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第11回 天空に架かる巨大な黄金の橋が、世界の終末から人々を救い出した!


国祖隠退後の地球は天変地異が勃発。霊界物語の第5~6巻で書かれているんですが、
ここでビジュアル的な見所は、何と言っても天空に架かる巨大な
「天の浮橋」(あめのうきはし)でしょう。

まだ国祖(国常立尊)の神政の時代に、竜宮城(世界政府のこと)の「三重の金殿」
(みえのきんでん)という部屋に、宇宙剖判のとき一番最初に誕生したと言われる
「顕国の御玉」(うつしくにのみたま)という宝玉が奉安されました。
国祖が隠退すると、その三重の金殿が鳴動しながら天に向かってニョキニョキと延びて行き、
雲にまで達し、その先端が左右に分かれて、黄金に輝くその太い柱は東西に延びて行き、
あたかも天空に黄金の橋を架け渡したかのように変形したのです。

このT字型の黄金の橋を「天の浮橋」と呼びます。
日本神話に出てくる天の浮橋は、国生みの際にイザナギ・イザナミがその橋の上に立って、
アマノヌホコで塩コオロコオロにかきなした(掻き回した)...という、あの橋です。
文字通り天に浮いている橋です。

日本神話では天地剖判直後の泥海で国生みが行われますが、霊界物語では大洪水後の
泥海で国生みが行われます。
その洪水の前から、救済のための神器として天の浮橋が登場するのです。

その大きさは書いていないのでよく分かりませんが、ともかく橋の端が見ないくらいの
巨大なものだと思います。

この黄金の橋がゆっくりと回転を始めました。東から南、西、そして北へ。
時計回り(右回り)です。台風の向きとは逆ですね。

橋の先端からはとても美しい金色の光がまるで花火のように、
地上に向かって放射していました。

壮大な光景ですね。
霊界物語はこうやってイメージしながら読むのがコツです。

天の浮橋の想像図が霊界物語に挿入されているので参考にごらん下さい。
このページ(5巻23章)の下の方です。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0523

天の浮橋をよく見ると、橋桁のあちこちから細い金色の「霊線」が、まるで糸柳のように
何本も何本も、地面に向かって垂れ下がっています。
その霊線の先端には、金、銀、銅、鉄、鉛などのカギ(鈎)が付いていました。

これを「神の御綱」(かみのみつな)とか「救いの鈎」(すくいのかぎ)と呼びます。

このカギは神人(しんじん=この時代は神と人との中間の神人の時代だった)たちを
釣り上げて、橋桁の上に乗せて行きました。
誰でも彼でもではありません。額に「神」というマークが付いた神人だけです。
この「神」を付けたのは「言触神」(ことぶれのかみ)と呼ばれる神人です。

天変地異が多発する地球で神人たちを救うために、天教山(神代の富士山)に正しい
神人らが招集され、世界の大峠を告げる「言触神」に任命され、世界各地に散って
行きました。
彼らが「宣伝使」の魁けです。

彼らが世界を旅しながら、神(国祖)の教えを宣べ伝えて行き、その教えに耳を傾ける
神人たちの額に「神」マークを付けて行ったのです。

「救いの鈎」は「神」マークの付いた神人たちを引っかけて、次から次へと空に引き上げて
行きました。
黄金の橋の上に救われたのは上(じょう)の身魂(みたま)の神人でした。

すると今度は金色の橋のすぐ下に銀色の橋が現れ、またその下には銅色の橋が現れ、
天の浮橋は三本になりました。
それぞれ銀色、銅色の霊線が無数に垂れ下がっており、そのカギで、銀色の橋には
中(ちゅう)の身魂の神人が、銅色の橋には下(げ)の身魂の神人が救われて行きます。

橋と言っても、欄干も何も無い、丸木橋のような、渡ることが難しい橋です。
引き上げられる途中で落下したり、橋の上で滑ったり、風に吹き飛ばされて転落する
神人もいました。
しかしこの橋を渡らなくては、神の柱(神柱=かんばしら)になることは出来ません。

浮橋はゆっくりと回転しながら、天教山や地教山(神代のヒマラヤ)、その他数ヶ所の
高山の頂きに、神人たちを下ろして行きました。

天の浮橋が描かれているシーンは、主に次の章に出てきます。

5巻10章「奇々怪々」 http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0510
同23章「神の御綱」 http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0523
同24章「天の浮橋」参照〕 http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0524

   ☆   ☆   ☆

第6巻で、大洪水・大地震が567日間続いて、ついに地上は泥海になってしまいます。
この「大峠」から地上の神人を救った神器が、天の浮橋を始め三つあります。

他の二つは、巨大な亀と、方舟です。

巨大な亀というのは、琴平別神(ことひらわけのかみ)の化身です。
「ことひら」と言えば香川県の「こんぴらさん」(金刀比羅宮)さんがすぐに思い浮かびますが、
こんぴらさんは海上の守り神ですね。(祭神は大物主命と崇徳天皇)
霊界物語では、イザナギの子である大道別(おおみちわけ)という神の霊魂が二つに分かれて、
地上の守護神「日の出神」(ひのでのかみ)と、海の守護神「琴平別神」になりました。

こんぴらさんの片割れである日の出神が、紀伊半島の大台ヶ原(最高峰は「日出ヶ岳」)から
世界宣教に旅立つシーンがあります。(第7巻)
地図を見ると、金刀比羅宮と日出ヶ岳がほぼ同じ緯度上にありますね。(約34度11分)
そしてその中間に、国生み神話の舞台である淡路島があるのが意味深です。

このレイラインは霊界物語を知っていないと見つからないレイラインですね。
ただ地図をよく見ると、このレイラインは淡路島をわずかに外れていて、
その南にある沼島(ぬしま)を通っています。

ところで、国生みで最初に誕生したオノコロ島は、一般には淡路島だと言われていますが、
この沼島がオノコロ島だという説があることをご存知でしょうか?
淡路島には有名なオノコロ島神社がありますが、沼島にもオノコロ島神社があって、
やはりイザナギ・イザナミを祭っているのです。

しかし実はこちらもレイラインからわずかに外れており、沼島の北2~300メートル先の海上が
レイラインなのでピッタリとは行きません。
ですが国生みというのは、はるか太古のことです。縄文以前は海面が低かったので、
淡路島も沼島も陸続きだったはずです。(もっとも日本列島自体が大陸と陸続きでしたが...)

さて話がズレましたが、救済に使われた三つの神器のうち、もう一つの方舟というのは、
ノアの方舟で有名なあの方舟ですが、一隻だけではなく、333隻あります。
「目無堅間(めなしかたま)の船」とも呼ばれ、銀杏の実を浮かべたような形で、海水が入って
来ないように上面は頑丈な板で丸く覆われており、横には空気穴が開いています。
現代の客船に搭載している救命ボートのようなかんじです。

方舟と言えばちょうど今『ノア 約束の舟』という映画の公開が始まりましたね。
霊界物語を映像化したら、この大峠のシーンはとても迫力あるシーンになると思いますよ。
光線を発する天の浮橋が大空で回転しながら、神人を霊線で救い上げて行くシーンを、
ぜひ3Dで見たいものです。
王仁三郎はもともと、霊眼で、ビジュアルで、そのシーンを目撃していたのです。

余談ですが、これはよく映画などに出てくる、宇宙船から光線が出て人間を宙に引き上げて
宇宙船に乗せて行くシーンに似ているかも知れません。
実際の物理的な橋なのではなく、そういうメタファーなのかも知れませんね。

   ☆   ☆   ☆

ところで聖書の洪水伝説では、地上の蒼生を救い出したのは方舟しかありませんが、
霊界物語では天の浮橋と巨大な亀と方舟の三つあるわけです。

そして、聖書では、大洪水から救われたのはノアとその家族だけですが、霊界物語では
もっとたくさんの神人が救われています。
それに、正しい人だけではなく、何故か悪人までも救われているのです。

たとえば、国祖を隠退に追い込んだ悪の張本であるウラル彦、ウラル姫夫妻
(旧名は常世彦、常世姫)も、銅橋の上に救い上げられています。

何故なんでしょうね~??
悪い奴らは救わなくてもいいじゃないですか。。。

ここに欧米的な価値観と、王仁三郎的な価値観の明白な違いがあります。

そもそも霊界物語で大洪水が起きたのは、決して悪人を滅ぼすためではありません。
国祖隠退=つまり人々が生命の根源であるこの地球の超絶したエネルギーに封印をして
しまったために起きた、ある意味では自然現象です。
洪水から町を守るために川をコンクリートで固めて堤防を築いて、その結果土砂で川底が上がり、
決壊してかえって大規模な被害が発生するようなものです。
そして国祖(国常立尊)はこのとき、地上の蒼生を救うために自らを犠牲にして、
大峠の天変地異を鎮めるのです。
悪人を滅ぼすどころか、彼らをも救っているのです。

一方、聖書で大洪水が起きたのは、悪い奴らを滅ぼすためです。
しかしその結果はどうでしょうか? 
正しいノア一族だけ生き残らせても、結局は地上は再び悪化してしまい、現在のこの有り様です。
だからイエス・キリストが現れざるを得なかったのです(2千年も前のことですが)。

結局、悪人を滅ぼしても滅ぼさなくても、地上を良くすることとは、あまり関係ないのですよ。
滅ぼしたって、世の中は良くなりません。
何千年もの人類の歴史で、それが証明されています。
悪をどんなに叩いたって悪はなくなりませんね。
医学がどんなに発達しても病人がなくならないどころか増えていることと同じです。
何か根本的に考え方が間違っています。

霊界物語では、悪人を滅ぼして世の中を良くするのではなく、
悪人を言向け和して、世の中を良くします。

これは厳霊(げんれい)と瑞霊(ずいれい)という宇宙の二大霊流の価値観の違いでもあります。
聖書的な価値観は厳霊です。王仁三郎は瑞霊です。
そして、厳霊はダメで瑞霊はよし、ということではなく、両方とも大切だというのが、
真に王仁三郎的な価値観です。
この厳霊と瑞霊が合したのが伊都能売(いづのめ)です。

「言向け和す」というのは、この伊都能売的価値観で世の中を良くすることです。

近頃は外圧の反動で日本的価値観が見直されつつありますが、
「外国はダメで日本はよし」というのは「外国」の価値観ですね。
外国も日本もすべて大切、というのが、真に日本的価値観です。大和(だいわ)の精神です。
総てを包み込んで、世界を統(す)べ治めて行くのが、日本の使命ではないでしょうか。
(戦前、王仁三郎はそれを「皇道」と表現しました。すめらぎの道、世界統一の道です)


さて、次回は霊界物語の言向け和すエピソードの一部を紹介したいと思います。


(次回に続く)




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