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大本の亀岡天恩郷に行ってきました

にんげんクラブの皆様こんにちは。新緑の美しい季節、皆様いかがお過ごしでしょうか。

ここ最近の私は、京都や仙台、東京などに行く機会があり、いつもより少し移動が多い時期を過ごしています。かつて舩井会長は移動距離の長さはその人の情報量の多さに比例するとおっしゃっていたことがありますが、なるほどたしかに移動が多いとそれだけいろいろな人やいろいろな空気に出会うことができて、たくさんの情報が得られるようですね。

さて、先日は京都に行く機会があったので、お友達の出口さゆりさんに連絡をとってみたら、彼女の家に泊めてもらえることになりました。

出口、という苗字ですでにピンと来た方もいらっしゃるかもしれませんが、さゆりさんは出口王仁三郎さんのひ孫にあたる方で、出口眞人さんのお嬢さんです。

さゆりさんは10年ほど前に、一年間だけ株式会社舩井本社の秘書室に勤務されていました。私が入社する頃にちょうど寿退社され、ほんの1、2ヶ月だけ職場でご一緒させていただいたご縁があります。彼女はとっても優しく奥ゆかしい女性であり、10年前の私は波動の粗さゆえにいろいろな失敗をしでかしたと思うのですが、豪快に笑って許してくれるような懐の深さがありました。

さゆりさんとはそのうち絶対に亀岡に遊びに行くね、と約束をしつつも、なんとなく機会が訪れず、年賀状のやりとりだけが続き、10年たってようやく彼女のもとに遊びに行くことができました。


前回のブログで「昭和の七福神」について書いた際には、そんなプランは全然考えもしなかったにもかかわらず二日後にはさゆりさん宅にちゃっかり泊めていただくこととなって、なんだか王仁三郎さんから「おいで」と呼ばれたような気持ちになりました。

そして、前日の急なアポイントにもかかわらず、泊まりにおいでと気楽に言ってくださったさゆりさんの懐の深さは健在で、やっぱりさすがだなぁと思いました。

さて、亀岡の聖地、天恩郷を少しご案内していただくと、とっても空気のきれいな場のいいところでビックリしました。かつて第二次大本事件で徹底的に破壊された場だとは教えてもらうまでわからないほどに美しい場でした。

王仁三郎さんの書かれた書や美しい耀盌をギャラリーおほもとで鑑賞し、その芸術性の高さにも驚きました。

王仁三郎さんを身近に感じてみると、今まで自分はすごい勘違いをしていたことがわかりました。というのも、限られた書籍の中や写真でしか王仁三郎さんの存在を知らなかったために、勝手な想像で、豪快で猛々しく、タイプで言うと力士のような方なのかなぁと思っていました。

ところが実際に亀岡で魂を感じてみると、繊細で優しく、女性のような柔らかさと暖かさを持った人のように感じました。10年近くも勝手な勘違いをしていた自分にあきれるとともに、やっぱり実際に会ったり(今回の場合はすでにお会いできないので魂を感じただけですが)、訪ねたり、経験したりしなければ、本当のことってわからないのだな、と思いました。


ところで案内してもらった時刻は、ちょうど夕方に礼拝をする時間だったので、せっかくだからとご一緒させてもらったのですが、ちょっと不思議なことがおこりました。

というのも、私は3ヶ月前くらいから原因不明の痙攣に悩まされていました。しゃっくりのように体全体が意思とは関係なしに痙攣することが続き、特に夜になるとひどくなりバタバタと手足が勝手に動いて白目をむいてしまうほどでした。はじめは脳の病気かなと怖かったのですが、どう考えても医者に行って治るような性質のものだと思えなかったので、そのまま放っておきつつも、日常生活にも支障をきたしつつあったのでほとほと困っておりました。

そんな中、天恩郷の神殿で祝詞を奏上している間、その痙攣がピタっと止まったのです。それ以降は、あんなにひどかった痙攣が、3割程度に減りました。これには非常に驚くとともに、亀岡に来させていただくことになったご縁をひしひしと感じました。


その晩はさゆりさんの美味しい手料理をいただき、朝は我が家の夕飯よりも手の込んだ美味しい朝ごはんもいただき、さらには竹の皮に包んだお昼のおにぎりまでご用意していただいて、至れり尽くせりでお世話になりました。

仕事もしつつ、息子さんの子育てもしながら、こんなふうに温かいおもてなしがサラリとできるさゆりさんはすごいなぁと、とても尊敬しました。


その後、亀岡を後にして、京都での別件の用事をすませて家路につきながら、なんだかこれからも大本とは深いご縁がありそうだな~と思いました。


さて、それから1週間と少したって、21日に突如さゆりさんからメールがあり、東京で父の出口眞人さんの講演会が夕方にあるとお知らせがありました。
その日はちょうど東京にいたので、急なお誘いにもかかわらずぴったりのタイミングで講演を聞かせていただくことができました。

王仁三郎さんのお人柄がよくわかるエピソードや、日本の役割など、聞きたかったお話しがたくさん聞けて、とても嬉しかったです。

そんなこともあって、やっぱりこれからは大本とただならぬご縁があるような気がするな~と思いました。

そして、今この記事を書くまで知らなかったのですが、出口王仁三郎さんの命日は、昭和23年の1月19日なのだそうです。舩井会長も1月19日が命日なので、お二人にはやっぱりご縁があったような気がしてなりません。

最後に、出口眞人さんのテキストより、王仁三郎さんの書かれた「ミロクの世」についての記事をご紹介して、この原稿を終えたいと思います。

王仁三郎さんも舩井会長もずっと夢見続けたミロクの世、だんだんとそうなりつつあるような気がしています。


● ミロクの世とは

善い事をすればよくなり、悪い事をすれば悪くなる世を称してミロクの世というのである。今までの世は、悪いことをしても旨く世間をごまかすことができれば立身出世もできるし、善い事ばかりをしていても、虐げられ苦しめられ悲惨な境遇に泣かなければならぬものも数多くあった。これは悪魔の守護する世であったからである。ミロクの世になってからは最早かかる不合理は許されない。善いことをすればどんどんよくなり、悪いことを企つれば片っ端から打ちくだかれ、悪の思わくは一つも立たぬ正しい世の中になるのである。

ohomoto.JPG
(亀岡の天恩郷にある月の輪台。一説によると、王仁三郎さんの魂はここに鎮まっておられるそうです。たしかに優しい王仁三郎さんの魂を、ここで感じたような気がしました。)



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