしていっています。

ということで、長所としては軽い文章になりました。

短所としては、中身がうすかったり、時にすごくいいかげんに感じたり(笑)、
何を書いているのかわからなかったりするかもしれませんが、
重く考えすぎて、結局何もアップできない、という状況よりはマシかなぁと思っています。

ごくたまーに、パソコンの不具合なのか天の采配なのかわかりませんが、
書いた文章がごっそりなくなることもありますが、
それはそれで、アップすべき文章でなかったのだな、と思って笑っています。


文章にするのって、すごく難しい部分もあって、
自分の好きなように書いたら、その気はないのに他人を傷つけてしまったり、
無知から書いたなにげない言葉が、世の中に悪影響を及ぼしてしまう場合もあります。
しかもそれは、ネットに出てしまうと、半永久的に残るのです。

10年もこの仕事をしていると、そういう言葉やネット、メルマガなどの特性を嫌というほど味わったし、
いろんな洗礼も受けました(笑)。

年に何回かは、どうしようもないほどに強烈なクレームやバッシングを個人的に受けることもあります。

私の書いた言葉によって、100人の人から心からの「ありがとうーー」と感謝のメールをもらっても、
たった一人の人が、殺意があるほどの悪意あるメールを送りつけてきたならば、
それはやっぱりナイフみたいなもので、気にしないようにしようと思っても、見えないカラダを切り刻むものです。

そんなことが何回かあってからは、
より慎重に言葉を選ぶようになったし、自分の本音をあまり書けなくなり、
常識的に誰からも怒られないよう、小さくまとまるようになりました。


でもようやく最近になって、
正しく言えば3月21日春分の日に神戸で行われた講演会の日から、
私のつたない文章でも待ってくれている人がいらっしゃるということがわかって、
嫌われてもいいから自分らしく好きなことを書こう!と思えました。

ということで、今のような文章になっています。

今書いている文章の、いえ、今生きている人生の、
お手本は、「水」です。

流れなければ腐ってしまうので、その時その場の環境にあわせて、
自由に自分を代えながら、水のように流れて文章を紡いでいこう。

と思いました。

ネットで書いた文章は、半永久的に残ってしまうのだから、たまには失敗もするかもしれないけれど、
そんなことを気にしていたら何もできないから、失敗したらしたでいいや、と思えるようになりました。

たとえ失敗したとしても、やっぱり水のように自分の本質を見失わずに流れていきたいなと思います。


それから私は月に一度お話会をしていますが、
これもやはり水のような会にしたいと思っています。

だから、DVDの録画もしませんし、音声を残すこともしません。
あらかじめテーマを決めることもできません。

集客とか、収益とか、いろいろ考えたら、きちんと記録に残したほうがいいのかもしれませんが、
水を見ていても、ダムって役にたつときもあるけれど、
長い目で見たら自然を壊す影響のほうが多いんじゃないかと思っているので、
ダムのように、記録をとったりすることはやめようと思いました。

その時その場で流れる空気を感じて、言葉にして、その場をみんなで味わえたらそれが自然なのではないかな、
と思っています。


舩井会長の先生も「水」だったし、クンルンネイゴンも「水」の教えです。


地球は青く美しい水の星ですから、水を大切に生きていきたいものですね。

と、自分のことばっかり書いてしまっておりますが、
どうぞ読者の皆様も、時には水をゆっくりと眺めて、感じてみて、
「水」を先生として、お手本として生きてみられることをおすすめします。

きっといろんなヒントが隠れていることと思います。

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ヤセの呪縛が解けた

皆様こんにちは。こだまゆうこです。
北海道に行ったり、講演会をしたりで、なかなか会社に出社できなくて、ブログを書くのが少し遅くなってしまいました。

この間に、いただいたメールにも満足に返信できなかったりして、
これからは移動先でも仕事ができる環境を整えないといけないかなぁと思っています。

とはいえ、移動先にもパソコンを持って行ってしまうと、
パソコンがないからこそ旅先では心が休まるという今の現状を壊すことになり、
どこに行っても心が休まらないかもしれないとも思います。
(ちなみに私、乗り物酔いをしやすいので、移動中には基本的に仕事できないです (´Д`。))

どっちがいいのか、悩みどころですね。


はてさて、全く話題は変わりますが、
最近は、会う人会う人に、「太った?」と聞かれます。
なんだかそれが正式な挨拶かのように、多くの人から聞かれます。

たぶん太ったのでしょうけれど、体重を測らないのでよくわかりません。
鏡や写真で自分の姿を見ると、あきらかに以前より太っているなぁとは思います。

食べる量はたぶんほとんど変わっていないと思うのですが、
なぜだかどんどん太っております。


で、日本人女性は特に、ちょっとでも太っていると、ヤセなきゃ、と思うようです。
太ることを、ネガティブにとらえる人が、けっこう多いのです。

ということで、私に「太った?」と聞いてくる人は、
冗談まじりにからかう人か、残念そうに聞いてくる人かのどちらかなのですが、
いつも私はそれを面白く聞いています。

まったくショックではなく、太ったと言われることが、とても面白いのです。


なぜなら、私は幼少期に虚弱体質で、本当にガリガリな子供でした。
体型をゴボウとかトリガラとか、そういう表現しかされたことがありません。

三食かかさずけっこういっぱい食べるのに、いつも誰よりもやせていました。

20代のころは、164センチくらい身長があるのに、体重は38キロくらいでした。

そんな体型だったので、通常つくべき筋肉も脂肪もついておらず、
運動は全くできないし、すぐに病気になるし、疲れるし、いつも寒くてよく震えていました。

しかし、当時の私はそんな体型を変だとは全く思っておらず、
ヤセているのはかっこいいと思っていました。

なぜならテレビや雑誌に出てくるモデルさんは、みんな痩せていたからです。

そして、会う人会う人がみんな
「ヤセているからいいね。うらやましい」とか「太ったらダメだよ。」
という言葉を本当に小さなころから私にかけ続けたからです。


そういう言葉を言う人が、本当に心から羨ましかったのかは、正直わかりませんが、
すなおな私はそのまま言葉どおりに受け止めて、
みんなはヤセているのをうらやましがるのだな、とヤセの呪縛にかかっておりました。


さて、そんな私でしたが、
この年になって太り始めました。

食べる量は変わっていません。

どうして太ったのでしょう。

年をとったから代謝が減ったのかもしれませんし、
いつの間にか食べる量が増えている可能性もあります。

でも一番の思い当たることは、「ヤセていても、太っていても、どちらでも私はすばらしい」
という認識ができたからだと思います。
自己肯定感が強くなったら、ヤセの呪縛が解けたのですね。

太ってみたら、あんまり寒くないし、健康的になって実はとっても快適です。
今はこんなに快適なのに、
「やせていることはいいことだ」みたいな呪縛にかかっていた昔の私が、とてももったいないです。


以前の私ならば お肉のたっぷりついたウエストは許せなかったでしょうけれど、
今は おお!古代の彫刻のような体型になってきてかっこいいな!と思えます。
たぶんもっと太ったら インドの聖者みたいでかっこいいな!と思うことでしょう。

フラダンスを踊る人や、ベリーダンスを踊る人も、ちょっと肉がついているくらいのほうがかっこいいですよね。

そりゃあたしかに、太っていることによって、
著しく健康が損なわれたり、飛行機の座席に座れなくなったり、和式トイレが使えなくなったり、
ってことが起こると、それはちょっと困るでしょうけれど、
健康で、日常生活に不便なことがなければ、
太ってたってヤセていたって、どっちでもいいじゃないですか。


今週は、北海道に行ったり、アンマの抱擁を受けてきたり、いろんな変化ががあったというのに、
なんでこんな一見どうでもいい話題を書いているのか自分にもさっぱりわかりませんが、こんな記事になりました。

たぶんかつての私だけでなく、日本中、世界中で、ヤセの呪縛が蔓延しているんでしょうね。


そろそろ、不自然にダイエットするのやめませんか?

そしてヤセているほうがかっこいいという思い込みにちょっと疑問を持ってみませんか?


というような問いかけを、なぜか書いてみたくなりました。

てなことで、今週の謎の記事を終わります(人´∀`).☆.。.:*・

クンルンネイゴンをやってみたらどうなったか

皆様こんにちは。新緑が美しい季節ですね。
つい先日は、一泊二日で京都に行ってきましたが、新緑がとても美しくてこの季節の京都もいいなあと思いました。
外国人の観光客の方がたくさんいらっしゃっていて、あらためて京都は日本的なところだなぁと思いました。

晴明.JPG
(新緑が美しい・・・と書きつつ、全然新緑の写っていない写真ですみません。晴明神社に行ってきました^^晴明さんもクンルンを知っていたのかなぁ)

バス停でバスを待っているときに、一人のおばちゃんがタイ人の方々に話しかけていて、

「どっから来はったん?チャイナ?中国?ああ、バンコクか。暑い国やなぁ。どこいくのん?金閣寺に行くにはこのバスが早いわ。
 私は外国語わからんからな、全部ジェスチャーやけどな、このお土産はおいしいわ。よう遠くからおいでましたなぁ」

などと、ずーっと日本語のまま話しかけていて、
それでもきちんと会話が成立しているのを見て、ちょっと感動し、笑えました。

話しかけられたタイの方々のほうが若干緊張していましたが、言葉はわからなくとも何か温かいものは伝わっているようで、
見ていてほのぼのとしました。

言葉も大切ですが、言葉よりもまずは「思い」が大事なのですね。


さて、タイトルのクンルンネイゴンやってみたらどうなったか、ですが、タイトルにはしてみたものの、なかなか言葉にするのは難しい!ですね。

なんとなく今日はクンルンネイゴンをやってみた後の変化について書きたくなったので、書いてみたいと思います。

クンルンネイゴンは、マックス・クリスチャンセンさんが教えていらっしゃるタオの教えです。
いろいろな説明は、他の方も書いていらっしゃるし、私はあまり詳しくないので、適当にネットで調べてください(笑)。

去年の6月にKan.さんにはじめてお会いして、クンルンネイゴンの存在は知ったものの、
なかなかクンルンのセミナーは人気が高くて抽選に当たらなかったり、いろいろあって、
私がクンルンネイゴンを習えたのは、もっともっと後のことです。

それから先月セドナのマックス先生のところにクンルンネイゴンの1~3を一挙に習う機会に恵まれ、
一か月半くらいたちました。

そのような流れの中で、クンルンをやっている期間というのはまだまだ本当に短いのですが、
短い期間でもすごく自分の中ではいろいろな変化がありました。

中でも、もっとも大きな変化は、あまり悩まなくなったことです。

脳がからっぽになって、悩もうとしても日常のことをあんまりおぼえていないから悩めないのです(笑)。

おかげで、たまにとんでもない度忘れや失敗もしますが、
それすら笑ってしまう自分がいて、あんまり悩めません。

悩まなくなったら、心も体も、軽くなってきました。

なんだ、あんたの変化はそれだけか、とお思いかもしれせんが、これってものすごいことです。

人間の苦悩や争いは、たいていいつも「悩み」が原因ですから、これが少なくなるって、ものすごいストレスフリーです。


でも、「悩みがなくなるからあなたもクンルンやってみたら?」とは人には言えません。
というのも、訪れる変化は、人によって違うでしょうから、私に起こったことが人にも起こるわけではないからです。


本当は、もっともっと、すごーーーーくふかーーーーーーーーい変化もあるのかもしれませんが、
それらは言葉に紡ぐと、かたっぱしから消えていってしまいそうで、
さらに変に誤解もされてしまいそうなので、なかなか言葉にすることができません。

うーむ、クンルンを言葉にするのって、水をつかむようなものですね・・・・・。

以前にある方から
「Kan.さんのファンだという人は多いが、セミナーを受けたらどうだったとか、クンルンを受けたらどうだったとか、
僕のまわりにはあまり感想や評判をしゃべる人がいない。どうしてなんだ?僕はそんなに良いとは思えない」というようなことを、
なぜかちょっとけんか腰に質問されました。

このときに、私が感想を熱くシェアできたらよかったかもしれませんが、やっぱりあまり言葉にできないので
「うーーん、まぁとりあえず、一度ご自分で体験されてみてはいかがでしょうか。」
としか言えませんでした。

タイミングとか、ご縁とか、いろいろあると思うので、
別にわざわざ広めたいとか説得したいという気もおこりません。

そんなふうに、超超オススメだけれども、なんとオススメして良いのかわからない、
たくさん語りたいけれど、なんと言葉にして良いかわからない、
それがとのときの私のクンルンネイゴンなのでした。


「ゆうこさんにとってクンルンネイゴンとは何ですか?」と先日ある方から問われました。

うーーーーーーん、とすごく考えてから

「真理の探究です」

と答えました。

このシンプルな答えでさえも、言葉にしてしまったら、やっぱり本質から外れてしまいそうな気がするほどに、
クンルンネイゴンとは言葉にならないツールです。


と、こんなことを書いていたら、
書いていた文章が先ほどごっそりとパソコンから消えてしまいました。


うん、私の宇宙はこんな言葉たちさえも、紡ぐことを拒否しているようです(笑)。

上記に書いた文章が消えてしまわないうちに、あまりきちんとした文章ではないかもしれないけれど、
今週の記事としてアップしてしまおうと思います。

それでは、また来週をお楽しみに~(人´∀`).☆.。.:*・
最後までお読みいただきありがとうございます。

先日あったこと、アレコレ。(オチはありません。暇な人だけ読んでください)

皆さんこんにちは。熱海のこだまゆうこです。
この日曜日は、徳島県へ小さなお話会に行ってきました。

にんげんクラブ会員様である大阪在住の日下さんが、徳島県の個人宅で「積極人生の会」という勉強会をされているそうで、
そこへゲストスピーカーとしておよびいただきました。

日下さんいわく、「どうしてもこだまさんに会わせたい仏顔の方がいらっしゃるので、徳島にいらっしゃいませんか?」
とのことだったので、さっそく行ってきました。

行ってみてびっくりしたのは、元僧侶の方とか、四国八十八箇所めぐりを三十五回以上されていらっしゃる方など、
どう考えても私のほうがお話しを聞かねばならない大先輩の方々が勢ぞろいしていたことでした。

日下さんのおっしゃる仏顔の女性は、とても美しい顔のおばあちゃんだなぁ七十代くらいかな?
と思っていたら87歳だそうで、びっくりしました。

81歳のおばあちゃんも、自転車を颯爽と乗りこなすし、ちらしずしをサっと作ってふるまってくださったり、
とてもお元気な方でした。

先月の畑田天眞如様にお会いしたときも思いましたが、
このようにお元気な先輩方との交流は、とっても勉強になりますね。

tokusima.jpeg
(私の左隣が、日下さん。右隣の方が、87歳の仏顔のお方です。)


例によって、何をしゃべるかさっぱり用意せずに行って、お話しの前に少し目を閉じて瞑想をして、
お話会での最初に出てきた話題は、

「人間は二度生まれなければならないんです」

という話題とヒマラヤ聖者についてだったので、ちょっとびっくりされてしまったようでした。

大先輩を前にして、なんちゅう話題やねん!と、
話しながらも他人事のように客観的にそれを観察しつつツッコミを入れている自分もいて、
なんだか妙な気分でした。

こんな話で本当に良かったのかな?とちょっと思いましたが、お集まりいただいた方々は、四国八十八か所の空海さんのお膝元だからか、霊的なことが案外わかる方が多かったので、おおむね喜んでいただけたようです。


自分の口からきちんと自分の言葉で喋れているのか、
単に舩井会長やKan.さんの言葉のパクリだけになってしまっているのではないか、
と、少々不安なところもありますが、どちらの師匠からも「マネして良い。どんどんパクって良い」との了承を得ておりますので、
いろいろといたらないうちは、おおいに真似していきたいと思います。

こうして真似しつつも、いつかは自分の言葉できちんと喋れるようになりたいなと思っています(o^-^o)


ところでこの日は母の日だったのですが、
たまたま両親が山口県から関西に来ていたので、
勉強会の後は日下さんに車で大阪まで連れて帰ってもらって、大阪で両親と久しぶりに一緒に過ごすことができました。

両親とは年に数回しか会うことができないので、心配ばっかりかけて、たいした親孝行はまだできていないと思いますが、
こうして母の日に一緒にご飯を食べることができて、とても嬉しかったです。

甲子園駅の近くのホテルに宿泊したのですが、翌朝、両親は宝塚に用事があるというので、
そのまま熱海に帰ろうかと思ったら、宝塚までドライブする間、一緒に喋れるから車に乗っていけとなぜか父から言われました。

父は一緒にいても、すぐにテレビをつけたり別のことをしたりでいなくなってしまうので、
珍しいことを言うなと思って、宝塚まで一緒に車で行くことになりました。

結局そのドライブ中も、父は車のラジオを聞いていたりして、たいした会話はしていませんが、
たぶんこれが父なりの愛情表現なのだと思います。

会話はたとえ少なくても、それなりに何かを感じ取ることができるので、一緒の空間と時間を過ごすことって、大切ですね。


宝塚についたらすぐに車を降ろされ、そのまま帰るのももったいない気がしたので、
そういえば勝仁社長が宝塚歌劇団についての文章を最近書かれていたなと思って、観て帰りました。
人生初の宝塚です。

私は普段音楽も聞かないし、テレビもあまり見ないので、舞台や映画を見に行くと、
目と耳からの情報が多すぎて、脳が処理しきれずに必ずと言っていいほど頭が痛くなるので、じつは舞台はあんまり好きではありません。

宝塚歌劇も例外なく頭が痛くなりました。
途中でよほど帰ろうかと思いましたが、なんとかがんばって最後まで見たら、やっぱり面白かったです。
みんなに元気を与えられるし、美しいことって、才能だなぁと思いました。


と、日曜日、月曜日にあったことを日記のようにダラダラと書いてしまいました。

じつは、明日から二日間船井塾だし、今は会報誌の締切前だし、船井塾の後も怒涛のスケジュールが続くので、
あんまり時間がなくて、この文章のオチまで考える余力が残っておりません。

非常に無駄でエゴイスティックで中途半端な気もしますが、今日のところの文章はここまでにします(o^-^o)
つまんなくてごめんなさい。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!!!!!


美しき緑の星

皆様こんにちは。熱海のこだまゆうこです。

皆様は今年のゴールデンウィークはいかが過ごされましたか?

ゴールデンウィークはどこへ行っても混んでいるし、観光地である熱海市内は非常に窮屈。
ということをこの3年くらいで学んだので、
今年はゴールデンウィークの間、ほとんど伊豆山の山からおりませんでした。
一日だけ、小田原のデパートまで修理の終わった時計をとりに行っただけで(滞在時間30分)、あとはずっと家にいました。

そんなこんなでゆっくりと家で掃除や土いじりや読書やDVD鑑賞を楽しむことができました。
よく考えたらこんなにゆっくりと家で休めたのは本当に久しぶりです。

たまには家でじっとしているのもいいものですね。


お休みの間に,facebook で話題になっている映画『美しき緑の星』を見ました。

この映画は、1996年にフランスで作成されたもので、
なぜだかフランスをはじめEU各国で発売禁止となったのだそうです。

かつては、日本語公式サイトで全編無料公開されていたそうですが、
残念ながら現在は、Youtube等で何度アップしても消されてしまうようになったのだそうです。

現在ネット上でアップしてもすぐに消されてしまって、
なかなか見ることができないそうですが、
たまたまゴールデンウィーク中は誰かが再アップしてくださって、見ることができました。

麻の中山康直さんが、コリーヌ監督と交渉されて、自主上映会ができるようになったのだそうです。

以下に、フェイスブック上で掲載されているこの映画に関するあらすじ等を載せます

↓   ↓


映画『美しき緑の星』
1996年、フランス
コリーヌ・セロー監督・主演

【作品紹介】
誰もが協調のうちに暮らし、みんなが幸福で互いに助け合い、何でも分かち合い、お金の必要がなく、自然と共に暮らす世界があったとしたら...そんなの、ありえない?「美しき緑の星」は他に類を見ないフランス映画。メディア経営者らの手によってEU内では事実上の発禁状態にされています。

【あらすじ】
この美しき緑の星では貨幣制度がなく、自分の得意で好きなことをそれぞれがして共存共生し、みんなが平和に豊かに暮らしている。彼らの惑星では、地球は本当に危険で野蛮な原始的な星なので誰も行きたがらない。そんななか、主人公の女性宇宙人が名乗りあげます。わたし行ってもいいわよ!

マイナーなチャンネルで深夜に放送されたことが2回ほどあるのを除けば、1996年以来テレビで放映されたことはありません。ヴァンサン・ランドンやコリーヌ・セローなど有名な俳優が出演しているにもかかわらず、探しても、なかなか見つからないのは、そのためでした。

これは世界中の人々に大きな目覚めを呼び起こす映画です。昔から本当のことを隠しておくのは難しいものですが、ちょうどそんなふうに、みなさんも本当のことを知るに至ったというわけです。どなたにも楽しんでいただける作品です。

【監督の言葉】
世の中の仕組みを根底から問い直すクレイジーな映画を撮ってみたいと思いました。それで長い時間をかけて考証を行ったのです。無駄になったシーンやアイデアを書き留めたノートが何冊にもなりました。次から次へと疑問が生じたのですが、そのすべてに答えが得られたわけではありません。

そうして、風にそよぐ木々に見守られながら、台本の執筆に取りかかったのでした。完成した台本を見た人たちの反応は実にさまざまでした。このプロジェクトの資金援助には乗り気でない人たちが何人もいるとプロデューサーのアラン・サルドが言います。「本当にこの映画を撮るつもりですか?」と彼が言うので、私は熱を込めて「もちろんです」と答えました。かくして映画は封切られたのですが、完全な失敗でした。誰も興味を示さなかったのです。客が入らず、批評家からは酷評されました。業界にとって、この作品は理解不能のUFOだったのです。しかし、この映画は死にませんでした。

こうした逆風にもかかわらず「美しき緑の星」は生き残り、生き物のように成長し話題となったのです。必要とされているからでした。この映画が世の中に発するメッセージのためだった。一緒に映画を見て語り合う「美しき緑の星」クラブのサイトが、いくつもネット上に見られるようになりました。

私は早すぎたのでしょうか? この映画のように価値観を根底から問い直すことで世の中を変えることが必要な、ぎりぎりの瀬戸際まで私たちは来ているのかもしれません。

コリーヌ・セロー監督

自主上映会も続いてます。
https://www.facebook.com/lavelleverte

<切断>される映画「美しき緑の星」中山康直 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zJMfC1gaWi8

「意識を目覚めさせたくない人は見ないでください」
この社会の概念、常識、システムから「切断」されます。
「覚醒」ではなく「切断」なのは、
そもそもみんなそういう人たちだよ、と。
そうやって生まれたのに、この世界の教育があって、
いろいろな常識や固定観念があるので、
それが上書きされちゃっているということ。
だからそれが「切断」されれば、
元の本当の優しいあなたに戻るでしょう。

転載 ここまで

今現在は、探せば日本語字幕版を全編見ることができるようですが、
どうせまたすぐに見れなくなると思いますのでリンクは貼りません。
見たい人は自己責任で検索するか自主上映会に行くかしてみてくださいね。

この映画はとてもよくできているし、とても面白かったのに、
あのマリオン・コティヤールだって出演しているのに、
存在自体がなかったことにされていて、
発売禁止にされるとは驚き(というかある意味すごく納得)でした。

とても善良な映画であるにもかかわらず、発売禁止にされてしまう。
これはあきらかにお金を人から搾取しながら生きている人たちとって、邪魔な存在の映画だと思います。

でもいくらその存在をなくそうとしても、こうして20年近くたっても、
細々と自主上映をする人たちがいて、この映画を広めていっています。

それだけこの映画が真実を語っているということでしょう。

映画の内容は、それぞれの方に見ていただくとして、
この映画を見たときに、ちょっと面白い?ことがありました。


私がこの映画の存在を知ったのは、5月5日。
ドイツ在住の日本人のお友達が、この映画をフェイスブックで紹介してくれていました。

予告編を見たところ、これはとても見たい!と思って日本語版を見れないかネットで検索しました。
その時には、探してもどこでも見ることができなかったので、いつか自主上映会に行こうかなと思いました。
するとその友達が、英語の字幕版を見ることができるサイトを探してくれました。

英語はあんまりわからないけれど、でも見たいから見ようと思って、
わからないなりに英語版を見始めました。

すると夫が「何してるのー」と声をかけてきました。
「面白そうな映画があったから見てる。単なるSF映画なのにEU発売禁止なんだって」
「ふーん、あっそう」

と会話があり、10分近く見たところで今度は母から電話がかかってきました。

母からの電話を切った後に、さて続きを見ようと思ったら、
突然夫が怒りはじめて、「この映画を見てはいけない!」と言い始めました。

なんと私が母と電話をしている最中に、夫は私のアイパッドを勝手に開いて、
どんなサイトでどんな映画を見ているのかをチェックしていたのです。

そして夫が言うには、私が英語版を見ていたサイトは、普段いかがわしい情報ばかりが掲載されているサイトだから、
そんなサイトを見ていたら国から目をつけられたり、変なウイルスをしこまれたり、最悪は逮捕されるかもしれないから見てはいけない、というのです。発売禁止の映画を見るのもダメだ!と。

私から見ると、少しグレーゾーンかな?程度のサイトですが、夫から見るとブラックだったようです。

いやいやいやいや、この程度のことで捕まってしまうのであれば、そこらじゅうの人がかたっぱしから捕まってるよ。
そもそも私のアイパッドを勝手にチェックして人の行動をとやかく言うのはおかしいでしょ?

と反論してみたものの、何が何でも見てはいけない!
の一点ばりで、
なんとこんなくだらないことでも30分以上議論をしあい、それでも決着はつきませんでした。

結局、彼は「おまえがなんと言おうとこの映画を見ることを許さない」
私は「誰になんと言われようと、この映画は世界にとって必要だと思うから、断固として見る。あなたが禁止するならあなたがいない時に一人で見る。」

ということで、お互いの意見を100パーセント言い合って、その話し合いは終わりました。
普段は私のやることに何も言わない夫が、どうしてこんなに言いがかりをつけてくるのか、まったくわかりませんでした。

その日の晩はそんなことで口論になってしまったし、気分も悪いので、それ以上その映画は見ませんでした。


さて翌日・・・・・

前日までは英語版の動画しかなかったというのに、私たちが口論をしている間に、どなたかが日本語字幕版を公開してくれているではありませんか。

あのときに英語版を最後まで見終わっていたならば、内容はあんまりわからなかっただろうけれども、最後まで見終わったぞという満足感で、それ以上この映画に興味を持たず、日本語版をもう一度見ようという気分になれなかったと思います。
私にとって90分はかなり長いのです。

そうしたらやっぱり内容がよくわからないから、この映画をここで皆さんに紹介することもなかったワケです。

なるほど、そういう予定調和があったので夫がいちゃもんをつけてくれたのだな、と宇宙に感謝しました(笑)。


ということで、夫に

「昨日はいちゃもんつけてくれて本当にありがとう。あなたがあのとき止めてくれたおかげで、私は今日ゆっくりとあの映画の日本語字幕版を見れるわ♪宇宙はよくできてるねえ。」

と機嫌よくいうと、


ものすごく機嫌の悪いドヤ顔をされて

「だから普段から言ってるだろう。世の中で起こることはすべて必要、必然、ベストなんだよ」

と吐き捨てるように言われました。


おまえが言うなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーΣ(゚Д゚ノ)!!!!!!!

と思いましたが、それは黙っておきました(笑)。


と、夫婦漫才のようなオチになってしまいましたが、このように、我が家の家庭内宇宙はいつもちょうど良い感じに創造と破壊のカオスを繰り返しながら調和しております。

こんな宇宙のはからいも偶然におこっちゃうくらいに、
この映画は特別な映画ですから、ぜひ見てみてくださいね。

otto.JPG
(文章とは関係ないですが、夫と愛犬ゴン子ちゃん。もっと撫でて、といい顔をしています。)

いろんなことをやめてみました。

皆様こんにちは。熱海のこだまゆうこです。
ここ数日、春や梅雨を抜かしてすっかり夏のような暑い日が続いています。急激な寒さにはご用心ください。

それから、今ネパールでは地震で大変な被害が出ているようです。
被災された方々のために、心からお祈りしたいと思います。


さて、先週の金曜日、4月24日に、保江邦夫先生と畑田天眞如様のご講演に行ってきました。

この講演では、もうびっくりの連続でした。
畑田天真如様のお話しも感動とびっくりでしたが、なんというかその存在自体が、びっくりなのです。

天眞如様のプロフィール

昭和元年岡山市に生まれる。昭和24年京都・鞍馬山にて修行を始め魔王尊より「天眞如」の称名を賜る。昭和55年得度して畑田泰聖(たいせい)を名乗る。さらに京都・醍醐寺にて伝法勧請を受けて阿闍梨となる。昭和63年中医学を学び始める。阿部晴明の流れをくむ天社土御門神道を阿部山にて斎行。現在は天眞如教苑苑主であり、地球安泰、国家繁栄のため国内、世界各地を巡る。また「自分で人間を創る会」を発足し、積極的に現代を生き抜く方法の啓蒙活動に努めている。著書に『根本から治す生活健康法』『命をつなぐ』などがある。

御年90歳になられるというのに、背筋がシャキっと伸びた状態で2時間の講演も立ったままこなされます。
さらに白髪が1本もなく、髪の毛はフサフサしておられ、お顔もお化粧をせずすっぴんだとか。

tensinnyosama.JPG

こんなにお元気な90歳の方にお会いするのは、ほぼ初めてでした。(そういえば台湾元総統の李登輝さんもかなりお元気でしたが)

もうほとんど人間というより、神様に近いくらいの圧倒的存在感です。
あの保江先生も、天眞如様には、絶対服従なのだそうです。

お話しも、天眞如様が経験した実際にあった出来事をお話しくださって、それがとてもためになるお話しでした。
日本語のあいうえおがどのようにできたのか、というお話もされていて、それも興味深いものでした。

サイン会でもおひとりずつ、丁寧にその人にあったメッセージでサインをされて、エイっと気合いや祈りを込めてお渡しされておりました。

私もサインをしてもらいたかったですが、すでに本は売り切れ状態でしたので、握手だけしていただきました。

その握手の力の強いこと強いこと・・・・。
握手をしただけで、ああ、この人の健康的なエネルギーは自分よりも圧倒的に高いなぁという感じでした。
岡山からはるばる来られてこのお元気さ。すごいとしか言いようがないです。

一方の私は週に数回東京に出ただけで、人の多さにやられてヘトヘトになってしまいます。
人間の元気さは年齢ではないなぁと思わせていただきました。


天眞如様の本命をつなぐもとてもオススメのようです。

私も買って読んでみようと思います。


このようなすごい方がおられることは、日本や地球の希望になりますね(o^-^o)


さてさて、ところで、話題はガラっと変わりすぎますが、最近はいろんな変化があります。
自分でもいろんな変化を楽しんでいて、今まで常識だと思っていたことを疑ってみて、日常のありふれたことで、いろいろやめたり、やってみたり、考え直したり、いろいろと変化したことがあります。

それらをちょっとご紹介したいと思います。


1、ブラジャーをやめてみました。
もともと、残念ながら貧相な胸しかありません。しかし、日本の一般的な常識ではブラジャーは胸が小さくともするもんだ、という考えがありました。でもある日突然、心臓や肺の近くでそもそもこんなに苦しいものをする必要があるのだろうか?と思って半年ほど前からやめてみました。現在はパッドつきで、アンダーバストをゴムでしめつけないタンクトップを着ています。なんだこんなに楽だったのか。というのが感想です。バカバカしいので今後ブラジャーを使用することはないと思います。
他人からするとどうでもいい変化でしょうが、20年以上ゴムで胸元を締め付けてきた人間にとってはすごい変化です。

2、パンツをやめてみました。・・・・・・・が、復活しました。

上記のブラジャー問題と同じ時期に、だったらゴムでしめつけてるパンツもやめてみたらどないだろう?ということで、ふんどしに挑戦。鼠蹊部をしめつけないということがいかに楽かを知りました。が、1か月くらい続けてみると、スースーする。落ち着かない!ということでパンツは復活。何事もやってみなきゃわからない。でもまだ懲りずにいろいろなタイプをチャレンジ中です。

3、靴をやめてみました。

日本人はそもそもどんな履物を履いていたかなぁ、と考えてみてしっくりきたのが草履。いつも履いているスニーカーをやめて、草履生活にチャレンジしてみました。ハイヒールをやめるよりも、靴をやめるってさらに難易度の高い変化ですね。慣れるまでの最初の1週間、ものすごく痛いです。でも慣れたらオーダーメイドの靴のようで、非常に快適。現在は山の中の犬の散歩も草履で行ってます。すごく楽です。今まで使われていなかった筋肉だけでなく、今まで使われていなかった脳を刺激される気分です。

4、スーツをやめてみました。

10年近く、仕事のときにはずーっとスーツを着続けていた私。仕事中に結婚式に呼ばれてもアクセサリーを変えればそのまま式場に行けるかなぁというほど、いつも華やかできっちりしていました。でも2014年からスーツを着なきゃいけないときにいざ着ようとしたら身体が全身で拒否して家で号泣。じつはかなりのストレスだったことがわかりました。
舩井会長がご健在だった頃は必要だったけれど、今は熱海で人に会うこともないので、好きな服や着たい服を自由に来ています。最近のお気に入りはもっぱら「うさと」の洋服です。スーツをやめてみましたという発想は、常識的な社会人をやめてみましたという考え方とイコールなこともわかりました。

5、人の誕生日お祝いをやめてみました。

これはかなり勇気のいる選択でした。

フェイスブックではお友達の誕生日をお知らせしてくれる機能があります。以前は一人ひとりにおめでとうメールをお送りしていましたが、フェイスブックを見ていない日にお誕生日を迎えた方にはお送りできないという不公平な部分があり、送れなかった方に申し訳なく思っていました。そんな不公平が嫌になり、いっそのこと全員のお誕生日を祝うのをやめてしまおう!ということで半年前からやめました。

そもそも、フェイスブックのない時代は、親友のお誕生日でもおぼえられずに悲しまれる、という歴史をくりかえしており、友人のお誕生日はおめでたい日というより、忘れると怒られる日という認識になっていました。

ちなみに、私の夫は結婚7年たった今でもいまだに私の誕生日をおぼえておりませんし、それを別に私は怒りませんし、私も彼の誕生日を祝いません。ついでに結婚記念日も、思い出したら祝ったり祝わなかったり。記念日に興味のない人間にとってはそんなものです。そういえば舩井会長も、70歳を過ぎるまで奥様に誕生日プレゼントを買ったことがなかったそうです。

誕生日を迎えることのできなかった子供を何人も抱えている私にとって、誕生日ってすごく貴重な日だというのは誰よりもわかっているつもりですが、でも誕生日って過去の話でしょ?人は今が大切なのだし、毎晩死んで、毎朝生まれる、毎日誕生日な気持ちが大切でしょ?と思ったらふんぎりがつきました。

ということで、現在は親友だと勝手に思っている大事な方々のお誕生日も、あえてお祝いしないことにしています。
だから、私からお祝いメッセージが届かないことを、不審に思って傷ついている方がいらっしゃいましたら、そういうことですので、許してください。

もちろん、その日お会いしている方が、偶然お誕生日だったときには、その日のご縁なのできちんとお祝いしますよ。
それから、両親の誕生日だけは、私を生み育ててくれた方たちなのでお祝いします。

6、化粧をやめてみました。

いい歳してすっぴんです。シミやそばかすもありますが、自然いっぱいの環境で、あんまりゴテゴテするのもおかしい。最近は東京へ行くときももっぱら草履ばきですっぴんです。常識的な方からは、私のおかしな外見を見て「何を目指してどこへ行こうとしているのですか」と心配されていますが、そのままの自分を追求している最中です。見苦しさがピークに達したらまた考えてみます。

7、合成洗剤とか、生理用ナプキンとか、合成シャンプーとか、カラダに悪そうなものはかたっぱしからやめてみました。

まぁこれは最近の変化でなくて、10年前から少しずつ変わってきたことです。自然派せっけんばっかり使っていたら洗濯機がカビだらけになったり、髪の毛はツヤツヤロングヘアーは諦めねばならなくなったり、いろいろ手間のかかることも多いですが、あきらかにカラダは元気になりつつあります。特に合成シャンプーをやめて生理用ナプキンを布に変えると女性は月のものが本当に楽になります。

8、お金を軸にものごとを判断する癖を、思いっきりやめてみました。

お金を中心に考えない、と決めたら、世の中のゆがみやひずみが見えてくる見えてくる!いやはや大多数の人たちがお金を中心に物事を考えていることがわかります。そこには怒りや恐怖心がうずまいていて、本当に大切なものをみんな見ようとしていません。お金ももちろん大事なこともわかるし、お金を仲間外れにする気はないけれど、中心にもってきちゃだめですね。
思いっきりやめてみたら、お金とのつきあいも、人付き合いも、変なしがらみもなくなって楽になりましたし、本当に大切なことがわかっている人に出会うと、その気持ちはすぐに通じ合ってとても嬉しい気持ちになります。経営コンサルタントの神様、の元秘書としては失格かもしれませんけれどね。

9、妙なプラス発想をやめてみました。

これも舩井流成功の法則に真っ向から反抗する考え方ですが(笑)。船井会長も晩年は「無理なプラス発想はしないほうが良い」とおっしゃっておりました。
だって転んで痛かったのに、転んでない、痛くない!強い子は泣かない!って育て方は無理があるよ。
プラス発想を無理に使う人は、自分に都合の悪いことが起こっても、転んでないもん、まだいけるもん、気のせいだもんとか思っちゃう。
転んだねー、痛かったねーってヨシヨシしてあげたら子供は泣きやむ。
妙なプラス発想よりも、ありのままの現実をありのままに見ることが大切だと思います。

どんな現実も、こわがらないできちんとどんぞこの暗闇を見つめる勇気があれば、自然と光も見えてきますよねーーーー。

以上、っと、他にもやめたことや始めたことはたくさんある気がしますが、もう疲れたから、今日のところの記事はここまで(笑)。
長い文章だなぁ。

本当に文章がうまい人は短く簡潔に書くことができるし、短い文章のほうが難しいと個人的には思うのですが、
最近の文章は長めです。。

つたない文章をここまでお読みいただき本当にありがとうございました!


あーーーーーーーーーそれから、明後日講演会あるので、暇な人は来てください。
詳細は、こちら
ご利益はたぶんないけどね。

原点回帰

こんにちは。にんげんクラブのこだまゆうこです。
春も深まってくると、山々の小鳥たちの恋の季節もはじまりだしたようで、少しずつ泣き声が大きくなっています。

はじめて伊豆山に引っ越してきたのは、四年前の5月ごろでしたが、ちょうどその季節はたぶん鳥たちが一番たくさん鳴く季節で、
明け方にあまりの鳥の声にびっくりした記憶があります。

それまで都会に慣れていた私は、その鳥の声たちを聞いてまるでトイレの音姫のようだ・・・と思ってしまったのですが、そう思ってしまうほどに自然から離れてしまった自分をすごく不自然で滑稽だと思いました。

鳥の声には人間の脳に作用する独特の音域があるようで、それまで私は音楽制作会社に就職してしまうくらいに音楽中毒で音楽がなければ生きていけないと思っていたのですが、鳥の声が聞こえる環境になってからは、音楽をかけるとその気持ち良い鳥の声がかき消されてしまうので、もったいないと思うようになりました。

自然の音、宇宙のシンフォニーに耳を澄ますと、それまで聞こえなかった微細な音も聞こえてくるような気がします。

ということで、今ではほとんど音楽を聴くタイミングがなくなり、あまりCDを買うこともありません。
とはいえ、たまに音楽を聴くのはまぁ楽しいので、今はもっぱら車の中だけで音楽を楽しんでいます。


と、いつもながら前置きが長くなってしまいました。
しかもこの話題、以前にも書いた気がする・・・・。
私がかなり呆け気味なのはまぁ気にしないことにして(笑)、毎年春が来ると書きたくなる話題なのかもですねー(*^ワ^*)。

先週はマックスのクンルンセミナーを受けてきた記事?を書きました。
自分では今回どんな変容が起こったのか、なんとなくしかわかっていませんが、見る人が見ると全然変わっているようです。

先日クンルンネイゴンを実践している友人たちに会う機会がありましたら、「わー、誰かと思った!すごいパワーアップしてる!」とか、「エネルギーがすごく変わった!」とか、とにかく全然違うと言われました。

え?何?何が変わったの?と聞くと、「テトリスで言えば四段くらいドスンと何かが落ちた感じ」もしくは「ドカベンで余裕をかましながらサラっとホームラン打っちゃいそうなキャラみたい」と、面白く素敵な表現で説明してもらいました(笑)。

なるほど確かに、アリゾナに行く前は、自分のまわりの空気に、どっしりとある種の重さがありました。

2014年は自分史上もっともパワーダウンしていた時期であり、落ち込んでいた時期だったので、
知らぬ間にたくさんの重荷を背負っていたのだと思います。

で、アリゾナから帰国してみると、なんとなく身体が軽い。思考も軽い。

それだけでなく、日本の空気感とか、都会の空気感、自宅の空気感など、とにかくどこへ行っても
「あれ?日本って、こんなに重たい空気だったっけ?」
と、自分の体と対比して、空間にある種の重さを感じるようになりました。

特に都会のほうが重さをはっきりと感じるけれども、それは会社にも自宅にも感じる重さでした。
(日本ではしばらく雨の日が続いていたというのも関係するのかもしれませんが)

「マインドは重力である」とマックスは言ったけれども、
いろんな場所にいろんなマインドが交じり合って、たしかにそうなのかもしれないなー、と思いました。

一週間もたつと、さすがに日本の空気感にも慣れてきて、
二日連続で都会に行ったりすると、独特の重さが私のまわりにもまた漂いはじめたような気がしましたが、
まぁ良い悪いではなく、それはそれとして受け止めながら、
アリゾナでの軽さも忘れないでいようと思いました。

こんなことを感じられるのはクンルンのおかげなので、クンルンに心から感謝しています。

kaijyo3.JPG
(食堂から、ワークショップの会場まで、こんな道をひたすら歩くんです。すごい景色です。)


さて、タイトルの原点回帰、
原点回帰といわれると、皆様にとってどの時点が原点回帰でしょうか。

社会人なりたての頃とか、中学生のころの甘酸っぱい思い出とか、部活を一所懸命にがんばっていた頃とか、
幼稚園で勉強とか宿題とか規則とかを教えられる前の状態とか、いろいろな原点はあると思います。

それはたいていは、思い出せるかぎりの輝いていたあの頃、いわゆる過去の話ですよね。

去年までの私ならば、過去のある一点を指して、原点回帰という言葉を使っていましたが、
今の私にとっての原点回帰とは、生まれる前のことです。

魂はどこからやってきたのか。そもそも何のために地球に来たのか。本当に大切なことは何なのか。

そんなことを探求するのが、原点回帰です。

生まれる前の話ですから、過去の話にも思えますが、時間を超えたところからの疑問なので、
それはすでに過去でもありません。

原点をたどってみると、自分のルーツはアンドロメダだったとか、シリウスだったとか、アルクトゥルスだったとか、そんなのも全然アリだと思います。
というか地球は宇宙にある小さな星ですから、人間はみんな宇宙人です。

最近の私は、宇宙語とか古代の言葉とかをよく喋るようになりました。自然に出てきたときに最初はかなりびっくりしてしまいましたが、今はべつにそれを訳そうとも思わないし、不思議だとも思いません。そうそう、私の原点がこの言葉の波動を欲していたのだね、と思い出すだけで気にしません。そしてそれを手放します。


そうやってどんどん自分を思い出して手放していって、いつの日か本当の人間、本当の自分になれる日を待ち望んでいます。
(なんだか人間になりたい妖怪人間ベムみたいな終わり方になっちゃいましたが、本当の人間の定義が、ちょっと違うのですよ^^)

kaijyo2.JPG
(アリゾナのワークショップ会場の近くにて。ちょっと変わった雲)

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4月30日に四ツ谷セミナールームでおはなし会を行います。
アリゾナでの楽しい話ができるかなぁと今は予想しています。

ゴールデンウィーク中ですが、木曜日の夜、お暇で興味のある方はぜひいらしてくださいね。
ちなみに今はまだすごく少人数です。

舩井会長に教えられたように、赤字になることはやらないというルールがあるので、
このままでは二回目以降がなくなるかもしれません・・・・・。
できれば来ていただけると助かります(苦笑)。

詳しくはコチラをご覧ください


第1回 4月30日(木)
第2回 5月28日(木)
第3回 6月30日(火)
第4回 7月30日(木)
第5回 8月27日(木)
第6回 9月24日(木)

受 付 18:00〜18:30
講 演 18:30~21:00
       (途中休憩あり)

会 場:船井本社セミナールーム
千代田区麹町6-2-1 麹町サイトビル3F

参加費:一般の方       3,500円
     にんげんクラブ会員 3,000円


<お問い合わせ>
 にんげんクラブ 03-6698-9561 toiawase@ningenclub.com

お申込みはコチラ


またアリゾナに行ってきました

こんにちは。

クンルンネイゴンのマスター、マックス・クリスチャンセンさんのワークショップを受けるために、
一週間ほどアメリカのアリゾナへ行ってきました。
(マックスさんのことを知らない方は、以前に書いたこちらの原稿を読んでみてくださいね)


当然のようにたーくさんの気づきを得て帰ってきたワケですが、クンルンをやったからか、もとから抜けているのか、帰国した頃には頭がカラっぽになって、あんまり何があったのか覚えておりません(笑)。

ワークショップの日程よりも少し早めにアメリカに行って、マックス先生(ご本人が先生と呼ばないでとおっしゃっていたので、本当は大先生とおよびしたいところですが、以下にマックスと書きます)に、にんげんクラブ会報誌でのインタビューをさせていただきました。

(※このインタビューが記事になるのは、3か月くらい後になります。気長にお待ちください)

このインタビューの間、マックスは10種類以上の中国茶を、次々と注いでくれて、器が空になるとすぐに新しいお茶が注がれます。

最初はおいしいなぁと味わっていたお茶も、次から次へと濃いお茶が注がれていくので、どんどん飲むのが辛くなってきて、最後のほうは罰ゲームのように、何度もトイレに行きながら飲んでいました。たぶん20杯以上のお茶を飲みました。

この一連のお茶を飲むことを、マックスは「ティピーの儀式」と言っていて、ネイティブアメリカンの住居(ティピー)で行われる儀式なのかと思いきや、何杯もティー(お茶)を飲んでピー(おしっこ)を出す儀式だと笑っていました。

そんなこんなで、どんな質問にも笑いを交えて返答してくれるマックスのおかげで、インタビュー中はずっと爆笑しっぱなしで、インタビューが終わってみたら、結局何を質問したのか全然おぼえていないという不思議な(というか想定内?)現象が起こりました。


jyusin.JPG
(僕のことはマスターだとか先生だとか言わないで、持ち上げないで、人間らしいところを書いてほしいんだよね。ほら、君もこんなのかぶって、面白い写真を撮ってそれを雑誌に載せてよ!と言われてかぶらされた兜?がコチラ↑↑。人間というか、獣神のようです)


表向きはインタビューとお茶のおもてなしでしたが、見えないところではマックスから何かを伝授していただいたのかもしれません。

インタビューが終わったら、ぐったりと疲れてしまって、マックスとお茶の波動に身体が震えてしまって、しばらく大変でした。お菓子を食べたら震えはマシになりましたが。カフェインに弱い私は、この晩全く眠れなかったです・・・・。


このインタビューが終わったら、日本から長旅の後だったので、もう一歩も動きたくない、今日は一日ベッドで寝ていたい、と思ったのですが、どういうわけだか、あれよあれよという間に、フェニックスの近くまで車で連れていってもらうことになって、フェニックスの近くに新しいセンターを設立したばかりで、その晩メディテーションの集いをされていたザ・チョジェ・リンポチェ様にお会いすることができました。

rinp.JPG


前回アリゾナに行ったときにも、本当に偶然のできごとで、ベルロックでリンポチェ様が瞑想しているところにばったりと出会ったのですが、今回も私からは行きたいとは全く言っていないのに、なぜかみんなが連れていってくれることになって、お会いしました。
(宿泊していたホテルからフェニックスまでは、車で2時間もかかるのに、です)

見えないご縁ってありますが、日本から遠いアメリカでこうして二度もお会いできると、なんだかご縁を感じずにはいられません。


さて、クンルンネイゴンのワークショップで行われたことは、人に教えたり、文章に書いたりすることは禁止されておりますので、残念ながらここでは書けません。

ということで、以下はくだらない雑談を書きたいと思います。

ワークショップの会場は、広大な敷地の中に宿泊施設や食堂や瞑想の場などが点在しているところで、ワークショップの会場から食堂や宿泊所までは、なんと徒歩15分くらいかかりました。

それを往復で、一日に2~3回歩くので、1時間以上歩いている計算になって、これだけでも日頃の運動不足は解消できたと思います。

じつはこのワークショップの10日くらい前に、一時間のうちに三度も机の角に、足の小指を思い切りぶつけるというとんでもない(しかしマヌケな)怪我をしていました。その机は毎日そこにあるのに、毎日過ごしている場所なのに、この何年もそんな怪我はしたことなかったのに、どういうわけだか細心の注意を払っていたにもかかわらず、一時間に三度もぶつけました。


笑うに笑えないほど、あまりにも痛いので、これは絶対に骨が折れたかヒビが入ったと思って、その日の夕方に我慢できなくなって病院に行って、結局骨は折れていなかったけれど、湿布と痛み止めをもらって過ごしました。

ということで、靴もはけない、歩くことも困難、という状況で足をひきずりながらアメリカへ行くことになったのですが、毎日1時間以上、砂利道を歩かされるのです。

靴がはけなかったために、日本からビーチサンダルのような草履を持っていって、それで歩いていたのですが、なんとなんと、ワークショップの間中、ずっと痛くないのです。アメリカでは誰も私が足を痛めているとは気づかなかったと思います。

だからアメリカでは治ったのだなぁと勝手に思っていたのですが、帰国してみたら、やっぱり痛い・・・・。
今は靴もはけないし、やっぱり足をひきずりながら歩いています。

アメリカではときには走ったりスキップするくらいに、元気に草履で歩き回っていたのがウソのようです。

どうしてこういう現象が起きているのか、さっぱりわかりません。
それにそもそも、なんで一時間に3回も小指をぶつけたのかもわかりません。

私のハイヤーセルフは、この出来事からいったい私に何を気づけというのでしょうか。
さっぱりわからないし、ずっとわからないことなのかもしれないけれど、
いつか気づきがやって来ることを願っています。


と、本当に雑談でしたね(笑)。
読んだ人にはどうでもいい話だと思いますが、痛みのある本人からしたらすごい出来事なんですよー。

ちょっと長くなったので、今日の記事はここまでにします。


maxdiana.JPG
マックス、ディアナ、素敵なひとときを本当にありがとうございました!
映画スターのようにカッコよくお茶目な師匠のお二人は日本式のピースで写真をとってくださいました。

豊かさってなんだろう

こんにちは。

4月4日の皆既月食とともに、また新しいエネルギーが降り注いでいるような気がします。
3月20日の日食を伴う新月から、21日の春分の日、そしてこの月食の満月と、
めまぐるしい変化が訪れているようです。

私はこの一か月くらいは、七転八倒・・・・という表現がふさわしいような見えない部分で大変化をしているのですが、
いかんせん見えない部分なので、表面上は誰にもわからないし、そして誰にも言うことでもないし、
傍目では、なんの変化もありません。

だからひょっとして何も変わっていないんじゃないかと本人さえも思ってしまいそうなのですが、
そういう静かな変化の時期ってやっぱり必要なのだと思います。
土に根をはる時期というのはいつでも地味で目にみえないものですね。


さて、熱海のオフィスでは、今とっても花盛りです。
舩井会長が大好きだった、緑色の桜、御衣黄はすこーしだけ咲き始めました。

gyoiko.JPG yae.JPG

明日からまたしてもアリゾナへ、マックス・クリスチャンセン師のワークを受けるために行くので、
今年は御衣黄が見れないかもなぁと思っていたのですが、
少しだけ見ることができました。

桜が咲いた、花が開いた、これらのことはなんの変哲もなく、毎年のあたりまえのことですが、
これらもすべて天の神様の奇跡だなぁといちいち感動しています。
こんなあたりまえのことが、もっとも尊いことですね。
綺麗な花を綺麗だと言える、環境と、心の余裕があることって、とてもありがたいことです。

今、世の中では、いろんなことが起こっている中で、
先進国日本では、お金とか、グルメとか、ファッションとか、贅沢で大量消費な部分に目が向いている人が多いし、
今のテレビを見ていると、そうなる人がいても、まったく不思議ではないけれども、
本当に大切なものは、いつでもお金では買えないものですよね。

きれいな空気とか、おいしいお水とか、緑豊かな山々とか。
それは、先人たちが守り抜いてきてくれたから、今の日本にはあたり前にあるけれども、
それがなくなってしまったとき、私たちにはどんな未来が待っているのでしょうか。

本当に本当に大切なものたちを、いつまでも愛する心と、守り抜く心を、忘れずに持っていたいなぁと思っています。

最近は、お金は持っていないけれども、
本当に豊かな暮らしをしている若者が地味にけっこうたくさんいて、
私の知り合いも、「田舎に暮らしてみたら、地元の人から家をもらった」と言っていました。

彼は、とても魅力的で才能あふれる男性ですが、
師匠のアドバイスを受けて、金持ちでなく貧乏を目指す、と公言しています。

ということで、彼はたぶん貧乏なのですが、
とても頼りになるし、女性にもモテるし、何の問題意識も持たずに生きている人よりも、
しっかりしているように見えます。

弱者に優しく、人当りも良いので、
彼のような若者に田舎にいてほしいから、
近所の人も土地つきの家をプレゼントするのです。


いま、フェイスブックやブログで大人気の坂爪圭吾さんという方の文章が、
私はかなり好きなのですが、
この方の生き方は、本当に斬新です。
あるとき家を追い出されてホームレスになってしまったことをきっかけとして、
超ひも理論、と言って、特定の女性からお金をせびるのがいわゆるヒモであるならば、
僕は宇宙全体の「ヒモ」になる、といろいろなチャレンジをしておられます。

そうしたら、日本中からお呼びがかかって、今では講演会やお話会でひっぱりだこのようです。

頭の固い人からはかなりのバッシングを受けるそうですが、
彼は別に何も悪いことはしていないし、
彼の書く文章は、彼オリジナルのもので、とにかくものすごく面白いのです。

彼もたぶん貧乏ですが、日本中、世界中を旅して、
日本中、世界中に無料で泊まれる家がたくさんあって、
頼りになる友達がたくさんいて、
各地でおいしいものをたくさんごちそうになっているようです。

ということで、お会いしたことも連絡をしてみたこともないけれど、勝手にファンになっています。

私から見ると、上記の二人の男性は、とても豊かな人に見えます。
お金という、紙切れやコンピューター上の数字の並びではなく、
本当の豊かさを手にいれているように思います。

また一方で、たくさんのお金を持っているけれども、貧しく見える人も、やっぱり世の中にはいます。

豊かさって、結局何なのでしょうね。

その答えは、それぞれの人の心にあるのでしょう。


さて、このように、いろんな人の、いろんな生き方を見ながら、
自分は自分の豊かさを追求し、できることを、たんたんとやっていきたいなぁと思っております。


それでは、前述しましたが、
明日からアリゾナへ行ってきます。
来週までメールの返信などできませんので、よろしくお願いいたします。

ハートでつながるお話会

皆さまこんにちは。熱海伊豆山の山桜もようやく三分咲きになってきました。
山桜が満開になる頃には、いつもの犬のお散歩コースが花いっぱいで、まるで夢の世界のような気持ちになります。

yamazakura.JPG

昔は桜と言えばいっせいに満開になって景気良く咲くソメイヨシノ派でしたが、今はだんぜん山桜派です。山に住んでいるからか、山桜の美しさのほうにわびさびを感じるようになりました。ソメイヨシノに比べるとなんとなく寂しげではかなげですが、凛とした日本らしい美しさが山桜にはあります。春が来るたびに、その美しさを愛でて堪能しています。


さて、4月からは、月に一度東京の四ツ谷セミナールームでお話会をすることになりました。
→ http://www.ningenclub.jp/blog01/archives/2015/03/425.html

熱海での温泉つきで寄合的な雰囲気も楽しみたかったので、熱海と東京とで隔月でやろうかと予定していましたが、いろいろ諸事情があり今後は東京のみでの開催となりました。いらっしゃる皆様も東京のほうが交通アクセスも良いでしょうから、これも必要、必然、ベストな流れだったのかもしれません。


お話会のタイトルは、「ハートでつながるお話会」と、かわいい名前にしてみました。プロフィール写真もちょっと古いので、もしかすると妖精が飛んでいるような、かわいらしい雰囲気のお話会を想像される方もいらっしゃるかもしれません。でも残念ながら(?)、そんなにかわいらしいお話会ではない可能性が高いです(笑)。

ハートでつながる、というのは、深い部分でつながることですから、できれば聞きたくないこと、目を背けていたかったこと、社会の常識とは違った視点からのこと、時にはそんなことにも触れる瞬間があるかもしれません。

妙にポジティブ思考だったりとか、プラス発想だったりはせず、プラスマイナスの余計な偏りはいっさいなしで、両極端を知ったうえで、そのままの三次元を見ていきます。

耳障りのいい言葉や、きれいごとだけを並べる段階はもう終わったので、ハートの深いところで感じたそのまんまを、言葉にしたいと思っています。

と言ってもべつに、ただ天然自然なだけで、説教臭くなったり怒ったりの、こわい会ではまったくありませんから、どうぞご安心くださいね。
その時その場で必要な何かをシェアできたらいいなと思っています。


・・・・・・・と、

こんな宣伝?のような、まるで自信たっぷりだと思わせるような紹介文を書いておきながら、当の本人はじつはいつでも、いろいろ不安になりますし、悩みも葛藤もあります。

私のやっていることはあっているのだろうか?

講演会やお話会をやることは世の中や自分にとって本当に必要なことなんだろうか?
私の職業はライターなのだから、文章だけを書いていればそれでいいのではないか?

ハートでつながると言ったって、そもそも自分がハートをわかっていないのではなかろうか?

などなどです。

正直に白状しますと、たぶんまだまだ、本当のハートなんてわかっていないんです。でもハートのお話会がしたい、とハートが叫ぶからやる。ただそれだけです。

私がお話会をすることって、道を知らない人が、迷子になっている人を道案内しているようなものではないかな、と考える時もあります。

あっちかなぁ、こっちかなぁと迷いながら、いろんな道はあるけれども、でもこの道しか進めないから・・・・ということで、自信がないながらも一歩一歩踏み出しております。

ということで、正しい道を教えますだなんて言いません。ゴールへの近道だとか、早く歩くテクニックを教えるとも言いません。

ただ私は、私の人生の地図を開いて、進んできた道をみなさんにシェアするだけです。
その道が、他人と同じであることはありえません。

それは、それぞれの人のオリジナルの道。
その人の道は、その人にしかわからないし、その人にしか進めない道。
だから誰かから道を教わることって、たぶんできません。

だったら何でお話会をするのさ、と感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが^^。

私は私のハートの道を歩んでいるだけですが、その道の途中で、さまざまな人との出会いがあり、共振が起こります。
そこではお互いにとって必要な、新たな気づきが生まれます。
その共振をお互いに味わい、楽しみたいから、ハートでつながるお話会がしたい、ということなのです。

人生は奇跡の連続です。

ご縁のある方と一緒に、楽しくこの地球の奇跡を味わっていけたらいいなと思っています。


春が来た!再生と出発

皆さまこんにちは。
桜が咲く季節となりました。熱海オフィスのお庭では、様々な種類の桜が植えてあり、一足早く熱海桜や河津桜などが咲き始めます。今は河津桜も散り、御衣黄や他の桜がつぼみになったところです。もうすっかり春ですね。

先日の土曜日は、3月21日、春分の日でした。この前日の20日は、日食のあった新月で、なんだか特別な新しいスタートを切ったような気分でした。

3月21日って、それでなくとも、3、2、1、出発!とカウントダウンしたくなるような数字ですけれど、この日は何かを新しく始めるのに良い日なのだそうです。

この日は、神戸市産業振興センターできれい・ねっと感謝祭2015があり、そこで30分ほど講演をさせていただきました。

考えてみれば、はじめて原稿を持たずに講演に挑んだのが、2014年の秋分の日でした。あれから半年か早いなぁ、などと思いながら、新たな幕開けをスタートさせていただきました。

この日から、講演の際にはきちんとハートとハートで対話をしようと決めて、そのようにしてみたら、なかなか良いスタートが切れたように思います。見えない世界からもたくさんの方々からサポートをいただきました。


この感謝祭では、大下伸悦さん、赤塚高仁さん、清水正博さんと、私、増川いづみさん、そして舩井勝仁社長、の順番でプログラムが進みました。
たった半日で、こんなにたくさんの方が一つの会場で話をする機会は、なかなかないと思います。
さらに最後に山内尚子さんの心のこもった朗読が行われ、同時に増川先生のサウンドヒーリングが響いていき、最後は太鼓やドラの音が響きわたってクライマックスとなりました。

すごいすごいと聞いていたドラの音は本当にすごくて、ちょっと気楽に構えていたら、気を失うかと思うくらい強烈でした。
これはやりすぎでしょう、と懇親会の席で増川先生に言うと「今日のはほんの序の口ですよ」とのことで、この日の音とは比べ物にならないほどの音を小淵沢での増川先生のサウンドセラピーでは聞かせてくださるそうです。


このような盛りだくさんの素敵なイベントが開催できる山内さんはすごいなぁと思います。来ていらっしゃるお客様も、ほぼ全員の方が、山内さんのお人柄に惹かれて神戸の会場に駆けつけていらっしゃったように思いました。
これも山内さんの人徳のなせるわざですね。

春分の日という節目の日に、このような素敵な場にいさせていただいて、とても嬉しかったしありがたかったです。
講演後には、舩井幸雄会長の得意技を使って『聴衆の前でマイクを通して本の出版を約束させる』を山内さんからしていただいたので、私も今年中にはきれい・ねっとさんから出版いただく本の原稿を書きたいと思っています。
まずはその前に、Pちゃんの原稿を仕上げなければですね・・・。

そういえば、この会場でお会いした何人かの方々から、「いつもブログを楽しみにしています」と声をかけていただきました。

私はこのブログの記事は、じつは身内以外は誰も見ていないだろう・・・ブログ見ていると言う人はきっと社交辞令だろう・・・・とひそかに思っていたのですが、きちんとブログを読んでくださっている人が存在しました。

「なかなか更新されないですよね。楽しみにしているので、ああ今日も更新されていなかった、とがっかりするのですよ」と生の声を聞かせていただいて、はじめて楽しみにしてくださっている読者の気持ちがわかりました。
申し訳なかったと思うとともに、この春からはもう少し更新の頻度を上げようと思いました。

講演後に会場の窓から神戸の街を眺めていると、大学時代のことが思い出されてきました。私は阪神大震災の翌年から神戸女学院に通うようになったので、震災の大変さは全く経験していませんが、在学中は神戸の街も、大学のキャンパスも仮設であったり、工事中の場所がほとんどでした。20年近くたってとても美しく再生している神戸の街の景色を見て、とても感慨深い思いでした。

いろいろあったけど、今までの道のりは良いことも悪いこともなくて、すべて間違っていなかったな、ああ、ここから、新たな道が始まるんだな。と、そんな気持ちになりました。破壊と再生、そして新たな出発です。春分の日を神戸の地で迎えられたこと、すべての出来事に感謝の気持ちが湧いてきました。
この新たな出発の気持ちを忘れずに、新しい次元の、自分だけの道を歩み続けたいと思います。

人生で起るすべてのできごとは、必要、必然、ベストであり、パーフェクトですね(o^-^o)

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(写真はすべて、納庄秀成様撮影です)

言葉を超えた理解

皆さまこんにちは。もうすっかり春が来たような暖かい日が続いています。三寒四温と言うので、また明日くらいからは寒くなるのでしょうか。伊豆山では、毎日強風がビュービューと吹いていて、なかなか窓も開けられません。

さて、今日のブログは、言葉を超えた理解、とちょっとかっこいいタイトルになりましたが、別にかっこいいことは書けないので、日常の小さな事柄を文章にしてみたいと思います。

私は伊豆山に住むようになって、以前よりも自然の声をたくさん聞くようになりました。何年も前に岡田多母さんをインタビューした際に、太陽や月とも会話をして、風の便りを聞く、というようなお話を聞いた時には、そんなことができる人もいるんだな、私には全く無理なことだな、と思っていました。

でも山奥に4年も暮らしてみると、自分も似たような気持ちになっていることに気づきます。別に深い会話をするわけではありませんが、太陽や月や山の木々や小鳥たちに挨拶をする生活を続けると、なんとなくですが、自然もそれに答えてくれるような気がするのです。

最近よく思うことは、すべてのものはつながっているし、すべての種族は同族たちと繋がっているということです。

たとえば、木々は一本の木に話しかけても、その会話は世界中の木々がじつは知っているし、一輪のバラに話しかけたら、その会話は世界中のすべてのバラに記憶されているように感じます。

私には、犬の散歩の時に出会う一本の仲良しの木がいます。
この木とはしょっちゅういろんな会話をする(一方的に話しかけています)のですが、そんな暮らしを続けていたら、たとえば海外などの別の場所に行っても、ふと目に留まった木から「やぁどうも、うちの親戚がいつもお世話になっています」というように挨拶されているような気もするのです。

木々たちはとても優しくて、嬉しいことがあった時には一緒に喜んでくれるし、辛い時や悲しい時にも、そっと私を抱きしめてくれます。そうやって木に助けられながら暮らしていると、植物たちはたんなる植物ではなく、敬意を持って接する相手だということがわかっていきます。

それから、犬は犬同士でつながっているなぁというのがとてもよくわかるエピソードもあります。
私の夫は犬が大好きなのですが、性格がちょっと曲がっているので、我が家の犬にわざと意地悪をします。
ヨシヨシと撫でながら突然つねったり、嫌がることをしたりするので、私にはさっぱり理解できないのですが、本人曰く好き過ぎて意地悪がしたくなるそうです。

「次に犬をいじめたらたたじゃおかないよ」と、何度も言っていて、夫が犬を叩くのを見つけたらその三倍くらいのいきおいで私が叩き返して怒っていましたが、なかなか治りませんでした。

さて、そんな夫と北海道へお墓参りに行った際に、お寺の犬を撫でる機会がありました。その犬はラブラドール・レトリバーで、おとなしくてかしこい犬で、夫が世界一好きな犬種です。

お寺の方が「犬がお好きならどうぞ撫でてもいいですよ」と言ってくださったので、私が撫でてあげると、犬は気持ちよさそうに撫でられていました。

さて、夫がニコニコと近寄って犬を撫でようとしたら、その犬は低い声で唸り始めました。お寺の方は「あれ?気のせいかな?」と言ったので、もう一度撫でようとすると、今度は明らかに威嚇のポーズをとって唸り声をあげます。
その犬は、お寺の犬なので当然たくさんの人と出会う機会があるし、生まれてから一度も人に対して唸ったりしたことはないそうで、お寺の人はとても不思議がっていました。

私はそれを見ていて、まぁ彼は唸られて当然だな、と思いました。「犬同士は全部繋がっているのだから、唸られて当然。これに懲りて犬をいじめたらダメだよ」と言ったら、さすがの夫も恐怖とショックを感じたようで、それからはあまり犬をいじめなくなりました。


こんなふうに、すべての種族は、その種族同士でつながっています。みなさんご存じの、百匹目の猿現象も、世界中の人たちはつながっている、そんなお話ですよね。

それに私たちは、種族を超えて繋がることもできます。人間が鉱物や植物と繋がることもできるし、虫も魚も、動物も、コミュニケートしようと思えば、すべての存在と繋がることができるのです。

綺麗だねーとお花を眺めていると、そのお花は一所懸命に綺麗に咲き続けてくれますし、愛情こめて育てると、畑の野菜もすくすくと育ってくれます。

ある時は、何に気づいたのか今では忘れてしまいましたが、魂が震えるほどの気づきを得た時に涙を流しながら窓を開けたら、それまでつぼみだった庭のバラがすごく美しく咲いてくれたことがありました。

そんなのただの偶然だとか、バラはたまたま開く時期だっただけだと他の人は言うでしょうけれど、私にとってはあの瞬間に私のことをバラが祝福して「あなたも開いたね、おめでとう」と言ってくれたように感じたものです。


そんなふうに、瞬間、瞬間に、身の回りのいろんなものたちと繋がって過ごしていくと、なにげない日常が深く愛しいものに変わっていきます。

それらの繋がりは、言葉を超えた理解ですね。


ライターという仕事柄、言葉を紡いでいくことが私の仕事なので、言葉ももちろん大事なのですが、言葉を超えたところのお互いの理解や思いを、表現できるようになれたらいいなぁと思っています。

それがいつの日かできるように、一瞬一瞬を大切に過ごしていきたいと思います。
いつもお読みいただきありがとうございます。

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(毎日のお散歩風景です。伊豆山神社の上にある子恋の森公園。ちょっとした広場になっていて、木々の間から海が見えます。
 とても気持ちの良いところです。ただし夏場は草がたくさん生えて入れません。自然は優しさも厳しさも持っています。)


地球の蘇生へ向けて

こんにちは。すっから春らしくなって、花粉症の私にはつらい季節がやってきました。
考えてみればこの10年くらいこの時期には花粉の話を書いている気がするので、もういいかげんに花粉について書くのはやめたいと思っている今日このごろです(笑)。
「ほんもの」の情報や商品を扱うグループ会社に勤めていたというのに、
自ら不健康をアピールするのもなんだかかっこ悪いですね。

私はたぶん幼少期から、思考メインの頭でっかちで生きていて、身体を全然大切に扱ってあげなかったので、ずっとソフトに病弱です。いまさらですが、そんな生き方はとてももったいないので、今年は徹底的に身体を作り変えようと思っています。とはいえ、苦しい食事療法や辛い筋トレなどはできないことがわかっているので、ゆるゆると気楽にできることをやろうと思います。


さて、前置きが長くなりましたが、先日の日曜日は三重県の椿大神社で行われたにんげんクラブ愛知支部主催の「地球への祈りの集い」に参加させていただきました。母なる地球に祈ることを、特別な場所で多くの人たちと一緒に行えたことは、とても素敵な経験でした。舞と音楽と祈りが行われた会場は凛とした空気が漂っていて、会場にいらっしゃった皆様が、本当に地球のために祈ろうと心から思っていらっしゃることが伝わってきました。

この会を開催することを閃いたのは、中山恵美賀さんです。恵美賀さんは、ハートで生きていらっしゃる魅力あふれる女性です。恵美賀さんの宇宙からの閃きと、支部リーダーの小杉さんのまとめ導く力があわさって、名古屋支部の皆さまが心から楽しみながらこの会の開催サポートをされていらっしゃいました。

毎度のことですが、愛知支部の方々とお会いすると、ハートの奥から日々の瞬間を大切に生きていらっしゃることを感じて、いつも学ばされます。今回も、ハートの深い部分で暖かい気持ちを受け取ることができました。このような素敵な会を開催いただいた名古屋支部の皆さまに、心からありがとうございます、と感謝の言葉を伝えたいと思います。

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さて昨日月曜日は、白鳥哲監督の映画『蘇生』試写会に行きました。
この映画も、地球の蘇生のための祈りのような映画でした。

放射能によって母なる地球が穢されていく状況の中、目に見えないからといって見ないようにするのではなく、きちんと見たくないことも見て、過去を受け入れて、これからどのような我々は生きていくのかを考えねばなりません。

『蘇生』は、今の日本の状況を正面から見て、暗い部分に光を与えてくれる映画だと思いました。
そのポイントは、微生物です。
生物の最小単位である微生物を活用し、微生物と仲良くする暮らしに、これからの我々の生き方のヒントが隠れています。
自然と共に暮らすのは、地球で生きる大前提のルールですから、最小単位の微生物から大切にしていかなければなりませんね。

映画を観終わって、会場で見送りをしてくださった白鳥監督には、素敵な映画を作ってくださってありがとうございます!という気持ちでいっぱいで、むしょうにハグしたくなりましたが、挨拶程度しかしたことのない仲なので、やめときました(笑)。
全国の多くの方々にぜひ見ていただきたいと思います。

恵美賀さんも、白鳥監督も、お二人とも自分にしか歩めない自分だけの道を、真摯に歩いていらっしゃるなと思います。

誰が偉いとか偉くないとかではなく、すべての人がその人オリジナルの道を歩み、その違いを認め合えた時、生きていてくれてありがとう、そこに存在してくれてありがとう、という気持ちになります。

この地球でこうして、自分とは違う道を歩む皆さんと、出会い同じ瞬間を過ごせることが、人生の奇跡ですね。

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懺悔と反省

皆さまこんにちは。にんげんクラブのこだまゆうこです。
春一番が通過したのか、今日からいちだんと暖かくなって、春らしい日となりました。熱海は熱海桜や梅園の梅が満開で、とても美しいです。

昨日は、待ちに待った熱海での講演会が開かれました。これは温泉、お弁当つきで、舩井勝仁社長とのコラボ講演会で、しかも午前中にはにんげんクラブ会員の菅井直美さんの絵の個展もありました。遠くから多くの方々にお越しいただき、本当に感謝しております。

菅井さんの個展は、想像よりもとてもすばらしくて、それぞれの絵に物語があって、ディスプレイもかわいくて素敵でした。何より彼女が100%全力でがんばったのが伝わってきて、そこに感動しました。
それから、にんげんクラブ会員の内田さんから初個展の菅井さんと、勝仁社長と私の講演会のためにお花も届いて、とても嬉しいサプライズもありました。


この講演会では、講演の前にお風呂に入っていただいたのですが、ご参加の皆さまからは、気持ちがよくてとても喜んでいただけた反面、予想どおりに講演中に眠たくなられたようで、これはちょっと失敗だったのかもしれません。次回は、講演会の後に温泉とお茶会をやってみようと思います。何事もやってみないと、参加者の皆さまの反応はわかりませんね(o^-^o)。


さて、私の講演の感想ですが、個人的にこの講演会では反省することだらけでした。
なぜか、この日は講演が始まる前から痙攣が止められなくなるくらいに身体に力が入らなくて、なんだかすごく疲れていました。別に前日に夜更かしや暴飲暴食をしたなどの理由もありませんが、とにかくなぜだか疲れたのです。
講演会が始まってもその疲労感はずっと続いたために、きちんと「いま」をとらえることができなかったなと思いました。頭は未来、ハートは今、身体は過去、とKan.さんから以前に教えていただいたことがありますが、身体が疲労していたためか、ずっと過去のお話をしていたような気分でした。

野球選手がいつでもヒットが打てるわけではないように、いつも良い講演ができるわけではないのでしょうが、日ごろの生き方がその精度を上げるのだと思います。万全の状態でハートを開けなかったことは、やっぱりお客様にも自分にも申し訳なかったなと思いました。お客様は、大阪や岐阜や名古屋や千葉など遠くから高い交通費と時間を使ってわざわざ熱海まで来てくださるのですから、その方たちのお時間を無駄にしないよう、常日頃から謙虚な気持ちで祈りを込めて生き、取り組むべきでした。

こんなことがわかったのは、その日帰宅してからです。講演が終わってから菅井さんの個展のお祝いも兼ねて勝仁社長や小川社長たちとフランス料理を食べに行って帰宅すると、疲労感のあった身体がとたんに悲鳴をあげだしました。すぐに布団に入ったけれど、寝ていても息をしているだけで気持ち悪くて、結局食べたものは全部吐いてしまいました。

それでようやく、ああこんなにも身体が何かを訴えていたのだな、とわかったのでした。
何が原因でこんなことになってしまったのかはっきりとはわからなかったけれど、たぶん自分のそれまでの生き方が謙虚でなかったのだろうと思いました。講演中も、自分をつくろったり、面白くしようと思ってつい汚い言葉を使ってしまったり、エエカッコしたり、エゴがあったりしました。


人生では、蒔いた種は必ず刈り取る仕組みになっていますから、悪い種を蒔いてしまったらそれを刈り取るのも自分です。いまをとらえるために、宇宙の導管の役割を自ら引き受けたならば、良い音を響かせられるようにならねばなりません。中途半端にエゴが入った音を響かせてしまったために、ダイレクトに私の身体に影響が返ってきてしまったのでしょう。こんなことがあって、なんだか自分が情けなくて大泣きしてしまいました。


と、ここでこうして長々と懺悔を書いてしまいましたが、実際のお客様の反応がどうだったかというと、じつはそこそこご満足いただけたようです。それどころか勝仁社長や家田さんなど男性陣からは、前回の講演よりも断然良かったと褒められました。(直観力の高い女性陣からは、前回のほうが良かったとのことでした)。
自分が個人的に感じる感想と、聞いてくださる方々の感じる感想は、こうも違うものかと不思議な気持ちになりました。

こんなふうに、どんな出来事にも表向きの話と、裏話があって、きっとそのどちらも大事なのだと思います。自分だけのひとりよがりになってもいけないし、他人の評価だけを重視するようになってもいけません。

とはいえ、昨日のような講演の仕方では身体がもたないことがよくわかったので、やっぱり日々の瞬間、瞬間、を大切に、精進していきたいと思います。

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(左は菅井直美さんです。お花と一緒に三人で記念撮影)

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(菅井さんの個展作品です。)

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(講演風景です。)

インフルエンザとのお見合い成立

皆さまこんにちは。お元気でお過ごしでしょうか。
私はなんとかおかげさまで元気に過ごしております。
つい先々週はノロウイルスに感染したと病気自慢をしていましたが、先週はインフルエンザに感染していました。

なんだか今年は風邪のデパートみたいになっていますし、しょっちゅう体調を壊しているような気もしますが、よく考えてみるとインフルエンザにかかったのは、たぶん10年ぶりくらいです。

病院に行ってタミフルを処方していただいて、じっくりと治療に専念しました。あくまで個人的な感想ですが、10年前に処方してもらったリレンザよりも、タミフルのほうが効果が出るまでに時間がかかるし、服用後の身体の調子もあんまりよくありませんでした。(単純に10年前より肉体が歳をとっただけかもしれませんが(笑))

もちろんタミフルのおかげで早めに治ったので感謝はしていますが、強い薬というのはそれなりに副作用があるものだなと痛感しております。西洋医学も東洋医学も否定せず、上手な距離感でのつきあい方が必要ですね。


さてまぁそのような経緯があったので、強制的に4日くらいは寝てばかりで過ごしました。すると、普段の自分の中にたまっていたいろいろなマイナスの感情がたくさん出てきました。つまらないことで夫とは大ゲンカをするし、何年も前のことを思い出してはメソメソと泣くし、寝れば寝たで悪夢にうなされました。

そしてこのようなマイナスな感情を味わいながらも、一段上から、なんともいえない幸せな気分でそんな自分を客観的に眺めている自分がいました。

10年前にインフルエンザにかかった時は、とにかく辛く苦しいと思いましたが、今回は別に熱があっても頭痛がしても、苦しいけれど、なんだか余裕があるのです。病気の時は病気をとことん感じて味わえということだなあ、と感じました。

そうやって自分の感情を味わいつくしていると、どうして自分がインフルエンザになったのかもだんだんわかってきました。

ちょうどインフルエンザが治った頃に、あるイベントである扉をくぐらなければならなくて、それはたぶん生まれる前から決まっていたことですが、その扉をきちんとくぐるには私の心と身体はちょっと波動が粗かったため、もう少し繊細になる必要がありました。

そこで私のスピリットというか、ハイアーセルフたちが、大気中に漂っているインフルエンザウイルスさんにお願いして
「ちょっとうちの子、来週のために浄化が必要なんです。どうかうちの子に感染してくれませんでしょうか」
「わかりました、今ちょうど活発な時期ですからいいですよ」というような契約がなされ、無事に感染できたのでした。

これはたとえるならば、私のスピリットと、インフルエンザスピリットのお見合いが成立したようなものです。
両者のコラボレーションによって、より純粋な「わたし」という存在が新たに誕生したのです。

同じ場にいてもインフルエンザにかかる人とかからない人がいますが、それはただお見合いのマッチングが成立したか不成立だったかだけの違いでしょう。


見える世界しか見なければ、たかがインフルエンザになっただけでスピリットのお見合いだなんておおげさだなぁと思われるかもしれませんし、インフルエンザをマイナスにしか捉えられない方は、病気になってしまった言い訳を私がここで延々と書いているように思われるかもしれません。

しかし私は、インフルエンザさん、私の身体に入ってきてくれて、ありがとう~!!!おかげで成長できたよ~!!!と心から愛しく感じています。世の中でウイルスとか細菌とかがんとか言われる存在も、みんな必要だから存在しているのですよね。

ちなみに、その新しい扉をくぐらなければならない場は、奈良県で行われたのですが、病み上がりの私をその場に連れていくための、至れりつくせりの天からのサポートには、ちょっと笑えました。

行かなければならない場へと連れていくためには、天は非常に細やかな優しさでサポートし、導いてくれます。赤ちゃんがゆりかごに揺られるように、私はただ安心して神さまの腕の中に抱かれて、その流れにそっと乗ればいいのだなと気づきました。

人生にはいろんなことが起るかもしれないし、頭で理解するのは時間がかかるかもしれないけれど、すべては大丈夫で、うまくいっていることです。何が起こっても、そこでいろんな感情は味わうかもしれないけれど、何も心配することなんてありません。必要なことが起っているだけですから、ただ、今、その時を、味わえばいいだけなのです。


さて、新たな扉をくぐった後の私は、くぐる前の私と、何が違うのでしょうか。
その違いは、今のところはまだわかりませんが、どんな新しい自分と出会えるのか、楽しみにしているところです。

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さて、ここからは宣伝です(o^-^o)
2月22日は、新しい「わたし」で熱海にて講演会があります。皆様にお会いできるのを楽しみにしております。

その場に来てくださる方との出会い、そしてその場での新たな自分との出会いは楽しくて仕方がありません。
宇宙からの黙示Ⅱではかなりたくさんの方々が「行くよ~!」と声をかけてくださったのですが、まだ、席があまっているようです(笑)。まぁいろいろなご都合もありますよね。

2月22日は猫の日だからネコについて喋るとか冗談でむちゃくちゃなことを言っていますが、何が出てくるかは当日のお楽しみです。

それと、この日の午前中は、にんげんクラブ会員の菅井直美さんのはじめての個展が同じ会場で開かれます。赤ちゃんみたいなピュアなエネルギーを持った彼女の個展も、あわせてぜひお楽しみください。

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詳細はコチラ

2月22日(日曜日)熱海講演会

12時~14時 開場 お弁当の昼食と温泉 (女性が先、男性は後)
     ※各自タオルをお持ちください。
14時~14時半 舩井勝仁講演 「いまお知らせしたいこと」
14時半~16時 こだまゆうこ講演 「この世をお気楽極楽で生きるコツ」
16時15分~17時15分 舩井勝仁、こだまゆうこ対談&質疑応答
(スケジュール等は変更になる場合がございます。)

参加費 
 温泉、お弁当つき講演会        にんげんクラブ会員 6,000円
                    一般の方      8,000円
 講演のみの参加(お弁当なし)     にんげんクラブ会員 5,000円
                    一般の方      7,000円
35名様限定  お弁当つきのお申込みは、お弁当の数を確定するため2日前までとさせていただきます。

持参するもの 各自タオルをお持ちください

お昼のお弁当と温泉の時間に、ご参加の皆様で交流を深めていただければと思います。
個人的なお話やご相談は、このお時間にお聞きします(o^-^o)


場所 静岡県熱海市西山町19-6
 株式会社船井本社 1F セミナー会場(35名様限定)

熱海駅からタクシーで10分ほどです。最寄のバス停は、西山です。

お問い合わせ、お申込み  
 にんげんクラブ 03-6698-9561 https://www.ningenclub.jp/event_apply/tour/form.php

宇宙からの黙示Ⅱ ありがとうございました。

先週の土曜日は、東京グランドホテルで「宇宙からの黙示Ⅱ」がありました。遠くからお集まりいただいた皆様、ご講演いただいた先生がた、このイベントやホテルスタッフの皆様、誠にありがとうございました。

その日は前日に東京が積雪と予報が出ていたので、どうなるかなと心配しておりましたが、雪もたいしたことがなく、当日は日本晴れと言っても良いほどにさわやかな晴天でした。天からも祝福いただいたような気持ちになります。

朝の9時30分開演と、普段の講演会よりも早い時間からの開催となりましたが、多くの方が前のほうの席を確保するために9時前には会場にお越しいただいておりました。皆様の気合いの入りようが、普段よりもひしひしと感じられました。

この日お集まりいただいた方々は、本当に宇宙からの同窓会のような感じで、仲間に会えて楽しくて楽しくてたまらない!というような気持ちが朝からにじみ出ていました。ここでなら自由にありのままの自分でいられる!と感じてくださるような場を作ることができて、とても嬉しいです。

アカシックレコードから読み解く日本の近未来、サブタイトルからするとちょっと怖い内容の講演になってしまうかな~~とじつは少し心配していたのですが、そんな心配は全く不要でした。終始明るい雰囲気の会場で、どの講演でもワッハッハと大爆笑できて、楽しい話題が多かったように思います。

これもお集まりいただいた皆様が作り出した雰囲気のおかげですね。ありがとうございます。

この講演が終わって、なんだか日本の未来は明るいことをより実感できました。ノーテンキな感じで明るいのではなく、いろいろなことがわかっているけれども、それでもなお明るい!というようなイメージです。

私もこれから宇宙のうずを回して、明るい未来を作るお手伝いができればいいなと思いました\(^ ^)/。
大好きな魂の友である皆様と一緒に、これからも明るい未来を作り上げていきたいです。

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(開演前の会場の写真です。すでにワクワクの熱気が伝わってきています)

さて、話題は変わりますが、にんげんクラブ2月号の会報誌はお読みいただけましたでしょうか。
この月は、日木流奈君のインタビュー記事「自分を大好きになって、楽ちんに生きよう」が掲載されています。

インタビューの時はいつも最高の原稿を作りたいなとは思っていますが、今月の取材は、その中でも特に、私にとってとてもお気に入りな原稿となりました。

日木流奈君の言葉は、そんなに難しい言葉も使われていないし、内容も普段よりシンプルで、一見サラッと読めるかのように思う方もいらっしゃるかもしれませんが、じつはとてもとても深いのです。流奈君と話していると、魂の奥まで見つめられたかのような気分になりました。

私はこの原稿を作りながら、何度も何度も号泣しました。シンプルな言葉の中に、なんとも深く崇高で愛にあふれた思いが込められているように感じました。
また流奈君のご両親も、取材時に来てくださったボランティアの方々も、愛情いっぱいでとても素敵な方々でした。

お読みいただいた会員の皆さまはどんな気持ちで読まれただろう?と気にしておりましたら、とても心のこもった感想のメールや、お手紙を送ってくださった方々がいました。
そのお手紙を読んで、やっぱり必要としていて伝わる人には伝わるのだなぁ、と心から嬉しく感じました。

まだお読みでない方や、サラっと斜め読みだけされた方は、ぜひピンと来たタイミングで読んでみていただけると嬉しいです。今は忙しいし読みたい気分じゃないんだよね、と思われた方はまだ読まないでも良いですが、いつか読みたくなる日まで、ぜひ捨てないでくださいね(笑)。

こうして、自分がとても感動することを、たくさんの方々にご紹介できて、本当に幸せだと感謝しております。いつもお読みいただきありがとうございます。

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(流奈君と私です。)

聖ジャーメインが繋いでくれたご縁

皆さんこんにちは。ふきのとうが小さな芽を出し始めました。

この季節になると、ようやく新しい年がはじまりだしたなぁという気分になります。世間では1月1日のお正月から新年が始まっていますが、なぜだか私は毎年2月3日の節分を過ぎなければ新年だと思えません。
今年の旧暦のお正月は2月の19日だそうで、このあたりから本格的に新しい年が始まるのでしょう。

さて、先日の日曜日は、小田急線相模大野駅からすぐ近くの会場で、さがみ健康クラブのさくらさんに講演会を開いていただきました。

女性が多いこじんまりとした茶話会のような会でしたが、翻訳家として有名な山川亜希子先生が受講者としていらしてくださって、とてもびっくりしました。大先輩の前で講演をするというのは非常に嬉しい一方で緊張するものですね。
亜希子先生との出会いは、大きな存在に出会わせていただいたような出会いでした。


普段講演会などでは、見えない世界のことも思いつくままに喋っていますが、見えない世界のことを記録に残るブログに書いてしまっていいのかどうか、ちょっと微妙です。
でもこれからは教える時代じゃなくてシェアの時代だし、やっぱり不思議なことだったので、山川先生と繋がったご縁を少しシェアするつもりで書いてみたいと思います。


お話のはじめは、去年の2月終わりから3月頭頃にさかのぼります。
ご存じのとおり、去年の2月は私の娘と舩井会長が亡くなってから一月と少し経った頃です。

当時の私は、ようやく会社には出勤しはじめたものの、まだまだ元気は回復せず、自分はどのように生きれば良いだろう?とたくさん考えさせられていた時期でした。そして娘の死から49日が過ぎた頃でしょうか、なぜだかハートの奥のほうで、サンジェルマンという名の人物が語りかけているような気がしてきました。

当時の私は、名前は聞いたことがあった気がするけれども、サンジェルマンという人物が何物なのかさっぱり知らなかったし、どうしてサンジェルマンがこんなにも気になるのだろう?と不思議な気持ちでした。


私はこのブログでも何度か書いていますが、何かが見えたり聞こえたりといった能力はほぼないので、心の中でサンジェルマンが話しかけてきた時も、気のせいだとずっと思おうとしました。

しかし気のせいだとどれだけ思おうとしても、サンジェルマンの存在は私の頭から離れないので、ネットで調べ始めました。

すると、サンジェルマンとは、聖ジャーメインという名でも呼ばれていて、1700~1800年代ごろに貴族であったナゾの錬金術師??というような説明が多くありました。
その頃は貴族であり科学者としていつまでも若さを保ちながら社交界などでたくさんの人の前に姿を現したそうですが、それだけでなく彼はいろんな時代のいろんな場所に、ここぞというときに姿を現したのだそうです。スピリチュアルな世界では、アセンデッドマスターの一人として有名な人だったそうです。(きちんと調べたわけではないので、ものすごく大雑把な説明ですみません。)


で、その謎の錬金術師のおじさんが、喪失感でいっぱいの私に何の用事だろう?と思っていたのですが、どうも彼が伝えてくるには「アセンションのための講演会を開きなさい」ということでした。

私はそれまで講演会などしたことがなかったのでとまどいながらも、どうしてこのメッセージを伝えにくるのが舩井会長や娘じゃなくて、サンジェルマンさんなのだろうなぁ・・・と不思議に思っていたのでした。


そんなきっかけがあったので、結局4月20日に人生初めての講演会を開くこととなりました。
本当はまだ講演会を開くほどの余裕もなかったのかもしれませんが、大切な人たちが遠方から熱海に応援にかけつけてくださって、無事に講演会をすることができました。

初めての講演会が終わってからは、サンジェルマンとの濃密な対話は終わってしまったのですが、でもその後も講演会をする時や彼を必要とする時だけは、いつも傍についてくれているような気がしました。

さて、そんなことがあって、ある時サンジェルマンについてもっとよく調べたいなと思ってネットで調べていたところ、日本人でサンジェルマンについて、本の中に明確に書かれていたのが、翻訳者としてとても有名な山川鉱矢さん、亜希子さんご夫妻でした。

お二人をはじめに導いてくれた指導霊が、サンジェルマンさんだったそうです。今でもお二人の指導霊の一人なのだそうです。


それでぜひ、本当に自分のところに来てくださったのはサンジェルマンだったのか確かめるために、お二人の講演会に行ってみたいなと思って、ホームページで講演会情報を調べていました。

そこでたまたま、さがみ健康クラブさんのホームページに行き当たりました。相模大野であれば、熱海から東海道線と小田急線を乗り継いでわりと簡単に行けるな、とその時思ったのですが、その日はちょうど別の予定があったので、行けずじまいでした。


そうやってネット上で調べた一週間後くらいでしょうか。さがみ健康クラブのさくらさんからフェイスブック経由で突如講演依頼のご連絡がありました。その時はさがみ健康クラブと聞いてもピンと来ていなかったのですが、ネットで調べてみるとちょうど一週間前に見たばかりのホームページだったので、本当にびっくりしました。

わー、憧れの山川ご夫妻が講演される同じ場で講演をさせていただけるなんて!しかも一週間前に開いたばかりのホームページの管理者の方からの依頼だなんて、なんという偶然だろう!!と思ったのでした。


そしてその後、結局山川ご夫妻の講演会に行きたかった気持ちには誰にも話さないまま、それから何か月もたって私の講演会が近づいてきたのですが、たまたまにんげんクラブ会報誌の編集長の重富さんが、OSHOの本に興味を持っていたらしく、OSHOの本の翻訳者である山川ご夫妻の取材をしてみませんか?と連絡がありました。

それはぜひ!ということでさっそく山川ご夫妻にメールで連絡をとって、取材の承諾を得ました。

山川ご夫妻は、私の講演と同じ日の午後の部でお話をされる亭田歩さんと非常に親しくされているので、1月25日の午前に、相模原でこだまゆうこという人物の講演があることは知っていたそうです。その「こだまゆうこ」と、取材を依頼してきたにんげんクラブの兒玉裕子が、同じ人物だったとは全然繋がっていなかったそうで、メールのやりとりの中でそれが繋がった時に、なんだかピンとくるものがあったそうです。

そして鉱矢さんは、その日予定があったそうですが、亜希子さんはちょっとお疲れだったけれどもたまたま予定が開いていたし、その日の朝にたまたまネットで私のプロフィールを見てみたら、舩井幸雄の元秘書と書かれていて、船井オープンワールドで二度講演をしたご縁と、ザ・フナイにしばらく連載されていたご縁もあったので、これは行かねば、と思って来てくださったのだそうです。

とてもお忙しい亜希子さんが、誰かの講演にわざわざ行くことって、けっこう稀なことなのだそうですが、なぜか朝、行こうと決めたのだそうです。

そうしていざ講演が始まってみたら、開口一番から私が「じつはこの講演会は聖ジャーメインがつなげてくださったようで・・・」という話をはじめたものですから、とてもびっくりされたようです。


少人数の講演会だから、ソファーの控室でゆったり座りながら茶話会風の会にしましょうねと言われていたら、山川亜希子さんというサプライズゲストが来てくださったことで、講演会を主催くださったさがみ健康クラブのさくらさんも大興奮。

私のお話の合間に、亜希子先生が自然に質問をしてくださったり、より詳しく説明を加えてくださったりと、とても贅沢なひと時となりました。


ちょっと長いシェアになってしまいましたが、この出会いは、まるで強力な磁石が道を指示してくれているかのように、いくつもの「たまたま」な偶然が繋いでくれていると思いませんか?
たまたまとか、偶然って、本当はなくってすべてが必要、必然なことだったような気がしませんか?

人との出会いって本当に神秘的です。

私たちは生きている間、自分の力だけで生きていると思ってしまいがちですが、たくさんの存在たちのサポートによって、操られ気づかされながら、導かれている・・・と思います。

自分の心の中で、聖ジャーメインやその他のアセンデッドマスターが出てきても、それを他の人に証明しようがないし、自分自身でもなかなか信じることはできないものです。でも三次元をきちんと生きながらも、そんなかすかな声をこれからも大事にしていきたいと思っています。

三次元でもバリバリと実績を残され、なおかつそんなかすかな声を、大事にされている大先輩から勇気をいただいて、これからも自分の心の声を信じていこうと思えました。


と、こんなことばかりを書いていたら「おいおい、こだま君、聖なんとか、ってのもいいけれど、このご縁は主に僕が繋いだんだけれどねぇ・・・・。ちゃんと地に足をつけていきなさいよ」と、舩井会長からの声が聞こえてきそうです。

もちろん舩井会長が繋いでくださったことも、同時にわかっていますし、さがみ健康クラブのさくらさんや、編集長の重富さんや、他にも講演を聞きにきてくださった方々など、たくさんの人のおかげもあって、繋いでいただいたこともわかっています(o^-^o)。
いろんなことは同時に、完璧なタイミングで、起こっています。


これからも見える世界も、見えない世界も、両方をしっかりと目を開きながら、生きていきたいと思います。

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(講演の最後に、みんなで集合写真をとりました)


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(舩井会長の一周忌が過ぎて、たくさんの方々がお花を送ってくださって、会長のデスクの上はお花畑のようです。)


最後のカルマ

皆さんこんにちは。寒い日が続きますがいかがお過ごしでしょうか。
熱海は梅が二分咲きになってきました。もうすぐ春だなぁと思う反面、まだまだ寒さは続きそうです。

つい二日前は、たぶんノロウイルスに感染してしまったようで、腹痛と発熱にうなされていました。

病気になると肉体的には苦しい反面、半強制的に堂々と、嫌というほど眠れるので、不思議な充実感がありました。
こんなことを書くと病気の方にお叱りを受けてしまうかもしれませんが、身体が一時的に病気になったことで、ものすごく心の解放感を味わいました。
わざと病気になったわけでは決してありませんが・・・・。
まぁこれも、二、三日で治る症状だったから言えることなのかもしれませんね(*^-^*)。


さて、去年からずっと、Pちゃんと小川雅弘取締役の本の原稿づくりに取り組んでいます。この本が、なかなか壮大な話で難しくて、思うように進んでいません。でも本当に少しずつですが、ゴールの光が見えてきました。

じつは二年近く前からこの本の依頼を受けていたのですが、私が妊娠したことによって、とてもじゃないけれど妊娠、子育て期間中にこの大変な仕事は引き受けられないと思って一度きちんとお断りをしました。

その後この仕事は他の方がやることになっていたようなので安心していたのですが、去年の一月末ごろに、小川社長と今度の「宇宙からの黙示2」でご登壇いただくメッセンジャーの村中愛さんから電話があって、「やっぱりこだまさんじゃないといかんとメッセージが降りてきているから、妊娠中で大変やろうけど原稿を書いてくれんやろうか」とまたまた依頼されました。

ご存じのとおり去年の一月の末と言えば、舩井会長が亡くなり、私も死産を経験して、いろいろ大変な時期でした。
私はこの電話を、死産後の検診に行った先の病院で受けたのですが、死産をしたことなんてまったく誰からも知らされていなかった小川社長から、こんな電話が来たのです。
「赤ちゃんは元気ですか?」という日常会話から、じつは・・・・という話になり、なんというタイミングの悪い時に仕事の依頼の電話をしてしまったのだろう申し訳ない・・・・というような気まずい雰囲気の電話となりました。


常識的に考えるともしかしたら最悪のタイミングの電話だったのかもしれないけれど、その時の私には思考力というものがかなり欠如していたので、とりあえず言われたことにすべて「はい」と言うしかありませんでした。

当時の精神力で原稿が書けるかはとうてい想像もできなかったけれども、どうせ子育てする予定だった赤ちゃんもいなくなったのだから、断る理由が思い浮かばなかったし、断る気力もなかったというのが本音です。
その意味では最高のタイミングだったのかもしれません。

そんなこんなで、これ以上にないほどに消極的な気持ちから始まったプロジェクトも、ようやく形が少しずつ見えつつあります。

経済的な効果から考えると、本当は舩井☆SAKIGAKEフォーラムに出版を間に合わせたかったし、最低でも次の1月31日のイベント『宇宙からの黙示2』に間に合わせたかったし、まわりの空気も当然のようにそれをとても望んでいるのがわかっていたのですが、どうしても間に合わせられませんでした。

言い訳に聞こえるかもしれませんが、そのような三次元の締切りにあわせて、都合良く文章をサクサク書けるほど、私の頭や身体や心の状態はシンプルではありませんでした。
頭では今までの経験からいついつまでにできると思うし喋るのですが、身体と心が全力でブレーキをかけて、思うようにはなかなか進まないのです。一行書くたびに悩んで、苦しんで、大泣きして、時に楽しんだり怒ったりしながら、文章を書いています。

以前にベストセラー作家のひすいこたろうさんの講演会を聞いた時に、「誰よりも上機嫌な状態で原稿を書いています」とおっしゃっていたのがとても印象的でした。ひすいさんは普段からご自分が上機嫌でいるための工夫をたくさんされていて、そのように上機嫌で書いた原稿には命が吹き込まれ、必ずベストセラーになるのだとか。

これを聞いて私もぜひ見習おうと心から思ったのですが、どういうわけだか、Pちゃんの原稿に関してだけは、震え、慄き、大泣きしながらいつも書いているのです。そして、どうして自分はご機嫌な状態で原稿が書けないんだろう?ということで、悩んだりもしています。

たぶんこれは、私が今いるステージでの、最後のカルマなんだと思います(次のステージでは次のカルマがあるのだとは思いますが・・・)。

そして、遠い遠い過去からの、Pちゃんと私との約束でもあります。
現在の自分自身の中での悲しみや怒りと、何万年も輪廻転生を繰り返しながら今の人類や地球全体に対する悲しみや怒りの気持ちがリンクして、その怒りを祈りのエネルギーに変えながら進んでいっています。
普段悪者にされがちな悲しみや怒りの感情でさえも、きっと愛のひとつの表現なのでしょう。

依頼をしてくださった小川取締役や、原稿を楽しみにしてくださっている皆様には、ずいぶんお待たせてしまって、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
あともう少し、暖かい気持ちで見守ってくださればと思います。

この原稿が終わったら、新しいステージであれもやろうこれもやろうと、気持ちだけは未来の企画の想像をしつつ、今日も原稿書きに励んでいます(o^-^o)

Ptyanntowatashi.JPG
(Pちゃんと私)


以下は、繰り返しになりますが、さがみ健康クラブさんで行う、
1月25日(日)の講演のお知らせです。


さがみはらで講演を行います。
ご都合のあう方は、ぜひいらしてくださいね。

午後からの亭田歩さんの講演会とセットで聞かれると、お得だと思います^^。
私も個人的に亭田さんの講演をめちゃくちゃ楽しみにしています。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
にんげんクラブでおなじみのこだまゆうこさんの、お話し会です。
こだまゆうこさんは、気さくな人柄からか、
とてもファンが多いのです。

元舩井幸雄さんの秘書をされていて、現在ライターとして活躍しています。

2015年の1月の初めに、さがみ健康クラブに
来ていただくことになりました。

当日は、こだまさんを囲んで、楽しく交流したいと思います。

どうぞ ご参加ください。

日にち 1月25日 日曜日

時 間 午前 10時から12時30分まで
    開場 午前9時30分

場 所 相模大野 ユニコムプラザさがみはら
         セミナールーム

    小田急線 相模大野駅前 
    bono相模大野 サウスモール3階
    http://unicom-plaza.jp/access/

会 費 3,500円  (事前申し込みの方)

         当日参加 3,800円

  ☆ お申込みは こちら
   新日本文芸協会Ω ネットショップ

主催 さがみ健康クラブ・新日本文芸協会Ω    
    相模野さくら・峰村純子

お問い合わせ info@sagamioono.sakura.ne.jp
          http://snb-omega.com/?pid=82245337

*当日(1月25日)午後1時30分より、亭田歩さん講演会が開催されます。
こちらの入場もご希望の場合は、1日通し券(5,000円)をご購入ください。
亭田歩さん講演会詳細はこちらから

2015年、今年もよろしくお願いいたします。マックス・クリスチャンセンさんのセミナーの感想

いよいよ2015年になりましたね。
昨年は大変お世話になりありがとうございました。今年はめいっぱい自分らしく、好きなことをやりつくそうと思っています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

新年はじめの原稿は、皆様へのお正月プレゼント?の意味もかねて、とっておきの原稿をご紹介します。去年の9月にアリゾナへ受けに行ったマックス・クリスチャンセン氏のセミナーの感想です。そうです、去年このブログで皆様にゆるーくお約束しておりましたあの原稿です。

感想を書きたかったけれど、英訳してマックスさんに確認していただかないと掲載することができなかったので、英語のできない私には荷が重くて、なかなか一歩を踏み出せずにおりました。

そこに救世主のごとく、アリゾナで一緒にセミナーを受けた鈴木真佐子さんが英訳を引き受けてくださいました。

真佐子さんは、横浜でクリスタルボウルを販売される傍ら、ダスカロスやサイマー、ドランヴァロ・メルキゼデクなどなど多くの超有名なスピリチュアルリーダーの本を翻訳されている、翻訳のプロです。
ご自分ももちろんスピリチュアルな方で、ご自身のセミナーも開催されていらっしゃいます。
(真佐子さんのブログはこちらです→http://www.angelstreehouse.jp/ )

そんなすばらしい方に私の稚拙な文章を英訳いただくのはめっそうもない、と怖気づいておりましたが、ご厚意により翻訳をお受けくださって、こうして新年のはじめに、皆さまにご紹介することができます。

以下に、その文章を掲載します。本当はワード原稿9ページにもおよぶ超大作を書いたのですが、それはさすがに長すぎると真佐子さんからご指摘ありましたので、ギューっと縮めて半分の4ページ半となりました。今考えると確かに長すぎました^^。

私のつたない文章では、たぶんマックスさんの魅力のほんの1%くらいしか伝えられていないだろうとも思っています。

マックスさんファンで、にんげんクラブや私のことを知らない方のため、2014年以前のブログと内容が重複するところもありますが、ご了承くださいませ。また、海外の方のために、文末に鈴木真佐子さんが訳してくださった英文もそのまま掲載したいと思います。
それでは文章をお楽しみください。2015年、今年もよろしくお願いいたします。

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マックス・クリスチャンセン氏のシャーマンワークを体験して

2014年の6月に初めてKan.さんと出会って以来、私は感動し、Kan.さんのセミナーは出来得る限りすべて参加したいと思いました。
そんな中、Kan.さんのサイトにマックスがアリゾナで行う四日間のシャーマンワークについてのお知らせが出ていました。

チラシによると、ドラムをみんなで叩いて、狼の舞やレインダンスを踊ると書かれていました。
まったく未知の世界であり、シャーマンについては何の知識もありませんでしたが、Kan.さんの師匠であるマックス先生にはぜひお会いしてみたいということで、申込をしました。


さて、実際にマックスにお会いしてみると、彼は今まで会ったことのある誰とも似ていない、とても素敵な方だとわかりました。
Kan.さんとはまったく別の個性を持ち、お二人とも愛に溢れすばらしく魅力的なのです。

マックスの家に初めて行った時に、見るものすべてが私にとっては珍しいものばかりでした。
祭壇近くには何かの動物の顔の骨とか、毛皮、髑髏の形をした水晶や、蛇の皮など、普段自分が邪悪で恐ろしいと感じるものがたくさん置いてありました。おまけに、生きたニシキヘビと、タランチュラがペットとして飼われています。

これは自分の予想をはるかに超えたとんでもないところに来てしまった、というのが最初の正直な感想でした。
しかし、マックス氏本人の瞳を見ると、とても澄んでいて美しく愛に満ちていて、その身体からはさわやかで健全で光に溢れたオーラを発しているような気がします。彼のパートナーのディアナもとても美しく、綺麗な瞳をした神聖な雰囲気のある女性でした。
この祭壇に飾ってある(私から見ると)禍々しいものたちと、この神聖なさわやかさはどこからくるのだろう?と、とても興味を持ちました。

まだワークが始まる前に、参加者が支払いの受付などをしている間、マックスはきさくにいろいろな話をしてくれました。
こないだ撮影したオバケの写真見る~?と、少年のようにニコニコしながら、いろんな写真を見せてくれます。
その顔は本当に楽しそうで、神や仏だけなく、オバケやデーモンであっても、人間と同じように愛しているように見えました。

そのうちに、マックスはニシキヘビの子どもをケージから出して手にとり、「君たちもさわってみる?やさしくね」と、参加者に手渡してくれました。
私はヘビがこわかったので手を出さなかったのですが、あろうことかそのヘビは、私のほうへときたがります。
「彼女は君のところへ行きたいみたいだよ」と言われたので、こわいながらもおずおずと手を出すと、ヘビは機嫌良さそうに私の手の上に乗ってきました。
その時、ああヘビってこんなにかわいいんだ、嫌いなものが好きだと思えることって、こんなにも幸せですばらしいことなんだな、と気づいた瞬間でした。ヘビはそのまま他の参加者の方々がそれぞれ抱いていきました。

その後すぐにマックスはタランチュラをケージから出して手に乗せてみせてくれました。
いや、それは無理だわ...と見た瞬間からの敗北です。
彼は何も言わなかったけれども、「どう?触ってみる?」とでもいいたげな感じで私の目の前に手を出しました。できれば好きになりたかったけれど、どうしてもこわくて手を出すことができませんでした。
タランチュラを手にとれなかったこの体験は、私の心にとても印象深く残りました。

四日間のワークの内容は、いにしえの秘儀ですから、残念ながらここには書くことができません。
四日間の間、笑ったり泣いたり、普段ではありえないほどにたくさんの感情を味わい、いろいろと学びました。
だんだんと身体やマインドが浄化されていったのか、最終日にはマックスの顔を見ただけで、身体が震えてとまらなくなるほどでした。その震えはそれまでたまっていたマインドを、少しずつ手放してくれているようにも感じました。

ワークが終わってから、本にサインをもらって簡単な会話をして、マックスは私につけ加えるように「君はハートをもっと開かないとね」と言いました。

機嫌良く帰ろうと思ったけれど、マックスと最後に交わしたこの言葉は深く心に突き刺さりました。どれだけ平気な顔をして楽しそうにワークに参加していても、確かに私のハートはずっと閉じたままで、ああ、やっぱりマックスにはすべてお見通しなんだな、と胸がしめつけられそうでした。


ここで私がハートを閉じていた理由について書きたいと思います。

私は2014年の1月に、七か月半になる娘を死産しました。このワークの8か月前のことです。
三度の流産を経て治療の後にようやく授かったと思っていた愛しいわが子が、へその緒が捻じれたことによって亡くなってしまったのです。
さらにその四日後に、私のことを娘のようにかわいがってくれていた、仕事上の上司であり、スピリチュアルな師匠であった舩井幸雄氏が亡くなりました。誰よりも大好きな二人をほとんど同時に亡くして、その時に味わった深い悲しみと絶望は言葉であらわすことができません。


その体験の後からずっと、泣いてばかりでまわりの人に迷惑をかけないように、きちんと働いて普通の生活ができるように、毎日がんばって過ごしていました。私にとっては、普通に笑って普通の社会生活を営むことが、ものすごくがんばらないとできないことでした。

マックスからハートをもっと開けと言われても、私は今でも十分にがんばっている。
きちんと仕事もしているし、数えきれないくらい本も読んだし、死んでも魂は生き続けるって頭ではわかってる。
でも悲しみはなくならない。
これ以上、どうやってがんばればいいの?どうやってハートを開けばいいというの?
そのような自分への問いかけは、鉛のような重さで胸に残り、楽しい思い出とともに、悲しくさびしい気持ちで最終日を終えました。


日本への帰りの飛行機の中で、マックスの本を読んでいました。本には何度も「マインドを手放しましょう、マインドは重力である」という言葉が書かれています。

確かに私の悲しみは重く、重力だとわかります。だけど、がんばってもこれ以上は悲しみが無くせない。
この重力を軽くする方法があるのならば教えて!言葉で言うのは簡単だけれど、できないことだってあるんだよ!と、半ばやつあたりに近い感情を、思考の中でマックスにぶつけました。

そうして私は本を閉じて、しばらく目をつぶってから、気分を変えようと思って機内放送の映画を探し始めました。
そして、どんな内容かわからずに、たまたまタイトルがいいなと思って選んだ映画は「Heven is for real」でした。この映画はまだ日本で公開されていません。
(※邦題タイトル『天国は、本当にある』です。2015年1月公開されました。
公式サイトはコチラ→http://www.heaven-is-for-real.jp/ )

その映画のあらすじは、貧しい牧師さん家族の四歳になる息子が虫垂炎になって手術中に生死をさまよい、術後にあの世を見てきたと言ったという、実際にあったお話が映画化されたものでした。

何気なく映画を見ていると、主人公の牧師さんと息子が、狼の遠吠えをするシーンがありました。
それまでの四日間、マックスのワークで狼の遠吠えをしたので、なんだかシンクロニシティを感じました。

さらに映画を見続けると、牧師一家が遠方の植物園に行き、娘がタランチュラを手に乗せるシーンがありました。
息子はこわくてタランチュラを手に乗せることができません。
このシーンを見た瞬間に、普通の感覚では説明のできない、ありえないことがおこりつつあることを感じました。


人生において、狼の遠吠えを本気になってした同じ日に、タランチュラを手の上に乗せようかどうか迷うような特殊な状況って、はたしてどのくらいあるでしょうか。
少なくとも、私が生きてきた人生では、マックスの家にはじめて行った日のたった一度しかありません。


この二つの強烈なシンクロニシティによって、この映画はなんらかのメッセージを強く私に伝えようとしてきている!と心から感じました。
その後の展開がどうなるのか?本当にドキドキとしながら見続けました。

あの世へ行って、イエス様や天使たちと会ってきたと語る四歳の息子の話を、大人たちはなかなか信じることができません。
保守的な地元の人たちから反感を買いながらも父は、なんとか息子の言葉を信じたいと思っていた矢先に、息子の口から信じられない言葉が出ました。

「ママ、僕にはお姉ちゃんが二人いるって知らなかったよ。赤ちゃんの時に、ママのお腹の中で死んじゃったんでしょう?天国で女の子が僕のところに来て、彼女は僕のお姉ちゃんで、ママのお腹で死んじゃったって言ってたよ。お姉ちゃんはあの世から僕を見守っているよって言ってハグしてくれたよ」

と、この言葉によって、かつて死産で娘を亡くした両親は、息子の言葉を真実だと心から信じることができるようになったのです。

この映画を見ている最中、天国から私の娘が「ほら、ママ、映画の通りだよ。これでわかったでしょう、私は天国にいるから大丈夫だよ。それ以上悲しまないでいいんだよ!マインドを手放して」と大声で叫んでくれているかのように感じていました。

あまりに突然の宇宙のいたずらに驚き、飛行機の小さな座席の中で、過去と、現在と、未来と、あの世とこの世の宇宙とが、一つになった気がしました。

時間を逆戻りさせて、あのタランチュラを私の前にさしだしたマックスのしぐさと深いまなざしを何度も思い出して、彼はこれがわかっていてあのような行動をしたのだろうか?それとも単なる偶然だろうか?私がこの映画を飛行機で見ることなんて、あの時の彼にわかりっこない。でも、このすべてが完璧すぎるタイミングとメッセージが、偶然であるはずがない!と頭の中はぐるぐると疑問がわきあがります。


そして、私の心に抱えていた悲しみという重力があきらかに軽くなり、深い感謝の涙に変わりました。


この話をマックスにしてみたら、彼がなんと答えるのかはまだわかりません。もしかすると、「僕にはわからないな、偶然だよ」と笑って答えるのかもしれません。

でも私にとって、彼がどう答えるのかはさほど問題ではありません。彼がこれをわかっていたかどうかにかかわらず、実際に私の悲しみは軽くなったし、マックスのところでワークを受けなければ、このような奇跡は起きなかったのですから。


マックスのワークから戻ってから、ずいぶん私は変わりました。

悲しみが少なくなっただけでなく、この世に生かされている意味や見えない世界からのサポートをよりいっそう強く感じるようになって、こわいものや、苦手なものが減りました。
以前よりも、ハートを開くことができるようになり、より自分らしくなったと思います。

早いものでマックスのワークから一か月がたちましたが、遠く離れていても、時間がたっても、今でもマックスが見守ってくれているのを感じます。また、マックスだけでなく、Kan.さんも、その他にお会いした聖者の方々も、あの世から舩井会長も、娘も、みんなが必要に応じて、サポートしてくれているのがわかります。

このような体験と気づきを与えてくれたマックスとディアナ、通訳をしてくれたルオさん、一緒にワークを受けてくれた参加者の皆さん、その他サポートしてくれた見えない世界の方々や、一週間の渡米を快く承諾してくださった会社の皆さんや家族たち、本当にありがとうございました。
私のこの体験が、いつか誰かの目にとまって、何かを感じ取ってくれたら嬉しいなぁと思っています。

たくさんの愛と感謝とともに

2014年10月24日 熱海の船井本社オフィスにて こだまゆうこ


マックス・クリスチャンセン氏のホームページはコチラ →http://www.primordialalchemist.com/


Experiencing the shaman work by Mr. Max Christensen

When I attended Kan.san's workshop in June of 2014, I was really impressed and decided I decided to take as many of his seminars as possible. It was around then that I found the announcement of shaman work by Max in Arizona on Kan. san's website. There it was written that everybody would be playing drums and doing the wolf dance and rain dance. It was a world totally unknown to me and I knew nothing about shamanism but I wanted to meet Max who was Kan. san's teacher so I signed up.

When I met with Max, he was a wonderful person unlike anyone I ever met before. His personality was completely different from Kan.san's. Both are so full of love and have such attractive qualities.

When I first visited Max's house, everything I saw was new to me. Placed near the altar were facial bones of some animals, fur, a skull made of crystal and a snake skin, many things that I normally perceived as being evil or frightening. In addition, there was a live snake and tarantulas he kept as pets.

Honestly speaking my first impression was that I had come to some place that was far from my anticipation. But looking into Max's eyes, I found them clear, beautiful and full of love and his physical frame emanated fresh, healthy aura, full of light. His partner Diana was also very beautiful, She had these beautiful eyes and a very sacred feel around her.

I became curious because there were these contrasting feelings, one that felt ominous to me that was around the altar and the other that felt sacred and fresh. From where did these feelings come?

Before work started, while the participants were paying for the seminar, Max told us stories in a very friendly way. He would ask smiling like a young boy, "Do you want to see the photos of Obake I took recently?" and he showed us many kinds of photos. He looked like he was having a good time. It looked like he loved the "Obake" and demons as much as he loved god and Buddha and people as well.

Then Max took out the baby snake from its cage and put it on his palm and asked, "Do you guys want to touch her? You have to be gentle." And he handed the snake over to the participants. I was scared of snakes so I did not offer my hand but the snake decided it wanted to come to me for some reason. "It looks like she wants to come to you", he said. So I offered my hand hesitantly in spite of my fear and the snake came on to my palm quite happily. That was when I realized that a snake could be cute. It was a happy moment when I realized I could consider the snake cute, that I came to like something that I hated before. Then each of the other participants had their turn holding the snake.

Max soon after took the tarantula out of its cage and put it on his palm. No, no way. It was defeat the second I took a look at it. Max actually did not say anything but his eyes felt like they were saying, "How about it? Don't you want to touch it ?"
I wished I liked it if that was possible but I was much too scared to offer my hand. This experience of not being able to have the tarantula in my hand left a deep impression on me.


I cannot write about the content of the four days' work because it is an ancient esoteric knowledge.
But during the four days, we laughed and cried, and experienced many many emotions at one time than normally possible and we learned a lot. May be because our body and mind had gone under gradual cleansing, my body would start shaking whenever I saw Max's face and it wouldn't stop. The shaking seems to help gradually clear up all that had stocked up in my mind.

The work was finished, he had signed my book and we were having a little chat when he added to say, "You need to open your heart more".

I wanted to go home happy but the last words pierced deep into my heart. No matter how I participated in the work with a happy face, my heart was closed for sure. So Max saw everything. I felt tight with emotion.

So here, I want to write about why my heart was closed.
This year in January, I was seven and a half month into my pregnancy when the baby died in my womb. That was eight months before this work. I had lost three babies before and I had been going to treatments to have another baby but I had lost this baby girl due to the umbilical chord getting twisted. It was four days after her death that my boss and my spiritual master, Yukio Funai, who had loved me like a father, had also died. I had lost two people I had loved more than anyone-else almost at the same time. I cannot express the deep sorrow and despair I had felt then.

But after the experience, I worked hard everyday to have a normal life and tried not to bother everyone by crying all the time. I had to work hard at it in order to have a normal social life, laughing like everything was okay.

Max had told me to open my heart more but I was working 100% at it already. I was doing my work efficiently, read more books than I could count, and I knew that the soul lives on. But the sadness would not go away. How can I try any harder ? How can I open my heart ? Questioning myself, it felt like lead in my heart and so together with happy times & memories, I was encountering sadness and loneliness when the last day came.

On the way home, on the plane, I was reading Max's book. In it he repeated the words, "Let go of the Mind. Mind is gravity."

I understand that my sorrow is heavy and is gravity. But no matter how I tried, I could not make the sorrow disappear. If there was a way to lighten up this gravity, I wanted to know how. I was venting some anger at Max in my mind at him, "It's easy to say it in words but there are just some things that are not possible".

I closed my book and eyes for a while and then started to look through the films on the flight. I chose a title that looked appealing, "Life is for real." This film had not opened in Japan yet.

The outline of story is that, a four year old son of a poor priest suffers from appendicitis and undergoes an operation, experiences death and tells about the world he saw on the other side when he awakens. This is a true story made into a film.

When I was casually looking at the film, there was a scene where the main characters, the priest and son cry like a wolf. It was just like when we did the wolf cry in the past four days and I felt the synchronicity.

When I continued to watch, the family goes far to visit a botanical garden and the daughter puts a tarantula on her palm. The son is too afraid to do the same. The moment I saw this scene, I felt something was happening that could not be explained by ordinary senses.

That day I did the wolf cry for real for the first time in my life and the same day I had wondered if I could put the tarantula on my palm. How many times could these particular situations rise in my life ? For me it was once and only once when I visited Max's house for the first time.

The impact of these two synchronicities led me to feel deep from my heart that the film was giving me some kind of message.

The adults find it hard to believe the four year old son who speaks of going to the other world and meeting Jesus and the angels. The father, confronted by the hostility of the conservative locals, really wants to believe his son, then his son says these incredible words.

"Mama, I didn't know I had two sisters in heaven. They died in your tummy when they were babies, right ? The two girls came to me in heaven and they told me that they were my big sisters and that they died in mommy's tummy. My big sisters told me they were looking after me from heaven and gave me hugs."

Hearing these words the mother and father who had indeed lost two babies were able to really believe their son's words as being true.

When I was watching the film, it was like my daughter was talking to me from Heaven yelling really loud, "See mommy ? It's just like in the film. You understand now? I'm okay, I'm in heaven. You don't need to be sad anymore. Let go of your mind" .


I was so surprised by the mischief of the universe, it felt like past, present and future, as well as that world and this world became one in my tiny seat on the airplane.

I tried turning back the clock many times, remembering the way Max presented that tarantula to me and how his eyes looked, wondering if he had known what was to happen . Or was it purely a coincidence? He could not know I would be seeing this film on the plane. But the timing and messages, it was all too perfect to be a coincidence. My head was whirling with all these questions.

And it became very apparent that the gravity of the sorrow in my heart had become lighter and my tears turned into those of gratitude.

I don't know what Max would say if he heard this story. He might laugh and say,
"I don't know about that. It's probably just a coincidence"
But for me, it does not really matter what he says. Whether if he knew it was going to happen or not, my sorrow did become lighter, and this miracle would not have happened without the work I did with Max.

I have changed a great deal since I got back from Max's work.
Not only did the sadness lessen but I have a better feel of why I am here on earth and I feel the support more than before of the world we cannot see. There are less things that I am scared of or things I dislike. My heart has opened more and I think I am more of my self.

Time flies and it's already been a month since the work with Max. Even though I am far from him in time and place, I feel he is still looking after me still. I also know that I have the support from not only Max but from Kan.san and other spiritual masters, and support from Chairman Funai and my daughter from the world beyond as well.

I am very thankful to Max and Diana who gave me this experience and insight, to Ruo san who did the translation, all the participants who took the workshop with me, all the company staff and family who let me go to the states for the whole week. Thank you all so much. I am hoping the story of my experience catches the eye of someone and he or she would feel something from it.

With all my love and gratitude,

Yuko Kodama

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