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恐山のイタコの口寄せ2

皆様こんにちは。今日電気屋さんに行って、ルーターの子機を買ってとりつけて、
やっとやっとやっと、ネットがつながりました。

長い間このブログも更新できずにすみませんでした。

さて、恐山のイタコの口寄せの続きを書く前に、まずはお礼から。

10月17日、18日は、舩井フォーラム2015に たくさんの皆様にお越しいただきまして、誠にありがとうございました。
全国からたくさんの皆様がお集まりいただけるこのイベントに参加できて、とても幸せです。
はじめての出会いや、懐かしい出会い、たくさんの方々との出会いに、心から感謝しております。

今年は、はじめて私も小ホールで講演する機会をいただきました。

ほとんど実績のない私をこのような大舞台に立たせていただいて、チャンスをくださった勝仁社長をはじめ、
拙い話をお聞きいただいた皆様や、応援してくださった皆様、同じ時を共有してくださった皆様に、とても感謝しております。

講演.JPG

舩井フォーラムでの感想をもっと書きたい気持ちは山々ですが、
そうすると、恐山の続きの話が一生書けないような気がするので(笑)、
舩井フォーラムのさらに詳しい感想はまた別の機会にいたします。

(私の気まぐれな脳が忘れていなければ・・・・ですけれど・・・・・・・。)

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恐山の話が何のことやらわからない人は、まずコチラのブログをお読みください。

恐山の話を書くエンジンをかけるために、
まずは宿坊のご紹介からはじめましょう。

恐山の宿坊は、とても素敵です。

こんなゴージャスなお部屋です。

宿坊.JPG
(15畳+4畳+トイレ、洗面所つき)

温泉大浴場もあります。

お食事もこんな感じですごくおいしかったです。

食事.JPG

ヘタなお宿に泊まるよりも、宿坊に泊まるのがオススメです。

ただし、宿坊にいるんだという敬虔な気持ちがあれば・・・・ですが。

夕飯にお酒が飲みたいとかテレビが見たいとか思う方にはあまりオススメしません。

恐山での翌日は、朝のおつとめから始まりました。

地蔵堂での般若心経を読経する時間があって、
宿坊に泊まった方は特別に地蔵堂の中にある仏像を見ることができます。

さて、朝のおつとめの際に、私の三列くらい前方に、
前日にお話ししたイタコさんがいました。

スっと伸びた背筋で、綺麗に正座をしておられます。

あーー、昨日の方はきちんと朝のお勤めに出られているなぁと眺めていると、

お坊様から、「後ろのほうにいらっしゃる方は、もっと前に詰めてください」

との指示がありました。

ぞろぞろと前に集まっていくと、偶然イタコさんの真横に座ることになりました。

自然と、おつとめの際にイタコさんがどんな姿勢で祈られているかが、

念仏の声とかも聞こえてくるので、よく感じられました。

とても熱心な方だなぁ、昨日の今日でなんだかご縁があるなー、
これはもしすいていたら、イタコさんに口寄せをしてもらえってサインだな、と思いました。

おつとめ終了後は朝食をいただいて、

しばらくゆっくりしてからイタコさんのところに行ってみました。

すると、待合所に並んでいたのは、3組の人たちだったので、
そんなに待たなくてもよさそうだったので、並んでみました。

ガラス戸の扉の向こうでは、5人くらいの家族がイタコさんのお話しを熱心に聞いています。

イタコさんの言葉に、ご家族はボロボロと泣きながら会話をされています。

料金は、口寄せ料金 一霊 四千円  と書いてありました。 


口寄せの様子は、ガラス戸の向こうに見えるし、会話も聞こえてくるので、

プライバシーもへったくれもあったものではありませんが、

そこはなるべくあまり聞き耳を立てないように、好奇心に駆られないように、気を遣います。


待合所で待っている人たちとは、何も言葉を交わしていませんが、

その場では、親しい家族を亡くした人たち同志が感じる、ある種の一体感のようなものが生まれていました。


口寄せがはじまる際は、イタコさんがちょっと物悲しい懐かしい感じのするある独特の歌を歌って、

その歌が終わったら、呼ばれた霊が自然にしゃべりはじめます。

もしも聞きたいことがある場合は、しゃべっている霊の会話に、割って入ってください、と告げられました。


この場に来るまでは、イタコさんの口寄せを体験してみようと思っても、
いったい誰を呼ぶか??についてはきちんと決まっていませんでした。

どうせ、インチキだろうと思っていたし、
もしも わが子を呼んでみたとしても、生まれる前に亡くなったわが子では、
実際は喋ったことがないので、どんな口寄せを話されても、わが子だとわからない。

亡くなった赤ちゃんに会いたいと要望を持ってくる人は山ほどいるだろうし、
ワンパターンな決まり文句を言われるだけだろうから、
どうせなら 呼んだ瞬間に、イタコさんの実力が本物かどうかわかるように、
舩井幸雄会長とか、夫のお父さんとか強烈な個性を持っていた人を呼んだほうがいいんでないの?

などと、イタコさんを試すような不謹慎なことを考えていたのでした。

しかし、小一時間ほど待合室で待った後に、ようやく私たち夫婦の順番になる頃には、
そんな邪な気持ちは消え去り、本当に呼びたい、心から会いたい娘を、呼ぶ決心がつきました。


「どなたをお呼びしますか?」と聞かれ

すぐに「亡くなった子どもを呼んでください」とお願いしました。

「では、お子さんの命日を教えてください。何歳で亡くなりました?」

「七か月半での死産です」

「わかりました。生まれてから亡くなった子ではないのですね」


そんな会話がなされ、あの独特な歌が始まりました。

歌が終わるとすぐに

「パパ、ママ、あのね、私ね、パパとママの子で良かったと思ってるよ・・・・」

と、イタコさんは子どものような甘えた声で話しはじめました。

彼女が、「パパ、ママ」という言葉を選んだ瞬間に、

「ああ、残念ながらこれはにせものだ」

とすぐに思いました。

横文字が好きでない私たち夫婦は、娘にパパ、ママと呼ばせる気は全くなかったのです。


にせものだーーと思ったとしても、イタコさんはそのまま話をゆっくりと続けていきます。

真面目にやってくださっているので、そこはちゃんと失礼のないように聞かねば・・・と話を聞いていると・・・・

「あのね、わたしね、買ってほしいものがあるんだー」

と、まさかの買い物おねだり。

亡くなった娘を肉体がないからと言って妙に神格化してしまっていた私にとっては、はじめてのおねだりにとまどい、
霊になったのに、けっこう物欲あるんやね・・・・笑、
ま、子どもやからね・・・・とちょっと微笑ましくもありました。

「いいよ。なんでも買ってあげるよ。何が欲しいの?」

「あのね、長靴が欲しいの。長靴履いて、水のところでチャプチャプしたいのよ」

「わかった。買ってあげるよ」

さて、そんな会話がなされた後、二日前の「ももちん」さんとの会話で気になっていた
「死」と「埋」の文字を思い出して、

「あのさぁ、お骨、どうしたらいいだろうね?」

と聞いてみました。

自分たちでどうしたらいいかわからないから、本人に希望を聞いてみるのが一番良いと思ったのです。

すると、

「うん。パパのところのね、お墓に、しばらく預かってもらってていいよ。

だって、転勤あるでしょ。

わたしね、引っ越しでいろいろなところに、連れまわされるの、嫌なの。

今みたいに家に置いといてくれても別にいいのだけど、私一人で留守番しているの寂しいし・・・・・。

パパのところのお墓で、おじいちゃんと一緒にいる!」


と、まさかまさかの超具体的なこたえ!!!!!!

たしかにいつかは転勤がある可能性はあるし、

たしかにいつも留守がちな我が家では、娘はいつもひとりぼっちなはず(犬はいるケド・・・)

そしてたしかに夫の実家のお墓には、おじいちゃん(夫の父)だけが入っています。


われわれ夫婦は、だって転勤あるでしょ、のあたりからすでに涙腺崩壊で、

おじいちゃんと一緒にいる!の頃にいたってはもう号泣でした。

「わ、、、、、わかった、、、、おじいちゃんのところにいようね・・・・・。」

声にもならないような涙声で、そう答えると、

「うん。パパ、もうこれ以上悲しまないでいいからね。

ママをよろしくね。

パパ、ママ、約束よ。長靴買ってね。

それからね、丸い、クルクルしたお花みたいなのあるでしょう。

ここではみんなね、あれ持ってるの。

だから、私もあのクルクルが欲しいの。

長靴履いて、水のところでチャプチャプして、クルクルもって遊びたい。

次にここに来るときに、必ず買って持ってきてね。」


というようなことを言って、それからちょっと予言的なことも喋って、彼女は去っていきました。


お腹を痛めたママではなくて、パパに「もう悲しまなくて良い」と言ってきたのも、

けっこう納得ができました。

私はこの一年くらいの間にクンルンネイゴンのおかげか十年以上月日がたったような気がしています。

目まぐるしく脳が変容していく中で、空っぽの思考が多くなって、
あの極限の「悲しみ」も、信じられないけれど普段の生活ではほとんど感じていないのです。
(ま、そこに至るまでには発狂寸前のイニシエーションを潜ってきたワケですが)

だから、ママではなく、パパにもう悲しまないで、と言ったのでしょう。

ママをよろしく、ってことは、これからも私は夫に苦労や心配をかけるのかもしれません(笑)。


普通の意識に戻ったイタコさんは、

「ピンクの長靴を履いていたけれど、女のお子さんだったのですか?先ほどは性別を聞かなかったけれど・・・」

と、聞いてきました。

確かに言われてみれば、死産の子ども、と命日を告げただけで、

性別は教えていません。

イタコさんには、はっきりと娘の姿が見えていたようでした。


大切な娘の言葉を伝えてくださったイタコさんにはただただ感謝の言葉しかありません。

料金をお支払いして、その場を離れる頃には、

待合所には長蛇の列ができていました。


大泣きした後に、茫然とするわれわれ夫婦は、次の予定を練り始めました。

その日の夕方には、熱海へ帰る新幹線を予約しています。

午後からは、仏が浦などを観光する予定を立てていました。


しかし、娘に 「また来るときは長靴を買って」と頼まれたし、

次にいつ恐山まで来ることができるかわかりません。
熱海から恐山は、うんざりするほど遠いのです。


ということで、急遽長靴を買いにいくことになりました。

都会では子どもの長靴を買いにいくのはそんなに大変ではないかもしれませんが、

ここは恐山です。

長靴買いにいくのも大変なほど、かなりの山奥なのです。

カーナビで、イオンを探したけれど、見つからず、
子ども用品の西松屋で検索してみたら、車で30分のところにヒットしました。

子どもの品物を買ったことがない私たちにとっては、
西松屋に長靴が売っているのかもわかりませんでしたが、とりあえず30分かけて行ってみました。


すると、(当然ながら)長靴コーナーがありました!
無地のピンクの長靴は一足のみ!!

イチゴ柄のピンクの長靴は十足以上あったので、
ピンクなら何でもいいだろう と思っていたいい加減な私は、

「無地とイチゴ柄どっちがいい?」

などと夫に聞いたのですが

「ピンクの長靴と言っただけで、イチゴ柄とは言わなかったのだから、
無地を買うべきだろう」

と夫にたしなめられました。

サイズを見てみると、ちょうど私の娘が生きていたらこのくらいのサイズだな、と予測できるサイズでした。

他の色 や 柄の 長靴はすべて何十足もあるというのに、
ピンクの長靴は一足だけで、しかもちょうど娘にぴったりのサイズ、ということで、
これもなんだか娘からのメッセージのような気がしました。

長靴を買って、恐山に戻ってから、娘が欲しがっていたクルクルのお花みたいな風車も買いました。

ちなみに我が家には、今回口寄せで出てきてくれた娘だけでなく、
その前に流れてしまった子たちもいたので、
ケンカにならないように、人数分買いました。

硫黄が成分がきつくて、特定の生物しか棲めない、
こわいほどに美しい湖の湖畔で、長靴を履いてゴキゲンな娘たちを想像しながら、お祈りをしました。


ありがとう。ありがとう。ありがとう。

そして、ごめんね。

ふがいない私たち夫婦を「親」にならせてくれて、ありがとう。

命をかけて、たくさんの気づきをプレゼントしてくれて、ありがとう。

私たちもきっとがんばるから、もうそんなに心配しなくていいから、
あなたたちもそちらの世で自分の役割を全うしてね。

離れていても、心から、愛しています。

長靴.JPG

恐山の優しい大地は、私たちのせつなさも、悲しみも、やるせなさも、

ただただ黙って、じっと見守って、そっと抱きしめ包み込んでくれました。


なんともせつなく悲しく、そして温かく幸せな雰囲気で過ごしながら、
私たち夫婦の青森の旅は終わったのでした・・・・・・・・・・。


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ふーーーー、長い文章ですみません。
いや、でもこの文章書くの、私にとってはけっこう体力使うんですよ。


イタコさんの口寄せは、世間一般では、いろいろ意見が分かれておりますが、
我々夫婦にとっては、とても印象深く、ありがたく思い出深いものになりました。

これはどの意見が正しいとか、このイタコさんだけがすごいとか、
そういう問題ではなくて、
担当するイタコさんの要素に加えて、受ける側の切実さとか、タイミングとか、
いろいろな要素が混ざり合って、いろんな結果が出るのでしょうね。


さて、後日談ですが、

熱海に到着してから、夫の母に電話をして、
お墓に娘の遺骨を入れてもらうお願いをしました。

いくら熱海と北海道で離れているとはいえ、夫は長男ですから、
お墓を守っていかねばなりません。


われわれ夫婦が、大切な娘の遺骨を 遠く北海道に埋葬すると決めたら、
全く別のルートで、別の物語のある、
アイヌの衣装が、我が家に届きました。

ishou.jpg


ひと月以上前から、ひょんな偶然から注文してあったのですが、
売主も、買主も、心底びっくりするような立派な衣装が届いたのでした。

このタイミングで衣装を受け取って、なんだか北海道の土地の神々や、先祖たちから、
仲間として認められた気がしました。

もっと深淵な、もっと切実な、言葉にならない言葉なのですけれど、
便宜上超簡単な言葉で訳すと、

「北海道は、いいところだよーん。いつかは住んでくれるのまってるよーん」

というような熱烈ラブコールを受けているような気分です(笑)。


こんな流れがあって、急遽、舩井フォーラムでアイヌの衣装を着て講演することになったのでした^^

(注文した時点では、こんなにすごいのが来るとは思ってなかったし、
 どうせ着るところもないから、パジャマか部屋着にする予定でした(爆)。)

本当はこの一連の物語にはもっとたくさんのシンクロがありますが、
こういう流れをいちいち書き始めると、どれだけ文章を書いても、
終わりが見えてきません。
だからいろんなことはいまのところ沈黙しています。

こんなふうに、いろんなことが、いろんな流れで、複雑にまざりあって、
すべてがつながって「いま」があります。

言葉で表すと、部分的に、断片を取り出すことしかできないけれど、
いろんな流れを察知していくと、
われわれは一人では生きていないことが本当によくわかります。

見えるものも見えないものも、過去も、未来も、
すべてがつながっていて、すべてが同時にあって、すべてが流れている。

今の私ではわからないことのほうが断然多いけれど・・・・・

個の特性を最大限に発揮しながら、全体とつながって生きていきたいと思っております。

長い文章をお読みいただき、ありがとうございました。



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