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天命を生きた日本画家・瓜南直子の軌跡(奇跡)を紡ぎし物語『絵画を生きて』


みなさん、こんにちは!
にんげんクラブ世話人の川端淳司です。

かなりブログがご無沙汰してしまい、大変申し訳ありません。

その間、雹の被害や大型の台風の襲来がありました。
被害にあわれた方には心よりお見舞い申し上げます。

台風の勢力が急速に弱くなったのは、あの世から舩井幸雄さんが「エイッ」と
見守ってくださったのかなとふと思いました。

ところで先日、江戸時代の武士のように、我々は死、つまり、生を強く意識し、
日々を感謝してもっと大切に生きねばと思わせてくれた本に出会えたので、
連載第64回目は夭逝の美人日本画家・瓜南直子さんの『絵画を生きて』を
ご紹介します。

瓜南さんは鎌倉での最後の個展の1月後の2012年6月4日に享年56の若さで
貧しさと病の中、兎神国(月の国、あの世)へ旅立たれました。

当時、亡くなられた一月後の銀座柴田悦子画廊での追悼展を訪れた私は
作品を見てはっとしました。

欧州の美術館で出会った傑作に連なる個の力、深いオリジナリティと世界観が
備わっていたからです。

それから1年、彼女の死から2年後、作家の盛田隆二さんや藤沢周さんら友人の
協力で彼女自身が綴った文章をまとめた本書と作品集が出版され、柴田悦子画
廊での二度目の追悼展を偶然訪れた際、本書に廻り会えたのです。

2006年5月6日に父が64歳で亡くなった時、66歳くらいで死ぬのかと考えていたの
ですが、命日と享年が瓜南さんと逆さまだったので、かつて死について深く考えた
ことを想い出させてくれました。

瓜南さんは真摯で誠実な作家の殆どが絵を描くのは自己救済のためで、抽象的な
意味での全人類の魂の救済においては1mmほどの役にしか立たないと喝破しまし
たが、瓜南さんの遺志を継ぎ、その1mmに、来年8月に銀座のギャラリー枝香庵で
企画したアートグループ展で貢献したいと考えています。

以下に雑誌に掲載された公的な文章だけでなく日記やノートからその哀切漂う瓜南
さんの言葉(言霊)をご紹介します。

魂が震えた方はぜひ本書を手に取って観てくださいね。

 

・『孤児のような気持ちを味わっていた。ながい間、私ひとりが薄寒い現代にぽつんと
 生まれ落ちた気分でいた。書物の中に、なつかしい匂いを嗅ぐほどに私は寂しかった。
 しかし、ある本との出会いをきっかけに地続きに時代を遡ってゆくコツをつかんだ。
 明治から江戸、室町、平安と遡って行った時、私は自分の体内に流れている日本という
 大いなる河を感じた。』

・『神話の時代から、緑と石清水に造形された、この奇跡のような島だけが持つことが
 できたものがある。その感覚は誰もの内の深い処で、たしかな記憶として眠っている。
 それを掘り起こし、紡いでゆく。それが私の仕事だと思っている。そして、私が描くまでの
 長い時そのものを、絵の中に棲みつかせたいと思う。誰もが共有する内なる感覚に
 うれしくなるように。』

・『(本のカバー絵『封印』の少女に向けて)どうかそのまっさらな目で、蜻蛉島
 (あきつしま=日本)の美しさをもう一度、島の人々に伝えておくれ。ここは月と
 「かな(文字=日本語)」』に護られた島だと、教えておくれ。』
 ※311直前の収録

・思うに絵描きは、芸術家は、芸術の神に嫁いでしまった身なんではないかと思うのだ。
 だから、他にはなんにもできない。神からお声がかかる間は作品を作り続けるしかないのだ。

・今は、自分の絵を通して、この世界(森羅万象や歴史)とわかりあい、
 その喜びを人と共有することができれば、と思っている。

・渡辺京二の『逝きし世の面影 』を読むと、江戸時代の人々がなんと、身の丈に合った豊かな
 暮らしをしていたかがよくわかる。幕末に日本を訪れた外国人たちは心底驚いたのである。
 富裕層でない町民や農民までが、こぞって花見や紅葉狩りに興じていることに。
 物見遊山にでかけ、風光明媚を味わう感性にあふれていることに。

・私はコレクションも一つの表現であると思う。
 わがままに、正直に、コレクションしてこそコレクター。

・ピカソの言葉にあるように、出来上がった作品ではなく作者の生き方こそがアートなのだと思う。

・わたし、気がつかなきゃいけないのは、ペルソナをかぶっていることじゃなくて、
 ペルソナをかぶっては生きられない側の人間なんだってことだった。

・ずっとむき身でいたかった。むき身で自分にとって"実"となるものをさがしていたかった。
 むき身で話をしたかった。ずーっと昔から。
 でも殺していた。私はそれが出来ない側の人間なんだ。社会とうまくやれない。

・わたしのことをわかってくれる人がひとりこの世界にいて、それがほんとにうれしいから、
 ひとりになれると思う。もう、もとには帰れないけど、彼がその方が楽なら、私はひとりに帰る。
 わたしは、ずっとこのままでもいい。つらくても。彼とかわせる時があれば、ずっとこのまま、
 彼を愛してゆける。彼があらわれたことで、私は心から救われた。解かれたけど。
 そのために、ひとりの人を倖から遠のかせてしまった。

・ひとり と ひとり。そこに位置するしか、ないのだと。やっと彼に落ち着いた。

・わかったことは、私は、やはり表現しなくちゃいけない、ということ。
 彼が散文や定型を選ぶように、私も立体とか平面を選べるわけだけれど、私はやはり、
 強さで空間を支配する立体よりは、平面を選ぶと思う。

・ブッダのような宇宙観を彼はほんとの自由だという。悟りってことですか。
 それは私だって、最後の仕事だと思ってる。でも今の私にそれを強いるのは酷です。
 まだまだせいいっぱい。

・テーマを忘れないこと。色や感触に、構図にこだわるたびにテーマが薄まってはいけない。
 私は絵でないものを絵にしているのだ。そうでなければ私が絵を描く価値はないんだから。

・わたしと彼はこんなにちかいのに。こわい。彼かわたしがひとりになってしまうことが。

・自分がめざしたいもの、作品の上で、もういちど確認しよう。これなくしては進めない。
 描写力ではなく"描く力"。置かれている、描かれている具体物であったり平面上のテーマ
 以上のXを生み出すのはこの描く力だ。この『描く力』を生み出すために必要なことは、
 めざしたいものを具体的に抽象的に確認していること。描きたいテーマにより深く踏み入ること。
 どんな絵?をコトバ化するのもいい。いま、心奪われる絵があるか。自分の中にあるか。
 心奪われる絵描きはいるか。そういう人に出逢ったか。あるいは作家でもよい。
 頭でコタエがでなくても、手が何かを 何かのコタエを導いてくれるはず。

・やはり、芸術は男のものだと思う。芸術は感覚かもしれないけど、その感覚はある意味で、
 ひとつの思想に根差しているものだからだ。じゃぁ、私はダメなのかというと、それは困る。
 男になるのかと言われても困る。今はそのコタエがない。
 ただ、女に思想は「宿りにくい」ということだけを認める。今のところ。

・私と同じ教祖(麻原)。デジタルな集団。アニメチックな終末論。
 ひとにぎりの、狂気集団とかたずけるのは、たやすいが、どこかでわかってしまう。
 人ごとでないものを感じる。世代的にピタリとはまる。そして、こんなにも人間は、
 カンタンにあっちに行っちゃうのだと思う。弱さが生む実もあるが、弱さが虚を育てるのだ。

○最後のノートより

・たぶん私が弱かったのだ。そして、酒でまぎらわしていた。酒で身体をつぶした。
 弱っている。そして、短期間のあいだに、やせて、やつれてしまった。

・もし身体が健康が保てるのであれば、私は第三期としての再スタートを切りたいと思っている。

・まだやり残したことがあるんだ。描くことがあるんだ。絵の神様が、私を手離すはずはないんだ。
 けれど、その手をもぎ取ったのは、裏切ったのは私自身だったのかも知れない。
 生活のこと、お金のことばかりが頭を占めていた。

・とりあえず痛みは消え、仕事ができている。仕事ができる、絵が描けるとは、こんなにいいものか。
 過去を悔やんでも、何をとっても自分のした事だ。けれど、マジに奇跡の復活、めざしてる。
 っていうか、自分が、今、余命1ヵ月?かなんかとは信じられない。

・明日の搬入、展示、初日、できるのか、私。あと、1年、絵を描ける環境と、生活できるお金が
 あるなら、そして肉体があるなら。ムーンダンスの発展形を描く。寒冷紗を極める。→抽象を考える。
 キリッとした表現と、あわいのような支持体と、そこにかかる霞と。他にはない表現をきわめたい。
 あと1年あるなら。時間を。私に時間を。というより、作れるように、がんばろう、私。復活しなくては。

絵画を生きて       瓜南直子作品集 兎神国物語
   



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