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門前の小僧

にんげんクラブの皆さまこんにちは。
経済や政治の話題が多い巻頭言ですが、今回の巻頭言では、勝仁会長に、
特別に舩井幸雄会長の思い出について語っていただきました。
本やブログなどいろいろな媒体でも書かれていますが、勝仁会長にとって、
人生で最も理解ができなくて、最も苦手だった人物が舩井幸雄会長なのだ
そうです(とはいえ、「最も苦手」のその言葉の奥には父に対する深い
深い愛情も、籠っておりました)。


秘書として数年関わらせていただいた私としては、舩井会長は理不尽に
怒ることは絶対にないし、長所を褒めて伸ばしてくれて、得意でやりたい
仕事を自由にやらせてくださって、なんと素晴らしい上司だろう、と
心から思っていましたが、父と息子としての関係である勝仁会長の立場
からすると、息子にしかわからない苦労や重圧がたくさんあったようです。


まずよく驚かれるのが、勝仁会長は子供の頃から、舩井会長にずっと
家でも敬語で喋っていたそうです。父が家にいると家の中は常に緊張感
があって、いないときはとてもリラックスしていたと言います。
お父さんはいつも忙しいので、お父さんの時間を一分一秒でも奪わない
ように舩井会長の奥様(勝仁会長のお母様)はとても気を遣っておられ
たとか。「お父さんは偉いんだよ」と子供たちにいつも言って聞かせた
そうです。

ご飯を食べる時も、食卓にすべてのご飯が並んですぐに食べられる状態
になってから、書斎で本の執筆や仕事をしているお父さんを呼びに行く、
というのが当たり前でした。
そんな家庭で育ったので、勝仁会長は結婚してから奥様に「ご飯ですよ」
と呼ばれて、そこからお皿や箸を並べ始め、時には並べるのを手伝わされ
ることにかなりのカルチャーショックを受けたとか。


また、お父さんと外食に行った際には、メニューを選ぶのに時間をかけて
悩むというのは舩井家ではありえないことで、食べたいものというよりも、
なるべく早く運ばれてくるものを頼む、というのが恒例だったそうです。

舩井会長は家族を外食に連れていくのが意外とお好きだったそうですが、
自分が食べ終わってしまうと、たとえ2歳の孫がまだ食べている途中で
あったとしても、さっさと席を立って出ていってしまわれるそうです。


そんな祖父であり、父だったので、子供の頃から勝仁会長は、食べる
スピードは大人に負けるから、お父さんよりも早く運ばれてくる品物を
頼んで、お父さんが食べ終わるまでには食べきる、というクセがついて
いたそうです。

奥様との初デートの時は、忘れられない思い出があるそうで、まず
メニューを選ぶのに時間がかかることにビックリされました。
おそらくそこまで時間はかかっていないと思われますが、勝仁会長から
見ると、30分くらいメニューを選ぶのに時間を使ったように感じたそう
です。さらに初デートですから、緊張して相手を気遣う余裕もまったく
なく、いつもどおりに急いで料理を食べ終わって奥様のほうを見ると、
まだ奥様は割り箸を割っていなかったのだそうです。これには勝仁会長も
カルチャーショックでしょうが、奥様も唖然とした顔で勝仁会長の顔を
眺めていたそうですから、同様にかなりのショックだっただろうとお察し
します。

私も秘書だった頃に、何度か舩井会長と奥様に食事に連れていっていた
だきました。舩井会長は、熱海のホテルの中に入っている居酒屋さんが
一番のお気に入りで、その居酒屋さんが大好きな理由は、「注文した
品物がすぐに出てくるから」でした。舩井会長の外食でのこだわりの
ポイントは何十年も変わっていないのですね。


舩井会長が亡くなられて三年たって、お父さんが苦手だったという意識
はなくなってきましたか? とお聞きすると、うーんと悩んだ後に、
「正直に言うと、父がいなくなって、気が楽になりました」とのこと。

というのも、社長として会社の経営を任されてはいても、実際に社長の
仕事をさせてくれたのは、舩井会長が亡くなる半年前くらいの、本当に
ご自分が何もできなくなってからでした。それまでは、何だかんだと
言っても、やっぱり舩井会長がすべての意思決定をされていました。
そしてすべてを任せるようになってからは、「毎週来い」と勝仁会長を
熱海に呼んでおられました。何を話すわけでもないけれど、とにかく
来いとのことで、一時間くらい喋って帰るときには、「来週はいつ来る?」
と必ず聞かれたそうです。


最晩年の舩井会長は、口が痛くてほとんど筆談での会話でしたが、
痛いながらも喋る一言一言に、とても重みがありました。さらに千里眼
と言ってもいいほどに、直観力は冴えわたっていたようで、いろいろな
ことがわかるけれど言葉にはしない、というように見えました。


身体は不自由でも経営のアドバイスは怖いほどに鋭くて、勝仁会長が
初めての不動産投資で、ある不動産を買おうとして舩井会長に相談した
ところ、「失敗するけど、ええわ。お前の勉強になるからやってみ。
一億円くらい損するけど、ええ授業料や」と言われたそうです。

結果はやっぱりその通りになったそうで、その不動産投資では結局一億円
くらいの損をしました。でもその時に失敗したことで、何をしたらいけない
のかがわかり、その後勝仁会長は不動産投資がとても得意になったそうです。


「あの時に最初に失敗していなかったら、きっと調子に乗って別の物件で
もっと大きく失敗していたと思う。
あの失敗は本当にいい勉強になったから、ここまでの流れが全部、
舩井会長には見えていたんでしょうね」と勝仁会長はしみじみと語って
おられました。

経営者としても思想家としても偉大な父を持ち、その経営を任されたり、
生き方をお父さんと比べられたりしたら、その重圧はすごいものだろう
な......と、思います。その父と子の関係を身近に見ていた私としては、
舩井会長から息子である勝仁会長への愛情も、勝仁会長から父である舩井
会長への愛情も、言葉を超えたところでとても感じられました。

親子であると同時に上司と部下でもあったので、「勝仁はわかっていない」
と時には厳しいことをおっしゃられても、ご本人のいないところでは
「かっくんは、前世でも俺の息子だった」と嬉しそうにおっしゃっていた
りして、とても期待していらっしゃいました。

「親父の本は、中学生の頃から全部かかさず読んだけれど、僕は反発も
あって舩井幸雄からちゃんと学んでいないから門前の小僧なんですよ。
舩井幸雄のことがわからないし、ここできれいな言葉も言えないんです。
そりゃあ、模範解答を言えと言われればいくらでも褒めることはできます
けれど。亡くなってからも、一年間くらいは毎日夢に出てきて、ああしろ
こうしろ、って指示を出してきて、嫌でしたよ。それがまた的確なんで
すよね」
と、勝仁会長はいろいろな感情を込めて愛情たっぷりにおっしゃって
いました。


門前の小僧、と言いながらも、一年間毎日舩井会長の夢を見るほどに、
そこまで舩井幸雄会長に正面から向き合っていらっしゃる方は勝仁会長
以外にいないと思います。父の背中を見つつも、自分は自由に自分らしい
生き方、やりかたを貫く。その姿勢は、やっぱり親子で似ているなぁ、
とお話しをお聞きして思いました。

そして門前の小僧が実は一番熱心で師匠のことをわかっていた、という
昔話をどこかで聞いたことを思い出しました。


株式会社 にんげんクラブ会長 舩井 勝仁
  ×
作家・エッセイスト 兒玉 裕子




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