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祈りの島、久高島

皆様こんにちは。もう夏も真っ盛り。多くの小学生は夏休みに入ったようですね。

熱海では海水浴にいらっしゃる観光客の方々がだんだんと増えてきました。

最近の熱海はメディアの影響かとても観光客の方が多いです。

土日の駅前なんて、原宿並みの人の多さですが、(駐車場に車を停めるのに一時間もかかったりします)
せっかく来ていただいても熱海は意外とシャッター街が多いのでなんだか残念です。

民芸品などの作家さんや若い芸術家の方、はたまたおいしいごはん屋さんなど、
熱海で出店すると、たぶん家賃も安いし、お客さんもたくさんいるし、なんといっても自然豊かなので、
ぜひ熱海暮らしをチャレンジしてみてほしいなぁと思っております。

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7月の18,19、20日と、秋山佳胤先生のロータスカフェ@久高島 のツアーにスタッフとして行ってきました。

スタッフとはいえ、私は細かい作業が苦手で宴会部長としても気が利かないのであまりお役に立てず(苦笑)、
その場で少しだけ講演をして、あとから原稿を書く係です。


今回の久高島ではどんな旅になるのかなーととても楽しみにしておりました。

じつは久高島には強烈な思い出があります。

2008年の4月13日、結婚式を一週間後に控えた私は一人で久高島に行きました。

その前の数年間、舩井会長の秘書という怒涛のような忙しさで仕事だけをしてきて、
結婚式の前にはじめて1週間のお休みをいただいたので、
その日程で沖縄の離島で友達とバカンスを過ごす予定でした。

当時の私は、仕事の忙しさに加えて、川崎から熱海まで往復5時間の通勤時間と、
お見合いで知り合った夫との二人での生活で完璧な家事を求められ、
心も体もボロボロになって、こりゃもうバカンスにでも逃げないと本当に気が狂うか自殺する・・・・と思うギリギリの状態でした。

一か月以上も、連日38度以上の高熱が出る中で、
フラフラになって毎日泣きながら通勤していたのも、今となれば良い思い出です。

あまりに真面目でストイックな性格で、今のいいかげんさを、当時の私にちょっとでも分けてあげたいと思うのですが、
あの頃にストイックな生活ができたからこそ、現在これだけいいかげんになれているのだなと思います・笑。

で、友達との楽しいバカンスの前に、
別のお友達の紹介もあって、祈りの島である久高島に一泊することになっておりました。

当時の私は、我こそが地球を救ってみせる!みたいな変な気負いというか勘違いがあって、
聖地や神社などに行く際も、じつは非常にストイックな気持ちで行っておりました。


そして、当時は12年に一度行われるイザイホーという大変な歴史としきたりのあるご神事を、
なんとか復活させたい というようなことを島の方々が思われていたようで(後継者がいないため1978年以来行われていません)
島の人のお話しを聞くために、ある家庭で夕食をごちそうになりました。

生涯を祈りに捧げてきた方々の家で夕食をごちそうになるときに、
その家の子供が見るためになにげなくついていたテレビが、なんと映画「日本沈没」でした。

私はそこの人たちと世界平和の祈りのための会話をしながら、
真横で延々と流れ続ける「日本沈没」を横目で見ていて、
なんだかギャグみたいなこのシチュエーションは何なのだろう・・・・・と、思っていたのでした。

そしてその日の夜中・・・・・・・・ほとんど朝方に夫から電話がありました。

なんと、その日までぴんぴんと元気だった義父が夜中に急死したというのです。
死因は、心不全だったのか何なのか、医者の診断はいちおうあったけれどもよくわかりませんでした。

そんなこんなで、沖縄でのバカンスは当然ながら急遽とりやめて、
沖縄本島への船をチャーターして沖縄に戻り、船着き場からタクシーを呼んで、
その日のうちに、夫の実家である北海道へと行くことになったのでした。
たったの一日で、沖縄から北海道まで、日本縦断です。

お通夜、お葬式、親戚一同への結婚のお披露目、五日前の結婚式のドタキャン、それに伴う諸連絡等など
ありとあらゆることが一挙に起こりました。

さらに小さいながらも会社の経営者だった義父が突然亡くなったのですから、
さまざまな事務手続きや問題が次から次へと起こります。
そういうドタバタ劇が結局落ち着いたのは、それから数か月後くらいでした。

そんなこんなで、私の久高島に対する思い出といえば、
見た目は何もない自然だけの島だけれど、見えない世界ではすごいことになっていて、
なんだかびっくりするほど大変な目にあった島だった、というものでした。


さて、そんな思い出を持った久高島、スタッフで呼ばれたものの、
どうして自分が呼ばれたのかよくわかりません。
どう考えてもお客様の数に対してスタッフの数は多いのです。

しかし何事も必要、必然、ベスト。起こることは起こるのです。
頭では理解できないけれども、どうしても、行かねばならない理由があったのでしょう。

5月、6月と、私は別件で二度も北海道に行っていました。
そしてなぜだか、アイヌ民族についてたくさん学ばねばならない気がして、
歴史の資料を読んだり、アイヌの民話を読んだり、アイヌの祈りの歌のCDを聞いたりして、
アイヌの人たちの祈りについての思いを馳せていたのでした。

そして7月の沖縄・久高島です。

北から南へと続く旅で、なんだか7年前のあの日を、逆からたどっているような気分になりました。
たかが7年、されど7年、思えば遠くへ来たもんだ~、と感慨深い思いでした。


久高島では、真栄田苗さまにご案内いただきました。
苗さんは世界のために日々祈っておられるとても素敵な女性でした。
苗さんのお話しを聞いて、いかに久高島の方々が、世界のために祈りを続けてくださったかが、よくわかりました。

苗さんからいろいろな場の説明を受けていると、白い大きなチョウチョとか、小鳥がやってきて、
まるで道案内をしてくれているようでした。
また、私には見えませんでしたが、苗さんが呼ぶとウミガメもよってきて、顔を見せてくれたそうです。
苗さんのピンと伸びた背中の後ろ姿は、とてもカッコ良かったです。


また、祈りの島久高島でいただく秋山佳胤先生のロータスカフェは、
これまた絶品でした。

秋山先生の珈琲は、ただその珈琲をいただくというそれだけのことが、
祈りにつながると思います。
どれだけの愛情と祈りをこめて秋山先生が珈琲を入れていらっしゃるか、
久高島でいただくことによって、よくわかりました。

もちろん秋山先生はとても謙虚な方なので、
自分からそんなことはおっしゃいませんが、
なにげなさの中に祈りがあるその自然体の姿勢が、私はとても素敵だと思っています。


久高島の旅で何を感じたか、はあまりにも感慨深すぎて、
たぶんうまく言葉にできません。

久高島にいるというのに、なぜだかアイヌの人たちの祈りや思いを感じていたり、
本州、四国、九州の人たちの思いを感じていたり、
はたまたアマゾンやアフリカ大陸の方々の祈りを感じていたり・・・。
いろいろな人の立場に思いを馳せることになりました。


陰も陽も、光も闇も、見える世界も見えない世界も、
両方目をそらさずに見てきました。

祈りの島である久高島、そこは世界の縮図のようでもあり、
小さいながらもさまざまな人間模様がある。
それは久高島だけでなく世界中どこでも起こること。

ある一部分に光を照らすと、必ずそこには影ができる。
みんなはそこで光だけを見たがるけれど、
そこで影になった存在、口を閉ざしひっそりと涙を流した声の小さき存在たち。
そんな声なき声を大切にしたいと思いました。

光だけを見るのでなく、かといって闇だけを見るのでなく、
その両方を見て、そこに判断や解釈ははせず、ただそのまま眺める。

久高島の悠久の時を感じながら、ずっとずっと祈り続けてきた人たち、
そしてそれら祈りのしきたりに縛られて苦しんできた人たち、
そんな祈りには関心をしめさず、ただ見える世界だけで目先の利益を得ようとする人たち、
いろんな思いが入り混じった中を、ただただ眺めて感じて過ごしました。


そうしてただ眺めるだけで、
自分なりに、祈りとはどうあるべきか、を見つめなおす旅になりました。


そんなこんなで、三日間いろんな思いの入り混じった素敵な日々を過ごすことができました。

ご参加の皆様、秋山先生、苗さん、かかわってくださった皆様、本当にありがとうございました。

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