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独立記念ホール

WRイスラエル2.jpg

 イスラエルに来ています。5年連続6回目のイスラエルです。
初日からベレシートというイスラエルでも最高のホテルに泊めていただ
いています。ツアーの皆さんやスタッフをあわせると総勢で59名の旅な
のですが、当然ホテルは一人部屋です。それなのに、部屋にプールがつ
いていて、お付の人のためのサブの寝室までついています。ありがたい
旅になりそうです。


WRイスラエル1.jpg


 成田から12時間のフライトで、経由地のイスタンブールに着いたのが
朝の4時。3時間弱イスタンブールに滞在して、テルアビブのベングリオ
ン国際空港に9時前に到着しました。同日、アメリカのトランプ大統領
の長女のイバンカ補佐官、娘婿のクシュナー上級顧問、それにムニュー
シン財務長官もベングリオン空港に5月14日のアメリカ大使館移転のた
めに到着されたようです。

 空港はそれほど警備が厳しいわけでもなく、入国審査も何も聞かれな
いでパスできました。一目見て日本人団体客だと分かったからかもしれ
ませんが、もしトランプ大統領が来ていたら大変だったかもしれません。
多少、厳しさを感じたのは、イスタンブールの空港での荷物検査ぐらい
でしょうか。イスラエルに向かう便ではいつも荷物検査が行われるので
すが、いつもに比べてかなり入念にやっていたように感じます。

 空港から真っ先に向かったのはテルアビブにある独立記念ホールです。
1948年5月14日午後4時にここでイスラエルの独立が宣言されました。
そして、そのままイスラエル側から見れば独立戦争、第一次中東戦争が
開始されました。

一方、パレスチナ側から見れば、その翌日の5月15日はイスラエル建国
によって故郷を追われた「ナクバ(大破局)の日」で、新聞報道を見て
いると14、15両日はデモが頻発するということです。ただ、その場を
上手く避けて日程を組んでいることもありますが、まったく何も変わら
ない安心で安全ないつものイスラエルの風景が流れています。

 独立記念ホールで建国の説明をしてくれた方の話によると、独立戦争
の時、イスラエルは兵力も武器も兵士や指揮官の経験も、すべてにおい
てアラブ諸国に対して大きく見劣りしていたにもかかわらず、奇跡的に
戦争に勝てたことを教えてくれました。この原稿を書くにあたって少し
調べてみると、さすがに初戦はアラブ側に押されてしまったのですが、
4週間の休戦協定が成立して、この間にまず指揮権の統一をして、武器
をチェコスロバキアから購入し、かつ第二次大戦で従軍経験のある兵士
が多数戦争に参加する体制が取れて巻き返しが図れたようです。

 その後、スエズ動乱と呼ばれる第二次中東戦争。これは、イギリスと
フランスの利害で始められた戦争のようですが、米ソの介入でイギリス
は多くの戦費を使ったにも関わらず何も得ることがなく、結果として大
英帝国が完全に終焉したことがはっきりした戦争になりました。イスラ
エルも領土的には何も得るものがなかったのですが、アラブ諸国の中で
最強のエジプト軍に対して十分戦えることが分かったことが最大の戦功
で1967年の第三次中東戦争、たった6日間でイスラエル側の圧倒的勝利
に終わったので6日戦争とも呼ばれていますが、その大勝利へと繋がっ
ていったのです。

 イスラエルから見ると、51年前の6日戦争でいまの領土がほぼ確定し、
現在のイスラエルの繁栄の基盤が作られたことになります。石油ショッ
クの原因を作った1973年の第四次中東戦争ではアラブ諸国を見くびって
いた油断から当初は苦戦することになりますが、結果的には勝利を収め、
いまや51年前に確定したイスラエルの領土の変更を迫る力はアラブ側に
はありません。そして、毎年イスラエルに来ている実感ですが、治安は
年々よくなり、国を守る段階から発展させる段階に突入したことが感じ
られます。

 ここまで、いつもの癖でイスラエルのことを調べて書いてみましたが、
本当に言いたかったことは別の点にあります。50年前の独立戦争に至る
までにどれだけ大きな苦難があったかということです。

イスタンブールまで向かう飛行機の中で、映画「ウィンストン・チャー
チル ヒトラーから世界を救った男」を観ました。この映画を見ると、
1940年にはイギリスも敗北寸前で、もう少しでヒトラーとの講和を結ん
でしまうような状況にあったことがよく分かりました。

チャーチルのことはボリス・ジョンソン著『チャーチル・ファクター 
たった一人で歴史と世界を変える力』(プレジデント社)
も読んでいて、
実は中東政策についてのこんがらがった状況を何とか形にしたのも
チャーチルだったようです。


ただ、チャーチルの誤算は第二次世界大戦後、イギリスが世界を統治
する能力を失ってしまったことです。だから、ホロコーストの犠牲者を
すぐにイスラエルに送り込むことができずに、イギリスがヨーロッパ各
地に設置した難民キャンプという劣悪な状況に、心身共にギリギリまで
疲弊しきったユダヤ人たちを収容しなければならないという悲惨な状況
が生まれてしまったのです。

独立宣言の後、独立戦争に参加するために数多くのユダヤ人たちがイス
ラエルの地にやってきました。しかし、そこにたどり着くまでに、ナチ
スから解放された戦後になってからもなお、彼らは数多くの苦難を乗り
越えなければならなかったのです。

独立記念ホールで見せていただいた短い映画で、イスラエルの地にたど
りついたユダヤ人たちの姿を見ていると、赤塚高仁さんと共著で出させ
ていただいた『スコーチド 焦がされた世代 ホロコースト生存者短編
集』
で知った歴史的な事実をまざまざと感じ、思わず号泣してしまいそ
うになりました。

聖なる約束5-90.jpg

 日本の人たちにも、ホロコーストがあったからイスラエルの建国があ
り、現代の発展するイスラエルやユダヤ人社会があるということを伝え
ていきたいと思います。それが分からないと、大和民族もユダヤ民族と
同じような経験をしなくてはいけなくなるかもしれないという赤塚さん
の危惧が杞憂に終わるように。




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