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奇跡に頼らない

この原稿はペルーの首都リマのホテルで書き始めました。ペルーに着い
てから7日目の朝を迎えています。

 夜中にペルーに着いて、リマで体調を整えてから、インカ帝国の古都
クスコに向かいました。クスコは標高3400メートル。富士山の9合目ぐ
らいの高さにあり、私もクスコでの初日は高山病の症状が出て、お昼に
食べたものをすべて戻してしまいました。

 食べ過ぎ飲み過ぎが原因だということが分かったので、高地にいる間
は節制することを心がけ、朝はフルーツだけ、昼はいつもの3分の1程度、
そして夜は基本的にはパスするという生活を送りました。


 ところで、舩井幸雄が最も愛した弟子の一人に、元船井総合研究所の
常務取締役で、今はSYワークスというコンサルタント会社を経営してい
る佐藤芳直先生がいます。本誌でも連載していただいていたことがある
ので皆さまご存じかと思います。

 SYワークスは創業記念日である毎年5月末に本拠地仙台で大きなセミ
ナーを開催していて、父は元気で講演できる間は毎年そこに話しに行く
のを楽しみにしていました。独立した弟子が多くの経営者から愛され、
必要とされていることを見るのが、本当に嬉しいようでした。

 そんな佐藤先生が一番愛した人に写真家の故・星野道夫さんがいます。
星野さんは動物、特に熊の写真で有名な日本を代表する写真家の一人で、
佐藤先生は星野さんを尊敬するあまり毎年夏にアラスカに行くほどでし
た。

 マチュピチュに向かう列車の中で、今回の旅をコーディネートしてく
れている写真家の野村哲也さんとお話ししていると、なんと野村さんは
正式には弟子を取らなかった星野さんが、とても可愛がっていた8人の
写真家の中の一番若い存在だったのだそうです。いわば、星野道夫さん
の最後の弟子とも言える人なのです。

 そんな野村さんに初めてお会いしたのは、昨年の10月、たまたま高知
に行く所用があり、それが済んだ翌日は久しぶりに高知でのんびりする
か、元気があれば唐人駄馬にでも行こうかと思っていました。

 唐人駄馬は、足摺岬の近くにある縄文巨石遺跡で、小川雅弘さんが唐
人駄馬探索協会の会長をしています。小川さんに初めてお会いした20年
前に連れて行ってもらったのですが、不思議なことにある石の前で質問
するとその石が何でも答えてくれました。当時は人生に悩んでいたこと
もあり、高速道路ができていなかったので高知市内から5時間ぐらいか
かったのですが、それでも無理を言って小川さんに何度も連れて行って
もらったのが懐かしい思い出です。

 そのときの高知の所用は、小川さんのご縁で未来大使をさせていただ
いている高知の雲の上の町、檮原町の町制施行50周年の記念行事に出席
することでした。檮原の雲の上のホテルに泊まって高知市内に帰る車中
で、小川さんに「今日は最終便を取っているのでのんびりできるのです
よ」と言うと、「唐人駄馬を探索するための不思議なツアーが加尾の庭
に昼食を食べに来ることになっていて、そこで野村さんやリマ在住で山
元加津子さんを主人公にした映画『1/4の奇跡』にも登場している天
野博物館の坂根博さんの講演があるので、よかったら舩井さんも参加し
ませんか?」とお誘いいただきました。それはいい機会だからというこ
とで気楽に昼食会と講演会に参加させていただいたのです。

 そこでいっぺんにお二人のお人柄に魅了されてしまったのと、かねて
からマチュピチュに行きたいと思っていたので、その場でペルーに連れ
て行ってくださいと頼みました。小川さんは戸惑っていましたが、あっ
という間に日程まで決まって、そこにいた多くの方も参加表明をされ、
今回のペルーツアーが決定したのです。

 野村さんは8月に行われていた、ナショナルジオグラフィック誌のフォ
トコンテストで2位になった実力派です。ちなみに調べてみると同誌は
36カ国語で発行されていて定期購読者だけで850万人いる月刊誌です。

 星野さんは日本人で6人しかいない巻頭12ページを飾った写真家で、
野村さんもそれに挑戦したいと思っているそうです。そのためには、ま
ず編集部に存在を知ってもらう必要があるので、来年こそは1位を取っ
て巻頭12ページのグラビアの企画を提出したいのだと燃えているようで
す。

 そんな野村さんと、ペルー在住45年間でペルーや日本に信じられない
ほどの人脈を持つ坂根さんが企画する旅行ですので、普通の旅行で終わ
るわけがありません。そのすべてをお伝えするのは限られた誌面ではと
ても不可能ですが、ひとつ一番大きな気付きを与えてくれたエピソード
をご紹介したいと思います。

 旅のクライマックスは高地にあるマチュピチュの遺跡を訪れることで
した。インカ帝国はあっという間に上陸したスペイン人によって滅ぼさ
れてしまうのですが、最後まで抵抗した勢力がマチュピチュだけはその
存在を知られないようにしたのではないかと言われていて、実際1911年
に発見されるまで誰もその存在を知りませんでした。

坂根さんは「きっとマチュピチュは聖なる町で、歴代の皇帝のお墓が守
られている。だから、サイキック能力に優れた人々が住んでいたのでは
ないか」とおっしゃっていました。

 高地のアンデスの人々を見ていると、いまだにその文化が豊かに受け
継がれていることがよく分かります。インカ帝国は滅んでも、高地の中
心的な町であるクスコでさえ標高が3400メートルもあり、そこにいるだ
けで高山病になってもおかしくないぐらいの厳しい自然の中にあるので
す。

 ましてや山の中に点在する小さな集落は、いまだに電気も通っていな
いような暮らしぶりです。

観光地などはかなり崩れてきてはいるものの、資本主義的に見るとほと
んど現金収入がないとても貧しい暮らしを強いられているのですが、視
点を変えてみると、彼らの文化がいまだに保たれているとみることもで
きるでしょう。

 精神性や神話を失わなければ民族は存続できる。彼らの暮らしは、そ
んな真実を教えてくれました。

そして、それをさらに体感したのがレインボーマウンテンという美しい
聖地へのトレッキングに挑戦したときでした。

 車で行ける限界がすでに4500メートルを超える高地で、そこから5・1
キロを私たちは馬に乗せてもらって進み、着いた所の標高は5030メート
ル。そこから小高い丘を登って標高が5150メートルになるのだそうです
が、そこにたどり着いて後ろを振り向くと、信じられないほどきれいな
七色の岩肌が見えるのです。このレインボーマウンテンは最近人気が出
てきて、憧れの観光地になりつつあるそうです。

 ペルーには何十回も来ている野村さんも初めての挑戦だったそうです
が、私もそれに急遽、挑戦することにしました。後から聞いた話ですが、
高度5000メートルの世界は、鍛えていない人はそこにいるだけでも酸素
を絶えず吸いながらでなければ危険な場所なのだそうです。だから、当
初はとてもやる気が起こらなかったのですが、マチュピチュの神さまた
ちがしきりに挑戦することをすすめているように思えて仕方がなくなっ
たのです。

 実は、冒頭のように半断食の生活を続けたのは、どうしてもレインボー
マウンテンに登りたくなったからなのです。最初の日にたっぷりと食べ
た昼食を戻してしまったのは、高山病と乗り物酔いが原因だったことが
分かったことで、私が5000メートルに挑戦するにはなるべく食べないこ
とが大事だということが不思議に分かってしまったのです。

 それに、小川さんを通じての村中愛さんからのアドバイスによると、
お肉を少量食べておくと高山病にならないということだったので、それ
も素直に実行させていただきました。そして、なんとかレインボーマウ
ンテンを見ることができたのです。

 若い頃なら、最初から奇跡に頼って、暴飲暴食を続けていてもきっと
登れたと思いますが、今はしっかりと準備をして体調を万全にすること
が必要になりました。奇跡はやるべきことをしっかりやって初めて実現
するのであって、最初から神頼みのような無理なプラス発想をすればい
いのではないということが実感としてよく分かりました。

 南米にはこれからも何度か訪れるような気がしてきました。旅を楽し
むためには、簡単なスペイン語ぐらいは話せるようになりたいと思うよ
うになっています。アンデスの人たちが奇跡的に自分たちの暮らしや文
化を守ってきたように、当たり前のことをコツコツやっていくことが奇
跡を起こすのです。

 最初から神頼みでプラス発想をすれば何でもできるという考え方は、
いざというところに追い込まれるまでは封印したほうがいいとしみじみ
感じました。




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