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第80回 ゴッホの内面を深く知悉できる若き画家の友人エミール・ベルナールへの手紙『ゴッホの手紙(上)ベルナール宛』


みなさん、こんにちは!
にんげんクラブ世話人の川端淳司です。

夏も終わり。寂しく感じますね。
四季の変化の中に、出会いや別れなど様々な感情を揺さぶられる日本という
国に住めることに感謝です。

8月24日に舩井セミナールームで芦刈純さんの講演・コントラバス演奏を主宰
したのですが、私自身ドタキャンで、事務局の皆様に大変ご迷惑をおかけして
しまいました。

ビジネスであれば失格ではい終わりという感じですが、芦刈さんも含め参加者
それぞれに何か気づきや行動のきっかけが生まれた会であれたならとても
うれしいです。

8月30日(日)PM5時までは、銀座のギャラリー枝香庵で13名のアーティストに
よる『いまここを生きるアーティスト2015』が開催中ですので、お時間がある方は
ぜひ足をお運びくださいね。

銀座ギャラリー枝香庵
http://echo-ann.jp/exhibition.html?id=234

いまここを生きるアーティスト2015 facebookページ
https://www.facebook.com/events/393188000879964/

さて、連載第80回目はゴッホから15歳年下の友人の画家エミール・ベルナール
への手紙を纏めた『ゴッホの手紙 上 ベルナール宛 』をご紹介します。

内容の半分近くは、ベルナールのゴッホに纏わる回想的な文章で構成されて
おりますが、以下にゴッホからベルナールへの手紙から印象に残るところを
ご紹介いたします。

あえて印象に残りながら抜き出していないところもありますので、ぜひみなさまで
ご一読頂き、地球史上最高のアーティストの一人、37歳で自殺という形でこの世を
去らざるを得なかったフィンセント・ファン・ゴッホという人間を知って頂ければ
幸いです。


 

●ゴッホからエミール・ベルナールへの手紙第一信より

「悶着の起こったときなどはことに相手を信じて好意的に話あわなければいけない。」
「成功への第一の秘訣は、小さな嫉妬心になるべくふれないことだ。団結だけが力だ。
共通の利益は、自己確保を目的とする個々のエゴイズムを犠牲にしてこそ保てる。 
君に固い握手をおくる。」


●ゴッホからエミール・ベルナールへの手紙第二信(1888年3月アルル)より

「もし、日本人が彼らの国でまだ進歩していなければ、
その芸術は当然フランスで引き継がれるだろう。」


●ゴッホからエミール・ベルナールへの手紙第三信(1888年4月)より

「もちろん想像力はぜひとも発達させねばならない能力だし、
想像力だけが ― 変わりやすく、稲妻のように速い - 現実を
ただ一瞥しただけで、自然をもっと激しいものにもし、また安らかなものにも
出来るのだ
。」


●ゴッホからエミール・ベルナールへの手紙第四信より

「こういう虚無感は美や善と離反するものなんだ。
そんな心がけでは、われわれとはまるで関係のない物質生活の魅力のために、
主観と客観の区別さえ見分けがつかなくなるほど永久に騙されてしまうかもしれない。
われわれは間抜けでも希望を捨てないのがとりえだ。」

「何かをうまく語ることは、何かをうまく描くことと同様に難しくもあり面白いものだ。
線の藝術と色の藝術とがあるように、言葉の藝術だってそれより劣るものじゃない。」


●ゴッホからエミール・ベルナールへの手紙第五信(1888年5月下旬)より

「入墨をした人種、黒人やインディアンなどは次々に滅亡するか堕落してしまう。
そしてアルコール瓶と財布と梅毒を持ったむごい白色人種は、いつになったら
満足するんだろう。
偽善と強欲と非生産的な身の毛もよだつ白色人種。
野蛮人たちはやさしく愛情にあふれていたのだ。」
第六信(1888年6月下旬)より

「今後絵画がそうあるべきだと、いつも考えているのだが、現代美術そのものが
切り離された個人の力を越えて、ギリシャの彫刻家や、ドイツの音楽家、フランスの
小説家たちに匹敵するような高い地位にまで到達しなければならないということである。
それは、おそらくある人達が結合して、共通の理想を遂行してこそ可能なのだ。」

「不幸の大きな原因は芸術家たちの間に団結心が欠けていて、互いに非難し合ったり
迫害して、認め合おうとはせず、なんとか出世させないようにするからだ。
新しいルネサンスの実現はすべて、これにかかっている。」


●ゴッホからエミール・ベルナールへの手紙第七信(1888年6月下旬)より

「種蒔や麦束はいまでも以前のように魅力があり、過去の想い出を甦らせる
永遠の瞳でもある。だが、いったいいつになったら『星の夜空』がかけるだろう。
この絵はいつも僕の心を占めている。

ああ! たしかに善良なシーブリアン君が言った通りユイスマンの≪世帯もち≫に
あるように、一番美しい絵は寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、
決して実現しない画だ。

それにかかろうとは思っているんだが、輝く壮麗な自然のなんとも言えない
たたずまいに対して、何かひけ目を感じているのだ。」


●ゴッホからエミール・ベルナールへの手紙第八信(1888年6月末、ゴッホ35歳)より

「聖書はキリストだ、旧約聖書はこの頂点へ進むし、聖パウロや新約聖書の
四人の著書たちはこの聖峰の他の斜面を占めている。」

「ああ!なんて気の小さい話なんだろう。世界中で自分たち以外は全て汚らわしいと、
ユダヤ人が宣言したとは。」

「だが聖書の慰めの言葉は悲痛で、われわれを絶望と怒りから解放して
 ー 確かに胸を抉る、偏狭と伝染病的な狂気とですべて誇張されてはいるが ー 
そこに包容されている慰安は、ちょうど固い核のようなもので、にがい果実、
それがキリストだ。」

「僕の感じているキリストの顔は、ドラクロアとレンブラントだけが描いたし、、、
それからミレーがキリストの教えを描いた。」

キリストだけが - あらゆる哲学者や魔法使いのなかで、 
永遠の生命の確実性を肯定した。時間の無限を認め、死を否定して、
心の平和と献身との存在価値や必要を説いたのだ。彼は平穏に暮らして
いかなる芸術家よりも偉大な芸術家として生きた。大理石と粘土と色彩とを軽蔑して、
生きた肉体で仕事した。」

「キリストがローマの建造物の崩潰を軽蔑しながら予言した時日を、いったい誰が
嘘だと言えるだろう。彼は断言したのだ。
「天地くずるるとも、我が教えは滅びず」と。
こういう話言葉を - 偉大な予言者は書こうとさえしなかったが、その言葉は最高の 
- 一番高い - 芸術によって到達し得る神の力のようなものだ。
造物主の偉力そのものだ。
ベルナール君、この種の思索は、我々を遠い遠い世界へ連れ去る、
芸術の限界を越えたところまで。
そして、生命を生み出す芸術と永遠の生命に化す芸術とがあることを予感さす。」

●ゴッホからエミール・ベルナールへの手紙第九信(1888年6月末、ゴッホ35歳)より

「ああ! もしも数人の画描きが大作のために協力できたらどんなだろう。
将来の芸術はいずれ範を示してくれるかもしれない。いまその『あるべき絵画』のために
皆で物質的困難を克服すべきだと思う。 
要するに、残念だが我々はまだそこまで行ってはいないのだ。
絵画芸術は文学のように早くは進まない。」

芸術上の観点からすると、このキリストの核心は、古代ギリシャ、インド、エジプト、
ペルシャやその他のどんなものよりもはるかに優れているようだ。
彼は精神と生きた肉体によって仕事した、彫像の変わりに人間を作った。だから、、、
自分が画家であることは ー まるで牛にでもなったようで - 
牡牛や、鷲に感心してしまうのだ。そして信仰心は僕の野心を捨てさせる。」

●ゴッホからエミール・ベルナールへの手紙第十信(1888年7月中旬、ゴッホ35歳)より

これはあんまり日本的な感じがしないはずだ。
が、実際には今まで描いたものの中では一番日本らしいものだ。

肉眼では見えないほどの農夫、麦畑の間を走る小さな汽車。そこに全ての生活がある。」

「僕は何回もそこへ通った。それでこの平面的な景色の・・・・無限と・・・・永遠だけの・・・・
デッサンを二枚描いた。」


●ゴッホからエミール・ベルナールへの手紙第十一信(1888年7月下旬、ゴッホ35歳)より

ベルナール君、先便の協力という意味は、自分と二三の画家で同じ画を描こうと
言ったわけではない。別々の作品を描いていても、互いに援け合ってよくなろうという
つもりだった。つまりルネサンス初期のイタリアやドイツの画家、本当にオランダ派とか
イタリア派といわれるひとたちや、どんな絵でもそうじゃないか。

決してレンブラントはボッテールの絵に筆を入れなかった。それでもボッタールや
ルイスデールの長所がレンブラントの影響から生まれたのに変わりはない。
これが兄弟のように援け合うひとたちだ。


●ゴッホからエミール・ベルナールへの手紙第十二信(1888年7月下旬、ゴッホ35歳)より

レンブラントは天使を描き、自画像を仕上げた。年取って、歯が抜け、皺だらけで、
木綿の頭巾をかぶっている。鏡を見て描いたものだ。彼は夢中だ、夢中になって
自分の顔を塗り続ける、だが顔の表情はだんだん悲痛な悲しいものになって来る。
しかも、彼は夢中で、無我夢中に描きつづける、なぜだか、どうしてだか僕には
わからないが、ソクラテスやマホメットのように天成の親しさを感じさすのだ。
この老人の背景のレンブラントは彼に似ているし、超自然の天使はモナリザのような
微笑を浮かべている。
レンブラントは何にも創造しなかったので、あの天使も奇妙なキリストも経験から
生まれたもので、彼がみたものなんだ。


●ゴッホからエミール・ベルナールへの手紙第十三信(1888年7月下旬、ゴッホ35歳)より

フランスへ来て、おそらくフランス人たち以上にドラクロアやゾラを感じ、難なく彼等に
傾倒してしまった。僕はレンブラントの影響を受けた考え方を持っていたが、
ドラクロアの色彩による方法と、レンブラントの調子による方法とは並立すると思う。

ゾラとバルザックはその作品の中で画家のようにある時代の社会や自然を描写して
不思議な芸術的衝動を起こさせ、読者に話しかける、それによって、描かれた
その時代に触れさせるのだ。もしドラクロアが歴史の変わりに、人類の一般的な生活を
描いたなら、きっと世界的な天才の範疇に入っただろう。

フランス・ハルスを語ろう。彼は決してキリストや、羊飼いへのお告げや、
天使も十字架の聖者も復活も描きはしなかったし、
無論みだらで野獣的な裸婦の女も描かなかった。

彼は結婚初夜の翌日、新妻と自分とを描いた。二人とも年若く、愛し合って庭に
腰をおろしているところだ。浮浪児や笑っているいたずらっ子、音楽家たち、
太っちょの女料理人を描いた。

彼はそれ以上のことをやろうとしなかった。だが、それだけでダンテの天国や、
ミケランジェロやラファエルやギリシャにさえ匹敵する。ゾラのように美しくもあるし、
もっと明るくて健康で、あれほどいきいきしている。あの時代が健全で暗くなかったのだ。


●ゴッホからエミール・ベルナールへの手紙第十四信(1888年8月下初旬、ゴッホ35歳)より

この間話し合ったオランダ画家の問題は面白いだろう。
たくましい精力とその独創性や、ある種の自然主義には大いに学ぶべきものがある。

彼らに支配される商売女に僕は同情するより共鳴してしまう。
亡命的存在、社会の廃物、僕や君や芸術家たちのように、
彼女もわれわれの友であり妹なのだ。


●ゴッホからエミール・ベルナールへの手紙第十五信(1888年8月初旬、ゴッホ35歳)より

「僕は人物を描きたい、人物を、もっともっと描きたい。人間という二足獣の連作を、
赤ん坊からソクラテスまで、白い肌の黒髪の女から日焼けした煉瓦の黄色い髪の女まで
描きたい衝動にかられている」


●ゴッホからエミール・ベルナールへの手紙第十六信(1888年9月下旬、ゴッホ35歳)より

立派なもくろみを立ててみても計画はたいていはずれてしまうものだ。
その日その日の偶然を捕えて、虚心坦懐に仕事すれば、予期しない多くの収穫があるだろう。」


●ゴッホからエミール・ベルナールへの手紙第十七信(1888年9月下旬、ゴッホ35歳)より

だんだん、僕は料理が何か精神力や作画に影響を与えるんじゃないかと思い出した。」
「芸術は長く、人生は短い、我々の生命を有効に使うように努めよう。」


●ゴッホからエミール・ベルナール(当時20歳)への手紙第十八信(1888年9月末、ゴッホ35歳)より

「今度君の手紙に同封してあったことに小さいスケッチは風格が堂々としていて、
最大級の賛辞に値する。~中略~
もし、君のお父さんが舗道や砂利の中から金塊を探し出す息子をもっていたら、
きっとその才能を軽蔑しないだろう。
僕の考えでは君は確かにそれに匹敵する才能を持っている。」

「絵を作るのは大小のダイヤモンドを発見するようにむずかしいことだ。
現在、人々はルイ金貨や上等の真珠の価値を知ってはいても、
不幸にして絵の価値を知ってそれを信じてくれる人は少ない。
しかし、そういう人もかならずいるはずだ。いないとしても、どんな場合でも、
辛抱強く待たなければならない、例えどんなに長かろうとも。」

画家たちで、フリー・メーソン式の秘密結社をつくろうという考えにはあんまり賛成できない。
規則や制度などを非常に軽蔑しているし、僕は要するに規約とは別のものを求めている。
まだ画家の組合は実現していない ー 幅の広い漠然とした草案程度で ー 
出来るものは出来るのだからそれまで静かに待とう。」

「《詩人の庭》、次に《夜の星空》、それから《葡萄畑》、《畝》、そして街路とでも呼べる
人家の眺めと、みんな無意識的にある関連性を持っている。」

「君の作品が好きだから少しずつ君の作品の小さな蒐集をしてゆきたいのだ。
日本の芸術家たちがお互いに作品を交換したことに、僕は前から感心していた。
それはお互いに愛し合い助け合っていたしるしだ。
彼らの間にはある種の融和があったに違いない。
きっと情誼に厚い生活で、もちろん、陰謀もないだろう。
われわれが、こうしたところを見習えば見習うほど一層よくなるはずだ。
なんでも日本人たちは極く僅かの金しか稼がず、普通の職人のような生活をしたそうだ。
僕は《一茎の芽生え》の複製を持っている。なんて典型的な良心なんだろう。
いつかそれを君に見せよう。」

●ゴッホからエミール・ベルナール(当時20歳)への手紙第十九信(1888年10月初旬、ゴッホ35歳)より

「ぼくの習作を発送したのと入れ違いにゴーガンと君の絵を受取った。これでほっとした。
二人の顔をまのあたりにして心の暖まる思いだ。君の肖像はとても気に入った。
肖像をうんと勉強することを勧める、たくさん描くといい、そして途中で投げ出さないことだ。
僕の考えでは、将来われわれは肖像で大衆を捕えなければならない。」

「《ゲッセマネのキリストと天使》 - という重要な絵と - もう一枚、《星空の詩人》という絵がある。
色彩は間違っていなかったが容赦なく潰してしまった。
そのわけは、前以てそのために必要な形を実物について研究しなかったためだ。」

「だが、いまは自然を貪っている、誇張したり、ときには対象を故意に替える、
だが絵全体を創ろうとは思わない、反対に自然には全てがあるような気がするし、
それを識別すればいいのだと思う。」


●ゴッホからエミール・ベルナール(当時20歳)への手紙第十九信a(1888年10月末、ゴッホ35歳)より

ゴーガンは人間としてとても面白い・・・・・・・とても。

絵描きのような汚い職業には、労働者の手と胃袋を持つ人間が一番適しているのだと
以前から感じていた。破滅した頽廃的なパリのプルヴァールの常連よりも、
もっと野性的な好みと、愛情ゆたかな、温かい性格が必要なのだ。

ゴーガンは、血気と性欲とが野心よりも強い。僕の第一印象だ。
画家たちの組合組織を作ろうというすごい問題に関して論じ合っている。
僕は素晴らしい芸術復興の新しい世界の可能を信じもするし、予感も持っている。
われわれは単に仲介的な役割をするにすぎないかもしれない。
で、次の世代にならなければ安穏には暮らせないのではあるまいか。
いずれにしても、それに全力を傾けるのが僕らの義務でもあるし、
われわれの経験を通じてこそ、はじめて明らかにされる事柄なのだ。

純粋な、すぐれた肖像画家の新しい一団が民衆に理解されるような作品を描くのでなかったら、
未来の絵画を予想するのは時として僕にはとても困難だ、
それなのにどうして人物画を描こうとしないのか自分でもわからない。 

●ゴッホからエミール・ベルナール(当時21歳)への手紙第二十信(1889年10月初旬、ゴッホ36歳)より
※前回から1年後。発作後、サンレミーの精神病院で静養中に書かれたもの

ここは、実にひどく狭いとこなんだ。漠然とした事実ではない真のプロヴァンス地方の風土に
内在する性格を見分けるのはなかなか難しい。それを理解するには辛抱強く仕事する必要がある。
そのために、いくぶん抽象化もしてもくる。太陽と青空にその力強さや輝きを与え、
焼け付くような土地には、ときに憂鬱そうな、たちじゃこう草の香気を出さなければならない。

ここのオリーヴ樹は、君のいい画材になりそうだ。白い大きな太陽の下の
オレンジがかるか紫がかった土地の上では銀色だ。
その銀緑色はコロに一番近い、だが誰もまだ描いたことはないものだ。
それに引きかえ幾人かの芸術家は、たとえば、林檎や柳では成功している。

建築のうちで、僕が最も立派だと思うのは、黒ずんだ暖炉のある苔むした藁葺屋根の家だ。
だから僕は気むずかし屋なんだろう。


●ゴッホからエミール・ベルナール(当時21歳)への手紙第二十一信(1889年12月初め、ゴッホ36歳)より
※ベルナールへの最後の手紙

僕は真実や能力を重んじる。たとい精神的な飛躍をするときでも、ミレーの作品
『牧場で生まれた子牛を農家へ持っていく百姓たち』が好きで、そういうものを描きたくて
身震いするほどなんだ。」

「ここで注意しておくが、胸一杯の大声で断乎として君をしかりつけておきたい。
もう少し元通りの君になりたまえ。『十字架を担うキリスト』は残酷だ。
このなかに調和した色でもあるのか。ありきたりな構図、いいかい、
ありきたりなものは、許せないよ。」

「ゴーガンがアルルにいた頃、一二度は、僕も抽象的になったこともあった。
抽象は魅力的な方向のような気がしたのだ。果たしてそれは素晴らしい場所だろうか!
だが、すぐに壁に突き当たってしまうんだ。自然とじかに取っ組んで一生を探求するために
闘ってきたあとならいざ知らず、それは危険なものなのだ。
だから僕としては、そんなことに頭を悩ましたくはない。
一年中僕は自然をいじくり廻していて、印象派もなんにも振り向きはしない。
それでもまた星を大きく描き過ぎてしまった。 また失敗 もうこりごりだ。」

「この赤土色と、灰色の混じった悲しい緑と、輪郭の黒い線との組み合わせが、
『赤×黒』で表されている、いつも苦しんでいる不幸な僕の仲間たちの苦悩感を
示していることに君は気がつくだろう。」

「もう一枚はまだ若い麦畑の日の出だ。この絵では前の絵とは反対に、
崇高な平和、静穏を表そうとした。何も歴史的なゲッセマネの園を真っ向から狙わないでも、
苦悩の印象を与えることはできる。
心を慰めるやさしい主題のためには、わざわざ山上で説教をきく人物を描くまでもない。」

「君の宗教画は失敗だったね。しかし、それに気が付いた報いはきっと素晴らしいに違いない。
間違えて還って本道を発見するものだ。」

「たとえどんなに油絵が呪うべきものであっても、それが我々の時代には障害でも、
職業として選んだからには熱心に稽古すれば、責任感と、硬い意志と、
節操を重んずる男ということになる。」

「僕の描くものは固くて、干からびているが、少し難しい仕事で自分を鍛えなおそうと考えている、
だから抽象で軟化するのが恐いのだ。」

「ほかにも話したいことがたくさんある。今日便りしたわけは、少し頭がしっかりしてきたからで、
すっかり治るまでは興奮してはよくないと思ったのだ。心を籠めた握手を送る。すべてを君に。」



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