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大和の国から、霊界物語り

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第20回 スサノオの八人の娘と、悪の帝王・大黒主


日本神話ではスサノオには3人の娘(アマテラスとの誓約のときに生まれた
三女神)がいますが、霊界物語には、3人の娘の他に、8人の娘が出てきます。
彼女たちを八人乙女(やたりおとめ)といいます。
八人乙女にはそれぞれ一人ずつ侍女(付き人)がついており、八人乙女の初
登場のシーンでは、この計16人の美しい女性が一斉に登場して、悪の親玉を
取り囲んで改心を迫るのです。
美しいだけでなく、強い女性たちです。


第15回の「女の宣伝使と王仁三郎の男女観」でも八人乙女について少し触
れましたが、今回は侍女も含めて16人の名前を書き出してみましょう。

 
    【八人乙女】      【侍女】
長女  愛子姫(あいこひめ)  浅子姫(あさこひめ)
次女  幾代姫(いくよひめ)  岩子姫(いわこひめ)
三女  五十子姫(いそこひめ) 今子姫(いまこひめ)
四女  梅子姫(うめこひめ)  宇豆姫(うづひめ)
五女  英子姫(ひでこひめ)  悦子姫(よしこひめ)
六女  菊子姫(きくこひめ)  岸子姫(きしこひめ)
七女  君子姫(きみこひめ)  清子姫(きよこひめ)
八女  末子姫(すえこひめ)  捨子姫(すてこひめ)

全部覚えるのは大変そうですが、実は名前は五十音順に並んでいるので、
覚えるときの助けとなります。ただし英子姫は「えいこ」ではなく「ひでこ」、
悦子姫は「えつこ」ではなく「よしこ」と読むのがポイントです。

8人姉妹なのに何故か年齢はみな同じような年なんです(推定10代後半~
20歳くらい)。これは八つ子(!)とかではなくて、スサノオが捨て子を拾って
自分の養女にしたのです。
そして彼女たちは世界を言向け和す女戦士として養成されたのでした。

   ★   ★   ★

この八人乙女が最初に登場するのは、第15巻第3章「十六花」です。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm1503

メソポタミヤの顕恩郷(けんおんきょう)にバラモン教の本山があり人々を苦
しめていました。そこへ八人乙女が潜入します。
バラモン教というのは霊界物語に出て来る邪教集団の一つです。
そのバラモン教の「大棟梁」(大統領)で「大教主」をしている邪神の名は、
大黒主(おおくろぬし)と言います。悪の帝王です。
ただしまだこの時(第15巻)は鬼雲彦(おにくもひこ)という名前で、後に大黒
主と改名します。

八人乙女はスサノオに命じられ、鬼雲彦を言向け和すため顕恩郷に潜入し
ました。
8人の侍女たちはもともと鬼雲彦に仕えるバラモン教の信徒でしたが、八人
乙女に感化されて三五教に改宗したのです。

そしてある日、三五教の宣伝使の一行が、バラモン教を言向け和すために
顕恩郷に現われたとき、16人の美女たちは実は自分たちも三五教だとカミ
ングアウトし、短刀(懐剣)を手に手に持って鬼雲彦夫婦を取り囲み、罪を
悔いて改心せよ、と迫るのです。

しかし鬼雲彦夫婦は2匹の大蛇となって空高く逃げて行ってしまいました──。

さて、ここでこういう疑問が起きた人もいると思います。『言向け和すと言い
ながら、刃物で脅すようなやり方をするなんて、それってどうなの?』と。

脅迫では人の心は和せませんよね。逆に頑なに縮こまってしまいます。
仮に改心したとしても『怖いからとりあえず改心したふりをしておこう』という、
偽の改心です。子供や部下を叱る時もそうですが、叱り方に注意をしないと
『叱られると嫌だから○○しよう』という、他律的な態度になってしまいます。
大本神諭に「発根(ほっごん)の改心」でないといかんぞよ、というようなフレー
ズがたびたび出てきますが、この「発根の改心」を促すようなやり方でないと
宣伝使失格です。

八人乙女は、これが宣伝使としての初陣でした。まだ駆け出しなので、脅迫
的・威圧的な方法を使ってしまったのです。
宣伝使と悪党が対峙する場面が霊界物語に沢山出てきますが、悪党が逃
げてしまうような時は、宣伝使のやり方に問題があるようです。

   ★   ★   ★

この後、16人の女性たちは神様のお道を伝える宣伝の旅に出発します。
しかしこのうち5組10人の女性はバラモン軍に捕まってしまい、朽ち果てた
小舟に乗せられて海に流されてしまうのです。
一種の流刑です。
海流に流され、遠い島に漂着し、それぞれその土地で三五教を広めて行き
ます。


三女・五十子姫、侍女・今子姫 竜宮島(オーストラリア)第24~25巻
四女・梅子姫、侍女・宇豆姫  竜宮島(オーストラリア)第24~25巻
五女・英子姫、侍女・悦子姫  オノコロ島(日本)   第16~18巻
七女・君子姫、侍女・清子姫  シロの島(セイロン島) 第36巻
八女・末子姫、侍女・捨子姫  高砂島(南米)     第30巻

フツウの人なら拉致され海に流されて悲嘆に暮れるところですが、彼女たち
は流れ着いた土地を天与の新天地だと受けとめ三五教を広めて行きます。
さすがスサノオの娘たちです。
たとえどのような境遇にあっても常に前向きに考える。このような姿勢は三
五教の教えの一つ、進展主義(積極主義)と言います。

五女の英子姫と悦子姫はオノコロ島の天の橋立に流れ着き、そこで再び鬼
雲彦と遭遇することになります。メソポタミヤの顕恩郷から逃げた後、オノコ
ロ島に落ち延びてアジトを築いていたのです。
しかし、三五教の宣伝使たちに追われて、またまた逃げ出します。そして今
度は「月の国」の都に現われ、宮殿を築いて、バラモン教の大教主として君
臨するのです。

月の国とは現代のインドのことです。霊界物語は全部で83冊ありますが、
その半分くらいは月の国と「フサの国」(ペルシャ=現代のイラン)の辺りが
舞台となります。

インドとイラン──アメリカや中国なんかと較べると、日本人にはあまり馴染
みのない国ではないでしょうか?
まして霊界物語が書かれた大正時代は、日本から見て、それほど注目され
た国ではなかったと思います。大戦の主戦場はヨーロッパと太平洋ですし、
当時インドはイギリスの植民地、イランはイギリスやソ連によって侵略され
つつありました。
当時、霊界物語を読んだ人は、なぜイラン?なぜインド?と首を傾げたこと
でしょう。 イランを含む中近東が世界の注目を浴びるようになったのは
第二次大戦後のことです。イスラエルの建国や、石油権益によって、世界の
火薬庫と化してしまいました。
今なら、なぜイラン(中近東)なのか、というのも何となく納得できます。
しかし、インドは?? なぜ??


====================
...神素盞嗚大神(かむすさのおのおおかみ)の主管したまうコーカス山、
ウブスナ山の神館(かむやかた)に集まる神司(かむつかさ)も、この月の
国のみは何故かあまり手を染めなかったのである。...神素盞嗚大神は
オノコロ島をはじめ、フサの国、竜宮島、高砂島、筑紫島等はもはや三五
教の御教えに大略信従したれども、まだ月の国のみは思うところありまし
てか、後回しになしおかれたのである。それ故、大黒主は思うがままに
跋扈跳梁(ばっこちょうりょう)して、勢力を日に月に増殖し、ついに進んで
三五教の本拠を突かんとするに立ち至ったのである...
〔霊界物語 第39巻第1章「大黒主」〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3901#a137
====================

何らかの意図があってスサノオの救世の活動は、インドでは後回しになって
いたというのです。
そのインドに悪の帝王・大黒主のアジトがあるというのは、一体何を意味して
いるのでしょうか??

つい先日、日本の新幹線がインドに採用されたというニュースがありましたが、
インドでは未だに厳しいカースト制度が根付いていて、最下層民は車に引き
殺されても泣き寝入りの状態です。

しかしこれから色々な意味で、インドが世界の注目を浴びるようになるはず
です。


第19回 「邪神」「邪霊」「邪気」を言向け和す


騒動の中、安保関連法案が可決されました。
マスコミ各社の世論調査を見ると、会社によって数字がかなり異なり、賛否同数の
結果もあれば、反対派が賛成派の2倍という結果もあります。
しかし全体的に見れば明らかに反対派の方が多いようです。

反対派から見れば、賛成派は「悪」ですね。戦争をする法律を作るなんて怪しからん
話ですね。
逆に賛成派から見たら反対派が「悪」です。他国が侵略されて困っているのに
助けようとしないなんて非道い奴らです。

しかし本当の悪は賛成派でもなく、反対派でもありません。
互いに相手を悪だと誹り罵り、憎悪や分裂、争乱を作り出していることが、
この世からなくさなくてはいけない真の悪なのではないでしょうか?


   ★   ★   ★


出口王仁三郎は、この世を乱している「邪神」の奥に、「邪霊」の存在があることを
明らかにしました。
邪神(悪神、曲津とも呼ぶ)は生まれたときから邪神なのではなく、もともとふつうの
人(神)です。心が曲がると悪人(悪神)になります。改心すれば
またふつうの人に戻ります。
しかし邪霊は最初から邪な存在です。

邪霊には三種類あります。
大蛇(おろち)、悪狐(あっこ)、邪鬼(じゃき)の三種で、それぞれ働きが異なります。
(霊界物語第1巻第18章参照)


●八頭八尾の大蛇(やつがしらやつおのおろち)・・・ロシアのあたりで発生。
八岐大蛇(やまたのおろち)とも呼ぶ。権力者などに憑依して、社会を分断し、
互いに闘争させるような働きをする。

●金毛九尾白面の悪狐(きんもうきゅうびはくめんのあっこ)・・・インドのあたりで発生。
権力者の妻などに憑依して、情欲を使って男を籠絡するような働きをする。

●六面八臂の邪鬼(ろくめんはっぴのじゃき)・・・ユダヤの地(イスラエル?)で発生。
既存の組織を破壊して自分が盟主となって世界を支配しようというような働きをする。

ロシア、インド、ユダヤというのは、あくまでもそれが発生した地理的エリアを指すのであって、
ロシア人、インド人、ユダヤ人という意味ではないので誤解のないようお願いします。
邪霊は人種・民族問わず誰にでも憑依します。


これらの邪霊は人の心の隙間に入り込んできます。
不安や恐怖、野心、執着、憎悪、嫉妬などの気持ちを抱いたときに
スーと入り込んでくるのです。


八岐大蛇は、たとえばセクトを作り、垣根を築いて、他のセクトを敵視して、
社会を分断して行くような働きです。
政界はもちろん、企業の中、宗教団体の中などで権力闘争に明け暮れている人たちは、
たいていオロチに憑依されていると考えていいと思います。
しかし一つの胴体に頭が八つあるオロチですから、一見複数のセクトに分裂しているように
見えても、同じオロチの異なる頭に過ぎないのです。
つまり「双頭戦略」というやつです。権力闘争で誰が勝っても、ほくそ笑むのはオロチなのです。

金毛九尾の悪狐が使うのは色欲です。霊界物語を見ると、女に憑依するケースが多いです。
代表的なのは悪役の常世姫や高姫です。
しかし女だけでなく男にも憑依します。異性を誘惑するのは女に限りませんからね。
色気で迫って異性を手玉に取って操るのです。権力を持つ夫の耳元で悪魔の囁きをして
闘争を起こさせたりします。
水商売の女性は憑依されやすいかも知れません。
結婚詐欺師は確実に悪狐に憑依されてますね。
しかし色気で迫るだけが悪狐ではありません。
亭主を尻に敷いて威張っているオバチャンなんかも憑依される可能性があるので要注意です。
高姫がそのタイプです。

六面八臂の邪鬼の働きは、世界支配です。オロチの働きと区別がつきにくいかも知れません。
政界を見ると、ともかく自分が派閥のボスとなって新党結成したがる人がいる一方で、
派閥連合体を作って大きな勢力を得ようと暗躍する人もいます。
オロチの方は自分が前に出たがるかも知れませんが、邪鬼の方は黒幕でもいいのです。

六面八臂というのは、霊界物語では「六面八臂」ですが、一般には「八面六臂」という
言葉が使われます。八つの顔と六つの臂(ひじ)を持つということで、一人で何人分もの活躍をする、
多方面の活躍をする、という意味です。

霊界物語に六面八臂とは、「ある時は老人と化し、ある時は幼者と変じ、美人となり醜人と化し、
正神をよそおい、ある時は純然たる邪神と容貌を変じ、もって神変不思議の魔術をおこなう者」
のことで「一切百種の技能に熟達し居るの意義なり」と書いてあります(第4巻第36章)。

たしかに黒幕というのはそういうものなのかも知れません。
たとえば○○党に行っては工作し、××党に行っては工作をするのです。
色々と顔を変えて行かなくてはいけませんよ。
実際の物理的な顔を変えるのではなく、相手が信頼してくれるような顔をして行くのです。
こっちの党とあっちの党では、求めているものが違いますからね。
あっちには京都の八ツ橋を手土産に持って行き、こっちには奈良漬けを持って行くのです。
そういう器用さがないと、世界の人々を操ることは難しいかも知れませんね。

オロチの方は支配というより、闘争です。闘争のために敵を作り、垣根を作るのです。
悪狐は個人を支配しますが、邪鬼は個人というより社会の支配です。


邪霊は一部の悪党にだけ憑依しているのではありません。
誰でも悪しき想念を持つと、邪霊が憑依して来ます。
しかし心を改めれば出て行きます。
憑依した邪霊を祓い清めることが「言向け和す」(ことむけやわす)だと言ってもいいでしょう。

   ★   ★   ★

世界を言向け和すにはいくつかの段階があるようです。


(1)まずは自分自身を言向け和すことです。

自分の中に、嫉妬や憎悪、執着、敵愾心などあったら、他人を言向け和すことなど
とうていできません。
身近な例で言うと──家族や恋人、友人などと口論をするときに『自分が正しい』と
思うことは多々あると思います。それを否定されたり無視されたりすると『悔しい』と感じ、
ムキになって自分が正しいと主張します。そうしてケンカとなります。

そのときもし仮に相手が主張を引っ込めたからといって『言向け和せた』などと思っては
いけません。単に理屈で言い返せずに黙っただけかも知れませんよ。
口論というのは口が達者な人が勝つのです。「つよいものがち」のやり方です。
論破することと言向け和すことは全く異なります。
口で言い負かしてしまうと相手の心に中に『負けて悔しい』という不満が積み重なり、
いつか爆発して取り返しのつかない大ゲンカが起きる可能性があります。
自分が正義だと主張している間は相手を言向け和すことは絶対にできません。
『自分が正しい』と思うその気持ちを言向け和すのです。
だからと言って『自分が間違い』だと思え、という意味ではありません。
自分は正しい、正しい、という、その凝り固まった気持ちを言向け和すのです。

(2)次に他人を言向け和す段階です。

1と2は「邪神」を言向け和す段階ですが、邪神というのは要するに悪しき想念を
持っている人です。まずは自分という邪神を言向け和すのが先決です。
おそらく自分を言向け和せた時点で、今まで敵だと思っていた相手に対する見方が
大きく変わっていると思います。そこには何かに怯えている人がいるに過ぎません。
嫉妬だの憎悪だの、それらの根源にあるのは、自分の存在を否定される
恐怖ではないでしょうか?

(3)そして次に「邪霊」を言向け和す段階です。

これは少々超能力的な話になってきます。
邪霊は本質的にこの世を破滅させる悪なる存在ですが、それを言向け和して、
神の御用に仕えてもらうのです。
霊界物語で、宣伝使が言霊を宣り上げてヤマタオロチを言向け和すと、
オロチは女神となって天に昇った・・・というようなシーンがときどき出てきます。
日本古来から怨霊信仰というものがありますが、人々に災厄を与える怨霊を鎮めて、
祀ることで、逆に人々に恵みを与える善霊に変えてしまうのです。

(4)最後が「邪気」を言向け和す段階です。

王仁三郎は「邪神」の背後にある「邪霊」の存在を説き明かしただけではなく、
それの発生源として「邪気」の存在を指摘しました。
邪気とは、この宇宙の修理固成の過程で発生する残りカスのようなもので、
ランプについた煤(スス)のようなものです。それが凝り固まって邪霊になると言うのです。
また、私たちが嘆き悲しむときに吐く「溜め息」のようなものも邪気となるようです。
たとえば電波や電気は人間の精神に有害ですが、そのように、
人間の精神に異常を来すような存在(物質?エネルギー?)が地球上にたくさんあるわけです。
人間界から発生したものだけでなく、自然界の営みの中で発生しているのです。
社会をかき乱す悪い奴らがいるのは事実ですが、「邪気」というのは
そういうレベルの話ではありません。
邪気によって、そういう悪党が生まれ、私たちもまた邪悪な念を持ってしまうのです。
邪気が凝って邪霊となり、人間に憑いてますます人間を悪化させてゆくわけです。
もうそうなると、人間だけで対応することは不可能です。そこで「神権発動」となります。
地球の、いや宇宙の大修秡によって、邪気を祓い清めることが、今、これから行われます。
要するに天変地異ということです。
それによって宇宙エネルギーは循環し、邪気もまた新たに宇宙の生成化育のために
役立つエネルギーとなるのでしょう。

しかし今もし天変地異が起きたらどうなるでしょう? 
折しもシリアの難民がヨーロッパに流入して大問題になっています。
人道的見地から難民を受け入れようという人もいれば、受け入れに反対する人もいて、
対立が激化しています。
あれは人災(シリアの内戦)による難民ですが、これから気候や大地の変動によって
難民が大量に発生するようになります。
そのとき私たちは、どう対応するのでしょうか? 
受け入れることができるでしょうか? 
地域住民の半分以上が外国人になっても一緒に暮らせるでしょうか?


これが明治25年から艮の金神さんが発し始めたメッセージであります。
人間界だけで解決できる問題ではないので、宇宙の大修秡を始めるよ。
しかし人と人との間に敵愾心があるようでは、その大艱難を乗り越えられないよ──と。

社会が混乱すればするほど「言向け和す」ということの重要性が認識されるようになってくるはずです。
賛成・反対で内輪モメしていたら、邪霊が喜ぶだけです。
みろくの世は、賛成・反対の渦を越えた、その向こう側にあるのではないでしょうか?

第18回 「ドイツの悪神」と「如意宝珠の玉」の秘密

しばらくお休みしていましたが連載を再開します。
今まで第1巻から順に話題を出して来ましたが、いよいよ前回から「如意宝珠」篇に
入りました。


霊界物語は12巻ずつ一括りになっており、最初の12巻は「霊主体従」(れいしゅたいじゅう)、
次の12巻(第13~24巻)は「如意宝珠」(にょいほっしゅ)という名が付いています。
そして各巻には十二支の名前が付いており、第13巻だったら「如意宝珠 子の巻」、
第14巻は「如意宝珠 丑の巻」となります。


もともと如意宝珠というのは、仏教でいう、不思議な霊力を持った珠のことです。
仏教用語としては、「宝珠」は「ほうじゅ」と読みます。
よくお寺に、下が球形で上が尖った、桃の実のような形の物体やマークがありますよね。
あれが如意宝珠です。

古事記に、イザナギが黄泉の国から逃げ帰る途中、黄泉比良坂で三個の桃の実を投げて、
追ってきたゾンビ軍団を撃退するシーンが出てきますが、あれも如意宝珠なのかも知れません。


また中国の神話では、西王母(せいおうぼ)という女神が、三千年に一度咲くという、
不老不死の力を持った桃を管理していますが、それも如意宝珠なのだと思います。


   ●   ●   ●


霊界物語に出てくる如意宝珠は、冠島(おしま)に秘かに隠されていました。

冠島は舞鶴沖の日本海に浮かぶ小さな無人島です。沓島(めしま)(女島)と冠島(男島)の
夫婦島になっており、冠島には「老人島(おいとしま)神社」という、
天火明命(アマノホアカリノミコト)を祭る社があります。


アマノホアカリと言えば、あの有名な元伊勢・籠神社の祭神と同じですが、
もともと籠神社は冠島の遙拝所として創られた...という説があります。
たしかに地図を見ると......今は平地に神社が建っているので無理ですが、
背後の山に登れば冠島が望める位置にあります。


<冠島と籠神社の位置>
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zqP1Ud2bzt_A.ka31khHtR6O4

冠島は籠神社の発祥地、というわけです。


大本と沓島・冠島は縁が深く、大本神話では、艮の金神=国常立尊(クニトコタチノミコト)の
神霊が隠退していた場所が沓島です。また冠島には国常立尊の部下の神々が隠退していました。
明治33年(1900年)には、出口ナオ・王仁三郎らが舟で渡り、国常立尊の神霊を
お迎えに行くという御神業が行われています。

この沓島・冠島が霊界物語で舞台として登場するのは、第16巻(如意宝珠 卯の巻)です。

霊界物語には高姫という悪女が出てきて色々な悪業を働きます。
彼女は国司の館から冠島の宝庫の鍵を盗み出すと、夜中にこっそり舟で冠島に渡り、
岩窟の中に隠されていた大切な如意宝珠の玉──これはミロクの世の成就に必要とされる
重要な玉であり、救世主スサノオが秘かに埋蔵し、その宝庫の鍵を国司に預けていたのでした──
を奪い取ってしまうのです。
そして次に沓島に渡ると、そこに隠されている別の玉(金剛不壊の宝玉)を掘り出します。
しかし掘り出し終わらぬうちに追っ手に捕まってしまいます。

しかし、ただでは転ばぬ高姫。
如意宝珠の玉を、何と口から呑み込んでしまうのです。
そのときのシーンが霊界物語に次のようにコミカルに描かれています。

 
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高姫「(略)......ソンナラ高姫があらためて頂戴する」
と懐より如意宝珠を取り出し、手の掌に乗せて、手に唾液を付け、
一生懸命に両の手の掌で、揉みて揉みて揉みさがしおる。
この玉は拡大する時は宇宙に拡がり、縮小する時は鶏卵の如くになる特色のある神宝なり。
堅くもなれば、軟らかくもなる。
高姫は揉みて揉みて揉みさがし、鶏卵の如く縮小し、搗きたての餅のように軟らげ、
高姫「(略)あらためて頂戴致します。オッ」
というより早く大口を開けて、目を白黒しながら、蛇が蛙(かわず)を呑むように、
グット一口に嚥(の)み下ろしたり。

〔霊界物語 第16巻第14章「鵜呑鷹」(うのみだか)より〕
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・・・とまあ、こんなかんじで、高姫は悪役なんですが、コミカルなキャラとして描かれています。

この巻は丹波地方が舞台になっており、ちょうどこのエピソードのあたりを
私がシナリオを書いて作ったマンガがあるので、興味のある方は読んでみて下さい。

『霊界物語コミックス 1 深遠微妙』
http://www.amazon.co.jp/dp/4901386859


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ところで如意宝珠の「如意」とは、「自分の意のままに物事が叶う」というような意味です。
霊界物語には如意宝珠について、次のような少々恐ろしいことも書いてあります。


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ちなみに言う、この如意宝珠の玉は一名(注・別名)言霊(ことたま)と称し、
また「神集(こうづ)の玉」とも言い、言語を発する不可思議の生玉(いきたま)である。
ちょうど近代流行の蓄音器の玉(注・レコード)のような活動をする宝玉にして、
今はウラナイ教(注・霊界物語に登場する邪教の一つ)の末流たる悪神の手に保存せられ、
ドイツのある地点に深く秘蔵されありと言う。

〔霊界物語 第16巻第13章「神集の玉」より〕
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レコードのような宝玉とは??
ウラナイ教(教祖は高姫)の末流たる悪神とは??
ドイツのある地点とは??

王仁三郎がこの巻を書いたのは大正11年(1922年)です。ちょうどその年にドイツでは、
ヒトラーがナチ党の幹部会議議長となり、独裁色を強めて行きました。「総統」(ヒューラー)と
呼ばれるようになったのもこの年からです。

その後、昭和8年(1933年)に国家権力を掌握して名実共に独裁者になるわけですが、
ナチスの国家統治の特色は、マスメディアを用いて世論操作を行ったことではないでしょうか。

昭和10年(1935年)のベルリンオリンピックは、ナチスのプロパガンダの場にしたので
外国から非難を浴びましたが、当時まだ実験段階だったテレビの中継放送が世界で
初めて行われたのはこの時です。
ナチスはこうしたマスメディアを積極的に用いて、ドイツ社会の世論を操作し、独裁政治を
進めて行ったのです。
何しろ「宣伝省」という官庁があったくらいですから(大臣はゲッペルス)。

第二次大戦後はアメリカ・ソ連を始め世界各国で、テレビを用いた世論コントロールが
行われるようになりましたが、それを世界で最初に行ったのが、ナチス・ドイツだったわけです。

レコードのように同じことを繰り返し繰り返し聞かせることで国民をマインドコントロールする
やり方は、実は高姫のやり方そのものです。原発は安全だとか、消費税の増税は必要だとか、
何度も何度も聞かされていると、そうなのかなと思ってしまいますよね(笑)
そういえばヒトラーのあのヒステリーなしゃべり方も、高姫に似ているような・・・。

何千年も先の未来まで見通していた王仁三郎です。
ドイツがどのような命運をたどることになるのかも、すでに大正時代に見抜いていたのでしょう。


意のままに物事が叶う如意宝珠の玉は、別名「言霊」とも言う...と先の引用に出てきました。
ヒトラーは口から発する言葉だけで当時のドイツ国民を意のままに操り、独裁権力を握ったのです。
しかし濁った言霊は破滅につながるだけで、いい結果をもたらしません。
人に生命を与えるような言霊の使い方をしたいものです。

第17回 「みろくの始まり」イランの大高山と、カスピ海の下を通る大洞窟の謎


霊界物語は全部で81巻まであります(64巻が上下の2冊に分かれ、「入蒙記」と
いう番外編が1冊あるので冊数は83冊です)。
最初の3巻くらいまではあらすじのようなかんじで書いてあり、セリフが少なくて、
ほとんどト書き(地の文)だけです。

しかし巻が下るにつれ、だんだんと描写が細かくなってきて、少しずつセリフも増え
だして、13巻あたりになると、セリフ主体で劇の台本のようなかんじなってきます。

1巻から読むのは少々苦痛なので、13巻から読んだ・・・という人もいます。
途中から読むと話が分からないのでは?と疑問視する人もいると思いますが、どうせ
最初から読んでもなかなか話が分からないので、どこから読んでも同じです。(^_^;
もちろん1巻から順に読むことを推奨しますが、どこからでもおもしろそうなところから
読んでみて下さい。
私が運営する『霊界物語ネット』で無料で読めます。

http://reikaimonogatari.net/


さて、この第13巻はフサの国(ペルシャ→今のイラン)が舞台になります。
日の出別神(ひのでわけのかみ)という名の三五教(あなないきょう)の宣伝使に、
ウラル教の宣伝使6人が弟子入りし、ペルシャ湾から上陸して、フサの都へ向かって
旅をして行きます。

イランの首都と言えばテヘランですが、カスピ海の南側にあり、そこは高原地帯で
標高が1200メートルもあります。日本で標高1000メートル以上のところにある
都市というのはほとんどなく、群馬県の草津町や、レタスで有名な長野県川上村など
数えるほどしかありません。

霊界物語の主人公スサノオの宮殿「イソ館(やかた)」は、フサの国の「ウブスナ山」に
あります。
テヘランの東側にある「ダマバンド山」(ダマーヴァンド山)がウブスナ山ではないかと
言われています。
この山は標高が5千メートル以上もあるイラン最高峰の大高山です。
何と「5671」メートルあるのです。5671で「みろくの始まり」と読めます。おもしろいですね。
(注・標高が異なる資料もあります)

日本神話のスサノオと言えばオロチ退治で有名ですが、イランにも実はオロチ退治を
する英雄の伝説があるようです。
↓このページの一番下に、イランに伝わるオロチ退治の絵画が載っています。
http://www.h2.dion.ne.jp/~sakurait/irannhokoku1.html

霊界物語に書いてあるように、スサノオはもともとイラン(フサの国)に居たのかも
知れません。
イラク西部に紀元前4000年前から栄える「スーサ」という都市があるんですが、
スーサに居た王だからスサノオ(スーサの王)だ...というダジャレのような説を
唱える人もいます。

     ☆     ☆     ☆

さて霊界物語ではフサの国に「フル野ケ原」(ふるのがはら)という原野が出て来ます。
そこに屏風のように長く突き立っている岩山があり、その下に落とし穴のように岩窟が
あって、日の出別に弟子入りした6人(半ダース宣伝使と呼ばれています)はその穴に
落ちてしまいます。

そこは「醜の岩窟」(しこのいわや)と呼ばれている岩窟で、「琵琶の湖」(びわのうみ)
(→カスピ海のこと)の底を通って、「コーカス山」(こーかすざん)(→コーカサス山脈の
こと)にまで延々と続いています。

コーカサス山脈というのは、カスピ海と黒海の間の山脈です。
地理がよくわからない人は、地図をごらん下さい。
https://goo.gl/maps/naKy2


この洞窟は、「ヤア狭いぞ、まるで羊腸(ようちょう...羊のはらわたのように山道などの
屈曲して険しいこと)の小道だ、気をつけよ」とセリフに出てきますが、映画『インディ・
ジョーンズ』に出てくるような洞窟です。

もともと6人は別々の6つの穴に落ちたんですが、それが地底で一箇所に合流して
います。
洞窟の中には落とし穴があったり、階段があったり、岩の扉があったり、妖怪が出て
きたり...そんな洞窟を6人は探検して行きます。それこそ『インディ・ジョーンズ』のような
冒険活劇が繰り広げられるのです。

そして広場のような広い空間に出ました。そこは頭上には空が見えていますが、両側は
岩壁がそそり立っていて登れません。
細い洞窟がいくつも、その広場から伸びています。

結局6人は天の鳥船に乗ってそこから脱出しました。

──そんな物語が13巻の7~13章に出ています。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm1307


このフサの国の地下に広がる洞窟なんですが、決して空想のおとぎ話ではなく、
実在するようなのです!!

「カナート」とか「カレーズ」などと呼ばれているんですが、乾燥地帯の灌漑として
造られた地下用水路で、起源は紀元前数百年前にまでさかのぼるそうです!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%88


イランにはこのカナートが、3万本あるとも5万本ともあるとも言われていて、
長いものだと数十キロにも及ぶそうです!

霊界物語に書いてあるように、カスピ海の底を通って、コーカサス山脈に続いている
ものもあるかも知れませんね。

で、カナートの中はどんなかんじかと言うと、誰かがユーチューブに動画をアップして
います。いや~、便利な時代ですね~。

↓これはウイグルのトルファンという町にあるカレーズです。
http://youtu.be/N6y_wO8-T5w


本当に「羊腸の小道」っぽいですね!!

↓これは模型です。
http://youtu.be/PbfGuAyPfKU

http://youtu.be/QKg47kyebbY


↓これは誰かが書いた研修資料(PDF)
http://seneca21st.eco.coocan.jp/working/nakamichi/38_15.pdf


霊界物語はトンデモ系の話が多いですが、よくよく調べてみると、ちゃんと事実に
基づいていたりするので、決してあなどれません。

さらに調べて行くと、もっとおもしろいことが判明して来ます。

イランは雛型理論で言うと、日本の愛知県近辺に相応しますが、イランで「カナート」と
呼ばれるその地下洞窟が、何と三重県~愛知県~岐阜県の辺りにもあるのです!!

日本では「マンボ」と呼ばれています。やはり灌漑用の地下水路です。
↓このページに詳しく書いてあります。
http://www.geocities.jp/shimizuke1955/373manbo.html


横穴だけの地下水路なら日本各地に見られるそうですが、カナートと同じように縦穴も
掘られている地下水路は、その三県の辺りにしか見られないとのこと。

第13巻で、半ダース宣伝使が落ちた落とし穴が、その縦穴です。

岡﨑正孝・著『カナート イランの地下水路』(2000年、論創社)P63によると、カナートの
技術が朝鮮を経由して日本に持ち込まれた可能性もあるそうです。
ひょっとしてスサノオの一族が持ち込んだのかな??

     ☆     ☆     ☆

それにしても、日本は世界の雛型とはよく言ったもので、相応するものがあるんですね。
ちなみにペルシャ湾が伊勢湾で、アラビア半島は紀伊半島です。

古代文明が栄えたチグリス川(東側)とユーフラテス川(西側)は、霊界物語では
「イヅ河」「エデン河」と呼ばれ、愛知県と三重県の県境を流れる木曽川と揖斐川(いびがわ)
に相応するのではないかと思います。(第14回にも少し書きました)

↓日本地図で確かめて下さい。
https://goo.gl/maps/FW5wo

チグリス・ユーフラテスのように2本大きな川が流れているのが分かると思います。
(少し上流では揖斐川の支流の長良川と合わせて3本になっていますが、
河口付近では2本です)


今、イスラム過激派ISIL(イスラム国)はチグリス・ユーフラテス川上流
(イラク北西部~シリア北部)を占領していますが、日本だとどの辺りになるので
しょうか?
木曽川の上流・王滝川は御嶽山を水源としていますが、昨年(2014年)9月に御嶽山が
突然噴火して60名前後の犠牲者が出ました。
そのことと何か関連しているのかも知れませんね。


しかし、そういうことが分かったからといって、べつに世の中が良くなるわけではありません。
本当に重要なことは、現実の社会を変えて行くことだと思います。

スピリチュアル・ワールドにどっぷりハマってしまわずに、
常に、現実の社会を良くすることも考えて行きたいものです。


第16回 「一つ島の深雪姫」と「バンクーバーの朝日」


昨年12月に公開された日本映画『バンクーバーの朝日』をご存知でしょうか?
戦前カナダに実在した日本人アマチュア野球チームの栄光と奇蹟の物語です。

霊界物語のテーマは「言向け和す」ですが、バンクーバー朝日軍のエピソードの
中に「言向け和す」の実例を見つけたのでご紹介します。

「言向け」和すと言っても必ずしも言葉を用いる必要はありません。
「目と目で通じ合う」ということがあるように、非言語コミュニケーション、
つまり態度で言向け和すケースもあります。

「言向け和す」とは人の心の中の敵愾心や憎悪心というものを払い取ること...
とも言えますが、その例としてまず、霊界物語12巻22~24章に出てくる
「一つ島の深雪姫」のエピソードを紹介します。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm1222

拙著『超訳 霊界物語』でも紹介しているので知っている方もいると思いますが、
知らない方のために書いておきます。

アマテラス(の息子のホヒノミコト)VSスサノオ(の娘の深雪姫)という構造で
ストーリーが進んで行きます。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「瀬戸の海」の一つ島(孤島という意味)に、深雪姫の国がありました。
深雪姫はスサノオの娘です。
深雪姫は世界中から屈強な傭兵を集め、兵器で武装した要塞を造り、
日夜武術の訓練をさせていました。

その情報を察知したアマテラスは、弟のスサノオが自分の国を奪い取るために、
深雪姫に軍隊をつくらせたのでは?と疑い、息子のホヒノミコトに、深雪姫を
攻撃せよと命令を下します。
ホヒは大軍を率いて一つ島に上陸しました。

深雪姫の参謀は「この時のためにわれわれは訓練をしてきたのです。早く出撃命令を」
と要請しますが、深雪姫は驚いたことに「武器を使ってはならぬ」と厳命するのです。
「武器は人を殺すためにあらず。己の心に潜む悪魔を追い払うためにあるのだ」と。
武器を使うなと言っても、では一体どうやって敵と戦えばいいのでしょうか?!

ホヒの軍は山を焼き払い、村々を破壊して、深雪姫の城塞に迫ってきます。
そしてホヒは城の門の前で「城は完全に包囲した。早くこの門を開けて降服せよッ!」と
怒鳴ります。
すると深雪姫の兵士の一人タヂカラオ(手力男)が門の中に現れて、
「これはこれはようこそいらっしゃいました」と言うと、何を血迷ったか揉み手をして
門を開けてしまうのです。
味方の兵士たちは驚きます。「貴様、さてはホヒのスパイだな!」

ホヒの兵士たちも、すんなりと門を開けるタヂカラオの態度に戸惑います。
タヂカラオはホヒに「さあ、中へお入り下さい。さぞお疲れでしょう。
ゆっくり休んで下さい。暖かい握り飯や、美味しいお酒を用意してあります」

するとホヒは「その手は食わぬぞ。毒入りのメシを食わせてわれわれを
殺すつもりだろう」
「いえいえ滅相もない。疑うなら私が毒見をしましょう」と言うと、
タヂカラオは握り飯を喰らい、酒を呑み「ああ、うまい、うまい」

それを見たホヒは苦々しく「よし、わかった。──さあ、皆の者、城は落ちた。
中に入るぞ! しかし決して油断するなよ」

警戒しながら城の中に入ると、武装していると思った深雪姫の兵士は誰一人、
武器を持っていません。
ホヒは拍子抜けして、「深雪姫は戦う気はないらしい。
──者ども、鎧を脱ぎ捨てて休むぞ」

それまで張り詰めていた空気は一気にゆるみました。
そして敵味方の区別なく、酒を呑み、飯を喰らい、歌い、踊り、笑い合い、
そこには地上天国の様相が出現しました。

その後ホヒノミコトはアマテラスの国へ帰り、
スサノオには野心のないことを報告しました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

──というエピソードです。
私は最初ここを読んだときに、いったい何が言いたいのかよく分かりませんでした。
武器を持っているのになぜ戦わないのか?と。

しかしこのエピソードで言いたいことは、そういう「体」(たい)の問題ではなく、
「霊」の問題だったのです。
「体」とは物資・肉体・外側・形式などの方面です。
「霊」とは霊魂・精神・内側・本質などの方面です。
王仁三郎は「霊主体従」が宇宙の法則であるが、現代社会は堕落して「体主霊従」と
化している、と言います。「霊」が見えずに「体」ばかりになっているというのです。

一つ島の深雪姫のエピソードが語っていることは、武器で戦うか戦わないという
外面的・物質的な問題ではなく、私たちの心の中の敵愾心とか憎悪心というものを、
いかに取り除いて行くかという、内面的・精神的な問題だったのです。
この場合、アマテラス・ホヒの、スサノオ・深雪姫に対する
「自分の国を奪いに来るのではないのか」という敵愾心です。

このエピソードにとてもよく似ている実話を最近見つけました。
それが『バンクーバーの朝日』です。


1900年初頭、大勢の日本人が新天地を夢見て遙か遠く海を渡りカナダへ
移民しました。
しかしそこで彼らを待ち受けていたものは、人種差別、過酷な肉体労働、
貧困といった厳しい現実でした。
そんな中、日本人社会に野球チームが生まれました。「バンクーバー朝日」です。
夢も希望も持てなかった時代に、彼らの活躍が、人々にとってひとすじの光となる
──という実話をもとにした映画です。

日系二世の若い人を中心にしたアマチュアチームで、最初は弱小チームでした。
白人の方が体格が大きく、パワーがあるので勝てません。
しかし小柄であることを逆手に取り、その機動力を生かして、
バント、盗塁、ヒットエンドランを駆使して、白人のチームを打ち破り、
リーグ優勝を果たし、白人からも支持されるようになります。

実は私もまだ映画は見てなくて (^_^;)
バンクーバー朝日軍を紹介したテレビ番組で見たんですが、
当時こういう出来事があったそうです。。


安い賃金でも文句を言わずに勤勉に働く日本人に対して、白人が
「仕事を奪うな、出ていけ!」と激怒し、日本人排撃運動が起こりました。
皮肉なことに、まじめに働けば働くほど憎まれるのです。

明治40年(1907年)に大規模な反日デモが起こり、2000人のデモ隊が
日本人街を襲撃しました。
「ジャップは出ていけ」と石を投げ、家のガラスを割ります。
日本人たちは、自分たちの生命と財産を守るために、暴徒を実力で撃退しました。

すると──「日本人は危険な民族だ」とマスコミは報道しました。
そもそも白人が起こした暴動なのに、それに抵抗したことで、
逆に日本人は危険な奴らであると思われてしまったのです。
カナダ政府はこの暴動以降、移民を厳しく制限するようになりました。

その頃カナダでは野球が盛んでした。そこで日本人の誇りを保つために、
日系人の野球チームが作られたのです。白人に勝つ強いチームを作ろう、と。
小柄な日本人チームが、大柄な白人チームを倒して行きます。
連戦連勝で、リーグ優勝を果たし、上部リーグに入ることが認められました。

しかし憎しみがなくなったわけではありません。野球が強いことで、
さらに妬まれ、憎まれるのです。
すると白人チームが不正なプレーをして、攻撃してくるようになりました。
それに抗議する日本人と白人とで試合中に場内乱闘も起きます。
そして、審判もあからさまに差別するようになるのです。
どうみてもアウトなのにセーフと言う白人優遇のジャッジです。
それに対して観客も「それ、ジャップをやっつけろ」と沸き上がります。
日本人を痛め付ける試合を見ることで、憂さ晴らしをしているのです。

不正プレーで日本人チームは負け続けです。
あるとき監督が変わり、新しい方針が作られました。
新監督は、フェアプレー精神を徹底させ、審判への抗議は一切禁止にしたのです。
不正なジャッジでも決して抗議しないことにしたのです。

日本人チームは相変わらず惨敗続きでした。
日本人は抵抗しないことをいいことに白人チームはやりたい放題です。
「あそこまでされて何で黙っているんだ。何でやり返さない? 
勝ちさえすればいいじゃないか」という声が日本人の中から上がりますが、
監督は「やられたらやり返す。それでどうなるんだ」と言います。
監督は、あの反日暴動のとき、まだ子どもでしたが、大人たちがしていたことを
見ていました。白人たちの憎しみに対して憎しみでやり返したことで、良くなるどころか
かえって憎しみが増しただけでした。危険な民族だと誤解され、ますます差別される
ようになってしまったのです。
「ただ勝てばいいという問題ではない。どんな状況でも正々堂々と戦って、そして勝つ。
それが本当の日本人の姿なんだと、白人たちに見せてやりたいんだ」

その後も、どんなに不正なプレーやジャッジをされても、
黙って、フェアプレー精神を貫きました。
あるとき、九回裏で日本人チームが勝つか負けるかという試合のときに、
審判は誰が見ても明らかな不正なジャッジをしました。
どう見ても白人走者がアウトなのに平気でセーフと言うのです。

そのときです。白人の観客たちが場内に乱入し、審判に激しく抗議を始めたのです。
日本人チームのために抗議をしているのです。

正々堂々と戦うことで憎しみを消していこうと監督は考えたのでした。
そのやり方は間違ってはいませんでした。白人たちは自らの過ちに気付き、
不正なジャッジやプレーを正したのです。

監督就任から5年目に見事リーグ優勝を果たし、そのときは日本人と白人のファンが
抱き合って喜び合ったということです。


──これがバンクーバー朝日に起きた出来事です。
一つ島の深雪姫と似たようなパターンだと思いました。

深雪姫も、暴力に対して暴力で対抗していたら、ホヒに
「それ見ろ、やっぱりスサノオは危険な奴だ。国を奪いに来るに違いない」と
思われていたことでしょう。武器を一切持たずに、抵抗しなかったから、
「こいつらは危険ではない。野心はない。汚い心(猜疑心)を抱いていたのは
自分の方だった」と気づいたのです。

心の垣根が外れたと言えます。それが「言向け和す」です。

これは言葉を使わず態度で示す「言向け和す」でした。
そしてまた、「暴力に対して暴力で対抗せずに、では一体どうしたらいいのか?」と
いう問いに対する回答の一つでもあります。

1月7日にフランスでテロ事件が起きました。ムスリムをバカにする風刺画に対する
報復としてイスラム過激派が起こしたテロです。するとフランスはテロに対する復讐で
燃え上がり、フランス政府は原子力空母をペルシャ湾に派遣して「イスラム国」を
空爆すると息巻いています。

そして今日(1月20日)は「イスラム国」が日本人2人を誘拐し、身代金2億(200億円)
ドルを要求しました。2億ドルとは安倍総理が対テロ戦争の戦費として外国に支援
する金額と同額です。

日本政府は人質救出のために自衛隊を派遣して実力で奪還したいところですが、
残念ながら関係法規が整備されていません。これで憲法九条改正にますます
拍車がかかりそうです。

こんなふうに「やられたらやり返す」では暴力の連鎖は収まりません。
仮に武力でイスラム国を制圧したところで、彼らの欧米諸国に対する憎しみは
収まることはないでしょう。

正義だとか表現の自由だとかは「体」の問題です。今、議論されているのは「体」の
問題ばかりです。武力攻撃をするとかしないとかいうのも「体」の問題です。
しかし本質(霊)は、人の心の中の憎悪とか猜疑心とか敵愾心の問題です。
その「霊」の問題に着目しない限り、紛争はなくなりません。

「神道は言挙げせず」とよく言いますが、時には、あえて権利や正義を主張しない
ことも必要だと思います。不正にあえて抗議しないことで敵味方の区別のない
マイトリーワールド(マイトリーは梵語で友人・友情の意)を創り上げたのが、
一つ島の深雪姫とバンクーバー朝日軍のエピソードです。

そういう発想ができるのは「言向け和す」を1300年前に古事記に掲げて
国を創ってきた日本だけではないでしょうか?

   


第15回 女の宣伝使と王仁三郎の男女観


前回は第8巻の「言霊解」を紹介しました。
王仁三郎が言霊学によって古事記を「予言書」として解釈したものです。

さて、この第8巻の最後から9巻にかけて、若い女性の宣伝使が登場します。
なんとまだ10代後半という若さです。
しかも三人姉妹です。
しかも二組も出てきます。

一組目は、
  松代姫(まつよひめ)
  竹野姫(たけのひめ)
  梅ケ香姫(うめがかひめ)
の三姉妹で、名前の一文字を取って「松竹梅」(まつたけうめ)の宣伝使と呼ばれています。

二組目は、
  秋月姫(あきづきひめ)
  深雪姫(みゆきひめ)
  橘姫(たちばなひめ)
の三姉妹で、名前の一文字を取って「月雪花」(つきゆきはな)の宣伝使と呼ばれています。


月雪花の宣伝使は、霊的にはスサノオの娘であり、後世、三女神となって再生したと
霊界物語に書かれています。(秋月姫→市杵嶋姫、深雪姫→多紀理姫、橘姫→多気津姫)
第12巻の天の岩戸開きの物語では重要な役割を果たす三姉妹です。


松竹梅も月雪花も、どちらも上から20歳、18歳、16歳くらいの若い宣伝使です。
現代の感覚ではまだまだ子どもですが、戦前の民法では女は15歳で結婚できたし、
実際に10代後半で結婚していた人はたくさんいたので、
当時の感覚では子どもというわけでもないと思います。


霊界物語には推定3千人くらい登場人物がおり、そのうちスサノオが導く
三五教(あなないきょう)の宣伝使は、数えたことはありませんが、
おそらく100人くらいはいると思います。
そのうち女は4割くらいでしょうか。

第13回で紹介した祝姫(はふりひめ)も、なかなか魅力的な女性宣伝使ですが、
他にこんな女の宣伝使がいます。

●八人乙女(やたりおとめ)

こちらも、霊界物語の主人公スサノオの娘で、8人います。
年齢はやはり10代後半~20歳くらい。
8人姉妹なのに年齢がみな近いのは...実は、実の娘ではなく、
身寄りのない子を拾って育てたからです。

長女から列記すると、
  愛子姫(あいこひめ)
  幾代姫(いくよひめ)
  五十子姫(いそこひめ)
  梅子姫(うめこひめ)
  英子姫(ひでこひめ)
  菊子姫(きくこひめ)
  君子姫(きみこひめ)
  末子姫(すえこひめ)

たくさんいて名前が覚えにくいですが、よく見ると50音順に並んでいるのがミソです。
第15巻以降に登場します。

このうち5人はバラモン教という弱肉強食の邪教に捕まり、朽ちた小舟に乗せられて
海流しの刑にされてしまうのです。
しかし、さすがスサノオの娘だけあって、そんなことではメゲません。
漂流して見知らぬ土地に流れ着き、その場所を天が与えた場所として感謝して、
三五教を広めて行くのです。

●初稚姫(はつわかひめ)

セブンティーン(17歳)です。
8歳のときから「お初」という名で登場します。
この人は生まれたときから悟りを開いているような人で、すでに8歳のときに、
霊界物語最凶の悪役・高姫(53歳)を言向け和しています。
それもそのはず、天国の天人が地上に降って生まれてきたからです。
「宣伝使は一人旅」という教えを地で行っている人で、他人と群れずにいつも一人で
行動しています。
ただしスマートという名の愛犬がいつもそばについています。狼のような山犬なんですが、
霊覚の高い神霊が犬に変化して初稚姫を守っているのです。守護霊みたいな守護犬です。

初稚姫は、ほかの宣伝使たちが危機に陥ったときに、すでに先回りしていて颯爽と登場し、
危機から救い出すという、かっこいい役柄です。


他にも沢山いますが、また次回以降少しずつ紹介して行きます。

     ★     ★     ★

ところで霊界物語は大正時代~昭和初期に書かれたもので、全体的に見て、
軍記調で書かれている部分が多いです。
軍国主義の時代ですからね。
マンガも「のらくろ三等兵」(ご存知ですか?)なんかが流行った時代です。

それで「言向け和す」ということに関しても「言霊戦」(ことたません)という、
いかにも戦記風に表現されています。

もう一つ時代背景として、大正デモクラシーなどがあり、
婦人解放運動が盛んになってきた時代です。

ですから、女性が戦場の最前線に出て「言霊戦」で敵と戦うという場面が多々あり、
それは当時としては結構新鮮な物語だったかも知れません。
現代では、男性顔勝りの逞しい女性コマンドが敵と戦うというのは
ハリウッド映画では当たり前な話ですけどね。


ところで王仁三郎の男女観というのは、簡単に言うと「男女は平等だが、
順序はある」というものです。

王仁三郎はこういうことを言っています。

 
------------------------------
女が男より先にお湯に入ったという小さな出来事のため、
やかましい問題をひき起こすことが度々あるという事を聞く(略)

男女同権は神の定め給うた規則である。
女が先にお湯に入っては悪いという理由がどこにあるか。
そういう事を言う人たちは、男が女よりも特別優れて生まれているというような
迷信に陥っているからである。
こういう旧い、こびりついた頭を持っていて、いつの日か神書霊界物語に盛られたる
天地の真理を実現することが出来ようか。
事柄はいと小さいけれど、神書に示さるる道理を無視し、旧来の道徳を標準として
人を裁くという事は、間違いのはなはだしいものである。(略)

無論、夫婦となった男女は針と糸との道理、すべてに夫を先にすべきは申すまでもない。

   ──『水鏡』「男女同権」より──
------------------------------

男女は平等・同権ですが、結婚すれば「夫婦」とか「家族」という一種の組織となります。
そして組織には序列とか順序が必要です。
会社だったら社長、部長、課長、係長、平社員という序列があって、上の指令には従う
必要があるし、席次も決まってますね。

こういう順序がないと、組織は混乱し、機能しません。
順序があるとはいえ、それは会社という組織における順序であって、
人間として上下の差別があるのではありません。
社長も平社員も人間としては対等であり平等ですよね。
家族も同様です。
老若男女みな平等ですが、人の集団・組織である以上、順序は必要です。
それで「夫を先に」しなさい、というのです。

それは物事の順序です。
王仁三郎は「神は順序にまします」と言うくらい、順序を重視します。
宇宙は秩序整然と動いている、と考えればわかりやすいと思います。
夫と妻が二人とも「自分が先だ」と覇権を競い合っていたのでは、
そりゃあ、家族は崩壊することでしょうねえ。

もっとも現代では女社長のご家庭が少なくないようで...
まあそれでも秩序があるのならいいのかも知れません。

ちなみに大本は女が教主だと神様によって定められています。

     ★     ★     ★

 
来年(2015年)年明け早々の1月4日(日)に、大阪市内で開催されるにんげんクラブ
(支部主催)のイベントで、講演をさせていただくことになりました。

舩井勝仁会長も東京から駆けつけて講演をされます。

講演もさることながら、関西方面の人たちが集まる年に一度の大交流会でもあります。
もちろん、にんげんクラブ会員でなくても参加歓迎です。


私は「王仁三郎が魁ける 現代日本の二つの鬼門」という演題で講演いたします。
鬼門はみなが避けて通りたい不吉な力ですが、それを表に出して復権させるというのが、
王仁三郎のテーゼです。
現代日本の鬼門とは何でしょうか。よく考えてみるとそれは天孫降臨に由来するものでした──。

ご都合のつく方はぜひお越し下さい。

イベントの詳細とお申し込みはこちらをどうぞ。
http://www.rakuenlife.com/ningen.html


第14回 古事記の言霊解 ~「肥の河」の川上とは日本のこと


つい先日、御嶽山の噴火が突然始まりました。何人も犠牲者が出たようです。
これからどうなるのか分かりませんが、被害が小さくて済むよう祈るばかりです。

ところで「木曽の御嶽山」と言うように、御嶽山から流れる川(王滝川)は木曽川に
合流し、岐阜県~愛知県を通って伊勢湾に注いでいます。つまり木曽川の水源の
一つが御嶽山です。

雛型ということを考えてみますと──王仁三郎によると、伊勢湾はペルシャ湾に、
木曽川はチグリス川に相応します。
チグリス川の水源はトルコ東部の、アララト山などがあるアルメニアの辺りなんですが、
トルコを通り、イラク国内を南北に縦断してペルシャ湾に注いでいます。イラク北部の
チグリス川流域は、「イスラム国」が支配している地域です。

今、アメリカやイギリスが中心になってその辺りを空爆していますが──神界から見たら、
そのことと何か深いつながりがあるのかも知れません。

   ☆   ☆   ☆

さて、前回は第7巻の中から祝姫と蚊取別のエピソードを紹介しましたが、
今回は第8巻から古事記言霊解(げんれいかい)を紹介します。

これは王仁三郎の講演録で、古事記の言霊学的な解釈です。一般的には古事記の
神話は日本の出雲地方や日向地方など一部のローカルエリアを舞台にした話だと
いうことになっていますが、王仁三郎はこれを言霊学を駆使して地球的スケールでの
ドラマに読み替えているのです。

たとえば、イザナミが火の神を産んで死んでしまい「比婆の山」に葬られた...と古事記に
書いてありますが、手元にある『新訂 古事記』(角川文庫)の注釈では「広島県比婆郡に
伝説地がある」と常識の範囲内で解釈しています(つまり広島県と島根県の境にある
比婆山のことですね)。

それが王仁三郎の言霊解だと、
 
~~~~~~
「比婆の山に葬(かく)し」という事は、「ヒ」は霊系に属し、赤い方で、太陽の光線という
意義で、「バ」というのは、ハとハを重ねたもので、これは悪いことを指したものであります。
即ち霊主体従と体主霊従との中間に立て、神が時機を待たせられたということであります。
~~~~~~

ということになります。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0839

またその後、イザナギは十握の剣で火の神(カグツチ)の首を斬って殺しますが、
言霊解だと次のように解釈されます。
 
~~~~~~
かくしてイザナミノミコト即ち地球の国魂は、半死半生の状態であるが、しかし天系に
属するイザナギノミコトは純愛の御精神から、この地球の惨状を見るに忍びずして、
カグツチノカミ即ち火の文明が進んだため、こうなったというので、十拳剣(とつかの
つるぎ)を以てカグツチノカミの首を斬り給うたのであります。

十拳の剣を抜くという事は、戦争を以て物質文明の悪潮流を一掃さるる事で、
いわゆる首を切り玉うたのであります。

この首ということは、近代でいえばドイツのカイゼルとか、某国の大統領とかいう
総ての首領を指したのである。即ち軍国主義の親玉の異図(謀反心のこと)を
破滅せしむるために、大戦争を以て戦争の惨害を悟らしむる神策であります。
~~~~~~

古事記の物語を、過去に起きた出来事はなく、現代の出来事として解釈しているのです。
つまり古事記を預言書として見ているわけです。

しかし「大戦争をもって戦争の惨害を悟らす」とは...何ともまあ、神の経綸は過酷なものです。
みろくの世は平和な世界ですが、それを創るプロセスでは戦乱も起こり得るわけです。

第二次大戦によって戦争の惨害を人類は悟ったかに見えましたが、実際には
どうでしょうか?? 悟らないと、悟らされるようなことが今後も起こり得ます。

   ☆   ☆   ☆

さて、この古事記言霊解は第8巻だけでなく、霊界物語の各巻に分散して収録されています。


黄泉の国......8巻39~46章
身禊............10巻27~31章
大気津姫......11巻15~17章
三貴神.........12巻28章
誓約............12巻29章
天の岩戸......12巻30章
大蛇退治......15巻11章

大蛇退治を少し読んでみましょう。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm1511

まず大蛇退治の舞台となる「出雲の国の肥の河の川上」ですが、『新訂 古事記』の
注釈では、島根県の斐伊川の上流と解釈されています。

王仁三郎の言霊学では、
 
~~~~~~
出雲の国は何処諸(いづくも)の国という意義で、地球上一切の国土である。

肥の河上は、万世一系の皇統を保ちて、幽顕一致、神徳無窮にして皇朝の光り晴れ渡り、
弘まり、極まり、気形透明にして天体地体を霊的に保有し、支障なく神人充満し、以て
協心戮力(きょうしんりくりょく)し、完全無欠の神政を樹立する至聖・至厳・至美・至清の
日本国ということなり。
~~~~~~

ということで、大蛇退治の舞台はこの日本だ、ということになります。

八岐の大蛇の姿について「目は赤加賀知(あかかがち)なして、身一つに頭八つ尾八つあり」と
古事記に描写されていますが、この「赤加賀知」とは『新訂 古事記』の注釈では「ホオズキ」の
ことだと書いてあります。つまりオロチの目がホオズキのように赤い、ということですね。

これが王仁三郎の言霊解だと次のようになります。
 
~~~~~~
...悪神の本体は一つであるが、その真意を汲んで、世界覆滅の陰謀に参加して
おるものは、八人の頭株であって、この八つの頭株は、全地球の何処にも大々的に
計画を進めておるのである。
政治に、経済に、教育に、宗教に、実業に、思想上に、その他の社会的事業に対して
陰密の間に、一切の破壊を企てておるのである。

ついては、尾の位地にある、悪神の無数の配下らが、各方面に盲動して知らず識らずに、
一人の頭目と、八つの頭の世界的大陰謀に参加し、ついには既往五年に亘った世界の
大戦争(第一次大戦のこと)などを惹起せしめ、清露(中国やロシア)その他の主権者を
亡ぼし、労働者を煽動して、いわゆる世界の各方面に大惑乱を起こしつつあるのである。

「赤加賀知」とは砲煙弾雨、血河死山の惨状や、赤化運動の実現である。
実に現代は八岐の大蛇が、いよいよ赤加賀知の大眼玉をムキ出したところであり、
すでに世界中の七オトメを喫(く)い殺し、今や最後に肥の河なる日本までも現界幽界
一時に喫わんとしつつあるところである。

要するに八つ頭(やつがしら)とは、英とか、米とか、露とか、仏とか、独とか、伊とかの
強国に潜伏せる現代的大勢力のある巨魁の意味であり、八つ尾とは、頭に盲従せる
数多の部下の意である。


頭も尾も寸断せなくてはならぬ時機となりつつあるなり。
~~~~~~

大正10年と昭和10年の二度にわたる大本事件は、帝国政府が大本を弾圧したという
構図になっていますが、地球的スケールで見ると世界的大陰謀団体が絡んでいます。
王仁三郎は「皇道経済」ということを唱え、その中で「御稜威(みいづ)紙幣」という名前で
政府紙幣の発行を提唱していましたが、どうやらその辺りが世界的大陰謀団体の勘気に
触れたようです。

スサノオノミコトが八岐の大蛇に酒を飲ませて十握の剣で斬ったという話は、言霊解では
次のようになります。
 
~~~~~~
...八岐の大蛇の霊に憑依された数多の悪神の頭目や眷族どもが大神酒(おおみき)を
飲んでしまった。ちょうど今日の世の中の人間は、酒のために腸(はらわた)までも腐らせ、
血液の循環を悪くし、頭は重くなり、フラフラとして行歩も自由ならぬ。地上に転倒して前後も
弁知せず、醜婦に戯れ家を破り、知識を曇らせ、不治の病を起こして悶え苦しんでおる...。

ここにおいて瑞の御霊の大神(みづのみたまのおおかみ、スサノオのこと)は、世界人民の
不行跡を見るに忍びず、神軍を起こして、この悪鬼蛇神の憑依せる身魂(みたま)を切り散らし、
亡ぼし給うたのである。

十拳剣を抜きてという事は、遠津神(とおつかみ、祖神のこと)の勅定(つるぎ)を奉戴して
破邪顕正の本能を発揮し給うたということである。

そこで肥の河なる世界の祖国・日の本の上下一般の人民は、心から改心をして、血の如き
赤き真心となり、同じ血族の如く世界と共に、永遠無窮に平和に安穏に天下が治まったという
事を「肥の河、血に変わりて流れき」というのである。
流れるという意義は幾万世に伝わる事である。
~~~~~~

決して世界的大陰謀団体だけが悪いのではありません。ここに出てくるように私たち一般人が
改心する必要があります。
改心とは「改信」であり、信じていることを改めることでもあります。

政府紙幣を発行できないのは「政府紙幣を発行すると高インフレが発生する」と信じさせられて
いるからですが、本当にそうなんでしょうかね??
信じていることや、常識というものを、疑ってみる必要があります。


この言霊解はとても示唆に富んでいるので、ぜひ読んでみて下さい。


第13回 嫌いな男と結婚することになった女宣伝使...その裏に隠された神の真意は?


つい先日、拙著『超訳 霊界物語』の第2弾が太陽出版より発売になりました。

出口王仁三郎が書いた『霊界物語』のメインテーマは「言向け和す」(ことむけやわす)です。
昨年1月に発売された第1弾では、その「言向け和す」を中心に書きましたが、今年8月に
発売された第2弾では「宣伝使の身魂(みたま)磨きの旅」という視点から10篇以上の霊界
物語のエピソードを紹介しました。

超訳 霊界物語〈2〉出口王仁三郎の「身魂磨き」実践書―一人旅するスサノオの宣伝使たち


霊界物語には、主人公スサノオの手足となって活躍する宣伝使がたくさん出てきて、地球
上を旅しながら、悪を言向け和して行きます。
それは宣伝使自身の霊性向上(身魂磨き)の旅であり、そしてまた私たちの人生の旅路に
ほかなりません。

ライオンの親が千尋の谷に子どもを突き落とすような厳しい神の試練に、宣伝使はどう立ち
向かって行くのか、私なりの解釈で紹介しました。

スサノオが導く三五教(あなないきょう)の教えは奥が深く、たとえば「不言実行」と言っても、
ふだん私たちが使っている「不言実行」という意味とはまるで異なります。
しょせんは私が覚り得た程度のことしか書けませんが、皆さんの身魂磨きの旅に少しでも
お役に立てたら幸いです。
詳しくは本書をお読みくださいませ。

ちなみに表紙のデザインは、本書の最初の方に出てくる「天の浮橋」
このブログの第11回で紹介しました)をイメージしてデザインしたそうです。

   ○   ○   ○

さて、前回は三五教の誕生シーン(第6巻)で、「無抵抗主義」のエピソードを紹介しました。
今回は第7巻、そして少し飛んで第12巻から、祝姫(はふりひめ)と蚊取別(かとりわけ)の
エピソードを紹介します。

これは実は『超訳 霊界物語〈2〉』の原稿に書いていたものなんですが、推敲の結果、削除
したものです。
宣伝使の旅路に起きた出来事なんですが、「身魂磨き」というのとはちょっと違うかな、
と思って削除しました。
しかし神の不思議な経綸、ということを感じさせるエピソードです。

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●祝姫と蚊取別 ──嫌いな男に求愛された美人宣伝使●

祝姫(はふりひめ)は三五教の美人宣伝使だ。第7巻で初登場する。
インドで宣伝中に、悪神ウラル彦の一派に捕まってしまったが、オノコロ島からやって来た
三五教の宣伝使・日の出神(ひのでのかみ)に救われる。

そして、日の出神と共に竜宮島(オーストラリア)、筑紫島(アフリカ)へと渡り、筑紫の国の
都で出会ったのが蚊取別(かとりわけ)だ。

蚊取別は外見も性格もかなりユニークである。
頭はハゲていて、ヒョウタン顔。酒が大好きで、自分の顔のようなヒョウタンをいくつも腰に
ブラ下げ、へっぴり腰で歩いている。かなり目立つキャラだ。

自分の顔を、蚊を叩き殺すようにピシャリ、ピシャリと手で叩くという変な癖があり、この癖の
ために大失態を演じている。
それは第4巻の常世会議(本ブログ第8回を参照)だ。

蚊取別は演壇に上がって演説を始めるが、一言しゃべってはピシャリと額を手で叩き、また
一言しゃべってはピシャリと叩く。
そしてつい調子に乗りすぎて、自分の鼻の頭を握りこぶしで思いっきり叩いてしまうのだ(笑)

蚊取別は目から火花が飛び出し、頭はクラクラ。壇上からドタンバタンと転落して、右腕の
肘を骨折。泣きベソをかきながら担架に担がれて退場する...という、まったくドジで三枚目の
キャラだ。

こんな蚊取別だが、なぜか美人宣伝使の祝姫と結婚することになる。
しかし祝姫は最初は蚊取別をゲジゲジのように嫌っていた。それがどうして結婚する羽目に
なってしまったのだろうか?

──二人の出会いは唐突だった。
祝姫は筑紫の都の町はずれで、酒を飲んで歌って騒いでいる蚊取別と遭遇する。
蚊取別は常世会議で失態してから常世城を追放され、妻子を捨ててウラル教の宣伝使となり、
世界を旅している。
腰を痛めた蚊取別は、祝姫に介抱してもらったことをきっかけに、祝姫に一目惚れし、恋に
落ちてしまうのだ。

祝姫はエルサレム(三五教の総本山がある)に向かって旅をすることになった。
その後を蚊取別がストーカーのように追ってくる。

そして地中海を渡る船の上で、蚊取別は祝姫へのサプライズを実行する。
大勢の船客が見ている前で、ありったけの想いをのせたラブソングを歌うのだ。
「おいらの恋は命がけ~♪」
と。

この歌声を聞いた祝姫は恥ずかしくて、穴があったら入りたい気持ちになった(笑)
イケメン好きの祝姫は、蛇よりもゲジゲジよりも嫌いなタイプの蚊取別に恋慕されて吐き気を
催すほどだった。

ところが同じ船に乗り合わせた先輩宣伝使の北光神(きたてるのかみ)は宣伝歌を歌い、
祝姫に対して驚くべき指導をする。

「蚊取別の燃え立つ想いを叶えてやれ。それが宣伝使としての世を救う役目だ」

そう教えられ、祝姫はガーンと強いショックを受けた。
何と、結婚してやれと言うのである。

美女の祝姫は今までに色んな男からプロポーズをされてきた。しかし世界は広い。
慌てなくても素晴らしい男性は他にも沢山いるだろう。立派な宣伝使になって、大きな功績を
挙げてからなら、どんなにいい男とでも結婚できるはずだ──そう思って、今まで求婚をすべて
断って来たのだ。

その結果、一番大嫌いなタイプの男と結婚する羽目になってしまった......。

これは高学歴・高収入・高容姿のキャリアウーマンによくいそうなパターンだ。
自分と釣り合う男を求め続けた結果、独身のまま年をとってしまう......。

祝姫は自分の頑固な心を振り捨てて、蚊取別と結婚することを決意した。
(以上、第7巻第47章)

不条理に思う方もいるだろうが、人を救うためには、こういうことをしなくてはいけない時もある
らしい。何とも宣伝使というのは辛い稼業だ。


さて、ドラマはこれだけでは終わらない。
強烈なサプライズ作戦によって祝姫との結婚を見事果たした蚊取別だが、今度は自ら祝姫を
離縁するのだ。
結婚したり離婚したり忙しい奴だが、いったいどういう理由が隠されているのだろうか?

夫婦となった蚊取別と祝姫は、各自別々に宣伝の旅に出た。三五教には「宣伝使は一人旅」と
いう教えがあり、たとえ夫婦であっても原則一人の旅をやらされる。
夫婦仲睦まじく二人三脚で......というわけにはいかないのだ。なかなか厳しいのである。

一人旅に出た祝姫は、白瀬川(ナイル川)の上流に棲む魔神を言向け和しに向かった。
しかし魔神にやられそうになり、危ないところをイホ(エジプト)の酋長・夏山彦に救われる。

祝姫は夏山彦の館で療養していると、夫の蚊取別が偶然そこを訪れた。
久しぶりの再会に涙ぐむ祝姫。
だが蚊取別は祝姫をグッと睨みつけた。
そして、
「今日限りお前を離縁する」
と厳然として言い渡す。

祝姫は──夏山彦と不義の関係があったと疑われたのかも?──と思い、泣いて潔白を訴えた。
しかし蚊取別は、意外な事実を語り始めた.........

──実は自分は常世会議で失態した蚊取別ではない。仮に蚊取別の姿に化けているが、
自分はある尊い神様の命令を受けて、宣伝使の養成に全力を注いでいる者だ。
祝姫と夫婦になったが、それは祝姫が他の男と結婚をしないようにするためである。
祝姫が本来結婚をすべき縁のある男=夏山彦と出会うまで、祝姫が誤って他の男にうつつを
抜かさないように、仮に自分が祝姫と結婚して、保護していたのである。
だから今日まで祝姫と肉体関係は結ばなかった。
祝姫よ、今日で私と離縁して、夏山彦と結婚しなさい──
(以上、第12巻第3~15章)

何ともまあ、不思議な神秘的な話である。
神様の経綸というのは実に深遠微妙だ。
この蚊取別(の偽者)は、実は天教山(富士山)の神霊、木花姫命(このはなひめのみこと)の
化身である。

木花姫命は三十三相に身を変じて現れる。人間や動物、妖魅など様々な姿に変身し、たとえば
悪っぽいキャラで現れて、宣伝使を批判したり、からかったり、時には殺そうとしたりする。

逆説的だが、そうやって人々を改心へと導き、より高次のステージへと進ませてあげるのだ。
そういう「トリックスター」としての役割を果たしているのが木花姫命だ。

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皆さんの身の回りにも、知らず知らずのうちにそういう役割を果たしている人が
いるかも知れませんね。

第12回 王仁三郎の「無抵抗主義」は全く抵抗せずに相手の力の向きを変えてしまう!


霊界物語は、国祖隠退(1~4巻)→大洪水(5~6巻)と話が進んで行きます。
この大洪水によって地球の地軸が傾き、もともと日本の真上にあった北極星
(こぐま座のポラリス)や北斗七星が、東北の方に傾いてしまったというのです。
また、太陽も北の方に傾いた(つまり高度が高くなった)ため寒暑の相違が
大きくなったとも書かれてあります。

大洪水後の泥海となった地球で、イザナギ・イザナミによる「国生み・神生み」の神業が
行われました。「人」が生まれたのはこのときです。
それ以前は神と人の中間の「神人」(しんじん)と呼ばれています。

人が増えるにつれて生存競争が激しくなり、土地や物資を独占する者が現れるように
なりました。
こうして利己主義(われよし)弱肉強食(つよいものがち)の世界となったのです。

荒廃する世を救済するために現れたのが、三五教(あなないきょう)です。
霊界物語は三五教を広める宣伝使たちの旅の物語です。その三五教のグル
(霊的指導者)がスサノオです。

しかし三五教はスサノオが創始したわけではありません。
三大教と五大教という、別個に誕生した宗教が統合されて、三五教が誕生しています。

この三五教誕生のシーンが霊界物語の第6巻第33~36章に出てくるんですが、
ここで「無抵抗主義」に関するエピソードが登場します。
「無抵抗主義」とは「言向け和す」ための方法の一つ、とでも言えばいいでしょうか。

ところで「無抵抗主義」と言えばインド独立の父ガンジーが唱えたことで有名ですが、
しかし厳密に言えばガンジーは「無抵抗」主義ではありません。
ガンジー精神は、厳密には「非暴力・不服従」であり、徹底的に抵抗するのです。
ただし暴力は使いません。暴力に対して暴力で対抗していたら、憎悪が連鎖し、
暴力の応酬が続きます。イスラエル・パレスチナの状況がまさにそれです。
やられたらやり返せとばかりに、半世紀以上も暴力の応酬が続いています。

ガンジーは(ブッダの時から続くインドの伝統でもありますが)暴力で対抗することをやめ、
それ以外の方法で戦うことを提唱したのです。
その方法とはたとえばデモ行進とかハンガーストライキとか不買運動などです。
当時インドはイギリスの支配下にありましたが、この「非暴力・不服従」で大英帝国と戦い、
その結果インドを独立に導いたのです。

「暴力以外の方法で徹底的に戦う」のがガンジーの「非暴力・不服従」ですが、
王仁三郎が提唱する「無抵抗主義」は、文字通り全くの無抵抗です。
だから一見やられてしまうように見えるんですが...相手の力の向きをコロリと
変えてしまうのです。

この「無抵抗主義」を武道に応用したものが「合気道」です。
合気道創始者・植芝盛平は王仁三郎の弟子であり、「合気道は無抵抗主義である」と
はっきり述べています。
力で力で制するのではなく、力の向きを変えるだけです。
だから体の小さい女性でも、大きな男性を投げることができてしまうのです。
相手は自分の力で勝手に転がってしまうのです。

合気道の詳細については専門家にお尋ね下さい。
ここでは合気道の源流である王仁三郎の霊界物語から、
無抵抗主義の一つのエピソードを簡単に紹介します。

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【巻章】第6巻第33~35章
  http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0633
【場所】メソポタミヤのエデン川の川岸
【登場人物】
  北光彦(きたたるひこ)...三大教の宣伝使
  東彦(あずまひこ)...五大教の宣伝使
  旅の男 A、B

エデン川の川岸で岩の上に座り、旅人たちを前に北光彦と東彦が神の教えを 宣伝していました。 旅人Aが北光彦に質問します。

「私たちは...祖先伝来の山や田畑を悪人に占領されてしまい、女房も奪い取られ、
家は焼かれ、食う物もなく、親子は散り散りバラバラとなり、
実に悲しい人生を送っております。
そのため私は、こうして乞食となってあちこち歩き回り、家を焼いて女房を奪った
あの悪党どもを探し出して、仇を討ってやろうと思い、色々苦労を致しております。
もし『神』が本当にこの世にいるのならば...どうしてこんな不公平なことがあるのに、
黙って見ておられるのでしょうか?」

北光彦は答えます。

「神様は至善、至美、至仁、至愛の御方です。
あなたの、怨みを晴らそうという気持ちは人情として最もなことであり、
私もまったく同情します。
しかし、そこを人間は忍耐して、敵を赦してやらねばならぬのです。
そこが人間の尊いところであって、
それでこそ神様の御心(みこころ)に叶うというものです」

それを聞いいたAはムクッと立ち上がり「馬鹿!」と叫ぶと、
北光彦を睨み付け、息を荒らげながら、

「オオ俺はココこんな宣伝使はキキ気に食わぬ。腰抜け野郎め。
女房を奪られ、家を焼かれ、悪人に財産を全部ふんだくられ、寝る家もなく、食う物もなく、
親子は散り散りバラバラになって、あるにあられぬ苦労をしているのに、
苦労知らずの人情知らずめが!
ナナ何が、神サマだ。赦してやれもクソもあったものかい。尻(ケツ)が聞いて呆れらア。
アアあまり人を馬鹿にするない!そんならお前の頭に、オオ俺が今、小便を引っかけてやる。
ソソそれでもお前は怒らないのか!」

と言いながら、北光彦の背後に立って、その頭の上から小便をジャアジャアとかけ出しました。
それを見ていた東彦や他の旅人たちは「待て、待て」と叫びますが、時既に遅しです。
頭から小便をひっかけられた北光彦は、しかしニコッとしてそのまま座っています。
Aはそんな北光彦に口汚く罵りました。「やい腰抜け野郎め! 弱虫! はな垂れ!」
しかし北光彦は平然として講演を続けました。
すると今度は別の旅人Bが質問します。彼は片目がありませんでした。

「私は悪人に片目を抉(えぐ)られてしました。幸いなことに片目は助かりましたが、
時々思い出しては癪に触ってしかたありません。
あなたの忍耐力の強さには感動しました。私もあなたのようになろうと覚悟を決めました。
しかしどうしたものか、腹の底に悪い蟲が潜んでいて、承知をしてくれません。
『仇を討て』『仇を討て』『何をぐづぐづしている』『目玉を抉(えぐ)られたのに、
卑怯にもその敵を赦しておくような弱い心を持つな』と腹の蟲が囁くのです。
一体どうしたらこれが消えるでしょうか。どうしたらそんなふうに思わないように、
綺麗に忘れることができるでしょうか?」

「ごもっともです。それが人間の浅ましさです。しかし、そこを忍耐せなくてはならないのです。
われわれの心の中には、常に鬼や悪魔が出入りをしています。
それで人間は生まれつき持っている直日(なおひ)の霊(みたま)という立派な守護神と相談して、
よく省みなくてはなりませぬ。
先方が悪ければ神様はきっと仇を討って下さるでしょう。善悪正邪は、人間にはとうてい判断は
出来ませぬ。ただ神様に任せて生きるのが人生の本意です」

すると最初の男Aが怒って、
「ヤイみんな、こんなトボけた教えを聞くバカがあるか。コイツが言っていることこそ、
強い者勝ちの悪の教えだ!
ヤイ、北光彦! 貴様もエラい目に遇わしてやろうか!」

と言うと、先の尖った竹を持って北光彦に迫り、その右眼にグサッと突き刺したのです。

しかし北光彦は平然として、その竹槍を抜き取り、左手で眼を押さえ、右手で竹槍を持って
押し戴き、天に祈り始めました。

「ヤイ北光彦、腹が立つか? お天道様に『この男に罰を与えて下さい』なんて
祈っていやがってるのだろう。ヘン、俺サマに罰が当ってたまるかい。
悪いのは貴様の方だろ。
オイ、悲しいか? 痛いか? 苦しいか? フン、涙をこぼしやがって。
今まで脳天気なホラばっかり垂れやがって、フン、その吠え面は何だ。
今までの大言壮語はどこ行った? 何をメソメソつぶやいているのだイ」

とAは言葉を尽くして嘲笑しました。
しかし北光彦は竹槍を頭に戴き、右手で目を押さえながら、

「アア天地の大神様、あなたの深き広きその御恵みに感謝します。
二つの眼を失った人もいるのに、私は幸いなことに、一つの眼を与えて下さいました。
そしてお取り上げになった眼は物質界は見ることは出来なくなりましたが、
その代わりに心の眼は蓮の花の開くが如くパッと明るくなり、三千世界に通達する
霊力を与えて下さいました。
今日はいかなる有難い尊き日でありましょう。天地の大神様に感謝を捧げます」

と鄭重に祈願を捧げ、天津祝詞を声も朗かに奏上しました。
Aは冷ややかにその光景を見ながら、

「オイ腰抜け、弱虫、ハナ垂れ、小便垂れ、減らず口を叩くな。
それほど眼を突かれて嬉しけりゃ、お慈悲にモ一つ突いてやろうか」

とまたもや竹槍を持って北光彦の左目を突こうとします。
そのとき、宣伝使・東彦はパッと飛び出て、その竹槍をグッと握り、横に押しました。
するとAはよろよろとして倒れてしまい、
川岸から真っ逆さまに川の中へ転落してしまったのです。

北光彦は驚いて真っ裸となり、川に飛び込むと、
Aの足を掴んで浅瀬に引いて救い上げました。
この事件により、気が荒く乱暴者のAも、北光彦の慈心に感じ入り、
悔い改めて弟子となり、神の教えの宣伝に従事することになりました──。


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さて、これを読んでどんなことを感じましたか?
霊界物語は読むたびに、より深い神の世界へと引き込まれて行きます。

旅人Aは、北光彦を悪を擁護するトンデモない野郎と思っていたわけですが、
やられてもやり返さない北光彦の態度に感じ入って、
心を改めた──つまりここで力の向きが変わったわけです。

殴ったら、殴り返してくる奴は「敵」です。尻尾を巻いて逃げて行く奴も「敵」でしょう。
しかし北光彦は仕返しもせず、逃げもせず、川に落ちた自分を助けてくれました。
命を助けてくれるのは「味方」です。
第9回で神の「返報返し」の話を書きましたが、北光彦は憎しみを愛で返したわけです。
韓国や中国で反日運動が盛んですが、憎しみに対して決して憎しみで返してはいけません。
それこそ悪魔の思う壺です。

さて、このエピソードで出てきた直日(なおひ)というのが出てきましたが、
それは要するに「内在する神」のことです。
私たちの中には神がいると同時に、「敵を憎め」と叫ぶ腹の蟲──悪魔も共存しています。

他人を言向け和そうと思うなら、まず自分の中の悪魔を言向け和す必要があります。


第11回 天空に架かる巨大な黄金の橋が、世界の終末から人々を救い出した!


国祖隠退後の地球は天変地異が勃発。霊界物語の第5~6巻で書かれているんですが、
ここでビジュアル的な見所は、何と言っても天空に架かる巨大な
「天の浮橋」(あめのうきはし)でしょう。

まだ国祖(国常立尊)の神政の時代に、竜宮城(世界政府のこと)の「三重の金殿」
(みえのきんでん)という部屋に、宇宙剖判のとき一番最初に誕生したと言われる
「顕国の御玉」(うつしくにのみたま)という宝玉が奉安されました。
国祖が隠退すると、その三重の金殿が鳴動しながら天に向かってニョキニョキと延びて行き、
雲にまで達し、その先端が左右に分かれて、黄金に輝くその太い柱は東西に延びて行き、
あたかも天空に黄金の橋を架け渡したかのように変形したのです。

このT字型の黄金の橋を「天の浮橋」と呼びます。
日本神話に出てくる天の浮橋は、国生みの際にイザナギ・イザナミがその橋の上に立って、
アマノヌホコで塩コオロコオロにかきなした(掻き回した)...という、あの橋です。
文字通り天に浮いている橋です。

日本神話では天地剖判直後の泥海で国生みが行われますが、霊界物語では大洪水後の
泥海で国生みが行われます。
その洪水の前から、救済のための神器として天の浮橋が登場するのです。

その大きさは書いていないのでよく分かりませんが、ともかく橋の端が見ないくらいの
巨大なものだと思います。

この黄金の橋がゆっくりと回転を始めました。東から南、西、そして北へ。
時計回り(右回り)です。台風の向きとは逆ですね。

橋の先端からはとても美しい金色の光がまるで花火のように、
地上に向かって放射していました。

壮大な光景ですね。
霊界物語はこうやってイメージしながら読むのがコツです。

天の浮橋の想像図が霊界物語に挿入されているので参考にごらん下さい。
このページ(5巻23章)の下の方です。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0523

天の浮橋をよく見ると、橋桁のあちこちから細い金色の「霊線」が、まるで糸柳のように
何本も何本も、地面に向かって垂れ下がっています。
その霊線の先端には、金、銀、銅、鉄、鉛などのカギ(鈎)が付いていました。

これを「神の御綱」(かみのみつな)とか「救いの鈎」(すくいのかぎ)と呼びます。

このカギは神人(しんじん=この時代は神と人との中間の神人の時代だった)たちを
釣り上げて、橋桁の上に乗せて行きました。
誰でも彼でもではありません。額に「神」というマークが付いた神人だけです。
この「神」を付けたのは「言触神」(ことぶれのかみ)と呼ばれる神人です。

天変地異が多発する地球で神人たちを救うために、天教山(神代の富士山)に正しい
神人らが招集され、世界の大峠を告げる「言触神」に任命され、世界各地に散って
行きました。
彼らが「宣伝使」の魁けです。

彼らが世界を旅しながら、神(国祖)の教えを宣べ伝えて行き、その教えに耳を傾ける
神人たちの額に「神」マークを付けて行ったのです。

「救いの鈎」は「神」マークの付いた神人たちを引っかけて、次から次へと空に引き上げて
行きました。
黄金の橋の上に救われたのは上(じょう)の身魂(みたま)の神人でした。

すると今度は金色の橋のすぐ下に銀色の橋が現れ、またその下には銅色の橋が現れ、
天の浮橋は三本になりました。
それぞれ銀色、銅色の霊線が無数に垂れ下がっており、そのカギで、銀色の橋には
中(ちゅう)の身魂の神人が、銅色の橋には下(げ)の身魂の神人が救われて行きます。

橋と言っても、欄干も何も無い、丸木橋のような、渡ることが難しい橋です。
引き上げられる途中で落下したり、橋の上で滑ったり、風に吹き飛ばされて転落する
神人もいました。
しかしこの橋を渡らなくては、神の柱(神柱=かんばしら)になることは出来ません。

浮橋はゆっくりと回転しながら、天教山や地教山(神代のヒマラヤ)、その他数ヶ所の
高山の頂きに、神人たちを下ろして行きました。

天の浮橋が描かれているシーンは、主に次の章に出てきます。

5巻10章「奇々怪々」 http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0510
同23章「神の御綱」 http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0523
同24章「天の浮橋」参照〕 http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0524

   ☆   ☆   ☆

第6巻で、大洪水・大地震が567日間続いて、ついに地上は泥海になってしまいます。
この「大峠」から地上の神人を救った神器が、天の浮橋を始め三つあります。

他の二つは、巨大な亀と、方舟です。

巨大な亀というのは、琴平別神(ことひらわけのかみ)の化身です。
「ことひら」と言えば香川県の「こんぴらさん」(金刀比羅宮)さんがすぐに思い浮かびますが、
こんぴらさんは海上の守り神ですね。(祭神は大物主命と崇徳天皇)
霊界物語では、イザナギの子である大道別(おおみちわけ)という神の霊魂が二つに分かれて、
地上の守護神「日の出神」(ひのでのかみ)と、海の守護神「琴平別神」になりました。

こんぴらさんの片割れである日の出神が、紀伊半島の大台ヶ原(最高峰は「日出ヶ岳」)から
世界宣教に旅立つシーンがあります。(第7巻)
地図を見ると、金刀比羅宮と日出ヶ岳がほぼ同じ緯度上にありますね。(約34度11分)
そしてその中間に、国生み神話の舞台である淡路島があるのが意味深です。

このレイラインは霊界物語を知っていないと見つからないレイラインですね。
ただ地図をよく見ると、このレイラインは淡路島をわずかに外れていて、
その南にある沼島(ぬしま)を通っています。

ところで、国生みで最初に誕生したオノコロ島は、一般には淡路島だと言われていますが、
この沼島がオノコロ島だという説があることをご存知でしょうか?
淡路島には有名なオノコロ島神社がありますが、沼島にもオノコロ島神社があって、
やはりイザナギ・イザナミを祭っているのです。

しかし実はこちらもレイラインからわずかに外れており、沼島の北2~300メートル先の海上が
レイラインなのでピッタリとは行きません。
ですが国生みというのは、はるか太古のことです。縄文以前は海面が低かったので、
淡路島も沼島も陸続きだったはずです。(もっとも日本列島自体が大陸と陸続きでしたが...)

さて話がズレましたが、救済に使われた三つの神器のうち、もう一つの方舟というのは、
ノアの方舟で有名なあの方舟ですが、一隻だけではなく、333隻あります。
「目無堅間(めなしかたま)の船」とも呼ばれ、銀杏の実を浮かべたような形で、海水が入って
来ないように上面は頑丈な板で丸く覆われており、横には空気穴が開いています。
現代の客船に搭載している救命ボートのようなかんじです。

方舟と言えばちょうど今『ノア 約束の舟』という映画の公開が始まりましたね。
霊界物語を映像化したら、この大峠のシーンはとても迫力あるシーンになると思いますよ。
光線を発する天の浮橋が大空で回転しながら、神人を霊線で救い上げて行くシーンを、
ぜひ3Dで見たいものです。
王仁三郎はもともと、霊眼で、ビジュアルで、そのシーンを目撃していたのです。

余談ですが、これはよく映画などに出てくる、宇宙船から光線が出て人間を宙に引き上げて
宇宙船に乗せて行くシーンに似ているかも知れません。
実際の物理的な橋なのではなく、そういうメタファーなのかも知れませんね。

   ☆   ☆   ☆

ところで聖書の洪水伝説では、地上の蒼生を救い出したのは方舟しかありませんが、
霊界物語では天の浮橋と巨大な亀と方舟の三つあるわけです。

そして、聖書では、大洪水から救われたのはノアとその家族だけですが、霊界物語では
もっとたくさんの神人が救われています。
それに、正しい人だけではなく、何故か悪人までも救われているのです。

たとえば、国祖を隠退に追い込んだ悪の張本であるウラル彦、ウラル姫夫妻
(旧名は常世彦、常世姫)も、銅橋の上に救い上げられています。

何故なんでしょうね~??
悪い奴らは救わなくてもいいじゃないですか。。。

ここに欧米的な価値観と、王仁三郎的な価値観の明白な違いがあります。

そもそも霊界物語で大洪水が起きたのは、決して悪人を滅ぼすためではありません。
国祖隠退=つまり人々が生命の根源であるこの地球の超絶したエネルギーに封印をして
しまったために起きた、ある意味では自然現象です。
洪水から町を守るために川をコンクリートで固めて堤防を築いて、その結果土砂で川底が上がり、
決壊してかえって大規模な被害が発生するようなものです。
そして国祖(国常立尊)はこのとき、地上の蒼生を救うために自らを犠牲にして、
大峠の天変地異を鎮めるのです。
悪人を滅ぼすどころか、彼らをも救っているのです。

一方、聖書で大洪水が起きたのは、悪い奴らを滅ぼすためです。
しかしその結果はどうでしょうか? 
正しいノア一族だけ生き残らせても、結局は地上は再び悪化してしまい、現在のこの有り様です。
だからイエス・キリストが現れざるを得なかったのです(2千年も前のことですが)。

結局、悪人を滅ぼしても滅ぼさなくても、地上を良くすることとは、あまり関係ないのですよ。
滅ぼしたって、世の中は良くなりません。
何千年もの人類の歴史で、それが証明されています。
悪をどんなに叩いたって悪はなくなりませんね。
医学がどんなに発達しても病人がなくならないどころか増えていることと同じです。
何か根本的に考え方が間違っています。

霊界物語では、悪人を滅ぼして世の中を良くするのではなく、
悪人を言向け和して、世の中を良くします。

これは厳霊(げんれい)と瑞霊(ずいれい)という宇宙の二大霊流の価値観の違いでもあります。
聖書的な価値観は厳霊です。王仁三郎は瑞霊です。
そして、厳霊はダメで瑞霊はよし、ということではなく、両方とも大切だというのが、
真に王仁三郎的な価値観です。
この厳霊と瑞霊が合したのが伊都能売(いづのめ)です。

「言向け和す」というのは、この伊都能売的価値観で世の中を良くすることです。

近頃は外圧の反動で日本的価値観が見直されつつありますが、
「外国はダメで日本はよし」というのは「外国」の価値観ですね。
外国も日本もすべて大切、というのが、真に日本的価値観です。大和(だいわ)の精神です。
総てを包み込んで、世界を統(す)べ治めて行くのが、日本の使命ではないでしょうか。
(戦前、王仁三郎はそれを「皇道」と表現しました。すめらぎの道、世界統一の道です)


さて、次回は霊界物語の言向け和すエピソードの一部を紹介したいと思います。


(次回に続く)


第10回 国祖隠退後の地球 ──同殿同床と祭政一致の意義

国祖・国常立尊が世界の艮に隠退した後の地球は、天変地異が多発し、
567日間続いた大洪水・大地震によって泥海と化してしまいました。

このような大異変が起きた原因の一つとして、同殿同床(どうでんどうしょう)を廃して
神祭を怠ったことがあります。
太古の神代では、神祭が一番重要でした。



すべて太古の御神政は神祭を第一とし、次に神政を行い、国々に国魂神があり、
国魂神は、その国々の「神王」または「八王」(やつおう)などといって八尋殿(やひろどの)を
建てられ、殿内の至聖処(しせいしょ)に祭壇を設け、造化三神を鎮祭し、神王および八王は、
同殿同床にて神明に奉仕された。
(霊界物語第6巻総説)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm060003

同殿同床というのは、神と人とが同じ屋根の下に住んで起居を共にすることで、同床共殿とも
呼びます。

今は伊勢神宮で祭っている天照大神は、もともと皇居の中で祭っていて、神と天皇とは
同殿同床だったと言われています。
それが崇神天皇(第10代天皇)の6年に、皇居の外に祭るようになったと日本書紀に
記されています。
このとき天照大御神と日本大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)の二柱を皇居内に
祭っていたんですが、両者の仲が悪かったため?か一緒に祭ることができずに、それで
皇居の外で祭ることになりました。天照大御神は今「元伊勢」と呼ばれている場所を転々と
して最終的に伊勢の地に鎮まり、日本大国魂神が祭られたのは奈良県天理市の大和神社
(おおやまとじんじゃ)です。

太古の神代でも、国祖の時代には同殿同床でしたが、悪神の常世彦が国祖を追放し
世界政府の実権を握ってからは、神霊を宮殿から分離して他のところに祭り、
祭祀を怠るようになったのです。

さて、この同殿同床の復活がみろくの世の重要な鍵の一つのようです。
国家が神を祭ることであるとも言えるでしょう。「祭政一致」という言い方もします。

日本国の祭政一致の真意義は、神の国と人の世との真釣(まつり)ごとの意義である。 度衡(はかり)に物を懸けて相等しく真釣り合わす義である。...天国と人の世との真釣りの ほかに、わが国の行事には一つも他の事はないのである。...祭政が成立せずして、どうして 天国が地上に来るであろうか。...祭政一致の行われない国家は、永遠に地獄の域を脱する 事が出来ないのである。 (『出口王仁三郎全集 第2巻』「宗教と政治」より)

国家が神を祭ると言っても、それは、皇居なり総理官邸なりに神を祭るとか、
そういう形式的なことではありません。

国家権力が、特定の名前がついた神を祭ったりするようなことは、たいして役に立ちません。
それどころか見当違いの方向に進んでしまうことは今日までの人類の歴史を見れば明らかです。

ところで私たちは神様に参拝するために神棚に手を合わせたり、神社や教会などに行きますが、
べつに神棚や神社に神様が住んでいるわけではありません。
目に見えない霊である神はどこにでもいます。
いつでもどこでも神に感謝し、祈願することは可能です。
ただ、そういう聖域の方が、神様と向き合いやすい、というだけのことです。

同殿同床=神と起居を共にするということは、単に屋内に神を祭るということではなく、
24時間「神と共に生きる」ということを意味しています。
神社に行ったり神棚の前に行かなくても、常に神を意識して生きる、ということです。

つまり国家が神を祭るというのは、常に神を意識した政治を執る、ということであり、
それはたとえば──国家経営の基本方針として、人間は地球生命体の一員であると位置付け、
地球と共に生きるということを掲げることではないでしょうか?

国祖・国常立尊は、地球を造った神霊です。
端的に地球そのものと言ってしまってもいいかもしれません。
地球の表面である「大地」の神という概念なら、ギリシャ神話を始め世界中あちこちの宗教に
見ることができます。王仁三郎用語で言うと金勝要神(きんかつかねのかみ)です。

大地の神というと、豊穣をもたらす女神のような、「土」的な、また母性的なイメージですが、
国常立尊は異なります。

厳格で実直、そして忍耐強い神です。
それは地球の表面の土ではなく、内部のマントルであり核(コア)のイメージです。
マントルは岩石でできており、核は高温の金属でできています。
想像してみて下さい。5700℃・364万気圧という、想像を絶する世界!
その地球最奥部からのメッセージ、それが出口ナオに懸かった国常立尊です。

長い間人類はその"危険な"地球に封印をして、コンクリートで固めた人工的な環境で
生きてきたわけですが、明治25年にその封印は解かれています。
地球はどんどん動き、地形は変化し、国家や民族は再編成せざるを得なくなります。
もう人間の都合のいいようにはさせないというのが地球からのメッセージです。
人間が地球の都合に合わせなくてはいけません。

地球生命体ガイアの一員として生きること、それは再生可能・循環できる社会構造に
することであり、そういうことを憲法に明記してしまえばいいのです。
そうなると核廃棄物の捨て場所に困る現在の原発はアウトになります。
地球を破壊する兵器だって、もちろんアウトです。

憲法改正問題というと9条ばかりがクローズアップされますが、
それ以外の条項を追加したっていいのです。

国家の経営に、地球と共に生きるという概念を持ち込むことが「同殿同床」であり
「祭政一致」であると思います。

「地球との共生」ということなら、唯物論者でも反対はしないのではないでしょうか?

王仁三郎は「世界共通の宗教」を創ろうとしました。
それはどのような宗教の人でも、神を信じない人でも、受け入れることができるような
共通の価値観を創り上げて行くことです。

それが王仁三郎の言う、世界統一ということです。


第9回 国祖隠退と国祖復権──神は復讐する?

前回は「常世会議」について書きました。表向きは、世界各国の代表者を集めた世界
平和会議ですが、実は開催者の常世彦(初代)が世界の盟主になろうという陰謀が隠
された会議でした。

この計画は失敗しましたが、彼の息子の常世彦(二代目)が、国祖・国常立尊(くにとこ
たちのみこと)を隠退へと追い込んで行きます。

常世彦は国祖の配下の天使長兼宰相です。
まず世論を味方に着けて団結して、国祖に圧力をかけ、次に国祖の上位にいる天の
大神に「国祖は自分で作った律法を自分で破った。地上神界の主宰神として不適格だ」
と直訴をして圧力をかけます。

そうして自ら辞職して隠退するように仕向けたのです。

会社にたとえると、雇われ社長が自ら労働組合を作って団体交渉でオーナー会長を糾
弾し、おまけに官公庁に「会長は不正を働いている」と告発するようなものでしょうか。

常世彦はこうやってクレーマーのように騒ぎまくって、国祖を隠退に追い込んだのです。
ですからクーデターとか革命のような武力行使によるものでなく、まあ言うなれば、一種
の情報戦ですね。

これが国祖隠退です。
国祖は世界の艮(東北)の方角に押し籠められ、それから「艮の金神」と呼ばれ、悪神・
祟り神として忌み嫌われるようになってしまいました。

そして長い長い歳月を経て、明治25年に丹波の綾部で出口ナオに神懸り、国祖の復権
(再現)が始まりました。封印が解けたわけです。

この国祖の復権とは、つまり──今日まで悪神だと思われてきた艮の金神こそが、この
地球の真の親神であり、今この世を支配している神こそが悪神である......
ということです。
ですから、今まで抑圧されてきた側が支配者になる、ということで、下克上的な、共産革
命的なニュアンスがあるかも知れません。

しかし、国祖の復権とは、単に支配者と被支配者が逆転することを意味するのではあり
ません。

ロシアで、皇帝を共産党が倒しましたが、結局はその共産党が新たな皇帝となりました。
そして共産党は民主勢力に倒されましたが、その後のロシアのやり方を見ていると、結
局は帝政やソ連時代とたいしてやり方は変わらないようです。表面的な支配者は変わっ
ても、体質は何も変わっていません。

国祖の復権というのは、こういう単なる支配者の交替ではなく、体質自体が変わります。
一言で言えば「憎悪による支配ではなく、愛善による支配」ということになりますが、少し
具体的なことを書いてみます。

   ○   ○   ○

出口ナオが書いた艮の金神の神示『大本神諭』に、「返報返し」というフレーズが出てき
ます。

「返報返し」とは、広辞苑によると「恨みに報いること。しかえし」という意味です。

たとえば大本神諭で次のように使われています。

●この結構な日の本の神国を、外国魂の悪神に自由自在に汚されて、神は誠に残念なれ
 ど、時節を待ちて【返報返し】を致すのであるから、心に当る守護神人民は一日も早く改
 心致して、元の日本魂に立ち帰りて居りて下されよ。(明治四十三年旧四月十五日)

●外国人よ、今に艮の金神が、【返報返し】を致すぞよ。(明治二十五年旧正月)

「外国」というのは文字通りの外国ではなくて、悪い奴ら、という意味の比喩ですので、
外国人の方、気分を悪くしないで下さい。(^_^;

さて、この「返報返しを致すぞよ」というのは要するに「国祖を艮に押し籠めた悪神勢力に
復讐をする」と読めます。

──神様というのは悪に対して「復讐」したり「天罰」を下したりする存在だ──と思っている
人もいると思いますが、そういう人は、「返報返し」という言葉を広辞苑に書いてあるように
「仕返しをする」ことだと受け止めてしまうわけです。

しかし、愛善の神が仕返しをするなんて、何かおかしい......と感じる人もいます。

出口王仁三郎の高弟の一人がそういう疑問を持ち、王仁三郎に質問しました。
『聖師伝』(聖師とは王仁三郎の尊称)という本に書いてあるんですが、引用してみます。

 
=========================================
......筆者はかつて神諭に国祖・国常立尊が隠退され「口惜(くや)し残念をこばりておりた」
とか「今に艮の金神が返報返しをする」とかいう意味のことが示されていましたので、その
意味について聖師におうかがいしたことがありました。

いやしくも国祖ともあろう神さまが、自分を押し込めた神々に対して報復するというようなこ
とが、どうも合点がいかなかったからであります。

その時、聖師は「わしは今にみんなを喜ばして返報返しをしてやるのだ」と言われました。

なるほど神諭は人間心では、わかるものではない、神心にならなければ、解釈することの
できるものではないと、しみじみ思わしめられました。

「返報がえし」と言えば、われわれは直ぐにカタキをうつような意味にしか、とらないのであ
ります。

地獄的な意志想念をもって神諭をいただけば、それ相応にしかうけとれないので、たとえて
言えば、ちょうど鏡のようなものであります。

鏡に向かう時、そこに映るものは自分の姿であります。
神諭には自分の心の姿が映るのであります。
=========================================

なるほど。神示はその人の身魂(みたま)相応にしか読めないようです。

昨年は「倍返し」とか「三倍返し」という言葉が流行りましたが、半沢直樹氏にとって「返報
返し」とは、相手を土下座謝罪させることなんだと思います。(^_^;

しかし王仁三郎は、国祖の言う「返報返し」は、相手を喜ばすことだと言うのです。

喜ばして返報返しをするとは、一体どういうことでしょうか???

たとえば、私が思うに──

「神心は親心」と言いますが、親が泣いている赤ちゃんをあやすときのことを想像してみ
て下さい。
赤ちゃんは親の迷惑かえりみずに、いつでもどこでも泣きわめいてうるさいですよね?
しかし「うるさい!」と怒鳴って返す親はいないと思います(実際にはいますけどね)。

赤ちゃんが泣くには理由があります。親はその理由を探り、オムツが濡れていたらオムツ
を取り替えてあげます。

そうしたら赤ちゃんは機嫌を直してニコッと笑いますよね?

──これが「神の返報返し」ではないでしょうか?

「喜ばして返す」ということです。

憎しみを愛で返すと言ってもいいでしょう。

赤ちゃんが泣きわめくのは、オムツが濡れたことによる不愉快な感情を、どう処理して
いいのか分からないからです。
自分で解決できないので、泣いて助けを呼ぶわけです。

「暴力」というのはすべてそういう性質を持っているように思います。
自分の中のフラストレーションをどう解決したらいいか分からない、その心の叫びです。

人間が抱く憎悪とか嫉妬とか怨恨などの想念は、神様から見たらすべて、救いを求める
SOS信号です。

そういう神心=親心になって初めて、神の経綸というものが見えてくるのでしょう。

そしてその親心による世界統治が、国祖が復権した「みろくの世」のあり方です。

   ○   ○   ○

しかしその「親心」にしても、ヤクザの親分的なものを親心だと思っている人もいます。

「言向け和す」ということも、「暴力は使わずに、言論によって相手を倒すことだ」と思って
いる人もいます。

結局、言葉によって伝えるには限界があります。特に短い「単語」によって伝えるには
限界があります。

そのため霊界物語では実例入りの「物語」という形で伝えているのかも知れません。

ただ、物語だと長くなるのが難点です。
霊界物語は私が運営するサイトから無料で読めますが、無料でも「長い・固い・難しい」
書物なので、そうやすやすとは読めないと思います。

そこで今、霊界物語のダイジェスト&現代語版を書いています。
もう近々、最初の1冊(第1巻の半分をダイジェストにしたもの)をアマゾンKindleの電子
書籍でリリースする予定です。

リリースしたら『霊界物語スーパーメールマガジン』でお知らせしますので、登録していな
い方は今のうちに登録しておいて下さいね。無料で週2回出しています。

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第8回 邪神が主催する世界平和会議/スサノオの教えは感情教

皆さん、こんにちは。飯塚弘明です。
4月10日から14日まで沖縄に滞在していました。「言向け和す」の勉強会のためです。

那覇空港に着いて最初にふと気がついたことは奈良と沖縄との関係です。
奈良は「大和」(やまと)の国ですが、大きな和 → おーきなわ → 沖縄 となります。
なるほど。大きな和が沖縄なんですね。まさに「言向け和す」を発信するのにふさわしい地です。

沖縄は第二次大戦では米軍との激戦地となり、今もって沖縄本島の面積の2割が米軍基地と
いう状態ですが、その米国は霊界物語では常世国(とこよのくに)と呼ばれています。
今の米国ではなく、太古の神代の米国です。

この常世国で、邪神の常世彦が主催した世界平和会議が開かれました。
世界各地の代表者を集めて、各国の軍備撤廃と王政廃止(民主化)を提案したのです。
これを「常世会議」と呼び、第4巻の前半に出てきます。

軍備撤廃と民主化という、一般市民が喜びそうなエサをぶら下げていますが、そこには実は
常世彦が世界の盟主になる陰謀が秘めらていたのです。

これは太古の神代の昔の話ですが・・・現代でも似たような状況です。「核なき世界を」と唱えて
ノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領が新型の核兵器実験を進め、7700発も核弾頭を保有
していながら、オモチャのような核兵器をたった何発か持っている北朝鮮をさぞ極悪国家のよう
に非難しています。要は平和のための核廃絶ではなく、自分に逆らう者をなくすための核廃絶
です。つまり「オレさまの言うことを聞け」というだけのことですね。

太古の神代の常世会議もそれと同じで、軍備を撤廃して常世彦の支配下に入れ、ということを
意味していました。
民主化にしても、常世彦の言うことを聞かない国王を失脚させるための方便です。現代のCIAも
米政府の言うことを聞かない中南米や中近東の国家で民主化工作していますが、
それと同じです。

この常世彦の世界征服の陰謀を打ち砕くために、国祖・国常立尊は複数のエージェントを常世
会議に潜入させました。

エージェントたちは、魔術を使って怪奇現象を起こして常世会議を妨害します。
そして最後には常世彦のニセモノを登場させて、会議を当初の提案とは違う方向に進行させて
しまうのです。

エージェントたちの活躍により見事、常世彦の陰謀は打ち砕かれました。

しかし。

国祖はそのやり方を問題視しました。
国祖が命じたのは、常世彦を言向け和して改心させろ、ということです。

ですがエージェントたちは「言向け和す」ということを理解せずに、単に会議を妨害して陰謀を
打破したのでした。

つまり国祖のエージェントたちこそ、現代のCIAのような卑劣な破壊工作機関に成り下がって
しまったのです。

国祖に罪を指摘され、ニセの常世彦に扮した道彦というエージェントは、海に飛び込んで自決
しました。
また天使長(宰相)は責任を取って辞職してしまいました。

   ☆   ☆   ☆

暴に対して暴で報いるやり方では、みろくの世は創れません。世の中が混乱するだけです。
しかしみんな、世の中をよくしようと思って、そのために暴力を振るうのです。

タイで今年の1月から3月にかけて「首都封鎖」が行われました。反政府勢力が2月の総選挙を
阻止するために首都のバンコクで交差点に座り込み首都機能を麻痺させたのです。
また台湾では3月から4月にかけて「立法院(国会)占拠」が行われました。中国との貿易協定に
反対する学生たちが議場に入り込み占拠したのです。

いずれもある程度は、要求を達することができたようですが、相手に自分の言うことを聞かす
ために暴力行動を取るのでは、世の中をよくするどころか、世の中を悪化させるだけです。

みんなそうやって「正義」のために暴力を振るって来たのです。そういうやり方を正当化して
しまったら、いつまでたっても戦争はなくなりません。

誰もが「正義のための暴力は必要だろ」と思うのですが、その「正義」が人それぞれ違うのです。
だから正義のための暴力を正当化していたら、結局は「力の強い者が勝つ」ということになります。
そして勝った者(力の強い者)が正義だ、ということになり、それではいつまでたっても、強い者勝ち
(弱肉強食)の獣の世から抜け出せません。

   ☆   ☆   ☆

霊界物語の主人公で救世主のスサノオは、三五教(あなないきょう)という霊的勢力を導いています
が、その三五教は「感情教」だと言っています。
自分の要求を暴力によって聞き入れさせるのではなく、自分の想いを共感してもらおう、
というやり方です。
殴ったり、怒鳴ったりしても、人は自分に共感してもらえません。むしろ逆に嫌悪感を抱きます。

自分の想いに好感を持ってもらって共鳴してもらうやり方が「言向け和す」です。
愛によって繋がって行くやり方です。
こちらの方が世の中をよくするためには断然いいやり方だと思いませんか?
殴ったり怒鳴ったりしなくても、世の中をよくすることが出来るのです。


三五教の照国別(てるくにわけ)という宣伝使が、大和魂について説明しているセリフの中で、
三五教は感情教だということが説かれています。
そこを引用して今回は終わりにします。


霊界物語第40巻第6章「仁愛の真相」より (注・超訳です)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm4006
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大和魂は仏の道で言う菩提心(ぼだいしん)のことだ。
この菩提心は三つの心が集まって出来たものである。
その第一は神心・仏心または覚心と言って、善の方へ働く「感情」を言う。
要するに慈悲心とか同情心と言うものだ。
第二は勝義心(しょうぎしん)と言って、即ち「理性」である。
第三は三摩地心(さんまちしん)と言い、即ち「意志」である。
感情、意志、理性の三者を合一したものが菩提心となり、大和魂となる。

なにほど「理性」が勝れていても、知識ではすべての衆生を救済することは出来ない。
知識のある者、学力のある者のみが解するもので、一般大衆を救うことは出来ない。
これに対して証覚心、いわゆる神心・仏心は「感情」であるから、大慈悲心も起こり、
同情心もよく働く。
この慈悲心、同情心は、智者も学者も鳥・獣に至るまで及ぼすことが出来る。
これくらい偉大なものはない。

三五教は感情教であるから、一切万事、無抵抗主義をとり、四海同胞・博愛慈悲の
旗印を押し立てて進むのであるから、草の葉っぱに至るまで、その徳に懐かぬものはない。

今日のように、武力と学力の盛んな世の中に、慈悲心のみをもって道を拓いて行こうとするのは、
何だか弱くて頼りないことのように思われるが、決してそうではない。最後の勝利は、よき感情、
即ち大慈悲心、同情心が艮(とどめ)をさすのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

とても力強いメッセージですね。


「言向け和す」の勉強会を開いています。
詳しくはメールでお問い合わせ下さい。 

oni_do@ybb.ne.jp(飯塚弘明)

第7回 神都を魔軍が空爆──しかし自衛戦争を禁じた国祖大神

ロシアのクリミア併合でウクライナとロシアの間が緊迫化しています。
今にも戦争が起きそうな気配です。
人類は相変わらず何をしてるのかなーーーと呆れてしまいます。

誰の言い分が正しいのか...ではなくて、たとえ自分の言い分が正しいのだとしても、
それを暴力的方法をもって実現しようということが問題です。

この問題ははるか太古の神代の時代、国祖が地上を治めていた時代から
ずっと続いています。

     ☆     ☆     ☆

霊界物語の第3巻第43章で、邪神の常世彦(とこよひこ)が世界を征服するために、
魔軍を引き連れて「地の高天原」(当時の世界首都)を攻撃します。
数千機の天の磐船(あまのいわふね)で大量の火弾・毒弾を空爆するのです。

このとき、天使長の大八洲彦命(おおやしまひこのみこと)は神都防衛のため
「天の真澄の鏡」(あめのますみのかがみ)という大量破壊兵器の使用許可を
国祖に求めます。

しかし国祖・国常立尊は怒って次のようなことを言います。

「汝らはなぜ敵を言向け和して悔い改めさせようとしないのか? 敵の暴力に対して
暴力でもって対抗するとは...」
「あくまでも忍耐に忍耐を重ねて、極悪無道の人物を心底より悔い改めさせよ」
「敵軍に暴力で戦うことを止めよ」
「真の神の心は宇宙万有一切を平等に愛護する。ゆえに争闘は神慮に背反する」
「武力に訴えて解決を急ぐなかれ」

これが真の神の御心です。神の名前で戦争をするというのは、
根本的に、神様の御心を勘違いしていますね。

とはいえ・・・今まさに空爆している敵に対して、どうしたらいいでしょうか???
言向け和す(ことむけやわす)と言ったって・・・

どうしたらいいか分からずに結局、大八洲彦命は「破軍の剣」(はぐんのつるぎ)と呼ぶ、
別の大量破壊兵器を使ってしまいます。
現代で言うなら、核爆弾のような兵器です。

剣の先から光が現れて、天地四方に雷鳴・電光が起こり、疾風が吹きすさび、雨が降るように
数千機の磐船はことごとく地上に墜落し、敵軍の大半は滅亡しました。

神都は防衛できましたが、しかし国祖は禁を破った大八洲彦命を更迭してしまいました。

霊界物語 第3巻 第43章 「配所の月」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0343

     ☆     ☆     ☆

ところで「戦争放棄」を謳った日本国憲法に対して、出口王仁三郎はどのようなアプローチを
取っているでしょうか?
王仁三郎が昇天したのは昭和23年(1948年)1月19日なので、
憲法の公布(昭和21年11月3日)の時点はまだ在世中です。

王仁三郎は大本を「愛善苑」という名前で昭和21年2月に新しくスタートさせていました。
王仁三郎はその苑主だったんですが、前面には出ずに、弟子たちに運営を任せていました。

昭和21年12月の機関誌に、公布されたばかりの新憲法に対する声明が掲載されています。
王仁三郎ではなく、その弟子たちが書いたものですが、当然、王仁三郎の意を汲んでいるはずです。

その声明の中で、金森国務大臣の発言が引用されています。
金森徳次郎は、憲法を制定した第一次吉田茂内閣で、憲法担当の大臣を務めました。
言うなれば憲法を作った張本人です。
その張本人がこのようなことを言っています。

「わが国は兵力を持たぬということから、あらゆる危機と、あらゆる損害を覚悟しなくてはならぬ」
「いかなる戦争も自衛戦争の名をもって行うのが実情であって、自衛戦争を認めるということは、
一切の戦争を認めるということに帰着する」

驚きました。当時の内閣は「自衛権」すら否定していたのです。
それがいつの間にやら(朝鮮戦争の頃からですが)自衛のための戦争と、侵略戦争とを
区別するようになってしまったのです。
「いかなる戦争も自衛のために行うのが実情」というのが当時の内閣の見解だったわけです。
(ロシアの軍事行動も、クリミアにいるロシア人の保護が名目です。つまり自衛です)

そして「真理を追求する熱情を持つ者は、そういうことに何らの未練もなく、それを振り捨てて突進する。
そして世界がわれわれの後に追随して来るようにさせるだけの心構えがなくてはならぬ」と述べています。

すごい気概ですね。当時の日本人はここまで徹底して、地上から戦争をなくそうと決意していたのです!

それに対して王仁三郎の弟子たち(愛善苑)はこうコメントしています。

それは「まことにわれわれの意を尽した説明である」。そして、
「戦争放棄とは、闘争の精神までも捨て去るものでなくてはならぬ」
「闘争に非ず、また敵を生まないという理念と、その手段とが、今後の人類社会を根本的に
支配するようにならなくてはいけない」
「その源泉をなす真理が愛善である」

そうです。戦争をなくすというのは、単に軍備をなくせばいいという問題ではなく、
私たちの心の中から「闘争の精神」をなくさなくてはいけないのです。

私は子どもの頃からその違和感を持っていました。「戦争反対」と叫ぶ大人たちに「闘争の精神」を
感じていたのです。そして『大人はウソつきだ。戦争してるじゃないか』と思いました。
皆さんはそんなふうに思ったことはありませんか?

人と争い戦おうという気持ちがなくなって、はじめて人類愛善の世界=みろくの世が訪れるのです。
軍備を廃止しただけでは、みろくの世にはなりません。
現在の日本を取り巻く状況──韓国や中国の反日運動は、武力衝突こそありませんが、
とうてい「みろくの世」なんて言えませんよね。事実上の戦争状態です。

そして、こんな痛いことも言っています。
「新憲法は今日のところ、文章ができたというだけであって、そこには本来たいして意義はないのである」

条文ができただけでは──紙に文字が書いてあるだけですから、別に役に立ちません。

その憲法を「今後国民がいかに完成していくか、ということが緊要なのである」
「憲法の精神を国民に正しく理解させてゆく運動が当然起こって来なくてはいけない」
「愛善世界(みろくの世)の第一歩は、新憲法の完成からと言っても過言ではない」

憲法を完成させる、とはどういうことでしょうか?
戦争放棄の憲法(条文)が出来たので、これで平和が訪れたと、日本人は
思い込んでしまったのではないでしょうか?
だから「完成させる」という作業をこれまで怠って来たのだと思います。

憲法九条を完成させる、とは「闘争の精神」をいかにしてなくしていけばいいのか、
それを探求して実践して普及させてゆくことではないでしょうか?

これは日本人に神様から与えられた宿題です。自発的に宿題をやらなくては、強制的にやらされます。
つまり今、70年前の日本人の気持ちに立ち返って、憲法完成のために動かなくては、
また70年前のような戦禍が訪れて、強制的に「戦争はもう嫌だ」という気持ちにさせられる、
ということです。

私も王仁三郎の弟子として、それを始めます。
各地で「言向け和す」の勉強会を開いて行きます。

4月5日(土)名古屋、 4月12日(土)沖縄、 4月19日(土)大阪

で開きます。詳しくは飯塚までお問い合わせ下さい。メール:oni_do@ybb.ne.jp


なお、上の方で紹介した新憲法に対する声明の全文は、私のホームページ(オニド)に掲載してあります。

「新憲法と愛善運動」
http://onido.onisavulo.jp/modules/ond/index.php?content_id=182


第6回 金星から地球に与えられた12個の玉 その1つが日本にある...

皆さん、こんにちは。飯塚弘明です。
先日関西のにんげんクラブの人たちと京都の鞍馬寺に参拝して来ました。

鞍馬は王仁三郎にも由縁のあるお寺で、明治33年秋に「鞍馬山出修(くらまやま・しゅっしゅう)」と
呼ばれる御神業が行われています。

鞍馬寺の御本尊は「尊天」です。これは毘沙門天、千手観音、護法魔王尊の三体の総称ですが、
このうち護法魔王尊は、650万年前に金星から地球に降り立った存在で、16歳のまま年をとること
がない...という異星人伝説で有名ですね。

ネットで調べると、金星からやって来た護法魔王尊は大本神話に出てくる"艮の金神"こと国祖・
国常立尊のことだ~と考える人もいるようですが、国祖はこの地球を造った神霊であり、金星が
誕生する以前から存在していた神霊です。どこからかやって来た存在ではないので、概念的には
まるで異なります。

しかし霊界物語には「金星からやって来たもの」も登場します。
太白星(金星の別名)の女神が「12個の玉」を地球にプレゼントし、それが大地の12ヶ所に
国魂として祭られるのです。

     ☆     ☆     ☆

霊界物語には「12個の玉」が3セット登場します。
「黄金水の12個の玉」「太白星の12個の玉」「天教山の12個の玉」です。

黄金水(おうごんすい)から生まれた12個の玉は、竜宮城(太古の神代の世界政府)の神々が
1個ずつ大切に保管していたのですが、そのうち10個までが邪神に奪い取られてしまいます。
12個のうち10個が失われるというシチュエーションは、古代イスラエルの失われた十部族を
想起させる意味深な出来事です。

太白星の女神・生代姫命(いくよひめのみこと)は新しい別の12個の玉を地球にプレゼントし
ました。それぞれカラーの異なる玉です。
国祖はそれを大地の12ヶ所に国魂として祭り、世界を統治することにしたのです。
ここでも邪神が玉を奪おうとして闘争が繰り広げられます(第3巻の前半)。

この12ヶ所は次の場所になります。これは太古の神代の時代のことなので現代とは地理が
異なりますが、仮に現代の地形に当てはめるとどこにあたるかを、右の方に書いておきます。

 新高山(にいたかやま)...青い玉...台湾の玉山
 万寿山(まんじゅさん)...赤い玉...中国の北京
 ローマ   ...白い玉...イタリアのローマ
 モスコー   ...黒い玉...ロシアのモスクワ
 ロッキー山   ...紺色の玉...アメリカのロッキー山脈
 鬼城山(きじょうざん)...灰色の玉...アメリカのワシントン
 長白山(ちょうはくざん)...白い玉...朝鮮半島の白頭山
 崑崙山(こんろんざん)...紅い玉...チベット高原の崑崙山脈
 天山(てんざん)...黄色い玉...中央アジアの天山山脈
 青雲山(せいうんざん)...金色の玉...チベットとインドの国境あたり
 ヒマラヤ山   ...銀色の玉...ヒマラヤ山脈
 タコマ山   ...銅色の玉...アメリカ西海岸シアトル近くのレーニア山

地図に配するとこうなります。
http://onisavulo.jp/nc/taihakusei12.html


この配置がその後の世界にどう影響を与えているのでしょうか?
それはまだよく分かっていません。皆さんもこの図をジッーと見つめて考えてみて下さい。

     ☆     ☆     ☆

ところで国魂というのは、読んで字の如く「国」の「魂」です。霊界物語には形のある「玉」として
出てきますが、本質は神霊です。
それはその国とか民族の不動で動かない精神であり、国民性とか民族性というものを決定づける
ものです。

それは具体化すると、権威と権力という二つのものになって顕れます。祭祀と政治、教権と政権と
言ってもいいです。カトリック教皇とローマ皇帝とか、日本だと天皇と将軍です。
人々が同じ方向を向くための求心力がないと、社会がまとまるはずがありません。分散して小さな
集落となります。しかし小さな集落にも、神を取り次ぐシャーマンと、村人を治める酋長とがいますね。
聖と俗の求心力が必ずあります。

霊界物語では各地に国魂を祭り、それぞれに八王神(やつおうじん)と呼ばれる主権者と、八頭神
(やつがしらがみ)と呼ばれる執政者を定めました。八王神は国王、八頭神は首相だと思って下さい。
世界レベルでは国祖・国常立尊と、天使長と呼ばれる首相がいます。

現代社会でも、大統領・国王と総理大臣という二重体制を敷く国は少なくありません。企業でも
会長さんと社長さんがいて役割分担してますね。

しかし経営者が奮起しただけで社内統治がうまく行くとは限らず、会社規模が大きくなればなるほど
経営者の目が行き届かなくなるので、社訓とか社是というようなものが必要になって来るのではない
でしょうか?
「我が社の方針」です。短期的な経営方針ではなく、経営の骨子となるものです。
「国魂」とはそういうものだと思って下さい。形のある「玉」を祭ればいいというものではありません。
目に見えない精神です。
そしてそれを体現するのが経営者であり従業員です。

     ☆     ☆     ☆

では、日本の国魂とは何でしょうか?
古事記の天孫降臨の段で、天照大御神がミッションを下しています。それは豊葦原の瑞穂の国すなわち
地上界を言向け和して天下を統一せよ、ということです。
それは、人類みんなが和合した世界を創れということです。みんなが和合すれば自ずから世界は一つに
なりますね。

だから日本を「和」の国と呼ぶのです。その「和」の動詞が「和す(やわす)」です。つまり和の世界を創る
ことを目的に、日本が建国されたのです。この「和」が日本の国魂であり、それを体現することが「和す」
です。経営者も従業員も一丸となって和の世界実現に向けて邁進して行かねばなりませんね。

今起きている韓国や中国の激しい反日活動は、日本の国魂を目覚めさせるための神様からの号令だと
思います。争いがあって初めて「言向け和す」が発揚するのです。

そして霊界物語はこの「言向け和す」がテーマになっています。ある意味では、世界をいかにして統治して
いけばいいのかが、それが描かれている物語です。


4月から「言向け和す」を探求し実践するための勉強会を開きます。
4/5(土)は名古屋で、4/12(土)は沖縄で、4/19(土)は大阪で、開きます。

詳しくはフェイスブックページ
https://www.facebook.com/onisavulo.onido/eventsかメールでお尋ね下さい。 oni_do@ybb.ne.jp(飯塚弘明)

ところで始めに書いた12の地域に日本が入っていないことが気になった方はいませんか?
実は国祖隠退後の天変地異が多発する時代に、朝鮮半島の長白山から太白星の「白い玉」が秘かに日本に
運ばれて来ているのです。(第6巻第14章「黒竜赤竜」)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0614

果たしてこのエピソードが何を物語っているのでしょうか???

霊界物語の探求は始まったばかりです。皆さんもどうぞ一緒に探求して下さい。


第5回 神代の地球を統治した五戒律と三大綱領とは?

こんにちは。飯塚弘明です。
私は今、奈良市に住んでいます。奈良は京都より古い古都ですが、王仁三郎の人生や
霊界物語とはあまり関係がない町だよな~・・・と思っていたんですが、そうでもありませんでした。

奈良市内を通る国道は何と「369」号線なんです。「みろく」と読めますね。

また、市内のド真ん中に9代天皇の開化天皇陵があります。いわゆる欠史八代の一人で
事跡が伝えられていないマイナーな天皇ですが、王仁三郎の産土神社(亀岡市の小幡神社)の
御祭神がこの開化天皇なんです。

奈良にもいろいろ神様の神秘な仕組が秘されていそうです。

   ★   ★   ★

さて、霊界物語(全83冊)の第1~4巻は、「国祖隠退」の物語です。
この地球を修理固成した神霊で、太古の神代の昔に地上霊界の主宰神だった国祖・
国常立尊(くにとこたちのみこと)が、邪神の陰謀によって隠退する羽目になり、
世界の艮の方角に押し籠められてしまい、以後「艮の金神」と呼ばれ忌み嫌われる存在に
なってしまった・・・という物語です。

ここからすべてが始まっています。この国祖隠退の経緯を知らずに、20世紀から
今日にかけて地球で起きている国祖復権の動きを知ることはできません。

太古の神代は現在のように無数の国に分裂しておらず、ワンワールドでした。
その世界の首都は「聖地エルサレム」とか「地の高天原」と呼ばれています。
地理的には現在のイスラエルのエルサレムではなく、現在のトルコのエルズルムという町
(アララト山の近く)の辺りにありました。

世界政府のことは「竜宮城」と呼ばれています。この竜宮城の責任者、つまり総理大臣を
していたのは、稚姫君命(わかひめぎみのみこと)という女神さまです。

霊界物語には推定3000人くらいの登場人物がいますが、女性もたいへん多く、
男女同数くらいではないかと思います。
神代の最初の首相が女神なので、太古の神代はずいぶん女性の社会進出が
進んでいたようです。

そしてその分、女性の争いも霊界物語にはたくさん出てきます。
第2巻から登場する常世姫(とこよひめ)は首相・稚姫君命の娘なんですが、この常世姫と
夫の常世彦が悪の中枢なんです。
常世姫は自分が権力を持ちたくて、なんと母親を犯罪者に仕立てあげ失墜させてしまいます。

常世姫は父親が重要な任務を帯びて出張したときに、その出張先で部下の女スパイに
色仕掛けで父親を誘惑させ、長期にわたって帰国させないようにします。
その間に稚姫君命は寂しさからか、城内の若いイケメン男子と不倫に陥ってしまうのです。
これは娘が仕掛けた陰謀なんですよ。おそろしいですね~。

不倫は律法違反です。
国祖は稚姫君命を罷免しました。ちなみに二代目の首相も女神です。

   ★   ★   ★

ところで律法とは、国祖が世界を統治するために定めた規則です。
次の五戒律・三綱領から成ります。(霊界物語2巻45章「天地の律法」)

●内面的律法(五戒律)
 省みよ。恥じよ。悔い改めよ。天地を畏れよ。正しく覚れよ。

●外面的律法(三綱領)
 夫婦の道を厳守して一夫一婦であるべきこと。
 神を敬い、長上を尊び、ひろく万物を愛すること。
 互いに妬み、誹り、偽り、盗み、殺しなどの悪行を厳禁すること。

外面を規制する律法とは、いわゆる法律のことです。
私たちは法治国家で生きており、「法律を守るのは当たり前だ」と思っていますが、
その常識がなかなかクセモノです。
人間を幸せにするための法律が、逆に人間を苦しめているケースがたくさんあります。
人間を不幸にすることが「悪」のはずなのに、法を破ることが「悪」になってしまって
いるんですね。

この律法によって太古の神政は崩壊し、国祖自身もまた、律法によって邪神たちに
追い詰められ、隠退を余儀なくされるのです。

いわゆる法治国家が人類社会の最終形ではありません。まだまだ過渡期の段階だと
思います。
これから重要になるのが、内面的五戒律です。
これは「五情の戒律」とも呼ばれ、私たちの霊魂(一霊四魂)にあらかじめセットされて
いる機能です。
古神道で細々と伝えられて来ましたが、心理学では「五因子論」と呼ばれており、
また出口光氏が「四魂の窓」「個性認識学」として実践的なワークを提唱しています。
国祖が定めた「天地の律法」は、外面を規制する法律だけではなく、内面の律法もあるのです。
それが今まで見失われて来たようです。

   ★   ★   ★

みろくの世が訪れることを「みろく神政成就」とも呼びます。国祖神政の復活です。
しかし神代の時代と同じ過ちを繰り返してはいけません。
国祖の神政がなぜ崩壊したのか、それを探求しなくては、みろくの世は創れません。

このブログのスペースではとうてい書き切れませんが、霊界物語のメルマガを
週2回出しています。無料ですので、どうぞお読み下さい。
http://mm.reikaimonogatari.net/

また大阪で毎月勉強会を開いています。
東京では3月29日(土)に、健康まなび家さんがする主催するイベント「しあわせコンベンション」で
講演をさせていただきます。
http://www.kenkoumanabiya.com/seminar/20140329.html
内容は「出口王仁三郎の大予言 ~人類の未来に向けて遺された大切なメッセージ」です。

霊界物語自体が予言の書でもありますが、予言に向き合う3つのステップをお話ししようと思います。


第4回 幽庁の大王が人事異動──みろくの世には地獄の在り方が変わる

皆さん、こんにちは! 飯塚弘明です。
2月3日は全国的に節分の日でしたが、大本でも毎年「節分大祭」という大きな祭典が
綾部の聖地で開かれています。

これは明治25年(1892年)旧正月に出口ナオに艮の金神(国祖・国常立尊)が神懸り
大本が開教したのを祝する祭典であると同時に、大宇宙を潔斎する特殊な神事でも
あります。

夜7時頃から始まり明け方4時頃に終わる、夜通し行う特殊な祭典です。綾部の冬の
風物詩になっています。皆さんも機会があったらぜひ行ってみて下さい。

   ☆   ☆   ☆

さて、1月11日に、にんげんクラブ大阪支部主催で、胎内記憶のドキュメンタリー映画
『かみさまとのやくそく』の上映会を開催させていただきました。
胎内記憶研究の第一人者である産婦人科医の池川明先生や、実際に胎内記憶・前世
記憶を持つ子どもたちや、その親たちにインタビュー取材した、迫真のドキュメンタリー
です。

白鳥哲監督の映画『祈り』の撮影を担当した荻久保則男さんが監督をつとめています。
 かみさまとのやくそく公式サイト 

このドキュメンタリーの中で子どもたちが「反省部屋」ということを言っていたのが強く
印象に残っています。
過去世と来世の間の中間世(つまり霊界のことだと思います)に反省部屋というのが
あるそうです。自殺したり、人に殺されたり、あるいは殺してしまったりしたとき、反省
部屋に入り、反省ができたら出てくるそうです。

これは昔の「地獄」の概念だと思います。霊界というのは想念の世界ですから、憎悪
とか怨念とか悔恨のような念を持って死ぬと、そういう世界に入ってしまうわけです。

昔の地獄は、閻魔大王がいて罪人を裁く...というような、怖いイメージでしたが、今は
違うんですね。反省部屋です。よかったですね。

   ☆   ☆   ☆

実は霊界物語でも、地獄のイメージが最初の方と後の方とで変化しているのです。

最初の方はやはり、閻魔大王が恐ろしい形相で罪人を裁いて地獄に落とす...という
古典的な地獄のイメージなんですが、後の方では、何とこの閻魔大王が人事異動に
なっているのです!

後任者は、気吹戸主(いぶきどぬし)という神様です。
神社でお祓いをするときに降りてきてもらう神様を祓戸四柱(はらいど よはしら)の
大神と呼び、その一人です。
祓戸の神は次の四人いて、出口王仁三郎によるとそれぞれ次のような潔斎の働きを
します。

 瀬織津比売(せおりつひめ)......雨が降り、川で穢れを流す
 速秋津比売(はやあきつひめ)......港、大河で、洪水や津波できれいにする
 伊吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)......風で吹き飛ばす
 速佐須良比売(はやさすらひめ)......大地では地震、空では雷

自然界だけでなく、精神界の潔斎もします。
前述の大本節分大祭では、女性の祭員を「瀬織津姫」と呼び、人間の罪穢れの潔斎の
ために、人型(ひとがた)という紙片を川に流して行きます。

このように罪穢れを祓い清めるのがこの祓戸の大神様です。
その一人の気吹戸主が、閻魔大王の後任として、幽庁の長官をしているのです。
裁く、という怖いイメージから、罪を祓い清める、というイメージに変化しているのです。
地獄も変化するのです。

霊界と現界は合わせ鏡ですから、人間界の地獄も変化しています。
昔は死刑にするにしても、ギロチンにかけたり、火あぶりにしたり、残酷な殺し方をして
いましたが、今は薬物や電気ショックでなるべく苦しまないような殺し方をします。死刑
自体を廃止した国もたくさんあるし、また刑務所も、処罰という考え方から、更生という
考え方にシフトしています。

地獄はもともと神が創った世界ではなく、私たち人間の想念が創り上げた世界です。
だから私たちの意識の変化によって、地獄をなくすことができるわけです。

ところで閻魔大王ですが、その正体は実は、艮の金神=国祖・国常立尊だったのです!

王仁三郎が霊界で閻魔大王と面会したときの様子が、霊界物語第1巻の第6章~第7章
に出てきます。興味のある方は読んでみて下さい。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0106

国祖は三千年(あるいは三十五万年)の長い歳月、世界の艮の方角に押し籠められ、
鬼門の金神・祟り神として忌避されてきましたが、明治25年に再び表に現われました。
そのときから世界は変わりだしたのです。

まだまだ地上には地獄がありますが、私たちの意識を変えれば地獄はなくなります。
地獄の在り方が変化するのです。「反省部屋」です。

人を憎んだり、呪ったり、妬んだり、恨んだり...そういう悪い想いをなくせば、苦しい地獄は
霊界からも現界からも消滅して行きます。

戦争をなくすには、まずそこからです。


毎月、大阪で霊界物語と言向け和すの勉強会を開いています。
日程は私のフェイスブックページをごらんください。
https://www.facebook.com/onisavulo.onido

第3回 王仁三郎が天命に目覚めたとき──「言向け和す」と「包み込み」

船井総研創業者で、にんげんクラブ創立者の舩井幸雄さんが御昇天されました。
命日が奇しくも出口王仁三郎と同じ1月19日なのには何か一つの神縁を感じます。
実業界に、そして精神界に、多大な影響を与えた方でした。
感謝の念を捧げます。


さて、王仁三郎に由縁のある日はたくさんありますが、新春ではこの命日の1月19日と、
2月3日の節分大祭、そして3月1日(あるいは旧暦2月9日)の高熊山入山記念日があります。

2月3日というのは、明治25年(1892)に綾部で出口ナオ(当時55歳)に艮の金神さんが
神懸って大本が開教した、その記念の祭典です。
その頃、王仁三郎はまだ上田喜三郎という名前で、亀岡の貧農の実家の生計を支えるため、
車夫や物売り、ワラジ作り、タキギ売りなどフリーターとして色々な仕事をしていました。

6年後の明治31年3月1日に、自宅近くの高熊山で一週間の霊的修行をして、
そこで自分の使命に目覚めます。このとき26歳でした。
その後、出口ナオと知り合い、合流して綾部に移住し、末娘の澄子さんと結婚して
「出口王仁三郎」になるのです。

ところで2012年は「アセンション」の年でしたね。
ちょうどその年は、今まで艮に押し籠められていた艮の金神さん(その正体は地球を
修理固成した神霊の国常立尊)が明治25年に再び表に出てきてから120年目の年でした。
干支60年周期の2度目の区切りの年で、とても意味のある年でした。

しかし王仁三郎的には、明治25年より明治31年の方が意味があるんです。
明治25年頃はまだ王仁三郎はただのフリーターですから。
明治31年(1898)に覚醒したので・・・つまりそれから120年後の2018年という年の方が、
大きな意味を持っています。

出口ナオに懸かった国常立尊というのは、地系の神様です。
それに対して王仁三郎はスサノオであり、みろくの大神であり、それは天系の神様です。

天と地が揃う2018年まで、あと4年です。

さて、今回は、その王仁三郎の覚醒前夜の出来事をお話ししようと思います。

   ☆   ☆   ☆

喜三郎は上田家の8人きょうだいの長男です。貧しい生活を支えるために苦労しましたが、
だんだんと社会への様々な不満が溜まって行きます。

明治30年の夏、お父さんが半年にわたる闘病の末、死んでしまいました。
するとそれまで堪えていた感情が一挙に爆発して、悪党に対して戦いを挑むようになります。
善良な市民をいじめるヤクザどもが許せなくて、ケンカの仲裁に入るんですが、
しかし相手の恨みを買って、何度もケンカに巻き込まれてしまうのです。

そして9回目の大ゲンカをしたとき、喜三郎は袋だたきに遭ってボコボコに殴られ、
大ケガを負ってしまいました。

後に「言向け和す」(ことむけやわす)ということを唱える王仁三郎でも、若い頃は暴力で
揉め事を解決しようとしていたんですね。

喜三郎はお祖母ちゃんに「もういい加減ケンカはやめて、真人間になっておくれ」と諭されて、
深く反省します。

その夜、寝ていると──枕元に突然、光輝く玉が現われました。
オーブとか玉響(たまゆら)とか言うやつでしょうか? 紫に、青、黄色、白、赤の五色の光輝く
玉が、部屋の中を右に左に飛び交います。
そして──喜三郎の体の中に飛び込んだのです。玉は胸や腹や肩や背中に、滲み込んで行きました。

すると喜三郎は心機一転して、心持ちがすっかり変わりました。
そして床の間の近くに立つと、壁に筆で「天地大本大御神」(あめつちおおもとおおみかみ)と書き記しました。
何かインスピレーションで、そういう神号が思い浮かんだんでしょうね。

そしてさらにまた不思議現象が起きます。
戸を開けて外から一人の男が中に入って来ました。
まだ明治初期でみな和服を着ていた時代に、その男はなぜか洋服を着ています。
彼は富士山の木花咲耶姫命の使いで、松岡という名の仙人でした。

この松岡仙人に連れられて高熊山に行き、岩窟の中で一週間の霊的修行をすることになるのです。

その間、喜三郎は幽体離脱して霊界を探検しました。
それを大正10年(1921)、50歳のときに本に書いたものが『霊界物語』です。

   ☆   ☆   ☆

その高熊山に入山した日が3月1日です。真冬でまだまだ寒い最中です。
しかも下着一枚で、岩の上でジッと無言で正座して、何も食わず、水も飲まずに一週間です。
そんなこと...私には出来ません。

この王仁三郎の高熊山修行(入山前夜からの出来事も含む)は、「悟りを開いた」というのとは
違うかも知れませんが、彼の人生において大きな目覚めを与えた劇的な出来事です。
天命に目覚めた瞬間です。

目覚めのビフォー、アフターでどのような意識の変容があったのでしょうか?

喜三郎はとても正義感が強く反骨精神のある若者でした。
王仁三郎の伝記を読むと必ず取り上げられる幼少期のエピソードに「タダアイ事件」があります。

喜三郎が数え13歳のとき──現代だと小学5~6年生のときに、修身の時間に大岡越前守
(おおおか・えちぜんのかみ)の話を先生がしました。
時代劇でお馴染みの、あの人です。

彼の名前は大岡忠相(タダスケ)と言うんですが、先生は間違ってそれを「タダアイ」と言いました。
喜三郎は「それはタダスケです」と間違いを指摘したんですが、その吉田という名の先生は意地を
張って間違いを認めようとしません。それどころか教師に楯突くとは何事かと喜三郎に体罰を
加えようとします。
そこへ校長先生が現われて「タダスケが正しい」と判定を下してくれたので、その場は収まりましたが、
吉田先生の腹は鎮まりません。
教師のプライドを傷つけられた吉田先生は、それからことあるごとに喜三郎をいじめるようになりました。
ひどい先生ですね。昔もそんなひどい教師がいたんですね。
喜三郎は堪えかねて反撃に出ました。
ある日、下校のときに垣根の中に隠れて吉田先生が来るのを待ち伏せし、竹槍の先にウンコをくっつけて、
吉田先生が通ったときに腰の辺りを目がけてエイと突き刺したのです。

もちろん学校で大問題となり、喜三郎は事の次第をありのままにしゃべりました。
結局、吉田先生はクビなり、また喜三郎も退学処分となりました。
しかし校長先生の粋な計らいで、喜三郎は吉田先生の代わりに「代用教員」として採用されたのです。
校長の見事な大岡裁きですね。

このエピソードは王仁三郎の反骨精神を物語るエピソードですが、しかし暴力に対して暴力でやり返しても、
世の中よくなるわけではありません。
この吉田先生がまだ恨みを持って喜三郎に報復して来た可能性もあるわけです。

憎悪の連鎖です。人類の歴史は、それの繰り返しですね。

お父さんが亡くなったとき、喜三郎は26歳でした。
今までお父さんに迷惑かけたくないというような想いがあって、じっとこらえていたんですが、
お父さんが亡くなると、そのフタがはじけて、世直しのために(?)立ち上がったのです。
お父さんの病気を治そうとして、困ったときの神頼みで色々な宗教を回りましたが、
どこも金儲けのエセ宗教ばかり。
そういう世の中への不満というのがどんどん堪って行ったのでしょう。

そういう想いがついに爆発して、良民を困らせているヤクザとの戦いに繋がったのです。
しかし悪党と戦うのはいいんですが、そのうち自分の方からケンカのタネを探し回るようになり、
どっちが悪党なのか分からない状態になって行きました。

あまりにも気っぷが良いので、ヤクザの親分から、うちの娘の婿にならないかと誘われたくらいです。(笑)

アジアやアフリカや中南米で、世の中を良くしようと武力蜂起し、政府を乗っ取って新しい政府を作ったのは
いいものの、それがまた腐敗して、また反対派が武力蜂起して・・・ということを延々と繰り返している国があります。

何十年も内戦状態となって、それでいったいいつになったら良い世の中になるのでしょうか?

ときには暴力に対して暴力で対抗せざるを得ないときもあるでしょう。
しかしそれでは憎悪の連鎖から抜け出すことはできません。

喜三郎も、憎悪の連鎖で、「仁義なき戦い」のようにヤクザとの抗争を繰り返し、
それでついに半死半生の態に遭ってしまいました。

喜三郎は世の中を良くしようと思ってやったのに・・・そんな残念な結果です。

病床でお祖母ちゃんがこんなことを言ってます。
「お前は人助けだと言っては、助けたよりも十倍も二十倍も人に恨まれて、自分の身に
災難がふりかかるようなことばかり。・・・昨夜のケンカは、神様が慈悲のムチをお前に与えて、
高い鼻をへし折って下さったのじゃ。相手を決して恨んではいけませぬぞ。
一生のご恩だと思って感謝しなさい」

喜三郎はそれを聞きながら涙を流して、心の中で改心を誓いました。

   ☆   ☆   ☆

よく王仁三郎を、帝国政府に対して戦いを挑んでいった人のように思っている人がいますが、
力に対して力でやり返すようなやり方は、すでに高熊山修行の前に放棄していると思います。

世の中を良くしようと思って、人は戦いに出ます。
しかし斬られる相手も含めて「世の中」なんだということに気づく必要があります。
斬った方は「これで良い世の中になった」と思っても、斬られた方は、良い世の中だなんて思いませんよね。

反対派も賛成派も全部合わせたのが「世の中」です。
大本の内部には、王仁三郎に反対する勢力、王仁三郎を殺そうとする人までいましたが、
しかし王仁三郎は彼らを排除しませんでした。
反対派も賛成派も、含んで行ったのです。

舩井幸雄さんは「包み込み」ということを説いてますが、
まさに王仁三郎は「包み込み」の発想で大本を経営して行ったのです。

ネットで調べたら、次のような舩井語録が出てきました。

──「包み込み」とは相手の持っているあらゆるものを自分も持ち、相手が持っていないものも持つこと。
要するに、すべての善悪をも受け入れて包み込むことです。包み込むことで、自分の心の中にある
エゴ的な気持ち、否定的な気持ち、意志の弱さなどのマイナスな感情や思いが薄れてきます。
一方、他人を受け入れて、感謝して接することもできるようになるため、
心が大きくて魅力的な人間に成長できて、人からも慕われるようになります。──

企業経営だけでなく、天下国家の経営もこの精神が必要です。
そしてそれが「言向け和す」(ことむけやわす)ということであります。

高熊山修行は、王仁三郎がこの精神に目覚めた出来事でした。

第2回 驚異の超速記術? 霊界物語83冊を13ヶ月で書いた王仁三郎

新年明けましておめでとうございます。

1月11日に大阪市内で、胎内記憶のドキュメンタリー映画「かみさまとのやくそく」の
上映会を、関西のにんげんクラブの有志によって開催します。
http://www.ningenclub.jp/shibu/nara/

皆さんは胎内記憶や前世の記憶はありますか?
私はまっ~たく無いです。
単に記憶が無いだけだと思いますが、しかし世の中には「前世」自体が無い(!)人も
いるようです。

王仁三郎によると、人間の誕生には次の4種類あります。

1.神(とか天使とか)が地上に生まれてくる場合
2.動物から人間になって生まれてくる場合
3.人間から再び人間に生まれてくる場合
4.天人の「霊子(れいし)」が生まれてくる場合

動物から人間へ、あるいは人間から再び人間に生まれてくる人は、修行のためです。
「現界は天人の養成所」と王仁三郎は言っていますが、人間はできればもう生まれ
変わらずに、そのまま天人となって天界の住人となるのがいいのです。天人になる
資格がないから、修行のため再び人間界に生まれてくるわけですね。

天人は人間に生まれ変わる必要はありませんが、しかし人類救済のような特殊な
使命を持って生まれてくる場合があります。それが1番のケースです。宗教の教祖様
とか、そういう霊的指導者などです。
『ひでぼー天使の詩』(橋本理加・著)のひでぼーなんかも、1番のケースなんだと思い
ます。まさに天使ですよ。人類に気付きを与えるために顕れた子どもです。
胎内記憶の第一人者である産婦人科医の池川明氏の本を読むと、今はそういう使命を
持った子どもが多く生まれているみたいだな~と感じます。

最後の4番ですが、これが前世の無い人です。
人間が母胎で受精したときに霊魂も入りますが、「出直し」で生まれ変わってくる霊魂
だけではありません。
天界で天人の男女が交わって──人間界での性交とは違い、天人の性交は頬と頬を
ちょっとほんの瞬間、接触させるだけです──そして「霊子」が誕生します。この霊子が
受精卵に宿り、胎児の成長と共に霊子も成長して霊魂が完成して行きます。
これが、前世がない、まったくピュアな霊魂です。

スピリチュアルの世界で「若い魂」という概念をよく聞きますが、霊魂がどのように誕生
するかは、あまり聞きません。
前世が無い人もいるということは、王仁三郎の霊界物語を読んで初めて知りました。
皆さんはどうですか? 聞いたことがありますか?

   ●   ●   ●

さて、そんな霊界物語の入門書を書いて、昨年1月1日付けで太陽出版さんから発刊
させていただきました。

超訳 霊界物語―出口王仁三郎の「世界を言向け和す」指南書


その第2弾となる『超訳霊界物語2[実践編]』(仮題)が今年の春に出る予定です。

前著は王仁三郎の激動の人生も紹介したので、霊界物語自体の紹介が少なくなって
しまいましたが、『超訳2』では霊界物語のストーリーの紹介に比重を置いたので、
「超訳」の名にふさわしい作品に仕上がっています。
書き上げるのに半年かかりました。実作業時間は軽く100時間を超えています。

ところで霊界物語は全部で83冊もありますが、王仁三郎はこれを何十年かかって
書いたと思いますか??

大正10年(1921年)10月から書き始めて......第72巻を書き終えたのは大正15年7月
です。そして73~81巻を昭和8年10月~9年8月に書いています。
83冊をわずか6年弱で書いてしまったのです! 1年で平均14冊ですよ!
実作業時間になるともっと短いです。全巻で2100個くらいの章があるんですが、各章の
末尾に、その章を書いた年月日が記されています。それを全部合わせると392日間に
なります。
たったの13ヶ月です!
平均すると1冊5日もかかっていません。テンポのいいときは3日で1冊、早いときには
2日で1冊書いています。
スゴイ速さですね。
特殊な速記術でも使ったのでしょうか?!

王仁三郎がそれほどの高速度で霊界物語を書くことが出来た理由は、大きく2つあります。
それはまず、霊界物語は王仁三郎が「考えた」物語ではないからです。
霊眼・霊耳で見聞きしたこと(=幽体離脱して霊界で見聞きしたこと)を、そのまま書いたの
です。
自分でウンウン唸って考えた話ではないんですね。だから早いのです。

私の『超訳霊界物語』は相当唸って、推敲に推敲を重ねました。やはり読者に分かりやすく、
面白く書かないと、商業出版は出来ません。
しかし霊界物語自体は、読者に分かりやすく、面白くする細工はしてません。
「これじゃつまらないから登場人物の設定を変えよう」とか、商業小説なら必ず行う
脚色・演出をしていないんですね。
だから霊界物語は読みづらい書物なんですが、逆に言うと、真実をそのまま伝えている
わけです。

早く書けた理由の2つ目は、霊界物語は王仁三郎が「書いた」のではないからです。
自分は口述するだけで、弟子たちに筆録させていました。
王仁三郎が自分の手で原稿用紙に書いた部分もありますが、ほとんどは口述・筆録という
スタイルです。
弟子たちを人間ワープロとして使っていたのですね。

だから、大本神諭や日月神示のような自動書記とは少々異なります。
エドガー・ケイシーのリーディングのようなものだと思います。

   ●   ●   ●

実は私も"なんちゃってリーディング"をしたことがあります。て言うかチャネリングかな?
いやいや、はっきり言うと、低級の神懸りです。

20代の前半の頃ですが、自宅で瞑想していたら口の辺りがモニョモニョ動き出して、
勝手に言葉をしゃべり出したのです。
そして、宇宙の真理やら太古の歴史やらを語り出しました。
私は急いで日記に書き留めました。
大本神諭や日月神示を勉強し始めた頃だったので、
『やった!ついにオレにも神示が降りたぞ!これで金儲けできる!』と喜びました。(笑)

ですが、そんな利己的な野心を持っている人には低級で邪悪な霊しか降りてきません。
数ヶ月はそんな状態が続きましたが、霊が言っていることが矛盾だらけなので、
まともな霊ではないことに気付き、振り払いました。
"神示"を書いた日記も、そのとき捨ててしまいました。

だけどもし今でも日記が残っていたら、高く売れたかも......いやいや、悪霊はそういう人の
野心につけ込んで来ます。皆さんもお気をつけ下さい。

   ●   ●   ●

大阪で毎月、霊界物語の勉強会を開いています。
詳しい情報は私のフェイスブックページをチェックしてみて下さいね!
https://www.facebook.com/onisavulo.onido



第1回 霊界物語は「霊界」の「物語」ではありません

皆さん、こんにちは!
「出口王仁三郎と霊界物語」をキーワードにかれこれ11年くらい活動している飯塚弘明です。

半年ほど前に、東京から奈良に引っ越しました。奈良と言えば「大和の国」です。
王仁三郎が書いた霊界物語(全83冊)は「言向け和す」(ことむけやわす)がテーマですが、
「和す」にふさわしい大「和」の国から言向け和すを発信して行きますので、
どうぞよろしくお願いします!

   ●   ●   ●

ところで皆さん、「霊界物語」と聞いて、どんな話をイメージしますか?

やっぱり、「霊界」の「物語」なんだと思いますよね?

私も最初は、いわゆる霊界──死後の世界だとか、臨死体験だとか、
そういうことが書いてある本なんだろうな、と思っていました。

しかし実際に読んでみると......たしかに死後の世界っぽいことも書いてあるんですが......
むしろ「神話」と言った方がいいかも知れません。

太古の神代の地球を舞台にした、神々のドラマです。

ナントカの神とか、ナントカのミコトとか、色んな名前の神様がたくさん出てきて、
地球の平和のために戦うのです。

今どきのロボットアニメのようなドラマをイメージしてもらった方がいいと思います。
「天の鳥船」が天空を覆いつくしたり、「破軍の剣」で敵の大群を殲滅したり......。
はたまたドラゴンボールのように、色が異なる幾つもの「宝玉」が出てきて、
不思議な神力を持ったその玉をめぐって争奪戦が起きたりします。

もちろん宗教書ですから、娯楽作品のように、読んで
「あー、楽しかった」というものではありません。

人生を深く考えてゆく本です。
世の中を良くするにはどうしたらいいのか探求してゆく本です。

私が初めて霊界物語を読んだのは、1991年、まだ20代前半の時でした。
あの近代日本が生んだ霊的巨人・出口王仁三郎が書いた本なんだから、
きっとスゴイことが書いてあるのだろう、と期待して読んだんですが......
内容がまったくチンプンカンプンでした。

第5巻に「猿蟹合戦」という題の章があります。
猿蟹合戦と言ったら、あの日本昔話を思い浮かべますよね。
その章には──メソポタミアのエデン川の両岸に村があり、サルのような顔をした部族が河を渡って、
カニのような顔をした部族の村を侵略する──という話が書いてありました。

なるほど。「猿蟹合戦」ね.........

私はそこを読んで、何となく読むのがバカバカしくなり、読むのをやめました。

全巻通して読んだのは、21世紀になってからです。
世紀末を挟んで10年間は、悶々とした日々を過ごしていました。

「世紀末」というのは「アセンション」とは比べものにならないくらい、
スピ系の世界にいる人にとっては切羽詰まった時代でした。
オウム事件や阪神淡路大震災などが立て続けに起きて「終末感」が色濃くなり、
私は何かしなきゃいけないと思って焦りました。

パソコン通信(まだインターネット普及前でした)を使って世紀末対策のネットワークを作ってみたり、
みろくの世の経済の雛型として本の無料のリサイクルシステムを作ってみたり、色々やってみましたが、
何をやってもうまく行きません。

人生に挫折して、何をする気もなくなり、フリーターをして食いつなぎながら、
目的もなくただダラダラと人生を送っていました。
結局たいした艱難は起きずに21世紀になりました。
そんなある日、ふと何かをやってみようと思ったのです。

ダラダラの人生でしたが、しかし自分には王仁三郎しかない、とずっと思い続けていました。
それで、王仁三郎を広めるために何かをやってみようと思ったのです。
と言っても仲間もいなけりゃお金もないし、特別な技術も能力もありません。
しかしパソコンと霊界物語が家にありました。それで霊界物語をパソコンで読めるように電子化して、
誰でも読めるようにインターネットで公開しようと思ったのです。
これならお金もかからず、一人で、マイペースでできます。

この電子化の作業は過酷なものでしたが、何だかんだで結局3年ほどで終わりました。
そして、それをやり遂げたときに初めて、全巻を読み終えたのです。

今、霊界物語は、私が運営する『霊界物語ネット』で全巻無料で読めます。
http://reikaimonogatari.net/

この電子化の作業中にだんだんと、ここにはたいへんなことが書いてあるということが解ってきて、
それで最後まで諦めずに83冊すべて、電子化をやり遂げることができました。

さすが王仁三郎が「霊界物語は自分の血であり肉である」と言っているだけのことはあります。
霊界物語は王仁三郎の分身だと言えます。
王仁三郎が人類に伝えたかったことが、そこにすべて記されてあります。

   ●   ●   ●

ところで霊界物語は、王仁三郎が幽体離脱して、霊界で見聞きしたことを書いた本です。
しかし実際には、霊界でのドラマなのか、現界でのドラマなのか、よく分からない書き方をしています。

王仁三郎は「霊界と現界は合わせ鏡である」と言いました。
また「霊界で起きたことは現界でも起きる。現界で起きたことは霊界でも起きる」と言いました。
霊界物語に描かれているドラマは、霊界で起きたとも言えるし、現界で起きたとも言えるのです。

それを理解するには、霊界は「死後の世界」だとか「死者の世界」だという
固定概念を捨てなくてはいけません。

私たちは肉体があります。
その肉体の世界がいわゆる「人間界」だとか「現界」だとか呼ばれている世界です。

そして私たちは霊魂があります。その霊魂の世界が「霊界」です。

死んだら霊界に行くのではなくて、今現在すでに霊界にいるのです!

現界にいると同時に、霊界にも存在しているのです。

死ななくたって、すでに霊界にいるんですよ~。

そして、霊界には天界と地獄界があります。
もしあなたが天国的な想念を持って生きていれば、あなたの霊魂は天界に住んでいるんだし、
地獄的な想念を持っていたら、地獄の住人です。

死んだら天国に行きたい......なんてナンセンスです。
今、天国にいるかどうか、それが肝心です!

もし今、霊魂が天国の住人ならば、肉体から霊魂が離れても(つまり死んでも)、
そのまま霊魂は天国に住み続けるのです。

日ごろ不平不満を持って、人を憎み、妬み、罵ったりバカにしたりして生きているような人は、
さて、どちらの世界の住人でしょうか?

そういう人が死んだら、天国に行きたいと思ったって......死んでも、今住んでいる世界のままですよ~。

霊界と現界は合わせ鏡なのです。

天国に行くなら、「今でしょ今!」なのです!

そして合わせ鏡の「霊界 即 現界」の物語が書かれているのが、霊界物語です。

その霊界物語に具体的にどんなことが書いてあるのか、少しずつここで紹介して行こうと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

大阪で毎月、霊界物語の勉強会を開いています。
その勉強会で、あるサニヤシンと知り合いました。

インドの聖者の一人、OSHO(おしょう)をご存知ですか?
OSHOの弟子をサニヤシンと呼びます。(世界中に大勢います)

王仁三郎は19948年1月19日に昇天したんですが、OSHOは1990年の1月19日に昇天しています。
王仁三郎は「みろく」ですが、OSHOは「マイトレーヤ」(弥勒の梵語)です。
そういう色々な繋がりがあって、毎月19日は「OSHOヒューマニバーシティ・ジャパン」さんが中心になって、
王仁三郎とOSHOの月命会(瞑想や講演)が開かれています。
2014年1月19日(日)には私の方の勉強会と合同でイベントを開催する予定です。

インドは霊界物語で「月の国」と呼ばれ、全83冊の4分の1くらいはインドが舞台なんですよ~。
イベントの詳しい情報は私のフェイスブックページをチェックしてみて下さい。
https://www.facebook.com/onisavulo.onido



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