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第16回 「一つ島の深雪姫」と「バンクーバーの朝日」


昨年12月に公開された日本映画『バンクーバーの朝日』をご存知でしょうか?
戦前カナダに実在した日本人アマチュア野球チームの栄光と奇蹟の物語です。

霊界物語のテーマは「言向け和す」ですが、バンクーバー朝日軍のエピソードの
中に「言向け和す」の実例を見つけたのでご紹介します。

「言向け」和すと言っても必ずしも言葉を用いる必要はありません。
「目と目で通じ合う」ということがあるように、非言語コミュニケーション、
つまり態度で言向け和すケースもあります。

「言向け和す」とは人の心の中の敵愾心や憎悪心というものを払い取ること...
とも言えますが、その例としてまず、霊界物語12巻22~24章に出てくる
「一つ島の深雪姫」のエピソードを紹介します。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm1222

拙著『超訳 霊界物語』でも紹介しているので知っている方もいると思いますが、
知らない方のために書いておきます。

アマテラス(の息子のホヒノミコト)VSスサノオ(の娘の深雪姫)という構造で
ストーリーが進んで行きます。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「瀬戸の海」の一つ島(孤島という意味)に、深雪姫の国がありました。
深雪姫はスサノオの娘です。
深雪姫は世界中から屈強な傭兵を集め、兵器で武装した要塞を造り、
日夜武術の訓練をさせていました。

その情報を察知したアマテラスは、弟のスサノオが自分の国を奪い取るために、
深雪姫に軍隊をつくらせたのでは?と疑い、息子のホヒノミコトに、深雪姫を
攻撃せよと命令を下します。
ホヒは大軍を率いて一つ島に上陸しました。

深雪姫の参謀は「この時のためにわれわれは訓練をしてきたのです。早く出撃命令を」
と要請しますが、深雪姫は驚いたことに「武器を使ってはならぬ」と厳命するのです。
「武器は人を殺すためにあらず。己の心に潜む悪魔を追い払うためにあるのだ」と。
武器を使うなと言っても、では一体どうやって敵と戦えばいいのでしょうか?!

ホヒの軍は山を焼き払い、村々を破壊して、深雪姫の城塞に迫ってきます。
そしてホヒは城の門の前で「城は完全に包囲した。早くこの門を開けて降服せよッ!」と
怒鳴ります。
すると深雪姫の兵士の一人タヂカラオ(手力男)が門の中に現れて、
「これはこれはようこそいらっしゃいました」と言うと、何を血迷ったか揉み手をして
門を開けてしまうのです。
味方の兵士たちは驚きます。「貴様、さてはホヒのスパイだな!」

ホヒの兵士たちも、すんなりと門を開けるタヂカラオの態度に戸惑います。
タヂカラオはホヒに「さあ、中へお入り下さい。さぞお疲れでしょう。
ゆっくり休んで下さい。暖かい握り飯や、美味しいお酒を用意してあります」

するとホヒは「その手は食わぬぞ。毒入りのメシを食わせてわれわれを
殺すつもりだろう」
「いえいえ滅相もない。疑うなら私が毒見をしましょう」と言うと、
タヂカラオは握り飯を喰らい、酒を呑み「ああ、うまい、うまい」

それを見たホヒは苦々しく「よし、わかった。──さあ、皆の者、城は落ちた。
中に入るぞ! しかし決して油断するなよ」

警戒しながら城の中に入ると、武装していると思った深雪姫の兵士は誰一人、
武器を持っていません。
ホヒは拍子抜けして、「深雪姫は戦う気はないらしい。
──者ども、鎧を脱ぎ捨てて休むぞ」

それまで張り詰めていた空気は一気にゆるみました。
そして敵味方の区別なく、酒を呑み、飯を喰らい、歌い、踊り、笑い合い、
そこには地上天国の様相が出現しました。

その後ホヒノミコトはアマテラスの国へ帰り、
スサノオには野心のないことを報告しました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

──というエピソードです。
私は最初ここを読んだときに、いったい何が言いたいのかよく分かりませんでした。
武器を持っているのになぜ戦わないのか?と。

しかしこのエピソードで言いたいことは、そういう「体」(たい)の問題ではなく、
「霊」の問題だったのです。
「体」とは物資・肉体・外側・形式などの方面です。
「霊」とは霊魂・精神・内側・本質などの方面です。
王仁三郎は「霊主体従」が宇宙の法則であるが、現代社会は堕落して「体主霊従」と
化している、と言います。「霊」が見えずに「体」ばかりになっているというのです。

一つ島の深雪姫のエピソードが語っていることは、武器で戦うか戦わないという
外面的・物質的な問題ではなく、私たちの心の中の敵愾心とか憎悪心というものを、
いかに取り除いて行くかという、内面的・精神的な問題だったのです。
この場合、アマテラス・ホヒの、スサノオ・深雪姫に対する
「自分の国を奪いに来るのではないのか」という敵愾心です。

このエピソードにとてもよく似ている実話を最近見つけました。
それが『バンクーバーの朝日』です。


1900年初頭、大勢の日本人が新天地を夢見て遙か遠く海を渡りカナダへ
移民しました。
しかしそこで彼らを待ち受けていたものは、人種差別、過酷な肉体労働、
貧困といった厳しい現実でした。
そんな中、日本人社会に野球チームが生まれました。「バンクーバー朝日」です。
夢も希望も持てなかった時代に、彼らの活躍が、人々にとってひとすじの光となる
──という実話をもとにした映画です。

日系二世の若い人を中心にしたアマチュアチームで、最初は弱小チームでした。
白人の方が体格が大きく、パワーがあるので勝てません。
しかし小柄であることを逆手に取り、その機動力を生かして、
バント、盗塁、ヒットエンドランを駆使して、白人のチームを打ち破り、
リーグ優勝を果たし、白人からも支持されるようになります。

実は私もまだ映画は見てなくて (^_^;)
バンクーバー朝日軍を紹介したテレビ番組で見たんですが、
当時こういう出来事があったそうです。。


安い賃金でも文句を言わずに勤勉に働く日本人に対して、白人が
「仕事を奪うな、出ていけ!」と激怒し、日本人排撃運動が起こりました。
皮肉なことに、まじめに働けば働くほど憎まれるのです。

明治40年(1907年)に大規模な反日デモが起こり、2000人のデモ隊が
日本人街を襲撃しました。
「ジャップは出ていけ」と石を投げ、家のガラスを割ります。
日本人たちは、自分たちの生命と財産を守るために、暴徒を実力で撃退しました。

すると──「日本人は危険な民族だ」とマスコミは報道しました。
そもそも白人が起こした暴動なのに、それに抵抗したことで、
逆に日本人は危険な奴らであると思われてしまったのです。
カナダ政府はこの暴動以降、移民を厳しく制限するようになりました。

その頃カナダでは野球が盛んでした。そこで日本人の誇りを保つために、
日系人の野球チームが作られたのです。白人に勝つ強いチームを作ろう、と。
小柄な日本人チームが、大柄な白人チームを倒して行きます。
連戦連勝で、リーグ優勝を果たし、上部リーグに入ることが認められました。

しかし憎しみがなくなったわけではありません。野球が強いことで、
さらに妬まれ、憎まれるのです。
すると白人チームが不正なプレーをして、攻撃してくるようになりました。
それに抗議する日本人と白人とで試合中に場内乱闘も起きます。
そして、審判もあからさまに差別するようになるのです。
どうみてもアウトなのにセーフと言う白人優遇のジャッジです。
それに対して観客も「それ、ジャップをやっつけろ」と沸き上がります。
日本人を痛め付ける試合を見ることで、憂さ晴らしをしているのです。

不正プレーで日本人チームは負け続けです。
あるとき監督が変わり、新しい方針が作られました。
新監督は、フェアプレー精神を徹底させ、審判への抗議は一切禁止にしたのです。
不正なジャッジでも決して抗議しないことにしたのです。

日本人チームは相変わらず惨敗続きでした。
日本人は抵抗しないことをいいことに白人チームはやりたい放題です。
「あそこまでされて何で黙っているんだ。何でやり返さない? 
勝ちさえすればいいじゃないか」という声が日本人の中から上がりますが、
監督は「やられたらやり返す。それでどうなるんだ」と言います。
監督は、あの反日暴動のとき、まだ子どもでしたが、大人たちがしていたことを
見ていました。白人たちの憎しみに対して憎しみでやり返したことで、良くなるどころか
かえって憎しみが増しただけでした。危険な民族だと誤解され、ますます差別される
ようになってしまったのです。
「ただ勝てばいいという問題ではない。どんな状況でも正々堂々と戦って、そして勝つ。
それが本当の日本人の姿なんだと、白人たちに見せてやりたいんだ」

その後も、どんなに不正なプレーやジャッジをされても、
黙って、フェアプレー精神を貫きました。
あるとき、九回裏で日本人チームが勝つか負けるかという試合のときに、
審判は誰が見ても明らかな不正なジャッジをしました。
どう見ても白人走者がアウトなのに平気でセーフと言うのです。

そのときです。白人の観客たちが場内に乱入し、審判に激しく抗議を始めたのです。
日本人チームのために抗議をしているのです。

正々堂々と戦うことで憎しみを消していこうと監督は考えたのでした。
そのやり方は間違ってはいませんでした。白人たちは自らの過ちに気付き、
不正なジャッジやプレーを正したのです。

監督就任から5年目に見事リーグ優勝を果たし、そのときは日本人と白人のファンが
抱き合って喜び合ったということです。


──これがバンクーバー朝日に起きた出来事です。
一つ島の深雪姫と似たようなパターンだと思いました。

深雪姫も、暴力に対して暴力で対抗していたら、ホヒに
「それ見ろ、やっぱりスサノオは危険な奴だ。国を奪いに来るに違いない」と
思われていたことでしょう。武器を一切持たずに、抵抗しなかったから、
「こいつらは危険ではない。野心はない。汚い心(猜疑心)を抱いていたのは
自分の方だった」と気づいたのです。

心の垣根が外れたと言えます。それが「言向け和す」です。

これは言葉を使わず態度で示す「言向け和す」でした。
そしてまた、「暴力に対して暴力で対抗せずに、では一体どうしたらいいのか?」と
いう問いに対する回答の一つでもあります。

1月7日にフランスでテロ事件が起きました。ムスリムをバカにする風刺画に対する
報復としてイスラム過激派が起こしたテロです。するとフランスはテロに対する復讐で
燃え上がり、フランス政府は原子力空母をペルシャ湾に派遣して「イスラム国」を
空爆すると息巻いています。

そして今日(1月20日)は「イスラム国」が日本人2人を誘拐し、身代金2億(200億円)
ドルを要求しました。2億ドルとは安倍総理が対テロ戦争の戦費として外国に支援
する金額と同額です。

日本政府は人質救出のために自衛隊を派遣して実力で奪還したいところですが、
残念ながら関係法規が整備されていません。これで憲法九条改正にますます
拍車がかかりそうです。

こんなふうに「やられたらやり返す」では暴力の連鎖は収まりません。
仮に武力でイスラム国を制圧したところで、彼らの欧米諸国に対する憎しみは
収まることはないでしょう。

正義だとか表現の自由だとかは「体」の問題です。今、議論されているのは「体」の
問題ばかりです。武力攻撃をするとかしないとかいうのも「体」の問題です。
しかし本質(霊)は、人の心の中の憎悪とか猜疑心とか敵愾心の問題です。
その「霊」の問題に着目しない限り、紛争はなくなりません。

「神道は言挙げせず」とよく言いますが、時には、あえて権利や正義を主張しない
ことも必要だと思います。不正にあえて抗議しないことで敵味方の区別のない
マイトリーワールド(マイトリーは梵語で友人・友情の意)を創り上げたのが、
一つ島の深雪姫とバンクーバー朝日軍のエピソードです。

そういう発想ができるのは「言向け和す」を1300年前に古事記に掲げて
国を創ってきた日本だけではないでしょうか?

   




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