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第63回 大人の心と魂を真理(悟り)へといざなう、人類至宝のファンタジーストーリー

みなさん、
こんにちは!

にんげんクラブ世話人の川端淳司です。


GWを気持ちよく過ごされたことと思いますがその一方、大雨が気になるなと思っていたら、
東京に地震がありました。

舩井幸雄さんが『未来への言霊』で「異常気象です」と最初に警鐘を鳴らされていましたが、
みなさま大丈夫でしたでしょうか。

今の私は東京で支部の定例会やイベントを多くの方に支えられて開催していた時と違い、
自分自身と家族で手一杯の状態なのですが、変化の5月が到来し、その状況も変わりつつ
あると感じています。

みなさまにとっても変化を感じる5月なのではないでしょうか。

人(他人)は変えることはできない。

まず自分が変わらないと始まりませんよね。


私自身が変わり、にんげんクラブやこのブログを読んでくださるの心の友のみなさんと共に、
舩井幸雄さんが世に広めてくださった百匹目の猿現象を加速させ、大難を無難にして、
共存共栄の自然・地球・宇宙と調和したミロクの世を創造して参りたいです。

今後ともよろしくお願いいたします。

さて、GW前半の昭和の日に昭和を感じる町おこしイベントが大阪の昭和町で開催され
参加してきました。


相模原のRASHクルージングで活動され、にんげんクラブ東京支部の定例会によく顔を
出してくださった中村行宏さん出展の健康食ブースを訪れるためだったのですが、その道中、
JRの車中で「川端さん、川端さん」と聞き知った声が。


昨年4月の同じ時期に仙台から大阪へ引っ越して来られた川上さんご夫妻でした。

奥様のゆきさんが私の家に近い仁徳天皇陵のお隣にある大仙公園のマラソン大会に
参加された帰りだったのです。

にんげんクラブメンバーとの深いご縁を感じたとてもうれしいシンクロでした。

このブログを読まれている方の中には日に何回もシンクロが起こるなんて方もいらっしゃると
思いますが、私は週に1回程度でしょうか。

舩井勝仁さんはその名著『未来から考える新しい生き方』で利他に生きるとシンクロが起こり
出すと仰っていてその通りだと思いますが、その大小は別にしてシンクロは誰にも平等に起き
ているのではとふと思い至りました。

それはサムシンググレートからの恩寵・愛のようなもの。

そのシンクロがあった昭和の日、
大阪の大丸心斎橋店で信楽の作陶家の篠原希さんに出会いました。

同い年で同じ大阪出身の素敵な作陶家(男性)ですが、その希(のぞみ)という名に何か
魅かれたものを感じていた翌日、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』の訳者あとがきに
こうありました。

現代の危機を救うのは心だと考えていたエンデが
『希(ねが)うことが大切だ。希えば成る』と良く言っていたと。

『希(望)』をもたらす、とても小さな、でも素敵なシンクロでした。

きっとみなさんの周りにも小さくて素敵なシンクロ(サムシンググレートの恩寵)があふれて
いるのだと思います。それに気づくことができる感性は、利他の行動で磨かれるのかもしれ
ませんね。私はまだまだですが。(笑)

ということで前置きが長くなりましたが、連載第63回目は以前『モモ』をご紹介した
ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』です。



はてしない物語 (上) (岩波少年文庫 (501))

はてしない物語 (下) (岩波少年文庫 (502))

ちびででぶ、臆病で神経質、弱虫でいじめれっこ、運動音痴で去年は落第まで、、、
全然いいとこなしでコンプレックスだらけの10か11歳の少年
バスチアン・バルタザール・ブックスが主人公。

母は亡くなり、父は妻の死のトラウマで一人息子に必要以上に語りかけることがなく、
バスチアンの心の支えは唯一本のみ。

そんな絶望の淵にいた少年が、定められし運命の本『はてしない物語』に出会い、その
ファンタジーの中の勇士アトレーユとともに成長して行く上巻に対し、下巻ではその物語の
中にバスチアン自身が救世主として入り込み、そのコンプレックスを克服しながら、悪をも
なして、やがて真理へ到達するファンタジーストーリーを生き抜きます。

子供が本を読みながら成長できる傑作ファンタジーである一方、大人がその心・魂を
バスチアンとともに成長させ、真理(悟り)へといざなってくれる人類至宝の究極の物語でした。

上下巻より、真理に通じると感じた文章を抜粋します。魂魄震えた方はぜひご一読くださいね。

アート(芸術)って本当に素晴らしく、力があることを悟らせてくれた、素晴らしい本でした。。。


 
上巻より はてしない物語 (上) (岩波少年文庫 (501))

この本を持たずに立ち去ることはどうしてもできないのが、バスチアンにはわかっていた。
ここにきたのも、ほんとうはこの本のせいだということが、今やはっきりした。この本が
バスチアンのところに来たがっていたから、もともとずっとバスチアンのものだったから、
何か秘密に満ちた方法で呼んでいたのだ。

バスチアンにとって学校はいつも打ちのめされてばかりいる場所だった。~略~ 
バスチアンには学校生活がはてしなく長い囚われの刑のように思えた。

父さんの周りには見えない壁ができ、それを越えることは誰にもできない、という感じだった。

入ろうという意思を持てば持つほど、扉はいよいよ固く閉まる。ところが、あらゆる意図を忘れ
あらゆる意志を捨てることができれば、そのものの前に扉はおのずと開くのじゃ。

アトレーユは既に多くのことを経験していた。すばらしいものも身の毛のよだつものも見てきた。
けれども今の今まで知らなかったのは、その両方を兼ね備えたものが存在するということ、
美が恐ろしいものでありうるということだった。

とりわけその人間に似た顔に恐るべき未知の力が脈うって流れていて、瞬間瞬間に消え去り
ながら、しかも同時に、自ら新たに生まれでようとしているところというふうに見えた。

「連中はな、人間の頭の中の妄想になるんだ。ほんとは怖れる必要なんかなんにもないのに、
不安がっていろんな思いを持つようにさせたり、自分自身をだめにしちまうものなのに、まさに
それを欲しがる欲望を持たせたり、実のところ絶望する理由なんかないのに絶望だと思いこま
せたりするんだ。」

「人間どもを支配するのに虚偽(いつわり)くらい強いものはないぜ。人間てのはな、ぼうず、
頭に描く考えで生きてるんだからよ。そしてこれはあやつられるんだな。
このあやつる力、これこそものをいう唯一の力よ。」

ともかく、ファンタージエンが滅亡の危機に瀕していることにバスチアン自身も
加担したのは明らかだった。

幼ごころの君は、これまで自分の国の生きものに、闇の子も光の子も、美しいものも
醜いものもなんの区別もしなかったように、自分が耐えられることと耐えられないこととの
区別もしなかった。

下巻より はてしない物語 (下) (岩波少年文庫 (502))


「月の子(モンデンキント)はぼくにたくさんのものをくださったのに、ぼくはそれでもって、
自分にもファンタージエンにも、わるいことばっかりやってしまったんです。」

「あなたは望みの道を歩いてきたの。この道は、けっしてまっすぐではないのよ。
あなたも大きなまわり道をしたけれど、でもそれがあなたの道だったの。~略~ 
生命の水の湧き出る泉に通じる道なら、どれも正しい道だったのよ」

(生命の水を)飲んで飲んで渇きがすっかりおさまった時、体中に悦びがみちあふれていた。
生きる悦び。自分自身であることの悦び。自分がだれか、自分の世界がどこなのか、
バスチアンには、今ふたたびわかった。新たな誕生だった。
今は、あるがままの自分でありたいと思った。~略~
今こそ、バスチアンにはわかった。世の中には悦びの形は何千何万とあるけれども、
それはみな結局のところただ一つ、愛することができるという悦びなのだと。
愛することと悦び、この二つは一つ、同じものなのだ。




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